音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
不死鳥が導く場所に向かう間、僕は途中でロックハート教授は逃げようとするのではないかと思っていた。しかし予想に反して、彼は杖を向けずとも従順に僕らの横を歩いてくれた。
不死鳥の先導でたどり着いたのはマクゴナガル教授の研究室だった。実家のような安心感という言葉がふと頭をよぎる。この2年、僕はそれこそ実家のように頻繁にここを訪れているのだ。マクゴナガル教授に会いに。たまにダンブルドアにも。安心するのも当たり前だった。
ハリーがノックして扉を開けると、やはりそこにはマクゴナガル教授とダンブルドア、そして何故かスネイプ教授がいた。いや、これは僕とハリーの寮監と校長という組み合わせか。
ダンブルドアは僕らを見て、こちらを安心させる温かな雰囲気でにっこりと笑う。マクゴナガル教授はすごい音を立てて椅子から立ち上がったが、言うべき言葉が見つからないようだった。胸に手を当て、逡巡したのち深呼吸をして冷静さを取り戻そうとしている。スネイプ教授はハリーを見て一瞬安堵と落胆が混ざったような顔をした後、僕を完璧に無視してロックハートに視線を向け、意地悪そうな嘲笑を浮かべた。
ダンブルドアは僕とハリーにゆっくり頷くと、ロックハート教授に向き直った。最も偉大な魔法使いの冴え冴えとした視線に耐えられなくなったロックハート教授が口を開く。
「お、お戻りになったんですね。ダンブルドア。それは実に……喜ばしい!」
「ギルデロイ、先ほど医務室に妹を連れてくれたミスター・ウィーズリーが、君の知られざる罪を教えてくれた。最早、隠しておくことはできぬ。闇祓い局が来るのを、スネイプ教授と共に待ってもらいたい」
ダンブルドアは僕らに向けていた暖かさをほとんどロックハートに向けず、淡々と告げた。冷淡な言葉だった。
ロックハート教授は一瞬萎んだ風船のように肩を落とし、しかし次の瞬間胸を張ってダンブルドアに笑いかけた。
「……まあ、そうでしょうね。しかしダンブルドア! あなたはいずれ後悔することになりますよ。 この私という得難い教師を失ったことをね!」
ロックハート教授はすごい。普通この状況でそんな虚勢を張れるものだろうか? その胆力をもっと早くもっと違った方向で活かしてくれていたらよかったのに。
進み出てきたスネイプ教授は性格の悪い笑みを隠さず、杖を一振りしてロックハート教授を縛り上げる。彼は無造作に縄の結び目を掴むと、半ば引きずるようにしてロックハート教授を連れていこうとした。
足をほとんど動かそうとしていないロックハート教授にスネイプ教授が万感の思いがこもった嫌味をつらつらと立板に水を流すように紡ぐ。
「しかしまあ、全く嘘八百をずらずらと並べ立てて、よくそこまで面の皮が厚くいられたものですな? 肥大し切った虚栄心で自分の考える脳を押し出してしまっているとは思っていたが、まさかここまで救いようがないとは」
言われるだけの侮辱をロックハート教授はしてきている。でも、僕は思わずスネイプ教授を遮って言った。
「ロックハート教授、今までお世話になりました」
横にいたハリーがすごい勢いで僕の方を向いた。どうかしていると彼が思うのも分かるが、ここまで付き合いがあると見下げ果てた相手にでも情が湧くというものだ。ハリーは逡巡し、意外なことに少し頭を下げた。
ロックハート教授は目を丸くして僕とハリーを見た。彼は一瞬だけあの輝かしい笑顔を作ろうとして、しかし結局失敗した中途半端な顔で部屋から出された。スネイプ教授は浮かべていた笑みを消し、いつか彼の研究室で見た恐ろしい無表情で僕を一瞥すると力強く扉を閉めた。
ようやく、僕らが話すときが来た。
「一体、何が起こったんですか? どうやってあなた方は部屋から無事に戻ってきたというのですか?」
マクゴナガル教授は震えを押さえ込もうとして失敗した声で言った。それを聞き、ハリーは教授の机に「組分け帽子」とルビーのちりばめられた剣、それにリドルの日記の残骸を置くと、彼が通ってきた冒険の道について語り始めた。
……正直耳を塞ぎたくなるくらい危険なことをやらかし続けていた話だった。しかも、それを聞いていたら絶対にもっと早く事件は解決していた。特に日記のことは。
その上、ハリーは明らかに僕の前では言いたくなさそうに、しかし話の中で飛ばすこともできないと言った感じで、今アズカバンにいるハグリッドの可愛いお友達が秘密の森に大挙しており、そこで情報を得たが命からがら逃げ出したことを明かした。
僕は去年ダンブルドアの言うことに従って彼を追い出さなかったのを少し後悔した。
ハリーの話を聞いたダンブルドアがトム・リドルの正体について補足を加え、ようやく全てが終わったと僕は思った。それは間違っていた。ハリーはダンブルドアに問う。
「リドルは僕にドラコがダンブルドアの策だったって言ってたんです。あれはどういうことなんですか?」
まあ、リドルもそれくらい言いもするだろう。それ以外のことについてペラペラ喋らなかったことだけでもありがたい。しかし困った。僕らの関係は説明するには奇妙すぎるし、まだ幼いハリーに君を最後の手段にして釣りをしていました、なんて言うわけには行かない。ハリーは流石に真実を知れば感情的には受け入れ難いだろうし、僕も今すべてをハリーに知られたいわけではない。
僕はダンブルドアをすがる様に見た。ダンブルドアはハリーに向かって鷹揚に頷いた。
「ミスター・マルフォイはこの数ヶ月間、わしの願いでスリザリンの中に怪しい人がいないか探してくれていたのじゃ。クリスマス、彼は彼の身近な人が犯人かも知れぬとわしに伝えにきてくれた。すぐさまその人を捕まえたいところじゃったが、なかなか難しい。そこでミスター・マルフォイは相手に知られぬ様、密かに動いてくれたのじゃ」
動いたのではなく動かなかったのだが。嘘と真実の混ぜ方がいやらしい。しかし、今はその巧みさがありがたかった。
ハリーは納得してくれたようだが、「なんで言ってくれなかったの」という視線が突き刺さる。ごめんって。本当に僕が彼らとちゃんと意見交換しておいた方が良かったのだから反省するしかない。
ダンブルドアが事件の解決を関係各所に知らせるようマクゴナガル教授にお願いし、部屋は僕ら3人だけとなった。僕らはダンブルドアに促され椅子に座る。ダンブルドアは不死鳥とルビーの嵌った剣について、ハリーに語りたいことがあるようだった。
不死鳥はダンブルドアのものだった。彼に真の信頼を示したもののところに現れるのだという。ええ、もう少し制限を緩くしておいてほしい。ハリーのところに来なかったら彼は死んでしまっていただろう。本当に奇跡の様な線を通ってこの結末は導かれたらしい。
話が一度途切れた。再び切り出したのはハリーだった。
「ダンブルドア先生……。僕がリドルに似ているって彼が言ったんです。不思議に似通っているって、そう言ったんです……」
ダンブルドアはそれを聞き、ハリーがどう思ったかを尋ねる。
「僕、あいつに似ているとは思いません! だって、僕はグリフィンドール生です────」
勢いよく喋り始めたハリーは、しかしそこで僕の方を見て、一度考え込んだ。
「『組分け帽子』が言ったんです。僕が、僕がスリザリンでうまくやっていけただろうにって。みんなは、しばらくの間、僕をスリザリンの継承者だと思っていました。……僕が蛇語が話せるから……」
去年の組み分けでそんなことがあったのか。組み分け帽子もその前に列車でロン・ウィーズリーを煽った僕もファインプレーだ。
ハリーは何故かとダンブルドアに問う。ダンブルドアは静かにそれに応えた。
「君はたしかに蛇語を話せる。なぜなら、ヴォルデモート卿が蛇語を話せるからじゃ。わしの考えがだいたい当たっているなら、ヴォルデモートがきみにその傷を負わせたあの夜、自分の力の一部をきみに移してしまった。もちろん、そうしようと思ってしたことではないが……」
ヴォルデモート卿の一部? 随分抽象的なことを言ってくれているが、僕は内心穏やかではない。去年ダンブルドアは闇の帝王が実体を持っていないと言っていた。しかも、彼の死体は今でも見つかっていない。
何らかの力によって破壊され、身体も失った闇の帝王がハリーに残していった蛇語を話す能力を与える一部とは、精神的なものなのではないだろうか? 人間の精神的な、心や魂と呼ばれるものは分裂可能で、しかも何かに宿りうるものなのだろうか?
僕は日記のことを思い出していた。精神を分けて何かに入れる方法が存在するのなら、あの日記がどうやって動いていたのかある程度説明がつく。しかし、それではハリーもまた……。
考え込む僕をよそに二人の話は続く。どうやら今年、ハリーはスリザリンに入るべきだったのではないかとずっと心配していた様だった。まあ、実際向いているところもあると思う。けれど彼の持つ優しさを基盤にした果断さはやっぱりグリフィンドールにふさわしい。
ダンブルドアは暫し言葉を切り、考え込んでいる様だった。短い沈黙の後、彼はハリーに話し始める。
「君がグリフィンドールに属するという証拠が欲しいなら、ハリー、これをもっとよーく見てみるとよい」
そう言って取り上げた剣にはグリフィンドールの名が刻まれていた。
「真にグリフィンドールに相応しい勇気を発揮したものだけが、帽子から、思いもかけないこの剣を取り出してみせることができるのじゃよ、ハリー」
グリフィンドールの剣。杖ではなく。魔法を使わずに戦う道具。それがグリフィンドールが自らの意思を継ぐものに残した遺産だった。
しばらく間があき、再びダンブルドアはハリーに語りかけた。
「しかし、どの寮に所属しようとそれが君の全てを決めてしまうわけでも、それだけで君を強くしてくれるわけでもない。今夜君が示した素晴らしい勇気はまさしく君自身によって生まれ、君の友人を救ったのだということを覚えていてほしい」
「ハリー、自分が本当に何者かを示すのは、持っている能力やどこに振り分けられたかではなく、その中で自分がどのような選択をするかということなんじゃよ」
ダンブルドアは誇らしげに、しかしほんの僅かだけ、どこか哀しみを滲ませて言った。
話は終わった。僕らは医務室で治療を受けるため部屋の入り口に向かい────しかし開こうとしたドアは反対側から勢いよく開けられた。そこには僕の父がいた。
いつもは上品に整えられている髪は額にバラバラと落ち、ローブは慌てて着込んだかの様に肩からズレている。足元にはドビーがいた。
父は部屋の中にいたダンブルドアを見て、そして僕を見るやいなや顔を歪ませ、強い力で抱きしめた。今、僕は魔法で綺麗にする余裕もなくパイプやトンネルでついた汚れでドロドロだったのだが、それを気にすることもできない様だった。
「ああ────ドラコ────、それではあなたが? あなたが私の息子を助けてくださったのですか? ダンブルドア」
父の声は安堵に震えている。
「いいや違う。ここにいるポッター少年のお陰じゃ」
押し除けられたハリー(ドビーを見て目を丸くしていた)をダンブルドアは手で示す。しかし、父はそれを見ている余裕もない。
「ああ、何故お前が────純血のお前が襲われるはずなかったのに────怪我はしていないのか、どこにも痛いところはないか────何故────」
「ヴォルデモート卿じゃ」
ダンブルドアの厳格な声が背後から響いた。
「今回、ヴォルデモート卿は、ほかの者を使って行動した。この日記を利用してのう。なるほど、巧みな計画じゃ。もしこのハリーがこの日記を見つけておらなかったら、これに取り憑かれてしまったものがその責を負うことになっていたじゃろう」
父は驚愕して僕を見る。
「そんな────ドラコに、闇の帝王が? あの人はもういないはずだ────でも何故?」
「ドラコは今宵、この1年間操られ続けていたものを救い、代わって自分が秘密の部屋へ連れ出されるよう仕向けた。比類なく、勇敢な行いじゃ」
部屋に沈黙が落ちた。僕には父の方しか視界になく、他の3人の表情は見えなかった。再び口を開いたのはダンブルドアだった。
「君もかつて嫌というほど目の当たりにしてきたことじゃと思う、ルシウス。ヴォルデモート卿は君らの誇り、君らの血を真に尊ぶことはない。あやつにとって尊いものは奴自身だけであり、奴の前に転がり出ざるを得ないものがどのような人間であるかなど気にもかけぬ」
先ほどと同様に厳格で、しかし誠実さを込めた言い方だった。父はそれでも頑なだった。絞り出す様に父は言葉を吐いた。
「────いいえ、貴方にはお分かりにならない。我々は自らを守らねばならない」
「なれば、今夜の出来事は守るための道を考えるには十分役に立つ事件だったことじゃろう」
ようやく父は僕を抱いていた手を緩めた。見上げると、そこには苦渋に満ちた表情をした父がいた。
「あなたの言葉は軽い。ダンブルドア。あなたは我々の信頼を勝ち取ろうとしてこなかった」
「ああ、君の言うとおりじゃ。しかし、厚顔にも今、その準備をしたいと言えば、君はわしを信じてくれるかね」
「今更────」
行き場のない怒りと困惑で父の顔が歪んだ。音にならない言葉で何度か口を開こうとしていたが、結局返事は出て来なかった。父は唇を真一文字に結んで乱暴に会釈をすると、僕とドビーを連れて憤然と校長室を出ていった。
その後を追ってきたのはハリーだった。
「マルフォイさん、僕、あなたに差し上げるものがあります」
彼はそう言って、父にリドルの日記を差し出した。父はそれを受け取り、顔を歪める。
「何故私に────」
「あなたがフローリッシュ・アンド・ブロッツ書店でこれをジニーの大鍋に入れたからです」
父の顔には驚きと怒りが浮かび上がった。彼は日記をドビーに放り、僕の肩を再び抱いてハリーに背を向けた。
「何を根拠に言っているか分からんが、医務室に行かねばならない。我々は失礼する」
少し歩き、僕はドビーがついてきていないことに気付いた。後ろを振り返るとドビーは日記を開き、固まっている。そこには、黒い靴下が挟まっていた。
「ご主人様がドビーめに靴下を片方くださった。ご主人様が、これをドビーにくださった」
ドビーは驚愕と歓喜に声を震わせて言った。
「なんだと?」
父も振り返り、吐き捨てるように言う。「いま、何と言った?」
「ドビーが靴下の片方をいただいた。ご主人様が投げてよこした。ドビーが受け取った。だからドビーは――ドビーは自由だ!」
破裂した様に歓喜でドビーは声を上げた。
父はしばらくその場に立ちすくみ、しかし、「どこへでも行くがいい、役立たずが」と吐き捨てて僕を抱える様にして医務室へと向かっていった。
その後、遅れてやって来たハリーとジニーの付き添いでその場にいたロンは、校外者が追い出された医務室で今までのことを語り合った。もちろん僕には彼らに言えないことが沢山あったけど、それでも久々に晴れやかな気持ちだった。
僕は父があの場で絶対にブチ切れると思っていたんだけど、と二人に話した。君を巻き込んじゃって流石に反省してるんじゃないの? とは、ウィーズリーの言である。
語り、再び礼を言い、健康な二人が宴会に行くため医務室を出て行くときに僕は少しだけいつもの調子に戻って言った。
「とにかく、今年君たちは一年を通して学んだわけだね? どう言う原理で動いてるのか分からない魔法道具を軽率に使っちゃいけないって」
「でも、魔法自体どういう原理で動いてるかよく分からないじゃないか」ハリーは答えた。
「屁理屈言わないの!」僕は笑った。