駄洒落じみたその言葉は、その実レースの”真実”とも言えるものであった。
ターフを駆けるその一瞬に、貴女は何を賭けられる?
数多の才能が鎬を削る世界では、思いの丈が勝敗を分ける。
ターフを駆けるその一瞬に、貴女は何を賭けられる?
ああ、今なら迷いなく言える。あの時は答えられなかった、その問いに。
「ターフを駆けるその一瞬に、貴女は何を賭けられる?」
「勝つためなら、私は全てを、賭けられる。」
再起
ターフに魅了されたのはいつだっただろうか。
走ることは私たちの本能。でも、それだけだったらどこでもできる。
昔やっていた山道でのかけっこだって、当時子供だった私達からすれば真剣なレースだった。
それでもあの芝を駆けたいと、一着の景色を見たいと思ったのは…きっと、彼女たちの輝きを浴びてしまったから。
あの瞬間、周りで沸き起こった耳を伏せたくなるほどの大歓声が、私を昂らせてしまったから。
私は夢中になって、走って、走って、走った。
苦手だった勉強も必死になってやった。
でも、炉の火が消えてふと振り返ったそこに残っていたのは、たった一度の、なんてことない木っ端のレースの入着記録。
記念に買った花は、とうの昔に花瓶の中で枯れていた。
内の熱が冷めて現実に戻った私は、逃げるように学園を去った。
ニュースを見れば、友人だった誰かの輝かしい戦績が映っていた。新聞を読めば、クラスメイトだった誰かの惜しまれながらの引退が一面になっていた。ネットを開けば、あの日競った誰かがインタビューを受けていた。
ああ、ああ。
私は何も成せなかった。
私は誰の心も動かせなかった。
劣等感と敗北感は、毒のように私を蝕んでいった。
走ることも、見ることも嫌になって。ただ、他の何も見えないように必死に大学受験に向け勉強をした。
「…今日は、寒いな」
ポツリとつぶやく。少しだけ寒い、よく晴れた3月のある日。
その日は受験の合格発表の日だった。
張り出された番号の中に、私の番号はなかった。
ヒュウと小さく風が吹いて私の顔を隠していた長い前髪が持ち上がる。
すれ違った人がギョっとした顔で横を通り過ぎたのが視界の端に映った。
「うん、ほんと寒い寒い」
泣き腫らし、真っ赤になった目と鼻先を誤魔化すように私は何度も寒そうに手を擦り合わる。
家に帰る気がわかない。家に帰ったら、両親に報告しなきゃいけないから。
あいも変わらず私は負けて、逃げていた。
トコトコと行くあてもなく歩く。大学から駅までの道を外れて、住宅街を抜けて川沿いの大きな道に出た。
そこにあるのは、三つの道。
歩道と、車道と、ウマ娘専用レーン。
私は自然に、歩道に入って歩き始めた。
左側に川が見えて右側に住宅街。変わらない景色をひたすらまっすぐ歩いていく。
「そうだ、歩きながら両親への言い訳でも考えよう」
私以外誰もいないその道で、ボソボソと喋りながら私は歩く。
「試験日は雨だったし、気圧で頭が痛かったとか。横の人の貧乏ゆすりの音がうるさくて集中できなかったとか。何てったって耳のいいウマ娘だもんね。あとほら、ウマ娘なのに最近走れてなくてストレス溜まってたとか!」
段々と声は大きくなって、最後には川に向かって叫ぶように言っていた。
…はぁ、バカバカし。
小さくため息をついて前に向き直る。その時、
『ウマ娘専用レーン』
さっきの自分の言葉が頭の中に反響する。ウマ娘なのに最近走れてなくて…か。
チラリと周りを見渡す。
誰も、いないよね。よし。
私は歩道を出て、恐る恐るレーンに入った。
昔はよく使っていたけど、走るのをやめてからは一回も使った事なかったな。
「今後一生走らないとか思ってたけど今日はもういい、ヤケクソだ!」
私は走り始めた。
風を生み出しながら、スピードに乗っていく。
ずっと室内で勉強ばかりしていたせいか、耳元のビュウという音すら久々に聴いた気がした。
ああ、やっぱり気持ちいいなぁ。
走り辛い靴、走り辛い服。
それでもやっぱり走るのは楽しかった。
すごいスピードで後ろに流れていく景色。
横の建物に合わせて、日向と日陰が一瞬で何度も切り替わる。
私は必死になって、全力で走った。
「今ならあのレースにも勝てるかも、なんて…キャッ!」
その時強い風が吹いた。私は体勢を崩して、レーンの中ですっ転んでしまった。
あはは…恥ずかしいな、風でバランス崩すなんて。
流石に走るの下手になりすぎ。
誰も見てなくてよかっ「あの、すみません大丈夫ですか」……た。
「ごめんなさい、横を走り抜けた時にぶつかってしまいましたか?」
風じゃない。風なんかじゃない。
「えっとあの、怪我してませんか?」
全力で走る私を楽々追い越して、無様にコケた私を心配して戻ってきたのは。
「あ、あの…何かお返事を…」
「あ…大丈夫、です」
掠れた声が出た。
呆然として、全身の力が抜けて。見上げることができなかった。
見上げたらきっと、泣いてしまう。
この子は何も悪くない。ぶつかってすらいない。
ただ、いつものペースで走っていただけ。
変に心配させるのは、かわいそう。
気まずい沈黙が流れた。と、その時。
「…あ!ごめんなさいちょっと失礼しますね!」
彼女は唐突に私を優しく持ち上げ、歩道に素早く移動した。
私は「いきなり何を?」と聞こうとして見上げた。
瞬間、レーンを何人ものウマ娘が走り抜けていく。
速かった。
私とは比べ物にならないほど。
「いきなりごめんなさい!実は並走中でして!後ろから彼女たちが来てて、えっと!」
あたふたとする少女を、ぼーっと眺める。
ポツリと口から漏れたのは、無意識の言葉だった。
「並んでないじゃん…」
「ギク!いやちょっとえっと別に、皆が遅かったから置いてって後で弄ってやろとか思ってたわけじゃなくてですね!」
焦った顔からは、前に行った彼女たちとの友情が見え隠れしていた。
ああ、眩しい。
見ていられない。
「じゃあ、急いでいったほうがいいんじゃない?」
早く行って。
目の前からいなくなって。
私の言葉に一瞬キョトンとした彼女は、すぐ納得したような顔になると満面の笑みで言った。
「問題ないですよ。すぐ、追いつけるんで」
その顔には、自信がありありと溢れていた。
当然のことでも言うかのように。
私が見ただけで勝てないと思うようなスピードで駆けて行った彼女たちに、簡単に追いつくと。
私は叫びたくなる思いを必死に我慢しながら早く行くよう促した。
「えっとすみません、じゃあそろそろ行きますね!怪我ないみたいでよかったです!」
そして、あの女は思い出したかのように「あっそうだ。」と呟くと、付け加えるように言った。
「後ろにもう何組か友人が走ってますから、もうちょっとペース上げていただけると助かるかもです!」
彼女は走り去っていった。
単純に、レーンが詰まってしまうからってだけの話だったんだろう。
嫌味とかじゃなくて、彼女たちレーンをよく使うウマ娘からすれば、私のペースはそれこそ歩いてるか流してるようなもので。
だから、「レーンを使うなら走って欲しいな」くらいの気持ちだったんだろう。
私は無言で歩道に座り込む。
立つ気にも、ならなかった。
何分そうしていたか。先ほど彼女が言った通り、3組ほどのウマ娘が横を走り抜けていった。
その誰もが、私よりもうんと速かった。
「は、はは…」
前を見る。
そこには、歩道があった。
遠くで、人間の子供が楽しそうに走っていた。
横を見る。
そこには、『ウマ娘専用レーン』があった。
「何が、ウマ娘専用レーンよ…『速いウマ娘専用レーン』に名前変えてよ…」
ポツリと呟く。
さっき少女の前で我慢していたものが、ついに溢れ出した。
「私が何したっていうのよ!!!」
叫ぶ。肩にかけていた荷物を地面に叩きつけて、蹲って泣く。
情けなくて、悔しくて。
何度も地面を叩いて私は涙を流した。
ふと手に何かが当たる。それは、星のような花のキーホルダーだった。
カバンの端につけていたが、地面に叩きつけた衝撃で取れてしまったらしい。
私の分身とも言えるその花を、私は縋るように握りしめた。
「何でこんな…私だって、私だって…ッ!」
万力のような力で握られたキーホルダーにヒビが入る。
構わず握りしめて私は願うかのようにつぶやいた。
「私だって、走りたい…ッ!」
キーホルダーが砕けて、目の前に光が広がる。
遠くなる意識の中で、時計の針が巻き戻る音がした。
☆☆☆☆☆
「ほら!なにボサッとしてるの!早く準備しなさい!」
「あ、え、お母さん…?」
「何?まだ寝ぼけてるの、早くしないと遅れるわよ!」
「遅れるって…何に?」
「何って…
「………え?」
私は見知ったベッドの上で、間抜けな声で呟いた。
気が向いたら続きます