音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった   作:樫田

87 / 94
過去

 

 

 いつも、ここにいてはいけないと思っていた。

 

 

 

 僕が物心がついた頃には、既に父は()()()人だった。正しくて、正しくないものが許せない人だった。

 彼は息子にも正しさを求めたが、僕は大抵の場合、その期待に応えられなかった。彼の望んだ「息子」になれなかったために、よく叱られた。

 

 ────どうしてこんなこともできないんだ? せっかく父さんが必死に働いてお前を養っていっているのに、その努力を踏み躙って楽しいか? お前を養うのに、いくらかかっていると思っているんだ? 平気で怠けていられるのは、お前に少しも感謝の心がないからだ。

 ────どうして人に優しくできないんだ? 相手の落ち度ばかり責めて、厚顔にもほどがある。お前は自分を正義の味方か何かだと思っているのか? 口先で相手を傷つけるのはそんなに楽しいのか? 相手の非を執拗に突くのは、お前が恥知らずだからだ。

 ────どうして人に与えてあげられないんだ? お前はこんなにも恵まれているのに、分けてあげようとは思わないのか? そもそもそれはお前の物じゃないのに? 自分で金も稼いでないのに欲深いのは、お前が意地汚いからだ。

 

 ────お前は飢えもせず、殴られもせず、甘やかされている。お前は周りに恵まれているのに、それに気付かずのうのうとしている、どうしようもない恩知らずだ。

 ────父さんはお前を大事に思っているから、叱っているんだ。厳しくするのは、お前が大事だからだ。

 

 父は母にも同じように厳格だった。そのせいか知らないが、母は心を病んでしまったらしい。僕の記憶に残る母は唐突に怒り、よく物を投げる人だった。たまに落ち着いているときは、まるで家の外にいる人たちのように普通に見えたが、すぐに寝込み、また手元にある茶碗やら箸やらを放り投げ、苛立ちに任せて何もかも壊してしまう人になった。母の調子が()()なるたび、父は僕がいかに母に心労をかけているか、寝る間もなく叱りつけた。母が()()()になれないのは、僕の気遣いが足りないかららしかった。

 

 そんな家の中で、僕は、正しくあれるよう必死だった。試験は全て百点を取るように。どんな相手にも優しく接するように。持つものはできるだけ少なく、欲されれば全て与えるように。幼い頃は足りないところばかりだったが、少しずつ父の希望に沿えるようになった、はずだった。

 しかし、父は僕の成長を喜んでいないようだった。むしろ、責められる欠点がなくなるにつれて、彼はさらに苛烈に僕に叱責をぶつけるようになった。

 

 

 そう、僕も徐々に気づいてしまった。彼は息子を正したいのではないらしい。彼は──息子の過ちを叱ることで、自分が正しくあることを実感したいようだった。それを子供に対する執着とぐちゃぐちゃに混ぜ合わせ、込み上げるまま吐き出すのが父だった。

 一度吐いた言葉は戻ることはない。父は何かに厳しい言葉を投げるたびに、自分で自分を縛り、さらに全てのものが許せなくなっていった。彼がいつからそうなったのか、なぜそうなってしまったのか、尋ねられたことはない。父は自分の内心を言葉にするのをひどく嫌がり、質問を糾弾と捉えていた。

 

 僕が()()()になるたび、父の精神は狂気に蝕まれているように見えた。彼は僕が家の外で認められるとひどく動転した。僕が誰かに好かれたり、褒められたりするたび、その相手には僕の至らなさを滔々と語り、僕にはその相手がいかに堕落しているか説いた。気づけば、父も、母も、僕も、家族以外にまともに関われる人がほとんどいなくなっていた。

 どこまで行っても、悪循環だ。このまま共にいて、お互いが幸せになることはない。そう悟った僕は、家を出ることに決めた。

 

 

 大学に入学するとき、父は息子が失敗することを望んで、最難関校に入学することを強いた。僕はそれに応え、家からかなり離れたその学校に合格した。大学に入ってからは、学費と交通費を稼ぐためといって、必死で働いた。顔を合わせる機会が減り、僕は随分と自由になった。

 ようやく自分の金で手に入れたスマートフォンは、世の中の広さを教えてくれた。未知なる世界は全てが全て良いものではないが、何だか軽やかに見えた。娯楽の楽しみ方はよく分からなかったが、それを面白いと思っている人を見るだけで、どこか嬉しかったのを覚えている。

 

 大学に入って一年と少し経ったころ、ついに機会はやってきた。優秀な成績を収めていた僕は留学生として海外に出るチャンスを貰った。向こうの大学で学位を取れば、もうここに戻る必要はない。千載一遇の救いの手だった。

 ずっと僕に高い成績を残すことを強いていた父は、留学を論理的に止めることはできなかった。その目には憎しみが滲んでいたが、彼は未熟な僕がより困難な状況に陥るだろうと嘲りながら、書類に判を押した。

 

 

 

 出発前日の夜、僕はいつものように睡眠薬を飲んで床についた。送った荷物は大してなかったが、元々僕の部屋はほとんど空っぽだった。物を持つのは嫌いだった。どうせ壊れるものを大事にするのは、苦痛だ。でも、これからはそうではないのかも知れない。そんな希望を抱いて、いつもよりずっと怯えを感じることなく眠った。

 

 

 目が覚めて気づいたときには、なぜかひどく腹のあたりが熱かった。何かが布団を押し退けて、僕の上にのしかかっている。それは何かを振り上げて僕の体に叩きつけた。それは刃物、随分と長い間研がれていない、柳刃包丁だった。まだ痛みを痛みとも感じられないまま、逃れようと向けた脇腹に、二度、三度と刃が突き刺さる。そこで包丁が抜けなくなったらしい。襲い掛かってきた何かは、柄を引っ張ろうとして重心をずらした。

 痛みもまともに感じられないまま、それを何とか突き飛ばした。髪を振り乱し僕の上から転がり落ちたその人は──母だった。

 

 壁に背を打ちつけたその人は、暗闇の中で目をぎらぎらと輝かせながら、こちらを睨んでいた。髪を食んだその口からうめき声が聞こえる。

 「お前が────なんで、お前だけ────お前さえいなければ、お前さえ生まれてこなければ、もっと、ずっと────」

 それ以上聞きたくなくて、母を残して何とか廊下に転がり出た。突然、廊下に明かりが灯る。そこには物音を聞きつけたのだろうか、寝巻き姿の父が立っていた。

 父は、僕を見て、僕の脇腹に刺さる刃物を見て、そして、そして────

 

 「どうしてお母さんを怒らせるようなことをするんだ? お前は育ててもらった感謝がないのか? 病気のお母さんに優しくできないのは、お前が人でなしだからだ」

 

 ああ、そうか。僕が、母にこれをさせたのか。すとんと事実が腹に落ちた。

 何だか力が抜けてしまった。父に何か答えを返す気力もなかった。出血がひどくなることも気にせず包丁を抜き捨てて、父の横を通り、玄関から裸足のまま外に出る。彼は追いかけてこなかった。

 地平線が白くなってきた空がやけに鮮明に目に映った。どこへともなく、明け方の人っ子一人いない道を歩いた。ただ、どこかへ帰りたかった。ここじゃない、どこかへ。

 

 

 その後は、覚えていない。

 

 

 まあ、つまるところ、僕は間違いだったのだろう。僕は──生まれてくるべきではなかったのだろう。

 面白みも何もない、くだらないだけの、一人の人でなしの物語だ。

 

 

 

 

 

 

 しかし、この物語は終わらなかった。

 僕は再び生を受けた。以前とは時間も国も、人も違う場所で。

 

 初めは、この世界で生き延びることだけ考えていた。また、あんな痛みを味わいたくなかったから。

 

 でも、この環境に──あまりに恵まれたところで育つうちに、事実が僕を蝕んでいった。

 僕は、()()を受け取る権利がない。本来座るべきだった誰かを押し退けて、のうのうと息をしているのが僕だ。

 確かにこの屋敷の主人──ルシウス・マルフォイは、善人ではないかもしれない。彼の言葉の端々には傲慢さと差別意識が表れていた。それでも、息子を得体の知れないものにすり替えられていいわけがないだろう。

 ナルシッサ・マルフォイもまた、可哀想だった。僕の体は「母親」というものが背後に近づくたびに固まり、刺された部分が痛んだ。うまく体が制御できない幼児のころ、それを表に出してしまったせいで、彼女は息子を気遣って距離を取るようになった。折角彼女は息子を得たのに、僕のせいで得られただろう幸福を奪われている。

 

 彼らがこの上なく子供に望んでいるだろう魔法の兆候も、全く現れなかった。二人は僕の前ではそれを表に出さなかったが、日に日に彼らは何かを背負い込んだような顔をするようになった。

 すぐにでもこの場所を離れるべきだと分かっているのに、あまりの居心地の良さに、僕の決意は固まらなかった。ただ、彼らが我が子だと思っているものが突然消えたらかわいそうだと自分の心を騙し、彼らの優しさに甘えた。

 

 

 

 僕がまだ四歳にもならない頃、読んでいた本の中にカッコウの話が出てきた。カッコウのメスはヒバリの卵を地面に落とし、代わりに自分の卵をヒバリの巣に忍ばせる。親を騙し、寄生するわけだ。僕のように。

 

 身体に引っ張られてしまったのか、感情の制御が利かなかった。ただこんなにも息子を大切にしているマルフォイ夫妻を騙す罪悪感で、涙が溢れた。それはルシウス・マルフォイの書斎で、つまり、彼がすぐそばにいたときのことだった。

 

 僕はいつも、誰の目にもつかないように泣いていた。そんなことは起こり得ないと分かっていても、叱られるのが恐ろしかったから。だから、ルシウス・マルフォイは本当に珍しく我が子の涙を見たのだ。我に返って硬直する僕をよそに、彼は素早く部屋を出た。次に何が起こるのか分からずただ息を潜めていると……彼はキッチンからビンクを抱えて戻ってきた。ビンクがあの手この手で僕を泣き止ませようとあたふたするそばで、彼はずっと僕の背をさすっていた……

 

 まるで慰められたような気になってしまったのが悪いのだろうか。悍ましい甘えの言葉が口をついて出てきた。

 「もし、僕が……この本のカッコウの雛みたいに、偽物の子だったら……パパとママの本当の子供を追い出して、この家を乗っ取ろうとしている悪い子だったら……パパはどうする?」

 

 彼は一瞬目を丸くして、しかし僅かにも躊躇わずに答えた。

 「それでもお前を愛しているよ。こんなに良い子が私たちの元に来てくれたんだから……お前が幸せなら、何だっていいんだ」

 

 

 

 その言葉を信じたわけではない。父は物の分別のつかない子供の戯言に、適当に答えただけだろう。本当の意味で僕を受け入れたわけではない。でも、それでいい。真実が暴かれたとき、父が僕から離れていってしまったとしても、それでもいい。

 

 父が僕を息子と、幸せになってほしい我が子だと思う限り、僕は生まれてきたことを許された気になれるのだから。生まれて、初めて。

 この世界で僕は、人を、僕自身を、ようやく許せるようになったのだ。

 

 

 

 そして、僕は父を救う手がかりになるものを除いた、全ての過去を忘れた。まるで、魔法のように。

 過去が顔を覗かせるたびに、手がかりにすがりつき、それだけが僕が以前から持っているものだと信じた。繰り返し「物語」の断片をなぞり、未来に対して策を巡らせることで、それ以外の記憶を封じた。

 

 

 

 そうして、僕はドラコ・マルフォイになった。

 

 

 

────────────────────────────

 

 

 ふと気がつくと、ダンブルドアが目の前に膝をついていた。彼は僕の手をしっかり握り、その目には涙が浮かんでいた。僅かに震えた口が開く。

 「すまない……」

 その声には悔恨がありありと滲んでいた。そんなふうに思うことはないのに、こちらの記憶に引っ張られすぎだ。ダンブルドアも感情の制御をさらに訓練するべきなのかもしれない。いや、ホグワーツには憂いの篩があったはずだし、記憶の整理は彼もすでにしているだろう──

 取り止めのないことを考えながら、ダンブルドアの手をしっかりと握り返す。

 「何も謝ることはありません。この記憶障害は、乖離の一種なのでしょうか? なるほど、知れば対策することもできる。助かりました。これで僕はもっと怜悧に判断できるようになる、そう思います。とても有益な時間でした」

 しかし、ダンブルドアの僕に向ける悲痛な視線は変わらなかった。何だか居た堪れない気持ちになってくる。彼の髭に、輝く涙の雫が伝うのが見えた。

 「君を傷つけるつもりはなかった……君が過去を思い出せば、現在を相対化して考えられるものだと……」

 傷つける? ()()が起こったのは、それこそ前世の話だ。いつまでも引きずるほど未熟じゃない……とは忘れようとしていた身では言えないが、ある程度折り合いはついている。場の雰囲気を何とか軽くするため、僕は口元に笑みを浮かべて、できるだけ朗らかに返した。

 「あの、大丈夫ですよ? 本当にお気になさらないで下さい。いえ、むしろこちらこそ、あまりにも面白くないものを見せてしまって、申し訳ありませんでした。

 ただ……そうですね。やっぱり父のことだけは、譲れないのです。分かっていただけましたか?」

 ダンブルドアは喘ぐように口を開いたが、そこから言葉が出てくることはなかった。

 

 葬式のような空気が漂っている。いい加減にうんざりしてきたし、この無意味な話の流れを切り替えたい。僕は椅子から立ち、ダンブルドアの手を取って立ち上がらせた。

 「さて、建設的な話をしましょう。これから、僕はヴォルデモートの復活を見過ごした責任を取らねばなりませんし」

 しかし、その言葉を聞くと、ダンブルドアの目にはさらに強い後悔が溢れた。彼は強くかぶりを振った。

 「いいや、違う! 奴が戻ったのは君のせいではない! ハリーが連れ去られた墓場は、君がかつて見た映画にあったものだったのだ。これは物語の筋書き通りだ……第三の課題の後、ヴォルデモートとの戦いの場面が来ることは、すでに決まっていた!」

 そうだったのか? 確かにハリーは大きくなったが、全然わからなかった。僕が覚えているものより、ダンブルドアが覗いた記憶の方が鮮明に見えたりするのだろうか。それとも、第三者の視点から見ることで客観的に細部を整理できたりするのだろうか。まあ、何はともあれ、そこは重要じゃない。

 「いいえ、物語の筋書きは関係ありません。それがどうであろうと、変えられたかもしれなかった。今回、僕はそれを見逃してしまった。感情に支配されて、嫌いな人間を排除することを優先してしまった。

 あなたがそれを見過ごしたことも謝らないでください。そちらの方が制御可能だと判断されたのでしょう? 同じ立場なら、僕もそちらを選んだと思いますから」

 

 ダンブルドアは再び言葉を失ってしまった。彼みたいな責任感の強い人は責められた方がマシだったりするのだろうが、僕はそこまで面の皮が厚くなれないし、無駄な攻撃をできるほど心が強くもない。

 しばらくの沈黙ののち、彼は呟くように言葉を漏らした。

 「私が浅はかだった……君が過去を思い出せば、過去の大切なものを思い出せば、ルシウスは絶対の存在ではなくなるだろうと……」

 そう考えるのは分かる……というか、説得の手はそれしかなかったのだろう。そもそもなぜそこまで強引に説き伏せようとしているのかが謎だが、手段としては納得できる。

 「ご期待に添えず、申し訳ありません。……僕にとっては、父が救いなんです。彼がいるから、僕は自分が生きていることを許せる」

 ダンブルドアの髭から涙が滴り落ちる。その滴をぼんやり眺める僕に、彼は絞り出すように声をかけた。

 「人がただ生きるのに、許しなどいるだろうか……」

 「……そうですね。生まれてきたからには、生きる権利がある。でも、僕は、……自分自身だけには、そう思えない。これは論理的な話ではなく、もはや本能のようなものなのです。

 だから……許しを与えてくれた父に幸せになってほしい。いや、それも違うかな……ただ、悪役で終わってほしくはない。我が子に無償の愛を与えられる人間が、すでに作られた物語に乗って、大団円から爪弾きにされて欲しくないのです。彼には一番いい世界で、一番いい結末を迎えてほしい」

 今、改めてはっきりと分かる。それが僕の最大の野望だ。

 

 「ダンブルドア、今回は本当にありがとうございます。……それでは切り替えて、今後の方針について相談させていただいても?」

 

 

 

 結局、沈みきったダンブルドアを相手にそこまで大した話はできなかった。リータだけはダンブルドアに引き渡すと約束したが……本当はこれから魔法省をどう動かすかちゃんと打ち合わせをしたかった。けれど、まあ、仕方ない。クラウチもいなくなったことだし、これからは闇側にも目が届くようになるかもしれない。これ以降も頑張って話の席を設ければいいだろう。僕は僕なりにスリザリンらしく、野望を持って狡猾に物事を進めるだけだ。

 

 結局、本来の目的だったマクゴナガル教授との邂逅を果たせぬまま、僕は研究室を後にした。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。