音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
実は、僕のいわゆる「前世」の記憶というのは、もうそのほとんどが頭の中から失われていた。この世界で目覚めてからというもの、まるで身体の発育に合わせた幼児期健忘のように、持っていたはずの多くの思い出が溶けるように失われていった。幼い頃は、かつて経験したすべての残滓が消えていくことに、それこそその歳の子どものように泣くこともあったが……今となっては元は何を覚えていて、何を覚えていなかったかも確かではない。
けれど、それで悩むことはあまりなかった。成すすべなく消えていくものに縋っても仕方がないし、前世の記憶の中で、この魔法界でやっていくために使えるものはごくわずかだ。僕は今の世界を生きるため、「音割れポッターBB」を始めとした「ハリー・ポッターシリーズ」関連の記憶に焦点を絞り、反復して脳に焼き付かせていた。それこそ機会があれば頭の中で誦じていたほどだ。それでも記憶が怪しくなってしまった部分は大いにあるのだが、命綱として今まである程度の力を保ってきてくれたと思う。
それゆえに、ダンブルドアの「閉心術を覚えてほしい」という申し出は、裏の意味を読み取ろうとしてしまうものだった。今回の「秘密の部屋事件」に関わったからというだけでなく、校長は何らかの機会に僕の頭の中の「記憶」を見たから、そう勧めたのではないか? そんな思いを裏に、恐る恐る尋ねる。
「あの……校長先生は僕に開心術をかけられたことはありますか?」
ダンブルドアは僕の問いかけを聞き、信じられないほどあっさりと、しかし真面目に頷いた。想定外だ。僕は彼が事実を認めるとしても、もうちょっと勿体ぶると思っていた。衝撃に二の句を継げないでいると、ダンブルドアは少しかぶりを振って言葉を続けた。
「君が誤解をすることはないと思うが、開心術とは望んだ通りに人の心のうちを暴けるものではないし、矢鱈と使って利のあるものでもない。わしが許される理由もなく人の心を覗き見る人間だと思われれば、先の大戦、ヴォルデモートは遥かに迅速に味方を増やしたことじゃろう」
「分かっています。じゃあ、やっぱり僕は怪しかったのですね」
ようやく少し驚きが収まり、僕は力を抜いて息を吐いた。心を覗こうとされたことに否はない。ダンブルドアが開心術を使ったことより、僕が使いたいと思われる立場にあったことの方が問題だ。僕の思いを知ってか知らずか、ダンブルドアは薄く微笑み、首肯した。
「君自身の問題ではない。君が知っているかどうかは知らぬが、君の父上は数年前、魔法省に特例でまだ幼い息子に杖を持たせるよう要求した。わしがまだヴォルデモートの足跡を完璧には追えていなかった頃じゃ。恥ずべきことではあるが、わしは並外れて早熟なスリザリン家系の人間を疑う傾向にあった。特にその頃は」
闇の帝王がいなくなったとて、彼が残したものは山ほどあったことだろう。そしてその処理に最も専心したのも、またダンブルドアだったのだろう。懸念はもっともだった。トム・リドルの日記に僕が取り憑かれたままホグワーツ入り、なんてことも、可能性としてはあったのだから。
「言い訳でしかないが、それでも、
しかし、それで奴にこちらの動きを悟られるのもまた、絶対に避けねばならぬ。わしに開心術を使ってできることは、誰にも気付かれぬと確信できるほど薄く人の心を見ることだけじゃった」
相変わらず僕らの知らないところで苦心に苦心を重ねていらっしゃることに、思わず嘆息した。僕がダンブルドアの立場だったらストレスで禿げていたことだろう。
「誓って言うが、必要最低限、そのものの立場が明確になる場面でのみじゃ。わしは、怪しいと感じた生徒に開心術を使うた。しかし、君は例外じゃった。わしは入学式で、組み分けに臨む君の心中をヴォルデモートですら気付かぬと思えるほど、薄く攫った」
いよいよ核心に近づいてきた。ダンブルドアは僕の頭の中に何を見たのだろう。何だか嫌な予感がしてきていた。
ダンブルドアは初めて見るような苦笑を浮かべ、先を続けた。
「……君の心中は、その一瞬ではわしには理解できなかった。期待していた新入生らしい不安も、ヴォルデモートの気配を感じる思考も感じ取れはしなかった。
轟音。それだけじゃ。そして、君はスリザリンに組み分けされた」
なるほど。よりにもよってそこだったのか。僕の顔は羞恥のあまり真っ赤になっていることだろう。
今日という日ほど自分が持っていて、しかも命綱にしていた情報を恥ずかしく思ったことはない。ああ、どうして神は「音割れポッターBB」なんて馬鹿馬鹿しいのじゃなくて、もっとまともな情報を掴んでいる人間を転生させてくれなかったのだろう。そのせいで僕は入学式に校長先生に音爆弾を仕掛けてしまっていたのだ。その上、それが何やら攻性防壁になってダンブルドアをブロックしてしまったというのだから笑い話にもならない。
「……さぞお疑いになられたことでしょう。紛らわしい真似をして、本当に申し訳ありませんでした」
しかし、ダンブルドアは鷹揚に笑った。
「それについては否定できぬが、そもそもわしの見当が外れていたのが問題だったのじゃ。そのあと君はスネイプ先生の不公平を指摘し、マクゴナガル先生にそれを改善する手助けを求め、フーチ先生の……杜撰な安全管理に歯向かって見せた。
その後クィレルとスネイプ先生に注目していたようだったのは気に掛かったが、禁じられた森での君の振る舞いは、もし君がヴォルデモートの手のものだとすれば理解し難いものじゃ」
良いように言ってくれているが、その程度のことを根拠にしていいものなのだろうか。僕は身に染みる恥ずかしさの八つ当たりで、ダンブルドアを問い糺した。
「僕が言うのもなんですが、それでも信用なさるべきではないのでは?」
「そうかのう? ヴォルデモートの手のものが、そこまでわしに目をつけられそうな、しかもヴォルデモートを一切利さないことをするとは思えぬ。その上、わしが君にヴォルデモートを誘き出す策を語ろうと、奴は行動を起こさなんだ。それであれば、十分じゃろう」
それは……確かにその通りかもしれない。けれど、危ない賭けだ。僕は思わずダンブルドアを半目で見つめた。それでも彼は楽しげな表情を崩さなかった。
「昨年と今年で君はヴォルデモートの力の源について多くを知った。それを奴に悟られぬよう策を施さねばならぬ。他に知られて良い情報ではないが故に閉心術の練習はわしに心を開かれる形となる。君にそれを受け入れてもらいたい」
もちろん構わない。しかし僕の方から説明しなくてはならないこともある。頷く前に、心を決めて僕はダンブルドアに語り出した。
「ダンブルドア……僕はあなたに語らなければならないことがあります。
あなたが入学式のときに僕の心から拾い上げた轟音。あれはその直前のショッキングな出来事でも、心の侵入者に対する対策でもありません。あれこそが、僕がこの世界で生きる中で最も頼りにしている予言のようなものなのです」
恥ずかしい限りだが。
そして僕は語った。この世界を物語として存在していたように知っていること。しかしその詳細をほとんど知らないこと。まともに知っているのが、面白半分、と言うより全部面白で作られた映像の一場面の音量を最大限まで上げたものだということ。それがヴォルデモートとハリーが戦う場面であったこと。
本当にこんな与太話をダンブルドアにさせないでくれ。でも真実だからどうしようもない。僕はあまりの恥ずかしさに涙目になりながらも全てを伝えた。
ダンブルドアはこの下らない話を、しかし真剣そのもので聞いてくれた。魔法界の人間であれば予言があるから、ある程度許容してくれる部分もあるだろうと思っていたがこの馬鹿馬鹿しさの前に真面目な顔を保っていられる精神力は驚嘆に値する。
いや、しかし確かに内容は真面目なのだ。いつか復活した闇の帝王とハリーが戦う。それに更に信憑性を与えるのだから。
話し終えた僕に、ダンブルドアは微笑んだ。
「わしを信じてくれてありがとう。ドラコ。得難い情報じゃった」
ダンブルドアは、やっぱり偉大だ。
その後に告げられた言葉に、僕はようやく少し笑った。
「しかし……それではわしは君に訓練を施す間、なんらかの手を打たねばならぬのう? 老いて耳が遠くなったと言っても、あれを何度も食らっては、流石に寿命が縮んでしまうことじゃろう」
そうして、「今年」の事件は幕を閉じた。
あの後、僕らは早速開心の際にダンブルドアの聴覚を保護する策はないか調べて実践した。「マフリアート」のような耳塞ぎ程度ではどうにもならなかったので、最終的にダンブルドアの聴覚神経を遮断するという方法で対処することになった。そんな魔法あるんだ。怖いよ。
開心されるということは、僕がぼやかして説明しなかった「前世」的なところも見られたということなのだが、ダンブルドアは動じなかった。そういった超越的な世界があるというよりは僕の「前世」が狂人視点で描かれていたという方がよっぽど納得しやすいのもあるかもしれない。
とにかく、僕は第一回目の訓練を受け、なかなかに疲弊して寮に戻った。夏休みの間は見てもらうことができないので、自習用にも最初の感覚を叩き込む、といった意味合いが強かっただろう。しかし、自分1人で万事どうにかなる類の魔法ではない。本格的な実践は来年度になってからになる。
今回トム・リドルはダンブルドアに会いに行ったことから僕に目をつけた。今後もそのような目立つ真似はすべきでないということで、九月からは表向きはマクゴナガル教授に会いに行っているという形で定期的に閉心術を教わることになった。
ダンブルドアが居ないときはカムフラージュとしてマクゴナガル教授の元で勉強を見てもらったり、お手伝いをしたりしなさいとのことだ。僕にとっては願ってもないことだが、相変わらずお世話になりっぱなしである。しかし、マクゴナガル教授は僕の変身術の技術を伸ばす機会を喜んでくださっているようだ。本当に頭が上がらない。
今年も去年と同様、学期末に事件が終息した。2つしかない例を元に断定するのは余りにも時期尚早だが、やはり一つの目安として考えてしまっても良いだろう。夏休みを事件の始まりとして、六月末頃に事態がクライマックスを迎える。正直全ての日で気を張っておくことはなかなか難しいのだが、ポイントごとに注意していきたい。僕は去年も自分が似たようなことを思っていたのを完全に忘れて、決意を新たにした。
ダンブルドアにあんなことを言っておきながら、僕は今年学期末試験がないことに少し安堵していた。去年のことがあったからである。勿論五月からハーマイオニー・グレンジャーはベッドの住人になっていたのだから、僕の方にアドバンテージがあった。しかしそういう問題ではない。スネイプ教授が今度こそ決定的な形で僕の名誉を貶めるのではないか、という懸念は彼が稀に僕にあの無表情を向けるたびに強くなっていった。
スネイプ教授に差し出がましい口を利いたことを謝ろうかと思ったこともあった。しかし、彼のグリフィンドールやハリーに対する態度を見るたびに、僕の真摯さは力を無くしていった。いつか、もっと決定的に僕が悪い場面が来たらそのとき謝ることにしよう。そうやって僕は問題を棚上げにした。
「秘密の部屋」事件が終わり、スリザリンの少なくない上級生が見下げ果てたことに残念がる中、僕ら二年生はようやく他寮の生徒たちと授業外にも話す機会が戻り、残った少ない学校生活の間彼らとの交流を楽しんだ。
ジニー・ウィーズリーは兄のロンを連れて、あの後僕に謝罪とお礼をしに来た。流石に自分の父親が原因の事件でそんなことをされては立つ瀬がないのだが、それでも彼女はトイレでの僕の行動に感謝しているようだった。事件の詳細は秘されているため公に僕がジニーを救った、なんて話は出来ないが、それでも事情を知るウィーズリー兄弟と僕は以前とは見違えるように親しくなった。
それでも、父は父だ。彼らには僕が「こういう」人間だということはあんまり吹聴しないでほしいとお願いした。パーシーを始め、ロン、ジニーは真剣に頷いていたが、フレッドとジョージは明らかに僕の言葉を曲解しようとしていた。
僕のからかい方を考えるため、パンジーとザビニがウィーズリーの双子と信じられない勢いで仲良くなっていくのを、僕は指を咥えて見ているしかなかった。
まあ、この一年スリザリンも、他の寮も緊迫感の中で過ごしてきたのだ。これくらいのことは許容範囲だろう……。
僕は来年度奴らがどれだけ増長しているか完全に考えないようにして思った。
何はともあれ、今年一年も乗り切れた。家に帰って父が僕にどんな目を向けるか、心配ではないと言えば嘘になる。けれどあの人はやっぱり息子を愛していて、そこが僕が父を自分と切り離しきれないところなのだ。案ずるより産むが易し、という結果になると期待している。
またもやスリザリン生でぎゅうぎゅうのコンパートメントで、久しぶりにビンクに用意してもらったお茶を飲みながら本を読むことを想像し、僕は家に帰ることを楽しみにしている自分に気付いたのだった。