音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった   作:樫田

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第四十七話 ネズミの正体

 

 

 どれだけの間走ったのだろう? 時間感覚がどうにも掴めないが、三十分ほどだろうか。途中何度も折り返そうと考えたが、ロンが手遅れになってしまうのが何より恐ろしかった。ハリーとハーマイオニーが暴れ柳を前にしてボケっとしているとも思えないし、彼らが誰かを呼んでくれていることを信じるしかない。不安をなんとか振り払い、僕はただ手足を土で汚しながら真っ暗な通路を駆けた。

 ここで僕が助けにいったところで、どうなるとも思えない。けれど、最悪のパターン──ブラックは闇の帝王のしもべであり、ルーピン教授はそれを幇助しており、ペティグリューは──なんだ? 記憶喪失にでもなってずっとネズミのままだったとか? いや、兎に角その場合、ロンが危ない。せめて、ロンの腕を咥えた犬が、何処に向かったか知ることができれば。そうすれば、ハリーとハーマイオニー以上に早く助けを呼べるかもしれない。

 

 

 真っ暗なトンネルが少し上りに入ったところで僕は二本の足で立ち上がった。通路の先は何処かの家の床下に続いているようだ。突き当たりに上へと続く梯子が見え、杖を再びポケットから引っ張り出して手に取り構える。梯子を恐る恐る上り、頭を半分ほどのぞかせて中の様子を窺った。

 随分と埃の溜まった、打ち捨てられてから随分経つのが分かる部屋だった。何かが暴れ回ってそのままのように、壁紙や家具は破壊されており、窓という窓には板が打ち付けられている。

 これでは、ここからすぐに出て助けを呼ぶことはできない。しかし、戻るかどうか考える間もなく、僕は選択肢を失った。背後から飛んできた呪文が僕の杖を吹き飛ばしたのだ。

 

 

 振り向くと、そこには驚愕に目を見開くロンと、ボロ切れのような囚人服を身に纏った、長く伸びた黒い髪、落ちくぼんだ灰色の目の男──シリウス・ブラックがいた。暗い部屋で隙間から覗く月明かりに照らされた彼の瞳は、ギラギラと狂気を帯びた輝きを放っている。彼の異様な姿に、さっと自分の血の気が引いていく音が聞こえる気がした。

 思わず息を呑む僕に、ブラックは長いこと喋っていなかったような掠れた声で語りかける。

 「声を出すな。この少年を抱えて、私の前を歩け」

 直ぐに殺されることはなかった──そう思いたいが、彼が信じられる人間かどうか、判断するに足る根拠は未だにゼロだ。ロンの杖を持ったブラックは僕を小突き、前の方へ歩かせた。

 ロンは腕だけでなく足まで怪我してしまったようだ。膝から下が妙な形に折れ曲がっているし、歯形から流れる血が痛々しい。大丈夫か聞きたいが、ブラックの眼前で喋ることは叶わない。せめて痛みに荒い息をしているロンを安心させるように微笑み、彼の肩を担ぎ上げた。

 

 「この部屋から出て──階段を登って、開いているドアの部屋に入れ」

 再びブラックは命令する。僕はただ従順に言うことに従った。通路につながっていた部屋の外は玄関ホールのようになっている。屋内の構造を見て、僕はようやくここがホグズミードの「叫びの屋敷」であることに思い当たった。

 階段を上がって入った部屋はもとは寝室だったらしい。朽ち果て切った部屋と同様にすっかりボロボロになった天蓋ベッドが置かれている。ブラックの指示に従い、僕はロンを床に下ろした。

 

 日も落ちて暗い部屋に沈黙が落ちる。緊張のせいか、自分の耳の奥を流れる血の音が聞こえるようだった。時間を稼がねば──いや、この人が本当は「どちら」なのか確かめなければ。しかし、どうやって? 彼の狙いを探るには何を確かめればいい? そこで、ロンがしっかりと抑えている膨らんだポケットが目に入ってきた。スキャバーズが動物もどきなら、ワームテールはまだここにいる。

 何にせよ、この人は今すぐ僕らを殺そうとしているわけではない。一か八かだが──意を決して僕は口を開いた。

 

 「ミスター・ブラック、あなたは──ロンやハリーを傷付けたいわけではないのですよね?」

 不意に言葉を発した僕にロンが怯えて目を見開く。ブラックも訝しげに僕をすがめ見た。話を聞いたのか聞いていないのか、彼はまじまじと僕を検分し、僕の胸元の、緑色のネクタイに目を留めた。

 「お前はスリザリン生だな。何故ハリーと一緒にいた? あの子に──悪戯でもしてやろうと思っていたのか?」

 ブラックは僕のネクタイを掴み引き寄せる。間近に彼の落ち窪んだ目が光る。──しかし、この反応は希望があるかも知れない。僕は再び言葉を紡ぐ。

 「違います。僕らは友達です──」

 

 しかし、ブラックは僕の言葉の続きを聞かず、吠えるように嘲笑った。

 「友達! お前の名字を言ってみろ。いや、言わなくてもわかるかもしれない──お前はそっくりだ。ルシウス・マルフォイ。穢らわしい、あの臆病者に!」

 ブラックは僕のネクタイを引き、ベッドの柱に僕の背中を打ちつけた。なんだかすごく記憶に覚えがある。スネイプ教授にもそういえば似たようなことをされたのだった。

 いや、そんなことを考えている場合ではない。この反応はまずいかもしれない。臆病者──彼がもし、忠実な闇の帝王の僕なら、父のようなアズカバン行きを免れた死喰い人のことは良く思っていないだろう。それを意味しているなら非常に危険だ。

 

 次の手を打ちかねたところで、ブラックの背後からロンの声が飛んだ。

 「やめろ! ドラコに手を出すな!」

 ああ、ロン。流石グリフィンドール。彼にそこまで友情を感じてもらえてたことに、場違いながら感動してしまう。この緊迫しきった状況が受け入れ難すぎて、先ほどから妙に僕は浮ついていた。

 ロンの言葉を聞き、ブラックは少し首元を掴み上げる手を緩めた。

 「なるほど……ドラコ。ドラコ・マルフォイ。ナルシッサの子がそんな名前だったな……馬鹿馬鹿しい。ドラゴン。見上げた名前だ……それで、お前はどうやってグリフィンドール生の中に潜り込んだんだ?」

 スリザリン生に対する敵意が高すぎる。しかし、先ほどからその嫌悪はロンやハリーに対しては向けられていないようだった。これは、かなり良い傾向だと言っていいのではないだろうか。

 

 僕は一歩踏み込むことにした。慎重に、告げるべき言葉を頭の中で紡ぐ。僕の立場を曖昧にしながら、彼の立場を確定させなければならない。

 「ムーニーは、あなたがこうしていることをご存知なのですか?」

 ブラックのやつれきった顔に瞬く間に驚きが広る。

 「お前は──知っているのか? 彼が自分から話したのか?」

 それには答えない。しかし、その反応を見るにそこまで密にやり取りをしていた感じではない。一番説明不能な動きをしているルーピン教授と、ブラックが密接に繋がっていた線はやや薄れた。

 

 とにかく、少しは緊張が緩んだ。息を整え、僕は決定的になるかもしれない質問を放った。

 「ワームテールが本当の犯人だったのですか?」

 ブラックの変化は劇的だった。彼は雷に打たれたように固まった。しばらく沈黙が続いた後、彼は掠れた声で囁いた。

 「何故気づいた。誰も奴を疑おうとはしなかったのに」

 ブラックが僕という、すぐにでも殺せる相手に演技をしているのでなければ、これで十三人爆殺事件についてはほとんど答えが出たようなものだ。思わず心の中でため息が漏れる。本当に時間がかかってしまったが、なんとか真相の一部にはたどり着けたのだ。

 「あなたは、ハロウィーンからずっとハリーを殺せそうなところにいたのに、それらしき行動を起こさなかった。いや、ハロウィーンからではないのですね? ハリーがマグルの家の近くで見たと言っていた死神犬(グリム)、あれは貴方だったのでは?」

 ブラックはようやく僕のネクタイから手を離す。あまりにも突然真相を暴き出した子どもが、どんな真意を持っているのか測りかねているようだった。

 「それだけで真実に気付いたと? あまりに根拠がない。そもそもワームテールは死んだと考えられていたのに」

 本当にその通りだ。僕の推理は希薄な証拠を「物語」という枠に無理やり収めたパッチワークだ。実際、ブラックのことを本当に信じきれているわけでもない。しかし、僕はそれでも微笑みを無理やり作って言った。

 「おっしゃる通りです。事実、彼の正体に気付いたのは、ついさっきですから。でも……そうですね。貴方が贈ったファイアボルトを、ハリーはとても喜んでいましたよ」

 ブラックはそれを聞き、考え込み始めた。少しして、何かに思い当たったようだった。

 「箒から落ちたハリーを助けてくれたスリザリン生──あれは君か」

 僕はおずおずと頷く。ようやく、ブラックの纏っていた僕への敵意が薄れた瞬間だった。

 

 「ドラコ、何の話をしてるんだ? 君、ブラックと知り合いだったのか?」

 ロンは明らかに状況について行けていないようだった。そりゃあそうだ。僕なら自分の友人が殺人犯とペラペラ喋り始めたら正気を疑う。

 「違うよ、ロン。ただ、前からこの人が冤罪だったんじゃないかって疑っていただけだ」

 「冤罪?」

 ここでこれ以上長々と説明していても無駄だろう。僕はロンの元にかがみ込み、ブラックを見上げる。

 「ミスター・ブラック、それではワームテールをダンブルドアの元に連れて行きましょう。彼を引き渡せば、再審も可能なはずです。あなたの無実が証明される」

 すんなりと頷いてくれると予想していたが、それは間違いだった。ワームテールの名前を聞き、ブラックは再び瞳に狂気を宿した。

「いいや、そいつは殺す。今ここで」

 ──は? 待ってくれ、なんでそうなる? ペティグリューを殺してしまえばこの人の無実を証明するのは難しくなる。ネズミの死体だけでは何が起きたか十分に分からないじゃないか。

 思わず僕は言葉を失う。こちらを説得するつもりはないのか、ブラックも二の句を継がず、場には沈黙が落ちる。静かになった部屋に、不意に下から物音が響いた。誰だ? ハリーとハーマイオニーが呼んだ助けがもう来たのか?

 「静かに」

 ブラックは僕とロンに再び杖を向け、廊下から見えないよう、扉の後ろに身を隠した。誰が来たのだろう。頼むから落ち着いて話ができる人であってくれ──スネイプ教授だけは絶対にやめてくれ。ついでに相変わらず行動に説明がつかないルーピン教授も嫌だ──

 しかし、部屋に踏み入ってきたのは大人の魔法使いではなかった。ドアを蹴り開けて入ってきたのは──ハリーとハーマイオニー本人だった。

 ああ、なんて無謀なんだ。なぜ助けを呼びに行かなかったんだ。いや、どうやって暴れ柳を潜り抜けてきたんだ。僕とロンを見つけて走り寄る二人に、潜んでいたブラックは杖を向けて武装解除した。

 

 

 振り返り、ブラックを見るハリーは明らかに憤怒に燃えていた。彼は自分の父がブラックに裏切られたと考えられていることを、知ってしまっているようだ。これはまずい。この猪突猛進型グリフィンドールが満載の空間で、これから事がどう転ぶのか、予想がつかない。僕は冷や汗が自分の額を伝うのを感じた。

 

 ブラックはどこか嬉しそうだった。僕は彼がただ親友の息子に会えて喜んでいるのだろうと分かるが、この場では狂気の連続殺人鬼の笑みにしか見えない。

 ハリーに対し、先ほどよりもずっと親しげで優しい声で語りかける。

 「君なら友を助けにくると思った。君の父親もわたしのためにそうしたに違いない。君は勇敢だ。先生の助けを求めなかった。ありがたい……そのほうがずっと事は楽だ……」

 何でさっきからそんなに煽るような、誤解を生む言い回ししかできんのだ。頼むよ、本当に。案の定ハリーは激昂し、ブラックに掴み掛かろうとする。僕ら三人は慌てて彼を押さえた。

 僕は懇願するように言った。

 「お願いです、ミスター・ブラック……いえ、シリウス。回りくどい言い方をしないでください。この場面ではすれ違いが命取りになりかねません」

 三人組はやはり僕を怪訝な目で見る。ハリーは僕に対しても怒りを滲ませ始めた。

 「ドラコ──君はブラックの味方なの?」

 気持ちは分かるが落ち着いてくれ。僕は疑念を生まないよう即座に否定した。

 「違う。ところでハリー、君は、君のお父上がどんなふうに裏切られたのか知ってる?」

 「なんでそんなこと……」

 「いいから!」

 取り敢えずハリー自身にある程度、事実に思い当たってもらった方が話が早い。僕は必死に説得を試みた。ハリーは憎悪の籠った目でブラックを睨みつけながら、それでも僕の問いに答えてくれた。

 「……秘密の守人? それがブラックで、なのに父さんたちの情報を売ったって……」

 「ああ、そうだ。けれど、秘密の守人が誰か、なんて普通は公にしないんだよ。その人が狙われたら、秘密がバレてしまうんだから。シリウス・ブラックが秘密の守人だと思われていたのは、君のお父上の一番の友人だったこと、お父上が死んだ後ブラックが十三人虐殺事件を起こしたこと。これらが結びついて推測されたことに過ぎない」

 「両方事実だ!」

 ハリーはやはり頑なだ。当然だろう。友人が突然自分の両親の仇を弁護し始めているのだから。しかし、僕はそれでも言葉を紡ぎ続ける、

 「何故そう言い切れる? 僕らは誰も、事件の場に実際に居合わせたわけではない」

 「……何が言いたいの?」

 僕の意図があまりに不明瞭なせいか、僅かにハリーの怒りが鎮まる。けれど、ここで間違った手を打てば一気に爆発しそうだ。頼むから最後まで持ってくれ。僕はそう願いながら結論を口にした。

 

 「もし、殺人を犯したのが違う人だったら──虐殺事件で殺されたはずのピーター・ペティグリューが生きていたら。君のお父上を裏切った犯人も、また違う人間かもしれない。そう言いたいんだ」

 

 いよいよハリーの顔に浮かぶ怪訝さは如実になってきた。しかし、僕の言うことに憤りを感じる様子ではないのが非常にありがたい。今まで培ってきた信頼がここに来て結実しているようだった。

 「ペティグリューは死んだんだ」

 「ああ、ずっとそう思われていた。しかし違う! 奴は今ここにいる!」

 ハリーの言葉に、ブラックが弾けるように答える。流石に親の仇だと思っているブラックが口を出すとハリーの顔が険しくなる。黙っていて欲しい。

 

 「狂ってる……」

 ブラックと、もしかしたら僕の様子も見てロンは呻くように声を漏らした。それはもう仕方ないだろう。僅かながらに場の雰囲気は落ち着いた。僕はいよいよ確実な証拠を場に出してもらうことに決めた。

 「いいや、狂っているかどうかはまだ分からない。僕は、こう思っている。ペティグリューが動物もどきとして生き延びていたのではないかと。

 ……ロン、スキャバーズをこちらに渡して」

 

 ロンは必死に抵抗した。ペットが動物もどきの人間だなんて言われて、いきなり信じられる奴はいないだろう。けれど、今は彼を安心させている余裕はなかった。

 「この状況でこちらの言うことが信じられないのは分かる! だけれど、本当にそうかどうかは確かめるしかないんだ!

 お願いだ、傷つけたいわけじゃない。ただのネズミならこれでは傷つかない。今だけは僕を信じて」

 床に座り込むロンの前にひざまずく僕に、ついに彼は折れた。暴れ狂うネズミの尻尾を掴み、ロンはそれを僕に手渡した。

 僕も尻尾を掴んだまま、ブラックへ向き合う。

 「まだ殺さないでください。あなたの無実が証明できなくなる。姿を戻す、それだけにしてください」

 

 スキャバーズをロンから引き剥がすのを見て、ブラックはいよいよ僕のことを信用し始めたようだった。彼は僕の隣に並び、手元のネズミを覗き込む。

 「君は動物もどきを元に戻す術を知っているか」

 彼にそう尋ねられ、僕は頷く。すると、彼は僕に杖を返した。

 「いいか、逃すなよ。私が三つ数えたら呪文をかけるんだ。一、二の……三!」

 

 合図とともに、僕とブラックは手から垂れ下がるネズミに呪文を唱えた。青白い閃光が部屋を照らし──再び部屋に暗闇が戻ったとき、ネズミは膨らむ風船のようにブクブクとその姿を変えた。

 

 そこには小柄な、萎び切ったナスのような体格の男がいた。どこかネズミのときの雰囲気を面構えに残した、醜い男だった。顔を見たことはない。しかし、ブラックの表情が事実を物語っていた。──この男こそが、ピーター・ペティグリューだ。

 その男は辺りを見渡すと、手足に力を込めるような動きを見せた──変身の兆候だ。しかし、僕もブラックも杖を構えていた。

 「ステューピファイ!」

 「インカーセラス!」

 失神した男はその場に倒れ込み、縄できつく縛り上げられた。僕とブラックは顔を見合わせる。

 三人組の方を見てみると、全員余りのことに言葉を失っているようだった。

 

 

 そのとき、再びバタバタと大きな足音が階下から響いた。僕らは思わず動きを止める。

 

 そこに飛び込んできたのは──シリウス・ブラックの無罪がほとんど確実になった今、最も行動原理が不明な男。リーマス・ルーピンだった。

 

 

 


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