私は今きっと間抜けな面を晒している。
いやでもだって…うん、おかしいよ。ただ私の頭がおかしくなっただけなんだとしたら、それで説明はつくんだけど。
「はぁ…楽しみで寝れないなんて昨日遅くまで騒いでたからよ?早く準備して下に来るのよ」
ポカンとした顔で見上げる私に、お母さんはそう言い残して部屋を出ていった。
そして部屋に取り残される状況が飲み込めない私。
さっきお母さんは何て言ってたっけ?
そうだ、トレセン学園の入学式って言ってた。
何それ6年前じゃん。
ショックのあまり気絶して家まで送られてきた私のこと、からかってるとか?
…いや、お母さんはそういうことするタイプじゃない。
夢でも見ているのだろうか。
夢っていうか…ついに参りすぎて幻覚見てるとか?だとしたら間抜けな話だ。見るのが成功した自分とかじゃなくて、昔の自分だなんて。未練たらたらすぎて笑えてくる。
今の私はまだアスファルトの上で、座り込んでる。うん、間違いなくきっとそうだ。
その方が遥かに現実的だ。
過去に…戻ったなんて、SFより。
あの歩道広かったし、ベッドの脇に見えない床でもあるんでしょどうせ。
「…ッ!痛った…」
ようやく頭の整理がついて動き出そうとした時、私の手に刺すような痛みが走った。
さっきから握りっぱなしだった手をバッと開き、手のひらを見る。
「ぁ………」
そこには、砕けたアクリルの破片の塊があった。
かけらになっても、一部しかなくてもなおわかる見慣れたイラストのプリント。
誰かに貰ったのか買ったのかすらも忘れた、肌身離さず何年も使ってた私の分身。
私と同じ名前を持った花の、小さなキーホルダー。
思い出すのは意識を失う直前の記憶。
そっとベッドから足を出して、部屋の床に下ろす。
透明な床なんてそこにはなくて。
ベッドから一段下がったその床に、私の足は間違いなくついていた。
「幻覚じゃ…ない。夢?でも手痛いし…何が起きてるの?」
はぁはぁと息が乱れる。
意味がわからない。
来てはいけない、異世界に紛れ込んでしまったかのような感覚。
焦燥のままに部屋を飛び出した私は、階段を駆け下りてリビングに駆け込んだ。
母親に縋り付いて聞く。
「ねぇ、揶揄ってるんでしょ?やめてよタチ悪いよ。受験はまた来年頑張るから!」
「何言ってるのかね、このバカ娘は…受験はつい先月終わったところだろうに」
「昨日落ちたところの間違いでしょ!3月にエイプリルフールしないでよ!」
後半はもう叫んでいたと思う。
お母さんと話が噛み合わなくて、怖くてたまらなくて。
そんな私を見た母親は深いため息をついて、ついているテレビのニュースを指さして言った。
今は4月じゃない、3月は四日前に終わったわよ、と。
そこに書いてあった日付は、4/5だった。
「まったく…朝から意味わかんないこと言ってると思ったら手まで怪我して…」
顰めっ面で私の手に絆創膏を貼るお母さんを、私はただぼうっと見つめていた。
幻覚じゃない。
夢じゃない。
お母さんが揶揄っているわけでもない。
じゃあ、私は本当に過去に来たっていうの?
6年前の入学式の日に。
あのキーホルダーの力?
私は、机の上にまとめられているアクリルの破片を見た。
納得はできない。でも、そう思う他になかった。
「お、おい…きっと入学式で緊張してたんだよ。そんなにいじめてやるな」
お父さんが優しくお母さんに話しかけた。
そういえば、「今日は娘の入学式を見に行くんだ」とおろしたてのスーツに髪もきっちり決めて、当日は誰よりも早起きしてソワソワしてたっけ。
もう6年も前のことなのに、よく覚えてる。
その姿は、記憶の中のお父さんとまるっきり同じで。
私はああ…と呟いた。
ほんとに、戻ってきちゃったんだ。
「はい終わり…ほら、着替えてきなさい。仕方ないから今日だけはママが髪の毛やってあげる」
絆創膏を貼り終わったお母さんが私に話しかけた。
その困ったような優しい笑顔を見た瞬間、私の脳裏にある景色がフラッシュバックする。
トレセン学園の寮から荷物を抱えてこの家に帰った時。
お母さんはこの顔で私を迎えてくれたっけ。
何も言わず、ただ頭を撫でてくれたっけ。
後ろでこっちを心配そうに見ているお父さんの顔も。
全部、あの日と一緒だった。
胸がぎゅうっと締め付けられる。
「うん、行ってくるねお母さん」
私はリビングを出て部屋に向かった。
階段を上がって、部屋のドアを開けて。
閉めた瞬間、私は床に座り込んだ。
胸がズキズキと痛くて。目からまた涙が溢れそうで。
そんな時、視界の端にヒラヒラとしたスカートが映り込んだ。
「あ…制服…」
丁寧に付けられた折り目と、シワひとつないリボン。
そうだ。着替えないと。
私は部屋の壁にかけてあった制服を手に取った。
トレセン学園から地元の学校に移ったその日から、クローゼットの奥にしまいっぱなしになってしまったそれ。
二度と、袖を通すことはないとわかっていて、それでも捨てられなくて。
着慣れた服の感触に、むしろ少し違和感がある。
気づけばすっかり全身着替え終わって、私は姿見の前に立っていた。
ボサボサの頭に、目の下のクマ。
ああ、これが今の私。
今から行くんだ。あの学園に。
あの、場所に。
姿見に映った自分を見たら、私は自分でも驚くくらい冷静になった。
自分の姿が変わっていなくて安心したからだろうか。
…まあ色々成長前に戻ってはいるけど。
「…やり直す」
代わりに湧いてきたのは、身を焦がすほどの、熱。
高揚と言ってもいい。
やり直せる。
あの最悪な未来を変えられる。
また、夢を見られる。
「そうだ、今度こそは」
ズキズキと痛みを訴える手を無視して、全力で握りしめる。
折れてしまった私の心を、闘争心を呼び覚ます。
スタート地点は変わらない。
絶望した才能の差も。
どうしようもない家柄の差も。
全部全部ねじ伏せてやるんだ。
そう、私は。
「もう二度と、諦めない」
「やっときた…って何それ?」
リビングに降りてきた私が手に持ったものを見て、お母さんが首をかしげる。
私が手に持っているのは、小さな銀色のネックレス。
飾りの代わりに小さな円柱状のカプセルケースが付いたそれは、私が昔両親と行ったワークショップで自作したアクセサリーだ。
カプセルケースの表面には、お父さんとお母さんをイメージした二つの花が彫られている。
「キーホルダーのカケラ、入れようと思って」
私はカプセルケースを開け、机の上の欠片をこぼさないよう気をつけながら入れていく。
よし、これで最後。
全ての欠片を取り終わり、蓋をしたネックレスを私は首からさげた。
"カラカラカラ…"とケースから金属とアクリルのぶつかる硬い音がして、その存在を確かに主張してくる。見た目が少し無骨だけど、いい感じ。
「ほんと、そのキーホルダーが好きねぇ…壊れてまで身につけようとするだなんて」
私の徹底ぶりを見たお母さんが苦笑してそう言った。
確かにお母さんからはそう見えるかもしれないね。
でも違うんだ、お母さん。
これは、誓い。
このキーホルダーは、私が未来から唯一持ってこれた失敗の証だから。
私に再起のチャンスをくれた恩人?だから。
お母さんにあの日と同じ、困った笑顔をさせてしまった物だから。
奇跡みたいな二週目の世界で、私が成さねばならない事を忘れないための誓い。
この胸の熱を冷まさないための誓い。
ねぇ、お父さん。お母さん。
「ありがとう。私、頑張るから」
「ふふ…嬉しいけど、そういうのは入学式が終わった後に言いなさい。ほら、パパったらあなたと一緒で泣き虫だから」
チラリと横を見やって言うお母さんに合わせて横を向くと、そこには号泣しているお父さんがいた。私の言葉の何かが琴線に触れたのか、小声で「立派になって…」とか「綺麗になって…」とか呟いては涙を垂れ流している。
お母さんは困ったように笑って、お父さんの目元にハンカチを当てた。
私はその光景を目に焼き付けた。
こんな2人に。
平和で、優しくて、温かい最高のお父さんとお母さんに。
なんて情けない姿を見せてたんだ、私は。
昨日までの、数年後の自分に怒りが湧いてくる。
「前みたいな顔、絶対させないから」
「何か言った?それよりほら、さっさと朝ごはん食べちゃいなさい。髪は後でやってあげるから」
「…うん、いただきます」
手を合わせるのにあわせて、胸元のケースがカラリと小さな音を立てた。
書きだめとか無いので、また書けたら続きます