音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった   作:樫田

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炎のゴブレット
クィディッチ・ワールドカップ


 

 

 ホグワーツ4年目の夏休みは、去年よりずっと重苦しい気分で過ぎていった。近い将来に待つ、闇の帝王の復活を知る僕の中では、という但し書きは付くが。

 

 戦争を前にして僕は、マグル生まれやダンブルドア側を直接傷つける原因になる父の思想を、少しでも改めたかった。しかし、その試みは今までも取り組んで来たものだった上に、成果はかなり微々たるものだと言わざるを得ない。僕が十数年で父の考えを改められていたら、そもそも「秘密の部屋」事件など起きていなかっただろう。

 父は僕の進言に対し、人倫に則り融和的で尊いものだという姿勢は見せた。しかし、それだけだ。彼はそれを現実の行動に反映させることはなく、実情の見えていない14歳の子どもの思考だと真面目に受け取りはしなかった。

 確かに、そういった面があるのは事実だ。もし父が僕の考えに完璧に基づいて社交の場で振る舞うようなことがあれば、純血一族の代表格としてのマルフォイ家の価値は失墜し、手にできていたはずの発言権すら失ってしまうことだろう。身内に対してすら内心を隠しながら、議論を暗に僕の望みに沿わせてくれるほど、父からの理解を得るのは困難だった。

 

 その上、闇の帝王が戻ればそのそばに侍ることになる父は、忠誠の確認のために心を覗かれる可能性がある。ダンブルドアに追従するような意見や未来への危機感を父に開帳しすぎて、親子共々墓穴を掘るような事態に陥るのは避けなければならない。しかし、その慎重な姿勢では父を説得し切ることはできない。正直言って詰みだ。

 今の僕にできるのは、精々父が死喰い人の実働隊に組み込まれないよう、祈ることだけだった。

 

 

 

 僕の気持ちとは裏腹に、イギリス魔法界は二つの国際的なイベントの開催を目前にして沸き立っていた。一つは、クィディッチ・ワールドカップ。もう一つは三大魔法学校対抗試合だ。後者はまだ発表されていない情報ではあるが、魔法省の上層や国際的なイベントに関わる人々であれば、既に耳にしている人が殆どだろう。

 

 両方とも大きな行事だが、ワールドカップは別格だ。十万人もの魔法使いが、全世界からイギリスに群れを成してやってくる。そもそも魔法界は人口がメチャクチャ少ないので、冗談抜きでイギリス魔法界の人間のほとんどが、ワールドカップを直接に観戦することになる。

 たかがクィディッチなんぞのために……と、かつての僕なら思っていただろう。今だって思っている。しかし、娯楽に乏しい魔法族のクィディッチ愛というのは、僕の方が間違ってるのかもしれないと思わせるほどの迫力がある。マグルに感知されることを避けて、二週間前から現地に入ってキャンプ場で開催を待たないといけない観客もいるのに、試合さえも数日に亘る可能性があるという狂いっぷりだ。二十日近く仕事を休む可能性を容易に許容するところが、魔法界クオリティである。

 

 マルフォイ家は人数も少ないし、良いチケットをファッジ魔法大臣に融通してもらったので、試合開始直前に姿現しで現地入り、という形でも良かった。というか、僕はそうして欲しかった。

 しかし、体面や社交を軽んじては純血一族の名折れだ。我が家は一日前に現地入りし、無駄に立派な城のようなテントを屋敷しもべ妖精に張らせた。テントの前には父のペットの孔雀まで繋がれている。魔法族の中でも古い家柄なのに、父の趣味が妙に成金みたいなのは一体何故なんだ。

 

 僕も学校の友人たちと出店を冷やかしたりできたので、完全に無為な時間というわけではなかった。しかし、このキャンプ場がどのように運営されているのかを目の当たりにした時は、流石にこのイベントが心底嫌になってしまった。

 

 

 繰り返しになるが、魔法族は人数が少ない。10万人を一時的にでも収容する施設などイギリス魔法省は持っていない。そこで、臨時かつ簡易的な宿泊施設として考えられるのが、魔法のテントを使ったキャンプだ。

 けれど、魔法族には「キャンプ場でキャンプをする」という文化はない。自然の中で戯れたければそこらへんで野宿でもしてろ、というのが可能なのが魔法使いである。故に、魔法族には多人数が集うキャンプサイト運営のノウハウはないのだが、それが今回僕を心底不愉快にさせた出来事の原因となった。

 

 

 魔法省はキャンプサイト管理を、そのままその場にいたマグルの管理人に任せることにしたのである。

 

 

 今回のワールドカップ開催に際して、父を始めとする反マグル派は、開催地周辺から全てのマグルを追い出し、なんなら以降もその他の用途地として開発すべきだと主張した。

 けれど、マグルを魔法使いの事情でその場を去らせるのは、一時的であっても「非人道的」であるという理屈で、その提案は却下された。マグルのキャンプ場管理者は、機密保持法を頭に留めて置けない愚かな魔法使いたちのやらかしを忘れてもらうために、頭に大量の忘却呪文を喰らい、キャンプサイト運営の仕事を続けさせられている。

 

 実際のところ、ただでさえマグル避けや魔法使いの移動の調整に人員を割いており、これ以上キャンプ場の管理者の手配に人手を回したくない魔法ゲーム・スポーツ部や国際魔法協力部の怠慢が、こんな非人道的な事態を招いたのだろう。

 現場に来てみれば、そのマグルに呪文をかけ続ける人間を配備しなくてはならないという点でも、本末転倒な拙策だ。

 

 連中は忘却呪文さえ掛けていれば、忘れさせた記憶がその人にとってどれだけ大事であろうと、マグルの人権を保護できていると考える浅慮の偽善者だし、ほとんどの魔法族は概ねその意見に同意するだろう。

 あのマグル保護の最前線を走っているウィーズリー氏とて同じだ。美しいパターナリスティックな「マグル保護法」が望まれようとも、彼らがマグルを同じ心を持つ人間だと見做しているわけではない。

 人の思考の根拠であり、意思決定の判例となる「記憶」を叩き潰すことに対し、マグル権利保護論者は、魔法族の存在を明かすべきではないという正論を掲げ、正当化する。

 もし、本当にマグルが魔法族と同じ人権を持つと考えているなら、致命的なダブルスタンダードだ。

 

 魔法使いとマグルは同種の生物ではない。魔法使いはマグルの世界を軽んじ、必要であれば他国の首相に錯乱の呪文を掛けることも、全く厭わない。その現実が示す意味を本当に踏まえた上で、なおマグルへの愛を掲げている人物を、僕はダンブルドアを含めて知らない。

 どうしようもなく未開な僕ら魔法族が、マグルに対して本当に誠実であろうとするなら、最初に取るべき策は無策に親交を深めることなどでは断じてない。

 二つの世界を隔離し、魔法界の人権意識を根本的に更新し、「人の記憶を消したり操ったりするのは悪いことです」という当然の事実をマグルにまで適用する。さらに、それがルールとして徹底されているとマグルが信じられるほどに制度化した果てに、ようやく我々は非魔法族と議論の席につく正当性を得る。

 

 そして、誰もそこまでしようとはしない。ほとんどの魔法使いにとって、マグルは愛玩される可愛い「何も知らない」隣人でしかない。元マグルの僕としては歯痒いことだが、この価値観を根本的に変えようとしても、魔法族は自分達に対してすら人権意識が希薄だ。それこそ何十年というスパンで、実行力を伴った改革を行う必要があるだろう。

 

 それまでは、この反吐が出る状況を看過するしかない。

 僕は魔法省の役人にオブリビエイトをかけられているロバーツという名の管理人に対し、内心で謝罪しながらその場を後にした。

 

 

 正直、このグロテスクな現実に気分が萎えてしまい、僕は帰りたい気持ちでいっぱいになっていた。けれど、今回はコーネリウス・ファッジ魔法大臣からの招待だ。ダンブルドアに対して感情的に反目する、鴻鵠の志を知らない燕雀である彼に取り入っておけば、ダンブルドアを陰ながら支援することも可能かもしれない。そのチャンスをみすみす捨てるわけにはいかなかった。

 僕はテントの中の自分の部屋(マルフォイ家のテントの中はタウンハウスのような豪勢さだ)でビンクにぐちぐちと魔法省への不平を漏らしながら、試合が始まるのを待った。

 

 

 

 翌日の夕方、いよいよ試合開始を目前にして周囲も盛り上がっていた。特設スタジアムのある森まで、人が列を成して歩いていくのが見える。僕ら一家はある程度人足が落ち着いたところでスタジアムまで姿現しした。空中で行われる競技にふさわしく、ピッチを取り囲む観客席は高層ビルのように高く空へ聳えている。その割に幅は薄く、「マグル的価値観」で言えば今にも折れそうで恐ろしい。最上階の貴賓席へ向かうため、長い階段を僕らは登って行った。

 

 

 招待されたボックス席の前方は、既にある程度埋まっていた。後ろからでも分かる、燃えるような赤毛の一団はウィーズリー家だ。ハリーとハーマイオニーまでいる。失礼な話だが、アーサー・ウィーズリー氏がこんな大人数のチケットを用意できている事実に、僕は内心意外さを感じてしまった。

 

 丁度僕らの前に席に来たらしいコーネリウス・ファッジが隣の魔法使いと何やらごちゃごちゃと話している。僕らが来たのに気づいたのか、彼はこちらを振り返って笑顔を浮かべた。

 「ああ、ルシウスのご到着だ! いや、待っていたよ」

 父はゆったりとファッジのところへ歩いて行き、握手をする。

 「ああ、ファッジ。お元気ですかな? 妻のナルシッサとは初めてでしたな? 息子のドラコもまだでしたか?」

 ファッジは微笑みを浮かべ、僕らに挨拶をした。

 「これはこれは、お初にお目にかかります」

 「お会いできて光栄です。ファッジ魔法大臣」

 ファッジと話す僕らに気付いた、前の席のグリフィンドール三人組が振り返る。ハリーとロンは僕に向かって手を振ろうとしていたが、僕の父の存在を認めたハーマイオニーから鋭い肘鉄を喰らって撃沈していた。かわいそうだが、ハーマイオニーの気遣いはありがたい。僕は周囲の大人にばれないように、彼らに対して小さく微笑んだ。

 

 

 僕らに対し温かく歓迎してくれたファッジは、隣にいた魔法使いを手で示した。

 「ご紹介いたしましょう。こちらはオブランスク大臣──オバロンスクだったかな──ミスター、ええと──とにかく、ブルガリア魔法大臣閣下です。どうせ私の言っていることは一言もわかっとらんのですから、まあ、気にせずに」

 他国の元首に対して、なんて無礼な人間なんだ。英語が分からないからといって、最低限の礼節は持つべきだろう。頭痛がしてくる。隣にいるオブランスク大臣も心なしか不機嫌そうな顔だ。

 幸い、ブルガリア語は南スラヴ系の言語を一気に習得した際に、簡単には勉強していた。僕は自分の稚拙さに怯える心に蓋をして、ブルガリア魔法大臣に彼らの言葉で挨拶をした。

 「Добър вечер, Ваше превъзходителство, министър на магията. За мен е чест да се запозная с вас.」

 オブランスク大臣は少し目を丸くした。しかし、隣のファッジの方が食いつきが良かった。

 「おお、ルシウス、貴方のご子息はブルガリア語がお出来になるのか? それは結構! オブランスク大臣との間にすわってくれ……」

 こいつは一国を代表する魔法大臣としての自覚がないのか。言葉が分からなくて困り果てているからって、他国元首の対応を十四歳の子どもに任せるなんて、無責任にも程がある。常ならば絶対に断っていた。

 しかし、今は僕の稚拙なブルガリア語でファッジの機嫌が取れるなら、大いに結構なことだ。オブランスク大臣には申し訳ないが、僕のゴマスリに付き合っていただくしかない。僕はできるだけ丁寧なブルガリア語で、再度彼に話しかけた。

 

 「申し訳ありません。ファッジ大臣がブルガリア語が少しでもできる人間がいいだろうとお考えで……お隣、よろしいですか?」

 横に恐る恐る腰を下ろそうとした僕を、オブランスク大臣はじっと見つめる。少し間があり、彼は先程までよりもはるかにゆっくりとした、聞き取りやすいブルガリア語で話し出した。

 「構いませんよ。私の名前がオブランスクかオバロンスクかなどと言っている人間に、隣に座り続けられるのは不愉快でしたから」

 僕はギョッとしてしまった。この人──英語が分かってるじゃないか! 僕の右隣から、ファッジが「それで……オブランスク大臣は何とおっしゃってるのかな? 先程からガアガアと言うばかりで敵わなくってね」などとほざいている。頼むから黙っていてくれ。

 血の気がどんどん引いていく中、僕は何とか笑顔を取り繕ってファッジに返事をする。

 「すみません、同時通訳はしたことがなくて……」

 オブランスク大臣がそれを遮って言う。

 「何も言わなくて結構ですよ。ファッジ大臣は『ガアガア言うばかり』の私から解放されて安心なさるでしょう」

 背中に冷や汗が流れていく。怖いよ。めちゃくちゃ怒ってるじゃん。僕はクィディッチ・ワールドカップに来たことを、かなり後悔し始めていた。

 

 僕がアタフタしているうちに、ファッジはピッチの方に夢中になってしまった。試合前のパフォーマンスのために入場してきたブルガリアのマスコットはヴィーラだったのだ。男性には強力な誘惑をもたらすが、閉心のテクニックを使えばそこまで影響を受けることはない。しかし、それは横のオブランスク大臣も同じだった。ヴィーラに熱狂する男性とそれを眉を顰めて見る女性の中で、僕らだけが異様な雰囲気を放っていた。

 なんて凄まじい空間に放り込まれてしまったんだろう。自国の魔法大臣が死ぬほど無礼を働いた後の他国の魔法大臣と、ほとんど一対一で話さなければならない。拷問かな? ファッジが全く気づいていない重苦しい沈黙の中、僕は恐る恐るオブランスク大臣に話しかけた。

「あの……僭越ながら、ご自身でファッジ大臣とお話しになった方がよろしいのでは……」

 彼はそれを聞き、皮肉げに笑った。

 「こちらの言葉を知る価値を認めていない人間に、どのような言葉をかけろと言うのでしょうね?」

 「…………大変失礼致しました」

 もう、縮こまらざるを得ない。クソファッジ、何でこんな状況になるまで通訳を用意しなかったんだ。無能無能とは思っていたがここまで能無しだとは。父は何でこんな無礼な愚物の後援などしているのだろう? 無礼な愚物で御し易いからか?

 冷や汗をかいて謝罪する僕に、オブランスク大臣は少しだけ態度を和らげてくれた。

 「謝らなくて結構。君が悪いわけではない」

 確かに、僕にどうすることもできない問題ではあるのだが……しかし、この非礼の投げ売りの中で平然としていられるほど、僕は厚顔ではなかった。

 「いえ、折角の外交の場を潰す人間を魔法大臣に据えていることを、イギリス魔法界の一人として、謝罪させてください」

 

 オブランスク大臣はまだかなり軽蔑の滲む微笑みを顔に浮かべていたが、一応鷹揚に頷いてくれた。

 「…………そうですね。我々としては、少々失望したと言わざるを得ないでしょう。勿論こちらも通訳を用意すべきではあったのですが、この席にご招待いただいたのは私だけでね。貴賓席を追加して欲しかったのですが、断られてしまったようだ」

 「……お恥ずかしい限りです」

 「いえ、あなた方の内輪でも席のやり取りには色々とあるのでしょう。前に座っているのは、ハリー・ポッターですね?」

 先程このボックス席に到着したとき、ファッジがオブランスク大臣にハリーを紹介しているのは見えた。相変わらず子供を利用する気に満ち溢れた下劣な人間だ。

 それにしても、ハリー達はかなり大人数のご一行だ。初めて顔を見る人もいる。ウィーズリー家のホグワーツを卒業した兄達だろう。赤毛の八人にハーマイオニーとハリーを合わせて、十人もいる。……まさか、ハリーを招待するためだけに、わざわざこの貴賓席のチケットを用意したわけではないよな? ……だとすれば、貴賓席の不足の原因は、完全にイギリス魔法省側の身勝手な都合であることは明らかだった。

 

 「彼は、マグル製品不正使用取締局局長のウィーズリー氏を経由して、招待を受けたのでしょう。ファッジ大臣やバグマン氏は、それで大人数のウィーズリー家に加えて、更にチケットを融通なさったのかも知れません。

 ……国内の見栄の張り合いで、外国からの客人を閑却したことを、どうかお許しください」

 もう勘弁して欲しいものだ。コーネリウス・ファッジ、どうか今すぐバグマン氏と共に辞職してくれ。

 縮み上がる僕に、オブランスク大臣は愉快そうな視線を向けた。

 「繰り返しになりますが、君のせいではない。自分の手にない事柄の責任を負おうとするのは傲慢です。

 ……ファッジ大臣はハリー・ポッターまで駆り出して、人気取りに必死のようですね? シリウス・ブラックの件ですか」

 彼は少しずつ機嫌を直してくれていた。本当にありがたい。僕はようやく世間話程度の雰囲気で彼に話した。

 「それもあると思います。どうやら……冤罪であった可能性がとても高いという話なので。ペティグリューの生存が分かった今では……」

 さりげなくシリウスの無実をアピールしておく。外国の魔法省が直接口出しすることはないだろうが、シリウスを即処刑しづらい風潮は作っておくに越したことはない。

 

 僕の言葉に、オブランスク大臣は肩をすくめた。

 「十三年前のイギリス魔法界の騒乱は酷いものでしたからね。

 まあ、君のような若い子にしてみれば、そのとき手を差し伸べなかった諸外国の我々には何も言われたくない、そう思うのではないですか?」

 魔法大臣という地位の割に、中々はっきりとものを仰る方だ。僕は思わず苦笑して答える。

 「いえ……イギリス魔法界だって、他国でそういったことが起ころうと、手を差し伸べるとは思えませんから」

 

 オブランスク大臣はふっと笑い、ピッチの方に目をやった。

 「……そうですね。君はクィディッチには興味がないのかな?」

 気がつけば、すでに試合は始まっていた。僕は慌てて大臣に謝る。

 「失礼しました。折角のご観覧の機会に……」

 彼は僕の言葉を手で制した。

 「私のことは気遣わなくて結構。もとより試合を見るためだけに来ているわけではありません」

 やっぱり外交目的もあったんだなあ。だったら、イベントの前後に会談の席を用意したらいいのにと言いたくなるが、恐らくその機会を踏みにじったのはファッジだ。開催地の準備にてんやわんやでそこまで気が回らなかったのなら、やっぱり魔法大臣の器ではないと言わざるを得ない。

 できるだけこの貴賓の機嫌を損ねないよう、言葉を返した。

 「……クィディッチを全く見たいと思わないわけではありませんが……、どうしてブルガリア魔法大臣とこのようにして話せる機会より価値があると思えましょうか?」

 オブランスク大臣は大きく息を吐いた。

 「そうですね。私達もまた、良い外交の機会だと考えていました。せめてバーテミウス・クラウチ氏がいらっしゃっていれば、少しは得るものがあったのだろうが……残念です」

 

 確かに、国際魔法協力部部長のクラウチ氏がこの場には最も適当な人員と言えるだろう。近くに一つ空いた席があり、その隣には怯え切った屋敷しもべ妖精が座っている。クラウチ氏は席取りを妖精にやらせ、自分はどこかに行ってしまったらしい。僕はこの状況から自分を救い上げる蜘蛛の糸を見出し、オブランスク大臣に尋ねた。

 「クラウチ氏を探してきましょうか? といっても、彼の屋敷しもべ妖精に頼む、ということにはなりそうですが」

 しかし、大臣は無情にも提案を断った。

 「いいえ……彼は多忙だそうなのでね。

 この席に穴を空けた以上、クラウチ氏も実りある話を私としたいとは考えていないのでしょう。であれば、期待はしないほうがいい。我々はせっかくの機会を浪費したくはない」

 大臣はすっかりイギリス魔法省に失望し切っているようだった。怖すぎる。僕はもう泣きたかった。

 

 

 一度言葉を切ったオブランスク大臣は、僕の顔を再びじっと見た。

 「君はルシウス・マルフォイ氏のご子息なのですね?」

 この場を僕と話す席にしてしまうつもりなのだろうか? 恐れ多いことだが、父の権力を考えれば全く理解できない話ではない。と言っても、僕はまだ十四歳なのだが。

 「はい。といっても、それだけの子どもでしかありませんが」僕は謙遜を交えながら相手の出方を伺った。

 「いいや、君もわかっているだろうが、ここで将来マルフォイ家を継ぐ君と面識を持てるのは、収穫と言えます。ついでに、君はずいぶん責任感の強い子のようだ。未来のために恩を売っておく相手としては、悪くありません」

 「多大なるご評価、痛み入ります」

 ファッジとの落差でずいぶん好意的な印象を頂けたようだ。ありがたいような、肝が冷えるような、何とも言い難い状況だ。

 

 

 オブランスク大臣はピッチの方に目をやりながら、話を続けた。

 「どうですか? 君から見て、今のイギリス魔法界は」

 ただの世間話のようだが、彼のこちらに対しての印象を確かめ、ある程度都合よく曲げるには丁度いい質問だった。僕は慎重に言葉を選び、意見を紡いでいく。

 「ファッジ大臣は……決して完全な無能というわけではありません。けれど、私の父やアルバス・ダンブルドアといった権威に縋ることを覚え過ぎたのかも知れません。

 ブラック脱走のような緊急時の際にも吸魂鬼を駆り出すばかりで、脱走方法の調査などの有効な策を取る冷静さは欠けていたと言わざるを得ません」

 ファッジをちらりと見て、オブランスク大臣はため息をつき笑った。

「そのようですね。任期が終いに近付くと、延命にばかり気が行ってしまって、目の前の事態に対処できなくなる政治家は珍しくありません」

 僕も思わず苦笑してしまったが、できるだけ真面目な口調で話を続ける。

 「彼のような人間が有事のときに魔法大臣のままでは、イギリス魔法界は窮地に立たされることになるでしょう」

 

 

 

 僕らの視線に気付いたのか、オブランスク大臣側ではない隣に座っていたファッジがこちらを伺い始めた。

 「えー、ドラコ、ブルガリア魔法大臣は何を言っておられるのかね?」

 妙なところで勘が鋭い奴だ。僕はオブランスク大臣の方に振り返り、何を言うべきか伺った。彼はまた皮肉げに笑った。

 「適当に別のことについてだと言っておいて下さい。私はクィディッチを見ますので」

 オブランスク大臣はすっかりファッジに愛想を尽かしたようだ。まさか僕に丸投げするなんて。

 

 

 けれど、これはいい機会だ。僕がファッジに取り入っておけば、ダンブルドアに敵対しているポーズを見せながら、ダンブルドアを支援できる。勿論学校内の事だけにはなるだろうが……幸いなことに、14歳のガキと言えどルシウス・マルフォイの息子に対して、ファッジはある程度寛容な姿勢だ。ここで反ダンブルドアの味方として、ホグワーツに在籍する発言力がそれなりにある人間だと見てもらえることができれば、そんなに美味しいことはない。

 僕は気持ちを切り替えて、ファッジに出来るだけ好印象を与えるように微笑んだ。

 

 「学校のことについて、色々お話しさせていただきました。ファッジ大臣は、去年度のホグワーツでの授業アンケートの実施のこと、お耳になさいましたか?」

 ファッジは記憶をどうにか掘り起こそうとしているようだ。

 「あー、確か、そんな話があったような……どうせ、ダンブルドアが何かやり始めたのだろう?」

 彼はやっぱり詳しくは知らなかったらしい。まあ、ホグワーツ内でだけの話だし、当然だろう。

 しかし、これは好都合だった。ダンブルドアと僕が敵対しているように見せれば、この人はきっと僕のアイデアを実施するための後押しをしてくれる。実際にはダンブルドアは僕のやることに賛成しているわけなのだから、改革のためにはかなり理想的な状況が作れるはずだ。

 ダンブルドア、貴方を悪役に仕立て上げることをお許しください。

 僕は心の中で彼に謝罪しながら、ファッジに対して困ったような微笑みを向けた。

 「いえ、あれの発案は僕だったのです。本当は全体で実施したかったのですが、一部の先生方の反対に遭ってしまい、ダンブルドアも、それならば無理だと……」

 ギリギリ事実だ。正確には、成果が出る来年もう一回チャレンジしてみようという話だったのだが、それを言わなければ、まるでダンブルドアが僕の意見を潰したがっているように聞こえるだろう。

 ファッジの顔には、自分に対して上から目線で話をする人間の欠点を見つけられた悦びが見る間に広がった。そう仕向けておいてなんだが、全く卑しい人間だ。

 

 彼はこの餌にどう飛びかかろうと考えているのか、少し考えながら言葉を紡ぐ。

 「それは……けしからん。生徒が折角学校を良くしようとしているのに、ダンブルドアときたら……」

 この機を逃すわけにはいかない。僕は追い討ちをかけた。

 「今年度こそ、全体で実施したいのです。

 あと、『闇の魔術に対する防衛術』の教師がコロコロ変わっている問題もあるではないですか。実は一昨年の、詐欺師であることが判明したロックハートの授業は、生徒が手伝っている部分も多かったのです。

 僕も、その一人でした。だから、思っていたんです。少しは何か指針を作って授業内容を決めるべきだと。ダンブルドアは越権だと思うかもしれませんが……」

 ファッジは今にも涎を垂らしそうな顔をしている。事実だけを話しているつもりだが、この愚物にダンブルドアを責める口実を与えている現実に、僕は心の痛みを隠しきれなくなってきた。

 

 「君の言う通りだ! ダンブルドアはけしからん……」

 僕はファッジの言うことを聞きたくなくて、失礼にならない程度に話を切り上げさせ、自分の意見を語った。

 「でも、彼を表立って批判したら問題になるでしょう? だから、僕に科目で教える内容の要領の提案をさせていただきたいのです。

 もちろん、僕はまだ四年生ですから……全ての科目どころか、防衛術だけだって全学年は難しいでしょう。それに、いきなりこれでやれ、といった命令も先生方から反発されてしまうでしょう。せめて、今までどのような教育がなされてきたのか、過去何年か分調査し、より良い教育のあり方を考える機会でもご提供できたらと思いまして……」

 

 流石にいきなりの提案に、ファッジは顎に手を当てて考え込んでいる。もう少し、美味しい餌が必要なのだろう。

 僕は再び媚びるように微笑み、彼にまともな思考を取り戻させないように話を進める。

 「閣下、これは、どうも過小評価されがちな貴方の手腕を示す、絶好の機会にもなると思うのです。ホグワーツはどうしても旧態依然としたところがありますから……より先進的な魔法省の態度を示すというのは、価値があるとお思いになりませんか?」

 「フム……じゃあ、ルシウスだけでなく、私の方からもホグワーツの理事会に掛け合おうか。いつ頃、その調査書をあげられるかね?」

 「新学期に入りましたら、十月になるまでにお送りいたします。閣下、僕はホグワーツに入ってから貴方ほど懐の広い大人に初めて会ったかもしれません」

 暗にダンブルドアよりも寛大だと言う僕の言葉に、ファッジは気をよくしてくれた。全く、ダンブルドアへの対抗心でここまで乗せられやすくなるなんて、つくづく上に立たせておきたくない人間だ。

 僕は悦に入っているファッジに見えないよう、呆れて目をぐるりと回した。

 

 ふと前を見ると、ハーマイオニーが笑いを噛み殺しながらこちらを向いているのが見えた。聞こえていたのだろうか?

 隣のロンは「相変わらず何かやってるよ」と言わんばかりの顔だ。僕だって自分の尊厳と矜持をかなり削ってこの愚物に阿っているのだ。ほっといてくれ。

 彼らからの視線を無視し、僕は再びファッジに対してゴマスリを始めた。

 

 試合は心配していたよりはるかに短く終わった。アイルランドの勝利。ブルガリアは、シーカーのクラムがスニッチを獲ったものの、クアッフルでの点差はひっくり返せなかった。

 チェイサーの身としては、珍しく自分のポジションがまともな意味を持った試合に、ほんの少しだけ喜ぶ気持ちが湧く。まあ、僕は試合をほとんど見ていなかったのだが。

 オブランスク大臣が英語が理解できることを明かしたために怒ったファッジの声を右から左へ流しながら、僕は貴賓席に入ってきた選手たちをぼんやりと見ていた。

 

 ボックス席から次々に出ていく人の中、僕も両親のところに戻ろうとしたとき、オブランスク大臣が声をかけてきた。

 彼は相変わらず少し恐ろしい雰囲気を纏わせながら、それでも僕に向かって微笑み、ブルガリア語で話す。

 「ファッジ大臣については期待外れだったと言わざるを得ませんが、君との会話は有益でした。将来、君のような人間がイギリス魔法界を代表する存在として、我々の前に現れることを期待しています」

 多大すぎる期待だ。けれど、謙遜を抑えて僕は微笑んだ。

 「光栄です」

 相変わらず何を話しているんだと言う視線を向けているファッジを躱し、僕は下へと続く階段を降りた。

 

 

 


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