「二度と私の前に現れないでぇっ!!」
怒声が広がる。 頭から水をかけられた。 ああ、申し訳ない。
また、悲しい思い出を掘り起こしてしまった。 本当に、僕はどうしようもないクズ人間だ。
額を伝って地面へ流れ続ける水がいっそ僕の血液ならばいいのに。
乱雑な音と共に閉められた玄関の前にそっと封筒を置かせていただく。 重しがわりに花を添えた。 きっとこれも棄てられる。
そう分かっているけどやめられない。 お金や、献花なんてものでは決して埋めることのない傷を僕は彼女に与えた。
これは僕の自己満足に過ぎないのだろう。 死んだ人間が帰ってくるわけでもない、僕が彼女の立場だったらきっと、相手にもっと冷たく、殺してしまう程の憎しみを与えるだろう。
それでも、せめて、償いはしなければならない。 人間とお金を等価に扱うことはできないのは重々承知しているがしかし、お金がなければ相手に誠意を伝えることさえままならない。
いつか、もしも彼女がほんの少しだけでも傷を癒せた時に生活に苦労しないように。
償い続けなければ。 僕が死ぬまで。
深く頭を下げて帰路に着いた。
二月の寒さは濡れた服を容赦なく凍てつかせる。 風邪を引くわけにはいかない。 身体を壊すわけにはいかない。
「自分は命を奪っておいて…… 何考えてんだ…… 僕は。 明日、もう一度伺おう」
翌日。 隼人君の家族は引っ越したと、お隣さんから聞いた。 引越し先は知らないそうだ。 同情するかのような視線を僕に向けていた。
頭を下げて僕は帰路へ着いた。
今でもよく考える。 あの日あの時、もっと注意して運転していたらと。
車道の信号は黄色に変わった。 彼は歩道に立っていた。 他の学生たちはおしゃべりに夢中で、小さな女の子が道に飛び出した事に気づかなかった、彼以外。
僕はまっすぐ遠くを見ていた。 そう、確か二つ先の信号を。 この信号を通り過ぎて、そのまま全部躱せるかな、なんて事考えていた。
女の子が飛び出した理由は車道の向こうにあった。 その子の母親が歩行者信号を挟んで待っていたらしい。
速度はそこまで出ていなかった。 ただ、反応が遅れた。 間に合わない、神様に願った。
彼、隼人君は動いていた。 咄嗟に少女を歩道へ引っ張り込んだ。 自分の体勢を崩してまで。
後のことは、正直あまり覚えていない。
けたたましいサイレンの音。 遠くから携帯をかざす学生、近い年の男、若い女、子供。
気づけば僕は警察署へ。 そのまま気づけば執行猶予がついた前科持ちになっていた。
仕事はクビになった。 そりゃそうだ。 家も車も手放した。 とにかくお金を集めないと。 隼人君の遺族は僕に殺してやると告げた。 当たり前だ。 僕にできるのは、償う事だけ。
バイトを探した。 この歳で前科持ちでの正社員という夢は見なかった。 平日、土日。 業務内容関係なく、片っ端から全て受けてみた。 結局コンビニとビル清掃に落ち着いた。
娘、琴音は僕を励ました。 あれは、事故だと言ってくれた。 でも僕はそれを呑み込めない。 次第に僕は娘を少し遠ざけた、優しい言葉をかけられるとおかしくなりそうだったから。 会話はだんだん無くなった。
そんなこんなの日々を数ヶ月。
朝方警察が家を訪ねてきた、午前5時半。 吐く息真白に染まる1月中旬の事だ。
おかしな事を言ってきた。 琴音が死んだと。
何言ってんだ、琴音はそこで眠ってる。 僕は確かそう言って、静かに襖を開いた。
誰も、居なかった。
警察官は言った。
「恐らく深夜のうちに、学校の方へ向かわれたと……」
その言葉は多分一生忘れられない。
寒い、だってその前の週は雪が降ってて、地面だってスケート場みたく滑るような状態で。
そんな中を琴音は一人で死にに行った。
どうやら、琴音はイジメられていたそうだ。 僕のせいで。 人殺しの娘だっ、ていうせいで。
そうして気がつけば一年が過ぎていた。
そうして気がつけば全部失っていた。
家も、車も、仕事も、財産も、家族も。
そして唯一の生きる目的だった償うべき相手も。
「死ぬ事は、怖いなあ。 琴音はほんと、凄いなぁ、お父さん、お前と、美奈子と、家族みんな一緒にイキタカッタ…… よ」
店長から貰ったビールだけじゃ足りなかった。 安くてアルコール度数が高い酒を求めた。 視界は溶けて、地面はぐにゃぐにゃ。 部屋のそこら中にゲロと涙を撒き散らしながらひたすらに酒を煽った。
こうなるのが分かっていたから既にロープは結んである。 万が一の包丁も。
立っているのかどうかも定かでない感覚の中、何とか台代わりの椅子に立てた。 首にロープを通した。 酒はもう十分だ。
「美奈子、琴音、二人は一緒にいるのかなぁ? やっぱり、寂しいなぁ。 お父さん、人の事苦しめてばかりだったし、地獄行きだぁ」
椅子を蹴飛ばすのは、駅に向かうよりも遥かに簡単だった。
「いいえ。 貴方はそんなところには行きませんよ」
「……ああ、お迎えですか? 僕は、死んだのですか?」
「はい」
「そうですか…… 結局、逃げ出したんだ、僕は」
どうやら僕は償いから逃げて死んだらしい。
いかにも神様といった風体の存在からそう告げられた。
もう、全部がどうでもよかった。 死んでまでこの自我を保っていることが憎らしかった。
「本来であればこのまま転生の輪に加わる手筈なのですが、実はその前にお話がございます」
「はい、なんでしょうか」
「貴方が轢いてしまった少年の件でございます。 大変申し訳ありません。 あれは此方の不手際によって発生したものでございます」