悪いがタツミ、と寂しげな様子でエスデスは切り出した。
「残念だが、今日は面倒な書類仕事があってな。狩りには付き合えそうに無い」
タツミがイェーガーズに加入してから数日後。執務室で彼女はそう言った。山積みの書類は、ここ最近を彼に付きっきりにしていたツケであった。椅子に浅く腰掛け、うんざりした風に首を振る。この部屋にはタツミの他に、セリューとコロも呼ばれていた。いや、コロは彼女に連れてこられただけだが……。
「今日はセリューに付いて、色々教えてもらえ。元帝都警備隊だし、学ぶことも多いだろう。頼んだぞ」
「はいっ!隊長、了解しました!」
ビシッと敬礼をするセリューとコロ。なぜか犬(?)なのに二足歩行で、小さな手を曲げて敬礼していた。相変わらず正体不明の生物である。
「わかったよ、エスデスさん。仕事頑張ってください」
「タツミ……その言葉だけで今日一日頑張れるよ」
頬を赤く染めてはにかむエスデス。何となく恥ずかしくなって、タツミも照れ隠しに頭をかいた。
「じゃあ行きましょうか、タツミさん」
「ええっと、どこに?」
「正義のパトロールです。時間が無いのでさっさとゴーですよ」
そう言ってタツミの手を取った。そのまま扉の外へと猛ダッシュ。右手にタツミ、左手にコロのリードを握り締め、二人と一匹は帝都に向けて駆け出した。
街中へと繰り出し、セリューの案内で帝都周辺を歩き回る。イェーガーズへの配置転換により、彼女は帝都警備隊の任を解かれている。なので、パトロールといっても特に巡回経路が決まっているわけではない。今回はタツミの案内のため、有名な場所を主に回っていた。
「ここでちょっと休憩にしましょう。甘味処『甘えん坊』。結構、有名な店なんですよ」
「へえ、本当だ。凄く活気があるな」
立ち寄ったのは、帝都メインストリートにある甘味処である。特に女性客に人気で、帝都を訪れたら必ず立ち寄りたいと評判だ。和風に構えた店の軒先の長机に並んで座り、注文を頼んだ。すぐに名物の抹茶アイスクリームが届く。
「うっま!さすが帝都、メチャクチャうめえ!」
「ふふっ、そうでしょう。帝都でも大人気なんですよ」
タツミもセリューも顔を綻ばせて舌鼓を打つ。そのズボンの裾を引っ張る小動物。彼女の足元に控えるコロは、自分の分がないことに不満気な様子だ。それを見てセリューは慰めるように頭を撫でる。
「ごめんね、コロ。夜は死刑囚3人、食べさせてあげるからね」
「え、何この会話……」
キューと嬉しそうに鳴くコロだったが、タツミの顔を青ざめている。朗らかに話す内容に、完全に引いていた。
まあ、とはいえ。かわいい女の子と一緒に散歩するのは悪くないものだ。すぐにタツミの顔は楽しげなものに変わる。一息つくと、再び街のパトロールという名の観光に戻るのだった。
繁栄を謳歌する帝都だが、決して治安に不安が無いわけではない。帝都警備隊が管理しているのだが、人が集まる都心だけに揉め事も多い。少し前には、警備隊が暗殺されるという事件まで起こっており、とても人が足りない状況だった。だからこそ、特殊警察イェーガーズが結成された訳である。
「ふーむ。私の正義センサーによると、この辺りが怪しいですね」
「何それ?」
突如、タツミの手を引いて走り出した彼女が向かったのは、スラムと市街地の境目。先ほどのメインストリートとは毛色の違う、素朴な雰囲気の屋台が軒を連ねていた。スラムといえども、かなりの人混みで活況に湧いている通りである。その通りをセリューは左右に目を光らせながら歩いていた。
「引ったくりだ!捕まえてくれ!」
大きな怒号が通り中に響いた。人混みを掻き分けるように走る人影。それを追う店の主人らしき男。立派に見える帝都でもこんなことがあるんだな、とタツミが溜息を吐く。だが、隣に立つセリューの行動は素早かった。
「悪を発見。駆逐します」
「うおっ!早っ!」
逃げる盗人の前に立ちはだかるセリュー。前を塞がれ、驚いた顔をする男をその鋼鉄の右拳で殴りつける。顔面の陥没した鈍い音がタツミの耳に届いた。追いついた店主に盗まれた物品を返却し、特殊警察イェーガーズの印の入った手帳を見せる。
「イェーガーズです。悪を確保します」
礼を言う店主に一言告げると、盗人の襟を掴んで離れた場所へと引きずっていく。その鮮やかな手並みを見たタツミは、これが特殊警察の仕事かと感心していた。慌ててセリューの元に駆け寄り、気絶した盗人の移動を手伝うのだった。
その後、警備隊の詰所へ向かうと思っていたタツミの予想とは異なり、彼女が盗人を連れて行ったのは人気の無い路地裏だった。疑問に思った彼だったが、なぜか彼女は凄まじい殺気を撒き散らしており、とても話しかけられる状況ではない。男を地面に投げ捨てたセリューは、その脇腹を思い切り蹴りつける。硬い爪先を腹にめり込ませると、っていたが、ビクリと反射的に痙攣し、目を覚ました。恐ろしく鋭い目付きで、彼女は男を見下ろしている。
「さて、一応事情を聞かせてもらおうか」
硬い、というより冷たい声音でセリューは言い放つ。普段の明るい雰囲気とはまるで別人。有無を言わせぬ威圧感の前に、男は少し怯えた様子で釈明を始める。
「く、喰うに困って仕方なくやったんだ」
「そうか」
「も、もうやらねえよ。だから見逃しちゃくれないか?」
媚びるような瞳で彼女に懇願する。だが、それが何の効果も上げていないことは、端で見ているタツミには一目瞭然だった。まるで親の仇でも見るかのような絶対零度の視線である。
「なるほど。悪に染まりきっている、ということだな」
現行犯の上、言質まで取れたとなれば、自分達の仕事は終わりだ。ふぅ、とタツミは溜息を吐く。だが、彼は知らない。悪を憎悪する彼女の判決は、司法のものに比べて苛烈を極めるということを――
「悪に染まれば死あるのみ」
地の底から響くかのような黒々しい声。ハッとした様子でタツミは彼女に向き直る。
「コロ。捕食」
セリューのつぶやいた一言で、突如巨大化したコロが襲い掛かる。帝具としての本領を発揮した捕食行動。獰猛な肉食獣と化した怪物が男に喰らい付かんと跳び出した。
「なあっ……!」
数瞬後の死を呆然と見つめる盗人。刻一刻と迫る、全身を丸呑みせんとする巨大な口と、無数に生えた鋭利な牙。だが、それは――
――剣の腹でコロを叩き落したタツミによって止められた。
「ちょっと、いきなり何してんだよ!」
「……どういうつもりですか?まさか、悪を庇うつもりではないですよね」
俯きながら淡々とつぶやくセリューの姿に、タツミは空恐ろしい悪寒を感じた。彼女が顔を上げる。
「イェーガーズには、犯罪者を裁く特権が与えられています。悪を好きなだけ滅することができる。正義の光で、世界を照らすことができるんですよ」
邪悪にして凶悪な形相にタツミの息が詰まった。普段のかわいらしい表情から豹変し、悪魔もかくやという凶々しい様子で、口元を吊り上げる。高らかに謳い上げるその姿に、はっきり言ってタツミはドン引きしていた。
「やべえよ……これ、どうなってんだよ」
頬をヒクつかせ、強張った表情のまま心の中で涙を流す。事を荒立てずにスルーしたいのは山々だが、さすがにこんな軽犯罪で殺害されるのを見過ごすのは後味が悪い。何とか刺激せずに事態を収拾しようと頭をフル回転させた。下手なことを言えば、巻き込まれるのは確実である。
「そ、そうだ!パトロール。パトロールに行きたいなぁ!」
「パトロール、ですか?ちょっと待っててください。すぐに処断しますので」
「今!今すぐに行きたいんだよ。ほら、帝都の平和を守るにはセリューの力が必要なんだって」
わざとらしさは見え見えだが、乾いた声でタツミは語りかける。
「罪を裁くなんて誰でもできるけど、悪を捕まえるのは訓練を積んだ俺達しかできないだろ?コイツは警備隊でも呼んで詰所に連れて行かせればいいよ」
さらなる悪を捕らえるためという建前が功を奏したようだ。少し悩んだセリューは、元の天真爛漫な笑顔に戻って、タツミの手を取る。犯罪者を近くのヒモで縛りつけ、二人は雑踏の中へと帰っていった。
「タツミも正義の何たるかが分かってきたようですし。張り切ってパトロールを続けましょうか」
「はい……」
可愛らしい表情で自身の手を握るセリューの姿に、しかしタツミの心は完全に沈みきっていた。デート気分だった数十分前の自分に戻りたいと切に願う。あれほど幸せな気持ちでパトロールすることは、もはやできそうにない。セリューが犯罪者を見つけてしまわないようにと、それだけが今の望みだった。
「よーし!今日は夜まで、悪を裁いていきますよ!」
泣きそうな顔で手を引かれていく哀れな姿は、まるで捕まった罪人のようだった。