音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
ハリーと話して、ホグワーツに入学してからの今までを思い出したせいだろうか? 浅い眠りの中で、奇妙な夢を次々と見た。ほとんどを忘れてしまったが、最後は尻尾爆発スクリュートから全力で逃げる悪夢だった。
背後に巨体が迫り、捕まえられる、と覚悟したが、腹に回った甲羅に覆われた脚は全く固くなかった。これは……人間の腕? そう思ったところで、一気に意識がはっきりとする。
眠りに落ちたときと変わらず、ハリーは犬の姿の僕をしっかりと抱えていた。しかし、腕は脱力しておらず、もう起きているらしい。前足の下を回った手が胸元の毛をわしゃわしゃといじくり回している。この姿になったのは僕の選択だったが、この子は凄まじく遠慮がない。
窓から差し込む光を見るに、日はすでに朝と呼ぶには高いところまで昇っているようだ。くわっと遠慮なくあくびをすると、後ろにいるハリーも僕が起きたことに気がついたらしい。ハリーは最後に首のあたりの毛も撫でてから体を起こした。
正直、まだ全然寝足りない。ベッドに伏せたままもう一眠りしようかと考えるが、ハリーは少し眠たげな目でじっとこちらを見たまま動かなかった。何か伝えたいことがあれば言ってほしい。君は喋れるんだから。
ハリーはしばらく僕を見つめていたが、ため息に似たあくびを一度だけしてベッドから立ち上がり、ドアを開けたまま部屋の外へと出ていった。……僕も来いってことだろうか。二度寝をしたいけれど、避けていると思われるのも良くないか……
一度だけぐっと伸びをして、変身を解かないままのそのそとハリーの後を追った。
ハリーは階段下で待っていた。僕を見ると、少しだけ眉が吊り上がる。
「いつまでその格好でいるの? 朝ごはんはドッグフードでもいいのかな」
痛烈な皮肉に、階段を降りる足が止まる。……これは、気まずさのあまり変身したままなのがバレてしまっているな。
僕はできるだけ何事もなかったかのように人の姿に戻った。
「ハリー、朝ごはんの前に着替えてきた方がいいんじゃない? 毛だらけだよ」
ハリーの服についていた白い毛をつまんで言うと、眉間の皺はさらに深くなった。
「君がもう少し、毛の抜けない犬だったら助かったんだけど」
そもそも君が僕を抱きかかえて寝なければいいのでは? と口に出しかけて止める。ハリーは着替えに戻る気もないらしく、結局僕らは二人揃って食堂へと向かった。
中ではシリウスが椅子に腰掛け、ゆったりと新聞を読んでいた。どうやら今日は外出の予定はないらしい。ハリーも来たことだし、ダンブルドアが気を利かせているのだろうか。
……容貌の気品が屋敷の優美な装飾とあいまって、高貴な純血一族の家長といった雰囲気がすごい。本人は嫌がるだろうから、絶対に言わないが。眠気のせいで出力が五割程度になっていそうな頭で、僕はぼんやりと思った。
シリウスと挨拶をして、僕らもテーブルについた。たちまちクリーチャーが朝食(と言うには遅すぎたようだが)を用意してくれる。
無理やりトースト一枚と紅茶一杯は口に入れたが、それでも目は覚めきらなかった。さらには、意識を別のところに集中させていないと、昨日話した神秘部の件がぐるぐると頭を回り、罪悪感が胸に湧いてくるのだ。これはなかなかに耐えがたい。ハリーには勘付かれたくないが、どう足掻いても本調子とは言えなかった。
「ちょっと、まだ眠気が取れなくて……もう一回変身して寝てこようかな……」
しかし、ハリーは僕を自由にする気があまりないらしかった。トーストを齧る手を止めもせず、こちらに目だけを向けて言う。
「僕と喋りたくないだけだろ」
昨日変身して話を誤魔化したことを、やはり根に持たれているらしい。とはいえ、本当に眠いのは事実なのだ。
「そんなことはないよ。実際、動物もどきの姿でいると変なことを考えずに済むから、寝るのにはうってつけだし。ねっ、シリウス」
どうせ昨夜の時点で、ハリーには僕の不調の原因などお見通しなのだ。今さら後遺症を隠し立てしたところで、かえって勘繰られるだけだろう。それならいっそ堂々と言い訳に使わせてもらって、白い犬の姿で午前中をやり過ごしたい。人間の脳みそを抱えていると、どうにも余計なことばかり考えてしまうのだから。
急に話を振られたシリウスは、新聞から顔を上げた。僕とハリーの顔を交互に見比べ、そこに漂うどこかとげとげしい空気を嗅ぎ取ったのか、わずかに首を傾げる。しかし、深く考える前に口が動いたらしい。
「ああ、そうだな。私もアズカバンのときは助けられた」
よし、言質は取った。この屋敷で最も動物もどきの変身に詳しい人の、お墨付きである。
ハリーはシリウスを一瞥した。その顔には、ただ苛立っているだけとは言い切れない、何か複雑な色が浮かんでいたような気もするが……今の僕の頭では、それ以上を読み取る余力はなかった。
「ごちそうさま。クリーチャー、今日もおいしかったよ」
ハリーが何か言い出す前に、僕は紅茶の残りを飲み干して席を立った。
食堂を出た僕は、自室へ戻る階段を素通りして、そのまま庭へ向かった。ベッドに潜り込めば、きっと昨夜のことばかり思い出してしまうし、ハリーにまた扉を叩かれたら、今度こそ逃げ場がない。
外は気持ちのいい天気だった。キールダーの森にしては珍しく雲の切れ間が広く、梢の向こうから差し込む光が、すっかり露の乾いた芝をやわらかく温めている。
しばらく庭をうろついた末、僕は端に立つイチイの木の下に落ち着いた。濃い緑の枝が陽射しを程よく遮り、木陰の縁にだけ、まだらな日だまりが落ちている。寝床としては申し分ない。
一応人目がないのを確かめてから、白い犬の姿になる。芝の上で居心地のいい場所を鼻先で探って見つけ、前足の上に顎を乗せて丸くなってすぐに、僕の意識はすとんと落ちていった。
気がつくと、僕は見覚えのある、やけに天井の高い部屋に立っていた。どこまでも続く棚に、ぼんやりと光るガラス玉が整然と並んでいる。
その通路の真ん中で、橙色の毛玉が何かを転がしていた。あれは……クルックシャンクスだ。ぺしゃんこに潰されたような顔の猫は、前足で器用にガラス玉を弾いては、追いかけて飛びつき、また弾いている。玉の中では白い靄が渦を巻き、転がるたびに、聞き取れない囁き声が漏れていた。
──それが何なのか、僕にははっきりと分かっていた。
慌てて駆け寄るが、クルックシャンクスは僕の手をするりとかわし、尻尾を立てて玉を棚の隙間へと蹴り込む。かと思えば、また別の玉を引っ張り出して、楽しげに転がし始めた。
這いつくばって棚の下を覗き込んだそのとき、背後の空気がふっと冷えた。
振り返らなくても分かった。通路の向こうに、背の高い黒い影が立っている。暗がりの中で、青白い肌に嵌め込まれた赤い目だけが光っていた。
考えるより先に身体が動いた。僕は暴れるクルックシャンクスを玉ごと腕の中にかき抱き、反対方向へと走り出した。爪が腕に食い込むのも構わず、棚の間をただひたすらに駆ける。腕の中では、猫が抗議の唸り声をあげ、ガラス玉がかすかに何かを囁き続けていた。
背後から、ゆっくりとした足音がついてくる。どれだけ走っても、その距離は少しも開かなかった。
足音が、すぐ背後まで迫って──そこで、はっと目が開いた。
視界いっぱいに、緑の芝が広がっていた。鼻先をくすぐる草の匂いと、背中に当たる陽の温かさに、ここがどこなのかようやく思い出す。胸の奥で心臓がうるさく跳ね、気づけば口を開けて浅い息を繰り返していた。犬の身体はこういうとき本当に正直で、取り繕いようがない。
頭を持ち上げると、すぐ隣で何かが動いた。
そこにいたのはハリーだった。木の幹に背を預けて芝の上に座り込み、膝の上に本を広げている。見覚えのある表紙は、僕の『上級魔法薬』だった。
ページから顔を上げたハリーと、まともに目が合った。その目には、わずかに心配の色が浮かんでいた。……もしかして、魘されていたのだろうか。終わってみれば、かなり馬鹿馬鹿しい夢ではあったが。
僕は長く息を吐いて、再び前足の上に顎を落とした。……全然寝た気がしない。むしろ、寝る前より疲れている気すらする。犬の姿でいれば余計なことを考えずに済む、と朝食の席で豪語したばかりなのに、この有様だ。
まあ、ヴォルデモート卿を夢に見て平気でいられる奴はいないだろう。追いかけっこの相手としては、尻尾爆発スクリュートの方がまだ可愛げがある。
ハリーは何も言わず、また本に目を落とした。ページをめくる乾いた音が、梢のざわめきに混じる。
しばらくして、屋敷の方から芝を踏む小さな足音が近づいてきた。クリーチャーが、銀の盆を両手で掲げてこちらへやってくる。盆の上には紅茶のポットとカップが二つ、それに小さなサンドイッチがきれいに並べられていた。
「ドラコ坊ちゃまがお目覚めになったようでしたので」
クリーチャーは僕の前に恭しく盆を置くと、それから心底不本意そうに、もう一つのカップをハリーの方へ少しだけ押しやった。ハリーも黙ってそれを受け取る。……いや、何も言うまい。
もう一眠りしたいところだったが、紅茶を前にしては仕方がない。僕は渋々人間の姿に戻り、芝の上で大きく伸びをした。背骨がパキパキと小気味よく鳴る。
「おはよう」
そう言うと、ハリーは盆に残っていたカップを取り、こちらへ差し出した。
「……ありがとう」
受け取ったカップの温かさに、夢の名残でまだ早鐘を打っていた心臓が、少しずつ静まっていく。
それからしばらく、どちらも口を開かなかった。ハリーは本に目を戻すでもなく手の中のカップを見下ろしていて、膝の上では木漏れ日が風に合わせて形を変えている。
穏やかといえば穏やかな午後のはずなのに、昨夜のことを思えばその静けさがどうにも落ち着かず、とうとう僕のほうが先に音を上げてしまった。
「そういえば、変な夢を見たよ。クルックシャンクスが予言の玉で鞠遊びをしていて……『あの人』まで出てきたものだから、あの子ごと抱えて逃げ回る羽目になった」
軽く流すつもりで口にした言葉だったが、予言、と聞いた瞬間、ハリーの目がわずかに見開かれた。カップを盆に戻して、膝の上に開いていた『上級魔法薬』をゆっくりと閉じる。こちらに向き直ったその顔は、真剣そのものだった。
……これは、失敗したかもしれない。昨夜の今日で、自分から神秘部の話を持ち出すのは迂闊だった。流石の僕も目が覚めてくる。
ハリーは僕の顔を見据えたまま、口を開いた。
「ドラコ、あの予言のこと、君は何も知らされていないんだよね」
「うん。ダンブルドアが破壊していたから、彼は内容を知っているのかと思っていたけど……」
正直なところ、予言の存在自体を僕はすっかり忘れていた。考えてみれば、あのガラス玉のために僕は拷問されたのだったが……しかしまあ、ダンブルドアが壊しても構わないと判断した以上、そこまで知っておかねばならない内容だとも思っていなかった、というのが本音だ。
僕の言葉に、ハリーはしっかりと頷いた。
「……僕は聞いたんだ。神秘部から帰ってきたあとに、ダンブルドアから」
ハリーは膝の上で組んだ手に視線を落とし、一度だけ息を吸った。
「君があんな目に遭ったのは、この予言のせいだから。……君は知っておくべきだと思う」
一瞬、聞いていいのだろうか? という疑念が心中に湧き上がった。僕が拷問の果てにヴォルデモートにその内容を漏らしてしまう可能性はゼロではない……
しかし、僕の頭の中にはすでに、それよりよほど危険な秘密がいくつもしまい込まれているのだ。今更一つ増えたところで、大した違いはないだろう。結局、僕は黙ってハリーの話を聞いた。
そうして語られたのは、七月の終わりに生まれる、闇の帝王を打ち倒す力を持った子どもの話だった。三度にわたって帝王に抗った両親のもとに生まれたその子は、帝王自らの手で自分と並ぶ者として印をつけられ、帝王の知らない力を持つことになる。
……そして、どちらか一方が、もう一方の手にかかって死ななければならない。一方が生きる限り、他方は生きられぬ……
最後まで震えることのなかった声でそう締めくくると、ハリーは額の傷に、そっと指先で触れた。
ハリーの指先が傷から離れるのを待って、僕は口を開いた。真っ先に浮かんだ問いは、我ながら少し場違いなものだった。
「これを予言したのは、トレローニー教授?」
ハリーは目を瞬かせた。
「……知っていたの?」
「いや。ダンブルドアが、あんなインチキ占い師にしか見えない人をホグワーツに置き続けているのには、何か理由があるんだろうと思っていただけだよ」
実際、去年の夏にはそんな当たりをつけたこともあった。まさか、その本物の予言が、こんなところで回ってくるとは思っていなかったが。
手の中の紅茶に目を落としながら、僕はハリーの言葉を頭の中で反芻した。
前半は、すでに
問題は後半だった。
昨年の夏に立てた推理が、頭をよぎる。ハリーの中に宿る闇の帝王の霊魂を壊すには、ハリーが一度ヴォルデモートの手にかかって死ななければならないのではないか。そしてそのとき、ヴォルデモート自身が取り込んだリリーの守りが、ハリーを生かすのではないか。僕はそこに希望を見出していた。
けれど、一方が生きる限り、他方は生きられぬ、というのは……
実感は遅れて、唐突にやってきた。背筋を冷たいものが這い上がり、カップを持つ指先から温度が抜けていく。
ハリー・ポッターは本当に、ヴォルデモートと戦わなければならないのだ。自分の中の霊魂を壊すために一度殺され、そこから戻ってこられたとしても、それで終わりではない。その先で、今度こそヴォルデモートを倒さなければならないのだ。そのときにも、リリーの守りがハリーを生かしてくれると考えていいのだろうか?
……それに、どうやって倒すと言うのだろう?
たとえ魂のかけらをすべて壊し尽くしたところで、あの強さまで失われるとは思えなかった。つい一ヶ月ほど前にしこたま磔の呪いをかけられた僕には、それがどれほどのものかよく分かっている。あれは突然変異としか思えない、もはや災害のような強さなのだ。
絶対にハリーを死なせるわけにはいかない。それなのに、ヴォルデモートを倒す方法がどこにも見つからず、思考は渦を巻いて同じところを回り続ける。
……ただ、今の僕がすべきなのは、ここで慌てふためくことではないだろう。この世界の誰よりも結末を信じられる人間がいるとすれば、それは
カップを芝の上に置き、僕はハリーに向き直った。
「ハリー、大丈夫だ。……いや、大丈夫にするし、大丈夫になる。絶対に。生き残るのは君だ」
「……何でそう言い切れるの?」
ハリーに、僕を疑っている様子はなかった。ただ、不思議そうに首を傾げている。
本当の根拠を口にすることはできない。けれど、それとは別に、嘘偽りなくそう思えるだけの理由も、僕はちゃんと持っていた。
「適当なことを言っていると思うかもしれないけれど……五年間君を見てきて、君が何かに挫けるところは想像ができないんだ。君はいつでも諦めることを知らないし、それでどんな困難だって乗り越えてきた。
……そういう、何にも代えがたい強さを、君は持っている」
ハリーは、しばらく黙って僕の顔を見ていたが、ふいに視線を逸らして言った。
「……犬になっていいよ」
「え?」
思わず目を瞬かせる。話の流れがまったく掴めずにいると、ハリーは焦れたように眉を寄せた。
「いいから!」
よく分からないまま、白い犬の姿になる。途端に、ハリーが膝立ちで身を乗り出してきて、正面からぎゅっと首に腕を回された。
頭の後ろで、鼻を啜るような小さな音がした。
……ああ、なるほど。顔を見られずに済むのは、どうやら犬になる側だけではないらしい。
犬の前足では、人間の背中にうまく腕を回すことができない。それでも僕は、どうにか片方の前足をハリーの肩に引っかけるようにして、不格好なりに抱きしめ返した。ハリーの腕に、また少し力がこもった。
ハリーの腕の中で、僕は鼻先をその肩口に埋めた。洗いざらしのシャツから、日向と芝の匂いがする。
……ハリーは、こんなにもまっすぐな信頼を僕に向けてくれているというのに、僕のほうは、ハリーに言えていないことがあまりにも多すぎた。
昨夜どれだけ約束をねだられようと、僕がヴォルデモートのそばを離れるつもりなど少しもないこと。そして、僕の考えが正しければ、ハリーはこれから先、一度は死ななければならないこと。
それでも、少なくとも、ハリーを守りたいと思うこの気持ちだけは本当だった。
昨夜の僕は、自分にできることなどもうほとんど残っていないと、情けないことを思っていた。しかし、ハリーがあの人と戦うことになるのなら、それまでにできることを探さなければならない。今は方法が分からないからといって、諦めるわけにはいかなかった。
僕にやれることなら、なんだってしよう。君がヴォルデモートと最後に向かい合う、そのときまで。
肩に引っかけた前足に、僕はほんの少しだけ力を込めた。
おっきい犬をモフりたすぎる欲望のままに書いていて申し訳ない