音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
ハリーを廊下に連れ出したダンブルドアは、医務室ではなく、校長室へ足を向けた。ポートキーによって連れ出された先で起きたことを聞きたいのだろう。あの、暗い墓場での出来事を……
唐突に、胸中に現実が押し寄せてくる。石の大鍋から立ち上がった青白い身体──腕の痛みに呻くワームテールの甲高い声──主人の元に帰ってきてしまったルシウス・マルフォイ──もう何も思い出したくなくて、ハリーは他に気になっていたことを無理やり口に出した。
「校長先生、クラムは無事でしたか? バーティ・クラウチが、迷路の中でクラムに磔の呪いをセドリックに撃たせていたんです。セドリックを助けるために僕が失神させて……花火は打ち上げたんですけど」
ダンブルドアは少し微笑んで頷いた。
「彼を含めて、君以外の代表選手は無事じゃ。みな寮に帰らせてしもうたが、明日になれば会えるじゃろう」
ダンブルドアの口調は柔らかかったが、緊張感は拭いきれていなかった。返す言葉を思いつけないまま歩いていると、もうガーゴイルの石像の前に着いてしまった。ダンブルドアが唱えた合言葉は、以前と同じ、「ゴキブリゴソゴソ豆板」のままだ。笑っていいのか図りかねている間に、校長室の扉が開く。中で待っていたのは、蒼白な顔をしたシリウスだった。
ハリーの顔を見ると、シリウスは大股で部屋を横切り、ハリーの肩に手を置いた。ペティグリューにつけられた腕の切り傷を見つけ、顔が悲痛そうに歪む。
「ハリー、大丈夫か? 私の思ったとおりだ──こんなことになるのではないかと思っていた──いったい何があった?」
事情をシリウスに教えるため、まずはダンブルドアがバーティ・クラウチ・ジュニアが語ったことを伝えた。ハリーは椅子に座らされ、大人二人の話を聞いていた。ひどく体が重たく、もう眠りたいとすら思う。不意に部屋の止まり木に止まっていた不死鳥のフォークスが優しい羽音を立てて、ハリーの膝に止まった。
「やあ、フォークス」
ハリーの言葉に返事をするようにフォークスは瞬きし、膝の上に座った。フォークスの目から滴が滴り落ち、ハリーの腕の傷を癒した。フォークスに最後に会ったのは、「秘密の部屋」から帰ったときだ。あのときも怪我をして、とても疲れていたが、トム・リドルを打ち倒し、ドラコを助けることができた。自分にも、できることがあった。しかし、今回は……
ついにダンブルドアは話を終えてしまった。次はハリーが話す番なのだろう。あの、全てを見通すような瞳がこちらに向けられる。ハリーは思わず視線を下げた。
「ハリー。迷路のポートキーに触れてから、何が起こったのか、わしは知る必要がある。ここに至るまで、あまりにも多くを見落としてしまった。しかし、今を知れば、得られるものもある」
見落とし。ダンブルドアの言葉に、ふと、忍びの地図のことを思い出した。ムーディ先生に、いや、バーティ・クラウチ・ジュニアに渡してしまった地図。バーテミウス・クラウチの名前がおかしなところに現れたのには気付いていたのに、それが示す意味を、ハリーは理解していなかった。それだけではない。ずっとダンブルドアにも、ドラコにも、忍びの地図の存在を教えないままにしていた。
もし……もし、二人が地図を使っていたら? ドラコは課題が始まる前に、ポートキーに仕掛けがあることにすら気づいていた。彼が地図を持っていたら、クラウチ・ジュニアに悟られることなく、ダンブルドアにポートキーのことを知らせることができていたかもしれない。いや、そもそも初めから、地図がダンブルドアの手にあれば、ムーディ先生の正体すら掴めていたかもしれない。
それなのに、ずっと何一つ伝えずにきてしまった。今言う必要はないと言い訳をして。ただ、今までのことがばれるのが怖かったから。三年生のときからずっと、彼らの信頼を裏切っていたことを知られたくなかったから。元の姿に戻るクラウチ・ジュニアを見たとき、ドラコはどこか納得していた。まるで、今回の件について、ある程度予期していたかのように。秘密の部屋のときも、シリウスのときも、彼はすでに事態の真実に気がついていた。僕が「今言う必要はない」なんて思えていたのは、ただ彼らが心配をかけないようにしてくれていたからだ。
後悔の念が喉元をせり上がる。俯いたまま言葉を返せずにいたハリーを心配するように、シリウスが肩に手を置いてくれた。
「ダンブルドア、明日の朝まで待てませんか? 眠らせてやりましょう。休ませてやりましょう」
その言葉は心の底からありがたかった。けれど、もう逃げたくない。今、先延ばしにして後悔したくはない。ハリーは顔を上げ、ダンブルドアの顔を見た。
「シリウス、ありがとう。でも、僕は大丈夫だから」
そして、ハリーは今夜見た全てのことを語り始めた。
ワームテールがハリーを捕らえたこと。ヴォルデモートがハリーの血を使い復活したこと。死喰い人たちが再びヴォルデモートの下に集ったこと。ヴォルデモートが決闘を持ちかけ──直前呪文によって父と母が現れたこと。一欠片も伝え漏らすことがないよう、暗い記憶を必死に引き摺り出してハリーは語った。ダンブルドアは一言も聞き漏らすまいというように耳を傾け、たびたび質問を挟んだ。シリウスはずっとハリーを支えるようにそばに立ち、何かを聞き出そうとはしなかった。
ムーディの部屋にダンブルドアたちが踏み入ったところまで語り終え、ようやくハリーの話は終わった。ダンブルドアも、シリウスも、しばらく口を開かず、何か考え込んでいる。部屋に沈黙が落ちた。第三の課題が始まってからどれほど時間が経ったのだろうか。夜空にはもう明けの三日月が昇っていた。応援の声を背に迷路に踏み入ったのが、遠い昔のことのようだ。
静寂を破り、ふと息をはいたダンブルドアは、どこか悲しげな顔でハリーの瞳をじっと見つめた。
「今夜君は、わしの期待を遥かに超える勇気を示した」
勇気……ヴォルデモートと戦ったことだろうか? 逃げられなかったから戦っただけじゃないのか? 殺されなかったのだって、たまたま杖が繋がったから、運よくポートキーのところに戻れただけだ……
ハリーの心中を知ってか知らずか、ダンブルドアは少し身を乗り出して話を続けた。
「君は、ヴォルデモートの力がもっとも強かった時代に戦って死んだ者たちに劣らぬ勇気を示した。一人前の魔法使いに匹敵する重荷を背負い、大人に勝るとも劣らぬ君自身を見出したのじゃ。しかし──」
一瞬、言葉が切れる。ダンブルドアの眉間には深い皺が刻まれていた。
「ハリー、これからわしは、君に訊かねばならぬことがある」
シリウスは怪訝な顔をしてダンブルドアを見上げた。
「ダンブルドア、もうこれ以上何を聞くと言うのです? 私たちは知りたいことを知れたはずだ」
「いいや、まだ残っておるとも。ハリー、君自身の考えを問わなくてはならない」
深刻そうなダンブルドアの様子に、ハリーはわずかに怯えを抱いていた。シリウスがもう十分だと言いたげにダンブルドアを見た。しかし、ダンブルドアは少し首を振り、話を続けた。
「まず一つ、確かめねばならぬ。去年の夏から、君はたびたびヴォルデモートの夢を見た。そして復活がなされた今、あやつが抱く強い感情すら感じ取るようになった。そうじゃな?」
ハリーが頷くと、ダンブルドアは額に手をあて、目を閉じた。
「であれば、それはこちらにとっては致命的になりうる。ハリーがヴォルデモートの心を見ることができるのなら、奴もまた、それができるのかもしれぬのじゃ」
「まさか、そんなことがありえるのですか? 死の呪いによってできた傷が、あいつとハリーの心を結びつけるなんて」
シリウスの言葉に、ダンブルドアはしっかりと頷いた。
「おそらく、耳にしたことのない話だと思う。しかし、その傷跡は今までもヴォルデモートに反応し、痛みをもたらしてきた。よりにもよってハリーの血を使い、あやつが完全に復活した今、もはやこの可能性も考慮に入れるべき段階にきておる」
肩に置かれたシリウスの手に力がこもった。振り返ると、シリウスはひどく苦しげにハリーを見つめていた。何かに急かされるように、ハリーもダンブルドアに尋ねた。
「じゃあ──今僕が何を話しているのかも、ヴォルデモートに知られてしまうかもしれないってことですか?」
「あくまでも可能性の話でしかないが、そうじゃ。そして、『そうかもしれない』と言う話であっても、この事実を無視することはできぬ」
ダンブルドアは再びハリーに視線を戻し、重々しく言葉を紡いだ。
「ここからまた、戦いの時代が来る。その栄光を守るため、かつて自らを倒した君のことを、ヴォルデモートは必ず自らの手で除きたいと思うじゃろう。そのとき、奴とのつながりは君と、そして君の周りを危険に晒してしまう。そのつながりこそが、君の弱点を奴の眼前に映す鏡になるのじゃ」
今までの記憶がハリーの頭に蘇った。誰にも知られたくないことは沢山ある……ダドリーにどんないじめられ方をしたのか。チョウにどうやってパーティーの誘いを断られたのか。ドラコとダンブルドアにどんな隠し事をしていたのか──そうだ、ドラコだ。
ドラコはずっとハリーを助けてくれていた。そう、彼は知らなかっただろうけれど、
ハリーは思わず縋るようにダンブルドアを見た。ダンブルドアもまた、ひどく険しい顔をして、ハリーの瞳をじっと覗き込むように見ていた。
「じゃあ、どうすればいいんですか? あいつが……僕の心を読まないようにする方法はないんですか?」
ずっとハリーの肩を痛いくらいにつかんでいたシリウスは、ダンブルドアを振り返った。
「閉心術を、ハリーに教えるのですか」
ダンブルドアはハリーから視線を逸らさないまま、重々しく頷いた。
「君が思う大事なものを守るためにも、心を閉じる術を学ばなくてはならぬ。戦いに備えて考えるならば、我々がこのつながりに気付いてることすら、奴には悟られたくない。しかし……一度閉心術を身につければ、ヴォルデモートの君への警戒はさらに高まるじゃろう。そうなって仕舞えば、もはや後戻りはできぬ」
すぐに返事を返すことはできなかった。今まで、ダンブルドアと話をするときは、いつも「もう大丈夫だ」という安心感があった。ダンブルドアは問題の解決法を知っていた。今回はそうでないことを、ダンブルドアの表情が物語っていた。
「早すぎる試練じゃと思う。ハリー、今、君が望むなら……君がこの戦いから背を向けると言うならば……わしは君に見えぬように現実の争いを遠ざけ、他の子どもたちと同じように過ごせるようにしよう」
見かねたように、シリウスがダンブルドアの方に歩み寄った。
「ダンブルドア、あまりにも早急すぎます。この子はついさっき死ぬような思いをして帰ってきたばかりなんです。それを、今決めなければ後がないような言い方で……こんな決断には、心の準備をする時間が必要です」
「そうじゃろうとも。大人の魔法使いであっても、すぐに決められるようなことではない。……だから、これはただの、最初の機会じゃ」
そう言ったダンブルドアは、それでも決断を急かしているようにハリーには思えた。ダンブルドアはようやくハリーの目から視線を外し、どこか遠くを見た。
「しかし、我々は……始まる前からすでに、戦争の中に身を置いている。決断を先送りにした結果、待ち受けているのは、後悔と破滅かもしれない」
「ダンブルドア、せめて、返事は今でなくてもよいでしょう。明日でも、明後日でも。傷を癒して、心を落ち着けてからでいい」
シリウスの言葉に、ダンブルドアはとうとう首を縦にふった。
「……今学期が終わるまで、あと一週間残っている。それまでに、答えを聞かせてほしい。君の信頼できる友と話をするのもいいじゃろう。けれど、ヴォルデモートとの
話が終わったことを悟り、ハリーは背もたれにぐったりともたれかかった。ようやく、長い今日は終わったのだ。
「無理をさせてしまったのう。さあ、わしと一緒に医務室に行こうぞ。今夜は寮に戻らぬほうがよい。魔法睡眠薬、それに安静じゃ……シリウス、ハリーと一緒にいてくれるかの?」
シリウスは当たり前だと言わんばかりに頷き、黒い犬の姿に変身した。ダンブルドアは椅子から立ち上がったハリーを気遣うように肩に手を置いた。それからは、もう話すこともなく三人は医務室に向かった。ハリーのズボンは泥だらけだったが、そんなことは気にも留めていないのか、時たまシリウスの鼻先が膝に当たるのを感じた。
医務室にはウィーズリーおばさん、ビル、ロン、ハーマイオニーが待っていた。ドラコはいない。大きな傷はなかったし、寮に戻ったのだろうか? ハリーは迷路から失踪した上に、「ヴォルデモートが戻ってきた」とだけ言って、すぐムーディ先生に連れられて姿を消していた。さぞ心配をかけたことだろう。みんなハリーから何があったのか聞きたがった。しかし、医務室から去る前のダンブルドアが、今はハリーを休ませるように言ってくれた。今のハリーにとって、ダンブルドアの計らいは心の底からありがたかった。
ハリーが服を着替えてベッドに座ると、みんながカーテンをくぐってベッドの両側に立った。ハリーは気力を振り絞ってロンとハーマイオニーにだけ「大丈夫」と声をかけた。二人とも、今にもハリーが卒倒するのではないかというような顔をしていた。
ハリーがベッドに腰を下ろし、マダム・ポンフリーの持ってきた紫色の薬に口をつけようとしたところで、大きな音を立てて医務室のドアが開いた。大股で部屋に入ってきたのは、顔を真っ赤にしたファッジと、怒り狂ったマクゴナガル先生だった。