朝練に向けて準備をしていた時に音がしないことに違和感を覚えて、カプセルケースを開いた私は目を見開いた。
なんで?どこで?いつ?どうやって?
疑問が頭の中を占拠して、思うように動かなかった。
でもその混乱も長くは続かない。
「…ああ、そっか」
私はただ納得した。
それは、私が持つたった一つの『前』から持ってきた物。
そんな魔法のような物なのだから、ある日ふと消えてもなんらおかしくはないだろう。
ただそれは、私と『前』との繋がりが完全に無くなってしまったということを表しているようにも感じられて。
「ここからが本番…ってことだよね」
なんとなく私は、今日
決定的に『前』からズレる、そんな何かが。
“カラン…”
ネックレスから取り外されたケースが机に置かれて、小さな金属音を鳴らした。
窓から入ってくる朝日でその中が照らされていく。
そこには何も、入ってはいなかった。
「…夢追人、と聞いて貴女は何を思い浮かべる?」
「んん…そうねぇ、『青臭さ』かしら」
そのポツリと漏れた問いかけには、どんな感情が含まれていたのだろうか。
この重苦しい雰囲気は、これから起こるだろう出来事を予感してのこと。
この部屋、この座についてから似たような機会は何度もあった。
そう、何度も。
それでも二人はそれに未だ慣れてはいないようだった。
「では今日この日、私は一人の少女の青春を壊してしまうのかもしれないな」
「あら、
「…ああ、そうだな」
勝負の世界は残酷だ。
しかし、それ以上に平等だ。
勝ちと負けが明確にあり、一番最初の一歩だけに関しては誰にでもチャンスが与えられる。
だがここは、勝負の世界である以前に学園だ。
確かに最初の一歩は平等に与えられる。
でもそれ以降…例えばトレーナー探しなどは、はなから機会など持ち得ない生徒がいる。ふざけた話だと憤る者もいるだろうが、残念ながらそれはどうしようもないほどに…現実なのだ。
「これが勝負の常、でしょ?」
「…わかってるさ」
この世界は実力主義だ。
強い者には機会が与えられる。
弱い者には、機会は無い。
トレーナー不足は常に騒がれている。
学園も手を尽くしてはいるが、どうにもならない部分はある。
必ず、切り捨てなければいけない生徒が出てしまう。
「…ぶーたれちゃって」
故に誰もが一度は疑問に思うのだ。
『この世界は、努力が報われるのだろうか?』と。
血反吐を吐いて努力した者が、当たり前のように負ける。
当然勝った相手も努力していただろう。
だが例えば二人の間にもとより大きな実力の差があったとしたら、どうだろうか。
同じだけの努力をして、その土俵に立ったのだろうか。
負けた者の努力に、意味はあったのだろうか?
「だがッ!こんな結末は、あまりにもやるせ無いだろう…
「ええ、そうね
この疑問は勝者・敗者への冒涜とも取れる。
だが、やるせ無い時やどうしようもない時、誰もが考えてしまうのだ。
果たしてこれは、正しい結末なのだろうかと。
ただ一つ言えることがあるとすれば、ここは学習機関であり生徒は子供だ。
必死にトレーニングした者がいたとして、その気持ちに大いに同意できるとして。
それでも、
それを知ってしまえば。
近隣住民の間で噂になれば。
関係者から報告があがれば。
学園は、対応しないわけにはいかないのである。
“コンコン…”
部屋のドアが、控えめに叩かれる。
「入ってきて貰って構わない…ああ、イースターカクタス。突然呼び出してすまない。少し君に話さなければいけないことがある」
☆☆☆☆☆
生徒会に呼び出された時、確信した。
「これだ」と、そう思った。
前の時には生徒会に呼び出しをされたことなんてただの一度もなかった…ああいや、退学する時だけは顔を合わせたっけかな。
とにかく、あやふやながらに確信していた
だが不思議と、胸は高鳴らなかった。
「失礼します、イースターカクタスです」
嫌な予感がする。
ずっと感じていた胸のざわめきは、生徒会室に入った瞬間一気に大きくなった。
生徒会長の悔しげな顔。
その横のウマ娘の覚悟を決めた顔。
何か良くないことが起こる、私は確信した。
「君に話さなければいけないことがある」
「…なんでしょうか」
促す生徒会長に従い、私はソファーに座る。
机を見れば、そこにはいくつかの資料と写真が置いてあった。
「これが何か、わかるか」
「…いえ」
そうか、と小さな声で生徒会長は呟くと、私に見えるように一つ一つを順番に手に取りこちらに向けて説明し始めた。
一つは保健室の先生による健康管理レポート。
一つは担任の先生による授業中の様子の報告書。
一つはクラスメイト達への聞き取り調査の結果報告書。
一つは私の寮の出入り時間をまとめた表。
一つは、練習時の私の写真。
ああ、そういうことか。
私は気づいた。
二人の真剣な目に、こちらを気遣うような感情が混ざっていることに。
この二人は私の自主トレをやめさせたいんだ。
「貴女の過度なトレーニングに対して各方面から問題視する声が上がった」
「そう、みたいですね」
「話し合いの結果、心苦しいが…しばらくの自主トレを禁ずることで結論が出たッ…!?」
無意識のうちに、生徒会長の胸ぐらを私は掴んでいた。
会長はただ、芯の通った瞳で私を見据えて来た。
巫山戯るな。
色々な感情が胸の内で湧き、爆発しては口から出そうになる。
私の苦しみを知らないくせに。
天才で、トレーナーも引くて数多だったくせに。
偉業を成し遂げその名を轟かせたウマ娘。
私も尊敬するウマ娘。
でも今は無情なウマ娘にしか見えない。
彼女に対して悔しさが込み上げて、私は心がごちゃ混ぜになっていく。
「…落ち着いて、一旦座り直しましょう?」
私の手に優しく手を重ねて、もう一人のウマ娘が語りかけてきた。
そっと、でも確かな力で私はソファーに座らされる。
「これを見ろ」
ヨレた胸元もそのままに、生徒会長が新たな資料を私に渡してくる。
それは、『近隣住民の声』と書かれた学外の人から来た通報のログだった。
生徒会長はポツポツと語り出す。
実は少し前からこう言った内容の電話は来ていた。だが模擬レースのことで必死になる気持ちも分かるからなんとか弁明していた。本来は即刻注意のものを、学園も意図して見逃していた。
それはまさしく、寝耳に水な話だった。
改めて手元の資料を見る。
そこには私の身を案じるような言葉が、幾つも綴られていた。
こんな私を見てくれていた人が、こんなにもいたんだ。
案じていてくれた人がいたんだ。
きっとそれは、とても幸運なことなんだろう。
だとしても。
「それでも納得は、できません。私はこうでもしないと勝てないんです」
私はそう言い切った。
そうだ。私は凡人だ。
尊敬するみんなに、天才のみんなに追いつくにはこうするしかないんだ。
やり直したこのしばらくの期間で、私は改めてそれを思い知った。
どうしようもないのだ。
絶望的な差を埋めるには、身を削るしかないのだ。
目の前にいる会長なら分かるでしょう。
私の必死さが。
「私の邪魔を、しないでください」
負けないという決意を持って生徒会長を睨む。
どうにか生徒会長が折れてくれないかと。
ああ、でも。
私は気づいてしまった。
その言葉を言った瞬間、会長が肩を大きく震わせたことを。
分かってしまった。
私が言ってはいけないことを、言ってしまったということを。
「…少し、話をしよう」
会長はゆっくりと目を閉じた。
そして、何かを堪えるように眉間に皺をつくり、席を立ち上がった。
「…少し前に、トレーニング中の怪我で
生徒会長は窓の外を見つめながら、静かな声でそう言った。
「クラシック三冠を期待された、強く、疾いウマ娘だった」
その肩は、小さく震えていた。
「彼女の事は多くの議論を呼び、悪質な
その強く握りしめられた手は、変色していた。
「世間に、その影響は未だ残っている。君のそれは今の学園にとって一番センセーショナルなもので、見る者に見つかってしまえばどう転ぶかわからないんだ」
それは、様々な感情が混ぜこぜになったような声だった。
「怒りはわかる、イースターカクタス。貴女からすれば、残杯冷炙の理不尽な要求にしか聞こえないのだろうと。それでも、私たちの肩には多くの人生が乗っているのだ」
「たった一人の行動が、学園に関わる全ての人生を左右しうるのだ」
振り返った彼女の表情に、私は息を呑んだ。
私はなんて自己中心的に考えていたのだろうか。
いつのまに、尊敬する人に邪魔だなんて言えるようになっていたのだろうか。
そこから先はもう頷くことしかできなかった。
ぼうっとした頭でただ、生徒会長の読み上げる禁止事項を聞いていく。
ああ…それもダメ、あれもダメなのか。
視界に靄がかかり、何も見えなくなっていく。
私は胸元のネックレスを握りしめた。道標であったはずのカプセルケースの中身はもうないというのに、縋っていないと折れてしまいそうで、私は必死に握りしめた。
どうしよう。
どうしよう。
いや。
もう、どうしようもないのかな。
「じゃあ私に、ただ『終われ』っていうんですか」
「それはッ………!」
私は、無意識のうちにぽつりと呟いていた。
怖くてたまらなくて、カプセルケースを握りしめる手が震える。
わかってる。
わかってるよ。
貴女達が仕事でこう言ってること。
本当は言ってて苦しいってこと。
でもさ、それじゃあ私はどうなるの?
「分かってくれ」ってただ押し付けられて、全部諦めろっていうの?
このままじゃまた、それも前よりもずっと早く終わっちゃう。
怖い。
怖くて、たまらない。
誰か。
誰か教えて。
私は、どうすればいいの?
“カサッ…”
その時、小さな音がした。
何も入ってないはずの、私のカプセルケースの中から。
私は恐る恐るケースを開けた。
そこに入っていたのは、一枚の小さなノートの切れ端。
私はそれを、そっと開く。
────ああ。
────────どうして。
────────────どうして貴女は、そんなにも。
カクタスさん。貴女はきっと一人でも大丈夫なのでしょう。でも、もしも不安があったのなら、その時はドンと私にお任せください。私は貴女の友人で、ライバルで、学級委員長なのですから!!!
そういえば。
カプセルケースの中身が空っぽって話をしたら、お守りとか言って何か入れてくれてたっけ。
最近付き合い悪かったのに。
オーバーワークのことでも、1ミリも耳を貸さなかったのに。
それでも委員長は、私のこと、助けてくれるんだね。
「…はは、何この達筆な字」
気づけば笑っていた。
涙は溢れて止まらないのに、なぜか無性に笑いたくなった。
そうだ。
まだ、終わったわけじゃない。
もうちょっと足掻いてみよう。
私のライバルは、とんでもないウマ娘なんだ。
こんなところで立ち止まってちゃ、釣り合わないよね。
「私の方でも、できることがないか…探してみる」
「はは、期待しないで待ってます」
“コンコン…”
「…次の来客が来た。何か状況に動きがあったら伝える…ひとまずは、その体をしっかりと休めるように」
話は終わったとそう理解した私は立ち上がり、生徒会室のドアへと向かう。
チラリと後ろを振り返り目があった会長の瞳は、わずかに揺れていた。
「失礼しました…あ」
「む?君はクラスの…まあ今はいいか」
外に出る際、すれ違う形で一人のウマ娘が生徒会室に入っていった。
バタンとドアが後ろでしめられる音。
その音を聞いて、私はその場にズルズルと座り込んだ。
どうやら緊張の糸が切れてしまったみたいだった。
「…とはいえ、さ。どうすればいいかなぁ…はは、
人気のない廊下で、私はポツリと呟く。
答えるものは誰もいない。
そう、誰も「いーやーだーね!私は!問題ないと言ってるじゃないかー!」「ぅわッ!?」
運命が変わった日があるとすれば、それはきっと今日なのだろう。
君もそう思うでしょ?
私の愉快な、
少し変えました。
感想いつも助かってます。
ありがとうございます。