リヒトの生まれは小さな村だ。
たまたま温泉が湧いていたが観光として売り出すには弱く、旅人や商人が道中で休むための拠り所といった程度のもの。そこでリヒトは一人で暮らしていた。
両親が流行病で亡くなり、一時は家に引きこもって誰が訪ねても出ることはなかった。それでも村の住民が目をかけて仕事を振ったりとしていくうちに、村の雑用係といった立場で村の一員として生活してきた。村民も自分の家に泊まるかと誘うことはあれど、住むかと誘うことはなかった。そんな気遣いがリヒトにはちょうどよかった。
畑仕事をして狩の手伝いをして温泉宿の会計を計算して、町にでも行けば何かしらの職に就けるだろうといった技術を一通り身に着けたが村を出ることはなかった。
「おい、若いもんが昼間っから中でゴロゴロしてるんじゃない」
「外出かけてきたが? 畑仕事で泥まみれの服見えてない?」
「さっさと出ていかんか!」
「畑仕事頼んだの村長だろうが! いてぇ! なんだそのチャリンチャリン鳴ってる袋!」
このままではいけないと若者の可能性を広げるためにも、泣く泣く背中を押し出した村長は村によった商人に頭を下げて頼み込み、リヒトを町へと連れ出してもらった。本人のいない送別会を普段は飲まない高級な酒を開けて村長は祝った。なぜか懐が膨らんでいたらしく、宴会のネタだと思った住人が村長の家に駆けこんだ。
のちに勇者となった話を聞いて村長はこう答えた。
「よし、勇者出身の温泉村として売り出そうではないか」
村長の家には広くなった温泉宿で読める、勇者一行の活躍を記した全新聞の予備が保管されている。状態を確認するためにたまに広げて管理もしている。
「でかいおおいこわい」
町に連れ出されたリヒトは商人の馬車の中に隠れていた。初めて村の外に出たリヒトは旅の道中にある初めてのものと触れ合い楽しんでいた。商人も器用にいろいろなことをこなすリヒトをかわいがり、いろいろな町に連れて行った。途中包丁を持った女性に追いかけられて、逃げるように出発したこともあった。「モテる男ってのはつらいもんだ」とハードボイルドに呟く商人の下はパンツだった。後ろから「金を返せ!」と声が聞こえたが巻き込まれるのは嫌なので聞かないでおいた。
そんなこんなでたどり着いたのは王都グランディエル、最初は大きな町だと目を輝かせていたリヒトも近づくにつれてその大きさを把握していき、顔が青ざめていった。
大きな城にそれを囲う町、見たことのない多すぎる人の数に圧倒され、田舎者であるリヒトは委縮していた。
「あっはっはっはっは! 流石にこの規模だと興味より恐怖が勝つか! しばらく暮らすから慣れろよ」
「すまないがそこの商人、少しいいか」
「はい?」
笑いながら見ていた商人に鎧を着た憲兵が声をかける。馬車が邪魔だったかと思った商人に、一枚の紙が付きつけられた。
「借金を踏み倒して逃走している商人がいると情報があってな、特徴が似ているので少し話を聞かせてもらいたい」
手に縄をかけられて連行される商人、馬車や荷物は証拠品として押収された。残されたのはリヒト本人と少しの荷物だけ。
「……………え?」
まさかの初めてきた大都会で独りぼっちである。立ちすくむリヒトだがそんなことに構わず町は動き続ける。人ごみに流されるままたどり着いたのは闘技場、観客席には大勢の人がおり中心にいる十人程度の立派な鎧を着た青年たちを見ている。
「ついに勇者が決まるのね」
「誰になるかな! もう少し大きかったらボクも参加したかったな」
「まさか勇者誕生の時をこの目で見られるとは思わなかったぜ」
盛り上がる観客とは対照的に青年たちは静かだ。真剣な顔のもの、涼しい顔をしているもの、緊張しているもの、全員が真っすぐと中心にある布をかけられた台座を見ていた。
「ではこれより、勇者任命の儀をとり行う」
観客席の一部が区切られてた場所からしゃがれた声が響き渡った。厳かな服装の老人が見た目にそぐわぬ声量で出された合図の元、立派な装飾のされた服を着た美女が台座の布を外した。現れたのは一振りの剣。派手な装飾はないが、見るものを惹きつける不思議な魅力を放っていた。
「順に剣に触れ、もう一度触れたものが今代の勇者となる」
思ってたよりも簡単な方法に肩透かしをくらう観客、集まめられた青年たちも同じことを思ったのか先ほどよりも硬さはなくなり、順に剣に手を触れていった。
「ではもう一度、我こそがと思うものこそ勇者の剣に触れよ」
誰も足を進めなかった。
不敵な笑みを浮かべていたものも、軽薄そうに観客に向かって手を振っていたものも、誰もが今は汗をかき剣を見つめている。それは羨望ではなく恐怖の込められた視線だった。
一歩、大柄な兵士あがりの男が踏み出す。観客はわっと盛り上がる、動きがなくて飽きはじめたところだったのだ。期待を込めて歓声をあげるがそれ以上足は進まない。
続いて遠い地から来たという長髪の剣士が足を踏み出す。歯を食いしばるようにして二歩目を、三歩目を、またも盛り上がる観客席だが震える足はそれ以上踏み出されることはない。
周りにいた他のものも同じように数歩進んで止まる。観客がまたも飽きはじめた時、軽薄そうな金髪の青年が笑顔で両手を振り上げた。冷汗をかきながらも生まれたての小鹿のように震えながら歩き出す。赤ん坊といい勝負ほどの速度だったが、一歩踏み出すことに歓声が上がりそのたびに両手を振って応える。
ついに台座にたどり着いた。
観客の盛り上がりは最高潮となり、いまだ距離があるが手を伸ばす。いけ! もうすぐだ! あともうちょっと! と応援が来るが当の本人には聞こえない。真冬のように手は震え、真夏のように汗だくの顔はとっくに笑みが消えている。
応援が徐々に小さくなる。それでも伸びた手は遠く、剣に触れることはない。
期待を込められた応援もいまはなく、落胆のため息となり始めた。
老人が溜息を吐き、取りやめようと手をあげた時、
「これでいいのか?」
選ばれし聖女はとっくに席を立っていた。燃え上がる魔法使いは集会に出ず魔法の修練を積んでいた。勇者任命の儀に呼ばれた貴族は私室のソファで手慰みに宙に浮く金貨を積み上げていた。
一番近くにいたはずの軽薄な青年でさえも見ることはできなかった。剣の放つプレッシャーに押しつぶされ、膝をついて地面を見ていた。
観客の放つ驚きの喚声に顔をあげると、
「アンタ大丈夫? 顔色悪いし、医者に行った方がいいんじゃないか?」
集まった中にはいなかったどこにでもいそうな田舎の少年が、勇者の剣を肩に乗せて自分に向かって手をさし伸ばしていた。
「それがきっかけなのか」
「きっかけというか実際それで決まったしなぁ」
二人で歩む旅の途中、ミカに聞かれたのは勇者になったきっかけ。まさかアレで勇者になるとは思わなかったよね。
「しかしなぜ剣を取ったのだ? なりたかったわけではないのだろう?」
「うーん、そりゃまぁな」
そもそもあの後説明されて知ったし。正直邪魔したかとめっちゃビビってた。急に大勢の兵士に取り囲まれるし、偉そうな人は叫んでたし散々だった。
ぶっちゃけ知ってたら剣を取らなかった気もする。
台に1番近かった人を医務室に運ぶだけで良かったと今では思うが、特に後悔はない。たぶん。
「色々助けられてきたからさ、俺も助けようと思っただけだよ」
コレは秘密な、と片目を瞑った。