音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった   作:樫田

89 / 94
ダーズリー夫妻

 

 

 「ハリー! 大丈夫か!」

 リトル・ウィンジングにいるはずのない人物が駆け寄ってくるのを見て、ハリーは凍えついた体からドッと力が抜けるのを感じた。安堵のあまりよろめきそうになったのを、なんとか足を踏ん張って姿勢をまっすぐに保つ。何がどうしてこんなことになっているのかさっぱりわからないが、どうやら助かったらしい。

 血相を変えて駆け寄ってきたセドリックは、気遣わしげにハリーの全身を見回した。

 「ギリギリになってしまってすまない。僕はできる限り手を出さないことになっていて──意識ははっきりしているか? 吸魂鬼に触られたりはしなかったか?」

 「ああ……大丈夫だよ。ありがとう。真っ暗であいつらがどこにいるか分からなかったから、どうしようかと……本当に助かった。それでセドリック、どうしてここに?」

 セドリックは辺りを見回しながら、焦ったように早口で答えた。

 「ある人に頼まれて──本当は、別の人が来てるはずだったんだけど、当てにならなそうだからって──君も、大丈夫か?」

 尻もちをついてガタガタ震えているダドリーに気づいたセドリックは、足早にハリーの横を通ってそちらに歩み寄った。ダドリーは状況を全く理解できていないようで、近づいてきたセドリックから逃れるように重たい尻を引きずってあとずさる。完璧に恐慌状態に陥ってしまっているらしく、ブツブツとうわ言のようなことを呟いていた。

 

 「いったい、なんなんだ──クソッ、お前、誰だ? そいつの仲間か? クソッタレ──お、お前がさっきの()()をやったのか?」

 投げかけられる乱暴な言葉に、一瞬セドリックは面食らったような顔をしたが、すぐに顔に温和な微笑みを浮かべた。ハリーにすればそんなやつ放っておけと言いたくなるが──セドリックはダドリーを落ち着けようと微笑みを浮かべて腰をかがめ、杖を持っていない方の手を差し伸べた。

 「違うよ。さっきのは吸魂鬼って言って……とにかく、奴らは去った。ひとまず大丈夫だ。でも、また戻ってくるかもしれないから──」

 しかし、恐怖に混乱したダドリーは、それ以上セドリックの話を聞かなかった。押しのけるようにして、ダドリーは膝をついていたセドリックを突き飛ばす。そのまま、倒れそうになったセドリックの横をすり抜け、突進するイノシシのように家の方へ暗闇を走り去っていった。

 

 手についた砂を払いながら立ち上がったセドリックは、眉を下げてハリーに向き直った。

 「しまったな……まずいことになりそうだ。彼はマグルだよね? 魔法を使うところを見られてしまった」

 セドリックは今年で七年生だったはずで、学校の外で魔法を使っても問題ない。しかし、大人の魔法使いであっても、マグルの前で魔法を使うところを見られてはならないというのは、ハリーにはよく分かっていた。二年生の新学期初日、フォード・アングリアを飛ばして目撃者を大量に出してしまったときのことは思い出したくもない。ただ、今回は魔法を見た相手が相手だ。

 「あいつ、僕の従兄弟で一緒に住んでるから、何度か魔法を見たことがあるよ。煙突飛行とか、フレッドとジョージの悪戯お菓子とか……そんなマグルの前でも、魔法を使っちゃいけないの?」

 ハリーは自分が一番派手にダーズリー一家の前で魔法を披露したときのことを──マージおばさんを膨らましてしまったことを、わざわざセドリックに話す気にはならなかった。セドリックが気のいいやつなのは去年一年で嫌というほど分かっているが、チョウのボーイフレンド相手に自分の情けないエピソードを話すほど、プライドが無いわけではない。

 

 ハリーの言葉を聞いて、セドリックはあからさまにホッとしたように息を吐いた。

 「そうなのか? それなら、法律では大丈夫だ。しかし、誤報で警告が来るかもしれない。僕じゃなくて君にね。急いで報告しないと……」

 しかし、セドリックはあたりを見回した後、首を振った。

 「いや、何より先に、まず君を家に送り届けないと。吸魂鬼がまた戻ってくるかもしれない。でも、君は魔法を使ってはいけないよ」

 それだけ言うと、セドリックはハリーの肩を支えるように手を添えながら杖を構えて歩き出した。別に吸魂鬼にノックアウトされたわけでもないのに、この守られるだけと言わんばかりの格好はちょっと屈辱的だ。ハリーはセドリックから離れるように少し身をよじりながら口を開いた。

 「僕、大丈夫だよ。そこまで吸魂鬼から影響を受けてないし、守護霊も出せる」

 それでも、セドリックは優しく言い聞かせるように応えた。

 「ああ、分かっている。でも、君から離れるわけにはいかない。僕が護衛しなくても君なら自分の身を守れるとは思うが、未成年である君に魔法を使わせる事態は絶対に避けないといけない……」

 結局、セドリックが横に張り付いたまま、二人は帰路を歩き始めた。セドリックは四番地までの道順が少し怪しいようなので、ハリーが案内をしながらプリベット通りへの道を進む。セドリックが先に行ってしまったダドリーを心配するような言葉を漏らすのには辟易したが、今のハリーはわざわざビッグDがどれだけ悪質なガキ大将なのか説明する気にはならなかった。

 

 路地から大通りに出たところで、唐突に脇道から誰かが大急ぎで走ってくるバタバタという足音が聞こえた。

 奇襲を警戒して、セドリックはハリーをその方向とは違う側に押しやるようにして杖を掲げたが──そこにいたのは、ダーズリー家の側に住む、変わり者で有名なフィッグばあさんだった。染め残しがみすぼらしい髪はヘアネットからはみ出し、猫用の缶詰が詰まったビニール袋を手に下げ、足にはほとんど脱げかけた趣味の悪いタータンチェックの室内用スリッパが引っかかっていた。いつもヘンテコな格好をしている人ではあるが、今日は一段と大慌てといった様子だ。

 

 フィッグばあさんに()()()()がバレてはまずい。隣人に見られたことを知られては、ペチュニアおばさんとバーノンおじさんに何を言われるか分かったものではない。慌ててハリーはセドリックの手の杖を隠すために体を前に滑り込ませようとした。しかし、驚くべきことに、フィッグばあさんはセドリックに向かって、まるでよく知っている人間かのように喋りかけた。

 

 「ハリー! セドリック! 今、ミスター・チブルスが教えてくれたんだ。襲われたんだって? 大変なことになった──いや、あんたがいてくれて助かったが──」

 ハリーは思わずポカンと口を開けた。何なんだ、その口ぶりは? まさか、フィッグばあさんは魔女だったのか? 急に、ずっと前からしばしばお世話になっていたばあさんが、まるで知らない人のように見えてくる。隣のハリーが衝撃で動けなくなっているのに気付かず、セドリックはフィッグばあさんに素早く応えた。

 「ええ、フィッグさん。吸魂鬼です。幸いハリーは魔法を使いませんでした。でも、魔法省に間違った警報が行ってしまったかもしれないので、一刻も早く連絡しないといけないんですが──」

 フィッグばあさんは吸魂鬼という言葉にブルリと体を震わせると、強くかぶりを振った。

 「あたしにハリーを任せないでおくれ! あたしゃどんな呪文だってまともに使えやしないんだから。そいつらがまた戻ってきたらおしまいだ。さっさと四番地まで戻ろう……」

 

  そのまま、フィッグばあさんはハリーとセドリックを先導するように、辺りを見回しながら早足で歩き始めた。街は、まるでさっきの吸魂鬼の襲撃が嘘だったかのように、いつも通り窓から明かりを溢している。そんな中、神経質にあたりを見回すハンサムなセドリックとみょうちきりんなフィッグばあさんはまったくミスマッチだった。この状況で口を閉じていることに我慢できなくなり、ハリーは後ろからフィッグばあさんに話しかけた。

 「フィッグおばあさん──あなたは、魔女だったの?」

 フィッグばあさんは振り返ることなく首を横に振った。

 「まさか。あたしゃでき損ないのスクイブだ。奴はそれをよおく知ってるのに、あんたをほったらかしていっちまったんだ!」

 「奴って?」

 「マンダンガス・フレッチャーっていう名前のチンピラさ。あのクズ! 今夜は夜中まであんたを護衛するはずだったのに、本当にどうしようもない奴だよ! ああ、あいつめ、殺してやる!」

 激情にまかせ、フィッグばあさんは手に持っていた買い物袋を振り回すように振った。相当に怒り狂っているらしい。いつも丁寧な言葉遣いの人ではないが、今は一段と荒々しい。ハリーの横で警戒を続けているセドリックは、後ろを振り返りながらフィッグばあさんに問いかけた。

 「それで、マンダンガスは、今どこに? 次の交代はまだ大分後なんですよね?」

 「知らないよ。少なくともまだ戻っていないことだけが確かさ。まったく、あのコソ泥ときたら、本当に呆れた野郎だよ! セドリック、まだ学生のお前がこんなことをするハメになって──あれだけ言ったのに、くすねた大鍋を売り捌くほうが大事なんだと。ああ、ダンブルドアがなんとおっしゃるか!」

 

 フィッグばあさんの口からダンブルドアの名前が出たことに、ハリーは本当に奇妙な気分になった。なんだか急に、この見慣れた街が知らない場所になってしまったかのようだ。それくらい、フィッグばあさんが当たり前のように魔法界のことについて話しているのは、非現実的だった。

 

 また質問をしようと口を開いたが、声が出る前にバシッと大きな音がして、ずんぐりした男が三人の前に現れた。あたりに男が放つ酒とタバコが混ざり合ったすえた匂いが広がる。背の低い、手足の短い小太りの男で、そのまばらに生える短い髭と、裾の擦り切れた外套、不揃いに切られた汚らしい赤茶色の髪は、閑静な住宅街であるプリベット通りに全く似つかわしくなかった。

 「どーした、フィギー? ハリーとなんで一緒なんだ? それに誰だ、この男は?」

 その男はフィッグばあさん、ハリー、セドリックの顔を順々に見る。フィッグばあさんは、たちまち逆上して、その男につかみかかった。

 「よくもそんな口を利けたもんだね! この子はあんたの代わりにハリーを守ったんだよ! 吸魂鬼が襲ってきたのさ、この脳なしの役立たずが! セドリック──この子がいなかったら、どうなっていたことか!」

 フィッグばあさんのあまりの剣幕に、男はよろよろと後ずさった。

 「吸魂鬼だって? ま、まさか、そんなわけがねえだろう?」

 「そんなわけがあるから、大変なことになっているんじゃないか。この救いようのない大バカ! わかったらさっさと杖を構えて、ハリーを守るんだよ!」

 フィッグばあさんは、ボロキレのような外套から杖を引っ張り出そうとするマンダンガスの頭を、手にした重たい買い物袋で殴り始めた。妙ちきりんな格好の二人が乱闘のような真似をしていることで、混沌とした様相になってくる。ついに見かねたのか、どんどん熱くなってゆくフィッグばあさんを遮って、セドリックがマンダンガスに歩み寄った。

 「フィッグさん、ちょっと失礼──マンダンガス、いいですか、ハリーをちゃんと家に送り届けてください。僕は吸魂鬼について伝えてきますから」

 それだけ言うと、セドリックもまたバシッという大きな音と共に姿を消してしまった。

 

 自分を助けてくれた頼みの綱が去ってしまい、ハリーは途端に心細くなった。このマンダンガスという男は、どう見てもセドリックより当てにならない。再び吸魂鬼が襲ってきたら、ちゃんと守護霊を出せるのだろうか? 結局ハリーが魔法を使うことにならないといいのだが。

 ハリーの心中を知らず、フィッグばあさんとマンダンガスは揉み合うようにしてプリベット通り四番地への道を歩き出した。フィッグばあさんは相変わらず沸騰し切ったヤカンのように怨嗟の声を漏らしている。

 「ダンブルドアは、ハリー、あんたに魔法を使わせるような何かが起こるだろうと考えていらっしゃった。そんで、あんたを守るために見張りをつけていたのさ。しかし、そんな重要な任務にこの大マヌケを当てがいなさって……結局、マンダンガスを信用しないって、あの人の判断が正しかったわけだ──」

 ハリーが「あの人」とは誰なのかと問いかける前に、マンダンガスが唸り声を上げた。

 「あのアマ、ダンブルドア先生相手にでかい口を叩きやがって──」

 「減らず口を叩いてないで、しっかり周りを警戒しな!」

 フィッグばあさんは人差し指を突きつけてマンダンガスを叱り飛ばし、再び前を向いた。

 「とにかく、あんたがノコノコ家から出てしまったときのために、信頼できる手の空いてる人間をよこしたのさ……夏の間でも、十七歳になった学生だったら魔法を使えるからね。

 当然、ダンブルドアはいい顔をしなかったさ。自分の学校の生徒を戦わせることになるかもしれないわけだから。だから、基本は報告だけだってことで……でも、結局セドリックは大いに役に立っちまった!」

 

 話している間に、三人は四番地の前までやって来た。そこで、ようやくハリーはダーズリーたちのことを思い出した。ダドリーは両親に今夜のことをなんと説明したんだろうか? もし、ハリーや友達のセドリックがダドリーに何か魔法をかけたと思われたら厄介だ。二人に事情を話してもらうように頼むか? いや、フィッグばあさんはともかく、マンダンガスなど家の敷居を跨ぐことも許されないだろう──

 そんなことを庭の入り口で考えている間に、フィッグばあさんとマンダンガスはハリーに絶対に外に出ないように言いつけて去っていってしまった。まだ聞いていないことが山ほどあったのに……今日出会った三人は、皆ハリーに状況を伝える重要性を軽視しているようだった。

 仕方なく、ハリーは一人肩を落として庭の小道を家に向かって歩き出した。

 

 

 ある程度予想していたとおり、家の扉を開けたとたん、顔を真っ赤に染め上げたバーノンおじさんの顔が目に飛び込んできた。怒り心頭といった様子のおじさんは玄関ホールに仁王立ちして、ハリーを待ち構えていたのだ。ハリーが口を開く間もなく、おじさんは爆発した。

 「小僧──息子に何をした!? 仲間を引き連れてきおって──ダドリーに……アレをやったのか?」

 心底うんざりする気持ちが込み上げてくる。事情を知っている三人は、もうハリーをほっぽり出して行ってしまった。説得の目はほぼゼロだ。バーノンおじさんがハリーの言うことを信じるわけがない。

 それでも、黙っていてもどうにもならない。ハリーは疲れを隠さず口を開いた。

 「ちがう。僕じゃない。僕と一緒にいた男の子がやったんでもない。僕ら、襲われたんだ──」

 

 そのとき、奥からペチュニアおばさんの甲高い悲鳴が聞こえた。バーノンおじさんは目を剥き、でっぷりとした体に見合わない素早い動きで居間に戻っていった。何が起こったのか確かめるため、ハリーもその後に続く。

 

 居間には、ソファにうずくまるダドリーと、それに寄り添うペチュニアおばさんが、テーブルの上で暴れる何かを恐怖の眼差しで見つめていた。それは、たった今窓から飛び込んできたであろうメンフクロウだった。そのふくろうはハリーを見つけると翼をひるがえし、足に括り付けられている小さく丸められた羊皮紙を差し出す。ハリーが急いで羊皮紙を取ると、ふくろうは窓から外へ飛び去っていった。

 「ふくろうめ! あいつらをこれ以上家の中に入れてたまるか!」

 バーノンおじさんはそう叫ぶと居間の窓をピシャリと閉めた。

 

 大急ぎで書いたのか、羊皮紙にはまだ僅かにインクで濡れた文字が綴られていた。

 

 ハリー

 セドリックが魔法省で経緯を説明した。偶然君を訪ねて、吸魂鬼に襲撃されたと伝えている。今、ダンブルドアは君たちを襲った吸魂鬼を追跡している。君に咎めが来る可能性はほとんどないが、警戒を解いてはならない。

 おじさん、おばさんの家を離れてはならない。

 アーサー・ウィーズリー

 

 ハリーは安心と苛立ちがないまぜになったような心地がした。とりあえず、今夜の事態は収束したようだが……でも、なぜ吸魂鬼がやって来たのかは結局分かっていない。こんな事件があっても、まだダンブルドアはハリーをこの家に放置するつもりなのだろうか?

 羊皮紙を見つめるハリーに、ずんずんとバーノンおじさんは近寄った。

 「小僧、その手紙はなんだ? お前はダドリーに何をしたんだ? 説明しろ!」

 苛立ちに任せて、ハリーも大声を上げた。

 「だから、僕じゃない! 吸魂鬼がいたんだ! あれは温度と幸福な気持ちを奪う」

 耳慣れない、明らかに魔法がらみの言葉を聞いて、バーノンおじさんの顔は紫色に近くなってきた。

 

 「なんだ、そのキュウコンバーとかいうのは? それで、その手紙はなんだ?」

 「キュウコンバーじゃなくて、吸魂鬼だ。ウィーズリーおじさんから、事件がどう処理されたか連絡が来たんだ。ほら、読みたければ読んでいいよ」

 バーノンおじさんはハリーが差し出した手紙をむしり取った。ビーズのような小さな目が、小さな羊皮紙をじっとりと眺め回す。ハリーは「ウィーズリーおじさん」が去年まさにこの居間の暖炉を吹き飛ばした人物だと、バーノンおじさんが気づかないことをこっそりと祈った。

 

 手紙に目を通し終わると、バーノンおじさんは歯を剥き出してハリーに詰め寄った。

 「……魔法省? 政府にこんな奴らが紛れ込んでいるのか? 世も末だ──いや、そもそも、このキューコンキというのは何なんだ?」

 「魔法使いの監獄の看守だわ。アズカバンの」

 ハリーはさっき味わった非現実的な感覚がまた襲ってくるのを感じた。その台詞の主はペチュニアおばさんだった。おばさんは、自分が何かとても下品な悪態をついたかのように、パッと口を押さえ、恐々とバーノンおじさんを見た。居間は一瞬にして静まりかえった。

 

 「ペチュニアおばさん──何で知ってるの?」

 ペチュニアおばさんは喘ぐように、か細い声を漏らした。

 「昔聞こえてきたんだ──あの若造が妹に話すのを──」

 それだけ言うと、ペチュニアおばさんはキュッと口を結んでそっぽを向いてしまった。ハリーが問いを続けることは、バーノンおじさんが許さなかった。

 「とにかく──じゃあ、警察が貴様を逮捕しに来たということか? お前は犯罪者というわけだ!」

 「違う。奴らがいるはずのないところにいて人を襲ったから、問題になってるんだ」

 「それは一体なぜなんだ?」

 「知らないよ。ヴォルデモートが戻ってきたことに関係しているのかもしれない」

 「なんだ、そのヴォルデなんとかとは」

 「ヴォルデモート卿だ。戻ってきたんだ。一ヶ月前に」

 ペチュニアおばさんの目が見開かれるのが、ハリーには見えた。その目に、ハリーは理解と恐怖、悲しみを見た気がした。

 

 バーノンおじさんはヴォルデモートの名前を聞いて、少し考え込むような顔をした。

 「待てよ、ヴォルデモート……あの忌々しい大男が言っていた……確か、お前の親を殺したやつだったな?」

 「そうだよ」

 「そいつが戻ってきたと?」

 「そうだ」

 「それで、お前を狙っていると?」

 「そうらしい」

 バーノンおじさんの顔が奇妙に膨れ上がった。そのまま、ぶくぶくとした人差し指をハリーに突きつけ、おじさんは喚き散らした。

 「それじゃあ決まりだ──出ていけ!」

 ハリーは自分の足に根が生えたように感じた。去年までだったら、喜んでダーズリー家を出て行っただろう。しかし、今は外に吸魂鬼がいるかもしれない。守護霊を出そうにも、ハリーは魔法を使ってはならないと何度も言われた。今バーノンおじさんの手の中で潰れている手紙にも書いてある「家を離れてはならない」──でも、バーノンおじさんを説得することは不可能なように思えた。

 バーノンおじさんの顔は赤紫を通り越して茶色になっている。おじさんはハリーに詰め寄り、襟首を掴んで引っ張った。

 「お前のヘンテコにはもううんざりだ! 出ていけ! お前があのろくでなしの両親と同じ道を辿るなら、勝手にするがいい。これ以上わしの家族を危険に晒させはせん! 出ていけ!──」

 

 しかし、ハリーはダーズリー家を叩き出されることにならなかった。再び暖炉から飛び込んできたふくろうが、ペチュニアおばさんに「吠えメール」を運んできたのだ。「私の最後のあれを思い出せ」とだけ、低く恐ろしい声で伝えたその手紙を聞いて、驚いたことにペチュニアおばさんはハリーを家に残すようバーノンおじさんを説得した。

 チョコレートをかじらせたダドリーが回復したこともあり、ハリーはそのまま自分の部屋に帰ることができた。

 

 

 

 その夜、ハリーは連絡が来るのを期待して、眠れないままベッドの上に横になっていた。隣の部屋からはダドリーのいつもと同じようないびきが聞こえる。従兄弟はずいぶんと吸魂鬼に耐性があったらしい。三年生のときのハリーとは違って。

 まったく、不気味な一日だった。吸魂鬼もそうだが、フィッグばあさんにペチュニアおばさん──今まで、魔法界とは全く縁もゆかりもありませんという顔をしていた人たちが、その境界を越えるのはあまりにも奇妙な体験だった。

 それにしても、ペチュニアおばさんはあの手紙一つで、どうしてハリーをこの家に残そうと思ったのだろうか? 近所の目があるとは言っていたが……今後、ハリーはますますその近所の目を引く事件に巻き込まれる可能性がある。それはペチュニアおばさんだって分かっているはずだ。あの脅迫じみた吠えメールは、そんなにもおばさんを震え上がらせたのだろうか……

 

 ふと、階下からすすり泣きのような声が聞こえ、ハリーは思案から覚めた。一体なんだろう? ペチュニアおばさんだろうか? そのまま無視して眠ってしまおうかとも思ったが、晩の居間での様子を思い出して、妙に興味がわいた。バーノンおじさんとハリーの処遇について話しているのかもしれない。ハリーは床板の下から透明マントを引っ張り出して被り、音を立てないようにそっと部屋の扉を開けた。

 

 階段を降り、忍び歩きをして居間の前に潜む。扉は閉まっていたが、中の音は何とか聞き取れた。ペチュニアおばさんだけではなくバーノンおじさんもいるらしい。二人はソファに並んで座っているのか、同じような場所から声がした。

 ペチュニアおばさんの鼻をすする音が扉の隙間から漏れ聞こえた。

 「バーノン、ごめんなさい……私のせいだわ。わ、私があの子を引き取ってしまったから……」

 「いいや、ペチュニアや、お前が悪いんじゃない。やつをこの家に置くと決めたとき、わしも一緒にあいつを叩き直すと……まともにすると誓った。そうできなかったのは、あいつの性根が曲がり切っておるからだ」

 肩を叩くような、軽い音が聞こえる。

 「お前はあれだけ頑張っていた! やつの髪のことを覚えているか? あのだらしのない頭……せっかくお前が切ってやったのに、翌日には元通りだ。

 あいつは()()なんだ。わしらがどんなに頑張って曲がったところを正そうとしてやっても、まるで気にしない。そういう生き物なんだ。お前のせいじゃない」

 バーノンおじさんの言葉に、ペチュニアおばさんのすすり泣きはさらに激しくなった。

「でも……あの子を置いておかないと、私たちまで危険だとは言われたけど……そもそも、私があなたと結婚しなければ、あなたを巻き込むことなんてなかったわ!」

 ペチュニアおばさんの泣き声がウッとつまり、何かに顔を伏せたようにくぐもった。

 ハリーは自分の胃が落ち込むのを感じた。そうなのか? ペチュニアおばさんは、自分たちをヴォルデモートから守るために僕を引き取ったのか?

 

 バーノンおじさんは優しく、ゆっくりとペチュニアおばさんに語りかけた。

「何を言う、ペチュニア……お前がわしに初めて妹のことを話してくれたとき、言っただろう? お前のせいじゃない。おまえの妹がみょうちきりんなことで、わしはおまえを責めたり絶対しない。お前はまともな、りっぱな人だ!」

 「でも、あなたとダッダーちゃんまで危険かもしれない……私と一緒にいたら……ごめんなさい、わ、私……」

 そこで、ペチュニアおばさんの言葉は何かに押しつぶされたように途切れた。バーノンおじさんが抱きしめたのだろう、とハリーは思った。

 「ペチュニアや、わしと結婚しないほうがよかっただなんて言わんでくれ! ダドリーを見てみろ! あんなにたくましい立派な男になった! あんな天使をわしに与えてくれて……わしは本当に幸せ者だ。お前と別れたりするものか! ずっと一緒だ……」

 「ごめんなさい、バーノン……」

 それ以上聞きたくなくて、ハリーは絶対に音を立てないように後ずさり、階段を這って自分の部屋に戻った。

 

 

 ただただ、ハリーは惨めだった。今まで感じたことがないくらい、心底惨めだった。

 こんなのはフェアじゃない。僕はまともにしてくれなんて頼んでないし、まともにするどころか、ひどい扱いばかりされてきた。それを、さもしてやった風に言って、それで僕がどうにもならなかったからって、僕が悪いなんて不公平だ。それに、僕だって望んでこんな家に住んでるわけじゃない。できればすぐにだって出て行きたい。それができないのは、僕のせいじゃない。

 ハリーはダーズリーたちへの恨みを心中で吐き出して、自分の中に怒りを満たそうとしてみた。しかし、惨めさは一向に去ってくれなかった。

 

 ダーズリー夫妻が嫌々自分を引き取ったことなんて、ずっと前から分かっている。今更、そんなことで傷ついたりしない。それなのに、さっきの二人の会話は、今まで聞いたどんな罵声よりもハリーの心を冷たく、深く沈めてしまった。

 

 ハリーはまた灰青色の瞳を思い出した。どうしてこんなに惨めなのか、この気持ちをどうしたらいいのか、切実に彼に聞きたかった。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。