音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
真っ暗な、荒れ果てた墓場で、ハリー・ポッターは「トム・リドル」の墓石に縛り付けられていた。
彼は、そこで自分の血を使って仇敵が復活するのを目にした。
ペティグリューの肉と自らの父の骨を得た「それ」は、煙立つ大鍋から、欠けのない、骸骨のように細く蒼白い姿で立ち上がった。
ハリーがヴォルデモート自身と対面したのは一年のとき以来だったが、受ける印象はその時と全く違っていた。完全な身体を取り戻したそれは、恐ろしくも弱々しかった以前とは違い、静かな、そして格段に威圧的な雰囲気をその場に醸し出している。
──このまま、縛られたまま、何もできずに殺されてしまうのだろうか? そんな思いに、息が喉に張り付くように感じる。しかし、予想に反して、ヴォルデモートは一瞬父の墓石に目を向けた後、ペティグリューの方へと歩み寄った。
彼はペティグリューの腕にあった生々しく赤い闇の印の刺青を差し出させ、自分の人差し指をそれに押し当てる。途端に、ハリーの額の傷が割れるように痛み出した。思わず口から呻き声が漏れるが、ヴォルデモートはそれを気にも留めていないようだった。
ヴォルデモートが無視したのはハリーだけではなかった。自分の足元で腕を失い、杖を試すため呪いをかけられ、闇の印の痛みによってさらに傷つけられたペティグリューすらも、一欠片たりとも気にかけていなかった。
ヴォルデモートは赤い目をぎらつかせ、周囲を見渡す。その様子はまるで、獲物が来るのを待っている蛇のようだった。
誰に語りかけるでもなく、ヴォルデモートは言葉を漏らす。
「それを感じたとき、戻る勇気のあるものが何人いるか──
そして、離れようとする愚か者が何人いるか」
冷酷さに満ちた、どこか弄ぶような色を纏った声音だ。ハリーは、去年、クィディッチ・ワールドカップの後の森で、ヴォルデモートについてドラコが語ったことを思い出した。
──しかし、身内には酷く厳しかった。彼は恐怖で支配することを好み、粛清で配下のものを縛りつけた。
縛り付けられている仇敵も、自らを復活させるために片腕を落とした下僕も眼中になく、ヴォルデモートはじっと空を見つめていた。
しかし、その無関心は長く続かなかった。
しばらくあたりを歩き回ったあと、ヴォルデモートは墓に縛られたままのハリーに父の話を始めた。意外なことに──ヴォルデモートはハリーに、いや、この場にはそれを語る価値があると考えたようだ。
かつてヴォルデモート自身が書いた日記によって、彼の過去はすでにハリーに語られていることは知らないらしい。
長く、自己陶酔的な語りを終え、ヴォルデモートは話を切った。彼は怒りと嘲りを浮かべハリーに笑いかける。
「俺様が家族の歴史を物語るとは……なんと俺様も感傷的になったものよ……しかし見ろ、ポッター! 俺様の真の家族が戻ってきた……」
闇の中から、次々と仮面をつけた、黒いローブの人間たちが「姿現し」でその場にやって来た。その死喰い人たちは怖気付いたかのように躊躇いながら、それでもノロノロと「ご主人様」のところへ歩みより、順々に跪いてヴォルデモートのローブの裾に口付けをした。
ヴォルデモートは残忍な笑みを浮かべた。声色には落胆と、倦怠と、嗜虐心が滲み出ている。
闇の帝王は従僕たちに詰問した。なぜ彼らは健康な心身を持ってこの場にいるのか──なぜ自分を助けに来なかったのか──なぜ自分の復活を考えなかったのか──
臆病な僕たちに、返事は許されなかった。ヴォルデモートは自問自答し、侮蔑の色をあらわにして死喰い人たちに失望を告げた。慈悲を懇願し足元に平伏した一人──エイブリーに対し、ヴォルデモートは容赦無く「磔の呪い」をかけた。
しかしヴォルデモートはただ下僕を痛めつけるだけではなかった。彼はペティグリューに褒美を──新たな銀色に輝く腕を与えた後、その右側に立っていた男に歩み寄った。
「ルシウス、抜け目のない友よ」
ハリーはこの墓場に来てから、二番目に恐れていたことも現実のものになったことを悟った。
ルシウス・マルフォイはヴォルデモートの元に戻った。あの優しい友人の最愛の父は、子どもの心情を顧みることなく、闇に付くことを決めた。おそらく彼が予想していた通りに。
ずっとそうなるのではと考えて来たことだった。それでも心は酷く沈む。受け入れ難さに、ハリーは思わず唇を強く噛んだ。
ヴォルデモートは冷酷に、陰湿にルシウス・マルフォイを問い詰めた。
「世間的には立派な体面を保ちながら、おまえは昔のやり方を捨ててはいないと聞き及ぶ。いまでも先頭に立って、マグルいじめを楽しんでいるようだが?
しかしルシウス、おまえは一度たりとも俺様を探そうとはしなかった……クィディッチ・ワールドカップでのおまえの企みは、さぞかしおもしろかっただろうな……しかし、そのエネルギーを、おまえのご主人様を探し、助けるほうに向けたほうがよかったのではないのか?」
「我が君、私は常に準備しておりました。あなた様の何らかの印があれば、あなた様のご消息がちらとでも耳に入れば、私はすぐにお側に馳せ参じるつもりでございました。何物も、私を止めることはできなかったでしょう──」
ルシウス・マルフォイの語調は、誰かの機嫌を損ねず説得しようとするときのドラコのものに似ていた。しかし、ハリーはその端々に彼にはない綻びと拙さを感じた。ドラコなら──ドラコならもっと上手くヴォルデモートを説き伏せてみせただろう。妙に現実感のない心地で、ハリーは頭を下げるルシウスを見つめた。
ヴォルデモートも、やはり安易にルシウスを許しはしなかった。
「それなのに、おまえは、この夏、忠実なる死喰い人が空に打ち上げた俺様の印を見て、逃げたと言うのか?」
気だるそうに吐きかけられた言葉に、ルシウスは何も返事ができない。しかし、ヴォルデモートは意外にも寛容さを見せた。
「そうだ。ルシウスよ、俺様はすべてを知っているぞ……おまえには失望した……これからはもっと忠実に仕えてもらうぞ」
「もちろんでございます、我が君、もちろんですとも……お慈悲を感謝いたします……」
そのまま、ヴォルデモートは残りの死喰い人を一人一人詰問していった。マクネア、クラッブ、ゴイル、ノット……ほとんどがハリーと同学年のスリザリン生の父だ。彼らもまた、ドラコと同様の状況に置かれることになる……
思わず目を伏せるハリーをよそに、ヴォルデモートは自身がいかにこの十三年間を過ごして来たのか、臣下に対して語り始めた。その様は、自身が復活したことに対し悦に入っているようでも、自身をここまで貶めたハリーに対しての怒りを自ら掻き立てているようでもあった。
長い話を終え、ヴォルデモートはハリーに向き直った。
──遂にハリーに番が回って来たのだ。
彼は残忍さをむき出しにして、杖を構えてハリーに「磔の呪い」を掛けた。そうすることで、ハリーが何でもない、ただの子どもだということを死喰い人に知らしめたのだ。みんな笑っていた──ルシウス・マルフォイも、ドラコに似た、しかしより低く深みのある声で笑い声をあげていた。
ヴォルデモートは嘲笑を浮かべたまま、ペティグリューにハリーの縄を解くよう命じた。彼は、ハリーと決闘することで、自身の威信を復活させようとしたのだ。
しかし、ハリーはヴォルデモートの手にかかり死ぬことはなかった。
ハリーとヴォルデモートが放った呪文は宙で真っ向からぶつかり──その閃光は二つの杖を結びつけた。眩い火花と靄があたりに満ちる。
その中から知らない老人や女性──そしてハリーの両親の輝く影が現れた。それらはハリーからヴォルデモートを引き剥がした。
ハリーは全力で走った。目に入った優勝杯を杖で呼び寄せ──
そして再び臍の裏側が引っ張られるのを感じた。周囲の景色がどんどん渦を巻いていく。最後に聞こえたのは、ヴォルデモートの怒りの叫び声だった。
ホグワーツに戻った後、ハリーはファッジに食ってかかられながら優勝杯を検分するダンブルドアから引き離され、ムーディ先生の研究室に連れ込まれた。ハリーの話を聞く中で、彼は本性を現したが、ハリーに手をかける前にダンブルドアが部屋の扉を吹き飛ばし、ムーディを失神させた。
ダンブルドアは一緒について来たスネイプとマクゴナガル先生にそれぞれ指示を出した。部屋にはハリー、ダンブルドア、気絶して床に倒れ伏したムーディの三人が残った。
あまりの出来事に考えが追いつかない。呆然とするハリーをよそに、ダンブルドアは何かを確信した冷静な様子で、部屋の片隅に置いてあった、錠前がついた大きなトランクを開け始めた。
しかし、トランクの中を見て、ダンブルドアは大きく目を見開いた。
蓋を開けると、そこは竪穴のようになっていた。冷たい、石造りの床には痩せ衰えた老人と、青年と呼ぶにはまだ幼い少年──ドラコ・マルフォイがいた。二人とも目を閉じ、身じろぎもしない。
「ああ、そんな──」
ハリーの喉からひきつれた声が漏れる。その場で動きを止めていたダンブルドアは、ハリーの声を聞き、杖を構えて素早くトランクの中に降りていった。
老人──マッド-アイ・ムーディとドラコの側にしゃがみ込み、ダンブルドアは二人の様子を診た。
「……『失神術』じゃ。アラスターには『服従の呪文』が掛けられておる。アラスターは非常に弱っているが──ドラコは無事じゃ」
ダンブルドアの言葉に、ハリーはその場に崩れ落ちそうになった。ダンブルドアは杖を振り、冷えきったトランクの底から二人を外へ運び出し、横たえた。間近で見るドラコの顔はいつもより一層青白く、苦悶に歪んでいるように見える。
ふと、ハリーは二年前のことを思い出した。「秘密の部屋」でドラコを見つけたときのことだ。
あの時も彼が死んでいるのではないかと、酷く恐ろしい思いをした記憶がある。しかし、今の恐怖はそれを上回っていた。薄暗く、どこか作り物めいた部屋で横たわる姿より、馴染みのある研究室の狭いトランクの中で押し込められている様子の方が、ずっと現実的だからだろうか? それとも、ヴォルデモートの復活の後で、誰かの死がより一層現実味のあるものとなったからだろうか?
ダンブルドアはドラコの側にしゃがみ込み、杖を向けて何か呪文をかけた。
少しして、ドラコがゆっくりと目を開く。ドラコはぼんやりと天井を眺めていたかと思うと、かたわらに跪くダンブルドアの存在に気づき、体を起こそうとする。しかし、その動きはぎこちなかった。ダンブルドアはドラコの肩を支え、その場に座らせる。
「ドラコ……」
ダンブルドアの表情はハリーの方からは見えない。しかし、その声に混ざる震えに、ハリーは思わず目を見開いた。先程まで偽物のムーディ教授に向けていた気迫は、その声色からは全く感じ取れなかった。
ダンブルドアの顔を見て、ただでさえ悪かったドラコの顔色がさらに蒼白になる。彼は顔を歪め、えずくように声を絞り出した。
「……ダンブルドア……ポートキーが……ハリーは、大丈夫ですか……」
返事の代わりに、ダンブルドアはハリーの方へ目を向けた。そこでようやくハリーの存在に気づいたドラコは、心底安堵したようにこわばった体の力を抜く。そちらに対し、ハリーが笑顔を返す前に、ダンブルドアの言葉によってその表情は消え去った。
「彼は戻った」
それを聞いて、ドラコの瞳には絶望感が満ちる。ダンブルドアの言う「彼」はハリーのことではないのだろう。彼はその場に崩れ落ちそうになるのをなんとか堪えているようだった。震える唇で、ドラコは言葉を紡ぐ。
「申し訳ありません……ダンブルドア……」
ドラコが何のためにダンブルドアに謝っているのか、ハリーには見当もつかなかった。しかし、その言葉に含まれた悲痛な響きに、ハリーは悟った。
──きっとドラコは、ハリーが何を見てきたのか、もう予想がついているのだろう。そして、その場に誰がいたのかも……
ドラコにかける言葉が見当たらないまま、ハリーはただその場に立っていた。ダンブルドアはムーディの懐から取り出した携帯用酒瓶を調べ、その中身を床にあけた。その泥のような液体にはハリーにも見覚えがあった。二年前にハーマイオニーが調合した、ポリジュース薬だ。
それを見てドラコは顔を歪めた。彼はダンブルドアに何かを問いかけることはなく、それどころかダンブルドアが語るムーディのすり替わりさえまともに聞いていないようだった。
しばらくして、偽ムーディが薬の効果が切れ、真の姿を現した。床に投げ出された義足は下に生えてきた本物の足に押し出され、義眼が下に落ちる。傷だらけの表皮の下から現れた顔に、ハリーは見覚えがあった。
ダンブルドアの部屋にあった『憂いの篩』で見た裁判で、クラウチ氏に裁かれた人物──それよりずっと歳をとったバーテミウス・クラウチ・ジュニアが、そこには倒れていた。
ダンブルドアの表情に、再び厳しさが戻る。一方、ダンブルドアに支えられたドラコは、その顔を見てわずかに目を見開いた後、きつく瞼を閉じた。それは驚いていると言うより、どこか腑に落ちたような様子だった。
ハリーがドラコに対し口を開こうとしたところで、スネイプとマクゴナガル先生がウィンキーを連れて戻ってきた。マクゴナガル先生は、出て行ったときから随分人数が増えた部屋の中を見渡し、一瞬言葉を失った。その後、ダンブルドアのそばに座り込む人間が誰なのか気づき、弾かれたようにそばへ駆け寄る。
「これは、バーティ・クラウチ──それにマルフォイ、あなたはこんなところで、何をしているのです?」
「競技の直前にこやつの企みに気づいたが、彼自身を疑うところまで行かず捕らえられた。そうじゃな」
ドラコの代わりに答えたダンブルドアに対し、マクゴナガル先生は見るまに顔を赤く染め、ダンブルドアを睨みつけた。 そして、ハリーの見間違いでなければ、その目には涙が滲んでいた。
あまりに急なマクゴナガル先生の反応に、ハリーは殴られたような衝撃を受けた。その感情は、去年の学期末、傷だらけの犬を医務室に連れてきた時を思い起こさせた。
「ダンブルドア、まさか、あなたはまた──」
マクゴナガル先生の鋭い糾弾は、すぐさま遮られた。
「違います! 僕が勝手に行動して、勝手に失敗したんです」
ハリーはこの状況にすっかり面食らってしまった。一体、ドラコはどうやってポートキーのことを突き止め、なぜマクゴナガル先生はそれがダンブルドアのせいだと考えたのだろうか?
気もそぞろなハリーをよそに、スネイプが持ってきた真実薬によってクラウチ・ジュニアがことの真相を語り始める。その間も、ドラコはしっかりと話を聞いているようだったが、特に驚いた様子は見せなかった。……ダンブルドアも同じだ。二人は、どこかほとんど解答を知っている試験の答え合わせをするようにクラウチ・ジュニアの話を聞いていた。
しかし、クラウチ・ジュニアの最後の言葉に対する表情は違った。
「……ご主人様の計画はうまくいった。あのお方は権力の座に戻ったのだ。そして俺は、ほかの魔法使いが夢見ることもかなわぬ栄誉を、あのお方から与えられるだろう」
その台詞に、ダンブルドアの顔に浮かんだのは嫌悪だった。
ドラコはほとんど無表情だったが、ハリーは彼の瞳に浮かぶ色を何度か見てきていた。それは、哀憐だった。
クラウチ・ジュニアがドラコに「磔の呪い」を掛けたと聞いても、ハリーはクラウチ・ジュニアに怒りこそしたが、ドラコの哀れみが特別に変だとは感じなかった。ドラコ・マルフォイは、自分をひどい過失で殺し掛けた人間を、学校に残すためにダンブルドアとスネイプに対して口論できる人間だ。去年、そのあり方をルーピン先生は心配していた。
しかし、それはルーピン先生が狼人間だった、と言うのが大きいように思う。なぜ、父のことをあんなに愛しているドラコは、父を殺してしまうほど憎んでいたクラウチ・ジュニアにすら同情できるのだろう?
それは、マージ伯母さんの話をしたときにも感じたことだった。
ハリーはあのとき、ドラコがハリーの気持ちを心から理解してくれるとはあまり思わず話をした。……ファッジは勿論ハリーの事情を理解しなかった。ウィーズリーおばさんですら、ダーズリーのことを真っ向から悪くは言ってくれない。世の良い家族を持てた「常識的な」人々は、他人の家族の批判に踏み込むことを避ける。ホグワーツに入るまでの十年の間に、ハリーはいやと言うほどそれを実感していた。
しかし、予想は外れた。ドラコは「愛されて育った」と一目見てわかるような幸せそうな子供なのに、血縁や家族と言った関係に対して、たまにひどく冷淡だった。
考え込んでいると、ハリーはダンブルドアについてくるように促された。別れる前に、何か声をかけていきたい。
「ドラコ、本当に大丈夫?」
「君こそ……」
今までになく寡黙なドラコに、ハリーは心中の不安が増していくのを感じる。しかし、今はただ彼に憂いを残したくなくて、ハリーは無理やり口の端を上げた。
「まあ確かにそうかも知れないけど……でも、僕、この人なんかに応援されなくても頑張ったよ。色々あったけど、一位になれた。
ヴォルデモートのことは、あるけれど……生きて、帰ってこれた。だから、僕のことは心配しなくても大丈夫」
「……すごい。よく頑張ったね。君はいつも僕の予想をこえる」
強がりはきっとばれてしまっているのだろう。それでも、ドラコは少し眉を下げて、いつものように微笑んだ。少なくとも元気なふりをできるくらいには元気だとわかってくれたらしい。
ドラコに笑顔を返し、ハリーはダンブルドアの後に続いて部屋を出た。