早朝の宗教都市キョロクの一角。教主補佐ボリックの屋敷にある広場で、1組の男女が向き合っていた。
片方は、動きやすい服装に着替えたタツミ。もう片方は、はだけた道着から小麦色の肌を存分に見せつける少女。彼女はメズという名であり、帝国最大流派の皇拳寺で最上位クラスの使い手である。昨晩、タツミが頼み込み、稽古を付けてもらう事になったのだ。互いに無手で、2メートルほどの距離を置いて向かい合う。
「それじゃあ。真っ直ぐ殴ってみてよ」
軽い調子で告げられた指示に従い、タツミは駆け出した。正面から最速で間合いに踏み込み、振りかぶった右拳を突き出す。
無手とはいえ、いまやタツミの戦闘力は一流の域にある。全力ではないが、重さ、速さ、迫力、どれをとっても並の拳士が対応できるレベルにはない。たとえ、一流の使い手であろうとも受けるのは困難。しかし、相手は皇拳寺羅刹四鬼がひとり。
突き出される拳に、自身の手の甲を添える。
――直後、仕掛けたタツミの身体が宙を舞っていた。
「まっ、こんなもんだね」
「ぐえっ……」
背中から地面に叩きつけられ、タツミが呻く。だが、その顔には楽しげな色が浮かんでいた。昨晩は何が起きたか分からなかったが、今回は見えた。
「どう、わかった?相手の力の流れを読み取り、利用して返すんだよ」
「……簡単に言ってくれるけど」
言うは易し、行うは難し。あっさりとやってみせたが超高等技術である。まぎれもなく達人級の技を前に、タツミは嬉しげに笑った。
攻撃を受ける際、最も簡単な方法は『防御』することである。線の攻撃を面で受けるのだ。
その発展形の技術が『弾き』。線の攻撃に線の攻撃をぶつけ、相殺し、相手の体勢を崩す。
それを最小限の動作、威力で行うことができて初めて可能になるのが、さらなる上位技術『いなし』である。こちらの体勢は崩さず、相手のみを崩すという高等技術。敵対者の力の流れを読み取り、最小限の力を的確に加えることで、相手の攻撃をズラす。
そして、それを攻撃転用したのが、彼女の行った技なのだ。
「これ、皇拳寺では何か奥義とか秘伝とか的なやつだから。覚えれば結構使えると思うよ」
「奥義って、教えちゃっていいのか……?いや、ありがたいけど」
「じゃあ、次はこれでやってみて」
投げ渡された木刀を握り、タツミは最速で仕掛けてみる。右下段からの斬り上げ。リーチの差を生かした遠間からの一撃。彼女は一歩だけ前に踏み出し、刃の腹に手を添えた。体重の乗る寸前を狙い、タツミの足元を払う。
――錐揉み回転をしながら、その身体は宙を舞った。
強烈な回転力により、満足に受身も取れずに地に落ちる。またしても背中から叩きつけられ、呻き声を上げた。
「応用すれば素手だけじゃなくて、武器相手だろうと同じことができるんだよね。特に、スズカさんがこれ得意だよ」
そう言って、少女は再び構えを取る。
「見本は見せたから、こっからは練習ね。私が仕掛けるから、それを返してみて」
タツミが言葉を返す前に、少女は目の前に踏み込んでいた。真っ直ぐに顔面へ向けて、拳が突き出される。その腕に右手を沿わせるが、突きの軌道を逸らすだけに終わる。力を返すまでには至らない。
「ちょっとポイントがズレたね。もっと正確に力の流れを読んで」
そう助言をすると、再び少女は殴りかかる。相手の軌道を凝視し、右手を添えるタツミ。だが、試みは失敗し、反射的に頭を横に振って拳を回避する。
「今度は考えすぎ。全体の流れを感じ取って。頭じゃなくて感覚で掴むんだよ」
続いてタツミに迫る3撃目。慣れてきたのか。突きを放った少女の身体が、わずかに浮き上がる。数瞬だけだが足の裏が地面から離れた。
「うん。良い感じ。次はもっと効率的に力を返してみて」
こうして、タツミの修行は続いていく。
空いた時間の稽古が始まってから、数日が経った。広場の隅で行われるそれらは、恒例の行事として認知され始める。この日は、通りがかったウェイブが興味深そうに寄ってきた。
「あれ?面白そうなことしてるじゃねぇか」
「ウェイブ、どうしたんだ?」
「いやぁ、暇すぎてな。ボリックには俺らがローテーションでついてるけど、やることないんだよなぁ」
あくびを噛み殺しながら、ウェイブが頭をかく。タツミの隣にいる褐色の肌の少女に視線を移す。
「ええと。メズ、だったよな。羅刹四鬼の。俺はウェイブだ。よろしくな」
「ああ、イェーガーズのねぇ。よろしくっ」
「あのよ。俺も混ぜてくれねぇか?身体が鈍っちまう」
ウェイブは顔の前で両手を合わせ、2人に小さく頭を下げた。
「別に構わないぜぇ。タツミもいいよね?」
「もちろん」
「サンキュー。助かるぜ」
嬉しそうに肩を回しながら、ウェイブが加わる。
「それじゃ、まずアタシとやろうか」
「願ってもないぜ。羅刹四鬼と模擬戦なんてな」
少女の言葉に彼は声を弾ませて答える。互いに向き合い、呼吸を合わせて勝負を開始した。帝具は不使用。純粋な格闘戦である。生身の状態で、ウェイブは仕掛けた。一息で距離を潰し、正面から殴りかかる。さすがに彼も戦士である。女子供が相手だろうと、手加減などしない。タツミと同等かそれ以上の速度をもって、拳が迫る。
ただし、その腕には少女の掌が添えられていた。
「なんじゃこりゃああああ!?」
ウェイブの身体は宙を舞い、地面に落とされた。仰向けに倒れ、目を白黒させる。あっさりとやられた男の姿に、タツミは過去の自分を投影して苦笑した。少女は額に手を当てて溜息を吐く。
「イェーガーズもたいしたことないぜぇ。帝具使いってもこんなもんか」
むくりと身体を起こすウェイブ。平然と立ち上がり、服を叩いて土を落とす。身に纏う雰囲気が変わる。
「……仲間達まで甘く見られるとあっちゃ、このまま終わりにはできねぇな」
「そうこなくっちゃ」
楽しげな笑みを浮かべる少女。今度は彼女の方から襲い掛かる。特殊な歩法で左右に幻惑しつつ、ウェイブの目の前まで移動する。両の掌を握り締め、攻性の技を仕掛けていく。
――皇拳寺百烈拳
少女の放つ無数の拳打。雨あられと降り注ぐ暴力の渦を、ウェイブは何とかしのぎつつ後方に跳ぶ。
追撃を狙う少女は、関節を外して腕を伸ばすという予想外の攻撃に出た。元の倍以上の長さに伸びる、鋭く尖る貫手。ウェイブの顔に驚愕の色が浮かぶ。だが、とっさの判断で左から手刀で叩き落す。さらに一歩後方へと距離を取った。観戦するタツミも大きく息を吐く。まるで別人のような動きだった。
「へえ、だいぶ動きが良くなったじゃん」
口元を吊り上げ、少女は舌なめずりをする。先ほどよりも速度を上げて駆け出した。苛烈に攻撃を繰り出す。皇拳寺の技術の粋を尽くした連撃に、防戦一方となるウェイブ。まるで嵐の中心に巻き込まれたかのようだ。上下左右から襲う暴風に耐え続ける。
「これは……流れが変わってきてる?」
タツミがぽつりとつぶやいた。防戦一方だったはずが、連撃の合間にウェイブが攻撃を入れ始めていた。次第に攻防の割合が彼の有利に移行する。
「うおおおおおおおっ!」
「だったら……!皇拳寺百烈拳!」
気勢を上げて少女は技を繰り出した。無数の拳打の雨。それをウェイブは正確にさばいていく。それどころか、連撃のわずかな隙間にカウンターの蹴りさえ放つほど。脇腹への蹴りを受け流しつつ、少女はつばを飲む。
「コイツ、このタイプかよ……」
――モチベーションで戦闘力が激変する
手加減や様子見をしていた、という訳ではない。彼は最初から全力だった。ただし、途中からモチベーションを上げただけ。しかも全開ではなく、せいぜいが1段階ギアを上げた程度である。
「だってのに、ここまで実力が上がるのかよ……!」
驚愕と共にタツミが声を漏らす。
少女の繰り出す攻撃が次第に当たらなくなる。皇拳寺の理合いが通じなくなってきている。技術の粋を結集した拳打に対応するウェイブ。羅刹四鬼の暴風のごとき攻撃を見切っていた。ザワリと少女の背筋に震えが起こる。
一度披露した技は二度と通じない。一秒ごとに見切りの精度が上がる。技を仕掛ければ仕掛けるほど、相手を強化するのと同義であった。少女は戦慄する。
――まるで底なしの渦潮に呑み込まれるかのようだ。
「チッ……こりゃ、一気に決めないとマズイよね!」
「はあっ!」
気圧され、わずかに後ずさりさせられる。その隙を逃さず、ウェイブは強烈な跳び蹴りを放つ。鋭く重量の乗った右足が風を切る。喰らえば即座に意識を吹き飛ばされるだろう一撃。だが、その足の脛には少女の右手が添えられていた。
直後、空中に投げ出されるウェイブの身体。上下反転した状態で宙に浮く。平衡感覚が乱される。
「いただきっ!」
そこへ放たれる正拳突き。それを天地が反転した視界で捉えた。反射的にウェイブが蹴りを放つ。少女は目を見張る。
「らあっ!」
少女の拳とウェイブの足刀が交差する。互いの髪を揺らす風。頬を薄皮一枚削って、拳と足刀が通り過ぎた。
互いの意識を刈り取る寸前で、それぞれが紙一重で回避。投げられたウェイブが姿勢を制御し、着地する。再び突撃しようというところで、少女は両手を軽く上げた。
「やめやめ。これ以上は怪我しちまうぜぇ」
ひらひらと手を振って中断を申し入れる。
「まあ、そうか。ありがとな、良い練習になったぜ」
大きく息を吐き、ウェイブが声を返す。
激戦を終えた2人を眺めながら、タツミは口元を引き締めた。ウェイブの帝具『グランシャリオ』は使用者の身体能力を数倍に引き上げる。生身で羅刹四鬼と互角であるならば、帝具で性能を発揮すればどれほどなのか。想像するだけで戦慄が背筋を走る。
ナイトレイドをひとり狩って、一人前のつもりだったが、まだまだ上は遠いと思い知らされた気分だった。エスデスやクロメといい、鍛錬がまだまだ足りないと改めて悟る。パンと自分の頬を叩き、気合を入れなおす。
「メズさん!今度は俺とやりましょう!」
こうして平和な日々は過ぎていく。しかし、これはあくまでも束の間のもの。
――翌日、少女は殺害された。