その日はこの学園の誰も彼もが浮き足立っていた。
それは、新たな世代のウマ娘達の言ってしまえば『お披露目会』のようなモノ。
先達たるウマ娘にとっては可愛い後輩の初の舞台。
チームに所属しているウマ娘にとってはチームメイトの勧誘ブース。
デビューを控えたウマ娘にとっては未来のライバルの出現場所。
そして当の本人達からすれば、それは自らを示し売り込む『試験会場』。
様々な思いを胸に多くのウマ娘が集い競い合うここでは、小さなドラマがいくつも生まれる。
外部からわざわざこれを見にくるファン達も、未来のスターウマ娘の始まりの瞬間を見たいという思いで集うのだ。
だから、このイベントには数多の出会いが詰まっている。
そしてそれは無論俺たちトレーナーも同じこと。
「…今年の選抜レースも凄い盛り上がりですね」
「ええ、私もこの空気感はいつになってもドキドキします」
俺は横の同僚達のつぶやきに同調して頷いた。
ウマ娘にとっても、トレーナーにとっても、ファンにとっても選抜レースはやはり特別なものだ。
この選抜レース特有の雰囲気、そして高揚感。
「彼女らはどんな走りを見せてくれるのだろうか」と、一レース毎にワクワクとした気持ちが湧き上がる。
これまで行われたレースを順番に思い出していく。
どれも大した試合だった。
去年トレーナーがつかなかったウマ娘は執念の一着を納めてみせたし、新入生がとんでもない実力を見せつけたりもした。
俺は少し離れた応援席をチラリと見やった。
例えば、そこで声援を送っている新入生…サクラバクシンオーといったか。
彼女の走りは圧巻だったなぁ。
他にも、先行で勝利を収めたあそこの子も安定した走りだった。
彼女らはきっと引くて数多だろうな。それこそ、デカいチームだって声をかけるに違いない。
自分の担当にワンチャン…まぁ、無いか。
「うおっ、凄い声援!」
次の選抜レースが始まるとアナウンスが入ったそのー瞬間、アナウンスが聞こえた瞬間、歓声が爆発した。
選抜レースは短距離・マイル・中距離・長距離でブロックを分け、申請したウマ娘たちが順に行っていくのだが、先程ちょうどマイル走の最後の組がレースを終えたところ。
つまりは、今から中距離のレースが始まるのだ。
中距離や長距離といえば、G1でも特に人気なクラシック三冠や天皇賞、有馬記念なんかが行われる距離である。
短距離やマイルを主戦場とするウマ娘には気に入らない話だろうが、ここからが本番と考えている人も少なく無いだろう。
中距離最初の走者たちが順番にゲートインしていく。
『5番 イースターカクタス』
俺はアナウンスを聞きながら手元の資料をパラパラとめくった。
入学試験の結果などをもとに学園で作られトレーナーへ配布されるこれには、距離の適性から走法まで幅広く情報が載っている。
例えば今ゲートインした彼女は…差しか。
本人の希望では中距離〜長距離、しかし入学時のデータでは長距離を走るには若干スタミナに不安あり。
言ってはなんだが、あまり光るものは感じないよくあるデータだった。
…だけど。
「あの子、なんかやけに堂に入った雰囲気というか…緊張してなくないか?」
そう、横の同僚の言う通り。
5番の彼女は異様な雰囲気を纏っていた。
ゲートインに迷いがない。
体を震わせるわけでもなくじっと姿勢を整えている。
一つ一つは些細な物だが、それらが積み重なり彼女は特異点のようになっていた。
硬い表情をしているが、それは緊張というよりは闘志による物のように感じる。
それは、このウマ娘は何かやらかすかもしれないぞ、とそう俺たちに感じさせるには十分すぎる物だった。
『各ウマ娘ゲートイン完了』
気づけばレース場は静かになっていた。
レースの始まる瞬間を、全員が今か今かと待ち構えている。
俺も、無意識のうちに手を握りしめてしまっていた。
そして。
“カシャン!”
『スタートしました!』
金属音と共にウマ娘達が一斉に飛び出した。
それと同時に再び湧き上がる大歓声。
さあ、未来の三冠馬はここにいるのか。
『中距離選抜第一レース、まずハナに立ったのは3番パスシルディ!軽快な足運びでグングンと後続を引き離していきます!二番手には8番…』
一人ウマ込みを飛び出し先頭に踊り出してきたのは茶髪を揺らす一人のウマ娘。
他にも数人逃げるウマ娘はいたはずだが…彼女らすら置き去りにどんどん加速していく。
「少し飛ばしすぎな気もするな…」
これは展開が早くなるぞ。俺は心の中で呟いた。
先頭の彼女に合わせて全体のペースが上がり始めている。
自身の得意な適正距離で挑むとはいえ、まだまだレース経験の浅いウマ娘たちは自分のペースを簡単に乱されてしまう。
掛かった先頭に釣られて無駄な加速をし、スタミナを削っていく。
ここまで釣られるのは初心者のうちだけだ。
ある意味選抜レースならではの光景とも言えよう。
考えている間にも彼女らはヒートアップし、どんどんと加速していく。
これは終盤オダンゴになるかもな。
あまり参考にならないかもしれないなぁ、と俺は小さくため息をついた。
…いや、待て。
『後に続くのは5番イースターカクタス…いえ躱されました、前に出たのは6番…さらに躱される!?イースターカクタス、どんどんと後方に下がっていきます!』
いる。釣られてないウマ娘が。
「おいおいこりゃ…」と横で同僚が小さく呟いた。
5番が下がっているんじゃない。他がこの最序盤で上がってしまっているんだ。
彼女は恐ろしいほど冷静に自分のペースを保っているだけだ!
俺は思わず身を乗り出してニィッと笑った。
『直線を抜け早くもコーナーに入っていきます!非常にハイペースで進んでいますが、スタミナは持つのでしょうか?』
やはり異常に早いレース展開。
俺たちの勘違いじゃなく、確かに殆どのウマ娘が掛かっている。
全体がそうなせいで5番が遅いかのように感じるこの感覚。
走っているウマ娘達は特にそう感じていることだろう。
コーナーを回っている間にも距離はどんどんと開いていき、縦長になっていく。
選抜レースでもなかなか見ない開き具合に応援席のファン達もざわめいていた。
『コーナーを抜け向こう正面、先頭は未だ3番パスシルディ!その後1番、8番、1バ身開いて2番、4番、9番、大きく開いて7番、5番、さらに10番と続きます!』
アナウンスを聞き俺は改めて状況を見直す。
ハナからシンガリまでが異常に開いたこのレース展開。
7番は5番のすぐ近くにいるからか彼女に引っ張られるように少しペースを落ち着かせているが、10番に関してはなんとも言えない。
落ち着かせているというよりは、詰まっている。
すぐ近くには二人しかウマ娘がいないにも関わらず?
彼女は追い込みだったと記憶しているが、にしてもあまりにも離れ過ぎているように感じるのは気のせいじゃ無いだろう。
…距離感を掴みあぐねているのか?
なぜだ?
俺は10番とその前の5番を注視する。
そして気づいた。
5番が一瞬速度を落とす。
それと同時に、わずかに姿勢がブレる10番。
5番が一瞬加速する。
今度は10番は釣られなかった。
だが、その結果わずかではあるが5番と10番の間に距離が生まれる。
大モニターに表示された10番の表情は、イラついているというか、思うようにレースができていないように見えた。
まさか。
…まさか!?
「おいおい、嘘だろ!」
「ペース維持と同時に後ろに搦手使ってんのか!?ほんとに新入生かあの5番!?」
横の同僚の叫び声に俺はやっぱりそうなのか!と目を見開いた。
あのウマ娘、後ろの10番を揺さぶってやがる!
レースにおいて小手先の技術というのは非常に大きな意味を持つ。
熟練のウマ娘たちはレース中にその走りで駆け引きをし、心理戦を行う。
だかそれは、間違っても新入生が持ちうる物では無い。
これは間違いなく異常事態である。
その上、狡猾というべきか。あの差しウマは、前の掛かったウマ娘達よりも後ろの一人を潰すことを優先したのだ。普通に考えてこんなにも距離が空いていれば少なからず前が気になってしまうだろうに。
なんて冷静な判断。
なんて冷酷な判断。
それによく見れば彼女は、手本のような美しい姿勢で走っているでは無いか。
年季の入った走りというか、走法のトレーニングをすでに積みきった後のような走りに俺は思わず拍手を送りたくなった。
「しかしそう考えたらあの10番もなかなか…」
俺はふと気づく。
そうだ。あの10番も新入生のはず。
5番のスピードの変化はバテているように見えなくも無い。
新入生であれば、むしろチャンスとばかりに抜きにかかるだろう。
しかし10番はその無理な追い抜きを行わず、5番の動きにできるだけ惑わされないよう気をつけているように感じる。
その結果としてリズムこそ乱されているが、冷静に5番を警戒しているあのウマ娘こそとんでもない慧眼であると褒めていいだろう。
虎視眈々と5番を抜く瞬間を待つ10番。
そんな10番に圧をおくりながら、前の7番にピッタリと張り付きスリップストリームを存分に生かす5番。
ああ、なんて熱いレースなんだ。
そうだ、前は?
先団はどうなってる?
慌てて見てみれば先団は早くも向こう正面を超え最終コーナーに入っていた。
こちらもこちらで一歩も譲らぬ熱いレース。
3番はとにかく一心不乱に逃げ続ける。
後ろでは1番と8番が二番手争い。
そしてその後ろでは、先行組が少しずつ前に出始めていた。
いやでも…そろそろくるはずだ。
俺の勘がそう告げる。
それはもはや確信に近い物。
レースの序盤からの代償を払う時が、来る。
『最終コーナーに差し掛かり、先頭は3番パスs…ッ!パスシルディ、ガクンとスピードを落としました!後続との差がどんどん詰まっていきます!今…躱されました!』
始まった。
先頭を苦しそうな顔で走っていた3番が唐突に失速しウマ込みに飲み込まれていく。
ここからはどうなるか誰にもわからないぞ。
俺はもはや半立ちになりながらそのレースを眺めていた。
そして、状況はさらに変化していく。
『なんということでしょう、3番だけでなく1番、8番…後続のウマ娘達も次々と失速していきます!』
まるで序盤の再放送かのように3番に釣られて全体の速度が落ちていく。
いや、正確にいえば「3番と同様」か。
その顔には困惑が浮かんでいた。
まあ、当然だろう。彼女らはいつも通り走ったつもりなのだから。
突然重くなった足に戸惑いが隠せない様子のウマ娘達がどんどんと距離を縮めていく。
そして形成されるのは。
『さあ、コーナーを抜け最終直線!先頭は4番アイシーペイル、苦しそうな表情を見せています!すぐ後ろには2番、1番が並びます!』
垂れたウマ娘達のオダンゴだ。
加速して抜かすには足がもう残ってない。
後ろに下がるには距離の余裕もう残ってない。
前から速度を下げ後退してくるウマ娘とぶつかることを避けるには、横にずれるしか無い。
その結果、ウマ娘達は隙間なく横並びになって団子を形成する。
その誰もが苦しそうな顔で走っていた。
そうで無いのはペースを保った3人のウマ娘、5番、7番、10番。
彼女らはまだスタミナが残っているだろう。
…だが。
『表情に少し余裕のある7番…しかし抜け出せない!前を完全にブロックされています!』
そうだ。
そううまくはいかない。
ハイペースのレースで後ろにつけるとはつまりそういうこと。
3人は目の前に生まれた垂れウマ娘の壁を、越える必要がある。
さて、どうする?
─────最初に動いたのは、ずっと思うようにレースをさせてもらえていなかったウマ娘。
それまでのストレスをぶつけるようにして。
彼女は大声で叫びギアを上げた。
「だああああ!洒落臭ェ!全員まとめてぶち抜いてやる!」
『大外をぐるりと回り上がってくる!とんでもない加速だ!さあ上がってきたのは10番…』
「来たか…!『
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