ピピッーカチッ
けたたましく鳴り響く目覚まし時計の音。まだ眠たい目を擦りながら手探りで音源を探す。
「ふぁー…ん?」
指先に感じる硬い感触を頼りにボタンを操作してアラームを止めると、カーテンの隙間から朝日が差し込んでおり、部屋中が明るく照らされていた。
ベッドの上で寝ぼけ眼のまま身体を動かすと感じる違和感。
(なんか……いつもより身体が軽い?)
普段と違う感覚に疑問を覚えつつ掛け布団を捲ると──そこには栗毛の尻尾が自身の体から生えていた。
「え?なんだこれ……」
混乱しながら視線を落とすと、見慣れない胸元が見える。
恐る恐る両手でそれを掴んでみると、柔らかな感触と共に掌に確かな重量を感じた。
「…………嘘ぉ!?」
悲鳴のような声を上げて跳ね起きる。慌てて全身を確認すると、やはりというべきか下半身には本来あるべきはずのモノが無くなっていた。
そして代わりと言わんばかりに、両脚の間からは立派な尻尾が生えている。
「どうなってるんだ……」
昨晩眠りについた時には何の変化もなかったはずだ。なのに朝起きたら何故かウマ娘の肉体に変化していたなんて──そんな非現実的な出来事が起きるはずがない。
夢なら覚めてくれと頬を引っ張るが、現実は変わらない。
とりあえず落ち着こうと深呼吸をして、部屋の隅に置かれた姿見の前に立つ。
鏡に映るのは、栗毛色の髪をした小柄な少女。
幼さが残る顔立ちだが、どこか大人びた雰囲気もある。大きな瞳は強い意志を感じさせる光を帯びており、その瞳に見つめられるだけで吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚えた。
身長は男性だったときより、10cm程縮んでいるだろうか。手足は細くしなやかであり、そのせいか余計に小さく見える。
頭にはぴょこんと生えた耳。それは紛れもなくウマ娘である証だった。
そして、極めつけは臀部から伸びる尻尾。
長く艶やかな栗色の毛並みをしたその尾は、まるで意思を持っているかのようにゆらりと揺れている。
試しに動かしてみると、思った通りに動く。どうやら神経も通っているらしい。
──ウマ娘になったのだ
「クッ、クク…アッハッハッハ!まさか、昨晩の試験薬がこんな結果を生むとはね!」
「……」
高笑いを上げるタキオンにジト目を向ける。しかし彼女はそれすらも面白いと言わんばかりの表情を浮かべて笑っていた。
「いやぁ、本当に素晴らしい結果だよこれは。今までの実験の中でも最高傑作と言っていいだろう」
「そりゃあ……良かったね……」
はぁ、とため息を吐く。
ウマ娘になってしまったことはショックではあるが、それよりも気になるのが──
「それで、この身体を戻す方法は?」
「んー、残念ながら今のところは何も思いつかないねぇ。まぁ、そのうち戻るんじゃないかい?」
「いやいやいや、困るってば……」
「そう言われても、私にもどうしようもないんだよ。それにほら、よく言うだろう?『郷に入っては郷に従う』と」
「……つまり?」
「しばらくそのままで過ごしてみたまえ。何か変化があるかもしれない」
「うわぁ……」
最悪だ。このまま戻れなかった場合、一体どうすれば良いのか。
「大丈夫だって。仮に君が元の身体に戻れなかったとしても、その時はちゃんとサポートしてあげるから」
「…………」
タキオンの言葉がどこまで信用できるか分からない以上、迂闊に安心することはできない。
とは言え──今更嘆いたところでどうにかなる訳でもない。
「分かったよ。じゃあ、ひとまず様子を見ることにする」
「うん、それが一番だ。まぁ、もし何かあれば遠慮なく相談してくれたまえ」
「はいよ」
こうして俺のウマ娘としての奇妙な生活が始まったのである。
「ハァッ!フゥンッ!!」
風に舞う木の葉のように、軽やかなステップを踏みながら駆けていく。
ただ走るだけでも楽しい。しかし、それだけではない。
走り方一つでスピードが変わる。フォームを工夫すれば、より効率の良い動きができる。
そのことに気付いてからは、ますます走ることが楽しくなっていた。
「トレーナー君」
後ろから声を掛けられ、振り返るとそこにはタキオンがいた。
「お疲れ様。そろそろ休憩にしよう」
「うん、そうだね」
二人で並んでベンチに座る。ふぅ……と一息つくと、タキオンがタオルを差し出してくれた。ありがたく受け取り汗を拭う。
まだ日は高いが気温は高く、こうして走っているとじんわりと汗ばんできた。
「その身体にもう慣れたのかい?」
「あー……まぁ、なんとかね……」
タキオンの質問に、曖昧な返事をする。
正直、未だに自分の体だという実感があまり持てていない。
何せ、これまで男として生きてきたのだ。いきなり女の子の身体になったと言われても、すぐには信じられなかった。
けれど、こうやって実際にウマ娘として過ごしてみると、不思議と違和感は薄れていった。
今ではすっかり、この姿が自分の本当の姿なのだと受け入れている。
その証拠として、男であった頃は着られなかった服も難なく着ることができた。……まぁ、流石にスカートとかは抵抗があるんだけどね……。
そのせいで、最近は学園内でもパンツスタイルでいることが増えてしまった。
これじゃいけないと分かってはいるんだが……どうにも、なぁ?……まぁ、それはともかく。
ウマ娘の身体能力が凄まじいということは理解したが、それでもまだまだ発展途上であることに変わりはない。
だからこそ、俺はタキオンと共に実験とトレーニングを続けていた。
タキオン曰く、今の俺の身体能力は並のウマ娘ぐらいはあるらしい。
それ故に、彼女は俺を実験台にして様々な実験を試みていた。
「今日は何を実験するんだ?」
「そうだねぇ、まずはスタミナの強化かな」
「へぇ~、具体的にはどんなことを?」
「まぁ、色々とあるが、手始めにこの薬品を使ってみようか」
そう言って、タキオンが鞄の中から小瓶を取り出した。中にはピンク色をした液体が入っている。
それを眺めていると、なんだか嫌な予感がしてきた。
タキオンが笑みを浮かべる。
「なぁに、心配はいらないさ。これはただのエナジードリンクだよ。副作用も無い安全なものだ」
「……本当に?」
「本当だとも。だから、ほら、グイッと一気に飲み干したまえよ」
「え、やだ。なんか怖いし」
「大丈夫だって、飲めば分かる。ほれ、グイグイっと」
「いやいや、そんな怪しいものを飲めるわけないでしょ!?」
「ええい、つべこべ言わずに飲むんだ!」
「ちょっ、やめっ!」
タキオンが無理やり薬を押し込んでくる。必死に抵抗するものの、力の差がありすぎて逃げられない。
結局、口の中に流し込まれてしまい、そのまま飲んでしまった。……あぁ、もう。こんな得体の知れない物を無理矢理飲ませるなんて酷いよ。
心の中で文句を言いつつ、恐る恐る喉を鳴らす。すると、徐々に身体に変化が訪れた。……あれ、なんだか少し身体が熱いような気がするぞ? それに、心臓の鼓動が早くなってきたし、頭もボーッとしてきている。
なんだか、身体全体が熱を帯びているようだった。
「ふむ、効果は抜群だ。流石はモルモット君、良い仕事をしてくれる」
「ちょっとタキオン、本当に大丈夫なんだろうね……?」
「あぁ、問題無いよ。だから言ったろう?安心したまえ、ってね」
確かに疲労感は無くなった。むしろ、いつもより調子が良いように感じる。
だけど、代わりに妙に身体が火照ってきた。……風邪でも引いたのだろうか? 試しに頬に手を当ててみる。……うわっ、すごく熱い。まるで茹でダコみたいだ。
額からも汗が流れてくる。呼吸も荒くなっていた。……おかしい。明らかに普通じゃない。
「……ねぇ、タキオン。これってもしかしなくても……」
「ふぅん、どうやら効果が現れたようだね。代謝を高めて体温を上げることで、基礎体力を向上させるのが目的だったのだが……」
「いや、それどころの話じゃ……」
「あぁ、分かっているとも。今すぐ実験室に連れて行こう」
タキオンが俺を抱え上げる。いわゆるお姫様抱っこという奴だ。……うぅ、恥ずかしいなぁ。けど、今は我慢しよう。
それよりも、まずはこの状態をどうにかしないと……。
俺はタキオンの腕の中、身を縮こまらせながら大人しく運ばれることにした。
タキオンに連れられてやってきた実験室。
そこで、俺は椅子に座らされていた。
目の前には様々な計測機器が置かれている。
これから何をされるのか大体予想できた。……まぁ、もう諦めてるからいいんだけどさ。
そんなことを考えているうちに準備が完了したようで、タキオンがこちらに向かってきた。
「よし、では早速始めようか。先程も説明したが、これは身体能力の向上を目的とした実験だ。その前に……」
そう言いながら、彼女は俺のスポーツウェアのチャックを下ろしていく。そして、その下から現れたのは機能的な黒いアンダーウェア。
タキオンはそれを躊躇無く脱がせると、露になった胸元に聴診器を宛てがった。冷たい感覚が肌を通して伝わってくる。
「脈拍の上昇、発汗量の増加、呼吸の乱れ……どれも良好といったところだねぇ」
「あの、タキオンさん?」
「うん?どうかしたかい?」
「いや、その……何してるんですかね?」
「決まっているじゃないか。君の健康状態を確認しているんだよ」
「それは見れば分かるんだけど、なんで下着まで下ろす必要があるのかな?」
「そりゃもちろん、直接触れた方が正確にデータが取れるからだ」
そう言って、彼女はさらに服を脱がせようとする。流石にこれ以上はマズイと思い、慌てて彼女の手を掴んだ。
「ちょっ、ストップ!ストーップ!」
「おっと、すまない。つい夢中になってしまったよ」
その後、彼女は満足気に笑みを浮かべた。
その表情を見て、俺は思わずため息を吐いた。
やっぱり、こうなるんだな……。正直に言うと、タキオンの実験は別に嫌ではない。
いくら今はウマ娘とはいえ、中身は完全に男なんだしさ。……まぁ、この話は置いておいて。
だからといって、いきなり服を脱がされるのは勘弁して欲しいのだ。
「タキオン、一応言っておくけどさ。流石にいきなり服を脱がされるのだけは止めて欲しいんだが…」
「どうしてだい?今の君はウマ娘だ。恥じらう必要など無いと思うが?」
不思議そうな顔をする彼女。……あぁ、分かってないんだろうなぁ。
「いや、そういう問題じゃないから。俺にも羞恥心はあるし……」
「……ふむ、なるほど。つまり、私の前では服を着たままの状態で測定したいということか。了解したよ、トレーナー君」
「えっ?あ、はい。ありがとうございます?」……あれ?なんか話が通じてないぞ? 俺が首を傾げていると、タキオンが突然服に手をかけてきた。
「ちょっと待って!?なんでまた脱がそうとするの!?」
「いや、君の要望通り服は着たままだ。ほら、早く身体を動かすといい」
「いや、そうじゃなくてね?俺はタキオン…というか異性の前で裸になりたくないって意味で……」
「ふむ、なるほど。確かに君は今、女性なのだから恥ずかしくて当然だろうね。だが、安心したまえ。私は別に君の身体に興味は無い」
「……へっ?」
「私が興味あるのはモルモットとしてのデータだけだ。それ以外のことはどうだっていいのだよ。だから、何も心配することはないよ」……あぁ、ダメだこりゃ。完全に自分の世界に入ってるわ。
俺は諦めて抵抗することを止めた。すると、タキオンが嬉々として計測を始めていく。
一通りの作業を終えると、彼女は満足気な顔を浮かべて俺を解放してくれた。
解放された瞬間、俺は急いで衣服を整えた。その様子を見て、タキオンがニヤリとした笑みを浮かべる。
「おやおや、どうしたんだい?随分と慌ただしいじゃないか」
「誰のせいだと思ってるんだよ……。まったく、油断も隙も無い……」
「まぁ、許してくれたまえ。これも全ては実験のためだ。それにしても、可愛らしい下着を身に着けていたものだね。意外だったよ」
「……店員さんのオススメをそのまま買ったんだよ」
俺は今まで下着は男性用のパンツしか履いたことが無かった。
それがいきなり女物を用立てなければならなくなってしまったわけで…
店の定員さんに勧めてもらったものをそのまま購入し、断腸の思いで着用の仕方から何から教えてもらう羽目になった。……ちなみに、サイズも測られた。その時の俺の気持ちを察してくれ。本当に泣きそうになったから……。
そんなことを思い出しながら遠い目をしていると、不意にタキオンが口を開いた。
「ところでトレーナー君、ひとつ提案があるのだが」
「ん?なに?」
「君にサイズが合えばの話になるのだが、私の部屋の洋服を引き取って貰えないだろうか?」
彼女は普段から通販で買い物をしているらしく、気に入った服を見かけるとサイズも確かめずに注文してしまうそうだ。
しかし、実際に届いてみたら自分にはサイズが合わないという経験が何回もあったとのこと。
「今の君と私の背丈は同じくらいだ。ならば、丁度良いサイズの服が残っているかもしれないと思ったのだよ」
タキオンの言葉を聞いて、俺は思わず苦笑いを浮かべた。
仕事用のスーツを用立てた以外は元の男性用で過ごしているのだがサイズが合わないし、外出にも不便だと思っていたのだ。
俺が引き取ってくれれば部屋が片付くし、タキオンにとっても都合が良いのだろう。
「君に似合いそうな服をいくつか見繕ってみたが、やはり私にはサイズが合わなくてねぇ……」
そう言いつつ、彼女は机の上に紙袋を置いた。
その中身を確認すると、中には数着の女性物の服が入っていた。タキオンの好みからかパンツスタイルの服装が殆どだったが、その中に一着だけスカートタイプの物があった。
それは白を基調としたロングワンピース。胸元のリボンがアクセントになっていて、とても可愛らしいデザインをしていた。
「タキオンこれは……」
「君に合うと思ってね。よかったら、試着してみてくれないか?」
「えっ?いや、でも……」
「大丈夫だ、サイズは合っている筈だ。だから、遠慮する必要は無い」
そう言われても、流石に着替えるのは躊躇われた。
俺は男だし、今は女の子の体だとはいえ……その……スカート履くには抵抗が…と 俺が戸惑っていると、タキオンは少しムッとした表情を見せた。
「おいおい、君は今自分が女性だということを忘れてはいないかい?今更、恥ずかしがる必要なんて無いだろう?」
「いや、そりゃそうなんだけどさ……」
「ふぅン……?君は私が選んだ服を着るのが嫌だと……そういうのかい?」
「えっ?いや、そういう訳じゃなくてさ」
「なら、早く着替えて見せてくれたまえよ。私は君の反応を見てみたいんだ!」
タキオンは俺の手に強引に服を握らせると、半ば強制的に着替えさせられ彼女の前に立たされる。
初めて履くスカートの感覚はなんとも言えないものだった。足を動かせばふわりと揺れ、風が吹けばひらりと靡き……普段は隠れている部分が空気に晒され、なんだかくすぐったいし、なんというか…心が落ち着かない。
「どうだい?着心地は」
「うーん、なんというか落ち着かないというか……」
俺がモジモジしながら答えると、タキオンは満足気な笑みを浮かべて俺を見つめた。
「うっ……あんまりジロジロ見るなよ」
「おやおや、何を言っているんだい?私はただ、君の姿を眺めているだけだというのに……」
俺はジト目でタキオンのことを睨みつける。
すると、タキオンはその視線に気付いたのかニヤリとした笑みを浮かべた。
そして、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
俺は反射的に後ず去ろうとした。しかし、すぐに壁に背中をぶつけてしまう。
逃げ場を失った俺にタキオンはそっと手を伸ばしてくる。
彼女の手が頬に触れた瞬間、俺はビクッと体を震わせた。
「ふむ……悪くないね」
タキオンはそのまま手を滑らせて、首筋に触れる。そして、そのまま顎へと指を這わせていく。
その感触がくすぐったくて、思わず身を捩らせてしまう。
そんな様子を楽しむかのようにタキオンは妖艶に微笑んで見せた。
「けれど、一つだけ足りないものがあるね」
タキオンはそう言うと、自身の耳飾りを外し、それを俺の耳へ付け替えた。
「よし、これでいいだろう。うん、よく似合ってるじゃないか」
彼女が付けていた耳飾りは俺の左耳でキラリと輝いていた。
普段から耳に何かを付けているという習慣が無いため違和感を感じる。しかし、それと同時に何だか妙に落ち着くような気がした。
「ほら、君も自分の姿を鏡で見てみたまえよ」
タキオンが指差す先には姿見があり、そこには今の自身の姿が映っていた。
肩幅で切り揃えられた栗毛の髪はサラサラとしていて、とても柔らかそうだ。
白いワンピースを押し上げるように膨らんでいる胸元。細く華奢な手足にスラリと伸びた脚、顔立ちは少し幼げだが、それが逆に愛らしさを感じさせる。
そして、その瞳にはタキオンと同じ色をした紅い輝きが灯されていた。
その姿が妙に色っぽく見えるのだ。
「綺麗……」
思わず、口から溢れた言葉だった。
「そうだろう?私の目に狂いは無かったようだねぇ……」
タキオンは嬉しげに笑うと、俺の顔に手を伸ばす。
そして、彼女の細い指が俺の頬に触れ、唇をなぞっていく。
俺はタキオンの行動に驚き、思わず固まってしまった。
彼女はそのまま顔を近づけると、鼻先が触れるくらいの距離まで近付いてきた。互いの吐息が感じられる距離に心臓が高鳴る。
その表情はとても楽しげに見えた。
まるで、新しい玩具を与えられた無邪気な子供のようで、それでいて獲物を前に舌なめずりをする獣のようでもあった。