音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
結局、その夜再びふくろうがやってくることはなかった。
ウィーズリーおじさんの手紙ひとつで吸魂鬼の襲撃という大きな事件が終わるものなのだろうか? けれど、このひと月ほどのことを考えれば、これ以上教えてもらえることは何もないのかもしれない。再び何も知らされないまま、プリベット通りに缶詰にされるのだろうという諦念がハリーの心中には漂い始めていた。
しかし、その予想は外れた。驚くべきことに翌日の朝、ダーズリー家に迎えがやって来たのである。
昨日の雰囲気を引きずったままの気まずい朝食が終わり、ハリーは上階の自分の部屋に引きこもっていた。バーノンおじさんとペチュニアおばさんの態度はある意味ではいつも通りだったが、ハリーの方が何やらいたたまれない心地がしていたのだ。何をする気も起きずにベッドに転がっていると、ふと玄関ホールのチャイムが鳴る音が聞こえてきた。
窓から外の様子を窺ったハリーの目に飛び込んできたのは、この一ヶ月ほどずっと待ち望んでいた光景だった。なんと、家の前に燃えるような赤い髪の男と、黒髪の女が立っているではないか。女はどこかで見たような覚えがあるが、誰なのかまでは思い出せない。しかし、赤毛の男は紛れもなく、昨日手紙をくれたウィーズリーおじさんだった。
ウィーズリーおじさんの格好は、ハリーが今まで見た中で一番マグルの街にいてもおかしくないものだった。それでも、やはりところどころ──緑色の大きな蝶ネクタイや、それに似合わずくたびれたジャケットなんかが──風変わりさを拭えていない部分があった。隣の魔女は随分と若かったが、几帳面にひっつめられた髪と角縁メガネに、仕立てのよいスーツを着ていて、真面目そうだ。街で働いている銀行員だと聞いても、ハリーは疑わなかっただろう。ウィーズリーおじさんの隣にいることだけが、彼女が魔女だという事実を告げていた。
二人の姿を見て、一瞬ハリーの心は踊ったが、居間からの物音ではっと現実に引きずり戻された。昨日の事件の直後に、魔法使いと家族たちを会わせるのはまずい。とにかく、ダーズリー家の人が来る前に二人を出迎えなければならない。ハリーは慌てて部屋の外に飛び出したが、バーノンおじさんの方が早かった。
ドタドタと足音を響かせて玄関を開けたバーノンおじさんは、ウィーズリーおじさんの姿を見つけて目を剥いた。去年ウィーズリー一家が居間の暖炉を吹き飛ばし、ダドリーの舌をアナコンダほどの大きさにしてしまった記憶は、おじさんの脳にしっかりと刻み込まれていたらしい。しかし、バーノンおじさんが怒鳴り散らすよりも、ハリーが二人の間に割り込むよりも早く、二人の間に滑り込んだ黒髪の魔女が朗らかに口を開いた。
「おはようございます、バーノン・ダーズリーさん。突然の訪問、大変失礼いたします。昨夜の件について、説明と今後の対応のご案内のために参りました、ジェマ・ファーレイと申します。……とても素敵なお庭ですね?」
ここ最近の日照りで庭は干からびきっていたため、その言葉はどう考えてもお世辞だった。しかし、あまりにも魔女が当たり前のように、そして魔法使いらしくなく話すので、バーノンおじさんは面食らってしまったようだ。はっきり言ってセールスの人間のようにすら見えたが……彼女がとりあえず
名乗りを聞いて、ハリーはようやく彼女が誰なのか思い出した。二年前にホグワーツを卒業した、スリザリンの監督生だ。たまにグリフィンドールの上級生と話しているところを見かけたことはあったが、ハリー自身とはほとんど面識がない。一体全体、なぜここにいるのだろう? ジェマは階段の下で棒立ちになっているハリーを見つけると、特に表情を変えずに会釈した。隣のウィーズリーおじさんはにっこりと笑い、手を振ってくる。ぎこちなく手を振りかえすハリーの前で、バーノンおじさんは気を取り直しつつあった。
おじさんは明らかにこの二人を家の敷地から叩き出したがっている。当然だが、思わしくない状況だ。しかし、おじさんが口を開く前にジェマはそれを察知したのか、素早く先手を打った。彼女は周囲を見渡しながら、相変わらず朗らかに言った。
「それで、事情の説明をさせていただきたいのですが……ここで問題ありませんか? 内密にされたいお話かと思うのですけれど……」
最後に声を潜めて付け足された言葉は効果てきめんだった。バーノンおじさんは「大いに問題あり」という顔をして、慌ててウィーズリーおじさんとジェマを押しやるようにして玄関に入れ、しっかりとドアを閉めた。
ハリーには、バーノンおじさんが鍵を閉めている隙に、ジェマが皮肉っぽく口の端を上げたのが見えた。その表情はバーノンおじさんがジェマに向き合う前にさっと拭い去られ、再び真摯な微笑みが浮かぶ。スリザリンの優等生とは、皆こういうところがあるものなのだろうか? 今までバーノンおじさんと対峙してきた魔法使い──ハグリッドとウィーズリーおじさん、そして何よりハリー自身──とはずいぶん違うやり方だ。内心舌を巻くハリーの前で、ようやくバーノンおじさんはしゃべる機会を得た。
「なんだ、お前らは! 一体何をしに来たんだ?」
噴き上がる怒号の前に、ジェマは申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「告知なしに伺ってしまい、申し訳ありません。改めまして、省の法執行部から派遣されました、ジェマ・ファーレイです。昨夜、あなたのご子息とハリー・ポッターが吸魂鬼に襲撃された件について、事情説明と調査、事後処理に参りました」
手渡された名刺と「省の法執行部」という言葉に、一瞬バーノンおじさんの顔に戸惑いが浮かんだ。もちろんその前には「魔法」がつくのだが、字面だけだとまるでまともな組織のように聞こえる。面食らうバーノンおじさんをよそに、ジェマはあたりを見回した。
「被害に遭われたご子息はご在宅ですか? お加減を見させていただければありがたいのですが」
そこで、ようやくバーノンおじさんは気を取り直して気炎を上げた。
「お前のようなやつと、うちのダドリーは会わせん!」
唾を飛ばし怒鳴りつけるバーノンおじさんに対し、隣にいたウィーズリーおじさんは少し顔をしかめて口を開こうとした。しかし、ジェマはすさまじい速さで横目でウィーズリおじさんをすがめ見て、言葉を出させなかった。そのまま、笑顔を浮かべて彼女は頷いた。
「ご懸念はもっともです。もし、後で何かご子息に異変などございましたら、名刺にある番号までお電話くださいませ。速やかに対応させていただきますので」
ジェマ・ファーレイは純血の多いスリザリン生だったが、電話を知らないということはなかったらしい。バーノンおじさんは再び少し面食らった顔をして、名刺を検分するように睨みつけた。
「四年前とは随分対応が違うじゃないか……あの大男がうちのダドリーに豚の尻尾を生やしたときには、こんな案内はなかったぞ」
ハリーの目には、ジェマの顔に浮かんだ微笑みが僅かに強張るのが見えた。しかし、バーノンおじさんが顔を上げる前にその固さは拭い去られ、眉を下げた控えめな微笑みが貼り付けられた。
「それは……大変失礼いたしました。そちらについても問題がありましたらご連絡ください」
どうやら、ジェマは徹底的に下手に出ることでバーノンおじさんとのやりとりを円滑に、問題なく済ませると決意しているようだった。
「……それで、ハリー・ポッターなのですが、こちらのアーサー・ウィーズリーが残った夏季休暇の間は預からせていただきたいと申しておりまして。問題ありませんか?」
バーノンおじさんは、今度は「微塵も問題なし」という顔をして、頷いた。ジェマはにっこりと微笑み、おじさんの後ろで立っているハリーに目を向けた。
「ありがとうございます。それでは、ポッター、荷物をまとめていらっしゃい。それまで、私は今回の件に関してダーズリーさんにお話しさせていただきますから」
あまり魔法使いと──ジェマというよりは、ウィーズリーおじさんと──長くダーズリー一家を接触させるのは得策ではないが、ハリーの部屋は散らかりっぱなしだ。少し時間がかかるかもしれない、というハリーの気持ちを汲み取ったのか、ウィーズリーおじさんが微笑んだ。
「私が手伝うよ──」
しかし、またもやジェマの険しい目線が飛んだ。
「アーサー、あなたはここで私と待ってください。……ポッター、急ぎなさい」
ハリーは三人を玄関に残し、自分の部屋へと玄関を駆け上がった。
部屋中に散らばった教科書を集め、丸めたローブをなんとか詰め込んだトランクを引きずって下に降りると、ジェマとウィーズリーおじさんは玄関に立ったままでハリーを待っていた。数分しか経っていないものの、バーノンおじさんが爆発しなかったのは奇跡だろう。ハリーが階段の最後の段に足をつけるのとほぼ同時に、ジェマはバーノンおじさんに微笑みかけた。
「調査のご協力、誠にありがとうございました。ポッターは来年の夏休みまでは学校かウィーズリーが預からせていただくと思います。ご了承いただけますと幸いです」
「もう返さんでもいいわい」
バーノンおじさんの言葉にジェマは答えを返さなかった。
「それでは失礼いたします」
それだけ言うと、ジェマはウィーズリーおじさんとハリーを先に玄関の外に出し、会釈をして扉を閉めた。
バーノンおじさんが見えなくなるやいなや、ジェマは先ほどまでの明朗な雰囲気を拭い去りハリーに向き直った。そこで、ようやくハリーはこの魔女があの監督生と同じ人物なのだと実感した。先ほどまでの様子は彼女のホグワーツでの様子とは随分と違ったのだ。
「これから、アラベラのところへ行くわ。そこから『姿現し』であなたを連れていく。いいわね?」
確認の体は取っていたが、有無を言わさぬ口調だった。しかし、ハリーは首を傾げた。
「連れていくって──『隠れ穴』にだろう? ウィーズリーおじさんが一緒なのに?」
「私も護衛よ。本当の魔法省としての仕事はここまでだけどね。あとはついてから話すわ」
ジェマは周囲を見渡しながら、ハリーとウィーズリーおじさんを引き連れて歩き出した。まだ聞きたいことは沢山あったが、今話すつもりはないらしい。ハリーが重たいトランクが段差に引っかからないように足元を見て歩いていると、随分と機嫌が悪そうなつぶやきが頭上から聞こえてきた。
「まったく、信じられない──豚の尻尾ですって? しかもそれを放置した?」
やはり、そこは気になる部分だったらしい。ジェマはちらりとハリーを見た。
「ホグワーツの案内をした大男って、ルビウス・ハグリッドのことよね。ダンブルドアはそれをご存知だったのかしら? ポッター、あの一家は尻尾をどうしたの?」
「えっと、確か医者に診せに行ったらしいよ。手術で取ったとか」
ジェマの口からうめき声が聞こえてきた。ウィーズリーおじさんも目を閉じて肩を下げている。
「ああ、もう……他のマグルに見せちゃったってことじゃない。機密保持法に抵触するわ……魔法省に知られれば格好の餌になるでしょうね。ダンブルドアの責任問題よ」
「まさか、魔法省に言うつもり?」
ハリーの問いに、再びジェマは厳しい視線を返した。
「こうなってしまっては残念ながらと言いたくなるけれど、私はダンブルドア側になってしまったわ。隠蔽するしかないでしょうね。幸いなことに今回の吸魂鬼の一件の
ハリーの横でウィーズリーおじさんがほっと息をついた。ジェマはそれが聞こえたのか、さらに深くため息を吐いた。
道の角に差し掛かり、ジェマは再び息を吐いた。
「これだからダンブルドアの人選は信用ならないというものよ。どうしてこう、あの人は人に関しては冷静な判断ができないのかしら?」
ハグリッドがちくちくと責められていることに耐えかね、ハリーは返事を返した。
「でも、あのときはバーノンおじさんもだいぶヒートアップしていたし……ハグリッドはダンブルドアを侮辱されたから怒ったんだよ」
ジェマはフン、と鼻を鳴らした。
「それなら、私にとってはなおさら問題ありね。もちろん、あの家族がクズだってことは聞いているわよ。でも、たかがマグルのさえずりに後先考えず爆発してしまう人間を、ダンブルドアが重用していることこそ懸念すべきだわ」
ハリーが反論する前に、ウィーズリーおじさんが言い聞かせるようにジェマに話しかけた。
「しかし、ハグリッドの忠実さは本物だ。ダンブルドアがハグリッドを信じているのにはちゃんと理由があるんだよ」
そこで三人はフィッグばあさんの家の前に着いた。ジェマは庭に続く門を開けながらハッと鼻で笑った。
「その大層なご理由がまっとうなものであればいいのですけれど。マンダンガスについては私の意見が正しかったでしょう? ハリー・ポッターという重要人物の監視をあんな奴に任せるなんて、結果は見えているというものよ」
「まあ、僕にしたらマンダンガスが監視をサボったおかげであの家から抜け出せたんだから、大歓迎だけど」
ハリーの言葉に、ジェマは目を吊り上げて振り向いた。
「あのね! 今あなたが犯罪者になるということは、『あの人』復活の唯一の目撃者の信用を失墜させるということなのよ。もう少しその辺りを真剣に考えないといけないわ。ダンブルドアも、あなた自身もね」
返事を返せなくなったハリーに代わり、ウィーズリーおじさんが宥めるように言った。
「しかし、学生を使ったのは良くない……ダンブルドアはホグワーツの子供を兵士に育て上げることは望んでいない」
いよいよジェマは嘲りの態度を露わにしていた。
「あら、あなたが成人した生徒の参加に反対なのは、ご子息を統制するのに手間取るからじゃなくて? ご生憎様だけど、私はダンブルドアの信者になるために『騎士団』に入ったわけじゃない。目的のために手段を選んでいられないことはあるわ」
それだけ言うと、ジェマはもう話は終わりとばかりに玄関のドアを開けて中にハリーを押し込んだ。中には心配そうな顔のフィッグばあさんが待っていた。ジェマはばあさんと二言三言言葉を交わすと、ハリーとウィーズリーおじさんの方に振り向いた。
「アーサー、あれをハリーに見せて。じゃないと直接『姿現わし』できないわ」
ウィーズリーおじさんはポケットをまさぐり、何か小さな紙切れのようなものをハリーに渡した。そこには見覚えのある細長い文字が綴られていた。
不死鳥の騎士団の本部は、 ロンドン グリモールド・プレイス 十二番地に存在する。
羊皮紙に書かれた言葉の意味を確認することは許されなかった。ジェマは話しかける間もなくテキパキとハリーの手からトランクを預かり、全員に目眩し呪文をかけ始めていた。ハリーは手短に説明を受け、ウィーズリーおじさんの腕を掴んで『姿現わし』した。
初めて経験した『姿現わし』はひどいものだった。ギュウギュウと締め付けられる感覚を振り払うように頭を振って体を起こしたハリーは、すぐに着いた先が『隠れ穴』ではないことに気がついた。そこは背の高い建物が立ち並ぶ街中にある随分と古びた家の玄関前だった。ウィーズリーおじさんは杖を取り出して何やら扉を叩いている。目を見張りあたりを見渡そうとした瞬間、後から『姿現わし』したジェマが素早く玄関のドアを開け、ハリーを中に突っ込んだ。
こうして、ハリーのグリモールド・プレイス十二番地での滞在が始まった。