音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった   作:樫田

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闇の印

 

 

 

 試合が終わってテントに戻り、僕はビンクと共にダラダラしていた。母は先に屋敷に帰ってしまったし、父は友人と酒盛りだそうだ。暇である。こういうとき、ウィーズリー家はさぞ賑やかなんだろうな、と一人っ子の僕としては羨ましく思う。明日の朝、幼馴染二人とダイアゴン横丁に直接キャンプ場から行く約束をしていたので残ったが、僕も帰って良かったかもしれない。

 

 

 何となく眠る気にもなれずお茶を飲んでいると、外がにわかに騒がしくなった。何事かと思い様子を窺うと、遠くに魔法使いの一団が行進しているのが見える。嫌な予感がして、クィディッチ観戦のために持ってきていた、クラッブから貰った双眼鏡を引っ張り出した。目を凝らして暴動の中心を覗き込む。彼らの頭上には何か、大きな塊が四つほど浮かべられている。────マグルのキャンプ管理人一家だ。

 良識ある魔法使いたちはその集団から離れるために逃げ惑い、差別主義者たちは下卑た笑い声を上げながら列に加わっていく。集団は目の前のテントを杖で吹き飛ばしながら、仲間を増やし、こちら──純血一族のテントが張られた場所とは反対の方向に行進を続ける。

 その集団の核の人間は、特徴的な黒いフードを被り、仮面をつけていた。あれは死喰い人の格好だ。ということは……

 

 いまだに帰ってきていない父があの列に加わっている可能性はかなり高い。僕は思わずその場に崩れ落ちそうになった。

 ああ、父上…………なんて下劣な…………

 情けなさで泣きそうだ。勘弁してくれ。

 

 父が何を考えてこんな真似をしているのかは、何となく予想がつく。この世界中から魔法使いが集まっている場で、マグル絡みの事件を起こすことでマグル排除の口実を作りたいのだろう。魔法使いがマグルと接近して良いことなどないのだと、マグル擁護の観点すら内包して主張するための前例。

 どうせ非魔法族に「ちょっと悪戯」した程度で、父が暴行致傷で捕まることなど絶対にないのだから、マグルは虐め得だとでも思っているのだろう。

 これだけ魔法族がいれば、その中にはマグルに対して偏見と差別意識を持つ人間が大量にいる。今あの行進に加わっている人間だけではない。逃げて行く人々の中にだって、「マグルを魔法使い達の中に放り込むからああなるのだ」と考える人間は少なくないだろう。稚拙な公正世界仮説だ。

 

 今すぐ父を止めに行きたいが、あの死喰い人たちの中に突っ込んでいってロバーツ一家を助け出したりしようものなら、僕の立場は修復不可能になる。父のろくでなしさと自分の無力さに、ひどい頭痛がしてきた。

 ただ、幸運なことにあたりにはまだ魔法省の役人がウヨウヨいるはずだ。暴動の主犯たちを鎮圧するのは彼らがやってくれるだろう。

 

 だが……これが今年の最初の「イベント」なのか? この突発的で、今後ホグワーツに関わりそうもない事件が? 一年目のグリンゴッツ破り、二年目の父とハリーの書店での対面、三年目のシリウスの脱獄。後から関連性に気付いたものの方が多いが、全てその年のクライマックスに関わる出来事だった。

 父がまた何か企んでいる可能性はゼロではない……しかし、二年前のことがあった以上、ホグワーツで再びことを起こす真似をするほど軽挙な人ではないはずだ……そう思いたい。

 もし、今回の事件が父以外のところでハリー・ポッターの物語に関わるのなら、彼らを守るためにも、今後の方針を考える手がかりを得るためにも、ハリーたちの状況が分かるところにいたい。

 けれど、今年の「何か」がクィレル教授のように闇の帝王に直接通じている場合、敵対の姿勢を悟られるわけにもいかない。

 

 しかし、ここで指を咥えて見ていることが最善だとは思えなかった。

 

 死喰い人に目をつけられない、純血の魔法使いのためにもなるような行為なら出来るはずだ。せめて避難誘導でも手伝えないか、そこでハリー達を見つけられないかと、僕はテントにビンクを残し、人々が逃げてゆく姿現しのための森に向かって走った。

 

 

 

 森の中は外国の魔法使いで溢れていた。言葉も分からない中で一緒に来た人を見失ってしまったらしい人も多くいる。この場の状況が分かっている複数言語が使える人間は多少は役に立つだろう。

 

 迷子になったフランス人の子どもの保護者を見つけ、次に手助けが必要な人を探す。そこに、後ろから声をかけられた。

 「ドラコ! 君、何してるの?」

 振り向いてみると、幸運なことにグリフィンドールの三人組だ。彼らは走ってきたのか、息を切らしてこちらを見ていた。あれだけ沢山いた兄達は、彼らの周囲には一人もいない。

 周囲の騒がしさに負けないよう、僕は少し大きな声で返事をした。

 「外国人の避難誘導! 君たちこそ、保護者はどうしたの?」

 「逸れちゃったんだ。フレッドとジョージを見なかった?」ロンが答える。

 「見ていない。イギリスの魔法使いの一団はもう少し奥の方にいたような気がするけど」

 

 僕の言葉に、三人組は先に進もうと考えたようだ。一度僕を通り過ぎたところで、ハリーがこちらを振り返った。

 「君もここでフラフラして、あの連中に目をつけられたら危ないんじゃない? 一緒に行こうよ」

 本当に優しい子だ。しかし、今はその気遣いが胸に突き刺さる。思わず、言葉に詰まってしまった。

 「……いや、僕は大丈夫だ……と、思う……」

 歯切れの悪い言葉に、ハリーとハーマイオニーは顔を見合わせた。ロンはすぐに事情に勘付いたようで、険しい顔を僕に向ける。

 「ドラコ、まさか……あの中に君のパパがいるって言わないよな?」

 そりゃあ、アーサー・ウィーズリーの息子なら思い当たるよなあ。ド直球の質問に一瞬、答えに窮してしまった。三人とも怪訝な顔でこちらを見ている。

 

 「…………知らない…………僕を置いてどこかにお出かけになったから…………」

 僕はロンの目を見ることができないまま、弱々しく言葉を返した。

 僕らの間にしばらく重たい沈黙が落ちる。事情に思い当たったハリーとハーマイオニーが厳しい顔をして僕に詰め寄った。

 「ねえ、君! 本当にペティグリューをとっ捕まえてシリウスの所に行くことを考えた方がいいよ!」

 「お父様に育ててもらった恩があると思っているのかもしれないけれど、それに縛られるのはあなたにとって良くないわ!」

 それができたら苦労はしていないんだ……僕は罪悪感のあまり反論もできず、三人組から顔を逸らして項垂れた。

 

 

 なんとか気を取り直し、彼らに逃げるよう促す。一緒に行きたい気持ちもあるが、ここで合流してしまっては言い逃れが難しい。

 「君たちと一緒にいるところを、連中に見られると厄介だ。ほら、森の奥に行って」

 ロンは僕の言葉を聞いて、何か思いついたようだ。

 「君も一緒に来たらいいじゃないか! ほら、あのワンちゃんになってさ」

 ……正直魅力的な提案だ。僕は誰にも姿を見られることなくハリー・ポッター達を見守ることができる。いや、でも、今ここで犬の姿を公衆の面前に晒していいのだろうか? 人のままでハリー達といるのと、犬になってハリー達といるの、どちらが最悪の場合、致命的なミスになるだろう? マクゴナガル教授との約束もあるし…………

 ぐるぐると考え込む僕を知ってか知らずか、ハーマイオニーはキッパリとした口調で言う。

 「ダメ。あなたのそれはできるだけ使わない方がいいわ。法律違反だもの。フードを被ったら誰か分からないわよ」

 そう言うとハーマイオニーは僕の頭にフードを被せる。流石、彼女は冷静だ。ただ、この格好は正直ちょっと怪しく見える気がする。僕の物言いたげな様子を無視して、ハリーとハーマイオニーは僕の袖を引っ張って歩き出した。

 

 気がつけば三人と一緒に行く流れになってしまった。僕らは小鬼やヴィーラの集団を追い越し、さらに森の奥へと向かう。歩き続けて行くうちにあたりの人が減り、僕ら四人だけになった。

 結局、その場で誰かが来るのを待つことになり、僕らは道近くの空き地に座り込む。

 

 「みんな無事だといいけど」ハーマイオニーは心配そうだ。

 「大丈夫さ」ロンが軽く答える。

 「父もそこまで大事にしたくはないだろうから、少なくとも魔法使いに致命的な被害は出ないと思う……」

 僕の弱々しい言葉を最後に、その場に沈黙が落ちた。

 

 ロンは暇つぶしに、ポケットに入れていたビクトール・クラムの人形を地面で歩かせ始めた。

 ハリーもそれを目で追いながら口を開く。

 「ロンのパパがドラコの父親を捕まえたらどうなるかな。おじさんは、ルシウス・マルフォイの尻尾をつかみたいって、いつもそう言ってた」

 魔法省がそれほど有能だったら話はずっと簡単になっていただろう。僕は苦々しい思いで言葉を返す。

 「あんまり当てにならないな……今までだって捕まえられてないんだから。父も逃げられると思ってやってるんだろうし」 

 

 

 話を聞いていたハーマイオニーが僕の方をじっと見つめた。

 「ねえ、ドラコ。あなたはペティグリューのことも擁護してたけど、あんなことをしているかもしれないあなたのお父様も、庇えると思っているの?」

 答えるにしても痛い質問が来てしまった。ハーマイオニーは真剣そのものといった様子だ。あの吊り下げられた可哀想なマグルを見て、僕の「正しさ」の瑕疵は明らかだと言える。まだ本当に父が犯人かは分からない……という不誠実な躱し方は出来ないだろう。

 

 僕はなけなしの真摯さを振り絞って、ハーマイオニーの目を見た。

 「……はっきり言おうか。今父がやっていることは絶対に許されないと言う立場をとった上で────弁護の余地はあると思っている」

 ハーマイオニーは悲しみと不理解に眉を顰める。しかし、彼女は即座に僕を非難することはなかった。

 この状況に対し、僕はなんだか懐かしさを感じていた。二年ほど前、ミセス・ノリスが石化された夜も、僕は彼女達に自分が看過する悪の話をした。

 「……その理由は、マグルやマグル生まれの魔法使いからしたら『知ったことではない』話でしかない。彼らを迫害する免罪符など、あってはならないことは理解している……それでも父を擁護する、僕の話を聞いてくれる?」

 気づけばロンとハリーもフィギュアを目で追うのをやめて、こちらを見ていた。確認するように三人の顔を見回すと、ハーマイオニーは真面目に、ロンは肩をすくめて、ハリーは分からないなりに真剣な様子で頷いた。

 

 

 

 僕は一度目を閉じ、息を吐いて、口を開いた。

 「闇の帝王が勢力を伸ばしたとき、最初に危険に晒されたのは誰だと思う?」

 三人が顔を見合わせる。

 「そりゃあ……マグルやマグル生まれの魔法使いだろう?」ロンがなんとなく自信なさげに答えた。

 僕もそれに頷きを返す。

 「本質的にはその通りだ。しかし、迫害するためにマグル関係の人々を一番最初に狙うのは非効率的だ。数が多い相手に対しては、弾圧者も数を用意しなければならないのだから。

 そもそも、旧家出身の純血ではない闇の帝王が純血主義を標榜するためには、純血一族の支援を手に入れる必要があったはずだ。

 そして、そのために取られた手段はおそらく恐怖だ」

 それを聞き、ロンが少し嫌悪感をのぞかせて反論する。

 「脅されて仕方なく『例のあの人』の陣営に入ったから悪くないって言いたいのか?」

 半ば僕の意図を捉えてしまっている。けれど、その直截な表現では彼らは納得しないだろうことは明白だし、そこまでシンプルな話をしているつもりもなかった。

 

 僕はロンに対して少しだけ苦い笑いを向け、彼の質問に答えることを回避してさらに話を続ける。

 「闇の帝王は意外なことに、潜在的な敵対者には寛容だった。……ハリー、君のお父上と、そしてお母上すら闇の帝王から勧誘を受けたことがあるらしい。グリフィンドール出身の主席二名、しかも片方はマグル生まれの人間ですら、だ」

 ハリーは目を丸くしていたが、ロンはあまり驚いた様子ではなかった。「血を裏切るもの」であるウィーズリー家はともかく、プルウェットやロングボトムも勧誘を受けたはずだし、それを聞いたことがあるのだろう。

 彼らが言葉を返さないのを良いことに、僕はそのまま続ける。

 「しかし、身内には酷く厳しかった。彼は恐怖で支配することを好み、粛清で配下のものを縛りつけた。ベラトリックス・レストレンジ────僕の伯母をはじめとした、過激で残忍な闇の帝王の信奉者もそれに追従した。だからこそ、父のような、ある意味軟弱な人間は闇の帝王が姿を消したとき、彼の復権を望まなかった」

 「昔、貴方のお父様が『あの人』に虐げられていたことは、今の行動を肯定する理由にはならないわ」

 ハーマイオニーの指摘に、僕は頷きを返す。

 「その通りだ。だから、僕は父の罪を消すためではなく、父を理解してもらうために弁護をしている」

 僕はペティグリューのことを思い出していた。彼は自分の事情を自ら語ったが、僕も似たようなものだと言える。

 あのときのシリウスのように、彼ら、特にハーマイオニーは怒る権利がある。しかし、三人は僕の話の続きを待ってくれた。

 

 「……最初に彼が力をつけたとき、グリンデルバルドが失墜してから、十年ほどしか経っていなかった。マグルを魔法族が従えるべき下等な生物と見做し、彼らとの血縁を忌む純血主義の隆盛と凋落……その中で、多くの純血一族が道を誤り、『正義』の陣営と敵対した。

 その直後にあって、多くの純血一族はダンブルドアには助けてもらえない。たとえ純血一族の人間が内心どう思っていようと…………それだけのことをマグル差別主義者はした、そう言えるだろう。けれど、そのレッテルこそが離反者が生まれる可能性を摘んでいった。

 そして、後はお決まりの諦観、恭順。純血一族の善性に期待するなら、わずかな抵抗と挫折。

 僕の父、ルシウス・マルフォイはその中で生まれ、育った。彼が光の側に進む可能性は……普通に生まれ育った人間より、はるかに低かった」

 「……だから、あなたのお父様は許されるべきだと?」

 ハーマイオニーはこの程度の背景説明で折れてはくれない。当然だろう。僕は今、明確に彼女の敵対者に対して弁護を行なっているのだから。

 僕は力無く首を振った。

 「いいや、そうは言わない。けれど、そもそも僕の父を断罪できるほどの力と倫理観。その両方を今の魔法界は持っていないし────もし、それらが揃って、被害者が僕の父の罪を訴えるならば、僕だけは彼の側に立って話をしたい」

 

 「認めなければならない。純血一族は闇の帝王の強大さに両手をあげて服従の姿勢をとった者が多いだろうと。そして、マルフォイ家が────僕の祖父、アブラクサスがそちらの人間だった可能性は極めて高いと。

 けれど、それだけでは僕は父を見捨てられない。闇の帝王の存在という状況下にあっては、ある程度の情状酌量を僕はしてしまうし────父を破滅させるには、あまりにも僕は彼を愛しすぎている」

 その場に沈黙が落ちる。皆何を言ったらいいのか、分からない様子だった。この子達は優しい子だ。父親が大事だと言う友人に向かって、頭ごなしに否定することができないほどには。

 

 静寂を破ったのはハーマイオニーだった。彼女は迷いを瞳に滲ませながらも、僕をまっすぐ見て口を開いた。

 「……本当に正しいことをしたいなら、そしてお父様のためを思うなら。あなたはお父様が許されない倫理というのを、魔法界に打ち立てるべきよ」

 あまりにも正しすぎる指摘だ。けれど、それは今まで幾度となく僕の中でも思い当たってきたことで、そして却下されてきたことでもあった。僕は少しだけ微笑んで、なんとか言うべき言葉を探した。

 「その通りだ。けれど、それが最善かどうかは……僕には分からない。それだけで、僕の周囲の人間が本当の意味で、正しく救われるとは……思えない。

 なんて言ったらいいのかな…………誰も置いて行きたくないんだ。

 父の排除を肯定する理論も、実際に排除する方法もいくらでもあると思う。けれど、父が自分から、今までやってきたことは間違いかもしれない、これから自分の罪を償うことができるかもしれないって思ってくれた方が……誰にとってもハッピーエンドなんじゃないかな?

 父を使えば他の純血主義者の態度を変えることもできるかもしれない……そうしたら、断絶と排斥よりも早く、遺恨を残さず、犠牲を生まず事を運べるかもしれない…………

 希望的観測が過ぎるとは分かっているけど、その可能性を手放したくないんだ」

 ハーマイオニーはもう僕の方を見ていなかった。抱え込んだ膝頭を見ながら、それでも彼女は僕に言葉を投げた。

 「……でも、あなたはお父様の意見をまだ、少しも変えられてないわ。あの暴動を見る限り」

 さっきから痛いところしか突かれていない。それでも、僕は何とか彼女の顔を見て答える。

 「うん…………だから、僕は父が意見を変えるまでに虐げる人々の数が、その先救われる人々の数より少なくなるように努力する。その道を選んだ」

 「……それは、今虐げられている人たちを見捨てると言っているのと同じじゃない?」

 「……そうだね」

 僕はもう何も言い返せなかった。ロンとハリーが気まずそうに顔を見合わせている。ハーマイオニーはほとんど自分の膝に突っ伏していた。

 

 沈黙を破ったのは、やはりハーマイオニーだった。

 「貴方とこういうことを話すのは苦手だわ……」

 彼女はようやく顔を上げていた。泣いてはいなかったが、表情には苦々しさが現れている。

 前もこんな感じだったな。僕はつくづく彼女を救えない。自分自身の限界を痛感しながら、僕は彼女に問いかけた。

 「僕が優柔不断の偽善者だって知って失望した?」

 ハーマイオニーは少しだけ間を開けて、しかし先ほどまでとは違ったキッパリとした口調で答えた。

 「違うわ。貴方が、単に身内だからというだけではなく、本当に他人のために色々しているのは知っているもの。

 それを知っているのに、貴方を責めたくなる自分が嫌になるからよ」

 

 正直、責めてくれた方がまだ気楽な面があったかもしれない。けれど、ハーマイオニーが僕への信頼を示してくれた言葉に、少しだけ救われてしまった。

 

 

 

 またしばらく辺りは静かになった。遠くの方に人が喋っているような声がたまに聞こえるが、僕らの方まではやって来ない。四人でロンのクラム人形をぼんやり見ていると、突然誰かが、この空地に向かってよろよろとやってくる音がした。

 近くまでやってきて止まった足音に、ハリーが声をかける。

 「誰かいますか? ……どなたですか?」

 足音の主はハリーには返事を返さなかった。代わりに、低く、しばらく喋っていなかったような声が、呪文を唱えた。

 「モースモードル!」

 

 僕の心臓は凍りついた。────闇の印の呪文だ。呪文の主は、キャンプ場にいるようなちょっと騒ぎを起こしたいだけの半端者ではない────いや、そうだとしても、過激派の死喰い人だ。

 

 あたりを見まわし、印の出所を探す。他の人たちも事態に気付いたようで、ロンとハーマイオニーはハリーを引っ張ってこの場から去らせようとしている。ハリーは────知らないのか? あの印がなんなのか。唯一状況を飲み込めていないようで、目を白黒させていた。

 

 しかし────まずい。声の主が誰であろうと、僕が四人と一緒にいるところを見られたかも知れない。足音をわざわざ立てたのでなければ、さっきの話は聞かれていないだろうが────僕はフードを深く被り、周囲を杖で照らした。しかし、誰も見当たらない。

 

 三人の後ろを警戒しながら続こうとしたが、突然音を立てて魔法使い達が現れた。姿現しで犯人を捕まえるため、印の下へとやってきたのだろう。この状況は────僕らが容疑者だと思われているのか?

 僕らが誰かも確認されることなく、その場の二十人ほどの魔法使いたちは杖を構えた。

 避けようと思ったところで、僕はハリーに引っ掴まれて地面に伏せさせられた。その瞬間、頭上を幾条もの赤い閃光が走る。失神呪文だ。光は互いに交錯し、ぶつかりあい、あたりに散らばった。

 

 呪文が飛び交う中、叫び声がその場を裂いた。

 「やめろ! やめてくれ! 私の息子だ!」

 アーサー・ウィーズリー氏だ。すごい剣幕でこちらに近づいてきた彼に、僕らを取り囲んでいた魔法使い達は杖を下ろす。

 助かった……のか? 三人組はともかく、フードを被っている元死喰い人の息子の僕は変わらず怪しい人物No.1のままかもしれない。僕は慌ててフードを外し、無害な子供ですという顔をした。

 

 騒然とするその場に、犯人を捕まえようという決意に燃えているらしい人物がやってきた。バーテミウス・クラウチだ。他の魔法使い達は子供が闇の印を作ったとは全く考えていないようだが、クラウチ氏だけは妄執的に僕らを睨め付けた。

 正直、僕は絶対に自分が容疑者として引っ張られると思った。クラウチ氏のかつての様子を知れば、誰だってそう思うだろう。

 

 しかし、そうはならなかった。近くで失神呪文を喰らったクラウチ氏の屋敷しもべ妖精が発見され、その上その妖精がハリーの落とした杖を持っており、さらにその杖に直前呪文をかけたところ、闇の印を出したのに使われたことが明らかになったからだ。

 

 結局、その屋敷しもべ妖精は闇の印を作り出すのに使われた後、ハリーの杖を拾ったのだろうという話になった。クラウチ氏は自分に嫌疑をかけるような真似をしたその妖精、ウィンキーをその場で「洋服に値する」、つまりクビだと宣告した。ウィンキーの嘆き悲しみようは見ているこちらまで辛くなってくるが、クラウチ氏には誰も、何も言えないだろう。

 しかし僕の考えをよそに、勇敢にもハーマイオニーは毅然とクラウチ氏を非難した。正義感もそうだが、もう慣れきってしまっている僕らとは違い、彼女はそもそも屋敷しもべ妖精自体との接触の経験が希薄なのだろう。良識を持ったマグル生まれの人間から屋敷しもべの存在がどう映るかはおして知るべしである。

 

 僕らはその場から解放され、三人組はウィーズリー氏に連れられて自分のテントへと帰って行く。その場で別れようとすると、ウィーズリー氏から声をかけられた。

 「君も一人では危ない。途中まで一緒に戻ろう」

 ルシウス・マルフォイの息子に対して優しすぎるだろう。……いや、これは僕を疑っているのかな? 何にせよ、断る口実も見つからないので、僕は大人しく彼らの後についていくことにした。

 

 「パパ、でも、ドラコの父親はアレだぜ?」ロンが軽く茶化して言う。不謹慎ながら、僕も思わずふっと笑ってしまった。しかし、ウィーズリー氏は真剣そのもので言葉を返す。

 「キャンプ場の死喰い人達は闇の印を見て逃げてしまった。ルシウス・マルフォイの息子だということはもはや安全を意味しないかも知れない」

 懸念はもっともだ。しかし、三人組、特にロンとハリーはどうもその辺りについての知識が薄いようだった。

 「なぜ逃げてしまったんだろう?」ハリーが誰となく尋ねる。僕はいつものように答えた。

 「シリウス・ブラックのときと同じだよ。身内を売ることでアズカバン投獄を免れた死喰い人達は、闇の帝王の忠実な部下を恐れている。少なくとも、今夜森から闇の印を打ち上げた人間は、行進に加わっていなかった。はしゃいでた人間は、印の主人が復讐に来る可能性だって頭をよぎったんじゃないかな」

 僕とハリーが会話しているのを隣で歩きながら見ていたウィーズリー氏は、思わず漏れたといった感じで僕に尋ねた。

 「……君が、闇の印を作り出したわけではないんだね」

 当然の懸念に、しかしハリーはショックを受けたようだった。

 「絶対違います! そもそもドラコはずっと僕らといましたし、呪文もかけてません!」

 ハリーの剣幕に驚くウィーズリー氏に少し悪い気持ちになる。僕は少し苦笑して口を開いた。

 「いや、今夜の状況では疑われて全くおかしくないと思います。……でも、ハリー。ありがとう」

 この彼らに信頼を向けてもらっている状況が将来的にいいのかどうか、正直よく分からない。けれど、僕の安易な心はどうしても喜びを感じてしまうのだった。

 

 

 我が家のテントが近づいたところで、僕は四人と別れた。まだ空は白み始めていないが、もう朝が近い。

 無鉄砲に飛び出していったことをビンクにお説教されている中、青ざめた父が僕の名前を大声で呼びながらテントに入ってきた。

 マグル一家を晒し上げていただろう父は、息子が無事であるのを見つけて心から安堵した様子で、震える手で僕をその胸に固く抱きしめた。

 

 

 


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