音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
あの後、何人か軽傷を負って医務室に行かなければならない生徒を除き、僕らは授業時間が終わる前に城へと戻ることになった。スリザリン生とグリフィンドール生が口々に今起こったことを話す声が校庭に響く。当然ながら、特にスリザリンではハグリッドについて文句を言う声が大きかった。もちろん、グリフィンドールの三人組は違う。彼らは待ちに待った最初の授業を台無しにしてしまった友人を心配していた。
「ああ、ハグリッド大丈夫かしら? こんなことになってしまって」
「去年、君らが膨れ薬を地下牢中に撒き散らしたときより遥かに被害は少ない。致命的に大きな問題にはならないよ」
思わず嫌味が口をついた。去年のクリスマス前に彼らがポリジュース薬の材料を盗むため起こした騒動は、当然ポリジュース薬を作っていたと僕が知ったとき連鎖的にばれていた。僕はあの時内心スネイプ教授に文句を言っていた自分が心の底からバカバカしくなり、その原因となった彼らを大いに問い詰めた。
三人組は肩をすくませたが、発覚したときだって僕は怒鳴りつけるような真似はしなかった。すぐに気を取り直したようで話は続く。
ハリーは僕に向かって少し不思議そうに言った。
「でも、君はもっと怒るかと思ってたよ。一年生のドラゴンのときと全然反応が違うじゃないか」
「あれは期待を裏切られたから感情の制御ができなかった、というのが大きいから。ハグリッドに関してはいくらでも想像は出来たことだ。むしろ、この騒動を止められなくて残念だ」
実際、あのハグリッドの授業なんだから、重傷者が出るとか、魔法動物が脱走するとか、もっと酷いことになる可能性も最初から予期していた。それでも、授業が軌道に乗ったように見えてつい気を抜いた結果がこれだった。
「おったまげー……正直メチャクチャ上から目線だよな、君って」
「そうもなる。同じ目線で怒っていたら、脳の血管が何本あっても足りないよ」
僕は去年のロックハートのことを思い出していた。まともな授業を受けるためには、また彼のように尻拭いをしなければならなそうだ。しかし、ロックハートは最初のうちは授業の内容を全て用意しなければならなかったのに対し、要所を押さえれば、ハグリッドをどうにかするのは簡単なような気がしていた。もっとも、彼が僕の意見なんか聞き入れないだろう、と言うのが最大の難点なのだが。
そうこうする内に玄関ホールに辿り着き、僕らはそれぞれの談話室に戻った。しかし、その日はそれで終わらなかった。夕食の後、あの三人組は大広間に顔を出さないハグリッドへさらに心配を募らせ、真っ暗な校庭を通って彼のところに行くことにしたらしい。その上、なぜか僕まで引っ張って連れて行こうとしたのだ。
「なんで? 僕が?」
「君、去年ロックハートの授業をどうにかしてたんでしょ? ハグリッドを助けるのも手伝ってほしいんだ」
「いや、それにしても、ハリー、君この時間から────」
「それはさっきハーマイオニーにも言われたよ! ちょっと出るだけだよ。大丈夫」
人の話を聞くつもりがないのだろうか。僕を拉致しようとしている三人組に対しすごい顔をしているクラッブに、先に戻っていてくれと告げる。そのまま僕は両脇をハリーとハーマイオニーに固められながら連行された。今回は三人の中でロンが一番冷静なようだ。彼の顔にも「正気か?」と言う言葉が張り付いている。
「お忘れではないかと思うが、僕らは君たちと違って
「やってみないと分からないじゃない! 私たちも説得するわ」
ハーマイオニーはそれができると信じているようだ。ハグリッドは一度思い込んだら一直線のタイプに見えるが、本当に行けると思っているのだろうか?
「そもそも、僕に授業が改善できるか分からないじゃないか」
「君がどうにかできなきゃ他に打つ手がないよ」
ハリーは謎の信頼を僕に向けている。自分たちでどうにかするという選択肢はないのか。
そうこうするうちに小屋に辿り着いてしまった。ハリーが扉をノックすると、中から「入ってくれ」という地響きにも似た呻き声が聞こえる。僕は彼が僕のことを視認して、許しをもらうまで中に入るつもりはなかった。下手すれば顔を見た瞬間に叩き出されかねない。しかし、ハーマイオニーが後ろから強めに突くので、仕方なしにロンの後に続いて敷居を跨いだ。
ハグリッドは相当深酒しているようだった。巨体から濃厚な酒気が漂い、手元にはバケツほどの大きさの錫製のジョッキが置いてある。彼は三人を見とめた後、僕を見て少し目を丸くし、それでも何か文句を言う元気もないのか項垂れた。
「こんばんは、ハグリッド教授」
一応礼儀なので挨拶をしたが、僕の「教授」と言う言葉に彼はみるみる目に涙を溜めた。
「はっ、もう教授じゃなくなるだろう。一日しか持たねえ先生なんざ、これまでいなかっただろう」
予想以上に気落ちしている。なんと声をかけたらいいか測りかねている僕をよそに、三人組はハグリッドのそばに近寄って慰め始めた。
「まだクビになったわけじゃないんでしょう?」
「まーだだ。しかし、理事に知らせが行くかも知れん……」
「それはないですよ。確かにスリザリン生も何人か怪我をしましたが……あの程度で理事会が対応していては、フーチ先生はもう二十回は解雇されているでしょう」
それを聞いてハグリッドがしゃくり上げる。
「お前さんは親に言わねえのか。え? マルフォイ。俺をクビにするにゃピッタリの事件だっただろう」
ハグリッドはもうすっかり自信を失ってしまったようだ。しかし、それはそれで僕にとっては好都合だった。弱っている人間ほど付け込みやすいものもない。この願っても無い好機、存分に活用しなければスリザリンの名折れだろう。この場の最も有効な使い道を考えながらハグリッドの前に立ち、彼に視線を合わせる。普通だったらかがみ込んでいる場面だ。彼は座っていてもなお視線が僕より高い。
「そんなことはないですよ。最後こそ事故が起きてしまいましたが、素晴らしい授業だったと思います」
「ふん、煽ててるんか? お前は何をしにきたんだ、え?」
ハグリッドはテーブルクロスのようなハンカチで涙を拭いながらこちらを怪訝そうに見ている。言葉面こそ訝しげだが、声には以前のような棘はない。いきなりハグリッドとの交流に前のめりになった僕を、三人組は奇妙なものを見るような目で見ていた。彼らを完全に無視し、それでも僕はできるだけ真摯に聞こえるよう、声色を作って話し続ける。
「あなたが育てているヒッポグリフは素晴らしかったです。生育状況だけじゃない。信頼関係も強固に構築されていたことが見て取れました。あなたが座学で披露された知識だって、実際の経験に裏打ちされた貴重なものでした。きっと、一頭一頭大事に育てられたのでしょう?」
半ば適当に言った言葉だったが、魔法生物に命をかけているハグリッドにはそれなりに効いたようだ。眉間のしわが取れ、再び握り拳大の涙をぼたぼたと流し始めた。
「……でも俺はどうせダメだ……一回目の授業であんなことを起こしちまっては……」
「これで諦めてしまうのはもったいないですよ。それに、こんな事故なんて次からは簡単に防げるではありませんか」
「そんな、どうやるっていうんだ」
考える頭がないのか? という辛辣な言葉が頭をよぎってしまうが、ここでそんな侮辱をしても何の意味もない。そのまま優しく聞こえるように話し続ける。
「そうですね……例えば、教科書を含めて動物を刺激しそうなものは持ち込ませない。動物の危険度に応じて頭数の制限など対応を変える。危険なのであれば、あなたが必ず子どもを守れるような状況を作る。それだけです。
今回の事件は生徒の荷物を全て柵の外に置かせて、ヒッポグリフは二、三頭、あなたがすぐ手を伸ばせる数にしておけば大丈夫だったではありませんか」
ハグリッドは僕の話を真面目に聞くようになってくれていた。幸いなことに三人組も口を挟まない。さて、ここからが勝負だ。
「もし宜しければ、どのあたりに気をつければ事故が起きづらいか、書いてまとめたものをお渡ししましょうか?」
「……何でお前さんがそんなことをしようとするんだ」
差し出された飴に、疑念が湧いてきているらしい。今までのことを考えれば、それはそうだろう。
「僕のスリザリンの友人たちも、あなたの授業を選択しています。折角望んで魔法生物飼育学を学んでいるのに、それが危険だったり不十分だったりしたら残念なことではないですか。あなたのためだけじゃなく、僕の友人のためにもお手伝いさせてほしいんです」
あなたが心配なんですなんて言っても、まだ信じられるほどの信頼は僕らの間にはない。実際、ハグリッドのためではないし、これはほぼ十割本音だった。
それでもハグリッドはまだ疑いの念を抱いているようだ。いや……自信がないのか。どうやら少し、投げやりになっているらしい。
「俺を叩き出して、他の先生を探させればいいだろう。その方がおまえさんにはずーっとええはずだ」
それができたらそうしている、という思いを完璧に心の底にしまい込み、元気づけるように言葉を続けた。
「ダンブルドア校長にですか? 彼もご多忙ですし、後任に来る人があなたより良い先生であるかどうかも分からない。そもそも、まだ誰もあなたに辞めろなんて言っていないのですから。起きてもいないことを嘆くよりは、今ここで安全のための指針を決めておいた方が実りがあるとは思われませんか?」
彼は泣くのをやめてじっとこちらを見ている。大分納得してきてくれている。あと少しだ。
「……お前が出してきたモンがいいかどうか、俺には分からん」
「もちろん、僕も自分の決めた基準が完璧であるなんて思いません。危機管理マニュアルの叩き台のようなものを作りますから、それを他の先生────マクゴナガル教授なんていかがでしょう。きちんと使えるかどうか見ていただいて、そのルールを守って授業を進めて行く。そういうのはどうですか?
ルールを変えるときはまた他の先生方か、責任ある方に見ていただくということで」
僕ではなく先生のチェックが入るということで彼も納得いったのか、ようやく頷いてくれた。心の中で凱歌が流れる。酒が入っている中での承諾というのが心配なところだが、ここまで彼に有利に見える内容だったら呑んでくれるだろう。実際、授業を進めるには役に立つだろうし。
「それでは、明日の朝には手引き書の草案を持ってきます。マクゴナガル教授にご確認いただくのは放課後になりますが、それまでは、どう授業形態を整えればいいか考えていただけますか? ダンブルドア校長もあなたが失敗を乗り越え、同じ轍を踏まないように策を練って教鞭を取っていると知ればお喜びになるでしょう」
校長の名を聞いて、ハグリッドの目に熱意のようなものが宿った。
「ああ……そうだな。ダンブルドア先生が俺に託して下すった仕事だ。しっかりせんとな」
────勝った。
こうして、僕は魔法生物飼育学の危機管理マニュアルを作成する権利を手に入れたのだった。
その後、ハグリッドは頭をハッキリさせると言って、外の水の入った樽に頭を突っ込みだした。酔いが醒めてハリーがいることの意味にようやく気付いたのか、僕らはあっという間に小屋から叩き出される。しかし、彼に先導されて玄関ホールに着いたとき、「じゃあ、マルフォイ、すまんが明日頼むぞ」と言っていたので大丈夫だろう。
三人が小屋を出た時から随分微妙な顔でこちらを見ていたことを、僕はやはり完全に無視していたのだが、とうとうロンが別れ際に口に出した。
「君って……本当に根っからのスリザリンだよな」
「褒め方が上手になったじゃないか、ロン」
僕はその日最高の笑顔で返した。
翌日、僕は早速ハグリッドに原案を渡した。生徒の服装規程、持ち物規定、魔法省分類に基づいた魔法動物の危険度の判定、それに基づいた頭数制限、監督範囲の明確化とそれ以外での生徒の魔法生物との接触の防止、などなど。
正直、ただでさえ書面に弱そうなハグリッドに文字を流し込むような真似をすれば、あっという間にパンクするのは目に見えている。慣れない最初のうちは、管理の易しい魔法省分類XX以下のものにするよう進言した。ついでにハーマイオニーに助言を求めるようにも言っておく。元はと言えば彼女たちの案件である。
好都合なことに、その日の放課後はマクゴナガル教授の研究室でダンブルドアとの閉心術の二回目の訓練だった。僕は早めに彼女の元へ行き、手引き書の原案を確認してもらった。書類の最後まですぐに読み終えたマクゴナガル教授は、始業二日目にして早速僕がこんな真似をしていることに流石に驚きを露わにしていた。
「問題ないと思います。……しかし、何故あなたが?」
「ここで、安全管理について有効な対策を打ち出した実績ができて、それが理事会の耳にも入れば……僭越ですが、他の授業にも口出しできるかも知れないでしょう? そうすれば合法的に指導法を改革するチャンスが手に入るかも知れません。
それに、教師が変わるごとに完全にやり方の蓄積が無くなるのは大きな損失です。今回はマニュアルですが、他にも色々要領を決められるようになれば、ホグワーツの教育はもっと安定して良いものになりますよ」
僕の言葉に、マクゴナガル教授は目を瞑った。流石に出過ぎた真似だっただろうか。僕は思わず首を縮める。
「何故とは、どういう経緯で、ということだったのですが……いえ、結構。素晴らしい働きです、マルフォイ。あなたと話していると私は一教師として力不足を感じざるを得ません」
マクゴナガル教授の顔には微笑みが浮かんでいた。今までになく誇らしげな笑顔だ。どうやら、僕は彼女の期待を超えることができたようだった。
「ミネルバ、やはり問題なかったじゃろう?」
後ろからの声に振り返ると、そこにはやはりダンブルドアがいた。いつの間に入ってきたんだ、この無責任おじいちゃんは。
僕はマクゴナガル教授に代わって答える。
「ええ、ダンブルドア校長。どうせあなたは僕が抗議すれば、ハグリッドは放し飼いになっている方が危険だとか、教師として子どものための動物を扱っている方が安全だとか、彼の名誉を高めておくことは有用だとか、僕の反論しづらい事で言いくるめるんでしょう? だから先に手を打ちました。
その代わり! 安全管理マニュアルの導入を始めとした諸改革についてはあなたのサインと後援をいただきますからね!」
実のところ、昨日までハグリッドをどうにかできるとは思っていなかったのだが……僕はあたかも計画通りという顔をして言い切った。
きっと、まだ拙い閉心術ではこちらの考えなど透けているだろう。僕の横柄な態度に、それでもダンブルドアはにっこりと笑って頷いた。