紅蓮の男 作:人間花火
「あなたは生きてて何が楽しい」
失笑――――小鳥の囀りでもそうするかのように、ナインは小猫を見下ろした。
姉を思い、すすり泣き、でもその姉が怖くて、幼少の古傷に触るのが堪らなく痛そうで。
それでも、この目の前の男はそんな質問をしてきた。
楽しいよ、楽しいです。 何の不自由もなく、拾ってくれた主に可愛がられ、人並に学校に通い、楽しい仲間にも囲まれて――――。
「っ――――嫌っ!」
小猫は頭を抱えて悶えだす。 考えたいけど考えたくない忌々しく悲しい記憶が後から後から甦る。 そう、楽しい
――――いまになって掘り起こそうとして来る。 堪らなくなった小猫は、ナインに向かって拳を突き出した。
「やれやれ、あなたたちの主人は、どうしてこう過去の旧い生傷を放置しておくのか」
小猫の腕を掴んで止めたナインが、後ろに居るリアスに向かってそうぼやく。
「放置って…………」
「塔城さん以外にも、これに近い深い傷を最近見たことがある」
「それ……は――――」
リアスが息を呑むと、ナインが真顔で呟いた。
「姫島朱乃さんが抱える、己が血への憎悪と怖れだ。 塔城さんのこれはそれに非常によく似ている」
人間と堕天使の間に産まれた血。 さらに悪魔ともなった矛盾の存在。
ナインは続けた。
「隠し、目を背け、逃げてどうするんだい?」
「どうするって…………」
その質問に、小猫は少し戸惑う。 怯えたような瞳で見上げる彼女を見て、リアスはナインと彼女の間に割って入った。
「無理矢理に治そうとしても治せないのよ!? この子の傷は!」
「私は彼女に、『どうする』とそう聞いているだけだ。 別に治したくなきゃ治さなくてもいいんだろうし、私もそこまで世話好きじゃないよ、もう姫島さんには言っているしね――――これ以上は正直面倒だ」
朱乃のときは忠告をしてやったが、本人の言う通りナインは他人に無償で何かしてやるほど殊勝ではないし節介ではない。
だから聞くだけだ。
「――――知的好奇心かな。 その痛々しい傷をこさえたままどこまで歩けるのか見物というだけだ」
「この――――!」
これが本心というなら、なんという悪趣味な男だろうか。 さすがのリアスも頭に血が昇り始める。
「そういう、過去の雑念を残したまま、これからの人生やっていけるのか」
隠れて、隠して。 自分の奥底に眠る心の暗部と向き合いもせず、触れもせず。 そういう
――――否である。
「で、
「う――――ぷっ」
「小猫!」
小さく肩を揺らして笑うナイン。
フラッシュバックする過去の記憶が吐き気を覚えさせる。 小猫の体を受け止めたリアスは、怒りの形相で今も含み笑う男を睨み付けた。
「あなたね――――!」
「そうやって逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて―――――つまらなくなりそうな人生だ。 だから聞いたんですよ、生きてて楽しいかってさぁ」
容赦の無い言及。
何年経っても
「――――まぁこれ以上はいいや。 説教はするのもされるのも嫌いですからね」
ガラじゃないしね とおどける。 そして、助けあうように抱き合うリアスと小猫を見遣ったナインは鼻で笑った。
最初からこの者たちには興味など微塵も無いのだ。
ただ、仮にもいままで相方として付き合って来ていた黒歌にも、何か協力してやることもやぶさかではないと思っていた。
何事にも前進しようとしている者に対しては敵味方関係無しに無言で手を差し伸べるのがこの男の性質であり、趣味の一つであるのだから。
しかしこの通り時間は無限には無い。 自分たちは敵同士なのだからそれは当然――――もたついていると会場から増援が来る怖れもある――――冥界上層部との衝突は避けたい。
「ここまでしても前へ進もうとしないのならここも退き際かぁ――――ヴァーリや黒歌さんにも断念してもらうしかありませんね」
致し方なし。 しかしまったく残念そうに見えない無表情の棒読みだ。
立ち上がるナインは、黒歌と一誠が戦う方へ体を向けた。
「まったく――――こんなに早く退却なんてしたらあの二人、欲求不満で何するか分からないなぁ」
自分のことは棚に上げ、黒歌と美猴の退却後の素行を懸念するナイン。 靴をコンコンと入れ直して――――
「ま、待ってください…………」
「―――――!」
そうその場から移ろうとして歩き出したナインの黒いローブを掴み、引き止める者がいた。
ローブの中の赤いスーツのポケットに両手を入れたナインは、背後にいる小さな影に、彼女――――塔城小猫を感じていた。
「どうしたのさぁ、子供は帰って寝なよ」
実際には一つしか変わらない歳だが、ナインにとっては、これと同じ境遇である朱乃も年下の小娘にしか見えていない。 ゆえに、いまの小猫はそれ以上に幼く見えた。
何もかも忘れて捨てるなら、ああいいだろう。 与えられるだけの人生が如何に不毛で惨めか、文字通りその身を持って知るがいい。
底冷える冷笑は何も言わずともそれを代弁する。
小猫はこのとき、目の前のこの男が恐ろしい怪物に見えた。
そんな怪物を引き止めるなんて、さっきの自分はどうかしていたのだろう。
しかし、怯えたがその手に掴むナインのローブは離さない。
それどころか、その掴んだローブを支えに身を起こしていた。
「…………お願いします。 私は、そちらに行きます」
◇
「すぐに負傷者を運べ! 動ける警備隊員は会場の外を全面封鎖、急げ!」
「はっ!」
警備の男性悪魔数人が瞬く間に散開していく。 そう迅速に下知を下したのは現四大魔王の一人、サーゼクス。
いつもは優雅な笑みも、いまは燃えるような紅髪をさらに赤く滾らせて静かな怒りに震えていた。
突如として起きた爆破テロは、パーティを文字通り滅茶苦茶にしていた。
他勢力からの重鎮も招待していることから見て、この騒ぎは今年一番の冥界政府の不覚と言える。
「サーゼクスさま!」
「なんだ」
しかし冷静にサーゼクスは対応する。 他の者たちが右往左往する中、自分までもがその悪い流れに乗ってしまっては統率者失格だ。
「その…………」
だが、警備の男性悪魔の歯切れが悪い。 訝しげに片眉を上げるサーゼクスはいま一歩、今度は自らその悪魔に歩み寄る。
すると、青ざめた顔をして耳打ちをしてきた。
「なに…………!」
「ただいま、治癒魔法を使える者を動員していますが――――どういうわけか傷の治りが非常に遅いのです。 さらに、若手悪魔数人もこの爆撃によって負傷しております」
「分かった、退がっていいぞ。 この混乱の中、よくそれに気づいた。 君も他と同じく周囲を警戒してくれ――――第二波が来るかもわからん」
「はっ!」
どういうことだ、爆発による損害は思ったより軽微だったはず。
このパーティにはレーティングゲームでも有力な者たちも集まっていた、すなわち並み以上の治癒術師が多数いるのに、それが滞っている?
少し唸るサーゼクス。 そこに、黒い翼が颯爽と舞い降りた。
二人の、堕天使。
「サーゼクス、ひとまず俺んとこの兵隊も警備と負傷者運搬にあたらせた」
アザゼルだ。 その横には、それよりも大柄で、厳格そうな顔立ちと筋肉質な肉体が目立つ男性が巌のごとく静かに佇んでいた。
「バラキエル、オーディンのジジイはいいのか?」
「うむ、『自分はよいから、事態を収拾してこい』とな」
すると、アザゼルは舌を打つ。
「けっ、自分は高見の見物かよ。 良い身分だぜ、田舎クソジジイ」
「お、おいアザゼル…………」
上が緩ければ、自然と下の者たちは真面目なのが特徴的な堕天使勢力。
しかしこれに至っては度が過ぎている。 アザゼルが緩すぎるせいで他、周りの重鎮たちがガチガチの堅物なのだ。
「しかしまぁ、やりもやったりナインの野郎」
オーディンについて悪態を吐いたそのままの表情でアザゼルは息を吐いた。 サーゼクスが顔をしかめる。
「やはり彼か…………」
「あんな滅茶苦茶にぶっ飛ばせる爆発力はあいつしかいねぇしやらねぇよ。 現にさっき、ミカエルが僅かに錬成痕を発見した」
「錬成痕?」
疑問符を頭上に浮かべるサーゼクスに、アザゼルは答える。
「錬金術を行使したときに生じる『痕』なんだってよ。 俺もさっきあいつから聞いて初めて知ったんだ。 いままで
「私もだよ。 錬金術など、冥界では見向きもされない――――ほとんどが魔術、魔法で賄えてしまうからね…………」
「だが、オーディンのジジイが言うには…………ナインの錬金術には意志が宿ってるとか訳分からんこと言ってたぜ。 そのせいで無茶苦茶な錬成を行使できるとかなんとか」
爆弾錬成のみに特化した錬金術。
「つか、能力に意志なんて宿るのかね、それこそ神器じゃあるめぇし」
赤龍帝ドライグ然り、白龍皇アルビオン然り。 その他にも、
錬金術という能力自体が何らかの生命体を宿していない限り、意志が存在するなど理論上有り得ないことなのだ。
だが、北欧の主神オーディンはそう揶揄している――――謎だ。
アザゼルが笑って手を振った。
「まぁ、そういうオカルトを半世紀前のアイツの母国はやってきてんだから、”もしかしたら”ってのもあるかもねぇ。 アーネンエルベも怪しいってミカエルが言ってたしよ」
「第三帝国の遺産という可能性か…………」
「当時はミカエルもなかなか手を焼いた国だったらしいぜ。 教会の修めるあらゆる神秘を、信仰と引き換えに寄越せとか言いたい放題」
第二次大戦で第三帝国のとった戦法は、神秘に頼る事だった。 戦争の裏で超能力者などの超人を作り上げると言う馬鹿げた研究をおこなってきた。 人の手で超人を作ることなどできるはずが無いのに…………。
この極東の島国――――日本もかなり迷走していた時代だ。 日本帝国主義という、戦争推進派が幅を利かせていた頃、祈祷や占星などで敵国の要人を呪い殺そうと考える等々、およそ現実的で正気とは思えない狂気に満ちていた。
では、それと同等の、いや、それ以上の狂気を抱えていた彼の国にも、そういった馬鹿げた理論を継承する者が現代に存在するというのか? ナインがそうだとしたらあるいは、彼の使う錬金術にも、変な話ではあるが説明は付くだろう。
「………………こんだけ調べてもまだ底が見えねぇなんて、人間てのはこんなに濃いもんだったかぁ?」
「いや、
難しい顔をして考え込む二大勢力の面々。 だが、アザゼルがその沈黙を破った。
「…………分からねぇことを考えたって仕方がねぇ。 いまはこの場をなんとかしちまおうぜ」
「…………『常軌を逸した思い込みは、現実をも曲げかねない』…………か。 オーディン殿……彼は一体どこに進んでいると言うのか」
◇
「小猫!」
叫ぶリアスに後ろ髪を引っ張られながら、銀髪の少女―――塔城小猫はナインの側に歩いていく。
事ここに至れり――――思惑通りに標的をこちらに付かせることに成功したナインは、細く大きく口元を割らせた。
「ではこちらに」
「はい…………」
まるで現実から逃れるように、ナインの後ろに付いた。
悲壮感を帯びた彼女の表情がリアスを激昂させる。
彼女も必死なのだ。
「何を言っているの! 小猫!」
「――――私があなたに付いて行く、その代わり」
「仲間は殺すな、かい」
「違います。 手を出さないでください」
「はいはい、殺さなきゃみんな同じだと思うんだけどねぇ」
まいいや、と薄ら笑うと、放心しているリアスに近づいて行く。
小猫の選択は、リアスにとってあまりにも衝撃的なものだった。
こんな展開を読めたろうか。 小猫は、自ら前進することを選んでしまった、喜ぶべきことなのに――――。
リアスは、つい先日あった修行を思い出す。
冥界に来てからおこなった一日目の修行後に小猫に異変があったこと。
監督役のアザゼルはオーバーワークが原因の過労だと言っていた。
「―――――!」
少し休めば気も変わる、小猫は頭が良い。
だが甘かった。 彼女の傷はこんなにも深かったのだ。
そしてさらにここに来て、因縁とも言っていい姉である黒歌と接触したことが彼女の過去を掘り返す事態となってしまった。
気付くべき、いや、気付いても良かった。
「小猫を…………連れて行くの?」
「彼女が選んだことだ――――是非も無い」
「―――――」
膝から崩れ落ちるリアスを横目に、ナインは低い声を張り上げる。
「美猴さん!」
戦闘に集中していたその場の全員が一斉に声の方に反応した。
上ではタンニーンが火を噴くのを止め、地上戦の黒歌や一誠もその手を止めた。
そのなかで、美猴は声のした方を凝視する。
如意棒を器用に回転させて肩に担いだ。
「来てるんなら言えよナイン」
「私はここに戦争をしに来たのではない。 仕事を終わらせに来たのだ――――ほら」
と、ナインが後ろに居る銀髪の少女を親指で指すのを美猴は見るなり、頭を掻き乱してつぶやいた。
「…………仕事早過ぎるだろ」
「あら、ナイン…………」
「小猫ちゃん!?」
黒歌の落ち着いた声音と、一誠の怒声のような驚いた声が響き渡る。
「…………」
黒歌は、自分の妹がナインの後ろにぴったりと付いているのを見て、艶めかしく瞳を細めた。
―――――ああ、やっぱり。 ナインはこういうことになっても弁が立つ。 どんな堅物をも動かせる話術を持っている。
「うふふ…………さすがにゃん」
「言ってる場合かい? 彼女を連れ出すのがあなた方の仕事でしょうに」
首を斜に傾けたナインが珍しく文句を垂れた。
陽動役はナイン、強奪役は黒歌と美猴。 確かに、分担の意味が無い。
どんなことであろうと、与えられたことはきっちりとこなす主義のナインにとっては不満を覚えざるを得ない。
遊びはいい。 仕事という以上、他人が面倒くさがるような内容も請け負わなければならない。
その中で、如何に楽しいことを探して見付けて次の作業意欲に繋げるか、そういったことも経験上知っていた。
まぁ余計な薀蓄を語ったがとにかく、最低限仕事は全うしろよということをナインは言いたかったために少し不機嫌だ。
すると、黒歌は豊満な胸の前で両手を合わせた。
「ごめんごめーん、赤龍帝とお喋りしすぎちゃったの…………って、あれ?」
そうウィンクして言うと、ふと、ナインの今の状態に違和感を覚えた。
そう、出撃前に居た彼女がナインの横に居ないことに気付いたのだ。
「…………ねぇナイン、あの健気で初心なヴァルキリーちゃんはどうしたにゃん?」
「………………」
「………………そっか」
言わなくとも、分かる。 二人はいまだけ、確実に以心伝心していた。
ナインと目が合った黒歌は、寂しそうな表情をして顔を俯ける。
――――ああ、”
そのとき、上空からタンニーンの目を潜り抜けた筋斗雲に鞭打つ美猴が急降下してきていた。
そこでナインもすぐに黒歌から上空の美猴に視線を移す。
「ひとまず標的はこっちに渡してくれ、ナイン! ――――撤退するぜぃ!」
「させるかよ!」
そのとき、影が割り入ってきた。
金色の雲に乗って飛行してきた美猴と小猫を連れたナインの間に一誠が入り込んできたのだ。
「イッセー…………!」
その場で放心していたリアスは、一誠の姿を見て涙を流す。
仲間が攫われようとしている矢先に、自分は何をしているのだ。 ナインに上手く言いくるめられたのだとなぜ気づかない。
「そうよね…………」
なるほど確かに、小猫自身納得してあの男に付いて行くことを決断したのだろう。
これを機に姉とのわだかまりを解消できるかもしれない。
しかしそれはあまりにも危険。 当然だ、近道であろうがそれは茨道。
そんな道に、眷属を一人歩かせるわけにはいかない。
――――リアスは自分を奮い立たせた。
どのような理由であろうとも、テロリストに身内を黙って連れて行かせる者があるか。 小猫は良くても、やはりそれは間違いで――――
「うぉぉぉぉぉっ!」
一誠は、先ほどまで相対していた黒歌に打ち込むつもりでいた倍加されたパワーを乗せた拳を、美猴に叩き込もうと接近した。 あまりに唐突で、そして愚直な一本気の入った突撃だ。 相手をしていた黒歌もさすがに出遅れる。
「ちっ――――美猴、避けて! 当たったら面倒!」
――――そのとき、迫り来るもう一つの影があった。 美猴に集中している一誠は、その影には気づかない。
その、二つ目の影に気付いた美猴は、方向転換をせずにそのまま一誠に突進する。
「ぐぅ――――かあっ…………!?」
「…………」
「ひゅう…………」
地面を蹴り上げて接近してきたナインに背後を取られた一誠は、強烈な蹴りをすでに撃ち込まれていた。
口笛で賞賛する美猴。
心臓の反対側の背中に、痛烈な蹴り上げによる大打撃だ。 骨の軋む音が響き、見ていたリアスもビクッと体を反射的に跳ねさせる。
空中で、しかも瞬時におこなわれた神業のごとき空中蹴りはさらなる追撃に繋げられた。
横膝、脇腹にそれぞれ二発の連打。 それをまともに喰らった一誠に、追い討ちにと両肩に衝撃が落とされる。
――――ナインの鋭い踵が、人外の速度域を持って撃ち砕く。
締めには頭蓋落としという容赦の無さだ。
ナインは口許だけ笑いながら、そのまま近くの木に跳び移る。
確信していたのだ。 離れても小猫はもう”逃げない”ということを。
グレモリー眷属は善性の集団だ。 口にしたことを反故にして欺くことなど、たとえどんな外道相手にであろうともする者たちではないと。
律儀なのだ。
一方でナインと空中のすれ違いざまに小猫の傍に到着していた美猴は、彼女を金色に彩られた雲上に乗せてすぐにUターンしていた。
目を片方瞑って戦局を見回すや、ナインは黒歌に叫んだ。
「美猴さんは先に、最優先事項だ。 我々は少し遊んでいきましょう」
「え、仕事はスマートにクールに素早く終わらせるんじゃ…………」
半笑いの黒歌に、ナインはにやけた。
「つまらない仕事の中に楽しみを見つける。 それが仕事というものだ」
ああ、今回はつまらなかったのか、と黒歌はすぐに察したが口には出さなかった。
パーティ会場を混乱に落とす程の爆破テロをおこなっておいてつまらないと言うあたりナインの貪欲さを感じる。 黒歌はそんなナインに一種の尊敬のようなものを覚えた。
(やっぱりナインと一緒にいると飽きないにゃー)
◇
「立ちますか」
「ったりめぇだ…………くっ…………」
落とされた衝撃で舞う砂埃の中、笑う膝を叩いてなんとか立ち上がる一誠。
目の前にいるのは、周りに漆黒の妖気を滞空させて臨戦状態の黒い猫と、
黒いローブを脱ぎ捨て、紅のノーネクタイスーツを着崩した野生然とした紅蓮の男が悠然と立っていた。
「上にいる龍の御仁は強そうだ、順を追えば私は
「美猴ならもう戻ってくると思うわよ? 次元の狭間の出入り口にはヴァーリが居るはずだから、白音を
自分たちのすぐ後ろの黒い穴を親指で指す黒歌はそう言う。 すると、その会話に、完全に立ち上がった一誠が口を開いた。
「…………小猫ちゃんのお姉さん…………」
「…………? なにかしら、弱っちぃあの子の騎士さん?」
ナインを指差して、
「アンタを退けたら、次はナインだ…………!」
「ハッ、さっきまで私に押されてたキミが、ナインに辿り着けるわけないにゃん」
「黒歌さん」
「う…………」
これから決死の覚悟で戦おうとしている者に、前座の言葉遊びは不要だと、ナインは黒歌を睨み付けた。
黙して戦う。 勝敗はそのあとで、恨み言は無しでやろう、と。
一誠はギリっと歯を軋ませる。 確かに、ナインに場を介入される前までは一誠は黒歌に劣っていた。
妖術、仙術。 彼女の使う能力は厄介で、ただ力任せに突出するしか能の無い自分にとってはやりづらい相手と言える。
虚勢だ。
「でも、守らなくちゃいけないものがある…………!」
でも、ここで黒歌を退けるには力が圧倒的に足りない。 練度も、能力差も。
だったらどうする――――。
出た答えは、至ってシンプルだった。
自分はどう足掻いてもナインの領域には届いてない。 あいつは神器でもないのに想いを力に変えている。
好きなことや、己の信念に対する信仰を他人より強く持っているからナインは誰より強いんだ。
なら、自分も。 それで対抗するしかない。
昔から極限を求めて生きてきたナインには届かないけど――――
「部長! 部長の力が必要です! 貸してください!」
一誠は、後ろのリアスに呼びかける。
彼女も気合は十分に入っている。 さっきの一誠の言葉で奮い立ったからだ。
小猫は連れて行かれてしまったけど、あの黒い穴が鍵だとリアスは一人頷く。
仲間のためなら、たとえどんなところにだって地の果てだって追って取り返して見せる。
「いいわ、イッセー! 私にできることなら、なんでも言って頂戴!」
意を決して返してくれたリアスに答えた言葉は、
「おっぱいを、つつかせてください!」
この戦場の中で、あまりに場違いな言葉だった。
◇
「…………彼はなんと言いましたか、黒歌さん」
「…………乳を、つつくって…………んにゃ?」
首をかくんと傾げる黒歌に、ナインも片眉を上げて疑問符を浮かべていた。 顎に手を当てて思考する。
「それでこの状況を打開できるなら…………いいわよ、イッセー」
「ありがとうございます!」
「いやありがとうございますじゃないにゃ。 ナイン、頭おかしくなっちゃったこの子たち」
ついには己の豊満な乳房を曝け出したリアスに、黒歌は正気を疑った。 この戦場で、一体これらは何をしようとしているのか。 そのリアスの乳房の前で何やら硬直している一誠も居る。 考え込んでいるようだが……。
そのとき、ナインは真面目な顔で言った。
「これは、三勢力会談の時と同じ現象ですね」
「はぁ? 前にもあったのこんなこと?」
「ふむ」
一度だけであるが、この手の雰囲気はあのとき感じた。
「そのときは、私の錬金術でリアス・グレモリーの乳房が爆発させられてしまうという理由で、その防衛本能でドラゴンの力を引き上げました」
「意味わかんない」
「でしょうね。 およそ戦場には正気とは思えない不条理を持ってきている、が…………」
「おっさん! 大変だ、どっちの乳をつついたらいいか分からねえ!」
「ほら」
「ほらじゃないにゃ」
一気に戦場の空気が弛緩した――――ナイン以外のすべてが。 上空に滞空していたタンニーンですら、一誠の言動に困惑している程だ。
女が乳房を曝し、その先端を人差し指でつつこうとする男。 まるでそこだけ世界が切り取られたように場の雰囲気が隔たれている。
「にゃ~………………」
「ん?」
その光景を見ていた黒歌は、先ほどからチラチラとナインの顔を窺っている。 やたらと黒歌の視線が自分に集まっている気がしたナインは、さっきと同じような疑問の表情を黒歌に向けた。
「にゃっ…………!」
目が合うと、猫耳をピコっと佇立させたまま逸らした。
「なんですか」
「いや~…………ね」
歯切れが悪い。 黒歌のそわそわした表情を、一誠とリアスの珍事のついでに窺う。
すると、意を決した黒歌がナインの赤いスーツの裾をくいと引っ張った。
「ね、ナイン。 私のおっぱいも、見て欲しいなって…………思うんだけど…………にゃ」
「よく聞こえませんでした。 なんだって?」
耳を疑った。 痴女なのはいつものことだが……これは…………。
黒歌は、すでにうなじまで肌蹴ている黒い和服の着物を、襟に手をかけてゆっくりとずらし始めた。
柔らかそうな乳のこさえる谷間が、乳輪が見えそうな瀬戸際に差し掛かる。
「なにをやっているのですか」
「だって、なんかあっちだけいい雰囲気でずるいにゃ~。 だったらこっちも――――」
「対抗する必要が無い」
と、ナインはあくまで冷静に、そして沈着に黒歌の手を取ってそのまま着直させる。
しかし黒歌は、自分の手を取ったナインの手を取って猫のように頬ズリをした。
「こんなところで…………ったく」
相手のペースに呑まれること、それは敗北への第一歩に他ならない。
なぜなら、戦いとは予想を上回り合うことだからだ。 予想の上を行かれた瞬間、その者は負ける。
至極単純明快だ。
「ねぇ~、にゃぁ~」
戦場のど真ん中で抱き合う男女二組。 しかしナインは依然冷静さを失わず、しなだれてきた黒歌の体を受け止めつつも、片目で一誠たちの挙動を監視する。
「ああいうの見せ付けられるとなんか悔しくなっちゃうのよ。 知ってる? 女って負けず嫌いなの。
自分の見初めた異性はこんなにすごいにゃーって見せ付けたくなるの」
自分の胸の下で何か言っている黒猫に、ナインは頭を掻いた。
「あなたという人は…………む!」
「へ?」
砲撃のようなエネルギー弾が飛んでくるのを目視した。 ナインは左へ、黒歌は右へ跳躍して躱す――――その瞬間。
向こうにある山を一撃粉砕していた、いや、消し飛ばしていた。 跡形も無く消え去り、黒歌の張っていた結界や毒霧も散る。
「なるほど」
「ハッハハハハ、至ったな! いいオーラの塩梅だ。 それでこそ赤龍帝!」
タンニーンも大笑いでその一撃を賞賛する。 そうだ、この赤い一撃は他でもない、兵藤一誠が放ったものだ。
「
「へぇ、面白いじゃない。 さっきより感じるパワーの波動が段違いね」
和服を着直した黒歌は、嬉々とした笑みで両手にエネルギーを集中させる。
先ほどまで地面を這いつくばっていた輩が、どうしてこんな短時間で力を上げることができようか。 少しばかりの関心を、黒歌は持った。 全身を赤い鎧に覆われる一誠を見た。
「ねぇナイン。 あれの鼻っ柱折ったらキスしてくれる?」
「………………」
しかし黒歌の囁きにナインは無言。 険しい表情で赤いオーラを纏う一誠を凝視していた。
―――――龍の波を感じる。 これは違う。 会談の時とは――――
「きっかけがあったとはいえ、自力で
「え?」
頓狂な声音を出す黒歌に、ナインは真剣な表情を彼女に向ける。
「会談のときは、アザゼルさんから貰ったマジックアイテムを使用してやっと至れたといった具合です。 しかしいまは違う」
「それでも、同じ
「待ちなさい、黒歌さん!」
ナインの忠告を無視し、黒歌は一誠に攻撃を見舞う。 右手に仙術、左手に妖術の混合技によるエネルギー弾だ。
それは不規則な軌道を描きながら、一誠に集中砲火を浴びせる。
「タンニーンのおっさんの炎に比べたら、こんな力、屁でも無いぜ!」
「ウソ―――――!?」
効かない。 白煙を上げるものの、その鎧には傷一つ、いや――――埃一つ付いていない。 驚愕する黒歌は一歩退がる。
「退がるんじゃない黒歌!」
「!」
怒号はナインからのもの。 いつもと違う、競り上がっていくような声量で猛々しく黒歌に叫ぶ。
人は仰け反ればその分次の動作が遅れることは必定。 すでに目の前まで接近してきた赤い龍の鎧に、黒歌はしまったと不覚を自覚する。
「行くぞ――――後輩の涙、この一撃で償ってもらう!」
「ちぃっ!」
ドラゴンの波動を纏った拳が、黒歌に繰り出される。
だが、その一撃は振り抜かれず、彼女の鼻先でピタリと止まっていた。 止めた余波で空気が震動し、草木も揺れる。
龍の一撃は破壊の一撃。 直撃ならば黒歌の顔は消し飛んでいたことが一目瞭然で、そしてこのときやっと黒歌もナインの言ったことを理解する。
黒歌は、ドラゴンに怯えたのだ。
しかしその直後、二人の間の地面が隆起した。 まるで生き物のように突出してくるそれに、黒歌と一誠は同時に気付く。
『相棒、本命だ避けろ!』
赤龍帝、ドライグの声が一誠の籠手から発せられた瞬間、紅蓮の爆炎が大柱となって天空に向かって走り抜ける。
その間、この爆発元であるナインは黒歌の首根っこを掴んで引き寄せていた。
「あっ…………」
抱き止めると、その直後にはすでに黒歌は気絶していた。
ナインの爆撃を至近距離で体感、鼓膜と視覚に精神的ダメージを与えられ、防衛本能として意識が飛んだのだ。
「言わんことじゃない」
言う間に、爆炎の火柱は徐々に鎮火されていく。
右手の錬成陣の銘は『太陽』。 僅かにその刺青が光っていることで、先の一撃で使用したことが解る。
太陽と月の紋様を司る錬成陣で火炎爆弾を描く紅蓮の錬金術師が一誠の前に堂々立った。
「ナイン…………」
「よろしい。 いいでしょう、兵藤くん。 あなたは確かに強くなった」
親指で弾いた石ころを宙で弾けさせると、そのまま手をかざす。
「強さというのは二種類ある」
「…………」
この時も、一誠は倍加の力を怠らない。 10秒ごとに力を上げる
「他者のためのもの、己のためのもの、そこに優劣は存在せず、差が出るとすればそう――――信仰だ」
誰かのために使う力。 自分の欲望のために使う力か。
よく、勧善懲悪のはっきりとした喜劇では、誰かのために使う力こそ正義というものが多い。 自分だけにしか使わない力は脆く、疾く砕け散るものだと。
しかしナインは否だと言い切る。
「己が絶対だと自負するか」
一誠の様に、他者のためにその大きな力を奮うか。
緊迫した中、ナインは不敵に笑って両手を合わせた――――一誠は、最大限の警戒を持ってジリジリと間合いを詰めていく。
「ふと思ったことがある」
「な、なんだよ?」
「私の爆弾は、作ることは容易だというのに、決定的な欠点があったのです」
ナインは続ける。
「強力な攻撃力を有していても、当たらなければ意味が無い。 そして、私のこの手も、あなたに触れられなければ意味が無い」
いままでナインは、地面を伝導させて地下から爆弾を精製して攻撃しかしていなかった。 時折、錬成した物を投げ付けたりもしていたが、
「私の爆弾は魔法じゃない。 錬金術だ。 そのため、重量の問題が顕著に出てくる」
ナインの肩では、錬気発動状態でも、それ以上に強力な爆弾が出来上がれば投げるどころか、持ち上げることすらできない、さらには、コントロールも必要になってくる。
『
延々と話しまくるナインによって、一誠の
しかしそれも意に介さず、ナインは嘆かわしいという風に額を押さえた。
「それに投げるって、ちょっとかっこ悪いですよねぇ」
「お前って、そういうの気にするヤツだったのか」
「ええ、私も教会時代はよく試行錯誤したものです。 如何に派手に格好よく爆弾を爆発させられるか」
すると、ナインは――――
「なので…………いままで温めてきていた技を見せましょう」
一条ほどの細長い雷が、地面と両手との間に発生した。
「…………?」
何も起きない。 不発か? と吹き出しそうになった一誠、しかし。
「どわっ!?」
轟音とともに地鳴りが起こり始める。 草木は揺れて、木々は倒れる。
一誠も、一瞬だけだが体勢を崩して地面に尻餅を突いた。
「そうだ…………作った爆弾も、より強力な運動エネルギーが無ければ無為に等しいんだよ。 だから、こうすることにした」
地面が盛り上がる。 爆発? 否、その比ではない巨大なものだ。
後ろでは、黒歌があまりの地響きに跳び起きていた。
「にゃ!?」
「…………マジかよ。 冗談か、これ…………」
ナインの、おそらくは教会に属していた時から考えていた技がいまここに具現する。
装甲は鋼。 ナインのいままでの錬金術の粋を凝らしに凝らしたそれは、「爆弾」という愛する芸術をより華々しく使ってやるために鋼鉄を顕した。
本来、爆発にのみ特化したナインの錬金術は、「鋼鉄」など作れようはずもないことなのだが。 ナインの錬成陣は、四大元素をすべて含む記述をしてあるゆえに、きっかけはそれで十分だった。
それに加えて前述の通り、間接的にナインの爆弾への狂気が宿ったそれは、十分な素材が無くとも錬成を可能とした。 いやこれはもはや錬成ではなく創造である。
前進するキャタピラ。 キュラキュラと音を立て、主人であるナインの背後にぴったりと付いた。
そのときナインの横に伸びるのは砲身。 重々しい機械音を鳴らして砲塔が回る。 バレルが目の前の標的に照準を合わせた。
「戦車ぁああっ――――!? ふざけんなこんなのありか!」
この狭い森の中では逃げ場は皆無。 どう足掻いても最低でも衝撃はモロに受ける嵌めになるだろう。
佇むしかない一誠は、
「これは…………」
上空のタンニーンは最初、ただの戦車と甘く見ていた。 ドラゴンにとって、人間界の兵器など取るに足らぬと。
ゆえに試す、元龍王ドラゴンの一撃――――受けられるか!
腹が膨らむ――――ドラゴン十八番の炎の砲弾がその聳え立つ戦車に直撃した。
「なに―――――!?」
轟々と揺らめく炎から出て来たのは、無傷の戦車。 砲身すら折れずにその形を保っている。
無人であるにも関わらずその戦車は標的を仕留めようと、砲塔内の砲弾を熱く滾らせて主の合図を待っていた。
「これが、私の思考錯誤の結果です。 実戦経験は無いので、ここで試し撃ちをすることにしました――――撃ぇ」
にこっと笑顔のナインを合図に、鋼のバレルを砲塔内で装填された砲弾が走った。
今回ラブコメなくてゴメン。
戦車好きだわ。
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