音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった   作:樫田

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第五話 スリザリン生の矜持

 

 

 

 組み分けの儀式から一夜が明け、早速一年生の授業が始まった。生まれ育ったウィルトシャーの屋敷とは全く違う環境だ。僕を含めて新入生たちは新しい生活に順応するため、忙しく日々を過ごしていた。

 スリザリンに組み分けされたことは、その日のうちに手紙を書いて両親に報告した。二人も知らせを待ちかねていたのだろう。翌日の朝には、両親揃ってのお褒めの言葉と山のような菓子類が届いた。あの二人は僕が一度でも何か食べ物を気に入った素振りを見せると、口実があればすぐそれを与える祖父母のような性質を持ってる。……申し訳ないが、実のところそこまで甘いものが好きなわけでもない。僕はそれを朝食の席で授業ごとに振り分け、予習復習をすればクラッブとゴイルにあげる約束をした。

 

 そのついでに、僕らは周囲に溶け込むため早々に呼び名を変えた。スリザリンの男子はもっぱら名字で呼び合うらしい。いちいち周囲に合わせるのも気恥ずかしい気がしたが、この段階で大勢の流れに逆らって良いことなど一つもない。この段階で出る杭になる必要はない。……それにしても、パブリックスクールのような習慣である。魔法界と非魔法界での意外な文化の繋がりだ。

 

 ホグワーツに慣れるといっても、生活時間の中の多くを占める授業はそこまで問題にならなかった。僕はもちろん、クラッブもゴイルも基礎の部分は頭に叩き込んでここに来ている。授業で当てられる程度であれば、素晴らしくスムーズにこなせていた。二人とも知識があって頼れるということですぐに友達もできていて、喜ばしい限りだ。

 

 一方、僕の人間関係は順風満帆とは言えなかった。

 懸念通り、組み分けでの振る舞いのせいで、早速同い年のスリザリン生の中で少し浮いてしまったのだ。

 そうは言っても、流石にマルフォイ家の嫡男ということもあって露骨に避けられたり、嫌がらせを受けるなどということは一切ない。家同士の上下関係がある子たちからは子供にあるまじき媚びを頂いたし、そうじゃない子達もそれに倣って僕に接していた。なんとも不健全な関係性だ。けれど、それでもなおどうにも妙に扱いに困ったような態度を取られている気がする。何とか過ちを取り返そうと、出来るだけ寮生に親切にしたが……やはり周りに溶け込めていない感覚は拭えなかった。

 考えてみれば、一人だけ精神的には明らかに年上なのだから無理もないのかも知れない。けれど無意味に目立っても仕方ないだろう。こんな状況に陥ってしまっては、内心自分のコミュニケーション能力に不安を覚えざるをえなかった。

 

 

 そんな小さな悩みはあったが、学校生活自体はとても楽しかった。様々な授業を受けるたびにそちらの魅力に意識を引かれるようになり、結果として人間関係の問題は徐々に意識の外に追いやられていった。

 既に学習する内容は知っていたが、やはり実際に授業で魔法を使う様子には感銘を受けるものがある。中でも変身術の授業は一番のお気に入りだった。入学許可証が届いてから家で色々魔法を試していたときにはもう思っていたことではあるが……物体を元素すら違う別のものに変容させることほど、魔法を実感できることもそうないだろう。

 

 気に入ったのは授業だけではない。ベテランの変身術教諭で、グリフィンドール寮監のミネルバ・マクゴナガル教授についても、この短期間でかなり好感を持つようになっていた。この人は今まで見てきた魔法使いと比べて厳格さを重んじ、公平で、感情に左右されない性格のようだった。短期間ではあるが、かつて魔法省の魔法法執行部に所属していたそうだし、ダンブルドア校長の右腕なのだから正義側の人なのだろう。

 おそらく物語はもう始まっているにも関わらず先の見通しが立たない中で、善人かつ理性的に見える人間の存在はなんとも有難かった。

 

 当然、僕は変身術の授業を張り切って受けるようになった。勉強する魔法自体、一年生のものでそこまで難しくはない。終了時間ギリギリでマッチ棒を完璧な刺繍針に変えてマクゴナガル教授からお褒めをいただいた際には、彼女がグリフィンドールの寮監だということも忘れ、思わず満面の笑みを浮かべてしまった。

 

 

 もちろん、変身術とは真逆の印象を抱いた科目もそれなりに存在した。

 魔法史は最も失望した科目の一つだ。内容の酷さという面から言えば「闇の魔術に対する防衛術」もなかなか良い線を行っていたが……一年で教師がコロコロ変わる科目にハナから期待などしていない。予想していたものと教えられているものの落差が一番大きかったという点で、魔法史は群を抜いていた。

 

 未来のための知識を収集していた際に、魔法界の歴史と歴史学についてはあらかた勉強していた。そこから、ホグワーツでどのような授業が行われているか、その問題点も含めて既に予想していたつもりだった。……けれど、カスバート・ビンズ教授はそのすべての問題点を盛ってなお余るほど、歴史学の教師として不適格だった。

 元々魔法界は歴史について瑣末ばかり記憶してその背景を考えない傾向があるが、彼は正にそのタイプだ。完全に興味を失った生徒を前に、マイナーな人物の名前や当時のボタンの数といった枝葉末節ばかりを滔々と語っていた。それらの事項が何故覚えるべきなのか分からない子供たちにとって、彼の授業はさながら知らない言語の読経が如しだ。

 しかも、彼はゴーストになってから既に百年余りが経っているらしい。実体を持っていないことでの不便など数限りなくあるだろうに、業務に支障はきたしていないのだろうか? 歴史学に必須であろう本のページを捲れなくなって一世紀も経過しているような古生物を、現代の若人の前に出さないでいただきたいものだ。

 

 残念ながら、魔法史の授業時間はビンズ教授の授業をBGMにした、持ち込んだ本での自習時間となってしまった。僕の父はホグワーツ理事なのに、こんな化石を雇うことへ否はないのだろうか? 絶対子どものためにならないと思うのだが。ビンズ教授はゴーストゆえに年齢での退職もないだろうし……積極的に状況を変えるべきときはもう来ているだろうに。これも魔法族の教育に対する無関心の弊害ということなのだろうか。

 

 

 魔法史をやり過ごしたところでもう一つ、色々な意味で気になる科目も残っていた。

 いよいよ今日、金曜日の一限はグリフィンドールと合同での魔法薬学だ。僕が最も恐れる科目の日がついに来てしまった。

 理由は色々ある。父の友人で、ある程度こちらが体面を保つ必要があるセブルス・スネイプ教授の担当教科だということも勿論だが──それ以上に薬品の調合に対して、僕はマグル的価値観を拭い去ることができなかった。

 

 非魔法界において、薬品とは専門知識を免許によって保証された人間が扱うものだ。勿論市販薬であれば素人が勝手に使えるが、それだって「作る」わけではない。責任ある人間が製造する。それが当たり前だ。

 ここではその常識は通用しない。十一歳の子どもに薬を調合させるのがスタンダードだ。魔法族は皆狂っているのだろうか? 今日はおでき用の外用薬だから、失敗しても即座に致命的なことにはなりづらいだろうが……内服薬は正直作りたくなさすぎる。まさか無闇矢鱈に試用するわけじゃないだろうが、残念ながらそういった規格や検査が魔法界では軽視されがちだという事実は、前世を思い出してから数年で身に染みていた。

 一応魔法薬の無許可での調合を禁止する校則は確認した。しかし、調合したことが明白でない場合、その校則は適用されない。罰は軽微な上に現場を押さえなければ言い逃れがいくらでもできてしまうシステムだ。毎年生徒の二、三人は密造薬で吹き飛んでいてもおかしくないと思うのは僕だけなのかと訝しみたくもなるが、ホグワーツの危機管理能力に期待するほうが間違っているのだろう。

 そもそも魔法使いの無謀さと放埒さは、ゴキブリのような生存力に裏付けられてしまっているのだ。非魔法界でこんな真似をするとすぐ重篤な怪我人が出て改善が求められるだろう。けれども魔法族は無駄に頑強で、それゆえに傷病を軽視する。ここはどうにも埋められない価値観の違いなんだろう。

 

 さて、臆病者な僕は、今日という日のためにかなり真剣に努力した。自分は勿論、ビンセントとグレゴリーが罷り間違って毒殺犯にも毒殺死体にもならないよう、体系と分析に中指を立てている魔法薬学になんとか齧り付いて、その摩訶不思議な理論を頭に叩き込んだ。おかげで五年生くらいまでの内容なら完璧にこなせる自信がある。特に安全性という面で。

 スネイプ教授が生徒に死人を出したという話は聞いていないので、授業中はあまり心配しなくてもいいだろうが……それにしたって、用心しすぎることはないだろう。確かに魔法はリカバリー可能な範囲が極めて広いが、リカバリーされなければ致命的になる場合もあるのだから。

 

 

 魔法薬学の教室は仄暗い地下にあった。そこで生徒を待ち構えていたスネイプ教授は、大広間で見たときと変わらずじめっとした雰囲気を放っている。冷え冷えとした教室も相俟って、子どもからすればかなり威圧感のある先生だ。そう考える僕自身、失礼ながら既に彼に良い印象は持っていなかった。

 元死喰い人疑惑が濃厚な時点で大体予想が付いてはいたが、スネイプ教授は子どもと接する教師としては落第もいいところ、というのが入学してわずか数日の時点での印象だった。この短い間、僅かに見かけた振る舞いからも、彼は不公平で、残忍で、生徒を虐めることを楽しむ面があると分かってしまった。

 

 また、それで気づいたこともあった。───彼が、現在のホグワーツで異様なまでに深刻化したグリフィンドールとスリザリンの対立関係の一因だ。

 先の戦争の当事者である父母の世代がとりあえずは成熟した大人であることを加味しても、致命的なまでに寮間の軋轢を表に出すことはそうない……少なくとも公の場では。それなのに、学校でこれほどまでに子どもたちが反目しあっているのは、単に幼く親世代の影響を強く受けているという以外にも何かあるのでは、と以前から勘繰ってはいた。その原因としてスネイプ教授の影響は思わぬ発見だ。

 このスリザリン寮監は、堂々と、しかも不正に、スリザリンを贔屓する。それに対し、当然グリフィンドールは正義をもって立ち上がる。その余波で責め立てられたスリザリン生は寮監を批判するわけにも行かず、自己防衛に走りグリフィンドール生に対抗し、さらに対立と相互不理解は深まってゆく。このような悪循環は容易に想像できた。

 こんな悪影響極まりない教師を放置しないでほしい。というか、どう見ても子ども好きじゃないのに何が楽しくてスネイプ教授はホグワーツの教諭などをやっているのだろうか?

 あまりに理不尽な寮監の存在を前にして、グリフィンドールの寮監でありながら一切生徒の贔屓をしないマクゴナガル教授の有り難さは、ますます染み渡るようだった。

 

 この授業でも当然、スネイプ教授は不当にスリザリンを贔屓するのだろうと考えてはいた。しかし、その標的がハリーに集中するのは予想していなかった。いや、本当は予想してしかるべきだったのだろう。スネイプ教授は「主人公と仲の悪い寮の性悪寮監」なのだ。児童書の物語としては、ありがちな展開なのだろう。

 

 授業が始まってすぐ、教授は今回学ぶ内容に一切触れないまま、ハリーに対して次々と難しすぎる問いを投げかけていった。明らかに答えられると思っての行為ではない。スネイプ教授は十一歳の入学したばかりの少年を晒し上げるため、自身の立場を存分に利用していた。

 まだ魔法界に来て少ししか経っていない、右も左も分からない子どもに対し、遺憾なく性格の悪さを発揮する自寮寮監に情けなさで涙が出そうだ。教授はハリーの近くにいるグリフィンドールの女の子が意気揚々と手を挙げるのすら一瞥もせず黙殺し、詰問を続けた。

 高度な内容を意地悪く問いただされ、ハリーが心配になったが──これは杞憂だった。彼は自身に意味不明な悪意を向ける教授の目を見つめ、気丈に返事をしていた。ダイアゴン横丁で出会ったときは自分に自信のないところがあるのかもと思っていたのだが……主人公に相応しく強い子だったようだ。

 

 それを見て、僕も少し感化されてしまった。

 今のスネイプ教授の横暴をただ許せば、それはスリザリン全体の名誉を貶めるのを見過ごすことになるし、我が寮の未来のためにも、ここでできることはしておくべきだろう。それに、ハリー・ポッターがグリフィンドールに組み分けされた以上、スリザリンの中だったらある程度手を回せるだろうとも考えていたのだ。寮監に歯向かうため言い訳じみたことを考えながら、僕は心中で策を練った。

 

 何がなんでも答えたいとばかりに立って手を上げる女の子に対してスネイプ教授が酷薄に座るよう促したところで、僕も手を上げる。予想外の動きに、寮関係なく周囲の生徒たちからギョッとしたような視線が突き刺さった。教授もまた、僕が何をしようとしているのか分かっていないようだ。彼はわずかに訝しさを含んだ目でこちらを見据えていた。

 僕は彼に対し、へりくだった笑みを浮かべ口を開いた。

 「教授、よろしければ僕がお答えしても?」

 媚を全面に出した自分の行動に鳥肌が立つが、もう一歩を踏み出してしまった。あとは完遂あるのみだ。

 ハリーからも驚いたような視線を感じる。そちらに目線を向けないよう、僕は教授をまっすぐに見つめた。スネイプ教授はルシウス・マルフォイの息子がしゃしゃり出てきたのを見て、ハリーを貶められる機会が続くと考えたらしい。彼は酷薄な笑みを浮かべてこちらに対して鷹揚に頷いた。

 「構わん。答えてみたまえ」

 つい先ほどグリフィンドールの女の子を黙殺した時とは全く違う態度だった。

 「ありがとうございます」

 不快感を顔に出さないようにっこり笑って礼を言い、僕は自分の持ちうる知識を探った。

 

 「……アスフォデルとニガヨモギは強力な睡眠薬『生ける屍の水薬』の材料です。『()()魔法薬』に調合法が掲載されています。

 ベゾアール石は山羊の胃に見られる結石で、汎用的な解毒作用があります。()()()()()()()()()()()()、私たちも扱いを知る必要があります。

 モンクスフードとウルフスベーンは両方ともトリカブトのことを指し、強い毒性があるため、()()()()()()()()()()()()()()調合に用いることが求められます」

 こちらを凝視するハリーの視線に気づかないふりをしながら、記憶をどうにか掘り返して答えていく。

 このままでは、僕は自分の知識を誇示したいだけの、そしてハリーを晒し者にしたスネイプ教授に追従するだけの存在だ。しかし、それで終わるつもりはなかった。

 

 質問に答え終わり、スネイプ教授が何か口を挟む前に彼に対して僕ははっきりした口調で語りかける。

 「どれも高度なものですから、若輩の身で扱えはしないでしょうが……来年以降、調合に用いることもあるでしょう。ご教授を心よりお待ちしております」

 最後に、教授に対して釘を刺す言葉を付け足した。これくらいであれば、彼は僕がわざと言ったか確信はできない。

 これらは明らかに一年生には高度な内容で、僕らの教科書には載っていないものもあり、スネイプ教授は不当にハリーを質問責めにした。そのように、この教室の子たちの多くは理解できたはずだ。

 教授自身が僕の意図に気づくかは正直分からなかったが、彼は意地悪そうな笑みを崩さず──それでも、目つきがわずかに厳しくなったような気がした。人を傷つけることに躊躇がないのに、他者の感情の機微に対して聡いらしい。なかなか面倒な人だ。

 スネイプ教授は教室の中を見渡し、口調を変えずに話しかけた。

 「……英雄殿とは違い、驕ることなく予習に励むスリザリンに一点加点。諸君、なぜいまのを全部ノートに書き取らんのだ?」

 彼はいちいち余計なことを言わなくては気が済まないらしい。全く、勘弁してくれ。

 

 

 その後の授業中にも、教授はグリフィンドール生に対してイビリにイビリを重ねていた。その上、スリザリンには惜しみなく恩寵を与える。父のことがあるのか僕を重点的に。先ほどのささやかな達成感はあっという間に雲散霧消してしまった。この調子では、生徒が少し口を挟んだところでスネイプ教授の悪影響を打ち消すことなどできないだろう。

 彼の贔屓は僕自身がスリザリンに埋没するには良いとは言え、普通に軽蔑してしまう。まったく、火と危険物を扱う子どもの注意力を削ぐような真似はしないでいただきたい。スネイプ教授は決して注意力散漫な方では無いのだろうが、生徒をいたぶることを好む嗜好は明らかに監督者としての職分を侵害していた。

 彼が僕の死ぬほどどうでも良いナメクジの茹で具合を見せびらかすのを横目に、僕は生徒の様子を観察する。そこで教授の話を聞かず、焦るように作業を進めているグリフィンドールの男の子が目に入った。彼は火にかかったままの鍋に山嵐の針を入れようとしている。

 ──それはまずい。僕は咄嗟に声をあげた。

 「そこの子、針を入れるな!」

 しかし、この対応はあまりいい結果をもたらさなかった。

 僕の大声に縮み上がったその子は、ポロッと鍋の中に手に持っていた物を入れてしまった。たちまち薬品は強烈な緑色の煙を放ち、音を上げて鍋を溶かし出す。

 辺りの生徒から悲鳴が上がる中、スネイプ教授は事態に気付いて目を釣り上げた。

 「離れろ、馬鹿者!」

 彼は大股でそちらに近づき、杖を振って薬品を消した。

 おどおどした男の子は制服の前に薬がついてしまったようで、ローブには大穴があき、泣きそうになっている。その態度は状況を悪化させてしまったようだ。スネイプ教授は明らかに非がある人間の傷口を抉るのが好きなようだ。彼はその子を詰めるのを散々楽しんだ後、その隣にいたハリーたちに向き直った。

 彼の顔には酷薄な表情が浮かんでいる。僕はそれを見て、次に彼が何をいうのか予想できてしまった。

 「君、ポッター、針を入れてはいけないとなぜ言わなかった? 彼が間違えば、自分の方がよく見えると考えたな? グリフィンドールは一点減点。加えて賢明にも注意を行なったミスター・マルフォイ、スリザリンに五点」

 やっぱりだ。自分が僕のナメクジなんかを生徒に見せびらかしていたことを、この短期間で都合よく忘れたらしい。ハリー・ポッターを虐めるためであれば、彼は自身の理論の破綻に目をつぶれる人物らしかった。

 

 教師としての監督責任を放り出した態度に、自分がそもそも別のことに目を向けさせていたことを棚上げした台詞、「先生」にあるまじき倫理の欠落を容易く晒せる人間性。

 僕はスネイプ教授を心底軽蔑するようになった。

 

 

 

 授業後、さすがに憔悴した様子で出ていくハリーが心配になった。ホグワーツ特急での出来事があった後で親しげに声をかけるわけにもいかないが……我らが寮監のせいで彼はあんなことになっているのだ。昼食へと大広間に向かう道は同じだからと言い訳じみたことを考えて、目の届く範囲で彼を追ってしまう。

 彼らは気づかないだろうと思っていたのに、ウィーズリーの少年がクルリとこちらを振り向き、視線が合ってしまった。たちまち彼の顔に不快感が広がる。彼はハリーを隠すように僕の方へと向き直った。

 「なんだよマルフォイ」

 どうしようもなく嫌われているようだ。彼にとって僕は一方的に喧嘩をふっかけてきた人間なのだから当たり前である。100%僕が悪い。

 組み分けも終わったしもう謝ってしまおうかとも思ったが、今妙にグリフィンドール生に優しくして、スリザリン生の中で目立つのも良くない。当たり障りのない態度でやり過ごすしかなかった。

 

 「……自意識過剰じゃないか」

 ため息混じりに目を細めてみると、ウィーズリー少年は少し顔を赤らめた。けれど、彼はそれで引いてくれない。少年は反抗心を露わにして、刺々しい口調で言葉を続けた。

 「あの嫌味なスネイプに贔屓にされて、そんなに嬉しいのか」

 その言葉には少し心を乱されるものがあった。彼の立場からすればもっともな指摘だが、内心では先程まで寮監に荒れ狂っていた立場としては物申しておきたい。……どうせ小競り合いするくらいでちょうど良いのだから。

 僕は堂々と彼の指摘に反論した。

 「あんなの、こちらが頼んだわけじゃない。贔屓されずとも僕は一年生の魔法薬ぐらいちゃんと調合できる。君はどうなんだ、ウィーズリー」

 「随分と自信があるみたいだけど……どうせ、授業前からアイツに何を訊くか教えられていたんだろう?」

 ウィーズリー少年は怯まず、肩をすくめて返事をした。確かにスネイプ教授ならやりかねないが、生憎それは事実ではない。僕はまっすぐ彼の目を見つめ、口を開いた。

 「そんな八百長のような真似はしない。そんな手段を使わずとも、僕は自力でスリザリンの名に恥じない成績を残せる」

 それだけ言い捨てて、僕は会話を切り上げてクラッブとゴイルと共に大広間の中へ入るよう促した。再びウィーズリー少年と小競り合いを起こした今、流石にハリー・ポッターも怪訝な顔でこちらを見ているのを感じる。

 まあ、少し嫌われているくらいがちょうど良いのかもしれない。そんなふうに自分を慰めながら、僕ら三人はスリザリンのテーブルに腰を下ろした。

 

 

 この日はそれだけでは終わらなかった。

 夕食後、談話室に戻ると入学式の日に僕らを寮に案内した監督生──確か、ジェマ・ファーレイと言ったか。彼女がこちらに向かってまっすぐ歩いてきた。その顔には何やら深刻そうな色が浮かんでおり、明らかに和やかな雰囲気ではない。

 彼女は傍にいたビンセントとグレゴリーのもとから僕を連れ出し、有無を言わさず人気のない寮の廊下まで連行した。

 

 わずかな沈黙ののち、彼女は眉を顰め、腕を組んで口を開く。

 「ねえ……マルフォイ。あなた、スネイプ先生に八百長だとか、贔屓はいらないだとか、言ったんですって?」

 そんなことは言ってない。そう思い口にしようとしたが、考えてみれば、ウィーズリー少年との喧嘩で似たようなことは言った気がする。スネイプ教授に面と向かってではないが、そう受け取った生徒がいたのかも知れない。人の多い玄関ホールでのやりとりだったし、それが監督生である彼女の耳に入ってもおかしくないだろう。

 「直接そう申し上げたわけではないですが……そうかもしれません。

 でも、事実として、スネイプ教授のお振舞いはスリザリンにとって不名誉ですよね? 彼の寮監という立場を盾にとって点数をいただいても、他寮生は誰も敬意など向けないでしょう。それどころか軽蔑の対象になるだけです。そんな状況に甘んじていても良いことなどないのではないですか?」

 良い機会だと思い、疑問に思っていたことを尋ねる。あの性根から教師に向いていない寮監のことを、自寮生たちはどう思っているのか。これは今後寮のあり方の、そして僕の行動の方向性を考えるにしても、知っておくべきことだ。

 ファーレイは一瞬信じられないものを見たような顔をした後、強く眉間に皺を寄せた。

 「……それはあなたがマルフォイだからできる振る舞いだわ」

 「どういう意味ですか?」

 意図を測りかねて首を傾げる僕に対し、彼女は深くため息をついた。

 「私の家族は昔っからスリザリンの家系じゃないの。それでも監督生にはなれたけど、あなたみたいな後ろ盾もなく、寮監の機嫌を損ねられないわ」

 一度言葉を切り、ジェマは面倒くさそうに肩をすくめる。彼女の瞳には苛立ちと僅かな諦念が滲んでいた。

 「別にあなた一人がスネイプ教授といざこざを起こすのは構わないけれど、あなたが『マルフォイ』である以上、それに板挟みにされる子もいるでしょうね。スリザリンの仲間のことを思うんだったら、大人しくしていなさい」

 それだけ静かに告げるとジェマは踵を返し、僕をその場に残して談話室へと戻っていった。

 ……彼女の指摘は予想していた範囲の実情だったが、やはり実際に子どもの口から聞くと重たいものがある。寮監のやり方に反感を覚えても、寮生はそれに対して大っぴらに反旗を翻すことができない。ただでさえ理不尽な人間に対して、一度刃向かってしまえば今度はその矛先が自分に向けられるのだ。生徒に自浄作用を求めるのは無意味なだけでなく、無責任だった。

 暗雲の垂れ込めている状況だ。

 

 けれど、このまま放置していいものなのだろうか? グリフィンドールと敵対関係を持つということは、魔法界最大の庇護者であるダンブルドアの懐に入るのが難しいということでもある。ヴォルデモート卿が青白ハゲとして復活すれば、現在スネイプ教授に巻き取られてグリフィンドールバッシングに加担している生徒たちは闇の道を選ばざるを得なくなるだろう。僕の二人の幼馴染も含めて。

 それを黙って見過ごすなんて、ありえない。

 物語を動かさないように、ハリーと関係のないところで。出来る範囲で。少しずつ。やれることはやっておきたい。

 

 

「マクゴナガル教授、少しお時間よろしいでしょうか?」

 翌日の放課後。僕は一人、マクゴナガル教授の研究室を訪ねていた。スネイプ教授に対してなんらかの手を打つにあたり、最初に彼女を頼ることにしたのだ。

 敵対者であるグリフィンドール側の人間に真っ先に行くのは、争いを激化させる可能性があり悪手かとも思う。しかし、全く無関係で力のない第三者に協力を要請しても意味がない。副校長という立場であり、公平さを重んじる彼女は真っ先に味方につけておきたい立場にいた。

 突然の他寮生の来訪にも関わらず、マクゴナガル教授は快く迎えてくれた。授業に真面目に取り組んだのが良かったのだろう。

 

 前触れなしの訪問者に対して彼女は書斎机に腰を落ち着け、真面目そのものの表情で口を開いた。

 「マルフォイ、どうかしましたか?」

 「実は、相談させていただきたいことがあって。入学早々おかしなことだと思われるかも知れませんが……スリザリンの寮監としての、スネイプ教授のことについてなんです」

 彼女の表情が訝しげなものに変わった。他寮の生徒が自寮の寮監について何か相談したいというのだ。そりゃあ話の流れも読めないだろう。

 

 僕は事情を分かってもらうため、慎重に言葉を選びながら話を続けた。

 「あの、マクゴナガル教授はスネイプ教授のことをどのようにお考えですか? ……主に公平さの観点から」

 その言葉に、教授は流石に僕が何を問題としているか気付いたようだ。しかし、彼女の顔の不可解さは未だに残っていた。

 「その事について私に相談しに来たスリザリン生はあなたが初めてです。マルフォイ」

 僕以外に一人の例外もいなかったのは意外だが、ジェマの態度からもそう言った状況は読み取れていた。

 「しかし、他の寮生はいたのですね」

 「……ええ。けれど私は言わなくてはなりません。スネイプ教授を辞めさせることはできません。これはダンブルドア校長の決定です」

 いきなり話が過激な方向に飛躍した。他寮生ならあんな教師はホグワーツから出ていくべきだと考えるのは自然かも知れないが、そこまでやる気は一切ない。慌てて僕は否定の言葉を返した。

 「辞めさせるなんてとんでもない。そんな恐ろしいことは考えていません」

 その言葉を聞いて、マクゴナガル教授はますます表情の怪訝さを強くした。当たり前のことを言ったつもりだったが、いよいよ彼女は僕の真意を測りかねているようだった。

 

 彼女は椅子にしっかりと座り直し、こちらの話をより真剣に聞く姿勢を取った。

 「では、私にどうして欲しいのですか?」

 「えっと、具体的には考えかねている部分もあるのですが、最終的にはスネイプ教授に不公平な態度をやめていただきたいのです。彼の性格全てを改めることはできないでしょうが……せめて寮杯の点数だけでも。

 けれど、すぐそんなことを求めては角が立つでしょう? だから、今マクゴナガル教授に知っていて貰いたいのです。スリザリン生にとっても、彼の振る舞いは悪影響なのだと」

 「ただ事実を知る。それだけですか? 今だって私はスネイプ教授の行いがあなたたちに良いとは思っていませんよ」

 「でしたら、そのようにおっしゃって頂きたいのです。どこでも構いません。スネイプ教授の振る舞いは後輩であるスリザリンに不利益をもたらしているのだと。

 彼自身を説得しようとしていただければもうそれで大変ありがたいのですが、多くの人がいる前の方がいいかもしれません……その方が印象づけられるでしょう? 他の人々にもスリザリン生もまた被害者なのだと知らしめられますし……」

 スネイプ教授の教職者としての異常性を可視化し、スリザリン寮からそのイメージを切り離す。性格の良いやり方ではないが、本人に改める気がないなら、周囲を変えるしか道はない。そのために、グリフィンドール寮監が()()()()()()()()()()スネイプ教授の言動を批判するというのは、必要なプロセスだ。

 

 ……そう思ったのだが、マクゴナガル教授には完全に僕の意図が伝わったわけではないようだ。彼女のこちらを見る目線が得体の知れない物を見るものに変わった。単にスネイプ教授が嫌いだからこんなことをしていると思われてはたまらない。

 僕は誤解を防ぐため、慌てて言葉を付け加えた。

 「マクゴナガル教授がどの寮生にも分け隔てなく公平だということは入学してすぐの僕にすらわかっています。あなたが言うなら、皆納得してくれると思うのです」

 「それは楽観的な考えだと思います。かつて彼が就任した時、その振る舞いに私が何もしなかったわけではないのです」

 こちらのマクゴナガル教授を称える言葉に対し、わずかに彼女の口ぶりに恥が滲んだ。

 

 もう現状に対して罪悪感を抱いてくれているのは好都合だ。僕はこれ幸いと攻勢をかけた。

 「もちろん、教授に行動して頂いたとしても、徒労に終わるかも知れません。スネイプ教授は態度を改めず、彼に対する他寮の反感もまた変わらない、そういう展開もあり得るでしょう。

 けれど、スリザリン生はきっと知ることになります。環境に流されて悪に迎合したとしても、それを容易くしている状況を変えようとしてくれる人がいると。他でもない、スリザリン生のために。

 ……でしたら、今正しさの方向性を示した事実が、いつか彼らの心の中で何か……可能性を生むものになる。そうは思えませんか?」

 

 僕の言葉を聞いて、マクゴナガル教授はしばらくじっとこちらを見つめて何かを考えていた。先ほどまで彼女の顔にあった疑いの念は薄れている。代わりにわずかに目を輝かせ、彼女は口を開いた。

 「公平さに基づく名誉に価値を見ると宣言するスリザリン生を私は初めて見ました。

 ……あなたは組み分けでグリフィンドールを提案されなかったのですか?」

 彼女はその言葉で、自分の元に僕が来なかったことを惜しむ心情を表してくれた。賛辞に対し、微笑みながらも首を振る。

「いいえ、僕にはスリザリンしかありませんでした。──それに、きっと今までもそういうスリザリン生はいたと思います。ただ、どうしたらいいか分からなかっただけで」

 その指摘に対し、彼女は目を閉じて頷いた。

 「……そうなのかもしれませんね」

 再び会話が途切れる。夕日の差し込む研究室の中、教授は深く息を吐いて時計を見た。

 

 「夕食が近くなってきました。もうお戻りなさい、マルフォイ。グリフィンドールの寮監として、あなたの信頼に応えると約束しましょう」

 その言葉に、僕は心の底から達成感と希望を感じ、にっこり笑って彼女に頭を下げた。

 

 

 

 


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