紅蓮の男   作:人間花火

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非常に遅くなりました。 正月休みが無いとは、年休でも使えば良かったのだろうが。

明けましておめでとうございます。


18発目 誘惑の黒猫

「それじゃあナイン。 行ってくる」

 

次の日の朝。 公開授業も無事終了し、丸一日暇を持て余すこととなったナインとは裏腹、ゼノヴィアは週末の学園に張り切って出て行った。

 

『おはようございますゼノヴィアさん』

『よ、ゼノヴィア』

『イッセー、アーシア、おはよう』

 

外では、彼女と待ち合わせていた一誠とアーシアの挨拶の声が響く。

開いた窓越しにだるそうに、しかしにやけた顔は変わらずのナインに、ゼノヴィアは外から笑顔で手を振った。

 

「ナイン、留守をよろしく頼む!」

「はいはい」

 

別れたその後、三人は談笑しながら歩き始める。

 

『ゼノヴィアはあいつと同居してんのか、スゲーな』

『そうでもないさ。 ナインは案外気の利く奴だし、心を許せる相手だ』

『で、でもナインさんは学校に行っていないんですよね?』

『ふむ、最近そこのところを考えているんだよアーシア』

 

どうしたらナインを駒王学園に入学させられるか、いっそ教師でもいいんじゃないかとか、その場に本人が居ないことをいいことにゼノヴィアは次々と要らないことを口走っていた。

 

ゼノヴィアはナインのことを意識し始めている。

 

古の大戦を幾度も駆けてきた歴戦の存在――――コカビエル。

 

そんな稀代の怪物相手にだ。

 

冷静さは失わず、しかし内では、己が趣味目的に忠実に戦う。 誰かのためではない、自分の欲求を満たすためだと荒々しく猛り狂った紅蓮の芸術。

 

何があろうと自分の方針を変えない姿勢は、信徒であったゼノヴィアからしてみたら羨望の対象であった。

自分はいままで主に捧げてきた身。 自分のために何かをしたことがなかったから。

 

人間が堕天使の最高クラスに敵うはずが無い。 だからこそ教会も、聖剣の奪還を最低限の任務成功のノルマとしていたのだ。

錬金術は人の業である。 ゆえに人でない者には敵わない。

 

しかしそんな固定観念を一蹴。

 

そんな常識は「知らない」と、紅蓮の男は薄ら笑い、天に向かって唾をした。

そして果てには――――人の業で常識を覆す。

 

 

 

神の子を見張る者(グリゴリ)」幹部、コカビエル粉砕――――。

 

 

理由はこれだ。 なんの変わり映えのないありふれた吊り橋効果。

強者は異性を引き寄せる。 これが心からの真の恋でなくとも、年頃の若者ならば抱く恋愛感情。

 

立場と人物は変わるが、二天龍の所有者も同じことが過去幾度もあった。

その強大な力の許、異性は次第に集まっていく。 それが破滅に向かおうと、女にも欲がある以上強い男を好くのは自然の摂理だ。

 

そう、どんなに悲惨な人生になろうとも。

 

愛する者に躰を捧げようと、

本当の恋心を抱こうと、

乙女のような夢を抱こうと――――

 

いま、ゼノヴィアは道を踏み外す一歩手前に立っている。 この男の本質を理解できない限り、常人(かのじょ)に幸福は無い。

周りの環境下に合わせて「自分」を上手く操作している辺りも性質が悪いのがこの男だ。

 

「ん?」

 

ふと、携帯電話が鳴る。 登校していくゼノヴィアを見送った直後に鳴ったナインの携帯電話。

振動によってテーブルから落ちた自分の携帯を拾い上げようとした。

 

こんな朝早くから誰だろうか、そんな他愛もない疑問を浮かべて腰を折り屈んだ。

 

と、その同時だった。

 

拾い上げたナインの視界に一瞬、長い黒髪が映ったのだ。 

着信画面を見る前にそちらに視線が向かう。 向かってしまう。

それはあまりにも唐突で妖しく、危険な香り――――それが、ナインの本能的な部分を刺激する。

 

「やっほー、窓の外から失礼するわよー?」

 

目を向けると、いつぞやの黒猫が開いた窓から手を振っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「ここ、二階ですが」

 

開口一番、ナインがその美女に放った言葉がそれだった。 二階の窓になぜ立っていられる、普通なら有り得ない。

そのごく当たり前な疑問に、和服の女性――――黒歌はひょいとナインの部屋に土足で入った。

踊る様に窓から入室すると、ナインの後ろでくるくる回ってそのまましなだれかかる。

 

「お邪魔しま~す、ふふっ」

 

彼女の自慢であろう二つの果実が、ナインの背中に当たる。

流し目で誘う遊女のような振る舞いに溜息を吐いたのは他ならぬナイン。 肘に彼女の胸が当たるのも意に介さずに振り向いた。

 

「…………用件は、暇人さん」

 

頭を掻いてそうピシャリと黒歌の躰を撥ね退けた。 鬱陶しいと。

 

「にゃん」

 

するとわざとらしく可愛い声を上げて離れる黒歌は、そのままソファーに転がった。

 

邪魔者扱いをされて口をつぐむ黒歌。 この状況になんの突っ込みも無しに対応するナインに苦笑いする彼女も溜息を吐く。

次いで、呆れるように肩を竦める。

 

「もっとさぁ、『うわー!』とか、『不法侵入者だー!』とか、色々言う事あるでしょう? リアクションなーさーすーぎー!」

「相変わらずの軽口だ――――その綺麗な口、縫ってあげようか」

「うわ、そんなこと言っちゃうんだ? お姉さん哀しいなぁ、若い男の子なら、こ~んな――――」

 

チラリと胸元から見える乳房。 露出の多い彼女の和服は、健全な男子には目の毒であろうに。

黒い和服の上からその零れ落ちそうな巨乳を持ち上げてこれ見よがしに見せ付ける。

 

「エロ~いお姉さんがいたら期待しちゃうものなんじゃじゃないの? 性欲ってそういうものだと思うの。

本能って奴かにゃ~、生殖本能っ」

「ロックンロール?」

 

ビッとナインに指を突き付けて豪語する黒歌。 持ち主の動きに合わせて重たそうに揺れるそれをじっと見ながら、ナインは眉を上げる。

何をしに来たか聞いているのに、この不毛なやり取り。

 

普通なら、黒歌の言う事と同様の反応をナインはするべきなのだろう。

 

そうじゃなかったとしても、「こんな美女と朝から談笑できるなんて、よく分からないけどラッキー」……と楽観的にも受け止めるところだが、相手が非常識のナインである以上やはり効果は発揮せず、二つの反応例も参考にもならない。

 

「あなたは会う度そういったことしか口にしない。 とはいえたったの二度目だが…………私としてはどうかと思う」

「グレンちん強いんだもんしょうがない。 そういう男って、女としてはものにしたくなるもの」

「…………」

「強い男を籠絡して侍らせたい」

 

徐々に小さくなる声音とともに、なにやらおどろおどろしい瘴気を纏い始める黒歌。

その言葉は、なぜか真摯に彼女の願望を謳っているように聞こえて――――

 

「私の玩具にしたいのに…………」

「…………メンヘラ?」

「ちょっと入っちゃってるかも。 嫌な過去思い出しちゃって、ゴメンにゃー」

 

俯いていた彼女の整った顔が上がるがしかし、周りの瘴気は収まらない。 その内その妖艶な躰も包み込まれ朧気にゆらゆら揺れ始める。

 

「ふむ…………」

 

元よりあの戦闘狂白龍皇の許に居た女だ。

当然の如く、ナインは彼女を警戒していたゆえに冷静さを失わない。

呼吸をするのを一旦止めたナインは、まだ時間はあるなと、腕時計から視線を外して彼女を見据える。

 

「…………用件は」

「この前のお返事、聞けないかにゃー? って、ヴァーリが」

「なるほど」

 

首を傾げた。 この状況を見てさらに乾いた笑いが出る。

 

「しかし解せない。 返事を聞くだけでどうしてこう荒事を起こそうとするのだか…………」

「時間切れみたいよー? ああ、連絡先知らなかったとか、今更惚けた嘘吐いても無駄よ」

「連絡先を知らない」

「…………」

 

その直後、ナインの真横の花瓶が割れる。

大きな音を伴って上半分失った花瓶の水が零れて床が濡れる。 水が絨毯に染み出していくのを一瞥するとナインは黒歌に言った。

 

「聞きに来ただけなのに時間切れと? それはおかしなことだ」

「いちいち理屈臭い言い方ね…………」

「…………うん? 出会った当初と随分とキャラクターが違いますね、SS級はぐれ悪魔、黒歌。 焦ってるのですか?」

「…………」

 

ほくそ笑むナインに、黒歌は無言。 鋭い眼光だけでその返事は無い。

美人は睨んでも美人なのだ。 普段は軽いテンションの彼女だが、いまは女王を思わせる双眸で、目の前で未だふざけた道化者を演じる男を睨み付ける。

 

すると、ナインは手を叩いて一人得心。

 

「ああそうか。 三大勢力の会談までに私を引き抜く心算だったんですか。 いやはや、思いの外焦らされているようだ、お疲れ」

「他人事よね、ホーント。 とにかくね、そっちの陣営にあなたみたいなのがいると面倒臭いんだってさぁ。 ちなみにこれはヴァーリじゃなくて他の派閥連中の言い分」

 

「私にとってはどうでもいいけどね」と付け加える。

 

「でもあんまり五月蠅いから、来ちゃった。 おとなしく捕まってくれたら、お姉さん嬉しいな。

ねぇ、おとなしくしてくれたら…………特別に――――」

 

―――――気持ちの良いことしてあげるから、一緒に来てよ。

 

その瞬間、黒歌の足元の影が爆発するように弾け――――ナインに殺到した。

 

 

 

 

 

 

 

「あれ…………?」

 

「どうしたのですか、イリナ」

 

「ミカエルさま……」

 

「紅蓮の彼に繋がらないのですか?」

 

「はい…………」

 

「そう肩を落とさずに。 いまはもしかしたら取り込み中なのかもしれません」

 

「…………ミカエルさま、ナインは本当に天界側として会談に出席するのですか?」

 

「ええ、そのはずです。 だからこそ、会談前の顔合わせとして連絡を取っているのではないですか。 悪魔側も、堕天使側もそれは済ませています」

 

「そう……ですよね。 また後で掛け直してみます。 それでもダメだったら、直接会いに行きます」

 

「…………よかった」

 

「?」

 

「私が言うのも変ですが、異端追放された彼に、あなたは未だ嫌悪をしているのではと思いまして。

悪魔になった元戦士ゼノヴィアはともかく、これから会談に出る同じサイドの者同士で冷戦状態など、目も当てられませんから」

 

「…………ゼノヴィアのことは、もう言わないで貰えると……お願いします。 でも、ナインは人間なので会いたいとは思っています。 それに……」

 

「それに?」

 

「嬉しいんです。 また会えるって…………」

 

「…………恋、しているのですね、イリナ」

 

「………………」

 

「ふふ、そのように照れなくとも良いのです。 きっかけはなんであれ、恋とは胸の奥を締め付ける激情なのですから」

 

「うぅ…………」

 

「あなたの愛に祝福あれ。 神は不在なれど、皆見ています。

知っていますかイリナ。 神さまは、愛にはとても真摯に応えてくださるお方だったのですよ」

 

「…………はいっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………狭い」

 

そんなことを嘯いてリビングの壁を踏み壊しながら伝い走るのはナイン。 室内であるため、行動が制限されるなかで繰り広げられる逃走劇。

黒歌の影は、未だ無限に伸びて標的(ナイン)を狙い忍び寄っていく。

 

「気づいてる? このマンションはもう全部結界の中――――中からも外からも出られないし入れない。

人払いもさっきの同居人さんで最後だったし――――ねぇ!」

 

しかしやはり限界はあるのだろう。 影とともに移動してナインを追跡している黒歌がその証拠。

更に、スピードも達人級であると同時に変幻自在の動きをするナインに対して端正な顔を歪ませていた。

 

(影で縫い止めて、あとは嬲り殺し……だったのにねぇ、なにこれ)

 

両手からなんらかの波動を撃ち出す黒歌だが、動き回るナインの軽業はいとも容易くそれを避ける。

立体的に動き、且つ俊敏に足を滑らせるその芸――――荒唐無稽。

 

「…………どっちが悪魔だかわかんない」

 

影は追いつかず、ゆえに波動の弾も当たらずだ。 黒歌は怒り通り越して呆れていた。

 

無駄に周囲の物を壊しまくるだけで、標的には掠りもしない。

これが錬金術師? 私が思い描く錬金術師はもっと知的そうな、それでいて白衣を着ていて……。

 

だというのに目の前の男はなんだ? 冗談だろう?――――速すぎる。

目の色も先とは桁違いな金色だ。

 

「まぁ、狭いなら広げるのが常套ですよね」

 

そう呟いたのはナイン。 一瞬、走り回るのを止めて思考――――直後に物凄いスピードで壁に向かって走って行く。

その間両手を思い切り衝き合わせて錬成のモーション――――激突するその寸前だった。

 

「――――足裏に棘でも付いてるのかっていうのよ……!」

 

足をそのまま壁に噛み付かせる。 そう、噛み付くように壁に足の裏を引っ付かせたのだ。

それにより、ナインの体重を有り得ない方向から受けたことで踏み付けられた壁はミシミシと悲鳴を上げる。

 

一気に壁伝いに駆け上がり――――天井に、その手を触れた。

――――雷気が迸り激しく発光する。

 

「―――――っ」

 

刹那に爆音が鳴り響いた―――――轟音炸裂。

天井だったソレは、手軽な爆発物に作り替えられてド派手な花火と化す。

 

一部の天井は跡形残さず吹き飛ばされる。 その際にできた天井の空隙を見て、黒歌は片方の眉を上げる。

人一人通れるくらいの穴が作り出されたそこに、ナインはその穴に手を掛け、ぶら下がって確かめた。

 

「よし、行ける」

 

片方の腕力だけで自分の体を引き上げさせると、素早く上の階に飛び上がって行く。

一方で、つんざくような甲高い音は黒歌の鼓膜をキーンと揺らして一時行動不能に陥らせていた。

 

「~~~~~」

 

この場は逃がした。 しかしそれでいい、どうせこのマンションからは逃げられないのだから。

だが、別のところに黒歌は溜息。 塞いでいた耳を離した。

 

「ん、はぁ――――! なんであんな至近距離の爆発で自分は平気なのよ…………鼓膜おかしいんじゃないの?」

 

毒づくがすでにその場にナインはいない。

影を一旦己に収め、ナインの潜り上がっていった穴に自分も入り追跡続行。

 

本当はこんな手荒はしたくなかったと、今さらながらに後悔する黒歌。

それもこれも、あの派閥が悪いのだ。 自分はもっとロマンチックにこの男と踊ってみたかったのに、間が悪い。

 

(まぁ、私が進んで引き受けた役だし、文句は言えないんだけどね)

 

会談前に邪魔となる人物は捕縛するか消すかの二択だった。 もう一人、トップ以外で厄介な悪魔が学園の旧校舎に一人いると聞いたが、そっちはそっちで対処するとそう言った。

 

そう、数日後に開かれる会談は、武力反乱を背景に台無しにしてやる手筈なのだ。 もっとも黒歌自身は赴かないが、その分裏方で働くと。 自分はそういった役割に就いた。

もうすでに準備は整っている。

 

 

――――この男を除いては。

 

 

(ここまで引き延ばされるなんて予想外もいいとこにゃ~)

 

元囚人、元犯罪者。 ヴァチカンに繋がれていた錬金術師。

経歴、人間性すべてを見れば、何より誰より先にあちらを裏切ってこちらに付くと思っていたのに。

 

一番手間がかからなそうだと思っていた男が、直前までなんの反応も無しとは、想定外にも程がある。

破壊を望むのだろう? 爆発を望むのだろう?

誰彼構わず動く爆弾と化し、血肉で彩られた花火を鑑賞するマッドな花火師。

 

なのになぜだ、なぜ靡かない。 それともなにも考えていないのか、否、それは錬金術師にあるまじきことだ。

あの派閥にも苛立たせ、ヴァーリにすらも首を傾げさせたナインの不通。

 

「いつまで上ぶち抜くのよあいつ――――」

 

同じ穴を昇ると、その部屋の天井が再び穿たれているのを見て黒歌は苦笑い。 このマンションはテレビ局にも取り上げられたことのある高級なマンション住宅だ、階数は多い。 一体どこまで行くという。

 

「まさか…………」

 

ついに最上階まで来る。 七階の上。

見晴しはそこそこあるその屋上に、黒歌は給水塔に寄り掛かるナインを見付けた。

 

「やぁ、遅かった」

 

彼は薄く笑うと、給水塔の表面をコツコツ叩く。

片手を紅蓮のスーツに入れて、不敵に。

 

ここにいるぞと。 遅いぞノロマと、ナインにしてはらしくない挑発行為。

 

「…………ふ~ん」

 

乾いた音の後、黒歌は豊満な胸の下で腕を組み笑い上げる。 にわかに笑みを消して鋭い視線をナインに浴びせた。

 

「…………ヴァーリが言ってた赤龍帝の坊やよりは遥かに使えそうねぇ。 まぁ、だからこそこうして私に狙われてるわけだけど…………」

 

斜に構える黒歌から徐々に影が蠢き始める、牽制の序章――――

しかし両者未だに動かず。 手を差し出して妖艶に微笑みかける魔性の猫又。

 

「でも残念ねぇ…………あなたならねぇ私、良いコンビを組めると思ってたのよ? 比較的寡黙なアンタに、お喋りな私……バランス取れてるし、相性も良いと思うのよ……何よりね――――」

 

人差し指をその妖艶な唇にくっつけて、舌で舐め上げ誘惑する。

 

「好みのタイプね。 征服したいし、されてみたいとも思ってる。 征服欲ってやつ」

「…………それはどうも。 しかし私が自分で言うのもなんですが、悪趣味ですね――――あなた、男運無いでしょう」

 

言われて、表情が一瞬険しくなると、そのあとには肩を竦めた苦笑が帰ってきた。

 

「…………そうかもね。 でも、仕方無いじゃない。 そういう星の下に産まれちゃったんなら、それを受け入れて生きていくしか」

 

片手を鉄砲の形のようにして、ナインの胸元に合わせる。 片目を閉じて狙い定め―――撃ち抜く仕草で不敵に笑んだ。

 

「下手な鉄砲でも、数撃ちゃ当たるっていうでしょ? 日本の諺にあるのよ」

「くく…………ははっは――――カミカゼ主義かい。 相変わらず日本人はわけが分からない……が」

 

男運が悪いのは否定せずか、その潔さは賞賛に値しよう。

そう肩を揺らして小馬鹿にするように、だが――――

 

「気合いは認めます。 あなたが過去どんなことに遭いどんなことをしてきたのか……私には知る由も無いし興味も無いですがね…………」

 

給水塔から離れて歩き始めるナイン。 それを目で追いかけながら黒歌は身構える。

 

「幸薄い美女ほど、男の慰み者になる」

「―――――」

「――――叩きのめす。 その飢えた獣のような目……私をものにしたいというのならね。

その上まだ貫く信念を失わず持っていたなら、無論私はあなたの期待に応えよう―――――だから、少しギアを上げようか。 私もね――――」

 

瞬間、黒歌の目の前にナインが肉薄していた。

 

「女に犯されるなど、そんな情けないことにはなりたくないと思っているのですよ」

「ちぃ――――っ!」

 

風圧を伴いながら、両者の上段蹴りが交差した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ…………」

 

水面下の戦闘がおこなわれるマンションの入り口に、栗毛の少女が立っていた。 ナインの家を訪ねてすぐに気づいたこの建物内で起きている異変に、彼女――――紫藤イリナは息を呑む。

 

教会で鍛えられた洞察力も相まって、さらにそこに聖剣エクスカリバーの一振り、「擬態の聖剣(エクスカリバー・ミミック)」の力。 勘付かない訳が無かった。

 

このマンション住宅だけ、現世とは位層が若干ズレている。

 

「一体何が起きているの?」

 

浮かぶ疑問とともに、イリナはそのマンションに足を踏み入れた。

本来侵入できない結界の膜に――――完全に入り込んだその瞬間、屋上から大爆音が響いてきた。

 

何事かと屋上を仰ぐと、見知らぬ黒い和服を着崩した女と――――

 

「ナイン…………!」

 

高すぎてよく見えないが、見違えるはずもないあの赤服。

何よりこの地鳴り――――爆発による副産物が、屋上にいるナインによるものであると彼女に伝えていた。

 

「んっ!」

 

パシンと、自分の両頬を挟むように引っ叩くイリナ。

ナインに会える。 そう思って緩み切っていた自分の精神を立身させる。

 

「痛ったィ…………」

 

涙目で唸った。

 

少し加減が無かったか。 しかし、ジンジン痺れる自分の顔を奮い立たせ、すぐさまナインの居るであろう屋上に急ぐ。

何がどうなって、どうしてこんなことになっているか分からないけど、かつての同志が何者かに襲撃されているのなら助けよう。

しかし、いまのイリナには別の理由も頭にあった。

 

「…………遠くからでも解った。 はぐれだよね……しかもかなり高ランクの」

 

しかし直後、カチンと血管が少し浮き出る。

 

「あの女の人、なんであんなに露出多かったのよ、しかもスタイル良かったし…………そんなに、そんなに大きなおっぱいが好きかー!」

 

全速力で、階段を駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

『好きかー!』

「む?」

「誰!」

 

下の階から聞こえてくる大きな声に、ナインと黒歌は一瞬凍る。 もっとも二人とも別の意味での硬直だ。

聞き慣れた声に苦笑いのナイン、結界を突破されていたことに目を細める黒歌。

 

両者は戦うのを止め、屋上の階段に注目していた。

白いローブを羽織った栗毛の少女紫藤イリナ。 黒歌は彼女の携える代物を見て驚愕する。

 

「まさか、聖剣使い? ヴァチカン――――」

 

はっとしてナインを見る。

 

「そう、彼女あなたの助っ人ってところかしら」

「さて、連絡を取った覚えは無い」

 

その答えに、黒歌は苛立つ。

ナイン一人になったのを見計らって来たというのに、予想外の来客。

しかも、噂に違わない聖光を放つエクスカリバー――――何より二対一、無勢か。

 

「だったらどうしてここが解るのよ…………ああもう、ただでさえ厄介なのに、こんなときに聖剣なんて、ついてないわねぇ!」

「そこの! 一体何してるのよ!」

「ここは退散に限るわね……」

 

ナイン一人に手こずっていた……否、少し押され気味だった黒歌は素早く判断。

さすがに二人相手はキツイと察すると、屋上のフェンスに手を掛けた。

 

「ナイン、大丈夫――――? あの女の人は?」

「彼女ははぐれだ」

「…………」

 

すぐにでも飛び降りて逃走できる状態になると、黒歌は笑みを投げかける。

その妖艶で、なにか女性としての自信を失いかけそうなフェロモンの濃さに、イリナは萎縮すると同時に、少しイラッとした。

 

もじもじと、口をへの字にしてナインを上目で睨み付ける。

 

「…………大きなおっぱい、好きなの?」

「それは現赤龍帝だ」

「でも見てた」

「それは彼女の服が崩れていたからだ――――あなたの思い込みだ」

「揺れてた! こう、ポヨンポヨンって!」

 

地団太踏むようにナインに捲し立てる。 まるでヤキモチを焼いているようにナインの顔を覗き睨んでいた。

そんな二人のやり取りを見た黒歌はにやける。 面白い玩具を見付けた子供の様に笑む。

 

ある、性質の悪い悪戯を思いついてしまった。

 

「もしかして、ナインのこれ?」

 

小指を立てる。 それにナインはくだらぬと一蹴するように首を横にゆっくり振った。

 

「私も何が何だか。 彼女がどうしてここに来て、どうして私に会いに来たのかは解らない。

して黒歌さん、逃げますか? 正直こちらは消化不良だが、ここで区切りというなら止めはしません。

元より女と戦うのはその、なんだぁ…………」

「?」

 

鼻で息を吐いて、肩を竦める。

 

「やりづらい」

「あら、ここにきてフェミニスト気取りぃ?」

「それは勘違いだ。 彼女と戦線を張るのが面倒臭いだけです」

「うわ、味方ディスってるし」

「あなたと踊ることに躊躇いはないのですが…………状況が状況ですし、やる気も失くした」

「間女が入って来ちゃったからにゃー」

「なんか私、いじめに遭ってる?」

 

表情を引きつらせるイリナ。 しゅんと小さくなる彼女を黒歌は一瞥すると、何を想ったかナインに近づいていく。

フェンスを離れてこちらに来る彼女を見て目を細めるナイン。 中断するのではなかったのか。

 

戦闘続行? しかし不可解。

 

「にゃーにゃー」

 

ナインの背中ですりすりとしなだれる黒歌。 先のような敵意と殺意がまったくもって感じられない彼女には、さすがのナインも攻撃する気にもならない。

 

また、この至近距離でもし意表を突いて来ようと、自分ならば対応できるとナインは確信を持って言えるのだ。

 

「隙あり~」

「――――――」

 

しかし、反応できなかった。

危機感はまるで感じないゆえの不反応、敵意も殺意も無く、一体どんな攻撃を仕掛けてくる!

ナインは遅れて身構えた。

 

殺気が、敵意が感じられない。 そんなバカな、この黒猫は、そんな妙術まで身に付けていたのかと、ナインは焦燥に駆られた――――が。

 

「しま――――」

「んー」

「あ」

 

……………………。

ナインは自分の頬に柔らかい、さらに瑞々しい感触が押し当てられるのを感じた。

隣には黒い和服の女。 正面にはイリナ。

これは一体どういう状況だ。

 

「んにゃ~ん。 意外に柔らかい」

 

徐々に柔らかい感触が頬から離れていく。 犯人は――――黒歌。

女性特有の潤沢な唇が……ナインの頬に押し当てられたのだ。

 

固まるイリナ。 対してナインは、

 

「…………ん?」

 

キスをされた頬に手を当てると、ナインは首を傾げて得意そうな黒歌に言い放った。

 

「…………何のつもりですか」

「動揺してるかにゃー? 成功? 成功かな?」

 

悪戯が成功した。 してやったり。

そう思ってやまない黒歌は嬉しそうにはしゃぐ――――ナインはその彼女の行動に苦笑い―――次いで、宙を仰いだ。

 

「なるほど、色仕掛けか。 これはなかなか効果的な手ですよ案外――――まぁ、」

「でしょ? 唇同士にもしようかとも思ったんだけどね、あんまり尻軽に見られたくなかったからにゃー…………唇が良かった?」

 

可愛らしくウインクする黒歌。

抜かしますね、とナインは笑い飛ばす。

 

「私に効くかと言えばそれは思い上がりですがね。 それに、そんな恰好をしていて、いまさらそう見られたくなかったとか…………あなたは出会った当初から遊女のような人ですよ、もう遅い」

「うわひどい。 というかそれより、なんで全然動揺しないわけ? 経験とかあるの?」

「さて、それはご想像にお任せしましょう」

「…………まぁいいや。 最後に楽しめたから、私帰るわね」

 

フェンスに手を掛けると、今度こそは飛び降りて行った。

術者である黒歌の不在により、自動的に現世に戻る。

 

ナインは未だに固まるイリナの首根っこを掴み、自室まで階段で降りて行った。




今年もよろしくお願いします。

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