音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった 作:樫田
新学期が始まった週の土曜日、僕はファッジ大臣のもとを訪ねていた。こちらの方から約束を取り付けていたわけではない。もともと指導要領に関して試行段階からの移行を見据えた動きが必要だったし、大臣自身、ダンブルドアの膝下であるホグワーツの様子を知りたがっていた。
ホグズミードからウィルトシャーの屋敷、そこからさらに魔法省の来客用暖炉へと煙突飛行ネットワークを乗り継ぐ。見慣れてきた重厚感のある廊下を進み、大臣の執務室の扉をノックした。大臣のものではない声に許可を得てドアを開くと、目に飛び込んできたのは大量の羊皮紙の束を抱えたビンクだった。
自身の体積の二倍はあろうかという量の書類をものすごい勢いで捌いていた優秀な屋敷しもべ妖精は、こちらを見てパッと笑顔を向けた。
「ああ、坊ちゃん! お待ちしておりましたよ」
腰丈の抱擁をしゃがんで受けながら辺りを見回すが、大臣は見当たらない。不用心にも、留守を彼女に任せ、僕を部屋に待たせていいと判断されたらしい。
膝を折ったまま、少しだけ声を潜めてビンクに話しかける。
「久しぶり……ではないね。ここの働き心地はどう? 無茶な量の仕事は振られていないだろうね」
ビンクは片眉を少し上げ、胸を張ってにっこりと笑った。
「この程度、お屋敷でマフィンを焼くよりずっと簡単でございますよ。けれど、大臣はちょっぴりビンクを頼られすぎているかもしれませんね」
いたずらっぽいほほえみに、少しほっとした。このハイパー屋敷しもべ妖精が、仕事の量が多すぎると文句を言うことは決してないだろうが……どうやら本当に無理をしている様子でもなさそうだ。
「大臣の気持ちはわからないでもないけど、ほどほどにしてもらわないとな……」
漏れてしまったぼやきに、ビンクは肩をすくめる。先ほどの様子を見ても、彼女は自分の能力を存分に発揮できているらしい。この妖精は僕一人についているよりも、この場所での方が生き生きと働けるのかもしれない。勝手に寂寥感に浸っていると、そんな思考を見透かしたようにビンクは目を優しく細めた。
「坊ちゃんがお戻りになるクリスマスが待ち遠しくてたまりません。甘さ控えめのミンスパイを、どっさりお作りしましょうね」
やはりいつになっても敵わないものだ。
出してもらったお茶を飲みながらビンクに学校の様子を話しつつ、大臣を待つことにした。
しばらくして部屋に慌ただしく入ってきた大臣は、部屋の空気に反して、予想していたより朗らかな様子ではなかった。
「やあ、ドラコ。遅れて悪かったね。新学期はどうだい?」
声色こそ柔らかく取り繕っているが、視線はどこか忙しなく、その瞳には鬱憤の色が浮かんでいる。……もっとも表情からすると、その機嫌の原因はこちらにはなさそうだ。
ただ、この状態を放置してこちらの件を話し始めるのも得策ではない。不機嫌な人間は、往々にして敷かれたレールの匂いに敏感だ。だから、本題に入るのは適当に愚痴を吐き出させた後にしたい。しかし、どうやってこの不機嫌の原因を聞き出そうか?
けれども、この懸念はあっさりと解消された。
「いやはや、ドローレスには困ったものだ……君も覚えているね? もともと闇の魔術に対する防衛術教授に着任予定だった上級次官の……許可なく吸魂鬼に接触したことが明白な以上、ある程度の処分は免れないのに、まだこちらに無実を訴えてくる! 彼女はこれが公になったらどうなることか全くわかっとらん!」
そのまま愚痴は止まらず続く。大臣は椅子にどっかりと座るやいなや、知りたかったことのほとんど全てを話してくれた。
「極めつけには、ダンブルドアからの調査要求だ! あの件からもう一月は経とうというのに……彼女が実際に……あー、
どうやらダンブルドアはアンブリッジのカードを決め手に、大臣の動きに口を出そうという算段らしい。悪いやり方ではないし、現実として十分に監督責任があるとは思うが……すでに対立してしまった立場からその意見を通すのは至難の業だろう。どうやっても、ファッジの反抗心を煽ることになる。
しかし、この状況がこちらにはありがたい。
「大臣、あなたをいいように説き伏せられないと気づいてから、ダンブルドアは魔法省の権威を弱める術を探しているように思います」
控えめな同意を装った言葉に、ファッジは毛髪の少し薄くなった頭で深々と頷いた。つかみとしては悪くない。
「もっとも、それでも彼にできることはそう多くはありません。結局のところ、大臣の指示や魔法省の組織的な関与を示すものを、ダンブルドアは何一つ見つけられていない。それゆえに、今のような出方になっているのでしょうし。吸魂鬼の管理監督の強化を済ませてしまえば、それ以上のことは求められないはずです。以前求めていた吸魂鬼使用の廃止のような、極端な策までは話を進めようもありません。現実の問題は吸魂鬼ではなく、アンブリッジにあるのですから」
正直に言えば、アンブリッジが本当に吸魂鬼の件全ての黒幕なのか、僕にはわからない。こちらの知らないところで死喰い人とつながっている可能性ももちろんあるし、そうでなくても無罪の可能性はゼロじゃない。
しかし、もしそうであっても、今それが明らかになっては困る。闇の勢力の活動が明るみに出る前にしなければならないことが、山ほどあるのだから。今は布石を打つことだけで……将来吸魂鬼が離反したとき、すぐに魔法省が動けるような準備を促すことだけで、僕には手一杯だ。
こちらの思惑を見透かした訳ではないだろうが、ファッジはすぐに機嫌を直してはくれなかった。
「うーむ……だからと言って、それでダンブルドアが満足するとは考えられないな。この件を彼に引き合いに出し続けられるのは厄介だ……」
渋面には先々への不安が現れている。なかなか悩みは深いようだ。ここは、ファッジから見て未来を予想できないこの状況を利用して、彼の動きの方向性を決めていくのが得策だろう。
できるだけ謙虚に見えるよう控えめに微笑み、僕は話を続けた。
「確かにそうですね。ただ、今この時にダンブルドアが問題を表沙汰にしなかったのは、我々にとっては幸運だったかもしれません」
「そうかね? 弱みを握られることになったのではないかな?」
ファッジは怪訝そうに眉を片方上げた。
「それが弱みであるならば、ですね。この件は数に残るような被害を出していません。時間が経つにつれての風化がある程度は期待できますし、扱い方によっては、露見したとしても多くの民衆に『なぜそんな問題を今更引っ張り出してきたんだ』と思わせることもできるでしょう」
僕の言葉に、ファッジは久々に年長者ぶった、皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「いやいや、存外人々はこちらの都合よくは動いてくれんものだよ」
どうやら少し話に現実味を持たせきれていなかったらしい。さらにトーンを低姿勢に、真面目な若輩者らしく調整しつつ次の言葉を選ぶ。
「そうですね。少し楽観的すぎました。ただ、この件が『別の意図のために引き合いに出されている』と人々に思わせられればいいと思ったのですが……」
「ふうむ。どうやって?」
鷹揚なそぶりは崩さないまでも、ファッジは少し興味ありげな様子を見せた。
「そうですね……今、大臣は教育改革に乗り出そうとしてくださっています。その中で校長と対立することは当然に考えられますし、その対立が公になることもまた、自然でしょう。この状況下で、ダンブルドアより大臣、あなたの方がより魔法界を良い場所にしようとしていると人々が思うなら……その時、この件自体ではなく、この件が引き出される状況に、注目が集まるようになれば……相対的に事件自体の重要性は下がる。さらに言えば、ダンブルドアがこの件を引っ張り出してくること自体、『自分の名声を脅かす改革を妨げたい』という狙いを証明するものになる……そう人々が受け取ってくれる可能性も、あるのではないかと思いまして」
最後に「完全に波風立たず、と言うわけにはいかないでしょうが」と付け足しつつ、話を終える。正直なところ舌先三寸の言葉に過ぎないが、ファッジが闇の帝王復活の有無ではなく、教育のフィールドでダンブルドアと戦ってくれるならなんだっていい。
それでも大臣は考えるようなそぶりを見せていたが、少なくとも矛先は変わりつつあった。
「う……む、そうか……そうだな……ダンブルドアに対抗するためには、我々がいかに民意に応えているかを見せねばならん……そういえば、新学期の『闇の魔術に対する防衛術』の授業はどうだったかね」
ようやく話の入り口に辿り着いた。しかし、本題はここからだ。
ドーリッシュの実態を元手に、生徒の実になり、ダンブルドアを凌ぎたいというファッジの欲求を叶え、闇の帝王にとっても益があるように見える改革案を通す。かなり無茶がある策略だが、やるしかないものはやるしかないのだ。
切り出し方は迷うところだが……まずは話の方向性を決められそうな事実を率直に伝える。
「ドーリッシュ氏はアンブリッジ女史の後任として、彼女が指定した教科書をそのまま使うことに決められたようです」
ファッジの顔に、手のかかる部下由来の不信が広がる。
「うむ? それで、上手くいっているのかね?」
あの粗末な本をチラとでも読んでいたら出てこないであろう台詞に、ため息が出そうになる。
「魔法に対する一つの学説を学ぶと言う観点から言うならば、『防衛術の理論』は一定の価値があると言えるでしょう。でも……正直なところ、生徒の反応は良くないです。どうしても子供は分厚い本を読むより、実際使える呪文を学びたいものですから」
「しかし、ホグワーツの生徒にいたずらに……あー、
やはり、ファッジはダンブルドアが麾下に戦力を集めるのではないかと怯えているらしい。あの可哀想な校長先生が未成年をこんなくだらない戦いの場に出そうとするわけがない──それ以外手がない場合は別として──のだが、この軽蔑心は表に出すべきではない。
真摯さを装って頷き、話を進める。
「まさにおっしゃる通りです。だからこそ、授業でどの呪文を扱うかを、校長や教師個人の判断に任せる制度を変える必要があるかもしれません」 「そうかね?」 ファッジは腑に落ちない様子だ。もう少し、現状に対してネガティブな印象を持ってもらう必要があるかもしれない。
「ホグワーツで実戦に使うものを全く教えないという選択肢もあるでしょう。けれども、それで子供達の学びたいという意欲が消え去ってくれるわけではありません。O.W.L.などで使う魔法に関しても、試験制度から変えなければ、禁止することは難しいでしょうし。結局、その欲求は上級生に教わるとか……最悪の場合ダンブルドアに教えを請う方向に行く可能性もある。それらが水面下で行われることこそが、我々にとって最も避けたい事態だと言えるでしょう」
魔法省の政策が、むしろ子供達をダンブルドアの下に走らせる。その可能性に思い当たったファッジは、背もたれから肉のついた身体を少し起こした。
「……しかし、授業で教えれば彼らは確実に力をつけてしまう」
なんと馬脚を現した口ぶりだろうか。脳に詰まった保身の思いが口から垂れてくるさまが見えるようだ。
「僕もそう思います。そこで、攻撃呪文まで自由に教えるのではなく、防衛呪文を中心に魔法省が許可した範囲だけを教えさせるんです。これは初学者の安全面からも推奨されるべきことです。さらに、学年ごとに何を教えたか記録に残せば、それ以外の魔法を教えた教師を判別することも容易いでしょう」
ファッジは気にしているのか──いや、そもそも気づいているか──どうか知らないが、そもそも基本の『盾の呪文』すらまともに使えない魔法使いが、この世界には多すぎるのだ。ほぼ義務教育的立ち位置にあるホグワーツで防衛術を初歩だけでも叩き込めれば、相対的に闇側の戦力は小さくなる。
「そうだな。確かに……その仕組みがあれば、人手不足の魔法法執行部からわざわざ出向をさせずに済む」
大臣の目には人的リソースの削減が魅力的に映ったらしい。今年度、わざわざ『防衛術』の椅子をダンブルドアの手からもぎ取った割には有効活用できている感じがなかった。扱いあぐねている部分があったのだろう。
「今の『防衛術』講師は大臣が派遣されたドーリッシュ氏ですから、彼に魔法省の定めた内容を教えさせれば……生徒がダンブルドアではなく、魔法省の指導によって力を身につけていると示せるでしょう」
暗に早いうちに手を打てと仄めかす。今やファッジは口元で手を組み、具体的な方策を吟味し始めているようだった。
「そうだな。肝心の内容について……そういえば、ドーリッシュはなぜアンブリッジの教科書を使おうと考えたのだろうか。指導要領の試案は使っているのだろうね?」
いいところを聞いてくれるじゃないか。内心ほくそ笑みながら、意識的に眉を下げる。
「残念ながら、目を通されていないようです。ホグワーツではままあることのようですが、全学年で同じ教科書を使っていらっしゃるようなので。特に、学年ごとの段階に合わせた形にはなっていません」
あの教科書にはそれ以前の問題が満載だが、今それに触れる必要はない。
ファッジの眉間には再び深い皺がよった。
「ドーリッシュはこちらからの指示を無視しているということか?」
おや。個人を処罰する方に行ってしまうと意味がない。
「いや、アンブリッジ女史からの流れを引き継ぐのが適当と思われているらしいのと……単純に、やりやすさの問題かもしれませんね。試案自体、読みやすく、かつ使いやすいものとして仕上げられているかというとまだまだです。わかりやすい教科書がある方が楽、というのも頷けます」
それを仕上げるための今年度だったのだが、愚痴を言っても仕方がない。ファッジは少し得心が行ったようだ。
「では、教科書を改めて指定し直す必要があるということかな」
「そうですね。さらに、それを制度化できるととてもいいのですが……具体的にこの本をというよりは、要領に沿った内容に適した教材を使うよう、推奨する形で。反発も考えられますから、要領の内容に正当性を持たせるための委員会を設置して、さらに実際の授業内容からのフィードバックを委員会から受けて改善する仕組みも法制上に盛り込んで……」
そこまで話したところで、大臣の顔に翳りが出た。具体的に動く段に考えが至り、少し面倒くささに思い当たってしまった……そんなところだろう。
これこそがチャンスだ。仕事を引き受け、権限を得る。
「僕に資料を作成させていただけませんか? 法案と、学年ごとと教科ごとの指導要領試案、具体的な教材例……あと委員会の制度案とメンバー候補のリストと……実際に運用する際の情報管理の呪文についても記載すると実務に使えますかね? 学生の身で、大それたことかもしれませんが」
差し出がましくて申し訳ないというふうに、遠慮がちな、しかし意欲にあふれた若者の面構えで問う。
ファッジの顔には積み上げられかけた雑務が取り除かれる安堵が広がっていた。
「そうだな。君の試案は素晴らしかったし、私としてもぜひやってみてほしい。頼んでもいいかね?」
こうして、僕は魔法界の教育委員会……いや、文部省らしきものの叩き台を作る権利を手に入れた。
上機嫌のまま、大臣は執務室の暖炉から直接自邸に帰ることを勧めてくれた。
去り際、彼は僕の肩をポンと叩いて鷹揚に笑った。
「いやはや。流石、ルシウスの息子だ。しかし、君はお父上よりも魔法省のことに精通しうるやもしれんよ」
緑色の炎に包まれ、たどり着いた自室の暖炉で深々と息を吐く。それなりに……成果はあった。
しかし、今日はこれでは終わらない。いや、ここからが本番だというべきだろうか?
これから、階下の応接室で、この世で最も顔を合わせたくない人間と話をしなければならない。