音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
父の件が新聞に掲載された翌日の夜、僕はかすかな物音で目を覚ました。文机で書き物をしたまま眠ってしまったらしい。時間ははっきりしないが、窓から見える夜の濃さから、おそらく深夜だろうということがわかった。
倦怠感がひどく、身体を起こすのが億劫だ。自分の腕に頬を預けたままぼんやりしていると、玄関の方から何やら喋り声がするのが聞こえてきた。シリウスの低い声と、もう少し高い、クリーチャーのものではない声。声を潜めて喋っているのだろうが、この森の中では、梢が揺れる以外の音は珍しく耳に届いた。
二つの声は途切れ、その代わりに階段を登る足音が聞こえてくる。目をこすりながら身体を机から引き剥がし、僕は立ち上がって自室の扉を開けた。
廊下にはシリウスと、大きなトランクを持ったハリー・ポッターがいた。ハリーは痩せた様子もなく、先学期の最後に会ったときと同じく元気そうだ。
それにしても、もう叔父叔母の家から脱出できたのか。もう少しかかるかと思っていた。シリウスを見てみると、その顔にはこの夏見たことがないほどの嬉しさが溢れていた。ここまでいかに胃を痛めながら僕の世話をしてきたかを思えば、その表情にはこちらも安堵せざるを得なかった。
ハリーもまた僕を見て、たちまち笑顔になった。
「やあ、ハリー。元気にしていた?」
「ドラコ!」
まだ寝ぼけ眼で目をこすっている僕を、ハリーはぎゅっと抱きしめた。一瞬落ち着かない気持ちになるが、それを表に出すことなく、ハリーの背中を軽く叩く。ハリーはすぐに離れ、上機嫌のまま周りを見渡した。
「この屋敷、素敵だね。歴史もののドラマとかに出てきそうだ」
「そうかな?」
確かに掃除して綺麗になったし、ブラック家の屋敷の中では居心地のいいほうだろう。しかし、正直に言えば、閉じ込められてから、僕の中でこの屋敷は両手をあげて好きだと言えるものではなくなってしまった。
「ハリー、君の部屋はドラコの部屋の横だ」
シリウスが隣の扉を開けながら言った。
「積もる話もあるだろうが、おしゃべりは朝にして、二人とも今は寝なさい」
ハリーはわずかに不満そうな顔をしたが、僕の噛み殺し損ねたあくびに気づき、おとなしく頷いた。
「じゃあ、おやすみ、ハリー。また明日」
「おやすみ」
ハリーがシリウスと共に自分の部屋へと入っていったのを見届け、僕も部屋に引っ込む。文机の上のノートを変身術の内容に変えて閉じ、引き出しにしまったあと、今度はきちんとベッドの中に入って眠りに落ちた。
翌朝、僕は朝食には少し遅い時間に目を覚ました。再び寝落ちてしまわないよう、しっかりと冷たい水で顔を洗ってから食堂に顔を出す。そこでは、シリウスだけがコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。
挨拶をしつつ席に向かう。
「おはようございます。ハリーはまだですか?」
シリウスが頷いたと同時に、背後で扉が開いた。今起きてきたばかりらしいハリーの髪は四方八方に立ち上がり、熟睡した様子が窺えた。
おはようと声をかけると返事は返ってきたが、まだかなり眠そうだ。しかし、僕の前にトーストと紅茶を運んできたクリーチャーを見て、ハリーの半分しか開いていなかった目は丸くなった。
「クリーチャー、ハリーの分も朝食を用意しろ」
シリウスの命令を受けて、クリーチャーは口をへの字にして(まあ、平常運転だ)キッチンへと向かう。その姿を、ハリーのやや険しい視線が追った。
「あれ、ハリーはもうクリーチャーのことを知っているの?」
紅茶にミルクを入れつつ問うと、ハリーは素直に頷いた。
「うん。グリモールド・プレイスで──」
「ハリー」
ハリーが口にしかけた言葉を、シリウスが遮る。途端に、ハリーの顔にはしまった、という表情が広がった。
……ふうん。グリモールド・プレイス──ロンドンのブラック本家の屋敷が、ハリー・ポッターの逗留地になるほど整備されているのに、僕は今回そこに招かれなかったわけだ。……間違いなく、何かの重要拠点として使われているのだろう。
僕の沈黙から、推察している様子を嗅ぎ取ったらしい。シリウスは額に手を当てた。
「……別に『あの人』に聞かれたって漏らしはしませんよ。どうせ母や伯母は何かあると気づいているでしょうし……『忠誠の術』か何かはかけているんでしょう?」
僕の言葉に、シリウスは深々とため息をついた。
「君の調子が戻ってきたのは、いいことなのかどうなのか……」
どう考えても、僕にとってはいいことだ。こちらの微笑みに対し、シリウスは再び小さくため息をついた。
ハリーは自分の前に料理を運ぶクリーチャーを見て、少し複雑そうな顔をしていた。再びクリーチャーが厨房に消えたのを確認すると、ハリーは声を潜めて言った。
「シリウス……まだクリーチャーを働かせるの? だって、あいつは……」
ハリーは、あの屋敷しもべ妖精の主人に対する裏切りを知っているらしかった。ああ、もう……クリーチャーの業によるものとはいえ、またあの子が責められる側にまわってしまう。僕は内心、げんなりする気持ちを抑えられなかった。
シリウスは厳しい表情で頷いた。
「ああ。色々知りすぎたあいつを、手放してやるわけにはいかない。それにダンブルドアは、私がもう少しちゃんとクリーチャーと向き合うべきだと言っているし……まあ、そうしなければ、処分しか選択肢はないからな」
処分という陰惨な未来しか感じさせない言葉を耳にして、流石にハリーも怯んだらしい。それ以上、クリーチャーの扱いについて言及することはなかった。
「ハリー、クリーチャーは料理が上手だよ。朝食を食べよう」
僕の言葉に頷くと、ハリーは大人しくトーストを口に運び始めた。
話題を変えるため、僕は再び口を開いた。
「そういえば、シリウス。今日は屋敷にいられるんですか?」
「ああ。あらかた魔法省での手続きは終わったから、七月の後半はもっとゆっくりできるはずだ。まあ、他にも仕事はあるが」
他の仕事ねえ……大いに気になるが、これ以上嗅ぎ回る素振りを見せるのは得策ではないだろう。
「そうですか。ダンブルドアも、ハリーをここに連れてこられたら、あなたと過ごさせてあげたいとお考えなのかもしれませんね」
僕の言葉に、シリウスも微笑んで頷く。そのやりとりを、トーストを口に入れたハリーがじっと見ていた。その目には、意外そうな色がありありと滲み出ている。
「どうしたの、ハリー?」
ハリーは口内に詰まったトーストを飲み込んでから、躊躇いがちに口を開いた。
「いや……君とシリウスが、仲良くやれているかどうか、心配していたんだ。正直、ものすごく険悪になっているかもしれないと思ってたから……」
へえ、ハリーがそう考えていたとは、ちょっと意外だ。そこまで心配するほどのことだろうか? 僕も最初はシリウスをよく知らなかったから、勝手に身構えていたけれど、彼は結構我慢強いし、その性格はハリーの方が僕よりよっぽどよく知っていただろうに。
そう思ったが、目をやるとシリウスは少しバツが悪そうな顔をしていた。……まあ、何も聞くまい。
「いいや? シリウスには本当に良くしてもらっているよ」
僕の言葉を聞いて、ハリーは嬉しそうに微笑んだが、シリウスの気まずそうな表情はあまり薄れなかった。責任感の強い人である。
その日の短い午前中は、ハリーに屋敷の中を案内した。僕からすればよくある魔法族の屋敷だが、ハリーは屋敷に残る魔法のかかった家具や、歴史ある家財に興味津々といった感じだった。そういえば、昨晩はドラマみたいだとか言っていたか。クリーチャーに教えてもらった知識は、ここで発揮されることになった。
少し遅い時間に軽めの昼食を済ませると、僕は眠気に耐えられなくなってきた。それに、いつまでもハリーを独占しているのも申し訳ない。
「シリウスと話しておいで」
そう伝え、僕は自分の部屋で昼寝をとらせてもらった。
夕食の席に降りると、ハリーとシリウスは既に食堂にいた。二人で何か話していたようで、ハリーは僕を見ると、隣の椅子を引いてくれた。
礼を言って腰を下ろすと、ほどなくクリーチャーが料理を運んでくる。昼食が遅かったせいであまり空腹ではなかったが、温かい料理を前にすると、それなりに食欲は湧いてきた。
「そういえば、ハリー。ダンブルドアは一体何の用だったんだ?」
食事を始めてしばらくすると、シリウスがそう尋ねた。
何の話だろう。僕が顔を上げると、シリウスはこちらにも説明してくれた。
「ダンブルドアは、ハリーと一緒にどこかに寄ってからこちらに来ると話していたんだ」
「先生を勧誘しに行ったんだよ。ホグワーツに戻ってきてほしいって」
ハリーはそう言って、前の晩の出来事を話し始めた。
ダンブルドアに連れられて向かったのは、ある村の、マグルの家だったらしい。ところが、中に入ってみると部屋はめちゃくちゃに荒らされ、壁には血までついていたという。死喰い人に襲われたように見せかけるため、家の住人が自分で準備し、本人は肘掛け椅子になっていたそうだ。
そこまでして断ろうとしていた相手を、ダンブルドアは結局引っ張り出すことに成功した。
「それで、相手は誰だったんだ?」
シリウスが聞いた。
「ホラス・スラグホーンっていう人だよ。ちょっとセイウチに似てる」
ハリーはスープを掬いながら言った。
その名前には聞き覚えがあった。確か、昔ホグワーツで魔法薬学を教えていた人で、スリザリンの寮監でもあったはずだ。ダンブルドアは闇の魔術に対する防衛術に、専門が違うその人をつけるつもりなのだろうか?
しかし、具体的にどんな人物なのかはよく知らなかった。シリウスがたちまち眉をひそめたところを見ると、少なくともグリフィンドールの生徒たちから、広く愛されていた教師というわけではなさそうだった。
「教わったことがあるんですか?」
「ああ。私がいた頃は、まだ教えていた」
シリウスは少し懐かしむような、それ以上にうんざりしたような口調で答えた。
「優秀な生徒や、有力な家の出身者を集めるのが好きな人だった。気に入った生徒を呼んでは、食事会やパーティを開く。卒業した後も、誰がどんな地位に就いたか、よく把握していたな」
「僕にも、昔教えていた人の話をたくさんしてきたよ。魔法省の誰かとか、有名な選手とか……」
「そうだろうな。自慢のコレクションなんだ。逆に、そこに加える価値がないと思った生徒には、ほとんど関心を持たない」
……つい一昨日にも、この人の口から似たような話を聞いた気がする。
父と気が合いそうな先生だなあ、と思ったが、それを口にすると、またシリウスに嫌な顔をされそうだった。
「もっとも、純血の家の子供だけを集めていたわけじゃない。リリーも、ずいぶん気に入られていた」
シリウスは目を細めてハリーを見た。
「うん。母さんのことも話してくれた」
ハリーは少し複雑そうに頷いた。
「魔法薬学がすごく得意だったって」
「ああ。だから、君にも会えて嬉しかっただろうな。リリーの息子で、その上、今では『選ばれし者』だ」
ハリーは途端に、一段と渋い顔をした。
『選ばれし者』というのは、神秘部の戦いの後、新聞がハリーにつけ始めた呼び名だ。ついこの間まで、ヴォルデモートの復活を訴えるダンブルドアを耄碌した老人のように書き立てていた新聞が、今度はハリーを救世主のように扱っているのだから、本人としてはたまったものではないだろう。……もっとも、その所業の片棒を担いでいたのは、他ならぬ僕なのだが。
「そんな呼び方、僕が頼んだわけじゃない」
苦々しい言葉に、シリウスは頷いた。
「もちろんだとも。ただ、スラグホーンにとっては、ぜひとも手に入れたい生徒だろうという話だ」
シリウスはそう言ってから、僕の方も見た。
「君のことも気に入るかもしれないな。優秀な生徒は大好きだから」
「それなら、ありがたいですけど……」
好意的な教師が増えること自体に、異存はない。
しかし、ハリーは少し言いにくそうに口を開いた。
「でも、あの人、死喰い人から逃げていたんだ。ずっと住む場所を変えて、あのマグルの家にも勝手に住んでいたみたいだし……だから、その……」
「僕のことは、あまり歓迎しないかもしれない?」
ハリーはためらいながら頷いた。
なるほど。それは十分ありそうな話だ。父の名前は新聞に大きく載っているし、僕自身の評判も、おそらくそれほど良いものではない。隠れて暮らすほど死喰い人との関わりを嫌がっているなら、わざわざその息子を近くに置こうとは思わないだろう。
しかし、ハリーにそんな顔をさせるほど困った事態でもなかった。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ、ハリー。こと教師という職業の人に対しては、僕は必要であれば、どのような状況であろうと、そして誰であろうと、ある程度惹きつけられる自信がある。……まあ、スネイプ教授みたいな例外もいるけどね」
あの人については、昨年かなり迷惑をかけたような気もするし。
僕の言葉を聞いたハリーの顔からは、すぐに心配が消えていった。しかし、その代わりに表れたのは、かなり露骨な呆れだった。
「それとほとんど同じセリフを、僕は何年か前に、他の人から聞いたことがある」
パンをちぎりながら、ハリーは嫌そうにそう言った。
「誰から?」
ハリーの身近に、そんな厚顔無恥な人間がいただろうか。首を傾げる僕に、ハリーは少しだけためらいつつ口を開いた。
「ヴォルデモート。……三年前、君が秘密の部屋に引っ張っていかれたときに、そこでトム・リドルがそう言っていた」
一瞬、食卓が静かになった。よりによって、その人か。流石にあまり嬉しい比較ではない。
僕はできるだけ明るい調子で答えた。
「……でも、僕は彼みたいに人を食い物にしたりしないよ?」
それでも、ハリーの表情は少しも晴れなかった。
「そうかもしれないけど……あんまり人を操ろうとしない方がいいよ」
「便利なのに」
冗談めかして言うと、ハリーはますます呆れた顔になった。それから、手元のパンに視線を落とし、少し考えるようにして言った。
「……でも、根本的には、君はそういうのは向いていない気がする」
そうだろうか? 僕としては、かなり得意な方だと自負していたのだが。少なくとも、正面から杖を向け合って解決するよりは、よほど性に合っている。
しかし、ハリーに自分の適性を説明する機会は、ひとまず失われた。
「『秘密の部屋』? そこでヴォルデモートと話したのか?」
シリウスに尋ねられ、ハリーは当時の出来事を話し始めた。
僕の父がしでかしたことを知るにつれ、みるみるシリウスの表情が曇っていくのが見えた。ジニーに押し付けた日記によって、最終的にルシウス・マルフォイは息子の僕まで殺しかけたのだから、シリウスにとっては最低な所業以外の何物でもなく、到底聞き流せる話ではないだろう。
しかし、シリウスは時折こちらを見るだけで、口を挟まずにハリーの話を聞いていた。言いたいことは山ほどあるのだろうが、ハリーの前では控えてくれているらしい。僕も黙って食事を続けた。
しかし、僕の頭には、それより少し前の話が引っかかっていた。
ヴォルデモートが、必要であれば誰でも惹きつけられると、自分で言っていた。
それは、僕の中の彼の人物像とは違っていた。
僕が知っているヴォルデモートは、圧倒的な力を持ち、それによって他人を従わせる人間だ。気に入らない相手がいれば罰するし、望むものがあれば差し出させる。わざわざ相手の好みに合わせて振る舞い、気に入られるために努力する姿は、どうにも想像しづらかった。
もちろん、生まれたときから闇の帝王だったわけでもないのだろう。ホグワーツの生徒だった頃には、教師に評価される必要もあっただろうし、自分より力を持つ大人の機嫌を窺うこともあったはずだ。当時だって、ダンブルドアはホグワーツにいたのだし。
考えてみれば当然なのに、僕は今まで、そういう彼のことをほとんど考えたことがなかった。
人を惹きつけるのが得意だった少年が、ああも傍若無人に成り果てたのだろうか。それとも、今も必要があれば、そういう振る舞いをするのだろうか?
僕は、ハリーの話を聞きながら、ここ一年ほどのヴォルデモート卿とのやり取りを思い返した。
どのような言葉を喜び、何を嫌い、どこまでなら口を挟んでも許されるのか。そういうことには、ずいぶん気を遣ってきたつもりだ。しかし、どうしてそういう人間になったのかについては、驚くほど何も知らない。
……ヴォルデモートとは、一体どんな人なのだろう。
これから先、去年よりも踏み込んだ提案を受け入れてもらうためには、今まで以上に深く取り入る必要がある。今の彼の言動を観察するだけでは、わからないこともあるのかもしれない。
これは少し、今後の課題になるだろう。
シリウスの唇がひくひくと物言いたげに震えるのを見ながら、僕は脳内で今後のタスクを追加した。
ちょっと更新頻度が下がるかもしれません。