音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった   作:樫田

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第五十一話 沈む満月

 

 四本の足で地面に踏ん張り、ルーピン教授と向き合う。僕の動物もどきの姿は、守護霊とまったく同じだ。ブラッドハウンドに似た、短く白い毛並みを持つ犬。幸いなことに体格はそれなりに大きいが、熊にすら見えるシリウスほどではない。この大きさでは、到底狼人間を抑え込み続けることはできないだろう。けれど、この場では囮になれれば十分だった。

 

 

 ダンブルドアとの閉心術の訓練が早々に頻度を減らした後、隠れ蓑となってくれていたマクゴナガル教授は僕に動物もどきになるよう勧めた。彼女は二年生のときから七年生レベルの身体変身術の練習を僕に許可していたが、そこで僕が動物もどきになれる実力を持っているかどうか確認していたらしい。

 はっきり言って全く出来る気がしなかった僕は及び腰だった。それでも、マクゴナガル教授は危険を最小限にするよう自分が全て指導するし、ワガドゥーの生徒ならもっと若年で取り組み始めるから若すぎるわけではない、と熱を込めて語った。彼女の変身術の指導者だったダンブルドアが大賛成したこともあり、僕は今年多くの労力を動物もどきになることに費やした。

 それでも魔法の手順に天気など運の要素が大きく絡むために、動物もどきになる儀式は何度も失敗した。お陰でこの一年間のほとんどの間、僕の上顎にはマンドレイクの葉が張り付いていた。儀式の最後に必要な稲妻が空に光ったのは、期末試験の直前だ。そこで僕はようやくこの変身を習得したのだった。

 

 当然ながら僕のスキルは、杖なしで即座に変身できるような熟練者並みには至っていない。けれど、今この場では、人狼の感染の危険がない動物の姿になれればそれでいい。もし、動物もどきの姿が虫とかだったらルーピン教授を止めることはできなかっただろう。僕は自分の運に心から感謝した。

 

 

 ルーピン教授は突如白い犬に変身した僕をじっと見つめる。しかし、やはり獲物は人間が好みなようで、三人組を残してきた方に興味を戻し、森から出ていこうとしてしまう。それは予想できていた。僕は足をしならせて彼に飛びかかり、それなりに頑丈な顎で腿にしっかりと噛みついた。許して下さい、ルーピン教授。緊急事態なんです。

 

 狼人間は痛みに呻き、拳で僕の頭を殴りつける。人「狼」って言うくせに、平気で手を使ってくるのずるいよな。鈍く重い嫌な音が額から鳴るが、それでも僕は口を離さなかった。

 噛み付いた脚が振り回され、身体のあちこちが地面に叩きつけられる。それでもなお食いつく犬に、ルーピン教授はついに爪を立てて引き剥がそうとした。背中に切れ味の悪いナイフで切り裂かれたような痛みを感じる。耐えかねて思わず口を離すと、自由になった足で腹を勢いよく蹴飛ばされた。

 

 僕は枯れ葉をあたりに撒き散らしながら、ゴロゴロと地面を転げた。急所への重い一撃に思わず意識が朦朧とする。戦闘開始直後にして、既に結構な重傷だ。このまま……五時間? 六時間? とにかく、いくらスコットランドの日の出がこの時期早くても、夜明けまでは絶対に持たない。けれど、助けが来るまで気が引ければいい。幸いなことに、ルーピン教授は目障りな白い毛玉の対処に専念すると決めたようだ。彼は森の外へ出ようとするのを止め、僕に狙いを定めて飛びかかってきた。僕はなんとか足に力を込め、彼の鼻先を掠めてかわす。

 流石に首や腹を噛まれれば、動物に変身している間なら人狼にならないとはいえ、命が危ない。取り敢えず距離を取るため、僕は一目散に森の奥へと走った。ありがたいことにルーピン教授は唸り声を上げながら僕を追いかけてくれる。そのまま距離をとって交わし続けたかったが、足は彼の方が速いらしい。途中で追いつかれ、再び脇腹に強烈な爪付きの打撃を喰らって僕は吹き飛ばされた。

 

 さっきは手を使ってずるいと思ったが、口と手のリーチの違いのお陰で噛みつきをあんまり使ってこないのは大変にありがたいのではないだろうか。元々勝ち目なんてあると思ってなかったとはいえ、あまりにもボロ雑巾のように簡単に吹き飛ばされて、さっきから思考が現実逃避気味だ。おまけに口を使うときは隙が大きくなる。叩きつけられた木の根本から体を起こし、再びルーピン教授の顎の下をなんとかすり抜ける。本当にいつまでやればいいんだ、これ。

 先ほどは苛立ちを見せていた狼人間は、徐々に狩りを楽しみ始めたようだ。再び逃げ出した僕の後を追い、少し痛ぶってはまた離す、という行動をとり始めた。

 

 

 白々とした月明かりが木の葉の間から地面に落ちる森を無我夢中で駆ける。ルーピン教授と追いかけっこを始めてどれだけ経っただろう? たかだか四、五分にも、二、三時間にも感じる。しかし、まだ空は全く白み始めていないし、月だって西の空に落ちているように見えない。

 あの後、シリウスはペティグリューを捕まえられただろうか? ハリーとハーマイオニーはロン────あと、そういえばスネイプ教授もいたな。とにかく、彼らを連れて、無事助けを呼びにいけただろうか? 早く救援が来ないと、僕はルーピン教授に弄ばれて死ぬことになりそうだ。

 それは不味すぎる。本当は人狼だったルーピン教授が生徒を不注意で殺しました、なんてことがあってはいよいよ狼人間の風評も、アルバス・ダンブルドアの名声もおしまいだ。

 

 再び気持ちを奮い立たせて、振りかぶられているルーピン教授の腕の下を潜り抜ける。しかし、ぬかるみに前足を取られ、僕はその場に横様に倒れてしまった。狼人間はその隙を見逃さない。彼は僕の後ろ足に深々と噛みついた。激痛が腿の辺りに走る。なんとか逃れようと踠くが、牙がさらに深く肉に沈み込むだけだった。

 

 ────噛みちぎられる。

 

 痛みと絶望感に身体の力が抜けそうになったそのとき、森の中に爆発音が響いた。狼人間の横っ面に強い衝撃が走り、顎の力が緩む。僕はなんとか身を捩り、自分の足を狼人間の口から引き抜いた。

 

 

 そこに立っていたのは、マクゴナガル教授とダンブルドアだった。ダンブルドアは再び呪文を放ち、それに当たったルーピン教授はその場にどさっと音を立てて倒れる。ダンブルドアはさらに縄できつく狼人間を縛り上げた。

 ああ、助かった。安堵のあまり、僕はその場に崩れ落ちた。

 

 「ミネルバ、ドラコをポピーのところに連れてゆくのじゃ」

 ルーピン教授から目を離さずダンブルドアはマクゴナガル教授に指示する。マクゴナガル教授は普段シワ一つなく整えられているローブが泥に濡れるのも気にしていないようで、僕の傍に膝をついた。

 「マルフォイ、なんてことを……変身を解いてはいけません。ここまで傷が深くては元に戻ったときに致命傷になるかもしれない───」

 こんなに悲痛そうな顔をしたマクゴナガル教授は初めて見た。僕は毎年マクゴナガル教授の新しい表情を見ている気がするが、今までで一番見たくなかったと思う顔だ。マクゴナガル教授が呼び出した担架に乗せられ、病棟に連れて行かれる間、少しでも傷を癒そうと彼女は僕に治癒呪文をかけ続けてくれた。

 

 

 ルーピン教授はどうなるのだろうか? 薬を飲み忘れて変身して、狼人間にすることはなかったとはいえ、生徒に重傷を負わせてしまった。本当はルーピン教授の弁明をするため、人間の姿に戻りたい。けれど、こんなに辛そうな顔をするマクゴナガル教授の前で、これ以上彼女の心労を増やす気にはなれなかったし、そもそも身体全体が痛すぎて口を開けるのも一苦労だった。

 

 

 病棟に着くと、そこにはグリフィンドールの三人組がいた。マダム・ポンフリーにマクゴナガル教授が声をかける中、彼らの様子を盗み見る。ロンはベッドに横になっているが、ハリーとハーマイオニーは元気なようだ。しかし、三人とも不安そうな顔をしている。ペティグリューはどうなったのだろうか?

 

 ハリーはマクゴナガル教授が入り口から入ってきたのに気づくとパッと立ち上がり、声をかけようとする。しかし、マクゴナガル教授は何か言われる前に硬い口調でそれを封じた。

 「今は質問は許しません。後にしなさい」

 そこで、ようやく彼らはボロ雑巾のようになっているだろう僕に目をやる。流石に気付かれるだろうか? 残念ながら、説明してあげる余力は一切ない。

 

 マクゴナガル教授は事務室に一番近いベッドに担架ごと僕を置いた。扉からこちらに来たマダム・ポンフリーがベッドのそばに立つと同時にカーテンを閉め切り、マフリアートをかける。これはありがたい。三人組に余計な心労をかけたくない。

 マクゴナガル教授はマダム・ポンフリーに向き直り、震えが混じる声で囁いた。

 「ポピー……狼人間に襲われました……動物もどきの生徒です。応急処置はしましたが……」

 僕の様子を見て、マダム・ポンフリーは目を見開き、一瞬動きを止めた。しかし、すぐ気を取り直してテキパキと僕の身体を調べていく。絶対向こうは気にしていないとはいえ、自分が真っ裸かつどうなっているのか見えていない状態で他人にじっくり見られるのはとても恥ずかしい。すぐに検査は終わったようで、マダム・ポンフリーは懐から取り出したどろっとした軟膏を体の傷に塗りつけ始めた。

 「大丈夫よ、ミネルバ。傷は深いけど、全部治るわ。足の咬傷と背中の裂傷は痕が残ってしまうでしょうけど……他は安静にしていればすぐに無くなるわ」

 それは有難い。僕は思わず体を動かそうとして、マダム・ポンフリーに「動かないで!」と叱責された。

 「ミネルバ、睡眠薬を持ってきてちょうだい。この子、ひどく疲れているようだし、フラフラして傷を悪くしても良くないわ」

 人間用の薬って、動物もどきに効くんだろうか? そう疑問に思う僕をよそに、マダム・ポンフリーはマクゴナガル教授が持ってきた紫色の水薬をシリンジに入れ、僕の口に突っ込んだ。薬の味を気にしている間もなく、周囲が溶けるようにぼやけ、僕はそのまま眠りに落ちた。

 

 

 

 目を覚ますと、病棟は朝日に包まれていた。

 ベッドから起き上がり、自分の身体を確かめる。まだ変身は解けていない。普段より動かし辛い頭をなんとか下に向けて身体を見ると、胴体と左後脚に包帯が巻かれているようだった。

 流石にそろそろ人間に戻りたいのだが、だめだろうか。三本の足でベッドからそろそろと降りる。床に伏せて、カーテンの下から病棟の様子を窺うと、ロンがいたベッドにはカーテンがかかっていた。ハリーとハーマイオニーはもう寮に戻ったのだろうか?

 カーテンの下を潜り抜け、あちこち痛む身体に耐えて事務室の方へ向かう。扉の前で小さく吠えると、中からマダム・ポンフリーが出てきてくれた。

 「あなた────まだ絶対安静です! ベッドに戻りなさい!」

 彼女に追い立てられるようにして渋々寝ていた場所に戻る。僕の恨みがましげな目に気付いたのか、僕がベッドに上がるのに手こずっているのを見た彼女は「戻ってよろしい」と言って包帯を解いてくれた。

 意識を集中させ、人間の姿を思い描く。目を開くと、僕はその場に二本足で立っていた。ちゃんと元に戻れたのだ。

 制服が土でドロドロなことに気づいたマダム・ポンフリーは目を釣り上げてローブをひっぺがし、体全体に消毒・洗浄呪文をかけ始める。地味に傷に響いたが大人しく呪文をかけられ、再び傷に包帯を巻かれた後、僕はされるがままにベッドに押し込まれた。

 久しぶりに喋る機能を得た僕はマダム・ポンフリーに向かって口を開こうとする。しかし厳しい目で睨まれ、犬から戻ったのを忘れて首を垂れた。僕をしばらく睥睨して、彼女は言った。

 「あとでダンブルドアがいらっしゃるそうですから、話はそこでお願いします」

 それは事情を話すにも聞くにも願ってもないことだが……ルーピン教授は大丈夫なのだろうか? 僕はベッドに横になっても眠ることもできず、天井をじっと見つめた。

 

 

 マダム・ポンフリーが事務室に戻ってからしばらくして、僕のベッドのカーテンを開ける人間がいた。ロンだ。彼は僕をまじまじと見つめ、口を開く。

 「やっぱり、昨日運び込まれてたワンちゃんって君だったのか。めちゃくちゃでかい死にかけのモップかと思ったよ」

 第一声がそれか。あんまりにもあんまりな言い様に、僕は思わずニヤリと笑った。

 「ルーピン教授はなかなか手強くてね。僕もそれなりにしてやったんだぜ?」

 嘘だ。結局、最初に脚に噛み付いた以外なんの反撃もできなかった。しかし、その言葉で不安そうな顔をしていたロンも笑顔になった。

 

 僕はずっと聴きたかったことをロンに尋ねた。

 「ペティグリューはどうなった?」

 ロンは僕の言葉に、少し眉を顰めて肩をすくめた。

 「分からないんだ。僕も気絶しちゃったからよく知らないんだけど、あの後ハリーはブラックとペティグリューを追っかけて行ったんだって。そこで吸魂鬼に襲われて、なんとかハリーが守護霊を出して切り抜けたらしいんだけど。その間にペティグリューは逃げて、ブラックもそれを追いかけて、それっきり」

 「そうか……」

 ネズミという隠匿性の高い動物もどきだ。一度人から離れたところに潜伏されては、見つけるのは難しいだろう。僕はまんまとシリウスの無実の証拠を逃してしまった。肩を落とす僕を見て、気遣わしげな視線を向けながらもロンはそのまま話し続ける。

 「その後はスネイプが起きて、僕とハリーを城に連れ帰ったんだって。先に戻って助けを呼んだハーマイオニーは病棟にいたってハリーが。僕が起きたら信じられないくらいスネイプはキレてるし、ダンブルドアが呼んだ魔法大臣はいるし、大変だったよ」

 あまりに想像が容易なスネイプ教授の激昂に、思わず僕は力無く笑った。目が覚めたら自分の宿敵三人──いや、二人か。それらがまんまと逃げおおせたと知って、彼はどれだけ怒り狂ったのだろう。ロンも少し引き気味だ。

 「ファッジは事件を揉み消したがってたけど、スネイプまでペティグリューを見たとなれば全員に口封じするのは無理だと思ったんだろうな。ペティグリューは一応指名手配されるらしい。ダンブルドアがシリウスの指名手配は取り消されないけど、生け捕りでの命令が出されるだろうって」

 ああ、そうか。完全に忘れていたが、スネイプ教授も人間の姿のペティグリューを見ていたのだった。ペティグリューを引っ張り出し、無実を完璧に証明することはできなかったが、真相に疑念を挟ませることはできたのか。

 「……良かった、のかな」

 曖昧に尋ねる僕に、ロンは大きな声で励ましてくれた。

 「君はメチャクチャ良くやっただろ! ルーピンをずっと相手してたんだろ? ハリーとハーマイオニーは心配のあまり死ぬんじゃないかって感じだったよ。まあ、正直今も大分ひどい有様だけど……」

 その次の言葉を聞くことは叶わなかった。ロンの声を聞きつけたマダム・ポンフリーが憤然と事務室から出てきたのだ。

 「何をしているんですか! 絶対安静と言ったはずですが!? ウィーズリー、あなたは足に問題がないんだったら、もう出て行きなさい。今すぐ!!」

 

 

 ロンはマダム・ポンフリーに病棟から叩き出されてしまい、辺りに静寂が戻る。

 シリウスの無罪を完璧に証明することはできなかった。僕にできることはいくらでもあったように思う。あのとき、怯えずにちゃんとペティグリューの動きを封じるよう進言していたら。ルーピン教授が脱狼薬を飲み忘れているともっと早く気づけていたら。ルーピン教授が変身したときにペティグリューを失神させられていたら。目を閉じると後悔ばかり浮かんできてしまう。

けれど、一つだけ。ペティグリューを殺しておくべきだった、という後悔だけは、僕は心から締め出した。それは、絶対に違うと信じたい。いや、違う。……………………

 

 

 

 いつの間にか微睡んでいた僕に、カーテンの外から声がかかった。返事をした僕のベッドの脇に立ったのは、やはりアルバス・ダンブルドアだった。

 そばに立つ校長を見て、一気に目が覚めた。彼は珍しく話を始める前から全く微笑んでいなかった。まだ朝の早い時間の、暖かい色をした朝日に照らされた彼の顔は、部屋の雰囲気にそぐわない重々しさを醸し出している。

 

 彼が僕に何か語りかける前に、僕は尋ねた。

 「ダンブルドア校長、ルーピン教授はどうされていますか?」

 「昨晩、わしが拘束し、そのまま森で日の出を迎えた。つい先ほど、正気に戻られた」

 ルーピン教授はどうなるのか。尋ねようとした言葉は、勢いよく扉を開ける音で遮られた。静かだった病棟に荒々しい足音が響く。憤然と入ってきたのは、真っ黒なマントをたなびかせ、殺気立ったスネイプ教授だった。

 

 僕とダンブルドアを見てこちらに歩いてくるスネイプ教授は、冷たい怒りに燃える目で、しかし口元に歪んだ笑みを浮かべていた。

 「ダンブルドア、私は何度も何度も進言いたしました。そして、実際に被害者が出ました。もう────私の口がついうっかり、滑ってしまっても仕方はありませんな?」

 一瞬何を言っているのか分からず、僕はダンブルドアを見る。彼は厳しい顔をしたまま、何も言わなかった。スネイプ教授はそれで満足したのか、さらに笑みを深める。待て、何を口を滑らして言うというんだ。ルーピン教授のことか? それは……それは絶対にだめだ。

 

 僕はベッドから身を乗り出してスネイプ教授に語りかける。

 「スネイプ教授、待ってください。被害者はいません。僕は狼人間になってません」

 僕の反論を聞いた瞬間、スネイプ教授は以前の口論のときのような憤激をあらわにした。彼は目を剥き、声を張り上げる。

 「お前は自分がどういう状況か分かっていない! その傷は一体誰につけられたと思っているのだ? この、どうしようもない聖人気取りの愚か者が!」

 ものすごい剣幕だ。たとえこの先スネイプ教授が一生こちらに心を開いてくれることが無くなろうと、折れるつもりはなかった。今までで初めてじゃないかというくらいに強く、スネイプ教授に向かって怒鳴った。

 「分かっています!」

 スネイプ教授は僕の様子を見て、一瞬だけ動きを止めた。すぐさま彼の怒りが高まっていくのを感じながら、それでも僕はどうにかして反論を絞り出した。

 

 「確かに傷は酷く見えるかも知れませんが、ホグワーツではこんなの日常茶飯事でしょう? 今回は、ルーピン教授が人狼で、人間に対しては殺してしまったり、感染させてしまったりする危険性があるのが問題だっただけです。僕はそのどちらでもない……すぐに治るんですから……」

 言葉を口に出す中で、自分でも直ぐにこの主張の苦しさが分かってしまう。偶然による被害の軽減はルーピン教授の罪を帳消しにしない。問題なのは、被害の可能性を生んだルーピン教授の危機管理の甘さにあるのだから。勢いを失っていく僕に、スネイプ教授は再び笑みを取り戻しながら反論しようとする。

 

 けれど、まだ。それでも、諦められない。僕は今度はダンブルドアに懇願するように語りかけた。

 「ダンブルドア校長、原因は呪いです。『闇の魔術に対する防衛術』の職にかけられた……一年でその職についた教師はホグワーツを去らざるを得なくなる。だからルーピン教授は脱狼薬を飲むのを忘れてしまっただけなんです……」

 ダンブルドアの表情に、隠しきれない苦痛のような色が広がる。彼は首を振り、僕の願いを退けた。

 「君は、他の生徒が君と同じように傷つけられても、ルーピン先生が学校に留まることを懇願したじゃろうか。いいや、違うじゃろう。君なら、そもそもそのようなことが起きぬよう、策を講じるべき立場にあった人間の責任を問うじゃろう。ことが起こる可能性を看過した時点で、わしとルーピン先生の落ち度は明白じゃ」

 背中の傷が燃えるように疼く。痛みのせいか、僕の息は荒くなってきていた。ダンブルドアがこの態度をとっている以上、もう話の行先は決まってしまっていた。心はもう絶望感から逃れられなかった。それでも、頭を動かして言葉を紡ぐ。

 「違います……いや、そうだとしても、呪いがどのような結果を生むのか、誰にも予測できなかったのでは……」

 ダンブルドアは自分が手痛い反論を受けているかのようだった。それでも、彼は固い声色で僕の主張を否定した。

 「いいや、予測できたとも、間違いなく。そしてルーピン先生とわしはその可能性を甘く見て、今回の事態を引き起こした」

 ああ、そんな、こんな結末が欲しくて森の中戦った訳じゃないのに。僕は呻くようにダンブルドアに言いすがった。

 「でも僕の怪我は軽いです。治らないものじゃない。それだけで────たかが、この程度でルーピン教授の人生を滅茶苦茶にして良いわけがない! 彼だって好きで人狼に変身しているわけじゃないんです!」

 「ドラコ、もうやめてくれ」

 

 病棟の入り口にはルーピン教授が立っていた。いつも通り、酷くやつれた様子で、今はそれに加えてズボンの左腿に血が滲んでいる。僕がつけてしまった傷だ。ルーピン教授はベッドのそばにまで来ると、僕らに向かって疲れ切った顔で微笑んだ。

 「今回の件は、全て私の責任だ。私は折角、この二度とない機会を与えてもらいながら、軽率さでそれを棒に振ってしまった。どうしようもなく不注意で、教師になるべき人間ではなかった」

 僕は反論したかったが、スネイプ教授がそれを許さなかった。

 「では、ルーピン。貴様の許可も得たということでいいな? 貴様の秘密が日の下に晒されるだけのことをした自覚はあると」

 勝ち誇るスネイプ教授の言葉に、それでもルーピン教授は悲しげな微笑みで頷いた。

 待て。それでいいわけがあるか。もはやどうにもできない部分があるのは分かっていたが、それでも、僕はスネイプ教授に哀願した。

 「おねがいです。スネイプ教授、どうか、ルーピン教授が人狼だとばらすときに、彼によって僕が傷つけられたとは言わないでください。それが知られたら、めんどうなことになるのは僕です。流れる噂を、どうにかしなければならないのは僕です。去年の石化事件だって、一人の被害くらいまでなら揉み消せたんです。僕の傷は夏休みが始まるまでには癒えます」

 スネイプ教授は僕を全く理解できない生物のように見た。しかし、ダンブルドアがまっすぐスネイプ教授を見る視線に、忌々しげにため息を吐いた。

 「マルフォイが巻き込まれたという件を除き────よろしいですな、ダンブルドア」

 ダンブルドアは今度こそ頷いた。見る間にスネイプ教授の顔に喜色が広がっていく。彼は僕の方を見ることもなくマントを翻し、来た時よりも落ち着いた足取りで病棟から出て行った。

 

 ああ、駄目だった。僕はルーピン教授の持っていた希望を守れなかった。せっかく彼は教師になって、普通の人生を手に入れるチャンスがあったのに。黙りこくった僕のベッドの足元にルーピン教授は近寄り、じっと僕を見つめた。

 「君は……何もかもを自分の責任だと思いすぎだね。私のことも……ピーターのことも。シリウスやセブルスの手前、はっきりと表に出さないようにしていたようだけれど、君は本当のところ、私たちに罪があると思っているように見えなかったよ」

 優しい、疲れ切った声色だった。僕は何も返事ができなかった。

 「自分の落ち度がはっきり分かっている人間にとって、その優しさは本当に辛い。君が私を庇えば庇うほど、自分にはそんな価値がないと身に沁みて分かってしまう」

 「そんな……そんなことを言わないでください。貴方を追い詰めるようなつもりはなかったんです」

 絞り出した声に、ルーピン教授の声色が優しげに変わる。

 「責めているわけじゃないんだ。悪いのは私だし、私は今回君を傷つけただけじゃなく、君に助けられた。君のおかげで私は……君以外の人を傷つけずに済んだ」

 俯いたまま顔を上げない僕のそばに、ルーピン教授はしゃがみ込んだ。

 「私にこんなことを言う権利なんてない。だけど、私は、本当に心から、君が自分に無関係な人にすら優しさを向ける心を持ったままでいることを願っている。だから、もうこんな危ないことはやめて、自分を大事にしてほしい」

 ルーピン教授が本当に僕のことを気遣っているのは分かる。それでも、僕は力無くそれに反論した。

 「だったら、あの場でどうすればよかったんですか。僕は自分にできることがあったのに。誰かがあなたに立ち向かわなかったら、ハリーたちが噛まれていたかも知れない。それを黙って見過ごせって言うんですか」

 彼はまっすぐ僕の目を見て頷いた。

 「そうだね。だから、本当は私には君に何も言う権利はない。でも、君の前に危険が迫っているとき、君のことを大切に思っている人間のことを思い出して欲しいんだ」

 「……じゃあ、せめて、謝らないでください。僕が何か出来たって思わせて下さい」

 

 ルーピン教授は目を伏せ、それでも再び僕の顔を見て微笑んだ。

 「私に君以外の誰も傷つけさせないでくれて、ありがとう」

 

 「ダンブルドア、これから荷物をまとめます。昼過ぎには発つつもりです。──今回は、申し訳ありませんでした」

 ダンブルドアは無表情だった。彼はただ頷き、ルーピン教授が病棟から出ていくのを見送った。

 

 僕は酷く疲れ切っていた。起きた時には鈍っていた傷の痛みが再び体全体に染み渡っている。

 ダンブルドアは僕に向き直った。

 「君にはまた助けられてしまった。しかし、この礼も謝罪も後にさせておくれ。今は傷を癒すのじゃ」

 それに頷く元気もなかった。僕はただ傷に当たらないようベッドに倒れ、目を閉じた。

 

 

 

 

 


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