紅蓮の男   作:人間花火

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―あらすじ―
闇夜の上空で始まる対悪神ロキの戦線。 隣に侍るのは、伝説の神殺し、フェンリル。
アザゼルやバラキエルは最大限に警戒し、オーディンですら戦闘を拒否。
非情且つ強力な攻めを有するフェンリルに苦戦する一誠たちだが、そこにある男が作戦を提案し、勝手に可決する。


ナイン・ジルハード。 この男が、フェンリルの殺意を一手に引き受けた上でついに上空に身を投げたのだった。


52発目 月下攻防戦

「おやおや大丈夫ですか、黒歌さん」

「…………ちょっと顔貸しなさいよ」

 

夜の上空。 心底可笑しそうに笑うナインは、同じく上空から遅れて来た黒歌に頬をつねられていた。

 

理由としては、突如降下作戦を立案したナインが、理解する間もない彼女を突き落とす暴挙に出たためだ。 女性のエスコートの作法としては最低の部類に入るであろう。

 

「だいたい、女を突き飛ばすなんてどうかと思うんだけど」

「すみませんねぇ、あの場に至っては迅速に決断する必要があったので」

 

そしてふと、ナインは自分の置かれている状況を確認する。

いまのナインは黒歌によって落下速度を抑えられ、緩やかなものとなっている。 悪魔としての翼、そして、得意の仙術による付与能力によるものだ。

 

ぐっとサムズアップしてくるナインにイラっとした。

 

「あんな上空に人間が生身で居続けること自体大変なのよ?」

「確かに、気圧の変化には人間はどうしようもない。 だが生きている、それがすべてだよ」

「誰のお陰だと思ってるのよ、もう………無茶ばっか」

 

笑いながらおもむろに上を見上げる。 何も無い夜空だが確かに感じる。

 

神秘が接近してきているのが分かる。

ナインが苦笑いをした。 

 

「空中での戦いはできるだけ避けたかったのですが。 事ここに至っては仕方がありませんか……」

「凄いプレッシャーよ……この速度のまま体当たりなんかされたら吹っ飛ばされて地面の染みになるだけね……」

「あの狼殿は我々の数倍の速度で落下して来ている。 まず戦闘必至………参りましたね」

 

化け物には、気圧の変化も落下衝撃もまったく関係無い。

人間の理解の範疇を超えた常識外れの存在こそが化け物たる所以なのだから。

 

「まぁだが、とりあえずこの戦い(・・)は私たちの勝ちだ」

「え、フェンリルに勝てる算段があるの!?」

「え? ……ふはははっ!」

「なんで笑うの!?」

 

興奮気味に迫ってくる黒歌に、ナインは馬鹿にしたような乾いた笑いで返した。

 

「未だあの神殺しを打ち倒す方法は見出せていません、が。 押さえつける策ならね」

 

しかしそれで充分。 と不敵に笑った――――その瞬間だった。

 

間一髪。 毛むくじゃらの巨体がナインのすぐ横を擦過した。

風圧により吹き飛ばされたナインは、辛くも空中で体勢を整える。

 

「……予想より早い。 黒歌さんは下へ。 私が落ちた際に受け止められるよう待っていなさい」

「分かった! ………無事で」

 

悪そうな笑みを浮かべるナインに、黒歌は表情を崩さず真剣な表情のまま指示に従った。

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、我が息子を人間一人に向かわせるとは考えたな。 これでは私が一人でお前たちの相手をせねばならぬではないか」

 

まぁ、我が指示してことではあるが、と言葉とは裏腹に、ロキは楽しげに腹を抱えていた。

 

「俺たちゃ初耳な作戦だけどな。 おかげで戦いやすくなったのは事実だ」

 

睨み合うアザゼルとロキ。

 

「しかし嘗めてくれるな。 一人だろうと神は神である。 私の相手にはまだまだ役者不足と知るが良い」

「やってみなけりゃ――――」

「分からないだろ――――!」

 

刹那、堕天使総督の光槍と悪神の北欧魔術が激突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「行かずとも良いのか」

 

対ロキの戦線が開幕したとき、オーディンが髭をさすりつつも自分の身の回りの警護を務めているヴァルキリー――――ロスヴァイセにそう訊いていた。

彼女は首を横に振る。

 

「私の今の役目は、オーディンさまの護衛です」

「お主はすでにヴァーリチーム……いや、ナインの元に居ることに決めたのでは無いのか」

「…………」

 

二人の間が沈黙する。 しかし、ロスヴァイセは堂々と。

 

「これは私の勝手なけじめです。 あなたの護衛に任命されておきながら、彼の元に走った自分自身への。

私は、仕事よりも男性を取った半端物……。 ならばせめて、いまはこの大仕事を完遂してからの方が後腐れがないものです」

「ほんに勝手なものじゃのう」

「………申し訳ありません」

 

でもオーディンさまが悪いところもありましたからね? とロスヴァイセは少しむくれた。

 

その半端を取った方も叶うかどうかも分からない。 だが、不思議と心が満ちていくのだ。

あのナイン・ジルハードという男に必要とされていることに充足感を覚えている自分が居る。

 

「なぜナインと共にありたいと思った」

「………直感、でしょうか。 曖昧ですみません」

 

謝るな、とオーディンが鼻で笑った。

 

「お主は根っからの戦乙女だったという訳じゃな」

「え………?」

「ヴァルキリーとは、戦い続ける者にのみ尽くす生き物。 ヴァルハラに呼ばれる勇者や戦士たちを癒やし、激励する戦場に咲く美しき華たち。 戦場に身を置く者たちの唯一の癒やしが、お主らじゃ」

 

それは己が存在意義。 永遠に戦い続けることを望んだ戦奴たちの楽園(ヴァルハラ)

 

「不戦派のワシや、平和を願う赤龍帝にはお主の肌は合わなかったのかもしれぬなぁ」

 

それはつまり、充足感を感じていたのはナインが戦い続ける意志を持っていたから。 戦乙女の本能が、彼に尽くしたいと欲したからに他ならない。

 

「戦い続け、死んでいく男しか愛せぬその宿命。 しかしそれこそが戦乙女の本懐なのかもしれぬ」

「………彼からは不思議な生命力を感じさせます」

「…………」

 

仕事人だが、いままでどこか自信の無かったはずのロスヴァイセがそう言い切ったことにオーディンはにやついた。

 

「ときにロスヴァイセよ、あれにはちゃんと抱いてもらったのか?」

「はっ!?」

「惚けるでないわ。 そんなに想うておるならこの日まで一回や二回するのが女の甲斐性じゃろうが。 まして必要とされているならナインも満更ではないはず」

「………」

「まさか………何も仕掛けとらんのか?」

 

信じられないといった顔をするオーディン。 向こうではアザゼルや一誠たちが戦っているというのに、この温度差と来たら無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな、戦乙女の尽くしたいその男はいま、神話の怪物と激闘を繰り広げていた。

 

夜空を照らす赤光の炎が咆哮するように、大規模な爆発が巻き起こる。

その爆炎の中、更なる爆撃を敢行するべく手と手を合わせた乾いた音が鳴り響く。

 

硫黄と水銀――――この手に交われと。

 

纏わりつく煙を切りながら飛び出したのは巨躯の銀狼フェンリル。

煙を脱した後、この狼が取った行動は腹の底にまで響くほどの咆哮だった。

 

オオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!

 

「ちっ―――」

 

物理的な衝撃も伴った咆哮はナインの体を叩きのめす。 当然のように煙も吹き飛ばされ、ナインの姿も暴かれる。

この咆哮はただの咆哮ではない。 この神話の獣の一つ一つの動作にはすべて神秘が宿っていた。

 

無防備を晒したナインの身体に向かって超重量の突進が炸裂する。

 

「ぐっ……!」

 

直撃を免れたものの、腕を掠った。

しかしその直後、歯を食い縛ったナインは、ついにフェンリルの尻尾を捕らえた。

 

「――――なめるな……ぐっ!?」

 

引き寄せたフェンリルの腹腔を蹴り上げると、今度はナインがフェンリルの後ろ蹴りでぶっ飛ばされた。

ハイリスクハイリターン。 殴れば殴られる正攻法が化け物と人間の間で繰り広げられている。

 

「っっ―――――こんなスマートじゃない肉弾戦など久しぶりですよ。 まさに野生の戦いといったところですね」

 

型も武も、作法も礼法も何も無い。 だが、この銀狼はすでに完成された魔獣なのだ。

 

「洗練されてもいない、間合いも滅茶苦茶、読み合いもせず。 本当に相手を殺すためだけに繰り出される一撃」

 

当然だ。 獣が鍛錬することはない。 ただあるがままの爪で、牙で、切り裂き、食い破る。

 

「だというのに、一分も隙が無いとはね。 先ほど上で話しかけたときは感情のようなものがあったと思ったのにね。 戦いのときだけはこうなるのかい」

 

まさに神話の怪物。 おそらく、この狼は理性が本能なのだろう。

話せずとも、言葉を理解した時点でナインは察した。 理性と本能が混ざり合い、半ば機械的に対象を殺していく殺戮兵器だ。

決して獲物の匂いを見失うことはない。

 

「やはりグレイプニルが必要ですか………やれやれ、神話というのはこういう所が面倒極まりない。 伝承通りでなければこの手の怪物は御しきれないときた。 後は馬鹿の力押ししか通じない」

 

単独では、この凶獣を斃すことはできない。

険しい表情で舌を打つナイン。 大局を見るに、これは防衛戦に徹するのが良策であろう。

指令塔であるロキがあちらで負傷か撤退の意思を見せればこれも止まる。

 

「………受け身はあまり好きではないのですが。 ()る気で行けばこちらも()られる覚悟をしなければならない。 いまそれは御免ですからね」

 

だが――――、とナインは口元をにやつかせた。

 

「止めておく分には何の苦にもならない」

 

足の裏に仕掛けておいた錬成済みの小石がその瞬間爆発する。 フェンリルの突進はそれにより空振り。

空中での方向転換に成功したナインは堪らず笑う。

 

「……なんでもやってみるものだ。 これだから辞められない」

 

錬気によって強化された肉体で爆発への耐久力を上げているのだ。

 

「こんなちっぽけな石塊でも武器になる」

 

さらに、小石はここに来るまで地上で回収したものだ。

瞬く間にフェンリルの周囲には爆弾に錬成された岩石がばら撒かれていた。

 

「さぁ、どう来る」

 

すると、視線を素早く動かしたフェンリルはさすがに判断が早く、爆弾の群れをかい潜ってナインの目の前に肉薄していた。 すでに攻撃態勢。

 

「よっ」

 

素早くコートを脱いだ。

 

事もあろうにナインは、脱いだ紅蓮のコートを突っ込んでくるフェンリルとのすれ違いざまに頭に投げつけた。

こんなもの少しの障害にもならないだろうが、一瞬でも目を眩ませられれば十分だと言わんばかりに。

 

次には、視界を塞がれ怒り狂うフェンリルの鼻っ柱に思い切り肘を打ち込む。 ぼぐッ、と鈍い音がした。

一瞬だけだが、フェンリルの口からうめき声か怒気か分からない鳴き声を聞くとすかさず離れる。

 

「おっとと、へへ。 どうやら鼻っ柱を嫌がるのは普通の犬と大して変わらないようだ……ではここでお一つ」

 

ナインに空を飛ぶ術は無い。 黒歌のお陰で滞空時間に余念はあれど、手放されたら重力に従い落下するしかない。

そんな中この男が取った行動、それは――――

 

「さぁ、来なさい」

 

一撃入れられ、鬼のような形相となっているフェンリルを相手に両手を広げて挑発を始めたのだ。

そしてフェンリルはその誘いに――――

 

ズンッ!

 

「ぐっおぉっ!」

 

体当たりで応えてきた。 四肢が粉々になりそうな激痛に晒されながら、ナインはそのままその銀色の体毛を掻き抱く。 その表情には、なぜか不敵な笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

「……落下速度が急に速くなった、まさか、ナインの身になにか!」

 

ぼんやりと見える人影を認識しながら、黒歌は急降下を始めていた。

艶やかな黒髪を靡かせつつ、もう一度落下する人影を見ていた、と、そのとき――――ナインとフェンリルの姿を捉える。

 

「…………!」

 

目を凝らして見ると、ナインがあの銀色の巨体と組み合っているではないか。 黒歌はすぐさまギアを切り替え、戦線に近づきつつ速度を上げる。

 

「何あれ……ナインがいつも錬金術を使うときに起こる電気……?」

 

確かナインは錬成光とか言ってたっけ、とつぶやく黒歌。

遠目から見ると、ナインがフェンリルを羽交い締めにして包み込むように錬金術を行使しているように見える。

連続的に行われる錬成により、断続的に夜空を照らす、青白い光と電撃。

 

「いやいや、とにかく、あの速度だと地上ももうすぐだし、準備しなくちゃね。 いくらナインでもあれで着地は無理でしょ、常識的に考えて」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぅ。 どうです、片方とはいえ足を封じられる屈辱は。 おまけに落下の下敷きにしてやりましたよ……ざまぁみろって言うんですよ」

 

やってやったぞといったような子供のような笑みで、地表にめり込んでいる銀色の狼を睨み据えた。

ナインがフェンリルと組み合いながら落下していたとき、錬金術によってフェンリルの右前足を一時的(・・・)に爆弾と化していたのだ。

 

「しっかし……はぁ、爆発には至らないとは。 少々、焦りましたよ」

 

黒色火薬を規格とした錬成でフェンリルの右前足のそれは酸素を吸収、次第にぐにゃぐにゃとした粘土細工のようなものに入れ替えた。 ナインの言う通り、爆発までには至らなかったが、あの怪物の方向感覚を一瞬だけでも狂わせたのは技術というより運に近い。

混乱するフェンリルを押さえつけ、落下時にクッション兼下敷きにしたのだ。

 

 

「ナイン、無茶しすぎ! あとなんで私を避けたのよ、こうして待ってたのに!」

 

両手を広げて落下時のナインを抱き留める再現をしてみせる黒歌。 しかしナインは息を切らせたまま首を横に振った。

 

「あなたあれを本気で受け止めようとしていたのですか?」

「う……だってもし……」

 

もしも下敷きだったのがフェンリルではなくナインだったら。

泣きそうになる黒歌。 突然のことで彼女も気が動転しているのだ。 まさか両者ともに固まって落ちてくるとは思わなかったから。

 

「死んじゃうかもしれなかったのよ………?」

「ふぅ……でしたらあなたが潰れても良かったと?」

 

土埃を払いながらも困り顔をするナイン。

 

「…………感謝はしています、しかし無駄に命を散らすことも無い。 あの場の最善は、間違いなく私を見離すことだった」

「ナインにはできても、私にはそんなことできないわよ……」

「合理的な判断だよ――――むっ!」

「合理的って……きゃっ!」

 

瞬間、言いながら詰め寄ってくる黒歌を突き飛ばしたナインが、瞬く間に吹き飛ばされた。

そのとき尻餅を付いた黒歌の瞳に映ったのは、土まみれな銀色の毛並みを逆立たせた銀狼であった。

 

「普通ならスプラッタよね……どんだけタフなのよこいつ……」

 

ていうかナイン! と彼が吹っ飛ばされた方向に目を向ける、そこには肩で息をしながら立ち上がるナインと――――

 

「地上ならばこれ(・・)を出せる。 ひとまずは上々でしょうか」

 

ナインの横には、鋼鉄の虎であり、最硬の戦車であるオリジナルのティーガーが聳えていた。

自身の服を首元から指で伸ばして見ながら、不敵に笑う。

 

「骨は何本かイったかい……しかしそれも想定内だ――――さぁ続きをしよう、フェンリル、神殺しの狼殿」

『なぜそこまで戦う』

「!?」

「ナイン、どうしたの?」

 

 

突如頭に響いてきた荘厳な声音に、ナインは目を見開いた。 目の前のフェンリルに警戒しながらも辺りを見回す。

 

「なんですか、いまのは……」

『貴様が我輩に勝つことは不可能だ。 伝承通りグレイプニルを使わなければ捕らえること叶わぬ』

「……ああそうか」

 

見回すのを止め、目の前の銀狼に意識を集中する。 ゆっくりと顔を上げて生唾を飲み込むナイン。

 

『だがそれも我が父は見通している。 当然だ、神も人間と同じように進歩するのだ、それも人間よりも早くな』

「テレパシーの類かい? 口は利けないらしい」

『答えよ錬金術師』

「冗談は通じない性格のようで」

「誰と話してるのよ、ナイン………」

 

一先ずティーガーの物陰に身を隠す黒歌。 突然話し出したナインに訝るが、相手が誰なのかすら掴めない状態だった。

頭をガシガシ掻くナインは、口元を緩める。

 

「あー、なんで戦うのかって質問だったかい?」

 

戦況はともかく、こちらとしては時間は気にしていない。 むしろあちらがロキを退けるまでの繋ぎだと思えばこの問答は受けるしかなかった。

 

『理念等は概ね理解しているつもりだ。 貴様は二天龍よりも動きが酷く派手すぎるのでな』

「悪目立ちということですか。 参ったねどうも。 しかしならば私に問うまでもなく私を知っているのではないですか。 それ以上語ることがあるというのかい? 私が戦い続ける理由など」

『質問を変える。 我輩に挑む訳だ。 何か因縁があったか』

「無いね。 だいいち初回も現在(いま)も、あなたが私に食ってかかったことですよ?」

『そうだが、貴様も我輩を意識しているだろう? どちらからかなどはこの際些細なことよ――――気持ちの問題だ』

「なるほどね」

 

顎に手を添え、可笑しそうに頷くナイン。

つまりナインが自分を意識しているだろうとフェンリル自身が断言したということだ。

 

「傲慢な狼殿だ、くくっひひひっ! 」

 

事実であるが故に否定はしないが、減らず口は健在のナイン。

 

『神とは得てしてそういう存在であろうが』

「なぁに言ってんですか。 あなたはそれを殺す側でしょうが」

 

あくまでもナインにのみ語りかける。 おそらくテレパシーの類だろうと、この男は適当な解釈をした。

なぜ口を使って話さないのか、なぜ自分の頭にのみ念話を送ってくるのかそんな理由はどうでも良かった。

この相手とは二度目の会合だ。 強さと恐ろしさは一回目で思い知った、もう何をしても驚かない。

 

なによりナインを歓喜させたのは、いままでに渡り戦い続けてきたこの怪物が、期せずして人語を理解していることが判明した事実だった。

 

「黒歌さん……ふはは! この狼殿しゃべりますよ! くくく、ひひ、ははははははっ! これは愉快だ!」

「…………駄目だ、一人で勝手にトリップしてるにゃ」

 

ナインの爆笑っぷりに黒歌が唖然とした。 当然フェンリルはしゃべってなどいない。

少なくとも彼女には。

どうすんのよこれ、と困惑したようにナインを揺する。

 

「しかし、まぁ、クク。 あなたに挑む理由かぁ………」

 

片手で覆った顔の裏で、冷めやらぬ笑いを必死に堪える。

 

「いえね、先日とある龍神殿に興味深い助言をいただきまして……何しろこの身はいままで爆弾のことしか考えてこなかった無能者故に……」

 

――――セフィロトの樹を理解すれば、更なる深部へ。

 

苦笑を織り交ぜた自虐とともに、自身もあの少女の形をした龍神に言われた言葉を思い出す。

 

ただ言うならば、ナインはそれを理解をしていると言えば理解はしているのだ。 なぜならセフィロトの樹、別名”生命の樹”は錬金術師にとって必須事項であるから。 だがそれでも、まだ奥があるとあの龍神は言ったのだ。

 

つまり、ナインは真にセフィロトの樹を理解していないということだ。

単なる通過点に過ぎなかった項目が、龍神の言葉とともに記憶から掘り起こされてしまった。

 

一口に理解すると言っても、関連の書物はすでに読破している。

 

各元素に対応する記号。

何に何をすれば分解できるか、さらにそれを再構築するには何が必要か。

 

これは無数の数字と多種の化学の領域で、算数と理科などでは錬金術は発動しない。

 

ならばどうするか。

 

「ただの人間やその他人外の(ともがら)を爆発四散させたところで、私の嗜好が達せられることはあっても錬金術の質が上がるわけでは無い」

 

これでは駄目だ、と。 目を瞑って独白する。

やはり結局、試行錯誤の積み重ね、彼の道は、未だ見えない。

 

「爆発は純粋に好きだ。 那由多繰り返そうと決して飽きることの無い究極の私の、娯楽だ。

だが同じ事を繰り返すという行動は単調に過ぎる。 私自身、錬金術師として、そこは恥じたいと思っているんだよ、曲がりなりにもね」

『………』

 

フェンリルはこのとき何も言わずにナインの長広舌を聞いていた。

 

「この忸怩たる思いを胸に、足りないものを探すのだ。 私自身に生むことのできない、未知の存在を」

 

いままで吹き飛ばすことしか考えていなかった。 どんな強者であろうとナインにとってそれは轍でしかなく、心地良く纏わり付いてくる爆煙でしかなかった。

ゆえに、いままでまったくしてこなかったことをいま――――

 

「相手取る者に対し、敬意は払おうと学ぼうとはしていなかった。 私に吹き飛ばされる者ならば吸収する価値など無いと断じ……そうやって、ときには堕天使を、ときには悪魔を――――時には人間を紅蓮の炎に沈めてきました」

 

神殺し(フェンリル)と初めて相対したときから腹は決めていた。

 

「――――あなたの神殺しが欲しい」

 

ナインの挙げた右手が合図となり、無人の鋼鉄が火を吹いた。 フェンリルはそれを一瞥もせずにその場より姿を消し――――ナインと彼の戦車の後ろに瞬時移動していた。

 

 

『我輩の牙や爪を奪うか? 無駄だ。 いままで幾人もの神や知恵者たちが我輩の力を欲したが、奪おうとはしてこなかった。 喩え奪おうとしても我輩の餌になるだけだからだ。 現に貴様もいまからそうなる――――必然だ』

「ほぅ~、余程自信があるようだ。 まぁ当たり前か」

『高名な者ほど我輩の神殺しとしての力を恐れる。 我輩の父、ロキですらな………』

「これは可笑しい。 育ての親たるロキ殿が息子たる貴方を恐れるとは」

 

親子であるというのにそのおかしな関係。 ナインから疑念とともに笑いが生じる。

 

「オーディンさんが警戒するのはよく分かる。 しかし父親も例に漏れず、とは……面白いですねぇ」

『……っ。 なんにせよ、貴様はここで倒れよ』

「おっと、話を変えましょう。 貴方は先ほど、なぜ私が貴方に勝負を挑むか問われましたね。 では逆に問う」

『何を……』

 

指をフェンリルに向け言い放つ。

 

「貴方も私を意識しているでしょう? でなければ、父親を置いて私のような雑魚一匹のためにここまで追ってくるまいよ」

『………』

 

睨みを利かせながら、両者は円を描くように歩み出す。

 

『勘違いをしないでもらおう。 我輩は父ロキの命により、貴様を殺しにきたのだ』

「であるならば、さっさと殺しに来てくれよ、フフ。 強いんでしょう?」

『……ずいぶんと余裕ではないか』

 

ヒュン、とナインの懐にまでフェンリルの巨体が肉薄する。 これは挑発。 だがそれがどうしたと。 フェンリルはその鋭利で強靱な牙を剥いた。 このときナインはまったくの無防備、両手を広げ薄気味悪くニタニタ笑う。

 

両顎が、獲物を捕らえようとした。

 

そのとき――――

 

『――――!?』

 

ナインの四肢に牙が食い込むかと思われた瞬間に、フェンリルの目の色が変わった。

三日月のごとく裂けた目の前の男の口とは対照的に驚愕とともに歯を鳴らす。

 

―――――父の、異変だった。

 

 

 

 

数分前、上空。

 

「ぬ、少しまずいか……」

 

白みがかってきた辺りを見上げ、北欧の悪神がつぶやく。

目の前にはグレモリー眷属、アザゼル、バラキエル、オーディン、そしてロスヴァイセ。

 

グレモリー眷属は、赤龍帝をいなせば簡単に崩すことができるし、堕天使組織上位陣のアザゼル、バラキエルの二人は北欧の魔術をある程度投げていれば抑えられる。 だが――――

 

「オーディン、我が息子が戦線から離れたと見るや参戦とは。 恥ずかしくは無いのか臆病者め」

「ほっほ、お主にそんなこと言われても痛くも痒くも無いわい。 第一、儂はもうジジイじゃぞ? ちっとくらい打算で動いてもバチは当たらんじゃろうて」

 

実際その場合、ジジイにバチを当てるのって誰なんだろうな。 トール辺りかねぇ? などとふざけたことを言うアザゼルはまだ余裕が見える。

言っている場合か、と突っ込むバラキエルも同様だろう。

リアスたちも、この強力なタッグのおかげで善戦しつつある。 ロキは舌を打つ。

 

「くっ、よもや紅蓮の男を仕留めるのにこれほど時間を要するとは……っ我が息子は何をしている!」

「ほらそれよ、だから痛くも痒くもないんじゃよ。 お主とて息子におんぶにだっこではないか」

 

白い顎髭をさすりつつ笑う北欧の主神オーディン。 手に持つのは伝説の槍グングニル。

 

「フェンリルに一人を追わせたのは失策じゃなロキよ。 ああ、あの仙猫もおるから二人か。

過信、軽率の報いじゃ」

「でも心配です。 ナインさんと黒歌さん二人だけであのフェンリルの迎撃なんて……」

「っと、そうだな。 一度経験があるとは言え、ナインの負担も大きいだろうよ。 おいジジイ、ここは一つ本番と行こうぜ」

「儂はもう投げぬぞ」

「なにぃ!?」

「当たり前じゃ。 あやつ一人くらいアザ坊たちだけでやってみろい」

「ここで働かねぇのかよこの田舎ジジイ……本格的に隠居モードだなこのヤロー」

 

毒を吐くアザゼルに見向きもせずにオーディンが引っ込んでいく。 もはや趨勢は決したも同然だろう。

 

「もともと、私たちはオーディンさまの護衛のために呼ばれたのですもの、ここで役目を果たさなければ、グレモリーの名に傷が付くわね」

「よし、私からやろう」

「またっすか」

 

イッセーのあきれ顔を余所に、ゼノヴィアが本日二度目の大放出をおこなった。

 

「甘い!」

 

腕の一振りでデュランダルの波動は消え去る。

 

このとき、ロキの機嫌はすこぶる悪くなっていた。 己より格下の者どもにこのような仕打ちは初めてである。

おまけにオーディンすら身を引いた。

 

「私はこの悪魔どもごときの稽古相手だとでも言うのか……舐めるなっ」

 

我は北欧の悪神。 魔王の血筋? 堕天使の総督、幹部? 戦乙女? どれもこれも神を相手にするには不足過ぎる。

ならばなすべきは絶望を与えること。 オーディンの動かぬいま、我が力を一点に集中すれば瞬時に一人また一人と葬ることができよう。

 

この場で最弱は、魔王の血筋とその眷属だ。

 

「――――っ!」

「自分は狙われぬと思ったか小娘」

「野郎!」

「アーシア!」

 

後ろで後衛を務めていたアーシア・アルジェントに目を付けたロキに躊躇いは無かった。

収縮した魔力が爆発し、アーシアに迫る。

 

Half Dimension(ハーフ・ディメンション)!」

 

しかし、その魔力の弾は標的に到達する前に削り取られ、ついには消滅させられていた。 周りの空間を纏めて歪ませて対象を消滅させる力。 そんな真似ができる者は限られる。 全員が上を見上げるとそこには――――

 

「ヴァーリ!」

「なぁヴァーリ。 俺っちたち、来る必要あったんかな? 超優勢っぽいんだけど」

「まぁなにせ、あの悪神の持つ最悪の生物、フェンリルを、ナインが一手に引き受けているんだ。 こうもなろうさ」

 

白銀の翼を広げ、降りてきたのはヴァーリ・ルシファーと美猴だった。

歪んだ空間を苛立たしげに回避したロキは、大きくため息を吐く、そして一言。

 

「退くとしよう」

「あ、待ちやがれ!」

 

引き留める間もなく、ロキは虚空へと消えていった。




後書きで御免。

明けましたおめでとうございました!

一年経ってしまいました。

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