「クロメ、今日はよろしく頼むぜ……ってあの、聞いてる?」
帝都の中心に構えるイェーガーズ本部の一室。数人のメンバーが思い思いの時間を使っている中に、タツミの声が虚しく木霊した。机の上に手を置いた彼の前には、一心不乱に大量のお菓子を頬張る少女の姿がある。視界にすら入っていないようだ。溜息を吐く。
「あの~。エスデスさんから、今日はクロメさんに付いて仕事をするようにって言われてるんですけど……」
軽く肩を揺すり、猫なで声でお伺いを立てる。驚きに目を見開き、クロメは顔を上げた。口にビスケットを咥えながら。
「ああ、うん。わかった。なるほど、お菓子が欲しいんだよね?」
「……まるっきり何も聞いてなかったんだな」
「これは私のだからダメ!」
お菓子が一杯に詰まった袋を、慌てて後ろに隠すクロメ。口を横一文字に伸ばし、徹底抗戦の構えだ。タツミは呆れた様子で肩を落とす。
「お菓子は取らないよ……。いや、だから。今回の賊の討伐は、俺とペアで行って来いって。単独の予定だったけど、念のため手伝ってくるようにって、エスデスさんが」
「そうなんだ。ふーん。私達だけで十分なのに」
チラリとタツミを一瞥して、納得した風に頷いた。
「まあ、実戦練習ってことなんだろうね。基本は私達だけで十分だから、後ろで見学してて」
「私達?」
疑問の声を上げるタツミに、面倒くさそうに手を振った。
「今回の標的は盗賊団の一味。十人ちょっとが相手だから、タツミの出番はないと思うよ」
腰に差した刀を一撫でして、静かに立ち上がる。これから戦闘に向かうというのに、落ち着き払った所作である。まるでランチにでも出掛けるかのような、心底から日常と変わらない姿に、タツミはゴクリとつばを飲んだ。
――これが幼い頃からの徹底した暗殺教育の成果なのか
イェーガーズ最年少でありながら、その戦力はエスデスに次ぐとも言われている少女。純粋な実力においても、この帝都でも片手の指に数えられるくらいだろう。さらに、彼女の所有する埒外の帝具『八房』。そのおぞましき特性は、相手にとって未曾有の脅威となる。
帝都の外れにある森の中。この奥の広場に賊が集まり、荷馬車に襲撃を掛けるという情報がもたらされた。情報源は拷問部隊である。エスデスが、趣味で新たに鍛えなおした彼らは、帝都周辺に巣食う賊の情報をほぼ把握していた。
「そろそろだな……。このまま突っ込むか?」
「逃げられるのは嫌だし、気付かれるまでは一人ずつ暗殺してく」
ポリポリとビスケットをかじりながら、クロメは答えた。それを最後に、お菓子の袋を懐にしまいこむ。それと同時に、タツミの背筋に寒気が走った。彼女の身に纏う雰囲気が急激に冷え込んでいく感覚。五感を最大限に張り詰めさせ、物音を立てないよう後を付いていく。木陰に身を隠しつつ、静かに歩を進める。
「もうすぐ接敵範囲に入る。私から5m以上離れないで」
タツミに視線を向けずに小声で囁いた。それから数十秒後、歩哨らしき男の姿を発見する。左手にボウガンを構え、辺りを注意深く見回していた。皮鎧を身に付け、ある程度の武装も用意されている。油断は出来ない、とタツミの短剣を握る手に力が篭る。
「視野が狭くなってるよ。大丈夫、まずは私が行くから」
自然体で、しかし細心の注意を払い、背後から忍び寄る。右腰に差した日本刀の柄を軽く握った。その刹那――
――男の胴体が両断された。
「なっ……は、速っ!?」
思わずタツミの口から驚きの声が上がる。抜刀から振り切るまでが瞬きの間に終わっていた。距離を取って見ていたタツミでさえ、白刃がきらめくのを感じただけ。凄まじい剣速。それでいて、寒気がするほどに静かで滑らかな一閃だった。どれだけ経験を積めば、この域に達することができるのか。
「すげえ……」
自然と感嘆の声が漏れる。たった一振りでわかる、卓越した技量。こと剣技に関していえば、あの帝国最強と謳われるエスデスと同等と感じていた。
野生的な勘により、最も受けづらい剣閃を感覚的に理解するエスデスとは別種。暴風のごとき荒れ狂う剣戟とは対極である。効率的な身体操作による最速最短の剣閃。流水のごとく滑らかで、真空のごとく鋭利なクロメの剣技。
芸術品を観賞するかのように、タツミはその一振りに魅入っていた。一連の動作、力の流れが、驚くほどスムーズで精密。タツミ自身も、連日の狩りや特訓で戦闘の勘を取り戻しつつあるからこそ分かる。
――格が違う
これが帝国で英才教育を受けた暗殺者、クロメの実力なのか……!
それから数分ほど歩くと、森の中に少し開けた場所を見つけた。そこには十数人ほどの武装した集団の姿があった。これから通り過ぎる荷馬車へ襲撃を掛ける予定なのだ。
高揚した様子で大声で騒ぐ者、武器の手入れをする者など、思い思いの様子で決行を待っている。無論、イェーガーズの標的になった以上、これから行く場所は地獄と決まったようなものだ。
「じゃあ、私が右から仕掛けるから。タツミは左で待ち伏せて、逃げたのを狩ってね」
「ああ、了解だぜ」
「でも、絶対に深追いはしないで。私の目の届かないところへは行かないこと」
「……おいおい。いくら何でもガキ扱いしすぎだろ」
実力があるとはいえ、年下の少女に甘く見られたことに気分を害したようだ。しかし、クロメの言葉は変わらない。
「いいから。最悪、逃げられても何とかするから。絶対に私から離れすぎないで」
渋々と頷くタツミ。安心した風に息を吐いて、彼女は賊の集団に向かって歩き出した。タツミが止める暇もなく、堂々と彼らの前に姿を現したのだった。
「おっ?何だ、この女は……」
「道に迷っちゃったのかな~?いやあ、だとしたらキミ、最高についてないよ」
見慣れぬ少女の姿に困惑したのは初めだけで、すぐに男達は下卑た笑い声を上げながら近付いていく。さりげなく前後左右から囲み、逃げ場をなくす。彼らは例外なく嫌らしい笑みを浮かべ、脅すために手に持った武器をちらつかせる。
タツミはこの一連の流れに持っていった彼女の計算に感心した。いきなり集団に突撃するよりも、この方が都合が良い。
「馬鹿な奴らだな。そこはもう、とっくにクロメの間合いだぜ」
一息の間に5人、斬り殺された。
白刃の煌きの直後、勢い良く噴出する鮮血の雨。肉片と化した物体が地面にボタリと落ちる。ここからはクロメの独壇場だった。
「う、うわあああああ!」
混乱から立ち直る暇も与えずに、広場を疾走し、のど元に切っ先を突き刺す。袈裟懸けから両断する。首をはね飛ばす。常識外の機動力で次々と賊の一味を物言わぬ屍へと変えていった。
「俺だって、何もせずに帰れるかよ!」
クロメからの逃走を図る男達の前に立ち塞がり、その胴体を深々と斬り裂いた。二人目、ボウガンから放たれる矢を回避して懐に跳び込む。そのまま擦れ違い様に相手の喉を斬り飛ばす。
あれだけ暴れ回りながらも、わざとタツミの方に向かう逃げ道を作っていたようだ。卓越した個人戦闘だけではない。視野も広く、戦況を良く見ている。おかげで、誰一人逃がすことなく、全てを処刑することに成功したのだった。
「ふぅ……これが実際の対人戦か。危険種の狩りとは別の緊張感があったな」
仕事を終えた帰り道。林立した緑の中を進みながら、タツミは高揚を隠しきれない様子で話し出した。クロメの方はというと、殺し合いの後だというのに平静そのもの。これも暗殺経験の差か、と彼は感心する。
スタスタと、寡黙な様子で歩きながら、タツミにだけ聞こえるように小さく口を開く。
「気付いてる?私達、尾行されてるよ」
「えっ!?いっ、いつから!?」
「騒がないで」
慌てて前後左右を見回そうとするタツミを、小声で制する。クロメの表情や所作に変化は無い。尾行者に気取られないように、あえてそうしているのだと悟った。
「帝都を出てからずっと。間違いなく私達を狙ってる」
「くそっ……気付かなかったぜ」
「無理ないかな。気配の消し方、かなり上手いよ」
フェイクマウンテンでの狩りによって、タツミは周囲に気を配る訓練をしている。だというのに、クロメに言われた今でさえ、尾行者の気配を感じ取れない。それが彼女との実力差であり、自分達を監視している何者かとの実力差なのだ。タツミは静かに悔しさを噛み締めつつ、今後の展開を尋ねる。
「どうする?このまま帝都に帰るか?」
「ううん。うっとうしいから、殺しちゃおう。狙われてるのはイェーガーズか、私だろうし……」
クロメは右腰の刀を握り、目を閉じて意識を集中させる。数秒ほどで目を開くと、タツミに視線を合わせた。
「尾行者は左後方、距離はおよそ50m。合図をしたら、同時にダッシュ」
了解、とタツミが頷いた。その直後、左後方から轟音が森中に響き渡った。
「な、何だ……!?」
「いくよ」
困惑するタツミを横目に、クロメは走り出す。二人はまだ見ぬ尾行者の元へと、木々を掻き分け全力疾走する。
辿り着いた場所には、大木が何本もへし折られ、地面にクレーター上の穴が幾つもできていた。先ほどから断続的に続いた鈍い音の正体がこれだった。
「何だよ、これは……。戦闘の跡なのか?」
周囲に敵がいないかを警戒するタツミ。予想外の出来事に、その声音はわずかに上ずっている。
「もう気配はないよ。逃げたみたい」
対照的にクロメはあごに手を当て、静かに考え込む。
「お猿さんで殺しきれないなんて……コイツ、何者?」
小さくつぶやくと、すぐにタツミに声を掛けた。何がなにやら分かっていない様子だが、説明は後にしようと判断する。
「なあ、これはどういう……」
「帝都に戻るよ。早く。急ごう」
増援を呼ばれては面倒だ。帝具「死者行軍『八房』」を使用すれば、敵などいないと知っているが、タツミを守りながらでは不覚を取るかもしれない。それだけの強敵であると、彼女は判断していた。尾行者も自身と同じく帝具使い。あるいはそれと同等の実力者の可能性を感じていた。そんな人間の所属する組織など、数えるほどもない。
「――殺し屋集団『ナイトレイド』。これは、隊長に報告しないとだよね」
全速力で帝都へ帰還しながら、右腰に差した刀を一撫でする。自身の姉を斬殺する未来を夢想して、彼女は酷薄な笑みを浮かべるのだった。