音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
馬車で学校に向かうまでの間は、汽車の中よりも平穏な雰囲気で過ごすことができた。……より正確に言えば、別の話題が転がり込んできたために、ロンの意識が監督生の方に向かなかった。
ホグズミード駅は例年通り生徒でごった返していたが、すぐに気付く違和感が一つあった。いつも一年生をボートへと案内しているハグリッドがいないのだ。その代わりに待っていたのは、見覚えのない顎の突き出た刈り上げの、痩身の魔女だった。人混みに押されながら僕とゴイルと一緒に馬車の方へと向かう道すがら、ロンはキョロキョロと巨体の友人を探していた。
監督生の仕事を終えたハリーとハーマイオニー、クラッブもすぐに追いつき、ともに馬車に乗り込む。馬車がホグワーツに向けて出発してからは、当然ハグリッドはどうなったのか、という話になった。
馬車の中、三人組は額を突き合わせて話を始める。
「あなたたちも、あの魔女を見たわよね? まさか、ハグリッドが辞めさせられただなんてことないわよね?」
ハーマイオニーは不安そうにこちらを見ている。
「違うと思うよ」
軽く返すと、ロンは少し眉を顰めた。
「どうしてそう言えるんだ?」
そこまで断定的に言ったつもりはなかったのだが、グリフィンドールの三人は訝しげだ。隠さなければならないことでもないし、僕は掻い摘んで知っていることを話した。
「今年の夏、魔法省はダンブルドアと協議して、巨人の近況を調査することで合意したんだ。しかし、ファッジは『巨人』の文字が自分の名前の近くにあることを望まなかった。結局、調査団はダンブルドアの指揮によって組織され、東方に派遣されたんだ。当然そこにはハグリッドが含まれていただろう。彼がいないってことは、まだ調査が終わっていないんじゃないか?」
「なんでそこまで知ってるの? 僕らも何も聞いてないのに」
目を丸くしてこちらを見るハリーに、肩をすくめる。
「ファッジが言っていたから。この夏、『防衛術』とか色々絡みで会う機会はそれなりにあってね。もっとも、調査中の詳細なんかは誤魔化されてしまったんだけど……わざわざ言わないってことは、彼としても口にしたくない報告だったんだろう」
ハリーは腑に落ちたように頷いた。どうやら随分と気を揉んでいたようだ。ハグリッドが学校からいなくなったとすれば、この中で一番悲しむのはきっとハリーだろう。彼は初めて自分を叔父夫妻の家から連れ出した大きな友達のことを、とても好いていた。
それまで黙っていたロンが不意に口を開いた。
「それじゃあむしろドラコ、君は父親に聞いたほうが話が早かったんじゃないか?」
鋭い一言が突き刺さる。さすがロン。彼のこういう物怖じしない物言いは好きだが、一瞬面食らってしまった。思わず苦笑を漏らしながら頷く。
「一理ある。だが、流石に父も易々と子供に機密を口に出したりしないだろう。闇の勢力が『例のあの人』の復活を隠している今、配下の息子の口から情報が漏れました、なんてことになったら、闇の帝王はお怒りでは済まないだろうからね……」
ハリーの顔がまた曇った。彼はどこか言いにくそうにしながらも口を開く。
「聞くのを忘れてたんだけど、この夏、君たちはその……大丈夫だったの? あの、お父さんのこととか……」
おそらく、こっちの懸念が先ほどの「監督生ショック」の原因の大部分だったのだろう。ハリーから見れば、僕は闇の帝王絡みで色々やらかしすぎているし、心配は大きかったはずだ。
努めて深刻でない様子を装いながら、僕は昨日の出来事を頭から抹消して話した。
「それが、父は僕を
ハリーとハーマイオニーは露骨にホッとした顔をしたが、ロンは少し疑わしげだ。僕の父がどういう人間か知っていれば知っているほど、家での態度は信じがたいものかもしれない。
「ビンセント、グレゴリー、あなたたちはどうだったの?」
ハーマイオニーの問いに、クラッブは肩をすくめた。
「うちの父親はほとんど家に帰っていない。そもそも帰ってきたとしても、話す習慣がない」
「僕のところも同じ感じかな。
「まあ……そんな……」
二人の父君は相変わらず息子に関心がないらしい。我が子を死喰い人に、というタイプではないことは救いだが、相変わらず育児放棄も甚だしい親である。ハーマイオニーは理解しがたいという様子で眉根に皺を寄せていた。
クラッブはフンと鼻を鳴らして笑った。
「安心しろ。もし父親が俺を利用しようとしても、大人しく使われてやる気はない」
「でも、そんなこと考えてるってバレたら、タダじゃ済まないだろう」
ハリーの言葉に、クラッブはニヤリと笑った。
「問題ない程度に、やれることをするさ」
何をするつもりなのだろう。いや、それより前に、クラッブとゴイルはそこまで完全に「光側」につくつもりなのか? 公にではないとはいえ……心配だ。
「二人とも気をつけて。無理は禁物だし、『沈黙は金』だよ」
思わず口にした忠告に、クラッブは半目でこちらを見た。
「お前がそれを言うかねえ……」
それは確かにそうなのだが……こちらは人生二周目だ。未来ある若者に無理をしてほしくない気持ちをわかってほしい。
無言で視線を交わす僕とクラッブの隣で、ハーマイオニーがやっぱり不安そうに首を傾げた。
「でも、本当に大丈夫なの? 『あの人』は……子供にだって容赦しないでしょう」
懸念はもっともだし、大いに注意すべきところではある。しかし、それをグリフィンドール三人組の前で口にするつもりはなかった。
「闇の帝王はハリーを除いて、魔法使いの子供に手を出したがらないだろう。なぜなら、その子供たちは一年のうちのほとんどの時間を最大の敵の下で──ダンブルドアのいるホグワーツで過ごすのだから」
実際、三年生の学期末の話を思い返してみれば、ダンブルドアもそう考えていたのだろう。
「利用するにしてもいたぶるにしても、露見は他の場所に比べてはるかに速やかだ。それはそのまま、ダンブルドアに尻尾を掴まれやすくなることを意味する。そのリスクを冒すほどの価値を未成年の魔法使いは持たない。かつて自分を破ったという汚名の原因である、ハリーを除いてね。
もし僕らが闇側に否応なく関わることになっても、在学中はせいぜい間接的なものだと思うよ」
希望的観測が大いに含まれている上に、ダンブルドアの目の届かない休暇中のことについては一切考慮に入れてない考え。しかし、ホグワーツの他寮生にはそうでも思っておいてもらわないと困る。スリザリン生が闇側と繋がりがある。自分達の敵である。そういった考えは、断絶に直結する。それに、完璧な嘘というわけでもない。騙しているような気にもなるが……僕の例を除けば、概ね事実だろう。
しかし、話を締めくくった僕に、ハリーは少し疑わしそうな視線を向けた。
「本当にそう思ってる?」
「えっ、うん」
見通しの甘さを突っ込まれることは予想していたが、僕が心の底からこう予想しているかどうかに突っ込まれるとは思っていなかった。おかげで虚を衝かれてシンプルな返事を返してしまった。やりとりを見て、クラッブがハッと笑う。
「やめておけ。闇の帝王がリスクを冒してでも利用したいガキがいたとして、そしてマルフォイがそいつ自身だったとして、本当のことを言えるわけがない」
たちまちハリーの顔色が悪くなる。おい、余計なことを言ってくれるな、クラッブ! 心の中で歯噛みしながら、努めて平静を装う。
「ちょっと、聞き捨てならないな。さすがにそんな事態になったら相談するさ」
軽く笑って返す僕に、クラッブもまた冷ややかな笑みを浮かべた。
「もしもの話だ」
知らない間に随分と強かになった幼馴染に、喜ばしいやら手こずるやらだ。とにかく、僕については曖昧なままでこの場を切り抜けたかった。
「まったく……まあ、確かに、大っぴらに旗色を示すのはよろしくない状況になった。クラッブとゴイルも態度に気をつけるんだ。蛇のようにすり抜ける狡猾さを持たねばね……」
やっぱり二人は納得しきっていない表情だったが、これ以上この話題を続けるつもりもない。
「ファッジから聞いた話と言えば、今年の『闇の魔術に対する防衛術』の教師だけど、闇祓いが四分の一学期ごとに担当することになるらしいよ。最初はドーリッシュという魔法使いなんだけど、これがまた少し厄介なところがあって……」
その後は何とか当たり障りのないことを話し、僕らは馬車を降りた。
どうにかハリーから闇の帝王に筒抜けになったとしてもセーフな会話を維持したつもりではある。しかし、それは僕についてだけだ。予想していたより、クラッブとゴイルはずっと光側に来てしまっているようだった。そりゃあ僕からすれば嬉しいことではあるが……それは同時に、彼らが非常に危険な状況に晒される可能性が跳ね上がってしまったことを意味した。
グリフィンドール三人組と別れ大広間に向かおうとしたところで、不意にクラッブが僕の腕を掴んで脇道にそれた。何事だ、監督生が生徒の集団から逸れていいものなのか? ゴイルも無言で後に続き、近くの小部屋に入ったところで素早く「耳塞ぎ呪文」をあたりにかけ始める。
クラッブは呪文の効きを確認した後、僕に向き直って腕を組んだ。
「で、お前は実際何をさせられているんだ?」
それは、ほとんど断定だった。弁明する気も起きないほど、クラッブの目には確信が満ちていた。
「……なんで分かったんだ」
推理小説の犯人でも言わなそうなありきたりな台詞を聞いて、クラッブは口の片端を上げた。
「お前が
最悪のパターンを真面目に検討しないのは、おそらく、もう自分自身が最悪のパターンで、他の子供はそうじゃないだろうと目星がついているからだ」
さっきの話からそこまで読んでいたのか。……というか、僕はそこまで分かりやすい人間なのか? こちらは閉心術をマスターしているというのに、クラッブは容易く僕の欺瞞を見破ってしまっていた。
ショックに言葉を失う様子を見て、ゴイルは心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
「ドラコ、本当に気をつけてよ。ハリーたちと一緒にいるのは問題ないの?」
「……諜報任務だから、むしろ推奨行動」
もはや誤魔化すこともできずに呻くと、ゴイルは顎に手を当てた。
「なるほど。じゃあ、適度にあちらに情報を流しつつ、ハリーを支援? でも、それをハリーに言わなかったってことはハリー自身にも知られないほうがいいんだよね? 厄介だな……」
言わなきゃよかった。猛烈な後悔が襲ってくる。この子たちはあまりにも頭が回りすぎるし、僕のことを大事に思いすぎている。幸いなことにヴォルデモート卿ご本人のことには気づかれていないようだが、そことは絶対に切り離したい。
「ビンセントとグレゴリーは……それでいいのか? というか、本当に
絞り出した言葉に二人は顔を見合わせ、呆れたように笑った。
「自分がどの道に進むべきなのかは知っている。多分、ホグワーツに来る前から」
「信用ないなあ。どうして僕らの最初の先生なのに、分からないの?」
「だって……危険だ」
返事にもなっていないようなことしか口にできない僕に、クラッブは肩をすくめた。
「お前も言っていたじゃないか。『蛇のように』。言質も証拠も取られないようにするさ。そもそも、さっきの予想も完璧な出まかせってわけじゃないんだろう?」
ゴイルも慰めるように僕の肩に手を置いて頷いた。
「ドラコ、君は一人じゃないんだよ」
それが問題だ。だが、これ以上深刻そうな雰囲気を出して何か勘付かれるわけにもいかない。
何とか微笑みを作り、納得したような雰囲気を作り出した。
「ありがとう。でも……気をつけて」
話が終わったのを悟ったのか呪文を解きながら、暗い空気を吹き飛ばすようにクラッブは笑った。
「礼はいらん。ああいや、お前が監督生を代わってくれるとありがたいんだが」
「いや、それは無理だろう」
話が切り替わったことに安堵しながら笑顔を返す。しかし、クラッブはあながち冗談で言っているのではないらしかった。
「ここに来るまで下のガキどもの視線が痛くて仕方なかった。いよいようんざりしてきたぞ」
怠そうなクラッブに、ゴイルが真面目な口調で返す。
「署名でも集める? 談話室の掲示板にでも張り出してさ……」
「やめてくれ!」
外に出てみると、あたりは随分と静かだった。僕らは言い合いながら何とか玄関ホールにいる最後の集団に追いつき、大広間に滑り込んだ。
学年初の宴は、聞いたことのない組み分け帽子の歌で始まった。その歌は、ホグワーツ創立の歴史と団結を唄った、今までにない警告だった。しかし、ある意味ではそれだけだった。ダンブルドアはヴォルデモート卿の復活について、再び全校生徒の前で語ることはなかった。
ファッジとの交渉のためなのだろうか? ありがたいといえばありがたいが、復活の事実が風化することについて、ダンブルドアはどう考えているのだろうか。
魔法省は否定までしていないものの、肯定の不在は隠せない。ここから見える範囲にもハリーの方をチラチラと窺い見る子供がいる。昨夏の出来事についての証人とその最大の擁護者がどのような視線を向けられることになるのか、正確に推定するのは難しかった。
グラブリー-プランク教授とドーリッシュ教授の紹介が済み、宴は終わった。クラッブは一年生の引率のため、僕を睨みつけながら前の方へと歩いて行った。二人で寮に戻ろうと思ったが、大広間に出るところで急にゴイルが姿を消した。探してみると、なぜか隅でネビルと額を突き合わせて何か話している。
「ゴイル、ネビル、どうしたんだ?」
こちらを振り向いた二人は随分と嬉しそうな顔をしていた。
「ああ、ネビルがミンビュラス・ミンブルトニアの鉢植えを持ってきたんだって。寮に置いてきたから、ついて行ったら見せてくれるって」
これから? 初日に他寮に出向くのか……いや、それはいいかもしれない。
「僕も行っていい?」
ネビルに尋ねると、同好の士が増えたと思ったのか、パッと彼の顔が明るくなった。
「うん、もちろん!」
一方のゴイルは少し眉を寄せて僕をみた。
「いいの? クラッブは怒ると思うけど。君に自分の代わりにスピーチさせたがってたし」
それが問題なんだろう。肩をすくめ、生徒の流れに加わりながら答えた。
「新入生をほっぽり出して他寮に遊びに行ってると見られれば、周囲からの不満もある程度落ち着くだろう……多分」
無責任な態度で上の階に足を向ける僕に、ネビルは目を丸くした。
「そういえばドラコ、君、監督生じゃないんだね」
「やめてくれ。もう百回聞いた気がする」
ハリーとハーマイオニーが一年生を引率しているところをのんびり眺めながら、僕らはグリフィンドール生の一番後ろを目立たないように付いて行った。後ろの方を歩いていた子が、こちらを振り向きぴょこんと頭を下げる。彼は昼にアホみたいに重い荷物を抱えてホグワーツ特急に乗り込んでいた子だった。周囲から嫌がられたら帰ろうと思ったが、別にその心配は必要なかったらしい。
上級生はもう顔馴染みだし、下級生には去年の色々で見覚えのある子が多い。ユール・ボールで声をかけてきた数人の三年生はこちらに軽く会釈した後、きゃらきゃらと笑いながら足早に階段を登っていった。
同級生もやって来た。ディーンとシェーマスだ。二人は後ろの僕らを見つけ、少し足取りを緩めて隣に並んだ。
「よっ。迷子?」
ディーンが笑いながら声をかけてくる。
「いんや。ネビルが珍しい植物を見せてくれるってさ」
僕の言葉に、ディーンの顔が歪んだ。ネビルがゴイルと話しているのを見ながら、彼はこっそりと耳打ちをしてくる。
「ああ、あれ……気をつけろよ。さっきコンパートメントで膿みたいなものぶちまけてたから。臭いのなんのって」
「臭液だね。軽い衝撃でも破裂するって聞いたことがあるけど、汽車の中でやったのか……」
そこで、僕はようやくディーンの隣のシェーマスが何とも言い難い表情をこちらに向けていることに気づいた。首を傾げて見つめ返すと、彼の表情には何やら気まずさのようなものが広がる。
「君……あの、いや……」
シェーマスは何とも言いづらそうだ。ともすれば、何が言いたいのかは大体予想がつく。
できるだけ真摯に聞こえるよう意識して、僕は小さく返事を返した。
「『例のあの人』のことだよね」
シェーマスの顔に緊張が走る。ディーンもネビルも思わず足を止めていた。
話を聞いていたのか、ゴイルがわずかに厳しさを帯びた雰囲気でシェーマスに語りかけた。
「僕らはホグワーツの生徒だ。組み分け帽子も言っていただろう? 『我らが内にて固めねば 崩れ落ちん、内部より』。敵だとは、決めつけないで欲しい」
「別に、そういうことが言いたいわけじゃないよ」
気まずそうに視線を逸らすシェーマスに、微笑みかける。
「シェーマス、君の気持ちも分かる。懸念はもっともだ。でも……僕らは友達を喜んで傷つける人間ではないよ。今まで通り仲良く、と強要するわけにはいかないけど……」
こちらの一歩引いた態度に、シェーマスは少し慌てたように首を振った。
「いや、いいよ。分かった。君がそういうやつじゃないってことは知ってる。でも、ダンブルドアが何も言わないから」
「うん……ありがとう」
グリフィンドールの五年生の中では、シェーマスが一番僕らに対する心の壁が厚いと思っていたが、やはりという感じだ。ただ、この場で僕らの姿勢を示せたのは幸いだった。シェーマスが心の底でどう思っているかは分からない。しかし、話を聞いていたディーンとネビルの顔には同情の色が見えた。
グリフィンドール寮の入り口がある階まで来て、僕らは合言葉が聞こえないように少し離れた場所でネビルを待った。しかし、元気いっぱいな下級生が「ミンビュラス・ミンブルトニア!」と叫ぶ声を無視するのはなかなか難しい。
そういえばシリウスはネビルの合言葉メモを盗んでグリフィンドール寮に侵入したらしい。でも、そんなことをしなくてもそこらに潜んで聞き耳を立てておけばよさそうな雰囲気だ。
暇つぶしにゴイルとクィディッチのトライアルについて話していると、グリフィンドール寮の方から大きな足音が聞こえた。急いでこの場に戻ってきたのは、やはりネビルだった。しかし、その顔にはいつにない緊張感が走っている。
「ドラコ──ちょっと来て──」
息も絶え絶えなネビルは、僕の手を引いて寮の入り口に向かおうとする。
「グリフィンドール寮内に? 流石にまずいよ」
ゴイルのもっともな言葉にも、ネビルは頑なに首を振った。
「ロンとハリーが大喧嘩してるんだ──杖が出るかも──」
ああ、クソ。こうなったか。僕はネビルを追い越し、「ミンビュラス・ミンブルトニア!」と叫んで、驚愕に目を見開いている「太った貴婦人」の後ろの穴をよじ登った。
初めて見るグリフィンドールの談話室に入った途端、異質な緑のローブに視線が集まる。しかし、その視線はすぐに奥の階段から聞こえてきた大声の方に向けられた。
「そんなに自分が憐れなのか?まあ、『生き残った男の子』だもんな。人を見下して! 君のそういうところ、いっつもうざったいんだよ!」
「君が、僕が恵まれてるって言ったんだ! どこがそう見えたのか言ってみろ! ちっちゃなロニー坊やは、自分が何かできないことを、いっつも他人のせいにしたがる──」
言ってることがやばすぎる。二人ともどうしたんだ? 思春期爆発しすぎだろ。
幸いなことに怒声のおかげで場所はすぐに分かる。僕は慌てて階段を上がり、声の発されている部屋に駆け込んだ。
「一旦待て!」
声を聞いて振り向いたロンとハリーは、明らかに頭に血が昇っている様子だった。しかし、ハリーはこちらを見て少し恥じるように視線を下げたのに対し、ロンはどこか軽蔑するような視線を向けている。まずいな。僕が来た方が悪かったか? けれど、今は兎にも角にもヒートアップを抑えるのが最優先だった。
「二人とも熱くなりすぎだ。感情的になって、相手を傷つけるために言葉を選んでいる」
僕の言葉に、ハリーはやはり眉を下げる。だが、ロンは強がるようにハッと笑った。
「いいや、違うね。ずっと考えていたことを言っただけだ」
それを聞いて、ハリーの瞳に再び怒りの炎が燃えた。やっぱり火に油を注いでいる感じがする。でも、なんとか静かに二人に語りかけた。
「もし、考えていたとしても、それが全てではない。今、そう思えなくてもね」
目を見つめると、ロンはついに少しだけ視線を逸らした。ホッとしたのも束の間、背後からハリーの苦しげな声が降りかかった。
「ロンは──自分がどれだけ恵まれているか分かってない。安全な、帰りたいと思える家を持ってて──それがどれだけ恵まれていることなのか、全然分かってない!」
ハリーの叫びは悲痛だった。心臓を掴まれたような衝撃が身体に走る。何も言えずに突っ立っている僕に向かって、ハリーは数歩歩み寄った。
「それなのにいつも僕に嫉妬して、不機嫌になって。……ドラコ、君だって分かるだろう」
しかし、ハリーが僕の名を口にした途端、ロンの顔に残酷な笑みが浮かんだ。
「そうやってまた、そいつ頼りか。死喰い人の息子に、そうやって気を許して──」
間一髪で、ロンが地面に打ち伏せられる前に、ハリーを羽交締めにできた。結局、魔法使いも極まれば杖じゃなくて拳が出るのか。ものすごい勢いでロンに手を伸ばすハリーは、僕より背が小さく痩せ型なのに凄まじいパワーだった。
「よくも、よくもそんなことを──」
息を切らして叫ぶハリーを前に、ロンは怖気付いたように後ずさる。その顔には、ショックだけでなく、わずかな後悔が滲んでいた。
やはり、僕が来ない方が良かったかもしれない。そうすれば、ロンをここまで突き動かしてしまうこともなかっただろうし、もっと穏便に済んだんじゃないか。少なくとも、今の僕がこの場を丸く収められる可能性はゼロだった。
混沌とした様相を呈している寝室に、救いの手がやってきた。ゴイルとネビルが追いついてきたのだ。ゴイルは状況を素早く確認すると、ロンに向かって口を開いた。
「ロン、今はもう行こう。ね?」
ゴイルはロンの肩を支えるように手を当てた。ロンは戸惑ったように目を瞬かせたが、こちらをチラリとだけ見て部屋の扉に向かった。ありがたい。去年ロンとゴイルが仲良くなっていたことをここまで神に感謝したことはない。
しかし、入り口にたどり着く前に新たな人物が到着してしまった。ウィーズリーの双子だ。
「お前、何してんだよ。下まで聞こえてきたぞ?」
明らかに非難のこもった声色で、双子の片方がロンに話しかける。頼むからやめてくれ。これ以上ロンを追い詰めて良いことなど何もない。しかし、ロンが答える前にゴイルが二人に首を振った。
「今はやめて。悪いけど、放っておいてくれ」
ピシャリとした物言いに、家族なのにも関わらず放っておけと言われた双子は顔を見合わせる。ゴイルはそのままゆったりとロンに話しかけた。
「僕らの部屋に来たらいいよ。目眩し呪文をかけて入ればバレない。さあ──」
死喰い人の息子の巣窟にロンが行きたがるだろうか? 流石に無理だろうと思ったが、どうやらここよりはマシだと判断されたらしい。ロンはゴイルに伴われ、そのまま部屋を出ていった。
そこで、ようやく腕の下のハリーの身体から力が抜けた。…‥疲れた。精神的にも、肉体的にも。ずっと肩に回していた腕がこわばり、ピリピリと痺れている。しかし、ここでこの子を放置するわけにもいかなかった。
ようやく静かになった部屋で、ハリーはベッドに上がり、膝を抱えて顔を伏せた。気づけばネビルだけでなく、ディーンとシェーマスも部屋に戻ってきてしまっている。みんな困惑と不安の満ちた顔でこちらを見ている。
「ごめん。悪いんだけど、しばらくこの部屋にいてもいい?」
僕の言葉に三人は顔を見合わせた。
「……別にいいけど、マクゴナガルに怒られないかな?」
ディーンは誤魔化すように笑いながら、肩をすくめる。
「ありがとう。マクゴナガル教授には、後で僕から謝るよ」
それだけ言って、僕はハリーのベッドのカーテンを引き、無言で「耳塞ぎ呪文」をかけてハリーに向かい合うように座った。
カーテンの外に話し声はない。三人は耳をそば立てているのだろうか? そうだとしても、何も聞こえてくることはないが……
「何があったのか、聞いてもいい?」
ハリーは少しだけ顔を上げ、かすかに頷いた。
「ロンは……ずっと不満そうだった。昨日、僕が監督生バッジを受け取ったときから。それでずっとイライラしてたんだ。別にそれはいいさ。去年だってそうだった」
やっぱり、ハリーにも去年のことは思うところがあったんだな。いや、以前のことについては許していたんだが、同じ状況で同じような反応を見て、思い出してしまったというべきか。正直なところハリーはずいぶん心が広いんだな、と思っていたのでこれは納得できた。
僕が頷くのを見て、ハリーは時たまつっかえながらも話を続ける。
「でも、僕が一年生に寮生活のルールのこととか、寮杯のことを話してるとき、あいつはずっと馬鹿にして笑ってたんだ。それで……やめろって言ったら、そんなことしてないって誤魔化して……
ロンは君にだって、酷いことを言った! 『父親に聞いたほうが早い』? よくもそんな無神経なことを……だから、そういう態度をやめろって言ったんだ」
馬車の中での話が出てきた。そんなところから、ハリーはロンに怒っていたのか。というか、そこは気にしてくれるな。事実なんだから。
最後のところを無視して、なんとかロンの味方に見えないよう、かつハリーの気を落ち着かせ、二人の断絶を加速させないような言葉を探す。
「そうだね。ロンはどうも自分に自信がなくて、追い詰められると攻撃的になることがある」
「……うん」
「普段のロンは確かにちょっとデリカシーはないが、それが良いところでもある……でも、嫉妬が大きくなってくると、どうにもその調子が出せないみたいだね」
「…………うん」
話をしているうちに、ハリーの瞳の怒りは悲しみに変わっていった。
わずかに震える唇でハリーは口を開く。
「なんで──なんでロンは分かってくれないんだ。僕はロンを──見下したりしてないし、君が死喰い人の息子なのは、君のせいじゃないのに」
ハリーの口調に、わずかに誤魔化しが見えた。どこでそう思ったのかは知らないが、多少は見下したんだろう。絶対に突っ込んで聞く気はないが。僕だって、ロンに対して軽んじているところがないなんて、百%言えない。それに、やっぱりそれが全てではない。
それにしても、ハリーがロンの不理解に悲しみを抱いてくれているのは、安心できる事実だ。もしここで諦めや軽蔑が支配的だったら、いよいよ打つ手がなくなるところだった。人間、一度精神的に突き放した人間と再度よりを戻すのは難しい。もっとも、ロンの方がどうなっているかは知らないが……今回、僕は本当にロンに関わっていいことがなさそうだ。
しかし、喧嘩で言っていたことを考えると、僕がハリーの方と関わりすぎるのもロンとしては気に食わない事態なのかもしれない。経験から言って、ロンは人に対する心配が怒りに転化される傾向がある。厄介だ。
できることは少ない。だが、兎にも角にもハリーを落ち着かせて、第二第三の大喧嘩を予防せねばならない。明日からこの子達は、否応なしに一緒に生活しなければならないのだから。
「ハリー、君に原因があるわけじゃない。今回は状況が悪かったんだ」
僕の言葉を聞いて、ハリーは再び膝に顔を埋めた。しばらく沈黙が続いた後、くぐもった声が聞こえてきた。
「僕は謝らないよ。ロンが先に謝らないかぎり、絶対に許さない」
まあ、そうなるわな。この状況でハリーが自分から頭を下げにいくなんてありえない。しかし、とりあえず頭を冷やす期間が設けられるんだったらなんでもいい。
「分かってる。大丈夫だよ。でも、手を上げるのはやめておきなさい。君の不利にしかならないから。苛立ったら僕のところに来て、相談してくれ。いいかい?」
ハリーはわずかに膝から顔を上げ、こっくりと頷いた。
根本的な解決には全く至っていないのが歯がゆいが、今の段階で僕にできるのはここまでだろう。ハリーに確認して呪文を解き、僕はカーテンの外に出た。案の定、ネビルとシェーマス、ディーンが三人揃ってこちらを見ている。
努めて平静を装いながら、僕は三人に笑いかけた。
「さて、どうしようかな。今、自分の部屋に帰ったら、多分ロンがいるんだよな。追い出すわけにもいかないが、顔を合わせたらまた面倒なことになりそうだし……」
仕方ない。空き教室にでも行くか。一晩くらいなら、目眩しでフィルチもピーブズも完璧に誤魔化せる自信はある。そう考えていると、三人は顔を見合わせて頷き合った。
首を傾げると、ディーンは肩をすくめてベッドの一つを指差す。
「ロンのベッドで寝れば? どうせ、ロンも君のベッドを使うんじゃない?」
寮のルールが崩壊している気がする。いや、心理的障壁がなくなっているのは喜ばしいことこの上ないのだが、本当にいいのだろうか? 校則に他寮に泊まってはならないというルールはあったっけ? そもそも他の寮に入ること自体がイレギュラーすぎて、規定がなかった覚えがある。
だが、正直申し出は有難い。後で先生方に何と言われるか、という懸念を頭から追いやりながら、僕はディーンに笑いかけた。
「僕が自分のベッドを使ったと知れば、ロンはあんまり喜ばないだろう。でもこの部屋に泊まっていいかな?」
僕の言葉に、三人は再び顔を見合わせた後頷いた。
「ありがとう。……何か適当に変化させていい、大きいものはない? 後でちゃんと元に戻すから。それと、羊皮紙と羽根ペンも」
結局、僕はハリーも含めた四人の空の鳥籠や予備のローブに変身術をかけ、簡易的なベッドを五人部屋の隅に設えた。
ついでに談話室に降りて、他の生徒にざっくりと事情を説明しつつ──反対する子が出るだろうと思っていたが、驚いたことにグリフィンドール生的にはセーフらしかった。というか、明らかに「それってアリなんだ」と喜色を浮かべているのが何人かいた──みんなの前でマクゴナガル教授に報告を綴った手紙の鳥を送った。
しばらくして、マクゴナガル教授から「明日の朝一番に、ポッターと一緒に事情を報告しに来なさい」というメモを受け取り、談話室の集いは解散した。……長い一日だった。着ていた制服を軽く洗浄して寝巻きに変化させ、ようやく僕は簡易ベッドに潜り込んで目を閉じた。