体が揺れている。波の揺れじゃない。少し意識が戻ってきた、まるで泥の中から這い出てきたような気分。重たくてしょうがないまぶたを開くと海面を踏み締める、私のではない足が目に映る。
「…………」
周囲の状況を確認しようと何とか目だけを動かすと、浦風ちゃんと谷風ちゃんに曳航されている那珂ちゃんの姿が見えた。
(ああ……良かった……那珂ちゃん……良かった……)
友人の無事を確認でき、ひとまず胸を撫で下ろす。再度目を動かして周りを見渡すと、周囲の警戒をしている浜風ちゃんと磯風ちゃんがたまにこっちを見て口をパクパクさせて頷いたりしているのが見えると私は安心したのか、目を閉じ、小さく息を吐き、意識を手放す。そっか……私を曳航してるのは……。
次に意識が戻ったのは鎮守府の入渠ドッグにあるベットの上、艦娘なら誰でも一度は経験する目の覚まし方だ。
「あ、起きた?」
声の方に顔を向けると、リンゴを剥いている長良さんがそこにいた。
「作戦は成功。那珂ちゃんは無事だよ、もちろん長良達も」
「那珂ちゃんは一足先に入渠してるよ、そろそろ全快したんじゃないかな?」
「みんな心配してたよ、那珂ちゃんも駆逐艦の子達も阿賀野型の子達もみーんな阿賀野の様子見に来てベットの周りがぎゅうぎゅう詰めになってたくらいだもん」
「あ、後那珂ちゃんがお礼言いたがってたからちゃんと受け取ってあげなよ」
作戦の成否と私が眠っている間にあったことを淡々と長良さんは報告する。その姿を私はただ黙って眺めていた。
「それじゃあ明石さん呼んでくるから、待ってて。あ、リンゴは食べていいから」
「待って下さい、長良さん」
剥き終わったリンゴをお皿の上に置いて明石さんを呼んでこようと立ち上がった長良さんを呼び止める。
「どうしたの?」
「話したいことがあるんです。いいですか?」
「……いいよ」
立ち上がった長良さんが再びベットの横の椅子に座り直す。
「話したいことって?」
「長良さん……その……ありがとうございます……長良さんですよね? 私を曳航してくれたの……」
「ああ、うん。あれくらい平気だよ。曳航するのは慣れてるからね! 特に阿賀野は!」
「ははは……」
一切の他意なく笑う長良さんに不思議な安心感を覚えつつ、乾いた笑いで私は応える。
「それと……ごめんなさい……」
「……? なんで謝るの?」
「長良さんの期待に応えられなくて……」
「……期待?」
「…………」
首を傾げる長良さんに私は少し出鼻を挫かれた気分になる。どうやら言いたいことが全く伝わっていないみたいだ。
「だって私……長良さんの援護が無ければあのままネ級にやられて……」
「……でも長良の援護が間に合ったからやられてないじゃん」
「だけど……せっかく長良さんに鍛え直してもらったのに……」
「……鍛え直したからあそこまで耐えられたしネ級の動きにもすぐ気づけたんでしょ?」
「…………」
あっけらかんとした長良さんの言葉に嬉しさを感じると共に、自分との温度差にもどかしさを感じどうしたものかと押し黙ってしまう。
「……ねえ阿賀野。長良も話したいことがあるんだけど……良いかな?」
「え? あ、はい……。大丈夫……です……」
「ありがと」
柔かな声色でそう切り出す長良さんに私が了承を出すと、ニコリと笑って話し始める。
「出撃前の話、覚えてる? ほら、長良がなんであんなこと言うのか分からないって阿賀野が言ってたやつ」
「あ……」
浜風ちゃんが来る直前の記憶が呼び覚まされる。長良さんが何かを言いかけた直前のあの時の記憶が。
「思い出した?」
「はい……」
「そっか。じゃあそのときの続きなんだけどね……」
「…………」
長良さんから私に何かを話したがることなんて今まで一度も無かった。今から起こる前例の無い出来事に、私の身体に緊急が走る。
「……気付かせてくれた人がいたんだ。『私達は過去を繰り返すためにいるんじゃないって』気付かせてくれた人が。その人を見て、長良も少し考え方を変えたんだ」
そう言う長良さんの優しげな表情にドキリと心臓が高鳴ったのが分かった。
「……誰なんですか? その人って……」
恐る恐る尋ねてみる。知りたかった。長良さんにこんな表情をさせる人物は誰なのか。それと同時に、何故だか分からないけどそれを聞けばこの胸の高鳴りも治るような気がした。私の質問に長良さんは微笑して口を開く。
「ははは。阿賀野だよ。その人って」
「えっ!?」
あまりに予想外の人物の名前に、私は一言声を発してそのまま固まってしまう。長良さんはそんな私を見て、安心させるような笑顔を見せる。
「長良が阿賀野を突き放してから、いくつもの海域を超えてきた。誰一人沈まずに、今日まで。みんなも、長良も、阿賀野も」
「……そうやって海域を超えていく阿賀野の姿が、存在が、長良に教えてくれるの。『私達は過去を繰り返すためにいるんじゃないって』」
「ねえ阿賀野。阿賀野は自分のことを大したことないって言ってたけど、長良はそうは思わないな。阿賀野は強い艦だよ。例え阿賀野自信が認めていなくても、長良がそう思ってることは……忘れないでほしいな」
真っ直ぐに私の目を見て、ハッキリと、それでいて優しい口調で長良さんが私にそう語りかけてくれた。
「…………」
私は、長良さんが嫌いだ。あの体育会系全開な所とか、とにかく身体を動かしたがる所とか、性格がまず違い過ぎる。でも、そんなことは些細なこと。
いくつもの海戦や作戦に参加して、たくさんの戦果を挙げて、みんなを守って助けて、旗艦として多くの艦を率いてきた長良さん。そんな長良さんといると何もできなかった昔の自分とか、長良さんについていけない自分とか、そんなところが浮き彫りになって、それが辛くて、嫌だった。
そう、結局醜い劣等感と嫉妬心だった。でもそれを認めたくなかった。だから後から体育会系だとか、身体を動かしたがるとか、あれこれと言い訳を重ねて、重ねて、重ねて、いつの間にか最初の気持ちを忘れていた。
「長良さん……私……私は……」
私が言い訳を重ねる前、劣等感を感じる前、本当に本当の最初の気持ちは、嫌いとは違う形だった。今、ようやくそれを思い出した。いや、きっと自覚して無かっただけで心のどこかでずっとそう思っていたんだ。身体がボウッと熱くなり、拳を握りしめて沸き上がる感情を何とか押さえつけたまま、私は言葉を紡いでいく。
「長良さん……私は……阿賀野は……長良さんのこと……尊敬……してます……」
暖かい涙が頬を伝い、パタパタと握りしめた拳の上に溢れ落ちてくる。
「今も……昔も……これからだって……ずっとずっと……! 尊敬してます……!」
嗚咽を抑える為に唇をギュウウっと噛み締めると涙がさらに溢れてくる。
「だって……私にとって……阿賀野にとって……長良さんは……長良さんは……!」
そこまで言ったところで、長良さんの手が私の頬の涙を拭う。
「ありがとう阿賀野。そう言ってくれると長良も嬉しい」
堪えていた感情が一気に溢れた。堰を切ったように涙が零れ出した。
「長良さん……うっ……くっ……うあああああああ!!!」
声を上げ、大粒の涙を流して泣きじゃくる私を、長良さんは優しく抱きしめると、背中をさすってくれていた。私が泣き止むまで、ずっと、ずっと。