音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
それから、何事もなく3ヶ月近くが過ぎた。
いや、もちろん全く何事もなかったわけではない。クィディッチ対抗戦でグリフィンドールが優勝したのにキレたフリントを必死で宥めたり、いよいよウィーズリーの双子との悪戯に歯止めが掛からなくなってきたパンジーとザビニの尻拭いをするのに奔走したり、ジェマからマクゴナガル教授に頼ってばっかりじゃなくてお前も口利きをしろと言われた顔見知りの上級生に父の知り合いを紹介したり、生徒アンケートの最終稿が完成し期末テスト時に配布していただけるよう先生方にお願いしたり、集計のための魔法をかけた表を作成したり……
しかし、それこそ学生生活にギリギリ納まるようなことだけだ。ブラックについてはこの3ヶ月、何も起きていない。
痺れを切らしてダンブルドアに問い質したりもしたのだが、彼は基本的に闇の帝王の監視にリソースを割いており、そちらで動きがないとしか言えないらしい。少なくとも、いきなり闇の帝王が出張ってくることを心配する必要がないのは有り難い。だが、今のままでは本当に物語の最終盤の事件が起こるのを座して待つしかなくなってくる。
焦りは募るが、今年こそちゃんと行われる期末試験を前にして、僕も他のことに割く余裕がなくなってきていた。
期末試験といえば、ハグリッドは三年生の試験の一部でヒッポグリフの扱いを見ると発表していた。なぜ一番最初に失敗したものを……と思ったが、彼曰く、だからこそ、らしい。あれから数回、三年生はヒッポグリフの食性や習性を学ぶ授業を受けていた。生徒の振り返りとしても、ハグリッドの振り返りとしても上々、ということだそうだ。
失礼な言い方になるが、彼も自分で「生徒を教える」ことについて色々考えるようになってきていた。ただ、自分の愛するものを押し付けるのではなく、どう伝え、どう学ぶ場を設けるか。そういった教職自体の面白さに目覚めてきているようだ。
正直に言って、本当に嬉しい。ハグリッドの動物の知識と器の広いところに、教師としての自覚が備われば、かなり最強の先生だ。もちろん、危険生物好きは全く変わっていないので、そこのところは本当にちゃんと制御しないとダメなのだが。だが、その制御についても、何故そうしなければならないのか、という理由を含めて彼は理解できてきている気がする。
僕はハグリッドに来年はマンティコアとファイア・クラブを掛け合わせたものを飼育してみたいと言われたのを全力で反対したことを無視してそう思った。ダンブルドアから許可を得た上で魔法省に届け出て、許可されたら取り扱う。ただしマニュアルに絶対準拠して。という条件は飲ませたが、まさか本当に交配させたりしないと信じたい。
僕とグリフィンドールの三人組は、ハグリッドの協力者として試験が終わったら小屋を訪れて一緒にアンケートを確認すると約束した。僕としてもここ一年力を注いできたことの集大成だ。客観的に見て、ハグリッドの授業はある程度の水準を維持していたと思うが、さて結果はどのようなものだろうか。楽しみだ。
そうして期末試験期間はやってきた。どの科目も、自分なりの及第点は取れたと思う。特に魔法薬学についてはスネイプ教授の機嫌を絶対に損ねたくないため、前2年と比較しても心血を注いで完成度を高めた。
スネイプ教授に謝罪したあの件以降も、彼は僕への態度を大きく変えたりはしなかった。ただ、無視のようなことはしなくなった。スリザリン生の一員として、贔屓をこめて扱う。そんな感じだ。
一方、喜ばしいことに、スネイプ教授はロングボトムへのイビリの頻度を減らしていた。心底に純血主義を持っているスリザリン生が一番反発していたのはそこだったから、というのはあるかもしれない。
だが、それでグリフィンドール全体への敵対的な姿勢が無くなったかというと、そうでもなかった。ロングボトムから減った分はハリーに行ってしまったようだ。ハリーは基本的にスネイプ教授に対しても毅然とした態度を取れるから、見ている側としては百歩譲って安心できる。
僕はスネイプ教授の異様に幼稚な敵味方識別に、徐々に気付きつつあった。グリフィンドール対スリザリンが根底というよりは、教授ご自身対ハリーのお父上ジェームズ・ポッターなのだ。彼はハリーとお父上の区別がついていないため、僕がハリーに対して疎遠だったり冷淡だったりすれば、自分側だと思って機嫌が良くなる。そんな感じだ。
幼児じゃないんだから……と言いたくなる。しかし、ここまでスクスク育った成人男性の根本的な価値観を急に変えるのは殆ど不可能に見えた。結局、僕はハリーに平謝りしてスネイプ教授の前で親しげにしないようにお願いした。
彼については味方だと思ってもらった後に、どうにかしていきたいものだ。
そして試験が始まった。魔法生物飼育学と魔法薬学は図らずも同じ日に行われた。
ハグリッドの方は、柵の中にいるヒッポグリフに生徒が順番に対面する形で行われた。実技をやっているとき以外は筆記で他の生物についての知識を問われる。
生徒が名前を呼ばれ、2頭のヒッポグリフの前に一人ずつ出ていき、お辞儀をして顔を撫でさせてもらうのを僕は画板の試験用紙に書き込みをしながらチラチラ見ていた。ハグリッドは2頭の間に立ち、事故が起きないようヒッポグリフの手綱を握っている。
僕の番になった。荷物を全て置き柵の中に入っていくと、ハグリッドはニッコリと笑う。彼は僕に声をかけはしなかったが、応援されたように感じて少し心が暖かくなる。僕はきっちり礼を尽くして、首を垂れるヒッポグリフの嘴に触らせてもらうことに成功した。ハグリッドは嬉しそうに頷き、「行ってええぞ」と声をかけてくれた。
試験終わりに、三分だけ時間をとって授業アンケートが行われた。先生方との協議の結果この形式になったのだ。そもそも授業アンケート自体やらせないぜと言うプライド激高人間がちょこちょこいたため、残念ながら科目ごとにいちいち時間を設ける形式になっている。見てろ、今に全体で実施するようにしてやるから。
筆記試験に添えられていたアンケート用紙は普段の授業の様子について、何項目かの5段階評価と意見を書くところがある。僕は意見欄に「本当にいい授業だと思う。マンティコアとファイア・クラブの交配だけは考え直して欲しい」と書きこんで羽根ペンを置いた。
午後の魔法薬学も実技があった。「混乱薬」の調合だ。僕の近くで試験に取り組んでいたロングボトムは、スネイプ教授のイビリが減ってから以前よりずっと落ち着いて調合できるようになっている。彼が仕上げの段階でパッと嬉しそうな顔になったのを見て、僕は関係もないのにちょっとだけ得意な気分になった。
その後ろでハリーが何か失敗したらしくスネイプ教授の視線を独り占めしているのも良かったのかもしれない……スネイプ教授の忌々しさというのは健在だった。
占い学を最後に、ようやく全ての科目が終わった。まあ、概ね良くできたんじゃないだろうか。占い学を除いて。僕は水晶玉を叩き割ってしまいたいという気持ちを試験中抑え込むので精一杯だった。
この科目は本当に体系と再現性というものが欠如している。僕は、占い学がさも自分も学問ですみたいな顔をして時間割表に留まっているのにこれ以上耐えられそうになかったので、来年は受講しないことに決めた。ハーマイオニーはイースターの頃にはもう占い学をやめていたので、彼女の方が賢明だったと言えるだろう。
ハグリッドの小屋には夕食の後、迎えに来てもらって行くことになっていた。この時期のスコットランドは日が沈むのが遅い。七時を過ぎても、外にはまだ夕陽が煌々と輝いていた。僕ら五人は連れ立って校庭を歩いていく。六月の暮れの風が心地良かった。試験はどうだったとお互いに報告し合っていると、ハリーはトレローニーが最後「変な感じ」になったと言う。あの教授はまた生徒を怯えさせることを楽しんでいたのだろうか。見下げ果てた人間だ。そんな話をする内に小屋に辿り着いた。
ハグリッドはテストの採点自体は大体終わらせたらしい。アンケートの集計も自動で行われるので、僕らはもっぱら意見の方を見る予定だった。
お茶を用意するハグリッドを各々が手伝う中、ハーマイオニーがミルクピッチャーを覗き込み、突然悲鳴を上げた。
「ロン! し──信じられないわ──スキャバーズよ!」
彼女の言葉に、ハグリッド以外の三人が振り向く。ロンは呆気にとられた様子でハーマイオニーを見た。
「何を言ってるんだい?」
僕らの目の前で、ハーマイオニーはミルクピッチャーをテーブルの上にひっくり返す。そこにはガラスを引っ掻くような耳障りな声を上げながら、隠れ場所に戻ろうとバタバタ暴れる貧相なネズミがいた。ロンはそれがスキャバーズだと認識すると、驚きに声を上げた。
「スキャバーズ! こんなところで、いったい何してるんだ?」
いや、生きていたのか、このネズミは。クルックシャンクスが殺したと思ってハーマイオニーに謝らせちゃったじゃないか。いや、それにしてもペットの管理責任とかはあると思うが……内心罪悪感を感じている僕をよそに、ロンはどこかに逃げようとするスキャバーズを引っ掴み、保護しようとする。それでもこのネズミは主人のことが分からないのか、ロンの手の中でもがき続けていた。
ふとハグリッドが窓の外を見て立ち上がった。外を窺う彼の表情に焦りが広がっていく。
「ありゃあ……マクゴナガル先生だ」
僕らは顔を見合わせた。教師となったハグリッドがいるんだから大丈夫だろう、と僕は思っていたが、他の三人はそうでなかったらしい。確かに、特にハリーがいるのは不味かったかもしれない。その上この状況は2年前のドラゴン事件を彷彿とさせた。
「おまえさんら、裏口から出ろ。ここにいることがばれりゃあまた大量に減点されるかも分からん」
と言っても校庭を横切る時に見咎められてはどうしようもないのでは? と思う僕をよそに、ハリーは制服の腹から何かを取り出した。銀鼠色のとても柔らかく滑らかな布だ。それをハリーが身体に纏うと、忽ちそこが透明になった。
「え──透明マント? 君、そんなもの持っていたの?」
驚愕する僕をよそに、三人はそのマントに潜り込む。
「君だけ置いていく訳にもいかない。早く入ってよ!」
正直僕だけなら、マクゴナガル教授相手であればいくらでも融通が利きそうではあったが──透明マントについて尋ねたい気持ちが勝った。マントの端をかぶり、とても狭いところに四人で固まりながら、僕らはハグリッドの小屋を後にした。
マクゴナガル教授に声が届かなくなっただろうところまで離れ、僕は口を開く。
「じゃあ、君たちはこれを使って──ドラゴンを運ぼうとしたり、ホグズミードを闊歩していたってわけ?」
それにハリーが答える。
「別に最初はそこまで隠したい訳じゃなかったんだ。でも、言う機会もなかったし……怒ってる?」
いや怒ってはいないが……心中に呆れが広がる。しかも、この透明マントはよくある目眩し呪文による模造品ではなさそうだ。見るからに隠蔽力が高い。何でこんなものを持っているんだ。これを見てから気になっていたことを僕はハリーに尋ねた。
「君が透明マントを持ってるってダンブルドア校長はご存知なの?」
「ご存じも何も、僕に渡してくれたのはダンブルドアだよ。一年生のクリスマスにくれたんだ。本当は僕の父さんのものだったらしいんだけど、預かってたんだって」
おお、ダンブルドア。何故そんなことをなさったのですか──この一年幾度となく心中に湧いてきたことを再び思う。いや、こんなに便利な道具であれば今までのハリーの冒険にも、さぞ役に立ったことだろう。しかし、彼の行動可能範囲を広げるこの道具が本当にいいものなのか、僕は納得しかねていた。
透明マントについて話している僕らに対し、ロンとハーマイオニーは後ろで逃げようとしているスキャバーズに悪戦苦闘している。このネズミはいよいよ気が狂ったようだった。ロンの手を引っ掻き、噛み、押し込められたポケットから出ようと身体をのたくらせていた。
ふとハーマイオニーが動きを止め、息を呑んで校庭の隅を指差す。そこには小さな顔が潰れた虎のような猫──クルックシャンクスがいた。透明マントを被っているのに、音で判断しているのだろうか? その猫は体を低くし、ジリジリとこちらに近づいてくる。
「ああ、クルックシャンクス、ダメ。あっちに行きなさい。行きなさいったら!」
隣でハーマイオニーが呻く。しかし、猫は止まらない。
「スキャバーズ──ダメだ!」
とうとうネズミはロンの手から抜け出した。地面に転げ落ちると、迷うことなく真っ直ぐに校庭を駆け抜けて行く。猫はその後を飛ぶように追っていった。
ロンはスキャバーズを追ってマントを脱ぎ捨て、夕陽がほとんど落ちた校庭を駆けていった。残された僕らは顔を見合わせ、慌てて後を追った。僕は徐々に嫌な予感がしてきていた。
──これはただの日常的なアクシデントなのか? それとも、何か今年のクライマックスに繋がる出来事なのか?
僕はポケットの中の杖を引っ掴み二人の後を走った。
既に夕闇が辺りを包み始めている。常夜灯の概念が希薄な魔法界の校庭はひどく視界が悪い。それでも僕らは何とかロンを見失わず、地面に覆い被さるようにしてスキャバーズを捉えた彼に追いついた。ロンがポケットにネズミを詰めている間、僕らはクルックシャンクスを追い払う。城に戻るため、マントの下に四人が入り込もうとした。
しかし、そこで事件は終わらなかった。
暗闇から、大きな影が躍り出た。
ハリーの胸を蹴り飛ばし着地したそれは、熊のように大きい、薄灰色の目をした犬だった。ハリーに覆い被さるそれに、どう引き剥がせばいいかと僕は僅かに足を止める。その瞬間、再び犬はハリーを足蹴に疾駆し、ロンと僕の方に突っ込んできた。何か呪文を唱えようとするが間に合わず、ロンが腕に深々と噛みつかれる。
「ロン!」
何とか引き剥がそうと僕とハリーは犬に掴みかかるが、まるで羽虫が止まっただけのようにその犬は僕らを振り払う。犬はそのままどこかへとロンを引きずっていこうとした。
そのとき、視界の外から強烈な打撃を肩に喰らった。僕はロンと犬の方に吹き飛ばされるようによろめき、倒れ込む。顔が木の根のようなものに強かに打ち付けられた。これは──暴れ柳だ。視界の悪さのせいで気付かない内に、僕らは暴れ柳の枝が届くところまで来てしまっていたのだ。
黒い犬はロンの腕を咥えたまま木の根元に潜り込んだ。そこには隙間があったのか、みるみる二人の姿は消えていく。
慌ててハリーとハーマイオニーの方を振り返るが、二人は暴れ柳に吹き飛ばされてしまったようだった。僕もこの根元でぼけっとしていたらまずい──枝を掻い潜って戻ることはできない。ロンを放っておくこともできない。僕は黒い犬が消えたところを手探りで探し、根の隙間に体を滑り込ませた。
そこには、かがみ込んでようやく通れるほどのトンネルがあった。土の中に掘られ、岩が露出して足元は悪い。曲がりくねった先にロンの足が消えていくのが見えた。慌ててそちらへ中腰で走るが、ロンを咥えている犬の方がはるかに速いようだ。もっと走りやすいようにして、後を追う。
トンネルは予想していたよりずっと長かった。曲がり角が多く、どの方向に進んでいるのは定かではない。しかし、これは──ホグズミード? 必死に走る中で徐々に頭は冷静になって来ていた。
ハリーがホグズミードに行けたのもこんな抜け道があったからなのだろうか? まさか暴れ柳の下から? それとももっといい道があるのだろうか?
──いや、大事なことはそんなことではない。この抜け道──学校を抜け出す方法をスネイプ教授は「四人組」の一人であるルーピン教授が知っていると疑っていた。ジェームズ・ポッター、シリウス・ブラック、リーマス・ルーピン、ピーター・ペティグリュー。ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズ──
ふとハリーの守護霊を思い出した。父と同じ。牡鹿。角を持つもの。プロングズ────ああ、そんな。
頭に電流が走ったような気がした。人狼、ネズミ、犬、牡鹿。
彼らは、
あの犬──シリウス・ブラック──はペティグリューを追ってきた。そして──ルーピン教授は彼らが動物もどきであることを知りながら、それをアルバス・ダンブルドアに告げなかった。学校の守りがどのような穴を抱えているか知りながら。
ただでさえ駆け足で乱れた心臓が早鐘を打つ。
分からない───ブラックは冤罪なのか? それともルーピン教授と手を組んで何かを企んでいるのか?
ここに来て僕はまだどちらも確信に至る情報を手に入れられていなかった。
混乱する頭を抱えながら、それでも僕はトンネルの湿った土を足裏に感じながら、彼らの───二人の後を追った。