音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった   作:樫田

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第五十話 変身

 

 

 ペティグリューが語り終えた後、場を動かしたのはシリウスだった。彼はルーピン教授を振り切り、進み出てペティグリューに杖を向ける。怯えて身体を跳ねさせるペティグリューの前に、僕は再び身体を滑り込ませた。

 「待って下さい。殺さないで下さい!」

 ルーピン教授は逃走しないよう、回り込んでペティグリューに杖を向ける。しかし、彼はもう殺意を失っているようだった。自分の臆病さに負けていたのは、彼もまた同じだからだろう。

 

 シリウスはもう本当にペティグリューを殺そうと決めてしまったようだった。憤怒のあまり、杖を構える手はわずかに震えている。十二年間無実の罪を着せられ続けた彼からすれば、ペティグリューの話は責任転嫁の言い訳でしかない。

 「どけ、ドラコ・マルフォイ。君はハリーを助けたかもしれないが、まだ私は信用しきれたわけではない。君を吹き飛ばしてそいつを殺してもいいんだぞ」

 シリウスは先ほどまで僕に向けていた親しみを完全に失ったらしい。怒りのあまり落ち着き払ったようにも聞こえる声が恐ろしい。

 

 それでも僕は引かなかった。

 

 ペティグリューを殺させてしまえば、僕は僕の父を殺させる理論を看過することになる。弱さゆえに、闇に落ちるしかない人間を救う正当性を失う。それだけは出来ない。

 

 一歩も引かない僕を前にして、シリウスは嘲るように言葉を吐く。

 「君はそいつの話を信じるのか? ────いや、信じたとしても、そいつに許される余地などない。そいつは我々を裏切り、自分の身だけ守って陰でのうのうとしていた、悍ましい、見下げ果てた悪党だ」

 そうかも知れない。でも、ここで折れるつもりはなかった。僕はペティグリューの傍に跪きながらシリウスに問いかけた。

 「ピーター・ペティグリューは特別な悪だと思われますか? ──僕はそうは思いません。彼ほど弱い人間なんて山ほどいるんです。僕自身そうかもしれない。

 例え究極的な場面で、一度は裏切りに手を染めざるを得なかったとしても、戻って来れる。そんなふうに、光側の陣営が思わせられなかったことが、全てではなくとも、こんな悲劇の一因だ。そう、言えるのではないですか」

 シリウスは僕の言葉を聞き、目をギラギラと輝かせながら静かに嘲笑した。

 「甘い話だ。君は何も分かっていない。一度の裏切りを許せば二度、三度……それでは我々は疲弊していくだけだ」

 実際、そうだったのだろう。けれど、その厳格さが求められたのは今の話ではない。そんなこと、過去に囚われざるを得なかったシリウス・ブラックには言えるはずもないけれど。

 それでも僕は言葉を探し、紡いだ。

 「……分かっています。これが理想論だってことは。

 けれど、更正の余地がなければ、人々は常に白と黒のどちらかに立ち続けなければならない。ほとんどの人間はそこまで強くない。結局巡り巡って闇の陣営を増やしてしまう。違いますか」

 シリウスは殺意に目を血走らせ、僕の腕の下でキーキーと呻くペティグリューを睨め付ける。

 「だから何だ? 闇の陣営を減らすために裏切り者に慈悲を与えろと? こいつのしたことは許されることではない。多くの仲間をヴォルデモートに売り渡し、無関係なマグルを十二人殺した。落とし前をつけさせねばならない」

 僕は少しでもシリウスに敵対していないことを示したくて、深く頷く。

 「その通りです。それでも、その罰は私刑でされるべきではない。そうしてしまえば、他の弱い人間は益々貴方たちを信頼できなくなる。追い詰められた人間がどんな行動を取るかは、それこそペティグリューを見れば分かることでしょう」

 シリウスは半狂乱だった。彼は腕を振り、自分の胸を掻きむしる。

 「では、我々の気持ちは何処にやればいい? 不当に命を奪われた犠牲者の気持ちは? 親友を殺され、十二年間牢に繋がれた私の気持ちはどうすればいい? お前は当事者ではないからそんなことが言えるんだ!」

 そうだ。僕は当事者じゃない。当事者になりたくない。だから、ペティグリューを追い詰めさせたくない。

 「そうかもしれません。でも、その復讐心の正当性は示されなければならない! 正しさの価値を示さねばならない! そうでなければ弱い人間は易きに、悪に流されてしまう!」

 僕はシリウスを見上げて懇願した。シリウスは一瞬言葉を失い、しかし、再び軽蔑の笑みを浮かべ、吠えた。

 「魔法省はそれを許すかな? 保身で腐敗した魔法使い達の牙城が。私というブラック家の長男を十二年間も不当に牢に閉じ込めていたことを、そして自分たちがその間違いを正そうともしていなかったことを、やすやすと認めるだろうか? 認めたとしても、あいつらのやり方はいい加減だ。正しさの価値など知らん顔だ。奴らはお前のような甘ったれた考えを持っていないぞ、ドラコ・マルフォイ!」

 これも、その通りだ。魔法省は僕の父をはじめとした法の価値を認めない人間の手によって腐っている。それでも、僕は説得を諦めなかった。

 「そう……ですね。そうかもしれない。けれど、それは諦める理由にはならない。

 ペティグリューの情状を酌量し、それを踏まえて下される刑罰。それが成されることに力を注ぐことだけが、ペティグリューを生んでしまった魔法界の不完全さを癒せる。そう思ってはいただけませんか」

 

 シリウスは笑みを顔から消した。譲歩の姿勢を見せなかった今、もはや彼は僕と話す価値を見失ったようだった。彼は僕の肩を掴み、ペティグリューから引き剥がそうとする。痩せ衰えた人間とは思えないほど凄まじい力だった。けれど、僕はその場から動こうとしなかった。

 「もういい。十分だ。さあ、どけ。ここで終わらせる。──いいからどけ、どくんだ!」

 「やめて!」

 シリウスが吠え、右手の杖を僕の眼前に突きつけた瞬間、ハリーが叫んだ。彼は膝をつく僕の前に立ち、シリウスと向かい合う、

 シリウスは驚愕を隠さずハリーに言い募った。

 「ハリー、君は許せるのか? ペティグリュー──この腐り切った卑怯者を」

 ハリーは首を振った。

 「違う。ペティグリューを許したわけじゃない。でも、殺したいとも思わない。

 こいつを城まで連れていこう。僕たちの手で吸魂鬼に引き渡すんだ。こいつは裁判を受けて、アズカバンに行けばいい……殺すことだけはやめて」

 「ハリー!」僕とシリウスのやり取りに口を挟まなかったペティグリューが、歓喜の声を上げた。

 「君は──ありがとう──こんなわたしに──ありがとう──」

 ハリーはそんなペティグリューを、ゴミを見るような冷え切った目で睥睨した。

 「おまえのために止めたんじゃない。僕の父さんは、親友が──おまえみたいなもののために──殺人者になるのを望まないと思っただけだ」

 

 

 誰も、継ぐ言葉を見つけられなかった。暗い、埃っぽい部屋にペティグリューのゼイゼイと喘ぐ音だけが聞こえた。

 ついにシリウスは杖を下ろした。彼の顔には怒りではなく、悲哀が浮かんでいた。

 「ハリー、君だけが決める権利を持つ。しかし、考えてくれ……こいつのやったことを……」

 シリウスはまだ納得していない。しかし、彼はハリーのことを最大の被害者だと、この件の顛末を決めるべき人間だと考えているようだった。

 シリウス・ブラックは本当に友人のために僕に対して激昂していたのだろう。友達思いの冤罪に苦しんでいた人間に対して言い募ってしまったことに、仕方がないと内心で言い訳しながらも僕の胸は痛んだ。

 それでもハリーは意見を変えなかった。

 「こいつはアズカバンに行けばいいんだ。あそこがふさわしい者がいるとしたら、こいつしかいない」

 

 ようやく、話は決したようだった。先ほどからペティグリューを監視していたルーピン教授がその場を仕切り始める。

 「それでは、ピーターを城に連れていく。しかし、彼が変身して逃げようとすれば、やはり殺す。いいね、ハリー?」

 僕は彼を気絶させて連れて行きたかった。けれど、シリウスとルーピン教授はペティグリューを殺す余地を残したいようだった。ハリーはそれに頷く。

 

 僕らはロンの手当てをして、城に戻る支度を整えた。ルーピン教授がペティグリューを縛る縄を引き、シリウスがスネイプ教授を魔法で吊り下げる。僕はペティグリューの後ろをロンに肩を貸しながらついて行った。僕ら八人は狭いトンネルの通路を一列になって歩いて行った。

 後ろでハリーとシリウスが話し込んでいる。シリウスはハリーの後見人にされていたらしい。二人で一緒に暮らさないかと提案している声が聞こえる。けれど、ダンブルドアはハリーがマグルの親戚の家から動くことをどうお思いになるだろうか。彼があの虐待一家からハリーを連れ出さなかったことには何か意味がありそうなものだが。

 

 あまりに緊迫した場面に目に入っていなかったが、一番前をクルックシャンクスが誇らしげに歩いていた。あの猫も動物もどきじゃないのか? シリウスに手を貸していたとすれば賢すぎるだろう。

 疲れ切ってまともに物が考えられなくなった僕に、前を行くルーピン教授がおずおずと語りかけた。

 

 「すまなかったね、ドラコ。──君に、疑念を抱かせるような真似をして」

 「いいえ。僕に人狼であることの苦しみは理解しきれないと思いますから。でも、もう全てダンブルドアに話して下さい。彼が貴方にどう接するようになるか、僕には分かりません。けれど、仕返しに貴方の素性を暴露するようなことは絶対にないと、貴方もお分かりだと思います」

 「ああ、そうだな……私もまた、臆病さゆえに道を間違えた」

 僕からルーピン教授の顔は見えなかったが、彼の声には悔恨が浮かんでいた。

 「僕の気のせいではないと思いたいのですが、去年ダンブルドアは自らの敵に対する苛烈さを、ある程度後悔していたようでした。本当に敵なわけではない貴方のことだって、勿論彼は許してくださると僕は思います」

 「そうかな。ダンブルドアは二年も前から私をこの職に就けると約束してくださっていた。去年はそのための根回しに奔走して下さって。なのに、私はシリウスが脱走したと知っても何も言わなかった……私が早く言っていれば、ひょっとしたらもっと早く真実が明らかになっていたかも知れない……」

 当然の後悔だ。けれど、僕はルーピン教授を責めるつもりはもうなかった。

 「その場合、シリウスは自らの無実を証明できないまま連れていかれたかも知れない。それに、貴方をそこまで追い詰めた、人狼への不理解が蔓延るこの世界にだって原因はあるんです」

 ルーピン教授は振り返らなかった。

 「……ドラコ、君みたいな人ばかりの世界だったら、私やピーターのような人間は生まれなかっただろうね。君が、この先もそのままでいられることを願っている。心から」

 そう言いながらも、彼の口ぶりには何処か諦念が滲んでいた。それでも、僕は自分の心に落ちた影を振り払うように口を開いた。

 「……そのつもりです」

 ルーピン教授はそれには答えず、そのまま黙って歩き続けた。僕もロンと二、三言葉を交わした程度で、そのまま口をつぐむ。トンネルに沈黙が降りた。

 

 僕らが暴れ柳の下につくまで、誰も、何も話さなかった。

 

 

 

 ようやく辿り着いた校庭は真っ暗だった。変わらずルーピン教授がペティグリューの綱を引き、僕とロンがその後に続く。さらにその後をハーマイオニー、ハリー、シリウスが歩き、最後にスネイプ教授が浮かんでいた。

 

 ふと辺りが明るくなった。雲の切れ間から月が、欠けることなく輝く満月が見えた。

 僕はずっと疑問に思えていなかったことにようやく気づいた。ハリーとハーマイオニーが助けを呼んだのではないのだったら、何故ルーピン教授は、いや、スネイプ教授は僕らを追えたんだ? おそらく薬だ────脱狼薬。あれをルーピン教授に渡そうとして、後をつけたんだ。

 

 ああ、では、そんな。

 

 僕の眼前で、ルーピン教授の身体は硬直しはじめた。徐々に手足が震え出し、形を変える。

 「逃げろ!」

 後ろからシリウスの声が響く。彼は僕らを庇うようにルーピン教授に近寄った。しかし、僕はロンに肩を貸したままだった。担いでは逃げられないが、このまま置いていくわけにはいかない。

 僕らが動けずにいる間に、ペティグリューは地面にへばりつき、一瞬ネズミに戻り、また人に戻った。────ルーピン教授の杖を構えて。

 破裂音が響き、僕とロン、クルックシャンクスは吹き飛ばされた。呪文が直撃したロンは身体から力を抜き、僕の上でぐったりとしている。

 「エクスペリアームス!」

 ハリーがペティグリューを武装解除したが、もう遅かった。彼がネズミに変身して、校庭を駆けていくのが見える。なんとかロンの下から這い出ると、黒い犬と狼人間が組み付き合い、戦っていた。

 「シリウス、あいつが逃げた。ペティグリューが変身した!」

 ハリーが叫ぶ。シリウスはこちらを振り向くが、狼人間との戦いに気を取られていては追うこともできない。それだけじゃない。このままでは、僕らの中の誰かが噛まれてもおかしくない。

 

 ────僕はこの事態を解決する方法に一つだけ心当たりがあった。

 

 ロンから少し離れて杖を構え、花火をルーピン教授に放つ。鼻面を強かに打った狼人間は、僕を見据えて唸る。犬の姿をしたシリウスだけでなく、ハリーとハーマイオニーもこちらを振り返った。

 再び呪文を放つ。今度は縄が狼人間に絡みつく。けれど、たちまちそれは引きちぎられつつあった。

 

 

 「ハリー、ハーマイオニー、ロンを連れて逃げるんだ! 早く! シリウスはペティグリューを追うんだ!」

 

 「でも、君を置いていけない────」

 「僕は大丈夫。絶対に! 助けを呼んで。いいから行くんだ!」

 

 それ以上僕は言葉を継ぐことができなかった。狼人間は僕を見据え、縄を解くと踊りかかる。僕はすんでのところでかわし、再び縄を放った。ジリジリとみんなから距離を引き剥がす。何度も食ってくれる手ではないだろうが、今は三人から引き剥がせればそれでいい。

 

 ペティグリューが逃げた方とは逆の方へ狼人間を誘い出してしまった僕に、シリウスは一瞬逡巡し、しかし、それでもネズミを追った。

 

 僕は三人の方に狼人間が顔を向けるたびに花火を放ち、縄を仕掛ける。ようやく森の中に辿り着き、いよいよ狼人間は僕一人に対峙した。狙いを僕だけに絞った狼人間をいなせ続けるほどの体力はない。僕は絶体絶命だった。────このままでは。

 

 

 さっきトンネルでシリウスを追った時のことを思い出す。あのときだってできた。

 大丈夫だ。これは僕の一番尊敬する先生がこの一年指導して下さったことなんだから。やれるはずだ。いや、やるしかない。今夜、ルーピン教授には誰も傷つけさせない。

 

 

 ────そして、僕は白い犬に姿を変えた。

 

 

 

 

 


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