音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
ダンブルドアに助け起こされ僕は何とか床に座った。ようやく意識もはっきりして来たところで、あたりの様子を確認する。部屋の中にはハリーとダンブルドア以外に二つの人影があった。
一人は少し先の床にバッタリと仰向けに倒れていた。一目で分かる。彼はムーディ教授だ。ダンブルドアによって倒されたのだろうか? 彼はピクリとも動かないが、僅かに呼吸の気配はある。気絶しているだけのようだった。
僕の隣にはもう一人誰かが横になっていた。その人物は痩せ衰え、片目は中身が無いように陥ち窪んでいる。無造作に切られたような髪の下にある傷跡だらけの顔は、げっそりと痩せていたがアラスター・ムーディにそっくりだ。──いや、違う。彼こそが、本当のムーディなのだろう。毛髪を使った擬態方法、ポリジュース薬によって、「ムーディ教授」はアラスター・ムーディに成り代わっていたのだ。
一体いつから? ……最初からなのだろう。もしかしたら、本当に物語が始まる前からとも思ったが、彼を雇うときにダンブルドアが全く確認しなかったとは考えられない。それゆえに機会の選択肢は狭まった。
学期の初めに出たアーサー・ウィーズリー氏に関するスキーターの記事。あれはスキーターという忌々しい存在の前触れ程度のイベントではなかった。本当に重要なのは、学期が始まる直前にアラスター・ムーディが襲撃されたという事実だ。
僕はその異変に気付けなかった。「偏執狂の元闇祓い」ならそんなことがあってもおかしくないだろう、と見逃した。その後も、彼の人物像を知るにつれてその印象はどんどん補強されて行ってしまった。きっとダンブルドアにとってもそうだったのだろう。僕ら二人は最も怪しむべき人物を疑惑の外に出してしまった。
呆然とする僕の前で、ダンブルドアはハリーに対して同じ推測を説明した。そういえばムーディ教授は自分の携帯用酒瓶からしか飲み物を飲まない。ポリジュース薬を頻繁に飲むのはそれでカムフラージュしていたのだ。一年間その薬を煎じ続ける能力・材料ともに到底信じられない所業だが、効果的な方法ではある。薬の効果が切れるまで、呪文でこの人間の正体が見破られることは決してない。
普通はそこまでの長期間誰かに成り代われば、振る舞いや知識の不備で露見せざるを得ないだろう。しかし、それをやってのけるほどの技量がこの偽ムーディにはあった。アズカバンへの収監を逃れ、最も偉大な魔法使いさえ一年もの間騙しおおせた人物。僕らは彼の正体が晒されるのをじっと待った。
沈黙が落ちる中数分が経ち、突然床に倒れた偽ムーディの顔が泡立ち始める。ポリジュース薬の効果が切れたのだ。
多くの傷が刻まれた顔が拭い去られ、その下から現れたのは、わずかにそばかすが散った色白の肌の、薄茶色の髪をした男だった。青年というには老けすぎているが、その容姿はどこか幼さを雰囲気に残している。彼が誰なのか僕は一瞬思い出せなかったが、その、おそらく父親に似た目鼻立ちでかつて見た新聞の一面を想起することができた。その男は十年以上前に獄中で死んだはずのクラウチ氏の息子、バーテミウス・クラウチ・ジュニアだった。
どうやって彼がアズカバンでの死亡を偽装したのかを除けば、「忠義者」の人物像に対する説明をこれ以上なく完璧にできる人間だった。アズカバン行きを免れることができ、潜伏しつつ昔の主人の元に馳せ参ずることを待っていた人物。クラウチ氏は息子の死を気に病んでいたのではない。息子が現在も闇の帝王のもとで暗躍していることに責任を感じていたのだ。
僕らが元の姿に戻った「忠義者」を見ていると、部屋の外から数名分の足音が聞こえてきた。扉を開け、中に入ってきたのはマクゴナガル教授とスネイプ教授、さらに彼らの足元にはウィンキーがいた。
ウィンキーがかつての主人の息子に対し飛びつくのをよそに、教授二人はクラウチ・ジュニアと僕の存在に対して目を丸くした。マクゴナガル教授は早足で部屋を横切り、僕のそばにしゃがみ込む。
「これは、バーティ・クラウチ──それにマルフォイ、あなたはこんなところで、何をしているのです?」
「競技の直前にこやつの企みに気づいたが、彼自身を疑うところまで行かず捕らえられた。そうじゃな」
僕がマクゴナガル教授に対して返事をする前に、ダンブルドアが素早く答えた。さすがダンブルドア、予想は完璧に当たっている。彼の言葉に対し大人しく頷く僕を見て、マクゴナガル教授は眉を顰め、唇を震わせた。この状況は否応なく一年前の出来事を想起させた。
彼女はキッとダンブルドアを睨み、口を開く。
「ダンブルドア、まさか、あなたはまた──」
「違います! 僕が勝手に行動して、勝手に失敗したんです」
最悪の誤解の発生を予期し、僕はマクゴナガル教授の言葉に口を挟んだ。それでも彼女は全く僕の言葉を信じていないようだ。ローブの胸元を握った拳を震わせながら、彼女はダンブルドアから説明を得たいという気持ちを全身から漂わせて眉を顰めている。こういうとき、全能にすら思われてしまうダンブルドアは本当にかわいそうだ。今年は何も彼に言われていないんです。勘弁してください。僕は心中でマクゴナガル教授に対して懇願した。
この重苦しい雰囲気を破ったのはスネイプ教授だった。彼はこちらに一瞬冷ややかな視線を向け、ダンブルドアに対して口をひらく。
「そんなことより、尋問をさせていただいても構いませんかな? ダンブルドア、真実薬はここに」
ダンブルドアは重々しく頷き、彼の手から薬瓶を受け取った。男の上体を無造作に壁に寄り掛からせ、透明な液体を二、三滴流し入れた後に蘇生呪文を唱えて意識を取り戻させる。すぐに男の閉ざされていた瞼の下から、ゆっくりと薄茶色の瞳がのぞいた。「真実薬」服用者に特有の寝ぼけたような眼差しをしている。ダンブルドアの言葉に対して、彼は従順に答える。ポリジュース薬の効果を阻害しないためだろうか、彼は真実薬に対する対策を準備していなかったようだ。
それから、バーテミウス・クラウチ・ジュニアはダンブルドアの尋問に対して全てを語り出した。
クラウチ氏はもう先の長くない妻の頼みで、彼女をアズカバンにいる息子とポリジュース薬を使って取り替えた。クラウチ氏はその後、「服従の呪文」と透明マント、屋敷しもべ妖精を使って彼の存在を隠蔽した。その事実を嗅ぎつけたバーサ・ジョーキンズはクラウチ氏によって強力な忘却術をかけられた。
彼の計画が本格的に綻びを見せ始めたのはワールドカップだ。クラウチ氏はウィンキーの嘆願により息子の観戦を許したが、「服従の呪文」を解き始めた彼は観客席でハリーの杖をこっそり盗み、キャンプ場で「闇の印」を打ち上げた。クラウチ氏はなんとか再び息子を回収したが、その失態を犯したウィンキーを解雇した……
そして、彼らの元にバーサから拷問により奥底に眠る記憶を引き出した闇の帝王がやって来た。闇の帝王は「最も忠実な者」を解放し、その父を彼と同じ目に遭わせた。
それからは大方の予想通りだ。アラスター・ムーディに成り代わった「忠義者」は炎のゴブレットを騙し、ハリーを闇の帝王の元へ運んだ。
……クラウチ氏が逃げ出した後も、彼は闇の帝王に対して忠実に動いた。彼は父を殺し、死体を骨にしてハグリッドの小屋に埋めた。
雌伏の時を経て、第三の課題が始まった。ポートキーはハリーを闇の帝王の元へと運び、彼の目論見は完遂された。
彼の中には僕の知っていない情報もあった。クラウチ・ジュニアはスネイプ教授の元からポリジュース薬の材料を持ち出し、校内にいる人物の名前が分かる「地図」とやらを持っていたハリーはそれをムーディ教授に貸し出していた。……それを知っていれば、もっとずっと早く何もかもが露呈していたかもしれない。しかし、僕はその二点について考えたくなかった。彼らを責めようとすれば、そもそもそれに気づかなかった自分の落ち度が胸に突き刺さるからだ。
話の終わりに、「忠義者」は少しだけ目を輝かせた。
「ご主人様の計画はうまくいった。あのお方は権力の座に戻ったのだ。そして俺は、ほかの魔法使いが夢見ることもかなわぬ栄誉を、あのお方から与えられるだろう」
バーテミウス・クラウチ・ジュニアは笑みを浮かべて語り終えた。彼は話の間、一切こちらを見なかった。ウィンキーの嘆く声だけが響く中、彼はやはり視線を動かさず頭をだらりと前に俯かせた。
ダンブルドアは自分が事情を全て知れたと悟ると立ち上がった。その顔には珍しく軽蔑の色が宿っている。彼はしばらくバーティ・クラウチを睥睨し、そのあと杖先から縄を出して縛り上げた。
彼は厳しい表情のまま口を開く。
「ミネルバ、ハリーを上に連れて行く間、ここで見張りを頼んでも良いかの?」
マクゴナガル教授は彼の台詞に対し、やはり顔を顰めた。
「マルフォイはどうなさるのです」
ダンブルドアはそれには答えず、もう一人の人物に対して口を開く。
「セブルス、マダム・ポンフリーにここに降りてくるよう頼んでくれ。ドラコとアラスターを医務室に運ばねばならん。ドラコは怪我はしていないようじゃが──」
その言葉を横からクラウチ・ジュニアが遮った。
「その子には磔の呪文をかけた。それほど長い時間ではないから、後遺症は出ないと思う……」
彼の声色は先ほどまでのものとは全く違った、陶酔感のかけらもないものだった。ダンブルドアとマクゴナガル教授の顔から一気に険しさが増す。
ダンブルドアは今まで見たこともないような軽蔑の色を浮かべてクラウチ・ジュニアを見ながら言葉を続けた。
「……セブルス、その後は校庭に行き、コーネリウス・ファッジを探して、この部屋に連れてきてくれ。ファッジは間違いなく、自分でクラウチを尋問したいことじゃろう。ファッジにわしに用があれば、あと半時間もしたらわしは医務室に行っておると伝えてくれ」
スネイプ教授が気遣わしげに出ていった後、ハリーもダンブルドアの後に続いて部屋の外に向かおうとした。ボロボロではあったが、自分の足でしっかりと立てているし本当に大きな怪我はなさそうだ。
僕の視線に気づいた彼は、どこか悲しげな目をして僕に声をかけた。
「ドラコ、本当に大丈夫?」
「君こそ……」
クラウチ・ジュニアの前でこれ以上ハリーと仲良くしていいのか分からない。僕は曖昧な返事を返すことができなかった。ハリーは僕の言葉に少し眉を下げ、その後首を振って微笑みを作った。
「まあ確かにそうかも知れないけど……でも、僕、この人なんかに応援されなくても頑張ったよ。色々あったけど、一位になれた。ヴォルデモートのことは、あるけれど……生きて、帰ってこれた。だから、僕のことは心配しなくても大丈夫」
最後の言葉には空元気が滲んでいたものの、彼は本当に強い意志を宿した目でこちらを見つめていた。明らかに、僕を励まそうとしてくれている。
「……すごい。よく頑張ったね。君はいつも僕の予想をこえる」
いつもの調子を作れたかは分からない。しかし、ハリーはにっこり笑ってダンブルドアの後について行った。
部屋には僕とマクゴナガル教授、ムーディ教授、クラウチ・ジュニアとウィンキーが残された。
難しい顔をしているマクゴナガル教授に、僕は恐る恐る話しかける。
「……あの……まだ時間があるのでしたら、彼から話を聞いてもいいですか? 僕、本当に体の調子は大丈夫なので」
マクゴナガル教授は「だめだ」と言いたげに唇をひくつかせたが、少し逡巡して「無理をしてはいけませんよ」と答えた。それを肯定とみなし、僕はクラウチ・ジュニアがもたれかかっている壁の近くにしゃがみ込む。
彼はやはり僕の方に視線を向けず、床をじっと見つめていた。それでも、真実薬の効果はまだ続いている。あれに頼るのは良くないかも知れないが、僕はこの人がどうしてこの道を選ぶことになったのか、最初のところから話を聞きたかった。
何をいうべきか迷いながら、僕は少しずつ言葉を紡いだ。
「……まず、何から……いえ、そうですね。あなたのことを、なんとお呼びすればいいですか?」
「……俺はバーテミウス・クラウチだ。お前もそんなことは分かっているはずだ」
彼は俯いたまま、絞り出すように答える。
「そうなんですが……父親と同じ名前をつけられたのは屈辱だったとおっしゃっていましたよね。なので……」
確かに変なことを聞いてしまったかも知れない。後悔する僕に向けて、クラウチ・ジュニアはやはり弱々しく返事をした。
「……何でもいい。そんなこと、どうでもいい……」
彼はそう言ってさらに深く頭を下に落とした。
よくない滑り出しだ。でも、このどう見てもこちらに罪悪感を負っている人間に対して、僕はできるだけ誠実に話をしたい。
「……そうですか。真実薬で口を割らせることを、どうかお許しください。
……あなたが闇の勢力に接触するようになったのは、一体いつから、どのような経緯ででしたか?」
ウィンキーの啜り泣きが響く中、彼は先ほどの語りとは全く違う口調で自らの物語を語り始めた。