ビルド NEW WORLD プリティーダービー   作:極み吠えるジンオウガ

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「天っ才物理学者の桐生戦兎は逆スカウトをされて相棒の万丈と共にマッドなウマ娘のアグネスタキオンのトレーナーをやる事に」
「学園に行ったら、まさかの幻さんと遭遇してコネであっさり許可されたんだよな。でも本当にトレーナーとしてやってけるのか?」
「この俺に任せておきなさいよ。なんたって天っ才ですから。まあ、そんなこんなありまして、桐生院葵というトレーナーに色々教えてもらいながら業務を進めていくのでした」
「桐生院って苗字、お前と似てて間違えそうだよな。改名したらどうだ?」
「するわけ無いでしょうが。そんな事よりさあどうなる第三話!」


リリックを奏でる者

 トレーナーとして就任してから数日が経過したある日の事。この日は休日だったのだが、戦兎はトレーナー室でパソコンに向かいながら一人黙々と作業をしていた。カタカタというタイピング音だけが響く室内で、戦兎はキーボードを叩く手を止めて大きく伸びをする。

 長時間同じ体勢で作業を続けていた為か、凝り固まっていた筋肉がほぐれていく感覚を覚えながら椅子から立ち上がると、徐に窓を開け放った。

 

「ふぅ……」

 

 外から流れ込んでくる心地の良い風を浴びながら、戦兎は大きく深呼吸する。

 ここ数日間はトレーニングメニューの作成に加え、ウマ娘に関する情報収集にも勤しんでいたせいもあって、疲労が溜まっていた様だった。最も、東都先端物質学研究所に在籍していた時にさせられた徹夜とは違い、自発的に行っている事なので然程苦には感じず、自らの知識欲を満たしているという意味では寧ろ充実感すら覚える程であるのだが。

 そんな事を考えながらも、戦兎は再び画面を見つめてマウスを操作していると、不意にトレーナー室の扉が開いた。

 

「戦兎ー、起きてるかー?」

「失礼するよ、トレーナー君」

「何だよお前等、ノックくらいしなさいよ」

 

 トレーニングを終えて部屋に戻ってきた万丈とジャージ姿のタキオンの二人に、戦兎が呆れた様子で言葉を返す。二人がトレーニングに行ったのは今朝方の事だったのだが、気が付けば時刻は既に昼前になっていた事に気が付き、戦兎は小さくため息を吐いた。

 

「今更気にする事でもねぇだろ。それより、缶コーヒー買って来たぞ。飲むか?」

 

 そう言うと、万丈は戦兎の言葉など気に留める素振りも見せず、手に持っていたコンビニの袋をテーブルに置くと、両の手に一本ずつ缶を握ると、片方を戦兎に差し出す。

 

「ああ、ありがとう」

 

 万丈が手に持っていた缶を、戦兎はモニターから視線を逸らさずに受け取り、プルタブを開けては中身を口に含む。程よく冷えた液体が喉を通っていくと、コーヒーの苦味と微かな酸味が口内に広がり、それが頭を冴え渡らせる。

 

「で、トレーニングの方はどんな感じなんだ?」

「順調だよ。トレーナ君の作った蹄鉄型端末のお陰で、バイタルにハロンタイム、フォームチェック以外にも色々なデータが即座に取れて、管理も楽に出来ている。データ解析と傾向分析に時間を割けるのは有難い限りだ。純粋に蹄鉄としての機能も優秀だしね」

「そっか、そりゃ良かった」

 

 戦兎は満足げに微笑むと、再び画面に向き直ってはキーボードを叩き始める。タキオンの視線の先にいる戦兎の顔は、どこか嬉しそうな表情を浮かべており、普段よりもどこか生き生きとしている様に見えたが、それも束の間。

 

「まあ、それ以上に、まさかモルモット君が私と併走出来るほどに足が速い事に驚かされたがね。」

「えっ、万丈お前タキオンと走ったの?」

 

 突然のタキオンの言葉に、戦兎は寸秒前に浮かべていた笑みを崩して驚きの声を上げながら振り返る。当の本人である万丈はプロテインラーメン昇龍と書かれた三人分のカップ麺に熱湯を注いでいた。どうやらコンビニで昼食を買ってきたらしく、万丈は戦兎の言葉に反応すると、二人に顔を向けずに言葉を続けた。

 

「ん?おう。最初は軽めにトロットくらいのペースでタキオンと土手を走ってたんだけどよ、途中からだんだんペース上げてきて、仕舞には全力疾走しろとか言い出してさ」

 

 思わず額に手を当てて俯く戦兎の反応に、万丈は疑問を抱きながらも手元にある三つのカップ麺の内の一つを差し出した。戦兎はそれを無言のまま受け取ると、万丈はもう一つの方をタキオンに渡す。

 

「危ないから表で全力疾走するのは止めなさいよ。幾ら万丈が筋肉バカで体力有り余ってるからって、一般人が巻き込まれたら怪我じゃ済まないんだからな」

「いや、俺も一般人だろ」

「ウマ娘と併走しておいてどの口が言ってんだ。兎に角、タキオンもあんまりこいつに変なことさせるんじゃないぞ」

 

 戦兎は万丈の反論を一蹴するとタキオンに注意を促そうとするが、彼女は何処吹く風といった様子で戦兎の話を聞き流して笑みを溢した。

 

「いやあ、好奇心が抑えられなくてつい、ね。一度モルモット君の身体も調べてみたいねえ」

「あ? 嫌に決まってるだろそんなもん」

「全く……。まあ、何も無かったならいいけど」

 

 悪びれる様子もなく笑うタキオンに戦兎は眉根を寄せながらため息を吐くも、すぐに諦めた様に肩を落とす。

 万丈に手渡されたカップ麺を手に持つと、トレーナー用のデスクから、タキオンと万丈が使っている大テーブルに場所を移し、パイプ椅子に腰掛けて蓋を開ける。戦兎が箸を割ると、万丈とタキオンも同様に自分の箸を持ってカップ麺を食べ始める。それから暫くの間は、三人が麺をすする音だけが、トレーナー室の中に響く。

 人が少ない休日の学園で過ごす静謐な一時は安閑とした気分になり、まるで時の流れが緩やかになった様な錯覚さえ覚える。そうして暫くの間を過ごしていると、不意に外から雨音が聞こえてきた。

 

「うわ、雨降ってきたのか」

 

 戦兎はカップ麺の容器を置いて立ち上がると、開け放っていた窓に歩み寄って、ことりと音を立てて閉めると外の様子を窺った。鈍色の空からしとしとと降り注ぐ小粒の雫は石畳の舗装を徐々に濡らしていき、土の匂いが鼻腔をくすぐる。そうしている間にも雨脚は次第に強まっていき、窓に付いた水滴が滔々とガラスの表面を伝って流れ落ちては、窓枠の端へと消えていく。その様子を見て戦兎は小さく嘆息を漏らすと、窓際を離れて再びパイプ椅子に座り込んだ。

 

「午後のトレーニングは無理そうだな」

 

 万丈は戦兎と同様に窓から外の様子を見ると、小さくため息を吐いては呟いた。

 

「この様子だと夜になるまでずっとこんな感じだろうな」

「それなら丁度良い。午後は実験に付き合って貰おうじゃないか」

 

 万丈に同調するように戦兎がそうぼやくと、二人の会話を聞いていたタキオンは口元に弧を描いて笑みを浮かべ、その言葉を待っていたと言わんばかりに声を上げた。

 

「実は今、筋機能測定装置を独自で開発しているんだが、是非ともトレーナー君の意見が聞きたくてね。こういう類のものは君の方が詳しいんじゃないかい?」

 

 期待に満ちた眼差しで見つめてくるタキオンに、戦兎は少し考える素振りを見せながらも、彼女の提案を受け入れることにした。

 

「まあ、そういう事なら構わないけど」

「よし、決まりだね」

 

  戦兎が了承の意を示すと、タキオンは嬉しそうな表情を浮かべては早速準備に取り掛かるべく席を立ち、トレーナー室の扉を開いて部屋を出て行く。その後を追う様に、戦兎と万丈もカップ麺の容器を捨てると、タキオンを追って部屋を後にする。そうして二人が向かった先は、タキオンが研究室として利用している旧理科準備室だった。

 

「ようこそ、私の研究室へ!」

 

 扉を開くと、タキオンは開口一番に大きな声でそう言った。室内には所狭しと置かれた大小様々な機器の数々、部屋の中央に置かれた中央実験台には妖しげな光を湛えた試験管やフラスコ、ビーカー等の硝子器具。そして、床には大量のバインダーファイルにノート、レポート用紙が散乱しており、それらは全て彼女が今まで研究してきたものなのだろうと容易に想像出来た。

 

「どうだい、探求心そそる部屋だろう?ちなみにそちらの半分は、知人のスペースでね。勝手に弄るととんでもなく恐ろしいことが起きるから気を付けたまえよ。私は研究資料が突然燃えて泣いた」

 

 得意げに語るタキオンの言葉を聞いて、戦兎は部屋の左手のコーナーに目を向ける。そこには彼女の言う通り、緑色のレザー生地のソファが置かれており、その脇には天球儀を模ったであろうアンティーク調の電灯が淡い光を広げて鎮座してはソファに翳りを落としている。更には天井から垂れ下がったオーナメントに加え、壁にはアールヌーヴォー柄に描かれた模様と、何処か前衛的でありながらも幻想的な雰囲気を醸し出すインテリアの数々が並べられていた。

 

「共同で使ってるのに半分以上も占拠してるじゃないのよ。ってか、床! 散らかり過ぎだろ!? ちゃんと片付けなさいよ、俺綺麗好きなんだぞ」

「おや、それは失敬。しかし、生憎だが床にある資料は全て研究ノートでね。手放す訳にはいかないんだよ」

 

 呆れた様子の戦兎が指摘すると、タキオンはさも当然と言った様子で答える。

 

「なら尚更片付けなさいよ」

「まあまあ、そんなことより、早く実験を始めようじゃないか」

 

 食い気味に突っ込む戦兎を宥めながら、タキオンは中央のテーブルに歩み寄ると、その上に置いてあった機械を指し示す。

 

「これが今回作っている筋機能測定装置だよ」

 

 そう言って彼女が指差した先には、モニターを備え付けた大型の機械が置かれていた。一見すれば何かの医療機器の様に見えるが、戦兎はそれが何なのかすぐに理解する。

 

「見た所、一般の評価装置と変わらないように見えるな。けど、態々自分で開発しているって事は、何かしら違う点がある訳か。」

「その通り。これは従来の評価装置の一千倍は詳細なデータを算出することが出来る優れものでね」

 

 戦兎の問い掛けにタキオンは不敵な笑みを浮かべて答える。

 

「一千倍……。凄い発明じゃないか!」

 

 戦兎はタキオンの口から発せられた言葉に驚愕すると、頭頂部の髪の毛の一部がそれに倣って跳ね上がる。

 その様子を目にした万丈はまた始まったといった面持ちで戦兎を見つめる。こうなってしまっては暫く収まらないのだと、これまでの経験則で知っていたからだ。そして案の定、戦兎とタキオンの視界に万丈の姿は既にあらず。二人は目の前の機械に夢中になっており、呪言のような会話を繰り広げ始めた。

 そんな様子を見た万丈は外の空気を吸ってくると伝え──二人がそれを聞いていたかは定かではないが、そう言い残し、一人実験室を後にした。

 それから、トレーナー室を出た万丈は、一人何処に行くわけでもなく、グラウンドへと来ていた。外は相変わらず雨が降り続けており、雨音が静かに鼓膜を震わせる。万丈は誰も走っていない蕭条(しょうじょう)とした様子のコースを、屋根の付いた観客席から眺めると、その場に腰を下ろして懐から、旧世界で恋人の残滓であるドラゴンフルボトルを取り出すと独り言つ。

 

「なあ香澄。俺、なんかとんでもない奴のトレーナーになっちまったみたいだわ」

 

 手に持ったボトルに視線を落とす。雨音に掻き消されてしまいそうな程小さな声で呟くと、彼は寂しげな笑みを浮かべて小さくため息を吐いた。

 

「駄目だなぁ、俺。一人になると、何時もこうして話しかけちまうよ。未だに香澄の事引きずってるみてえだ」

 

 そう呟いて万丈は空を仰ぐ。どんよりと濁った雲の隙間からは僅かに青空が見え隠れしており、まるで今の自分の心の中を表している様だと思った。いつか出会ったこの世界の自分と香澄。病魔に冒される事の無かったであろう彼女は、本当に幸せそうだった。そんな彼女を見て、嬉しいと思うと同時に、自分がそこにいない事に悲しみを覚え、彼女の隣にいた自分自身に対して嫉妬にも似た感情を抱いた。女々しい話だが、その気持ちは今もなお消えることなく、心の中で蟠りとして抱え続けている。

 

「痛っ! 何すんだよ!」

 

 そんな感傷に浸っていた万丈を現実に引き戻したのは、戦兎が万丈の為に開発したドラゴン型の小さな機械、クローズドラゴン。彼がその華奢な羽をはためかせならが彼の後頭部に噛みついたことによる痛みであった。

 

「なんだよ、人がしんみりしてる時に」

 

 そう言うと、今度はドラゴンが電子音じみた鳴き声と共に軽く炎を吹き出す。慰めのつもりなのか、或いは叱咤を飛ばしているのか、それは解らないが、少なくともその行為によって万丈の心は少しだけ軽くなった。

 そんなやり取りをしていると、不意に一人のウマ娘がグラウンドにやってきた。何かあったのかと遠巻きに見ていると、徐に雨が降っているにターフの上を駆け始めた。

 CBのバッジが付いた白いミニハットを頭に被ったその少女は、風の様に加速していくと茶色の長い髪を靡かせ、見る者の心を魅了して止まない、実に美しく、それでいて力強い――そんな走りをして見せた。万丈は思わずその光景に見惚れていると、不意にその少女と目が目が合った。すると、その瞬間に彼女の表情がぱあっと明るくなると、嬉しそうな声を上げて万丈の方へ走り寄ってきた。

 

「おーい! キミ、キミ! 今、暇? アタシと一回併走──」

 

 勢いよく声を掛けてきた彼女の言葉は、そこで途切れてしまう。

 

「あれ? キミ、トレーナーだったんだ」

 

 そういうと、少女はどこかガッカリしたような表情を浮かべる。どうやら併走相手にウマ娘を探していたようだが、残念ながら彼女の探し求めていた相手はトレーナーであり、期待していたのとは違ったらしい。

 

「ごめんごめん、雨でよく見えなくってさ。間違えちゃった。それじゃ!」

「待ってくれ!」

「ん?」

 

 慌ててその場を離れようとする彼女を、万丈は咄嵯に呼び止める。

 

「折角だし、併走させてくれよ」

 

 そう言って立ち上がると、先程まで眺めていたコースを指差す。突然の申し出を受けた彼女は、目を丸くしながら万丈の顔を見つめて答える。

 

「アタシはいいけど、キミ、人でしょ? アタシは自分のペースでしか走れないし、それに、もしかしたら怪我するかもしれないよ」

「心配してくれてありがとな。けど、筋肉には自信があるからよ」

「へぇ……。そこまで言うなら、いいよ。ちょっと面白そうだし」

 

 万丈の言葉に少女は興味を持ったようで、口元に微笑を浮かべる。それから二人はコースに並び立つと、スタートラインに足を置いた。そして、数秒の沈黙の後、万丈の掛け声と共にスタートしたのだが、結果だけを言うと惨敗であった。芝2000のコースを走った二人は、序盤は万丈が人間離れしたスピードで先行していたが、途中からスタミナ切れを起こしてしまい、中盤に差し掛かる辺りから徐々に引き離されていき、最後の直線に入った時には既に十バ身以上の差をつけられていた。

 万丈は肩で息をしながら地面に膝を着き、目の前に立つ少女の姿を見上げる。

 

「大丈夫? ほら、立てる?」

 

 そう言って手を差し伸べてくる彼女に万丈は感謝を告げると、差し出された手を掴んで立ち上がった。

 

「はぁ……はぁ……。やっぱ……全速力で……この距離は……勝てねえか」

「それでも、短距離ならウマ娘と張り合える人なんて初めてだよ。ビックリしちゃった」

 

 万丈も少女も、息を切らせながらそう呟くと、二人は再び観客席へと戻り腰を下ろす。それから暫くして、万丈の呼吸が落ち着いた頃、少女はおもむろに質問を投げ掛けてきた。

 

「結局、どうしてキミから併走なんて頼んできたの? 別に、アタシのこと気遣わなくても良かったのに」

 

 そう言うと、少女は何処か申し訳なさそうな表情を向けてきた。そんな彼女に対して万丈は首を横に振ると、言葉を返す。

 

「いや、俺が勝手にやりたかっただけのことだから気にしないでくれ。寧ろ、俺の方こそいきなり変な事言っちまって悪かった。こんな雨の中で風邪ひかせたら、担当トレーナーさんにも迷惑かけちまうってのに」

「ううん、そんなことないよ。アタシが最初に併走しようって言ったんだしさ。それにアタシ、トレーナーもいないしね」

「そうなのか? あんなにすげえ走りしてたのに」

 

 そう言うと、少女は寂しげな笑みを零す。その様子を目の当たりにした万丈は思わず口を噤むが、そんな彼に構わず、彼女は堰を切ったように様に己の過去を吐露しだす。

 

「アタシね、昔、名門って言われるクラブチームに入ってたんだ。そこで、いろんな有名トレーナーにトレーニングをつけてもらってた。『貴方の力は逃げてこそ活きる』『あらゆる状況に対応できるよういろんな走りを覚えよう』『そうすればG1勝利やURA賞の受賞、いや三冠ウマ娘だって夢じゃない』……そんな言葉を沢山貰った。けど、アタシは、G1勝利にも三冠ウマ娘にも興味が持てなかった」

「それでトレーナーがいなかったって訳か」

 

 彼女は淡々と語る。それは、自分の気持ちを誰かに聞いてもらいたい、というわけではなく、ただ自分が思っていることを言葉にして吐き出しているだけのように万丈の目には映った。

 

「そう。トレーナーにとって、何より欲しいものっていうのは分かってる。大きな実績で、唯一無二の誇りだっていうのも。でも、どうしても。どのレースにどう勝てば、どんな栄誉がもらえるだとか、何に何回勝てば、どれだけ凄いんだとか。そういうことに、心底興味が持てなかったんだ。それで……」

 

 そこで言葉を切ると、少女は空を見上げながら呟いた。

 

「トレーナー達と意見がぶつかっちゃってさ、辞めることになったんだ。……正直、今でもよく分かんないんだ。ウマ娘の未来の為に走りたい、っていうのも。誰かの笑顔が見たい、何かを盛り上げたい、そういうのもさ、素晴らしい事だって理解はしてる。でも、アタシにとってあそこは、そういうものじゃない。ただ走る為にあるもの、それだけのもの。……それこそが至上の幸福なんだ。けれど、結局は担当トレーナーに我慢をさせるのが嫌で何時まで経っても決められなくって。このままだと出走拒否と見做されて退学もあり得る、なんて言われてさ。ここ(トレセン学園)でなら、自由に走る方法があるかと思ったんだけどね」

 

 そう言い切ると、少女は万丈に視線を向ける。雨に濡れる少女の表情は、何処か寂しげで、誰にも理解される事のない孤独を背負った、そんな表情だった。それはまるで、戦兎に出会う前の自分を見ているようで。気が付けば万丈は無意識のうちに口を開いていた。

 

「自分の為、それでいいんじゃねえか」

「え?」

 

 万丈の言葉に少女は目を丸くする。

 

「確かに、誰かの力になれたら、心の底から嬉しくなって、くしゃっとなる奴もいれば、仲間や親、大切な誰かの為に戦うヒーローもいるだろうよ。けど、それ以上に俺は思うんだよ。最後に自分が笑顔で居れないと、周りの奴らが悲しい思いをする事もあんのかも知れねえって」

 

 そう言って、万丈は微笑を浮かべながら少女の瞳を真っ直ぐに見つめると語り続ける。

 

「実はよ、俺、元々格闘家だったんだ。けど、病気の恋人の手術費を稼ぐ為に、八百長試合をやって格闘界を追放されちまってよ。……それ自体は自分で決めてやった事だし、後悔はしてねえけど、それが理由で『私と出会わなければもっと幸せな人生があったはずなのに』なんて言わせちまって。それをずっと後悔してるんだ。ただでさえ病気で苦しい生活をしてたのに、こんなバカでどうしようもない奴のせいで更に辛い思いをさせちまったって」

 

 そう語ると、再びドラゴンフルボトルを手に取って一瞥すると、自嘲気味に笑みを零す。

 

「けど、それと同時に、『あなたのその拳で、多くの人の力になってあげてください』……そうも言われちまったんだ。あいつはきっと、自分の事なんかよりも、俺の幸せを願ってくれてたんだと思う」

 

 万丈は懐かしむように言葉を区切ると、何か重要な事を言い出すように唇を噛んで、続きの言葉を紡ぐ。

 

「だからその、上手くは言えねえけどさ。アンタが自由に走ることで誰かが笑顔になれるなら、それを望むトレーナーだってきっといるんじゃねえかな。少なくとも、俺はアンタが走りたいように走れるならそれが一番いいと思うしな」

「……そっか。キミは優しいんだね」

 

 万丈の話を聞き終えた少女は、静かにそう呟くと、優しく微笑みかける。その笑みは、今まで彼女が見せてきたものとは違い、とても穏やかで柔らかいものだった。そんな彼女の表情を見て、万丈もまた穏やかな笑みを浮かべた。

 それから暫くして、不意に万丈の携帯が鳴った。画面を見ると戦兎からの着信だった。

 

『万丈お前今どこいんだよ。さっさと戻って来なさいよ。置いて帰るぞ』

「あぁ、悪い、すぐ戻る」

 

 電話越しでも分かるほど不機嫌そうな戦兎の声を聞いて、万丈は慌てて通話を切ると、隣にいる少女の方へ向き直る。

 

「悪い、ちょっと呼ばれちまったからもう行くわ」

「あ、うん。引き留めちゃってごめんね」

「気にすんな。こっちこそ併走してくれて、ありがとな。風邪ひかないように気を付けろよ」

 

 そう言うと、万丈は自身が羽織っていたスカジャンを少女の肩に掛ける。そして、そのまま立ち去ろうとした時、少女はおもむろに口を開いた。

 

「ねえ、そういえば名前聞いてなかったよね。キミの名前、教えてくれるかな?」

 

 少女の問い掛けに万丈は振り返ると、大袈裟な身振り手振りで名乗る。

 

「俺か? 俺はな、バサッ、プロテインの貴公子、万丈龍我だ!」

「ふふっ、何それ、面白い自己紹介だね」

 

 万丈の妙なポーズと台詞に少女は思わず吹き出し、クスリと笑う。

 

「アタシの名前は、ミスターシービー。またどこかで会ったらよろしくね」

「おう! んじゃ、またな!」

 

 そう言って別れを告げると、先程までジャンパーの中でスリープ状態にあったクローズドラゴンが不機嫌そうに鳴き声を上げる。

 

「あーもう、分かったから怒るなって」

 

 万丈はそんな様子に困り顔になりながらも、その場から去って行った。その彼の後ろ姿を見送りながら、彼女は小さくなっていく背中に向かってポツリと呟いた。

 

「アタシが走る事で誰かが笑顔になる、か……」

 

 彼の放った言葉が、シービーの頭の中で残響の如く何度も繰り返される。

 万丈が立ち去った後も、しばらくの間、彼女はその場所に立ち尽くしていた。雨はまだ止みそうにない。けれど、雨音は不思議と弱まっていた。

 

 ──翌日。万丈は戦兎とタキオンの二人と共に、カフェテリアで昼食を摂っていた。窓際にあるテーブル席に座り、他愛のない会話を三人で繰り広げていると、不意に誰かから声を掛けられた。

 

「おっ、いたいた。やあ、昨日ぶりだね」

「おぉ、ミスターシービーじゃねえか」

 

 声の主は、学園の制服姿に身を包んだシービーだった。彼女は片手を上げながら万丈達のいるテーブルに歩み寄ると、空いている椅子を引き寄せて腰を下ろし、綺麗に折りたたまれたスカジャンを万丈に手渡した。

 

「はい、これ返すね。ありがとう」

「おお、わざわざ持ってきてくれたのか。別に返さなくても良かったけど、ありがとな」

 

 万丈は礼を言いながら受け取ったスカジャンをまじまじと見つめると、服に跳ねついた泥汚れや染みがなくなっている事に気が付いた。

 

「あれ、もしかして洗濯してくれたのか?」

「うん。せっかく貸して貰ったのに、汚しちゃったままだと申し訳ないしね」

 

 万丈の言葉に対して、シービーはそう答えると、二人の会話を聞いていた戦兎が話に加わる。

 

「あの、どちら様ですか……?」

 

 シービーと初対面である戦兎は困惑気味な表情でそう尋ねると、万丈は戦兎に彼女が何者かを説明した。

 

「あぁ、そういう事ね。……その節はウチのバカがご迷惑をおかけしたようで。」

 

 戦兎は万丈の説明を聞いて納得すると、わざとらしい口調で謝罪の言葉を口にすると、恭しく頭を下げた。

 

「おい、誰がバカだコラ」

「お前以外に誰がいるんだよ」

「モルモット君は直情型の脳筋だからねぇ」

 

 万丈のツッコミに戦兎とタキオンが続けて茶々を入れる。そんな彼等の様子を見て、シービーは可笑しそうに笑みを浮かべた。

 

「ふふっ、随分と賑やかなんだね」

「こいつと居ると四六時中こんな感じだよ」

「私としては実験材料が増えて嬉しい限りだけどね」

 

 溜息交じりに呟く戦兎に対して、タキオンは嬉々とした表情で語る。それから暫くして、シービーは何かを思い出したように戦兎へ視線を向けると、徐に口を開いた。

 

「あっ、そうだ。ねえキミ、午後の間、彼の事借りてもいいかな?」

 

 突然、万丈の事を借りたいと申し出るシービー。

 

「えっと、それは構わないけど、なんでまた急に?」

「ちょっと彼と話したい事があるんだけど、ダメかな?」

 

 戦兎が理由を聞くと、シービーはそう答えて万丈の方へ向き直る。

 

「まあ、俺達は平気だけど、万丈お前は?」

「ん?ああ、別に構わねえよ」

「よし、じゃあ決まりだね。行こうか」

「あっ、ちょっと待った!」

 

 そう言うと、彼女は万丈と連れ立って食堂を後にしようとするが、戦兎が慌てて二人を呼び止めると、万丈にある物を投げ渡す。

 

「万丈、これ持っていけよ。ほら」

 

 戦兎から投げ渡されたそれを慌てて受け止めると、万丈は手の中にある物に目を向けた。掌に収まる程の大きさのそれは、戦兎が普段使用しているビルドフォンだった。

 

「これ、戦兎のだろ? いいのか?」

 

 万丈は手に持ったバイクを見ながら確認を取ると、戦兎は肩をすくめながら呆れたような声で答える。

 

「お前用に新しく作ったんだよ。毎日出勤の度にお前を後ろに乗せるの面倒なんだから」

「そうなのか。悪いな、色々と手間掛けさせちまって」

「全くだ。感謝しろよ」

 

 万丈が謝辞を伝えると、戦兎は憎まれ口を叩いてから皮肉めいた笑みを浮かべる。そんなやり取りを終えると、二人は改めて食堂を出て行った。

 

「やれやれ、慌しい奴等だな」

「そうは言いつつも、トレーナー君は随分とモルモット君に甘いみたいだがね」

「うるせえ、ほっとけ」

 

 二人が居なくなった事で、場は途端に静まり返る。そんな中、タキオンの呟きに対して、ぶっきらぼうにそう返すと、白い陶器のコーヒーカップを手に取り、湯気の立つ液体を静かに口に含んで喉の奥へと流し込んだ。

 

「まあ、あいつには何度も救われたからな。それくらいの事はしてやりたいってだけだよ」

「藪から棒になんだい。惚気話に興味はないんだがね」

 

 タキオンは戦兎の言葉を冗談混じりに受け流すと、大量の角砂糖が含まれた紅茶を飲み干す。そして、空になったカップをソーサーに置くと、座席から立ち上がって伸びをした。

 

「さて、我々も昨日の実験の続きといこうじゃないか」

「はいはい、分かりましたよ」

 

 そう言って、戦兎は椅子に掛けていたトレンチコートを羽織ると、タキオンと共に実験室へと向かった。

 

 

 

「んー! やっぱりここは気持ちいいな。……誰かと来るなんて久し振りかも」

 

 学園から数キロ程離れた、小高い丘の上にある公園。その頂上に位置する展望台にて、シービーは両手を大きく広げて深呼吸をすると、眼下に広がる街並みを眺めていた。雲一つない青空の下、穏やかな風が吹き抜ける中で、彼女はゆっくりと目を閉じて耳を澄ます。──風の音、鳥達の鳴き声、木々の葉擦れの音。自然が奏でる様々な音が、彼女の耳に心地よく響く。やがて、それらを聞き終えた後、彼女は万丈に向かって話を切り出した。

 

「キミの相棒のトレーナー、凄い発明をするんだね。まさかスマホがバイクに変形するだなんて驚いたよ」

 

 シービーはそう呟きながら、戦兎が万丈に手渡したビルドフォンを見つめた。

 

「まあ、戦兎のヤツは天才だからな。アイツが言ってることは大体分かんねえけど、俺達の為に色々と考えてくれてるんだよ」

「彼の事、信頼してるんだね」

 

 万丈の言葉に、シービーは優しい笑みを浮かべながらそう言うと、万丈が座っているベンチの隣に腰を下ろした。

 

「まあな。あいつが居なければ、きっと俺は誰かの為に戦う事も、人を信じる事も出来なかったと思う。戦兎は、俺にとってのヒーローなんだよ」

「そうなんだ」

 

 万丈は遠くに見える景色に視線を移しながら感慨深い面持ちで語る。そんな彼の横顔を見て、シービーは小さく微笑むと万丈と同じように視線を前へ向けた。それから暫くの間、二人は無言のまま街の風景を眺めていたが、万丈の方から沈黙を破るように口を開いた。

 

「それで、俺に話したい事って何なんだ?」

 

 万丈はそう切り出すと、隣に居るシービーに視線を向ける。

 

「……昨日さ、キミがアタシに言ってくれた言葉があったでしょ。それで、自分なりに考えてみて分かったんだ」

 

 万丈からの問い掛けに対して、少し間を置いてからシービーは答えた。

 

「アタシね、縛られるの苦手なんだ」

「……だろうな」

「自分の為に走る事しかアタシは出来ないし、今もこれからも、きっと誰かの為に走れる事なんて無いと思ってる」

 

 万丈の相槌に対して、淡々と言葉を紡ぐシービー。その表情からは感情を読み取る事は出来ず、彼女はただ真っ直ぐに正面に広がる街並みを見据えていた。そして、数秒ほどの間を開けてから彼女は再び語り始める。

 

「けど、君が言ってくれたみたいに、アタシが自由に走る事で君みたいなトレーナーが笑顔になれるなら、それはピタっと当てはまる気がするんだよね」

 

 万丈へ顔を向けながら、シービーはそう告げる。

 

「アタシは自由に走って、君はそれに夢を見る。変わった関係かもしれないけど、それは凄く心地良い、アタシからは生まれない不思議な追い風なんだ」

「つまり、どういう事だ?」

 

 要領を得ないといった様子の万丈に対し、シービーは笑みを浮かべると答える。

 

「君が良ければさ、アタシと契約しない?」

 

 シービーはそう言って右手を差し伸べる。

 万丈は、その手を取るべきか逡巡した。言ってしまえば、自身はトレーナーとしての能力は期待できるわけでも無い。そんな自分が彼女と契約をするよりも、他に相応しい人間は幾らでもいると考えたからだ。

 しかし、旧世界で過ごした時に教えられた、伸ばされた手を掴む事の意味。それを理解した万丈が出す答えは一つだった。

 

「おう、これからよろしくな」

 

 最も、その後戦兎とタキオンから、やたらと根掘り葉掘りと事情を聞かれる事にはなったが、彼女もタキオンと同じ様に、トレーナーと契約をせず、退学になりかけていた事を聞かされるとすぐに納得されるのだった。




とんだ年末ジャンボっすね(投稿が遅れた事に猛省する先パピ)

シービーと万丈っていろんな所で対称的だなと思って(建前)
ぬかせ!!オレはいつでもマックスハートだぁ!!!!!(本音)

コメントで行間が欲しいと意見をいただいたのでセリフと地の文に間を開けてみました他によさげな案があればオナシャス
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