紅蓮の男   作:人間花火

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28発目 紅蓮の凶源

アースガルズの戦闘に出かけたヴァーリと美猴は、相手にも攻撃側が存在することを知る。

狙われたのは、留守を守るナインと黒歌の二人。

 

敵中戦いながら、帰還か否かを二人で相談し合っていた。

ヴァーリが掌中で魔力の弾を練り込み、アースガルズ側の精霊、戦乙女ヴァルキリー等に投げつけていく。

いまのヴァーリにとっては取るに足らぬ相手だ、容易に薙ぎ倒していくことができる。

 

「初めましてだな、白龍皇よ」

「貴様は…………」

 

戦闘で抉れた大地を再び抉り、傷跡を上塗りし続ける不毛な殲滅戦のなか、黒いローブを羽織った美丈夫が現れてそう言った。

アースガルズ側の兵隊を次々と打ち倒していたヴァーリと美猴は、ただならぬ気配に眉根を潜めてその男に顔を向ける。

 

いままでのはただの雑兵ということか。

 

「我こそは北欧の悪神、ロキ。 このたび『禍の団(カオス・ブリゲード)』ヴァーリチームの襲来を事前に察知した主神オーディン(・・・・・・・)からこの拠点の留守を任された。 面倒ではあるが――――相手になろう」

 

アースガルズの悪神。

北欧の主神オーディンの義兄弟という言い伝えがある人物。  悪戯好きでうそつきという、悪童のごとき神格。

しかし、それがなんともやる気無さげなのだ。 その覇気の無いロキの態度に、美猴も潜めていた眉を上げて軽い口調で横にいる銀髪の少年に聞いた。

 

「ヴァーリ、どうする?」

「…………」

 

マントを広げて宙に浮かぶロキを目で追いながら、ヴァーリは考えた。

いまここにいるのはロキのみ。 いまから美猴と二人でロキを討つにも、時間が足りない。

 

「お前一人か…………悪神」

「その通り。 ここは私一人だ」

 

ちっ、と舌打ちする。

主神が直々に攻撃側に回っているのなら厄介だ。 まさかいままで表に出て来なかったオーディンが、自分たちの動きを事前に察知したとはいえここまで大胆な行動に出るとは思わなかった。

 

「俺っちとヴァーリでロキ一人くらいはなんとかなりそうだが…………」

「早急に片づければあるいは間に合うか…………?」

「やる気なのかい。 ちなみにまぁ言っておくと、我が息子もオーディンとともに出撃させたぞ」

 

―――――。

 

鎧を出現させ、白銀を身に纏って臨戦態勢に入ったヴァーリだったが、ロキの一言で目を見開いた。

 

とんでもないことを言ってきた。 いや、この場でそのことを敵方であるヴァーリたちに知らせたとなると、ロキもこの戦闘には消極的なのかもしれない。

 

それよりもいまの言葉だ。 あの悪神の息子がオーディンとともに別行動をしているということは…………

 

「ナイン……黒歌…………っ」

「勘違いをするな、仙術を使う猫悪魔には興味は無いぞ。 ただ、”神の星”と呼ばれたあの戦狂いが人の子に倒されたと聞いて少し興味を持った」

 

指を立て、嫌な笑みをロキは浮かべた。

 

「その男――――ナインと言ったか。 それがお前たちの徒党に組み入れられたそうじゃないか――――逃す手はないと思ったのだよ」

 

最初から、この手は仕組まれていたということか。

 

「別にここで我を倒そうとしても良い。 だが、お前たちが戻らなければ…………」

 

我が息子フェンリルが、その最悪で凶悪な牙をもってその男の喉笛――――いや、

 

「躰を噛み千切って来ることだろう、さぁ、迷っている時間は無いぞ、はは、ははははははっ!」

 

愉快そうに笑うロキ。

このとき、すでにヴァーリのなかで答えは出ていた。

 

「神を食い殺す牙。 地を揺らす者か…………あのフェンリルがナインたちのもとに向かっているならまずいな…………」

「ほほう、意外と冷静なんだな白龍皇」

 

挑発するように言ってくるロキに苦笑する美猴。

まったくやる気あるんだか無いんだか、と文句を垂れていた。

 

「それで、そこは通してくれんのかよ? 北欧の悪神殿?」

 

美猴の言葉に、ロキは息を吐く。 自嘲するように口を開く。

 

「我は最近、他の神話体系と協力するオーディンが気に入らんのでね。 ここは休戦でもいいとさえ思っている。 なぁ、お互いその方が利点があるだろう?」

「おいおい、オーディンの身内がそんなんでいいのかぃ?」

 

美猴の指摘を、ロキは鼻で笑い飛ばした。 しかしすぐに不機嫌そうな表情に戻る。

 

「我が息子をヤツに同伴させただけでも破格だよ。 本来あの子は我のためだけに存在する神殺しなのだから。

それに、ここで我がお前たちを見逃そうとも、すでにそちらには着いていることだろう…………ほらほら、もたもたしていると手遅れになるぞ?」

「…………アースガルズも、一枚岩ではないな」

 

ヴァーリの皮肉じみた言い方に、ロキは心底その言葉に嘲笑を乗せて言い放つ。

 

「バカな。 一枚岩でなくしたのは他でもないオーディン自身だ、白龍皇。 我はただ、北欧の神話に他神話体系が入って来るのを阻止したいだけだ」

「…………やけにオーディンを嫌うな。 なにか直接的な嫌なことでも最近あったか…………?」

「…………」

「まぁいい。 通してくれるのならそうさせてもらう」

 

口許に笑みを作ったロキとすれ違う。

いままでのヴァーリだったなら、目の前の強敵に躊躇いなく喰いかかっていただろう。 だが、長い年月を重ね、その孤高の狼のごとき感情が薄れつつあった。

 

本人はおそらく無意識だが、明らかに美猴や黒歌たちを仲間と思い始めている。

 

「美猴」

「なんよ?」

「オーディンの最近の動きを調べて来てはくれないか」

「…………は~。 はいはい、了解よ。 ったく、いっつも俺っちこんなんばっか」

 

ロキの対応。 義兄弟であるはずのオーディンとの確執。

保守過激派であろうロキの今回の対応は、ヴァーリに疑念を抱かせた。

 

「長年一つの神話として語り継いできた北欧が、どこか違う神話体系、又は勢力と繋がりを持とうとしている節があると見た」

 

美猴はそのまま空間に消え、ヴァーリは光速の速さでアジトまで足を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほっほっほ、いい乳しとるのぉ。 さすが男を幻惑する猫又じゃて」

「………………」

 

ヴァーリチーム本拠地から大分離れた場所。 岩が数多立ち並ぶその大地で、そんな頭の悪そうな言葉が響いた。

隻眼の老体は、長くたくわえた自分の白髭をさすっている。 右手には杖。

 

「オーディンさま、これからというときに、なにをそんなは、は、破廉恥なことをおっしゃっているのですか! いまはそのような場合ではありません!」

 

横に付いているのは、銀髪の麗人。 神々しい鎧を身に纏ったその銀髪の美人は、そう言ってその老人を諌めていた。 効果は薄いようだが。

 

「ふしゃーっ」

 

そんな、自分の胸元に厭らしい視線を向ける老人を威嚇するのは黒歌。

珍しく肌蹴た胸元を片手で隠しながらナインの後ろでしゃー、しゃーと警戒していた。

 

「あいっかわらず堅いのぉロスヴァイセ。 おぬし、そんな狭量では一生男を手にできぬままじゃぞー」

「あうあうあぁぁ…………! どうせ私は、彼氏いない歴=年齢ですよぉ!」

 

突如始まった茶番劇に、ナインは訝しげに眉を寄せる。

目の前で泣き崩れる銀髪の女性を指差し、その老人にナインは言った。

 

「これ、いいんですか」

「あーあー、いいんじゃいいんじゃ。 いつものことじゃよ。 こやつ、見てくれは良いのにこの堅さゆえにヴァルハラでも勇者の一人も物にできておらん。 どうじゃおぬし、貰ってみぬか?」

「あー………………」

 

ナインは頭を掻く。 この老体、口にすることは頭の悪そうな言葉ばかりだが…………

 

「参りました」

「え、にゃんて?」

 

ボソっと呟いたナインに、黒歌が後ろからひょっこり顔を出す。

 

「隙が無い。 まったく無い。 先ほどから手を伸ばそうとしているのですが、私がその気を見せるたびにあのご老人の右手が動く」

「ふーん。 でもあの残念美人ちゃんも大したタマよねぇ。 あの子、半神のヴァルキリーにゃん」

「となると、あのご老人は偉い人?」

 

んー、と顎を手でさするナイン。

半神である戦乙女を従えるなら、ただ者ではない。 その老人は、ナインを見て口角を吊り上げた。

 

「ワシの名を知りたいか、小僧」

「…………別に、必要がないので」

 

流れるようにあっさりと老人の言葉を一蹴した。 それにしても他人には関心がなさすぎる。

ポケットに片手を突っ込み、目の前で崩れて泣く銀色の髪を見下ろした。

 

「大丈夫かい?」

「うぇ、ひっく、うぅ…………」

 

低い声音で口の端を吊り上げてそう声を掛ける。 すっ、とハンカチを差し出した。

すると彼女は、さめざめと泣く顔を上げてナインを見上げた。

 

(なるほど)

 

半神のヴァルキリー……戦乙女か。 なるほどその名に恥じぬ容姿だ。

整った顔立ちは…………いまでこそ涙と鼻水で台無しだが、かつてのゼノヴィアのようなクールさを思わせる風貌だった。

 

黒歌ほどでもないが起伏のはっきりした躰も持っている。

 

(まぁそれもこれもどうでもいい情報でしたが。 ヴァルキリーとはどういったものか知りたかった私としては良しとしましょう)

 

「うう…………ごべんなざい…………ぢーーーーーーーーーーーん!」

 

その銀髪の女性は、手渡されたハンカチを一瞬で鼻紙にした。

 

「お返ししまず……ずず……」

「いや、もういらないや、貰っちゃって」

「いいんですか!?」

 

「きったな……」と投げやりに言うナインの両手を取って、彼女は目をキラキラと輝かせた。

そんな勢いにナインは少し押され気味に苦笑する。 若干引き気味だ。

 

「いやまぁ」

「なんて良い人! ありがとうございます!」

「よく解らない人だ」

「ナインも人のこと言えにゃいけどねぇ」

 

女性をエスコートするのは男の義務であり、役目である。 ナインは、彼女の手を取りゆっくりと立たせる。

ここからが本番である。

 

「一つお尋ねしても?」

「な、なんなりと!」

「あなたのお名前は、先ほどあのご老人が言っていた『ロスヴァイセ』さん、という名でいいんですか?」

「はい、そうです」

 

はきはきとしゃべるロスヴァイセ。 どうやら男性経験ゼロというのは本当のようだ。

男に少し優しくされたら頬を朱に染めて、捨てられた子犬のように瞳を潤ませる。

ナインは思う。 この人は黒歌と同じく、面倒な男に引っ掛かるタイプの女性だ、と。

 

「なんかいま、ものすっごく失礼なこと考えてにゃかった?」

「さてね」

「私はナインを面倒な男だと思ったこと、一度も無いにゃん。 心外ぃー!」

 

ナインの後ろで束ねた髪をグイグイと引っ張る黒歌。 彼女の執拗な行動に若干イラッとしたナインだが、肩を竦めるだけで収めた。

 

「それで、あのご老人は」

「オーディンさまです!」

 

嬉々として自陣情報を次々と吐露するお付きのヴァルキリー。

懐柔されおって、という言葉がオーディンであろう老人から零れた。

 

「まぁ、意外に話せるヤツじゃったから、ワシもついついフレンドリーにしてしまったが…………」

 

その視線にハッとなったロスヴァイセは、我に返ったようにナインから飛ぶように離れる。

そうだ、自分たちがここにきた理由を忘れてはならない。

 

キッとナインを睨む。 穏やかだった彼女の双眸が切れ長に鋭さを生んだ。

 

「優しい言葉で私を取り込む気ですか―――――紅蓮の錬金術師!」

「ああまぁそんなことだろうと思いました――――私たちを殺しに来たんでしょ? ならさっさとやりましょう」

 

そう、不敵に言ったナインは首を鳴らして戦闘の態勢を取る。 両手の錬成陣に意識を集中し、機会をうかがう。

一誠のアスカロンによる傷跡は、黒歌の治癒仙術によって先ほど完全に修復している。

 

その様子に愕然としたロスヴァイセ。

冷えた汗が止めどなく流れた。 自分にも聞こえるほど生唾を呑み込む音が響く。

 

「…………北欧の主神さま相手に、斯様な能力で勝てるとお思いなのですか、だとしたらなんと豪胆な…………!」

「勝算はありませんが、負ける気もありません」

「にゃ! …………それってなにも考えてないってことじゃにゃいの」

 

相変わらずの行き当たりばったりな相方に溜息が止まらない黒歌。 ナインはそんな彼女の気もどこ吹く風だ。

 

「『神は天にありて 世はすべて事も無し』。 これ逆に考えれば、神さまが地上になんて出張って来なきゃ世の中は安泰だってことですよね―――――要するに、なんてお節介な北欧神だなぁと――――」

 

言い終える直前、ナインのすぐ真横を絶速のスピードで突き抜けた物体があった。

背後にあった岩場が微塵となって蒸発する。

 

それを見たナインは、演説をするような手を降ろしながら不機嫌そうなオーディンに真っ向から視線をぶつからせた。

 

「私なりの解釈ですがね、さっきの言葉は。 人によって変わってくる、深い意味の言葉だ」

「肝の座り方は妖怪並のようじゃの、若造。 ミカエルも難儀な奴を抱え込んでいたのじゃなぁ」

「…………」

 

沈黙――――戦いの前の静けさか。 ほぼ平地に近いこの場は空気の通りもよく、心地よい風がナインの頬を撫でた。

その直後、魔方陣が目の前に現れる――――ロスヴァイセだ。

 

「はぁぁぁぁあ!」

 

氷の槍が、バルカン砲もかくやの勢いで放たれた。 一本一本が鋭く、しかし弾幕のような膨大な弾雨。

 

手加減無用と命ぜられていた。 あのコカビエルを打ち倒した人間と聞いた。

身体能力も突き抜けて優れ、限りなく化け物に近い人間。 化け物のような人間。

 

(一気に仕留める!)

 

しかし、その弾幕を避ける避ける。 たおやかに軽やかに回避する高速移動。

――――面攻撃には程遠い薄い弾幕。 この程度の槍の雨――――隙間がでかいぞ温すぎる。

 

「そんな――――」

 

地面に砂埃一つ、音一つ立てない足さばき。 速度だけを重視したそこらの悪魔や人外たちと一緒にすることは彼に対する侮辱である。 バタバタと足を回転させて移動する――――それは美しくない、ナンセンスだ。

それに対して黒歌は絶妙なまでに実直だった。

 

自身の前に結界を張り巡らせ、氷の槍を防いでいた。

氷槍の雨が結界を無限に打ち付ける。

 

「人間の動きじゃないわよねぇ…………」

 

そう、戦うナインを見て感嘆する黒歌。 正直、まだ付き合いが浅いがゆえに彼女もナインの本領の程は図れずにいたが…………。

 

誰にも真似できることじゃない。 もちろん光速で動けるヴァーリほどではないが、ナインのものは純粋に体術に特化しているといえるのだろう。

単純な速度で避けるのではなく、相手によって対応を変えていなしていく、ここまでとは。

 

能力の技術と、能力のような技術。 前者はヴァーリ、ナインは後者。

 

「人間と同じように動くから、人間と同じようにしか動けないんですよ人間は」

 

槍の雨が止むと同時に、ナインは姿を現してそう言った。

地面が砕けた際にできた拳大のコンクリ塊を、ポンポンと片手で弄びながら笑う。

 

「誰にでも思いつくような動きで、人間を超えた動きができるはずもなし。 要はそういうことだ」

「どういう意味…………です、か?」

「正論にゃ」

 

この動きばかりは理屈じゃない。 いまのナインは錬金術師ではなく、限りなく変則的な武闘家としてこの場に居た。

 

「ここ!」

 

片手に持ったその石塊を、魔術行使による技後硬直に囚われているロスヴァイセに向かって投げ飛ばした。

横投げで放たれたそれは、曲線を描く様に彼女に向かっていく。

 

「遅いです!」

「むん――――? いかんロスヴァイセ、退くのじゃ!」

 

先ほど矢の雨のごとく降らせた氷の槍を手に持ったロスヴァイセは、その石塊を叩き落とそうと振り被る。

本来ならば石と氷、どちらが競り勝つかは自明の理であろうが、魔術で練り上げた氷はいまや鋼鉄の硬度――――粉砕する――――!

 

ただの石の塊だ、粉々にして――――

 

「…………ただの石だったらねぇ」

 

そのとき、パチンと乾いた音が鳴る――――

 

「あ―――――」

 

――――爆発。 彼女の至近距離まで来たそれは、爆発物として四散した。

叩き落とすときの衝撃でも爆発させても良かったが、少し細工をして不意を打つびっくり爆弾という線も悪くない。

 

ナインの爆弾に対する造詣はこのとき、時限式として構成することに美感を見出すことにしたのだ。

 

「バカものめ…………安易な考えは捨てろと言うたばかりじゃろう…………」

「さっすがナイン!」

 

パチンと嬉しそうに指を鳴らすと、その同時に黒歌を覆っていた結界が解ける。

晴れた煙からは、歯を食い縛るロスヴァイセの姿。

 

しかしたまらず、閉じた口の端からは爆発直撃による煙が湧き出した。

 

「がは―――――!」

 

口に手を当て膝を突く。

全身に回る爆煙は、確実に戦乙女の躰を蝕み始めている。 しかし、不可解な点がオーディンには気になった。

 

人の力――――科学で行使された爆発の煙が、半神であるヴァルキリーのロスヴァイセにそんなにダメージを与えるものかと。

 

目を細めた。 これはあくまで主神の推測であると期待はせずにナインに問い正す。

 

「おぬしの錬金術は、何かが違う」

「うん?」

 

未だ爆音という音楽に酔い痴れる爆弾狂に、北欧の最高神が険しい瞳でそう言った。

 

「おぬしの錬金術には、魔的なものを感じると言うたのじゃよ――――紅蓮の二つ名を持っていた(・・・・・)教会の錬金術師よ」

「魔的、ねぇ…………」

 

興味なさげに、ナインは息をゆっくり吐いた。

 

「まぁ? 病的なまでに錬金術を信仰していることは確かですがねぇ。 しかし、魔的と呼ばれるほど、錬金術の理念を私は外れているとは思ってませんよ」

 

神器(セイクリッド・ギア)のような、想いを力に変えるほどの神秘性は、錬金術には存在しない。 あくまでそれは科学としてだ……枠は出ない、それこそ人の力なのだと、ナインは言う。

 

しかし、オーディンはそれを否定。

 

「違う。 お前の錬金術は、他術師とは違うものじゃ。

同じ材料と条件でも、お前の錬金術はその法則を無視し、法外な錬成をやってのける」

「…………バカな」

 

目を見開き、両手を見よ。 お前のその紅蓮の錬成陣は、すでに人の理を超越している。

 

瞬間、そのオーディンの声が念波となってナインの耳に届いてくる。

馬鹿な、有り得ない。 そうした紅蓮の男の静かなる驚愕に、しかしオーディンはもう一度、肉声で言葉を発した。

 

「愚かしくも理解を絶するほどの頑なさ。 自分は曲げぬと、自分は自分だと、自己を中心として考えすぎた科学者の皮肉な末路がお前よ。 誰も取り入る余地の無い見えぬ壁、誰にも揺らがぬ鋼の精神。

現実を歪める幻想、己が欲望に対する醜悪なまでの狂信…………」

 

ゆっくりと、ナインを指差した。

 

「おぬしの恐ろしいところは、これまで積み上げられた錬金術に対する狂信によって出来上がった『能力』。

お前の力の凶源は、その精神にある――――――まったく、ここまで来るとバカバカしくなってくるわい。

――――『科学』が『能力』に昇華することなど、本来有り得ぬことなのじゃからな」

 

オーディンの言う事が本当なら、ナインの己が嗜好への狂信が、現実を歪めたことになる。

 

口を閉ざしたまま、主神の意識の先にいる男は自分の両手をなぞる。

陰陽、男と女、硫黄と水銀。

錬成陣をなぞりなぞると、笑った。

 

「さすがは北欧神。 まさか、私でも知らない私のことをあなたが知っているとはね。

なかなかどうして、神様も馬鹿に出来たものではないようだ…………クククっ」

「人の身でここまでとは、世の中も恐ろしくなったものじゃよ。 何より、倫理観というものが根っこから無くなっている人間がここにおる――――神としてはそのような不逞の輩、見逃すわけにはいかぬのでな」

 

手を横に振り、バカバカしいものを吐き捨てるように弾け笑った。

 

「ふはははは! じゃあ神様らしく断罪でもしてみますか? 他者には度し難く、最大級に嫌悪されるほど腐りきった脳みそを持ったこのマッドな私をぉ!」

 

あくまでそれは他者から見たナインの人間観。

しかしナイン自身はそう思っていない。 腐っても腐っても、やはりナインは人間で、錬金術師なのだ。

狂信して追求するこの男の求道は誰にも阻めない。

 

「…………退かぬか。 良い、解った。 ならばおぬしの罪を審判しよう。

ただ強い者と戦いたいだけの白龍皇よりよっぽど危険な人間じゃろうからの」

 

陽炎のように揺らめく中、なんらかの長物がオーディンの手に顕れ始める。

肌に感じる破滅の予感は、残さずナインの本能が感じ取った。

 

あれはちょっとまずいな、と地を蹴って体を前に出す。

その直後、地面の上を滑空し始める。 飛ぶように、走るのではなく滑るように地を揺らす。

残像を残して消えると、その瞬速のなかで両手を胸の前で繋ぎ合わせた。

 

内から湧き出る生命力(エネルギー)を凶源とし、術者の躰とすべての神経系および感覚器官に強化錬成を施す。

人外級の膂力と、もとから備わっているナインの超スピードにさらに上乗せされた。

 

「むん!」

 

まだ幻のように揺らめく長物――――いまになってそれが槍のような形状をしていることに気付いたナインは、その横に振られたオーディンの槍を最大限に身を屈めてそれを躱した。 そのあと、瞬間移動のデモンストレーションで、再びその場から掻き消えた。

 

オーディンの目前に迫っていたナインは、明らかに槍を振り上げる前に回避動作をおこなっていたのだ。

 

「…………速いな。 じゃが、経歴(キャリア)が違うぞ――――小僧。 ワシから見ればおぬしは白龍皇と同じまだまだ青いひよこよ」

「…………グングニルですか」

 

一度投げれば、的を射損なう事など有り得ないとされた伝説の槍、グングニル。

 

「やれやれ、こういうご都合な武器を見ると魔弾の射手を思い出します。 母国の民間伝説ですがね―――現実で相見えることになろうとは」

「ワシはカスパールではない――――北欧の主神を司る神――――オーディンじゃ」

 

そりゃそうだ、と不敵に笑いながら再びオーディンに接近する。

しかし内心、ナインは焦っていた。

 

あれは絶対に投げさせてはいけない槍だ。 本能もそうだが、目の前にいるのが本物の北欧神オーディンであるということが決定的。

 

あれはダメだ、避けられない(・・・・・・)ことが解る。

 

「…………む」

 

オーディンの振り上げた槍を、石突を蹴り止めることで静止させた。 投げさせない、やらせない。 この神の手からグングニルを手放させてはいけないという切迫した感情が、ナインを差し迫った危機から回避させることに成功していた。

 

オーディンは、その貫録のある白い顎鬚のたくわえた口許を大きく笑ませる。

 

「やりおる」

「どうも」

 

槍撃と足技が火花を散らす。 オーディンは手加減しているのか否か、どちらにせよナインの動きは人間のそれを辞めていた。

 

「ぬん!」

「っっ!」

 

地面に突き刺さったグングニルを、即座に足で踏み止めた。

 

「うにゃっ…………!」

 

一方の手持無沙汰の黒歌は、自分の肩を抱いて身震いしていた。 猫耳と一緒に総毛立つ。

首筋と胸の上にも汗が流れる。

こんなことはヴァーリの本気を見て以来の興奮であったのだ。

 

「単純な力ではない、技術と頭を使っておる。 もう少し忠実に教会にいれば、さぞ優秀な悪魔祓い(エクソシスト)になったじゃろうて。 転生天使も夢とは言い切れぬわい」

「まぁったく、鳥肌の立つことを言わないでくださいよ、私が何になるって?」

 

天国には自分の行き場など存在しない。 地獄に行進していく咎人とは自分のことであると。

北欧の神からの賞賛をそう笑い飛ばしながら―――

 

「む!」

 

グングニルも、オーディンの手から蹴り飛ばした。 宙に舞うそれを見遣ったナインは、我が事成れりとオーディンに触り縋ろうとする。 伸びる魔手――――だが。

 

「―――――なに!」

「だからおぬしはまだ青いという」

 

ズン! 伝説の槍が突き立てられる。

文字通り、神の鉄槌がナインの肩口を貫いたのだ。 一瞬なにが起きたか解らなかったが、直後に来る激痛に歯が軋んだ。 万事、休す。

 

「ぬぉ―――――くっああっ!」

「うそ、ナイン!」

 

ナインの突然の流血に驚愕の色を隠せない黒歌。 いまだけ瞳孔が開いたのが黒歌自身解った。

ビシャリと、大量の血が近くの岩にかかる。

 

「――――!」

 

無意識に、片手は胸を押さえていた。 足が前に出る――――助けなきゃ!

 

「…………」

 

しかし、スッと速やかに挙がった手に、黒歌は動きを止めた。

痛みに歯を食い縛ったナインは、乱れた呼吸を鼻でしながら、背中からずりずりと岩場を支えにして立ち上がる。

そして、黒歌を一瞥。

 

――――来るなよ、いま楽しいところなんだ。

 

如実にそう黒歌に伝えていた。 くぐもった呼吸だけが聞こえる。

 

致命傷は免れた。 しかしこれがグングニルか、規格外にも程がある。

持ち主から手放させたのがそもそもの間違いだったのか。

しかし幸い、オーディン自身が投げる意志を完全にはこちらに向けていなかったため、心臓に当たることは逃れたようだ。

 

「…………」

 

だがそれを上等と。 それがどうしたと。

まだ肩を貫通しただけではないかとナインは咆哮して立ち上がる。

 

ボタボタと出る夥しい量の血液は、ナインの視界を真っ赤に染めた。 伝説の槍に地面と一緒に突き立てられた際に頭も打ったようだ。

 

「諦めぬのか。 おぬしはいま、人生の瀬戸際に立っておるのじゃぞ? 真っ当な人間ならばどんな極悪人とて命を乞うこと必定」

「はぁ…………はぁ……ん…………」

 

呼吸を整えながら赤いスーツの袖を破り、一撃を受けた肩口に巻き付ける。

口で袖を咥え、痛いほど傷口を締め上げる。

 

「…………諦めれば人間は死ぬ。 死ねば、ただのゴミになるだけですよ、私のような人でなしなんて特にね。

それに、そんなこと聞いてどうするつもりです。 無駄ですよ、不毛でしかない」

「むぅ…………」

 

すると、オーディンが顎に手を当て、なにやら考え始めた。

難しい顔をして、手に持っていたグングニルまで仕舞い込んで、だ。

 

その行動には、黒歌は勿論、ナインも疑問符を浮かべていた。

 

「試すか」

 

一言だった。

その瞬間、オーディンの後ろの空間が巨大に歪み始める。 水の波紋のような、陽炎のようなものが大きく表れて――――

 

「抗えぬ恐怖に、いつまで保つかだ、紅蓮の錬金術師、ナイン・ジルハードよ。 ワシはもう手は出さぬ」

 

ヌゥっと、灰色の毛並をした巨大な足が歪んだ空間から這い出てくる。

黒歌は、猫であるがゆえにその瞳は恐怖に怯え――――

 

「こやつの牙、あるいは避けてみせよ。 でなければ死ぬがよい」

「おいおい…………」

 

完全に苦笑いだった。 いまこのとき、ナインの中で遊びがなくなった。

心に余裕も、動悸も、無くなり、そして激しくなっていく。

 

巨大な大顎に、透明で粘着な液体が滝のように流れ出る。 唸り声を上げながらその黄金に光る瞳に赤いスーツを映し出した、その瞬間――――

 

オオォゥォォォォォォォォォンッ!

 

遠吠えが、咆哮が響く。

爆弾狂という魔を討ち払うかのような狼の吼えが、鳴り響く。

岩場は震動し、大地には大きなひびが生じた。

 

すべてが、万物がこの巨大な狼に怯えている。

 

「ああ…………」

 

黒歌が膝から崩れ落ちた。

いつも飢え、獲物を探す神話の魔獣がそこにいる。

 

「私としては、こういった獣に類する神話の怪物の方がありがたみが湧きますね」

 

技術とか、頭を使うとか、そんなことが陳腐に見えてくるほどにバカバカしい巨大さと隙の無さ――――なにより威圧感はいままでに類を見ない。

 

フェンリス狼、フェンリスヴォルフ、フェンリスウールヴ。

別名に悪評高き狼(フローズヴィトニル)破壊の杖(ヴァナルガンド)

 

本来ロキの道具でしかないはずのフェンリルが、ロキではなく主神と行動をともにしていた事実。

いつの間にか杖を持ったオーディンが、地面をトンとそれで叩いた。

 

「つまらぬ男であったなら、ワシが直接神罰を下す心づもりじゃったがな。 試す価値が出て来たのであれば話は別――――神を食い殺すといわれた神話の魔獣、”神喰狼(フェンリル)”じゃ――――拝見といこうかの」

「ナイン! これやばい! やばいって! …………ななんで笑ってんにゃー!」

 

わたわたと手を振る黒歌。 だが、その彼女の言葉にナインは目を瞑った…………激痛を耐えるのに必死だったはずのへの字口が、爬虫類のように裂ける。

 

「いいじゃないですか。 張り合いの無い人生などこちらから願い下げだよ」

 

真っ赤な視界の中に、牙を剥き出して唸るフェンリルを見据えた。 




「吾輩」が一人称のフェンリルの旦那登場。 
…………………………勝てるわけがない(絶望)

でも、ナインの錬金術がRENKINになってきたのはお分かりいただけただろうか(小並)

あと、百均ヴァルキリー推しのみなさま、彼女は即退場で残念でしたね、また次話で。

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