紅蓮の男   作:人間花火

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10発目 魔手衝動

「ぶわぁぁぁぁッ!」

 

苦悶の声とともに火爆破が起こる。 殴り上げた対象がもくもくと煙を上げるのを見て葛西は不敵に笑んだ。

 

「…………なに?」

 

しかし、煙が晴れていくと、葛西は眉を吊り上げる。

仕留めたと確信していた葛西の灼熱の拳が捉えたのは、意外な人物の顔だった。

 

「ごぁ…………!」

 

拳打の威力で顔を天に飛ばされたのは、バルパー・ガリレイ。

両肩に手を置いていたナインはそのままの要領でバルパーの体と自分の体をそっくりすり替えたのだ。

眼鏡が吹き飛んで割れるバルパーの顔を見て、葛西が舌打ちをする。

 

「火火ャッ! わりぃじいさん」

 

舌打ちをした後、悪びれる態度もないのに言葉だけでバルパーに謝する。 まるで、礼儀のなっていない若者がするように首を前に倒しただけで終わった。 バルパーの顔は大惨事で本人もそれどころではないが。

 

「ぐぁぁぁあっああああっ!」

「そうらッ!」

「ちッ」

 

灼熱の拳が狙い通りにバルパーに着弾した直後、ナインは苦悶に顔を歪める彼を、葛西の方に押し歩かせた。

そのまま強く背中を押されたバルパーはふらふらと葛西の方につんのめるように傾く。

 

「どけよおっさん!」

 

自分に寄り掛かってくるバルパーを押し退けようとする葛西。

そこを、ナインはすかさず横から割り込んで葛西に肉薄した。 不気味な笑いを含ませたまま、ナインは彼の右腕をしっかりと握り捕えると――――二条の電撃がうねる。

 

「つ――――っ!」

 

タバコを落とした葛西は、ナインの手を振り払って舌打ちをする。

やっとのことでバルパーのふくよかな体を地面に叩き付けると、葛西は不敵に笑んで己が右腕を見た。

 

「…………やってくれんな、何したんだ兄ちゃん」

「………………」

「黒く…………なって?」

 

リアスが目を見開く。 葛西の右腕が――――黒ずんでいくその様に。

 

「悪く、思わないでくださいねぇ、ふふふ……へっへ……」

「紅蓮の錬金術師……そうかそういう意味の二つ名ね、だったら――――」

 

その瞬間、左手で右腕を掴む葛西は笑いを迸らせながら――――あろうことか右腕を炎上させ始めた。

 

「自分の腕を…………」

 

後に轟音が鳴って葛西の右腕が消し飛ぶと、今度は眉を吊り上げたナインが舌打ちをして悔しそうにする。

 

「………………」

 

あーあ、と落胆するナイン。 一方で、何が起きたか分からないリアスたちは、ただ押し黙って静観しているだけ。 ナインは笑いながら葛西に目を向ける。

 

「…………やれやれ、炎で爆発物を無理やり処理する人なんて初めて見ましたよ――――正直、舌を巻きました」

「黒色火薬かぁ…………ずいぶん物騒なモンを作るんだな――――ますます気に入ったぜ」

「…………人間爆弾」

 

ゼノヴィアの発言に、リアスが目を細める。

 

「なんだったの……いまのは」

「あれがナインの能力…………奴の錬金術の深淵だ。 人体に含まれる物質を火薬に似せて錬成し、爆発を引き起こす錬金術だそうだ。 私も聞いた話でしか知らなかったから、あとは本人に聞け。 まぁ、知っていても説明するのが億劫だが…………」

 

人間爆弾。 人を爆発物にする錬金術。 正常な神経を持っているならまず考え浮かぶものではない、完全に人道を踏み外した術。

科学の方程式に乗っ取り、人体を爆発性のある物質に作り替えるのが、ナインの錬金術の真骨頂で、趣味だ。

 

ナインはうんうんと頷いて吹き飛んだ葛西の右腕を見る。

 

「爆発性のある物質に炎を注ぎ込む。 下手をすれば誘爆してあなたの体ごと吹き飛んでいたかもしれないんですよ?」

「一瞬の判断ミスで死を招くこともある。 それに、こうでもしなきゃ結局右腕の爆発で俺の体は吹っ飛んでただろうが」

 

即断即決、これに限る。 と、再びタバコを咥えだす。

ナインは――――ニヤリと笑った。

 

「しかしまぁ、良かった。 気付かれてはいないようだ」

「…………あん? なんか言ったか――――」

「か…………さい…………きさ、ま…………」

 

すると、かすれた声が葛西の足元で響いた。 見下ろすと、バルパーが足にしがみついて何かを訴えようとしている。

なんだこんなことか、と。 先のナインの発言の意味を理解して溜息を吐いた。

 

「こんなんで足止めになると思ってんのかよ兄ちゃん。 つまんねえことで時間裂いてねぇで、またやろうぜ、なぁ」

 

片腕になっても戦意を失わず。 それどころか益々血の気が多くなる灼熱の男。 どういう原理か、体が再び発火してナインを愉快そうに睨みつける。

 

「やあ、そっちじゃないです」

「だから、なんのことだよ。 いい加減にしねぇと、怒っちゃうぜ?」

 

いや、気づかないんならそれでいいです、とへらへらと手を出して笑うナイン。

その視線が、葛西の――――足元に注がれる。

 

「花火ってぇ、いいですよねぇ……………………」

「………………まさか―――――!」

「が…………ざ、いぃぃぃぎぎいぃぃぃぃぃッ!」

 

葛西は驚愕の表情になるがそれも一瞬、笑いを孕ませた冷や汗を垂らす。

バルパーの体に異変が、刹那――――

 

「言ったでしょ。 私はでっかい花火が見たいのです」

「おっさん爆弾ってか、はっ――――イカスぜ」

 

その直後、バルパーの全身が白く光る。 もはや人間の上げる断末魔ではない声を上げるバルパーは、葛西の足にしがみついたまま小刻みに震え出していた。

 

「脂肪はよく燃えるし、起爆装置代わりには最適です。 酸素もたっぷり……存分に吸収して収縮して、ボン! ですね」

「…………おじちゃん、一本取られちまったなぁ」

 

辺りがまぶしい光に包まれた――――一瞬止んだと思った、その直後――――。

 

「伏せろ、リアス・グレモリー!」

「もう! またなの!?」

「…………俺、鼓膜が限界なんですけど!」

 

葛西を巻き込み、大爆発が起こった。 爆心はバルパー・ガリレイ。 ふくよかな脂質を含んだ彼の体を最大限に生かした人間爆弾。 ナインは爆風に曝されながらも微動だにせずに哄笑を上げて悦ぶ。 もう喜ぶ。

 

久しく耳にしていなかった人間の四肢が弾け飛んで跡形も無くなる音。 鼓膜が歓喜に震える。

同じように足元がまるで大地震のように揺れ動くのを見て、ナインは再び低い声で高く笑った。

 

「ふふふ、はははははは――――ハッハハハハハッ!」

 

 

 

 

 

 

 

爆発による土煙は、およそ30分に渡り今なお分厚く漂っている。 視界が悪い。

目を凝らして視ようとするリアスだが、やはり煙でまったく見えない。 そこに、強風が発生した。

 

「ふぅ、気持ち良かったぁ…………」

 

小規模爆破の爆風を起こし、煙を完全に取り払ったのはナイン。

ビュオォォッ、と強い風が巻き起こると同時に、ナインは爆心地に倒れている男に目を向けた。

 

無論、バルパーの姿は跡形もない。 影も形も無い。

それを確認するや、ナインは倒れている男―――葛西に近づき、彼の焼き切れたタバコをパクリと咥えた。

 

「…………甘すぎですね――――」

 

目を細めて葛西の左腕を見下ろした。

 

「これだけの道具で、いままで渡り合って来たとは……あなたには驚きました」

 

袖を捲りあげると、チューブのようなものが容れられていた。 上手く袖に隠し、さも発火能力があるように見せていた。 否、自分たちが、ただそう思い込んでいただけだろう。

 

「バルパーさんが爆発したとき、別の爆発も耳に入った。 そこでまさかとは思いましたがね。 火炎放射器とは手が込んでいることだ」

 

ナインは、葛西のポケットから新しいタバコを取り出して倒れた葛西に咥えさせる。 パチンとタバコの先に指を触れると、弾かれるように火が付いた。

 

「なんの能力も使わずにフリード以上の強さを誇るとは」

「葛西、死んだのか」

 

ゆっくりと玉座を降下させてくるコカビエルに、ナインは振り返る。

 

「彼は人間。 これで生きていたら、人間じゃあないですよ」

「奴は、人間としての限界を超えないことを心に留めていた。 らしいといえば、らしい最期だったのかもしれんが……さて」

 

コカビエルが、ナインを見た。

 

「貴様は、俺に勝てるかな。 人間に、錬金術という毛が生えた程度の男が。 この、堕天使の幹部の俺に」

「どうでもいいです」

 

立ち上がると、ナインは笑う。 肩を揺らして、くつくつと。

 

「私は、あなたを触れればそれで満足です」

「お前はとんだ酔狂者だよ」

「酔狂? 結構なことじゃないですか。 私からしてみれば、わざわざ聖剣を奪って再び戦争を引き起こそうとするあなたこそ道化者だ」

「道化か。 それは――――」

 

―――――俺を斃してからほざけ。

 

光の槍がナインに降る。 瞬間的にその場の地面を蹴り、すんでのところで回避した。

 

「相変わらず理解できない強火力。 当たったらホントーに木端微塵の屑肉ですね、怖い怖い」

 

すると、笑いながら走り抜けるナインの横に、ゼノヴィアが走ってきた。

 

「バルパーが居ない。 私の予想が正しければ…………お前は」

「ええ、脂肪がよく燃焼されて、いい塩梅の爆発力を叩き出せた。 大将戦の開始の合図には最適でしたよ」

「合図どころか、数十分硬直して動けなかったんだが」

「それはすみません」

 

再び降り注いでくる光の槍に、ナインとゼノヴィアは離れ離れに飛んで避ける。

当たったら即死の超難度の戦闘だ。 防御法を知らないナインにとってはまさに修羅だろう。

 

「どこか良い盾役はいないものでしょうか……あ」

 

そこでナインが目を付けたのは、黒髪のポニーテールの女性。 手近にいた彼女の後ろに回ってナインは言った。

 

「防御魔法よろしく」

「あなたは――――」

「ほら来ましたよ」

「くぅ――――!」

 

防御の魔法障壁を張るが――――着弾とその瞬間に、その黒髪の女性―――姫島朱乃は後方に吹き飛んだ。

防御くらいなら耐えられるだろうと思っていたナインだったが、思いの外脆いことに少し予想外。

 

「あう―――!」

「おっと!? 意外と柔い」

 

すると、ジトっと朱乃の無言の睨みがナインを貫く。 吹き飛んできた朱乃の体を全身でしっかりと受け止めたナインは、ふむと思案顔になった。

 

「すみません?」

「どうして疑問形なんですの」

「これは失敬。 私、防御の手立てが無いもので」

「………………」

 

再び無言の圧力で、ナインは少し参る。 頭を掻いて朱乃の足を地面に立たせた。

 

「逃げてばかりか! 錬金術師!」

「さて」

 

迫る槍。 それを見据えてナインは近くの鉄の塊を手に取った。

体育館が炎上した際に出てきたものだ。 一際強くその鉄塊を握り込むと、数十条の雷が発生する。

いつもより強力な錬成。 綿密に、緻密に鉄塊の内部の物質を理解し、物質一つ一つを丁寧に、爆発物に作り替えていく。

 

「念入りに錬成っと。 相殺はしないでしょうが、免れますか。 ま、博打ですね」

「?」

 

よっ、と光の槍にその鉄塊の形をした爆弾を投げ込むと―――着弾、爆発。

それでも勢いを殺さずに向かって来る光の槍を見据え、朱乃に指示した。

 

「防御魔法よろしく」

「く…………勝手ですわねあなた、は――――!」

「…………邪魔をするな、バラキエルの力を宿す娘ぇ!」

「――――! あの者と、私を一緒にするな!」

 

すると、先ほどとはまるで違う反応。 完全に光の槍を防いだ。 コカビエルの本気ではないだろうが、それでも幹部格の槍の衝撃を防げたことに朱乃は自分で驚愕していた。

 

パァン、と自分の目の前で弾け消える槍を目にした朱乃。 自分の両手を見詰めて、ナインに視線を移した。

 

「おー、素晴らしきかな防御魔法」

「…………」

「おっと、嫌だな。 共同戦線じゃないですか」

「うふふ、これは共同とは呼びませんわ、うふふ」

「語頭と語尾が妙だ。 こういうタイプの女性は初めてです―――ちょっと怖いなぁ」

 

そう言うと、ナインは朱乃から離れた。 ニコニコと微笑みを浮かべながらも片手に雷を出しているのを見て、そそくさと走り去る。

口を若干への字に曲げた朱乃は、赤いスーツがリアスのところまで走って行くのを見ると、ふん、と息を漏らした。

 

「なんなのでしょうか、彼は…………」

「大丈夫ですか朱乃さん!」

 

走るナインがコカビエルの動向を探ろうと視線を移す。

するとゼノヴィアがデュランダルを構えて突進していた。

いつの間にか地上に降りてきたコカビエルに突進したゼノヴィア。 しかし、コカビエルはその無数の剣戟を難なくいなし、次に躱す。

 

「うっ――――」

 

手に持った二つの光の剣に、ゼノヴィアが下から斬り払われた。

 

「ぐ――――くそッ! やはり強い!」

「パワーだけと思ったか。 ひよこめ。 接近戦なら勝てると? バカめっ!」

「が――――!」

 

斬られた肩を掴むゼノヴィアが光の衝撃で吹き飛んだ。 そこで飛んでくる華奢な躰を抱き止めたナインが、眉を吊り上げる。

 

「さて、どうしましょうかね。 ゼノヴィアさん」

「ぐ…………どうするもこうするも。 やるしかないだろう」

「幸い地上に降りてきてくれましたから、ちょっとはやりやすくなったんですがねぇ。 飛ばれていたら触れないし」

「まだそんなことを言っているのかナイン、お前は少し事態を楽観視しすぎだぞ!」

「言ったでしょ、楽しみましょうって」

「~~~~~~!」

 

髪をくしゃくしゃと掻き乱すゼノヴィア。 もうだめだこの男、と思ったときだった。

コカビエルが手近にいた金髪の少女―――アーシアに槍を飛ばした。

 

「アーシア!」

 

救出すべく飛んで行ったのは一誠だった。 危機一髪で光の攻撃から逃れると、抱いていたアーシアを降ろす。

 

「ハっ、それにしても」

 

コカビエルが周りを見渡す。 嘲笑うように、蔑むようにリアスたちやゼノヴィアを見回して言った。

 

「拠るべき所を失ってもなお、戦意を失わないとは。 お前たちは本当に健気な奴らだ、なあおい紅蓮の」

「…………?」

 

ナインですら眉を吊り上げ、疑問符を浮かべる。 当然他の者たちも、コカビエルが何を言わんとしているのか予想できない。

そもそも、拠るべき所とは?

 

「そうか、お前たち下々には語られていなかったな」

「……どういうこと?」

 

謎の言動。 その言葉にリアスが怪訝そうな口調で訊く。

すると、コカビエルは心底可笑しそうに大笑した。

 

「冥土の土産に教えてやるとも。 先の三つ巴の戦争で四大魔王だけでなく神も死んだのさ」

『――――ッ!』

 

何を言った? この男は、堕天使は何を口にした?

未だ理解できていないのはアーシアとゼノヴィア。 ナインは目を細めてコカビエルに物申す。

 

「隠居?」

「そうさ。 知らなくて当然。 神が死んだなどと、誰に言える? 人間は神がいなくては心の均衡と定めた法も機能しない不完全な者の集まりだぞ? 我らは堕天使、悪魔でさえもそれを下々に教えるわけにはいかなかったのだ。

三大勢力でもこの真相を知っているのはトップと一部の者だけ。 まぁ、先ほどバルパーが気づいたようだがな」

 

「ああ無視ですか」ナインは苦笑いをした。

 

そんなナインの一人小芝居を一方に、絶望に打ち拉がれる者が三人。

教会の戦士であり、そして信徒であるゼノヴィア。 そして悪魔になろうとその信仰を忘れないアーシア・アルジェントだった。

 

「神が…………いない? 死んだ、だって? バカな」

 

主のためと信じ文字通り身を捧げていた木場祐斗。 聖剣計画での扱いも、神の加護があったからこそ耐えられたのに――――。

 

「戦後残されたのは、神を失った天使、魔王全員と上級悪魔の大半を失った悪魔。

幹部以外のそのほとんどを失った堕天使。 もはや疲弊状態どころではなかった――――壊滅状態だよ!」

「………………」

 

黙し、コカビエルの身振り手振りを横目で見つめるナインは、やがて誰も聞こえぬ息を吐き、肩を竦めていた。

 

「どこの勢力も人間に頼らねば種の存続ができないほどに落ちぶれた。 特に、天使と堕天使は人間と交わらねば種を残せない。 堕天使は天使が堕ちれば数は増えようが……純粋な天使は神を失ったいまでは増えることなどできない。 どの種族も純血種は必要だろう?」

「…………ウソだ…………主が、ウソ、だ」

 

狼狽に包まれるゼノヴィアは、目の焦点が合っていない。 神にこの身を捧げてきた現役信徒。 さらにコカビエルは続けて語る。

 

「正直に言えば、もう大きな戦争など故意にでも起こさぬ限り、再び起きん。 それだけどこの勢力も先の大戦争で泣きを見た。 神と魔王が死んだ以上、戦争継続は無意味だと判断しやがった。

アザゼルの奴も、部下を大半亡くしちまったせいか、『二度目の戦争はない』などとほざく始末!

俺は絶望した、いまのお前たちのように。 振り上げた拳を収めるという行為に歯噛みした。

ふざけるなよ、あのまま続ければ、あの戦争は俺たちが勝てたかもしれないのだ!」

 

強く持論を語るコカビエルは、憤怒の形相となっていた。 戦争を愛する戦狂いの表情のそれに、ナインは鼻で笑っていた。

 

「なるほど、それで」

 

祐斗が持つ光と闇を有した剣を横目で見つめて、ナインは一人得心した。

アーシア・アルジェントの追放についても。

 

「神の守護、愛が無いのはそれでしたか」

「もし、神が存命だったとしても、お前は最初から見放されていただろうよ。 その思想、性質、どれをとっても犯罪者の気質のそれだ。 貴様を加護する奴など聖書の神でなくともいないだろうさ」

「あ、やっぱり? となると、その影響はやはり木場さんとアーシアさんに在ると言うわけだ」

 

そうだ、とにやけたコカビエルは、心底哀れな者を見るようにアーシアを見下ろした。

 

「愛は無くて当然だ。 いないのだから。 その点ミカエルはよくやっている。 神を代行して天使と人間をまとめあげている。 神が使用していた『システム』が機能していれば、祈りも、祝福も、悪魔祓い(エクソシスト)もある程度動作はする。 ただ、神がいる頃に比べ、切られ追放される信徒の数は格段に増えたがな」

 

もう立ち上がる気力も無い。 先ほどまで強気に剣を構えていたゼノヴィアは膝を地に突かせて涙をこぼす。

アーシアはおぼつかない足取りでふらふらと歩き、やがて倒れて一誠に抱き止められていた。

 

「アーシア! しっかりしろ!」

「主は…………いらっしゃらない。 私たちへの、愛が…………」

 

そこに、紅蓮の男はコカビエルの眼前に立つ。

打ち拉がれるゼノヴィアの横を通り過ぎて、手の平を見た。

 

「…………」

「先の饒舌さはどうした、紅蓮の錬金術師。 ああ、そうか。 お前も心の底では神を信じていたのか。

無理も無い。 目的はどうあれ、教会に入れば主は絶対の存在という教えがあるからなぁ、お前もそれに感化されていたのだろ。 教会は一種の信徒を増産する機関だからなぁ! ふあっははは!」

「うるさいなぁもう…………」

「ハハハッハッ――――なに?」

 

ナインはほくそ笑む。 それと同時にコカビエルの笑いが薄れ、周りの温度がガクンと下がった。

それを心地よく感じながらコカビエルのオーラの圏内にまで入って行く。

そして、己の神父服に提げられた十字架を握った。

 

「はい」

 

ブチっと、十字架を首から引き千切る。 コカビエルは一瞬目を見開いて歯を軋ませた。

ゼノヴィアはその光景に震えながら口をぱくぱくと開く。

 

「十字架を…………」

 

投げ捨てられた十字架は、儚く空中で弾けて四散する。 ゆっくりと笑みを含ませてナインはポケットに片手を入れる。

 

「はぁ…………」

 

つまらない、どうでもいい。

 

「欠伸が出る」

「―――――お前はっ」

 

目元をひくひくと引き攣らせるコカビエルに向かって、両手を前に伸ばして短く笑った。

 

「私、神が死んだ云々よりも、居たことにまず驚きましたよ」

「…………教会最高峰レベルのヴァチカンの国家錬金術師が、神の存在を信じていなかった…………!?」

 

ゼノヴィアがまた別の意味で驚愕で震える。 聖書や聖剣にここまで無関心な男だったとは思わなかった。

この男は異端だ。 おそらく教会でも、救いようが無いくらい勉強する気もなかったのだろう。

 

「お前はなんて奴なんだナイン! この罰当たりめ!」

「…………ここまで神に無関心な教会の戦士は、いっそ清々しいわね」

 

困ったように言うリアスは、改めてあの男の異常振りを理解した。 矢先で、ゼノヴィアは先の落ち込みようはどこへやら、ナインを指差して叱咤していた。

 

「そうそう、私、罰当たり罰当たりって、所属していた頃も同僚から言われ続けてきたのですが。

いまだにその神の鉄槌がくだらないのは神が居ないからなんですよね、納得しました」

「全然反省してねぇこいつ」

 

ナインは両手を戻すと、拳を握った。

 

「最初からいないと思っていた存在を、死んだよと言われても、そりゃなんの感慨も興味も湧きませんよ。 だぁって、いないって思い込んでいたんですもの。 ねぇ、コカビエル?」

「救いが無いのもうなずけるほどの異端者だなお前は――――だが、ますます気に入ったぞ」

「私の花火人生は、神を必要としてなかったのでね。 他の信徒たちには悪いですが、居ないものを信じるなんて、私には到底できることではない」

 

言い終えた瞬間、地を蹴った。 笑いながら走り出すナインは、ついにコカビエルに肉薄する。

 

「私はもともと囚人で犯罪者で、爆弾魔です。 そんな人間に信仰心や正義心、ましてや人道など説いたとて、馬の耳に念仏唱えるようなものですよ」

「語ることはもうない。 俺は戦争、お前は爆破の技術を求め、探究する者。 意見が分かれればやることは一つ――――潰し合いだ!」

 

二振りの光の剣をコカビエルが取り出した。

 

「ぬぅん!」

 

避ける。 剣戟を、避ける。 防御の手立てが無い彼は、未だに修羅道を歩むことを強いられている。

しかし、その修羅に対する恐怖心すらも忘却の彼方に追いやり、嬉々として自分の身体能力を最大限に引き出している。

 

それは、ただ触りたい一心で形成された趣味への没頭。 人間としての動きは、もはや無い。

まるで獲物を前にした――――獣のようにしなやかに動く。

真一文字の光の剣を、ナインは横に素早く動いて躱して……

 

「すばしこいネズミが――――!」

「人間です」

 

コカビエルに足を掛けた。

 

「くッ…………ぬぉ――――!」

 

ぐらりとよろめいたコカビエルの体をそのまま地に叩き付けると――――容赦なくその紅蓮の魔手を伸ばした。

避けられる。 横に転がって上手く立ち上がったコカビエルを見てナインは笑った。

 

地面が光る。 コカビエルが避けたことで付いた地面をそのまま右手のみで錬成してコカビエルと自分の間で爆破させる。

 

「目くらまし? そんなことをしても気配で読み取れる。 無駄なことはやめろ紅蓮の錬金術師ィ!」

 

爆発はコカビエルをとらえず、爆発の煙だけがもくもくと二人の視界を遮っていた。

 

「ちっ、煩わしい」

 

堕天使の幹部の証たる10枚の黒き翼。 それを広げて上空に飛び立とうと、したときだった。

 

「待ってくださいよぉ、飛ばれると面倒なのはこっちなんですからねぇ」

「貴様――――! 俺の翼に、触れるな!」

 

コカビエルの黒い翼に触れたかと思ったが、すぐに光の剣がナインを文字通り突き飛ばしていた。

ドスっと鈍い音がすると同時に、数十メートル吹き飛ばされる。

 

「が…………ぐ! んへへ……っ」

「ナイン、大丈夫か!」

 

ゼノヴィアがナインに駆け寄るがその瞬間、ナインはとんでもない行動に出る。

 

「ナイン? ぐ―――!」

「邪魔しないでくださいよぉ、いまいいところなんですから、はっはは……」

 

ナインの両腕を、ゼノヴィアが押さえていた。 すんでのところで自分の体に触れようとしていたナインの両手を、ギリギリと掴んで止めて、汗をダラダラと垂らしながらナインを睨む。

 

「くっそ…………何をする気だ…………紅蓮の錬金術師っ…………!」

「無論、堕天使爆弾を、精製します」

「いまは…………ぐ、私だ…………!」

「それはあなたが私の至福の邪魔をするからだ――――」

「ならまず、その物騒な両手をどけてくれ、頼む―――――!」

 

乱暴にゼノヴィアを地面に叩き付けると、ナインはコカビエルに向いた。

息切れを起こすゼノヴィアに、リアスが駆け寄る。

 

「仲間なんでしょう、こんな扱いは酷いわ」

「黙りなさい外野」

「―――――!」

「戦争において、他人を気にしていいのは指揮官だけ。 あなたはあの眷属たちのいわば指揮官だが、この戦場での総指揮官ではない。 指図しないでください」

 

生唾を呑み込んだリアス。 初めて、この紅蓮の男の深淵を見た気がしたリアスだった。

逆立った髪が一層不気味に見えた。 ワイルドな風貌が、さらに深みを増していた。

 

「う、ぉぉぉぉぉおおお俺の翼を…………何をしたぁぁぁぁぁぁ紅蓮の錬金術師ぃぃぃぃぃぃぃィィィィいいいッッ!」

 

上空から苦悶の声が漏らされる。 コカビエル。

己の黒い翼を首だけ振り返り凝視して…………さらに苦しそうに悶える。

その表情に、ナインはリアスとゼノヴィアたちから視線を外して不気味に笑んだ。 いつもより深く、深く。

 

「いやぁ…………ちょっとだけ作れたので。 その片翼で遊ばせてもらいました。 ほら、あなたの薄暗い翼が、徐々に大気中の酸素と化合して真っ暗闇の常闇になっていく…………レジストされると思いましたが、案外いけましたねぇ」

「俺が、この俺が、人間ごときの錬金術を完全にレジストできなかったとでも言うのか…………う、ぉぉぉっぉッ!」

 

コカビエルの黒い翼の片方が、まばゆい光に包まれた。




そういえば、かの学園伝奇アドベンチャー(笑)のメルクリウスも錬金術師でしたな。
それを考えるとナインは意外と俊敏な錬金術師だなぁと、描いていて思いました。

ちなみに彼、蹴りを主体とした体術を得意としており、拳闘はあまり使わない人です。 錬成陣に傷が付いたら大変ですしね。

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