まだ追いつける!
まだやれる、まだ終わってない、私が…私が勝つんだッ!!!
“ドンッッ!!!”
まだ走れる!
まだ抜けられる!
“ドンッッッッッッッッ!!!!!”
私が消えてしまう前に!
この胸の熱が再び冷めてしまう前に!
ああ、三女神様!
どうかお願いします!
私に『夢』を見る権利をください!
ただ、切符をくれるだけでいいのです!
あと全て自分でやります!
また一人ぼっちになったって…少し寂しいけど、それでもいいのです。
擦り切れるまで走ってみせますから。
どうか。どうか、この無様な私に…
舞台に上がる権利を、ください。
「…ッ!はぁッ…!はぁッ…!はぁッ…また、この夢ッ…!」
私は体にまとわりつく気持ちの悪い寝汗と共に目を覚ました。
もうこれで何度目か。
あの日以来、私は選抜レースを夢に見るようになってしまった。
思い出せば思い出すほどに、胸が痛くなる。
あの日、私はベストを尽くせていた。出せる物全てを出し切って、前の記憶もテクニックも活かして。しかも誰も彼もが掛かっていて、私だけに有利な…そんな状況だった。
負けた。
それなのに、負けたんだ。
ああ、私はなんて弱いんだろう。遅いんだろう。
ゴールドシップは記憶に残っていた。前の時も、輝かしい成績を残していたから。
でも他の子は、あまり印象になかった。
だから彼女さえマークしていれば勝てると思った。
それが、蓋を開けてみればどうだ?
ゴールドシップは私の妨害なんて関係なく一着だった。
それどころか。
私は、勝てると思い込んでいた4番を抜くことすらできなかった。
「…頭いたい」
なにを調子に乗っていたんだ。
ゴールドシップ以外の子になら勝てるだって?
巫山戯るな。
前の記憶があるから、だからなんだというのだ。
前で一度も勝てなかったウマ娘達に、どうして勝てるなどと驕っていられたのか。
恥ずかしい。
ただただ、恥ずかしかった。
「そうだ、朝練の準備、しなきゃ」
あの時私は電子掲示板を見て、絶望した。
そして、やっと正気に戻って。
自分がいかに弱いのかを思い出した。
次々と行われる選抜レース、才能あるウマ娘達はその輝きを見せつけるようにそれぞれが力強く走り、会場を賑わせていく。
そんなみんなにどんな目で見られてるか怖くて、私は顔をあげられなかった。
こんなにも弱い自分が
─────「次
ふと、レース後の彼女の言葉が頭をよぎった。
一体彼女は、私に何が言いたかったのだろうか。
わからない。
私には、天才たちがわからない。
なぜそんなにも強く、気高くいられるのか。
私とは住む世界が違うのだろうか?
「…違う、私はまだやれる。やれるはず。立ち止まってなんか、いられない」
私は重い体に鞭打って立ち上がった。
もう、私の体は折れてしまえと叫んでいる。
あの日から心にぽっかりと開いてしまった虚無感が、冷めてしまった熱がもう諦めるしかないと後ろから囁いてくる。
うるさい。
私は震える手で銀のカプセルケースを握りしめる。
まだ、まだだ。
諦めてなるものか。
トレーナーはまだついてない。
模擬レースだって勝ててない。
だったら、勝てるまで走り続けるだけだ。
草臥れるまで。
擦り切れるまで。
私が、壊れてしまうまで。
“カラカラカラ…”
胸元で鈍く光るそれが、私を急かすように小さく音を鳴らす。
未だ何も変えられていない!
未だ何も始められていない!
『私』を終わらせてなるものか。
☆☆☆☆☆
「…さん。イー………カ……スさん?イースターカクタスさん!」
「…はい」
「大丈夫ですか?5行目の頭からお願いします」
「5行目…『レースの距離は大きく分けて4つあり…」
人数が減って少し通気性の良くなった教室に、私の声が響く。
最近頭がぼうっとする時が増えた。
今もうまく力が入らず、教科書を持つ手がプルプルと震えている。
…ああ、わかってる。
私の体がすでに疲れ切っていることは。
でも、こうしなきゃいけないんだ。
オーバーワークを指摘してきた委員長もクラスメイトも、わかってない。
私はこうでもしないと同じ土俵にすら上がれないんだ。
私は凡人だから。
みんなとは、違うから。
休む?そんな暇あるわけがない。
「それじゃ今日もジョギングから、ひとまず5周で」「はい!」
換気のため開けられた窓から、風に乗って下の声が聞こえてきた。
窓の外のその声に、意識を向ける。
あれは、クラスメイトの声なのだろうか。
「…を鍛えることが効果的です。』」
「はい、そこまで。じゃあ続きを…」
教官に従い私は席に着く。
そして代わりに、私の二つ後ろに座っていた子が席を立つ。
間の席は、空いていた。
「…いいなぁ」
私は窓の外を見る。
そこでは、多くのウマ娘がトレーナーの指示のもと走っていた。
壁にかかる時間割表によれば、今は『レース実習』の時間。
多くのウマ娘は、トレーナーとトレーニングを。
そして、私のようなトレーナーのついていないウマ娘は、クラスの教官とともにトレーニングや座学を行い基礎を身につける…そんな時間。
ここに残っているのは、私と同じトレーナーがつかなかったウマ娘たち。
「…を見極めていく必要があります。』」
「はい、いいでしょう。それじゃあ次、”レースのルール”の章を1行目から…」
選抜レースから2週間。
気がつけば、もう2週間も経ってしまった。
「頭を下げるな!姿勢が崩れればスタミナの消費はより早くなる!疲れた時こそ姿勢を維持しろ!l「はい!トレーナー!」
私はぼうっと窓の外を眺める。
ああ、見覚えのある光景だ。
前と同じ、負けた者の景色だ。
だからわかる。
わかってしまう。
このままでは、私は未来を変えられない。
いったい、なにがいけないのだろう?
目を閉じれば思い出すのはあの電光掲示板ばかり。
前と完全に何も変わらなかった、とは言わない。前と違って掛からなかったし、前よりも着順が上がっていた。一緒に走ったメンバーについたトレーナーの顔ぶれも少し変わっていた。ゴールドシップは…トレーナーこそ変わらなかったけど、前の記憶と比べてトレーナーを決めるのが早くなっていた気がする。
それでも、それ以外は何も変わらなかった。
あいも変わらず私に才能はないままだった。
「あの子より私の方が綺麗なフォームで走れる」
誰にも聞こえないような声で、ポツリと呟く。
トレーナーと共に外で汗を流す生徒を、前の時はどうして「凄い」だなんて呑気にただ尊敬していられたんだっけな。
私の方が選抜レースでは上手くできてたはずなのに。
最近はそんな思いばかりが浮かんでしまう。
どうして私が選ばれない。
どうして私には、誰も目を向けてくれない。
「…ダサいな、私」
最近、こういうネガティブな考え方が増えて来てる。
周りの子達との差が広がってくばっかりで焦ってるんだ。
「落ち着かないと」
思い出すのは数日前の模擬レース。
走ったと思ったらいきなり泣き出したウマ娘がいた。
それを見て何か嫌なことを考えてしまったのか、青い顔をして震え出したウマ娘がいた。
次のレースで、緊張のあまり吐いてしまったウマ娘がいた。
「不安に飲み込まれちゃダメ」
私がこの程度ですんでいるのは、前の記憶があるからだ。
不安は感じて当然。嫉妬もして当然。
でも,それに飲み込まれちゃいけない。
その感情に飲み込まれたら、きっと私は二度と立ち上がることなんてできなくなってしまう。
「大丈夫」
私はギュっと胸元のカプセルケースを握りしめた。
“カラカラカラ…”
ケースから鳴る小さな音が、少しずつ私の心を落ち着かせていく。
嫉妬してても変わらない。
もう時間が巻き戻ることはない。
そうでしょ?
だから思い出して私。
あなたが今すべきことは、何?
大丈夫。
まだ、走れる。
まだ、決意は
それでも願いは届かない。
私はこの日もまた、模擬レースに負けた。
「あぁっ…!あぁっ…!」
一人の少女が走っていた。
運動用のトラックを一心不乱に、ただひたすらに。
「なんでっ…!なんで勝てないのっ…!?」
少女は涙を流していた。
よろめき、ふらつきながら泣いていた。
それでも、目を擦り前を睨みつけて。
少女は走る足を止めない。
「誰よりも綺麗に走ってるのに!誰よりもペースを保ってるのに!」
少女はあまり人前で泣かなかった。
立派な自分になると誓ったから、弱さを見せなかった。
せめて心だけは、誰よりも強くあろうとしていた。
「トレーニングが…トレーニングが、足らないんだ…!」
少女の才能を信じているウマ娘がいる。
少女の根性を認めているウマ娘がいる。
でも、少女はそれを知らない。
「私には何もないから…誰よりも走らなきゃいけないんだ…!」
少女を案じている友がいる。
認めているからこそただ見守っている友がいる。
でも、少女はそれを知らない。
「動け…動け…!痛みなんかどうでもいいッ!」
だから、身を削り少女は走る。
少女はもうすぐ寮に帰らなければいけない時間だ。
トレーニングできる時間は残り少ない。
1秒すらも無駄に出来ない。
少女は走った。
狂気的なまでにその身を追い込んで。
不安から逃げるように走って、走って、走り続けた。
そして、そんな彼女の近くに人影が三つ。
「…あの子、今日も走ってるわね」
「話によると16時ごろにはもういるらしいわよ」
二つは地元の主婦二人。
スーパーからの帰り道、ふと見つけた最近近所で噂になっている少女の見守り。
「…ん?あれは学園のウマ娘か?」
そしてもう一つは、たまたま通りかかった散歩中の男。
「16時から!?…まさかずっと走り続けてるの?」
「流石に無いわよ!だってそうだとしたら…」
「こんな時間まで練習なんてよくやるなぁあの子…「彼女、3時間も走り続けてるじゃない」………………………………は?」
何気なく行われた主婦二人の会話に、通り過ぎようとしていた男が足を止めた。
少女は走る。
周りの全てが気にならないほど、それだけに集中して。
何かがかわることを願って。
そして、トラックをぐるりと周り少女が電灯の下に差し掛かる。
その姿に、男は思わず目を見開いた。
「…!?なんだあの傷!?」
灯りに照らされた彼女の体には、擦り傷がいくつもできていた。
一体、今日の練習だけで何度転けたのか。
ふらふらと、その肌に血を滲ませて少女は走る。
あまりにも痛々しいその姿に、男は拳を握りしめた。
ボサボサの髪の毛。
目の下の濃いクマ。
震える手足。
その瞳に宿る狂気に、男は息を呑んだ。
「…はぁ。こりゃあ、報告だな」
そして男は、行動を起こすことにした。
"カラカラ、カラカラ"
それは少女が変化を望んだ日から、常に鳴り続けていた。
見えない影に囚われ続ける少女を導くかのように。
そして、その役目は果たされた。
カラカラ…カラリ。
カプセルケースの音が、止まった。
─────それは、歪み。
『前』の世界では存在していなかった
前では存在していなかった傷。
前では走っていなかった時間。
少女の心を繋ぎ止めていた唯一のちっぽけなプライドが、誰よりも練習し続けたその積み重ねが、まるでバタフライエフェクトのように世界の台本を歪めていく。
少女は気づかない。
その狂気的な体の追い込みによって生まれた世界線の些細な歪みに、彼女自身が最も囚われてしまっているから。
少女はただ走る。
そして願う。
変化を。
願う。
救いを。
少女は願う。
私から、走ることを奪わないでくれと。
そして。
「すみません奥様方。その話、詳しく伺っても?ああ、失礼しました。私は…」
物語は、動き出す。
「中央でトレーナーをしている者です」
それは、少女が願ってやまなかった、変化の兆しであった。
忙しくて投稿遅くなりました。
申し訳ないです。