音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
僕らは午後、再び空き教室で待ち合わせをした。ロンとハリーはS.P.E.W.に興味がなさそうだから来ないだろうと思っていたのだが、僕付きのビンクを見てみたかったらしい。二人ともハーマイオニーの熱意に引き気味ではあるものの、三人揃ってやって来た。
待ち合わせの時間になり、バチンと大きな音を立ててビンクが教室に現れる。大量の羊皮紙をまとめた冊子をいくつも抱えているのに、難なく正確に姿現しできるのが屋敷しもべ妖精の凄いところだ。
僕以外の人間がいることに気づいたビンクは目を丸くして、慌てて頭を下げる。屋敷しもべ妖精らしくぺこぺこする彼女にハーマイオニーはあまり嬉しそうではない。何とか衝突を避けて穏やかに全員への紹介を済ませ、僕は本題に入ることにした。
「ビンク、今日はいつもみたいに、父の目を気にせず話して欲しいんだ。いいかな?」
ビンクが僕の意図を図りかねた顔をする。しかし、僕が事態を了承しているのを見て、彼女はその疑念を流したように頷いた。
「坊ちゃんがそうおっしゃるなら、そのようにいたしましょう」
僕は先にハーマイオニーの用事を済ませようと考えていたのだが、ビンクは持っていた冊子を机に並べ始めた。ぴょこぴょこ机の上を飛び移りながら、中身の説明をしていく。
「──では、坊ちゃん、こちら二年目の指導案の写しと、送られて来た一年目の五年生、六年生、七年生の授業内容のまとめです。全て同形式に整理し直したものも用意しましたから、ファッジ大臣にお送りになる際にお使い下さい」
ビンクは去年僕が書類仕事に忙殺されていたと知って、夏休みの間に秘書のようなことまでしてくれるようになっていた。今回もそのままの流れで家に資料を置いて来て整理を任せていたのだが、彼女は僕がお願いしたことを超えて色々手を回してくれていたようだ。
「形式整理までやってくれたの? 手間をかけさせてしまって悪いね」
ビンクは僕の言葉に、胸を張って答える。
「こういったものは見やすさが大事なのです! こちらはファッジ大臣閣下にお願いする立場なのですから、閣下が見たくないとお思いになるようなものをお渡しすべきではありません。三年目の内容もいただいたのでしょう? ご自身でまとめられそうですか?」
「余裕がなかったら、そのまま送っちゃおうと思ってたんだけど……」
ビンクの目つきが厳しくなる。僕は首を縮こまらせた。
「……そうだね。中身に目を通して概要と分析、結論は僕が書くから、詳細な指導内容の整理はビンクにお願いしたいな。他に書式関連で気をつけた方がいいこと、あるかな?」
ビンクは自分が持ってきた書類を眺めながら腕を組んで少し考え込む。
「……体裁を考えるのであれば、活字にしてしまった方が良いかもしれませんね。9月末日までに製本が間に合う業者を探しますから、そこから締切を決めて形式揃えの作業を進めましょう。まだ一年目の二から四年生のものは集まっていないのですよね? どなたにお頼みしたのか名簿を下さればこちらで管理いたします」
相変わらずビンクは最高の屋敷しもべ妖精だ。頼れすぎてしまって怖いくらいだ。
僕は仕事がかなり少なくなったことに内心晴れやかな気持ちになってビンクにお礼を言った。
「本当に助かるよ。ありがとう。負担にはなってないかな?」
「ビンクめは問題ありませんとも!
坊ちゃんは睡眠をおろそかになさっていませんか? 食事はちゃんと栄養のあるものを召し上がっておられますか? あれやこれやと仕事をするためにも体が第一でございますよ!」
本当に僕が命令した通り二人でいる時の調子で話すビンクに、いい加減に恥ずかしくなってくる。僕はさっさとこの話を切り上げにかかった。
「分かっているよ。大丈夫、ありがとう」
ビンクは腰に手を当てて僕の目を見つめる。
「次に去年のように疲労を溜められていたと知ったら、いよいよビンクはホグワーツに押しかけますからね! マクゴナガル様であれば許可は取れそうだと、ビンクは考えておりますよ!」
やめてくれ……自分だけ身の回りの世話をさせるために屋敷しもべを学校に呼んだなんて噂が立てば、周囲にどんな目で見られるか分かったものではない。威力の高い脅しに僕は思わず項垂れた。
気がつけば、グリフィンドール三人は僕らを新種の虫でも観察するかのような顔で見ていた。
……考えてみれば、ビンクは結構例外的な屋敷しもべ妖精だ。参考にならない可能性もあるのだろうか? 懸念はあるけれど、とりあえず話し合いをしてもらうしかない。僕らは一つの机の周りに椅子を寄せ、視線を合わせるためにビンクは机の上に座った。
僕から話をビンクに切り出す。
「えっと……こちらのミス・グレンジャーは屋敷しもべ妖精の立場を改善すべく活動したいと考えているんだ。そこで、君の意見があればより良く物事を進められるんじゃないかって」
気を取り直したハーマイオニーはS.P.E.W.について、僕にしたようにビンクに話す。やはり「正当な報酬」のあたりでビンクの眉の端がヒクヒクと動いたが、彼女は黙って全ての説明を聞いた。
「……それで、ビンクさん。あなたはS.P.E.W.について、どう思う?」
ビンクは失礼にならないようにハーマイオニーの顔を見ながら、どこからともなく羊皮紙と羽ペンを取り出した。
「グレンジャーお嬢様はどのような目的でしもべ妖精に権利を持たせたいのですか? いえ、どうしてそのようにお考えになられたのですか?」
経緯を問う言葉に、ハーマイオニーはクラウチ氏とウィンキーやドビーの話を掻い摘んで説明した。
ビンクは羊皮紙にメモを書き付けながら真面目に話を聞いている。僕という偏屈な主人を持っている彼女は第一に事情を知ることを大事だと考えていた。
あらかた全容を掴み、ビンクはハーマイオニーにニッコリと微笑んだ。
「なるほど! それでは、目標の設定を少し工夫なさる必要があるかも知れませんね。現在の屋敷しもべ妖精は主人への奉仕という在り方を変えたいとは思っていませんから」
ハーマイオニーは僕とほとんど同じ返事をしたビンクに対し、表情を固くして尋ねる。
「……あなたも、屋敷しもべ妖精は奴隷のように働かせられるのが好きだって言うの?」
ビンクは丁寧な物腰を一切崩さず、ハーマイオニーに朗らかに答える。
「滅相もございません。屋敷しもべ妖精にも感情はございます。粗雑に扱われましたら悲しみますし、忠誠も薄れます。しかし、だからと言って忠誠を向ける相手がいないことの方が耐えられないのでございます」
「……でも、それじゃあ屋敷しもべ妖精は主人に逆らえないままだわ! あなたたちは自分の待遇を改善させる権利を持とうとしなければならないわ。主人に縛られないで意見を持つ必要があるのよ」
議論が平行線を辿りそうな予感に、僕は少し心配になってくる。しかし、それでもビンクは落ち着いたまま言葉を返した。
「お嬢様、確かに私どもは自分の意図しないところで縛られているように見えるでしょう。私も色々と考えるようになって初めて気づいたのですが、私どもにしてみれば、縛られていないことに価値を見出すのは理解が難しいように思います」
ハーマイオニーはビンクの言葉の意味を測りかねているようだ。僕も、屋敷しもべ妖精の口から彼らの哲学を聞くのは初めてなので、思わず聞き入ってしまう。
ビンクはハーマイオニーに対し、丁寧な態度を崩さず問いかけた。
「失礼ながら、お嬢様。あなた様は何のために生きていらっしゃいますか?
すぐさまこの問いに答えられないとしたら、それはなんと恐ろしいことだろうとビンクは愚考いたします」
予想だにしていなかった言葉に僕を含め皆面食らったような顔になる。ビンクは理解が追いつき切っていない僕らをよそに、話を続けた。
「ビンクは坊ちゃんを主人と定め、坊ちゃんの命に絶対に従うのが至上の目的と弁えております。坊ちゃんはそれだけは絶対にいけないとおっしゃいましたが、自分の身を捧げることが坊ちゃんのお役に立てるとすれば、なんと嬉しいことでしょう」
流石に顔を顰めた僕の方を宥めるように見て、ビンクは続ける。
「屋敷しもべ妖精は無為な時間に、つまり、仕える者がいない時間に耐えられないのです。絶対の命令を下す主人が私どもには必要なのです。私どもの代わりに考え、物事の方向を決める存在が」
ハーマイオニーは本当に理解に苦しんでいるようだ。彼女は絞り出すようにビンクに問いかける。
「……でも、それじゃあ、あなたたちの待遇改善なんて無理だって言うの?」
ビンクは首を振った。
「ビンクはそうは考えておりません。僭越ながら、坊ちゃんのやり方をご参考になさると言うのはいかがでしょうか?」
いきなり話がこちらに向き、僕は思わず姿勢をただした。ビンクは僕の方に机の上を歩いてきて、誇らしげに三人組の方に向き直った。
「ビンクが坊ちゃん付きになってしばらくの間、坊ちゃんは何とかビンクに……そうですね、『まともな待遇』を与えようと一生懸命になっておられました。けれども、グレンジャー様、貴方様のやり方とは違う方向で、でございます」
確かにそうだったのだが、僕はハナからそれを屋敷しもべ妖精が受け入れることはないだろうと考えてビンクには何も言っていなかった。僕は目を丸くしてビンクに問いかける。
「……気づいていたの?」
ビンクはニッコリ笑って答えた。
「勿論でございますとも。ビンクは坊ちゃんがつかまり立ちをする前からお側にいたのですから」
ビンクは再びハーマイオニーの方に向き直り、滔々と語り出す。
「しかし、坊ちゃんはお給金をお与えになろうとはいたしませんでした。屋敷しもべ妖精のそばでお育ちになったのですから、ビンクがそれを絶対に受け取らないとお分かりだったのでしょう。
代わりに、主人であるご自分のためという口実でビンクの待遇や隷従の在り方をお変えになりました。
主人の財産に傷をつけてはならないとして、許可のない自分へのお仕置きや徹夜での労働を禁じられました。主人のためにならないからと言って、身の回りのことを全てやるのをお止めになられましたし、逆に罰に怯えて何かしようとしないこともダメだとおっしゃられました。
何より、主人のために、自分でものを考え、行動するようにと命じられました」
ロンとハリーはどこか腑に落ちたような顔をした。ハーマイオニーは口を引き結んで話を聞いている。
ビンクはさらに続けた。
「坊ちゃんは……屋敷しもべの主人として、とても変わったお方です。殆どの魔法使いは私どもを便利な家事手伝い以上には考えません。そして、屋敷しもべ妖精はそれで全く問題ありません。その命令こそ私どもに必要なものなのですから。
しかし、坊ちゃんは違いました。坊ちゃんは、ビンクに自分で考えることをお求めになりました。主人のために何が良いことなのか考え、場合によってはビンクが──何と恐れ多いことでしょう、坊ちゃんにものを教えるように、と命じられたのです」
「ビンクは、ルシウス様に仕えていたときより、ずっと自分の頭を使うようになりました。色々と考えることで、ビンクはより良く坊ちゃんに仕えることができるようになりました……やろうと思ったこともなかったことができるようになりました。
今、グレンジャー様のお話に筋道立ててお返事できるのも、そのためにございます」
「……そうだったんだ」
僕の言葉に、ハリーが怪訝そうな顔を向ける。
「気づいていなかったの?」
彼の言葉に僕は肩をすくめた。
「いや、元からビンクは考えられる妖精だったけど、僕に仕えるまでは頭を使う必要がなかったというだけな気がするな」
ビンクは僕らのやりとりを聞いて笑う。
「どちらでもビンクにとっては同じことでございますよ、坊ちゃん」
ビンクはハーマイオニーに向き直り、しっかりと目を見て言った。
「さて、ビンクは他の屋敷しもべ妖精と比べても、魔法使いの方々のご意見を理解している自負がございます。ビンクのご主人様はドラコ坊ちゃんなのですから。
その上で申し上げましょう。お嬢様、貴方様の目的や手段は、今の屋敷しもべ妖精に受け入れられることはございません。もし、ドビーのような屋敷しもべ妖精を私どもの中に作り出したいのなら、その下地を作ることから始めねばなりません」
僕もビンクの言葉に頷き、話を進める。
「そのためには主人の意識を変える方から始めるのが穏当だろうね。直接屋敷しもべに働きかければ、財産の略取だと捉えられるだろう。
そうだな……屋敷しもべを心がある存在や、暴力を振るってはいけない存在と見做させたいのであれば、そういう立場の仕事のなかで、今の主人たちが与えても問題ないと考えるものを探したらいいんじゃないかな?
例えば……屋敷しもべ妖精に子どもの初等教育を任せるというのはどうだろう。しもべ妖精の『人格』の価値が出てくるし、魔法使いのためになるという点で良さそうだけど」
ビンクは顎に手を当てて首を捻った。
「悪い案ではありませんが、少々飛躍しすぎでございますね。今突然それを言い出して、屋敷しもべに任せたい方々は少ないかと存じます。
個々の家庭内でそういった実績を重ねるか、それこそ今まで小さい頃に教育を受ける環境にないお子様に魔法省付きの屋敷しもべ妖精をあてがう形などにしないと。そうでなければ反目する方々が出てきかねません」
確かにその通りだ。であれば、もう少し価値観を慣らしていくところに焦点を当てなければならない。
「だったら、それこそ秘書業務なんかも屋敷しもべ妖精はできるんだって並行して宣伝して行ったほうが話が早いかもしれないな。そこで頭脳労働に酷使される可能性が残ってしまうのが痛いところだが……」
考えこむ僕に、ビンクが言葉を返す。
「ある程度実績を挙げれば、しもべ妖精の扱い方という観点から権威を持てるかもしれません。魔法使いの方々と同様、身体的な躾より、言葉による指導の方が有効だという話のような損得の見方であれば、完全にしもべ妖精をモノだと考えている方でも比較的には受け入れやすいことでしょう」
流石ビンクだ。僕は出てきた意見をまとめる。
「じゃあ、最終目標は屋敷しもべ妖精の待遇改善として、中期目標は雇用者側に屋敷しもべ妖精を丁寧に扱うメリットを認識させることと、妖精側に自分を客観視できるほどの思考の余地を持たせること。
短期目標は雇用者・被雇用者それぞれに対して、間接的に効果がある屋敷しもべ妖精の『有益な使役方法』を実践し、普及させること……という感じになるのかな?
待遇を改善していく中で屋敷しもべ妖精の価値観を広げ、自らの心身を大事にする価値観を持たせることを目指す。これでどうだろう」
ここでようやく僕はビンクと意見を出すのに夢中で、ハーマイオニーを完全に置き去りにして話を進めていることに気がついた。結局彼女の了承を取らないまま方針を考えてしまっている。ハーマイオニーは眉根を寄せて黙り込んでいた。何か考えているのは分かるが、彼女が僕らの見解にどう感じているのかは窺い知れない。
僕は恐る恐る彼女に言葉を掛ける。
「……どうかな? 悪くない考えだと思うんだけど」
「……それしかないのかしら。つまり……時間がかかりすぎるんじゃない?」
そこを指摘されるとは予想していなかった。彼女のビラ配りの方が時間がかかるとは言わないまでも、事態解決までの目処が立っていないと思っていたのだが。
それでも、僕は彼女の言葉に頷いた。
「迂遠ではあるね。でも、地道に敵対的な立場の人間を生まないようにことを成せば、遥かに衝突が少なく、そして揺り戻しもなく目的は達成できると思うんだ。
僕は安易に敵を作り出しかねないS.P.E.W.のバッジはつけないし、公に屋敷しもべ妖精の権利を提唱することは絶対にしない。それどころか、相手に良く思われるためだったら屋敷しもべ妖精を蔑むようなことすら言うだろう。
それでも良ければ、手が空いたときに屋敷しもべ妖精を頭脳労働に従事させるよう働きかけるよ。どうかな?」
ハーマイオニーは答えを保留した。まあ、目的設定の甘さはともかく、彼女のやり方も一つの手ではあるのだろう。問題とは提起されねば無視されてしまうのだから。
僕は屋敷しもべ妖精が完全にプレーンな環境で育った場合、あの強固な主人への服従が身につくのかは知らないし、ハーマイオニーと同様、人間と似た感情を持つ生物が粗雑に扱われているのを見るのも好きじゃない。それでも狼人間やその他亜人への差別を積極的に無くそうとしていないのと同様に、状況を看過してしまっている。
だから、彼女がそういった活動をしてくれるのは、実のところ嬉しいのだ。やり方を間違えればさらに状況を悪くしかねない問題であるところは心配だが、是非狡猾に頑張って欲しいものだ。
ビンクは三人組に深々とお辞儀すると、僕の膝にひっしと抱きついた後手を振って姿を消した。