ビルド NEW WORLD プリティーダービー   作:極み吠えるジンオウガ

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トゥインクルシリーズ開幕

 月日というものは瞬く間に流れていくもので、季節は初夏へと移り変わり、六月を迎えた。梅雨入りしてから数日が経ち、雨は降らずとも曇天が続く日々が続いている。そんな鬱屈とした天気模様の下、戦兎と万丈はいつものように一台のマシンビルダーに乗って、トレセン学園に向かっていた。

 

「にしても、今日のデビュー戦、本当に大丈夫なのか?」

「まあ、なんとかなるだろ」

「他人事かよ……」

 

 競技者時代の経験故か、不安の色を隠せない様子の万丈に、戦兎は軽く受け流すように答える。だが、それは決して楽観視している訳ではなく、ただ単に事実を述べているに過ぎない。

 

「実際、トレーナーの俺達が本番に出来る事なんて限られてるんだから、後はあいつらを信じてやるしかないだろ」

「それはそうだけどよ」

 

 万丈が不服そうに言葉を漏らすと、バイクが信号に引っかかったタイミングで、戦兎が話題を変える。

 

「何にせよ、やれる事はやったんだ。お前は担当に恥をかかせないようにズボンのチャックを閉めておけ」

「マジか!?」

 

 戦兎の冗談めかした物言いに、万丈は自身のズボンに視線を落とすと、慌ててファスナーを上げる。そうこうしている間にも信号が青に変わり、戦兎は再びバイクを走らせた。

 それから程なくして、二人は学園に到着すると、その向かいにある寮の前でタキオンと合流した。

 

「おっ、来たか」

「やあやあトレーナー君、おはよう」

「おう。それじゃあ行くか」

 

 戦兎がヘルメットを手渡しながら言うと、タキオンは受け取ったそれを被り、マシンビルダーの後部座席に跨る。万丈もそれに倣うようにして自身のバイクを展開させてエンジンを始動させると、三人を乗せた二台は目的地の東京レース場へと向かって走り出した。

 

 数分程走った所でケヤキ並木の通りに差し掛かると、その中に目的の場所が見えてきた。レンガ風のサイディングが施された一階部分と、ガラス張りの二階部分で構成された正門入り口と幅広の歩道。その脇にある停車帯にバイクを停めるとビルドフォンの状態に戻し、荘厳な装飾のされた門を潜ろうとする戦兎達だが、不意に彼らを呼び止める声が聞こえて来た。

 

「戦兎!」

 

 呼ばれて振り返ると、そこには見慣れた面々が戦兎達の方に向かって歩いて来ていた。

 

「一海、皆。どうしてここに?」

「どうしたもこうもねえよ。お前らの教え子のデビュー戦だって聞いて、応援に来たに決まってんじゃねえか」

 

 戦兎の問いに対して、代表するように一海が答える。彼の後ろでは美空に紗羽、幻徳の三人も揃っており、タキオンは幻徳の顔を視界に入れると徐に口を開いた。

 

「おや、君はあの時の」

「あ? 何だよヒゲ、知り合いか?」

 

 一海が怪しげに眉根を寄せて訊ねる。すると、幻徳が「ああ」と短く返事をして、彼女の言葉を継いだ。

 

「仕事で視察をしてた時に、こいつらが一緒に行動してた所に遭遇してな。その時、少し話しただけだが」

 

 顎をしゃくるようにして、戦兎を指し示し説明する幻徳。それを聞いて、一海はああと頷いて納得したような表情を浮かべると、今度は戦兎の方へ向き直って言った。

 

「それで、今日走るのはその子なのか?」

「いや、今日は別の子だ。そっちは先に会場に行ってる」

「成程な。なら、また後で落ち合うか。出走準備とかあるだろ」

「ああ」

 

 戦兎が短く答えると、一海は戦兎の肩に手を置いて激励の言葉を投げかけた。

 

「じゃあ、頑張ってこいよ」

「よしポテト、場内の店を片っ端から制覇するぞ!」

「あっ、待てってのヒゲ!」

 

 踵を返して歩き出す幻徳の後を一海が追っていく。

 

「また後でね」

「頑張ってね、戦兎君」

 

 次いで、美空と紗羽が笑顔を見せて手を振りながら戦兎達に別れを告げると、二人もまた、先に行った者達を追ってその場を離れて行った。

 

「頑張るのは俺らじゃねえんだけどな」

 

 遠ざかっていく四人の背中を見つめ、万丈がぼそりと溢す。その呟きを戦兎とタキオンは特に拾う事無く、今度こそ門を潜ってシービーの控え室へと向かった。

 出走するウマ娘が待機する控え室前の廊下。騒々しさと熱気に包まれた中で行われるレース場の表と異なり、静寂に包まれたこの空間に居ると、『彼女なら大丈夫』という熱を帯びた楽観的な思考も鳴りを潜め、代わりに緊張と不安が心を浮足立たせてくる。

 

「ここか」

 

 そんな感覚に苛まれながらも、戦兎は二人と共に控え室の扉の前に立つと、『ミスターシービー様』と記されたプレートを確認してからノックをする。

 

「どうぞー」

 

 僅かに間を置いて、本人の声とは異なる誰かの声が入室を促す。その聞き覚えのある声に一瞬だけ疑問を抱くも、それに従ってドアノブを開けて部屋に入ると、体操着に着替えて、朗らかな笑みを湛えながらこちらに目を遣るシービーの姿があり、その傍らには生徒会長のシンボリルドルフと、スーパーカーの異名を持つ、マルゼンスキーの二人が居た。

 

「調子はどうだー? って、会長とマルゼンスキーじゃねえか」

「やあ。トレーナー、タキオン」

「邪魔しているよ」

 

 万丈が二人の名を口にすると、ルドルフが柔和な笑みと共に挨拶を返し、それに続いてマルゼンも軽く片手を挙げて微笑んだ。

 

「態々来てくれたのか」

「激励もそうだが、改めて君達に礼を言いたくてね」

「礼?」

「彼女と、アグネスタキオンの事さ」

 

 戦兎の疑問にルドルフは何処か淀みながらそう言うと、視線をタキオンへ向ける。

 

「既に理事長からも聞かされていただろうが、君達が二人を受け持つことが無ければ、学園側は愁苦辛勤の思いだが退学勧告を出さざるを得なかった。しかし君達のおかげで、学園側としても、そして私個人としても感恩戴徳な事に、二人はこうして無事デビュー戦を迎える事が出来た」

「それに関しては、まあ。……けど、まだ結果を出した訳でもないし、これからだよ」

「そうだな。君の言う通りだと私も思う」

 

 彼女はそう頷くと、不意に真剣味を帯びた眼差しを戦兎へと向けた。

 

「言うまでもないが、事が事だけに、今回の件は容認されるべきという声もある一方で、理事長の采配に疑問を呈する声も少なくない。前例の無い事である以上、それは致し方ない事ではあるが、やはりその声を無視する事は出来ない」

 

 そこで一度言葉を区切ると、彼女は戦兎達を順に見据えて、再度口を開く。

 

「……だからこそ、酷な話ではあるが、君達には雲蒸竜変たる活躍を見せ、それを払拭して欲しいと思っている」

「期待に添えられるよう努力はするよ」

「全く、君達は相変わらず生真面目さが過ぎるね」

 

 神妙な面持ちで告げる彼女の言葉に、戦兎は自信があるとも無さげとも取れる曖昧な笑みを浮かべて応じる一方で、その様子を傍観していたタキオンがほとほと呆れ果てた様子を見せた。

 

「そうそう。ルドルフもトレーナーも、あんまり難しく考えすぎちゃダメだよ。折角のレース、楽しまなきゃ損でしょ?」

「ふふ、それもそうだな」

 

 シービーの一言で場の空気が弛緩し、ルドルフは思わずといった感じに小さく笑う。

 

「と、そろそろかな。時間だ」

「ああ、健闘を祈るよ」

 

 壁に掛けられた時計を見て、シービーが呟いた。時刻は第一レースが終わったであろう頃合いの、十時半付近を指し示している。彼女が出走する第三レースは今からほぼ一時間後で、パドックに行く前に身体検査を行う都合上、そろそろ控室を出て移動しなければならない。

 

「頑張りたまえよ」

「いってらっしゃい、シービーちゃん! ほら、トレーナーさん達も!」

「頑張れよ、シービー」

「思い切り走ってこい」

 

 マルゼンに促されるまま、万丈と戦兎も激励の言葉を掛ける。

 

「皆ありがとう。それじゃ、行ってくる」

 

 彼女らしく笑顔を見せて応えると、シービーは控え室を後にした。

 

 その背を見送り、部屋を後にした戦兎達は一海達との合流も兼ねて、パドックへ向かうことにした。ルドルフとマルゼンは、三人が知人と会うのであればと、気を利かせて別で行動をしようとしたが、どうせ一海達が気にする事もなかろうと有耶無耶のまま同行することになった。

 

「おう戦兎、龍我、こっちだ」

 

 パドックに着いて辺りを見渡していると、戦兎達を見つけた一海が最前列から手招きをして声を掛けてきた。その横では美空と紗羽も一緒になって手を振っている。

 

「悪い、待たせた」

「気にすんな、仕事なんだからよ。それより……あ? って、シンボリルドルフとマルゼンスキーじゃねえか! どうしてこんな大物と一緒に居るんだよ?」

 

 戦兎の謝罪に対して鷹揚に返すと、次いで視界に入ったルドルフとマルゼンの姿に気付いて、一海が驚きの声を上げる。

 

「はは……驚かせてしまったのであれば申し訳ない。実は、彼等の担当ウマ娘が私達の友人でして。鼓舞激励をしようと、こうして同伴させて貰った次第です」

「そうそう! 8枠のシービーちゃん、激マブよ!」

「成る程な、それで」

「そういう訳」

「なあ、紗羽さん。そういや幻さん見ないけど、何処行ったんだ?」

 

 二人の説明に一海が得心がいったように二度三度と首を縦に振っていると、万丈は周囲を見渡しながら紗羽へ尋ねる。

 

「ん? 幻さんなら――」

「ポテトー!」

 

 その問いに答えようとした紗羽だったが、それよりも早く、スタンドの方からその当人である幻徳が一海を呼ぶ大声と共に、勢いよく戦兎達の下へ駆け寄ってきた。

 

「おいヒゲ、遅えよ! お前買うのだけにどんだけ時間掛かってんだよ!」

「仕方ないだろう! 並んでて中々進まなかったんだよ!」

「他に空いてる店あるだろうが」

「いいだろう! 俺はこれが食いたかったんだよ!」

 

 やけに意気込んで語る幻徳の両手には、何本かのモツ串が入ったトレーが握られており、腕に掛けたビニール袋の中にはまた別の食べ物が入っているのが見える。

 

「何だよそれ」

「もうそんなのどうでもいいし!」

 

 呆れ顔を見せる一海の横で、美空が二人を、叫ぶようにして制止する。

 

「どうかしたのかい、会長。そんな驚いた顔をして」

「ああいや、私事でこうして氷室さんと会うのは初めてだったのでね。謹厳実直だと思っていただけに少し意外だったのさ」

 

 そんな騒々しいやり取りを遠巻きに見ていたルドルフが、タキオンに訊ねられて苦笑を浮かべる。普段学園で見る事の無い、幻徳の砕けた態度とその変わり様が余程衝撃的だったのか、その表情からは明らかに困惑の色が見て取れた。しかし、それも無理はないかと戦兎は内心で納得していると、紗羽が会話に加わる。

 

「普段からあんな感じなの。だからまあ、あまり気にしないであげて」

「そうなんですね。……ですが、ああやって一張一弛に振舞えるのが、私にとっては羨ましい限りです。どうにも私は威圧感というか、杓子定規な印象を与えているようで、よく生徒達からも距離を置かれてしまうものですから」

 

 そう語るルドルフの口調はどこか寂しげなもので、彼女の言葉通り、真面目な人柄が災いして周りとの壁を感じているのが、その雰囲気から見て取れるようであった。

 

「ルドルフったら、後輩にどう接したらいいかあたしにまで熱心に相談してきたものね」

「恥ずかしい限りだがね。治らぬ癖、というのも困りものだ」

 

 そう言って彼女は気まずげに苦笑いを零す。

 

「つっても、幻さんはあんまり参考にしちゃいけない気がするけどな」

 

 万丈の呟きに同感だ、と戦兎も小さく相槌を返すと、それを聞きつけた幻徳がこちらへと近付いてきた。

 

「おう、なんだお前等、俺の話して。それより葛城、お前らもモツ串食うか? 人数分買ってきてやったぞ」

 

 幻徳は口角を吊り上げながらそう言うと、持っていたトレーを戦兎達の方へ向けてそう訊いてくる。後ろでは、一海と美空の二人が既に幻徳から手渡されたであろうそれを頬張っている。

 

「いや、遠慮しとく」

「俺もいらねえ。二人にやるよ」

 

 差し出されたモツ串を戦兎と万丈は断り、タキオン達に渡すように促す。幻徳はそれを受けて、特に文句を言う訳でもなくそれぞれに手渡した。

 それから程無くして、身体検査を終えたウマ娘達がパドックへと姿を現すと、場内の空気が俄に沸き立ち始める。

 

「いよいよだな」

「ああ」

 

 アナウンスと共にパドックに現れた出走者達を見つめて、万丈と戦兎が静かに呟く。レース前の彼女達の様子を見るに、緊張からかやや表情が硬い者もいれば、反対にリラックスした様子を見せている者もおり、三者三様といった様相である。

 

『続いて8枠11番、ミスターシービー』

 

 そして遂に、彼女の名前が呼ばれる。ランウェイの緞帳が開き、現れたはこの場にいるどの選手よりも存在感を放ち、周囲の視線を一身に受けながらも悠然と佇むウマ娘。

 

「ミスターシービー、あの子か」

 

 一海がパドックに現れたシービーを見て、そう呟いた。他の面々も同様に、彼女の姿を見据えている。

 

「緊張した様子も無さげだな」

「素質故、でしょうね。誰よりも走る事に心酔している彼女にとって、これほどまでに待ち焦がれた瞬間は無かった筈ですから」

 

 幻徳の言葉に、ルドルフはその瞳に熱を宿しながら答えた。この時を迎える事を切望していたのは彼女も同じだと言わんばかりに、その表情には抑えきれない喜悦が滲み出ている。

 自分もそうであればどれだけ楽だったかと、戦兎は硬さを帯びた時間の中で考える。

 

「シービー君と違って、君は随分と緊張しているようだね」

 

 タキオンが横目で戦兎の様子を窺いながら言った。

 

「そりゃあな。こんな経験今まで無い訳だし……っ! お前ら何すんだよ」

 

 ふと、万丈と一海が戦兎の脇腹を突いてくる。

 

「なーに緊張なんてしてんだ、らしくもねえ」

「全くだな。大体、お前もなんとかなるだろって言ってたじゃねえか」

「そりゃあ言ったけど、それとこれとは話が別でしょうが」

 

 戦兎は眉根を寄せながら答える。

 

「トレーナー君は、担当ウマ娘の勝利を信じていないのかい?」

「おうそうだ、もっと言ってやれ!」

 

 タキオンの問い掛けに、一海が囃し立てるようにして同調しながら戦兎の肩に腕を乗せる。

 

「どっちの味方だよお前」

 

 冗談気味にそう返すと、一海は口角を弓なりに曲げて、まあ、気持ちは分からんでもないけどなと返した。

 そんなやり取りをしている間に、第三レースの本バ場入場が始まる旨を伝えるアナウンサの声が聞こえてきた。

 

「もう始まるみたいだけど、そろそろスタンドに行った方がいいんじゃないの?」

「そうだな、行くか」

 

 美空の呼びかけに応え、戦兎達は観客席へと向かう。屋外スタンド最前列、ターフビジョンが良く見えるウイナーズサークルの横に位置取りをして、レースの開始を待つ。程なくしてメイクデビューを告げるファンファーレが鳴り響くと、場内の喧騒と共に地下バ道から各ウマ娘達が続々と姿を現していく。

 

『東京レース場第三レース、出走メンバーの登場です。メイクデビュー東京芝2000m、天候は晴れ、馬場状態は良の発表となっております。十一人のウマ娘がこの舞台に上がりました。1枠1番――』

 

 実況アナウンサーによる紹介に続いて、1枠から順に名前が読み上げられていくその背後で、各ウマ娘が1コーナーのポケットへと向かう。

 

『8枠11番、ミスターシービー。一番最後に名前が呼ばれました。本日1番人気です』

 

 最後の一人の紹介が終わり、発走直前までコース上でウォームアップを行う者、ゲート前で精神を統一する者など、それぞれの方法でその時を待っている。

 戦兎は柵に身を預けながら、ゲート前の様子が写されたモニターに目を遣る。頭の中が、真っ白になっていた。

 そしてその時が来た。

 

『全ウマ娘が出揃いまして、スタートの準備が整いました。一生に一度のメイクデビュー戦、果たしてどの子が栄光を掴むのか』

 

 アナウンスが途切れ、一瞬の静寂が場を支配し――ゲートが開くと同時に、その沈黙を破るようにして一斉にウマ娘達が走り出した。

 

『各ウマ娘一斉にスタートしました! 5番キタノエンペラーが大きく出遅れて最後方からのレース展開、注目の先行争いは7番ノースリリー、6番ミリアムホワイトの2人でしょうか。各ウマ娘、第二コーナーを回って向正面へと入っていきます』

「出だしは悪くないな」

 

 第一コーナーで先頭争いをしている二人の映像が写されたモニターを見て呟く。追い込み脚質のシービーが仕掛けるべきタイミングは、第四コーナーを曲がった最終直線の高低差2mの急坂。

 

『さあ、ここで7番ノースリリーが先頭に出ます、リードは6番ミリアムホワイトから1バ身。更に半バ身、外側9番シンカングローリー、そして内側4番グラッドクレール、次いで5番ブランハッピーの五人が先頭集団を形成しています。そこから少し離れて5番コートロワ、1番テオデュール、8番リゴレットが中団グループ』

 

 向正面の展開。流れは速くなり、先頭のウマ娘が後続を突き放したままレースは第三コーナーに突入していく。

 

『第三コーナーへ向かいます、後方は2番ルビーブラック、11番ミスターシービー、10番ソレイユアート。そして最後方に5番キタノエンペラー。おっと、ここでミスターシービーが動いた!』

 

 アナウンサーの声に反応するように、画面内のシービーがペースを上げて前に出る。他の追随を許さない圧倒的スピード。その背中を追うように、他のウマ娘達もペースを上げていき、全体の流れが更に加速していく。レースの展開は、シービーを中心に動いていた。

 

『大ケヤキを超えて第四コーナーへ! 11番ミスターシービー、ここで先頭に立つが7番ノースリリーも負けじと食らいつく。第四コーナーを曲がって直線コース、ミスターシービーが完全に抜け出して残り400』

「行けえぇっ!!」

 

 万丈に一海、そして幻徳が拳を突き上げながら叫ぶ。周りの観客もまた、同じように声援を飛ばしている。戦兎はただ黙したまま、食い入るようにターフを見つめていた。

 

『ここで6番ミリアムホワイトがノースリリーを抜かしてミスターシービーに食らいつく! が、ミスターシービー、残り300でスパート! 後続を突き放しにかかった。3バ身、4バ身とリードを広げていく! そしてミリアムホワイトがここで失速、二番手争いは中を行く9番シンカングローリーと外を行く4番グラッドクレール。さあ残り200を切った! 11番ミスターシービー、リードを保ったまま独走態勢、二番はシンカングローリー。11番のミスターシービー完勝のゴールイン!』

 

 一着でゴール板を通過したシービーの姿が写し出される。歓声の中、彼女はスタンドに向けて軽く手を振りながら笑顔を見せていた。

 

「おっしゃあ!」

「やったな戦兎!」

 

 万丈が両手の平を打ち鳴らしながら雄叫びを響かせる傍ら、一海が戦兎の肩に腕を回しながら喜びの声を上げる。

 

「ああ。けど、まだ一勝目だ。ここからが本番だな」

「確かにそうだ。だが、今は勝利を祝おうじゃないか」

 

 幻徳は革ジャンのファスナーを開けると、紫地に白い字で――

 

『祝勝!』

 

 と描かれた文字を掲げて、したり顔を浮かべる。

 

「ヒゲお前……それ負けたらどうするつもりだったんだよ」

「え?」

「考えてなかったのかよ! いいけどよ」

 

 毎度のごとくに披露される幻徳のTシャツ芸を見て、一海は見飽きたと言いたげな表情を浮かべてそう答えた。

 

「ま、いつもの事でしょ。それより、俺らはあいつの所に行ってくる。万丈、タキオン、行くぞ」

 

 背後で11の文字が黄色く光っている掲示板を親指で示すと皆に目配せをして、未だシービーの圧倒的な走りで、熱気に包まれたスタンドを後にして地下バ道へと向かった。

 

 

 仄白い光が灯る地下バ道の片隅で、シービーの戻りを待つ。異質な雰囲気を放つこの空間には、夢破れてレースを終えたウマ娘達が続々と戻ってきており、寂寥感にも似た重苦しい空気が立ち込めていた。そんな雰囲気に耐えかねた戦兎が、口を開く。

 

「……勝ったな」

「何だよ急に。そりゃあ勝ちはしたけどよ」

 

 戦兎の言葉に、万丈は訝し気な視線を向ける。

 

「いや、負けたウマ娘達の気持ちを考えると、どうしてもな。複雑っていうか」

「それが勝負の世界ってもんだろ。いちいち気にしてたらキリねえし、お前が気に病む事でもないだろ」

「そうだともトレーナー君。そのような思考に囚われていては、徒に時間を浪費するだけさ」

 

 戦兎の心情を理解しつつも、万丈とタキオンは淡々と答える。尤も、三人に二人は未勝利で終わるとされる峻厳なレースの世界において、その言葉は正論に過ぎない。しかし、それでもどこか割り切れない想いは残る。

 そんなやり取りをしている間にも、シービーが戻ってきた。

 

「おかえり」

「ただいま」

「で、どうだった? 初のトゥインクル・シリーズのレースは」

「うん、すっごい楽しかった」

 

 屈託のない笑みと共に、シービーは戦兎に答える。

 

「そっか。なら、良かったよ」

 

 その様子を見届けると、戦兎は胸中に渦巻く複雑な感情を抑え込みながら、静かに微笑んで見せた。

 

 レースを終えて引き上げてきたウマ娘の様子が見えるプレビュー。戦兎達が別で行動をしている最中、一海達はそこでレースを終えたシービー達が戻るのを待っていた。

 

「あ、戦兎達戻って来た」

「ほんとだ。手振ったら気づくかな?」

 

 実の姉妹の様に仲睦まじい様子を見せながら、ショーウインドウ越しに映る戦兎達の姿を指差して呟く美空と紗羽。幻徳は二人を横目に見ながら、彼女らに倣ってプレビュー前の柵にもたれかかっていると、ルドルフが氷室さん、と声を掛けて来た。

 

「ん? どうかしたか」

「いえ、此度の件でまだ謝辞の一言も述べられていなかったと思いまして。改めて、今回の一件では大変お世話になりました。ありがとうございます」

 

 恭しく頭を下げて礼を言う彼女に、幻徳は片手を挙げて応える。

 

「気にするな。俺が勝手にやったことだ。それに、上手く事が運んだのも、多治見大臣の助力があったからこそだ。礼なら、彼女に俺から伝えておこう」

「そうですか。お心遣い、感謝します」

「首相が協力してくれたのか」

「はっはーん、戦兎はともかく、龍我が何でトレーナーになれたのかと思ったがそういう事か」

 

 幻徳が語る内容に、隣にいた一海が驚きを伴った表情で問いかける。

 

「ああ。葛城の名前を出したら、二つ返事で話を聞いてくれてな。まあ、試験がどうだったかは俺も聞いていないが……」

 

 幻徳がそう答えると、一海はそうかと短く相槌を打って、安堵と悵然とが織り交ぜになった表情を浮かべた。

 キルバスの一件で記憶を取り戻した事による負の側面。幻徳の様に、パンドラボックスの光を浴びた者が正気を取り戻したのであれば、殊更その影響は大きかったに違いない。今の新世界で再び国事に携わる一方で、彼女が抱えているであろう心理的外傷を思えば、一海としては手放しに喜ぶ事はできなかった。

 さりとて心の内の問題はそう簡単に解決できるものでもなく、時間をかけて彼女なりに折り合いを付けていくしかない。一海がそう考えていると、ルドルフがふと迫るような顔付きで語りかけてくる。

 

「ところで氷室さん。個人的な質問、よろしいでしょうか?」

「どうした」

「先程から気になっていたのですが、その中に着ているTシャツ、そちらは何処で買われたのでしょうか?」

「これか? 全てオーダーメイドだ。お前も欲しいのか?」

 

 そう言って、幻徳は自身の胸にプリントされた文字を指差す。

 

「いやいや止めた方が良いぞ。こんな文字T着てると周りに引かれるぞ」

「引かれる? 誰が? 誰、俺?」

 

 一海の忠告に、幻徳が眉をひそめて疑問符を浮かべていると、ルドルフは小声でマルゼンに耳打ちをする。

 

「マルゼンスキー。ああいった類のシャツ、私は好ましいと思うのだが、世間一般から見てはそうなのだろうか」

「そうね、ちょーっち独特なセンスだと思うわよ」

 

 ルドルフの問いにマルゼンは困ったように笑みを浮かべながら答える一方で、幻徳は何故自分のセンスが伝わらないのかと不満げな面持ちを見せる。そして、そんなやりとりをしている間に、戦兎達が戻ってきた。

 

「おっ、いたいた。って、何やってんだあいつら」

 

 口を半開きにして、呆けた顔を見せる万丈。その視線の先では、幻徳が自身のTシャツの文字を見せつけるようにしながら周囲の反応を窺っており、事情を把握していない者にとっては何とも奇妙な光景が繰り広げられていた。

 

「トレーナーの知り合い?」

「残念ながらな。どうせまたいつもの事だろ」

「いつも?」

 

 シービーが困惑気味に訊ねる一方、万丈はだろうな、と適当に相槌を返して美空達の元へと歩み寄る。

 

「あ、おかえり」

「おう」

 

 戦兎達の帰りに気付いて声をかける美空に、戦兎が軽く片手を翻して応じる。その美空の姿を認めたシービーは僅かの間に記憶を辿り、あの時の、と呟いて目を丸くさせた。

 

「美空ちゃん、会った事あるの?」

「うん。前に一度、戦兎達とnascitaに来た事があるの」

 

 そういう事だったんだ、と紗羽が納得していると戦兎達の元に一海達も合流する。

 

「おう、戻ったか。にしても、見事な走りだったな」

 

 一海が労いの言葉と共にシービーのレースについて賞賛すると、彼女は口元を綻ばせて嬉しそうに微笑む。その様子からは、レースに対する充足感が十分に伝わってきた。

 

「ふふっ、ありがと」

「それで葛城、お前らはこの後どうするんだ? ウイニングライブまで、まだ時間はあるんだろ」

 

 携帯の時刻表示を確認しながら、幻徳が訊ねる。時刻は正午を過ぎた頃合い。レース後に行われるライブに備えて控え室に向かうには、些か早すぎる時間帯であり、熱気が冷めるまでは時間を持て余しかねない状況だろう。そう考えていると、シービーがあっけらかんとした様子で答えた。

 

「そうそう、それなんだけどさ。今から散歩に行ってきてもいいかな。レースの後だからか、凄く気分が昂ぶっちゃって」

「構わないけど、ライブに間に合うように時間までには帰ってこいよ。あと、あまり遠くに行くんじゃねえぞ、遅刻したら迷惑がかかるんだから」

「お袋かよ。そんなに心配なら、俺が一緒に行けば大丈夫だろ」

 

 過保護なまでに言い聞かせる戦兎の振る舞いに、万丈が親指を突き立てて自身を指し示しながら言う。

 

「シービーが構わないならそれでいいけど」

「トレーナーが付いていきたいなら、アタシはそれでいいよ」

 

 特に気にするといった素振りを見せずに承諾の意を示すと、シービーは善は急げと言わんばかりに、早速万丈に行こうかと声をかけて、足取りも軽やかにプレビューエリアから去っていった。

 

 会場から立ち去る二人の背を見送った後、戦兎達はこれからどうするかを改めて話し合い、結局は残りのレースを観戦して時間を潰す事にした。

 

「それにしても、中々戻ってこないね」

 

 全レースの出走を終えて迎えた夕方。暮れ色に染まった空がターフを包み込む中、美空がぽつりと呟いた。その言葉の通り、既にライブの準備が始まっているが、シービー達はまだ姿を見せていない。

 ライブが始まるまで一時間を切り、流石に遅すぎるのではないかと思い始めていると、ようやく待ち人は姿を現した。

 

「悪い、遅れた」

「遅かったじゃねえか。どこ行ってたんだよ」

「ごめんね。色んな所を寄り道してたら遅くなっちゃって」

 

 ばつが悪そうに語るシービー。その様子に気を咎められた戦兎は、まあ間に合ったから良いけどと付け加えると、ライブの開始に間に合うように彼女を控え室に向かわせた。

 それから無為に進んでいく時間の中で、戦兎は落日が薄闇に溶け込んでいく様を漫然と眺めながらライブが始まるのを待つ。

 

「どうかしたのかい、トレーナー君。そんな顔で黄昏て」

 

 戦兎を除いた他の皆が会話に花を咲かせている中、タキオンが不意に声を掛けてきた。

 

「考え事だよ」

「ふぅン? 君はいつも何かしら無駄なことに思索を巡らせているね」

「おかげさまでな」

 

 皮肉めかしてそうぼやくと、戦兎は視線を夕空に戻して小さく呟く。

 

「タキオンは、ウイニングライブについてどう思う?」

「また唐突だね。質問の意図は何だい?」

 

 突然投げかけられた問いに、タキオンは訝し気な視線を向けながら問いかけ返す。彼女の反応に戦兎は何となくな、と答えにならない返事を返した。

 

「そうだね……。ライブに基づく情動と身体の相互関係という要素はまだ検討していないが、興味はあるね」

 

 求めている様な回答は来ないだろう、という予想通りの答えに、そうかと戦兎は軽く相槌を返し、タキオンとの対話を打ち切る。そして、再び黙考の世界へと意識を沈めていった。

 それから暫くして会場内にウイニングライブの開始の旨を告げるアナウンスがされると、微睡みの中で漂っていた意識が現実へと引き戻される。

 照明が落とされて暗くなった内バ場から、埋め込まれたされたステージがせり上がっていく。金がかかっているなと呆れ半分に感心しつつ、観客としてその様子を眺めていると、舞台衣装に身を包んだシービーが姿を現した。

 燦然と輝くスポットライトの中で、センターポジションに佇む彼女。その立ち振る舞いには一点の曇りも無く、堂々とした佇まいで場内に響き渡る歌声は観客席にいる誰もを魅了させる。

 レース場での緊張感が嘘のように、穏やかで柔らかな旋律が流れる。その美しい調べは、聴く者の心を安らぎで満たしていくようであった。

 

「あっ、トレーナー。どうだった? 今日のライブ」

 

 終演後、控え室を訪れた戦兎達をシービーが出迎えた。疲労の色を見せずにはにかむ彼女の頬を、レース後の興奮と達成感の程を語るように一筋の汗が伝っていく。

 

「おお、マジで最高だったぜ!」

「いやあ、実に素晴らしかったじゃないか。それでシービー君、ライブを経て君の体調はどうだったかい? 心拍数の上昇は? 体温の上昇は?」

「ほらほら、困らせるんじゃないよ。二週間後にお前も走るんだから、その時に自分で確かめればいいでしょうが」

 

 万丈がライブの感想を語って盛り上がっている傍らで、質問攻めにしようとするタキオンを宥める戦兎。それぞれの気の抜けた声が、いつもの日常を呼び戻してくれる。どこか硬さを帯びた空気が和らいでいき、その心地良さに戦兎は自然と笑みを浮かべていた。

 

「さて、他の奴らを待たせるわけにもいかないし、さっさと帰るとしますか」

 

 色の抜けた部屋の中に戦兎の声が響く。慌しかった一日も終わり、明日には皆が各々の生活に戻っていく。今日という日が、また一つの節目を迎えたような気がした。

 

 控え室を後にして、帰路に就く前に美空達の元へと挨拶をしに向かう。ライブも終わり、閑散とした会場の中では関係者以外の姿は殆ど見受けられず、美空達の姿はすぐに見つかった。

 

「お疲れ様」

「おう」

 

 戦兎達に気付いた美空が労いの言葉を掛けると、万丈が軽く片手を上げて応じる。

 

「悪いな、こんな時間まで待たせて。一海は帰りの新幹線とかは大丈夫なのか?」

「今からでも十分間に合う時間だから問題ねえよ。最悪、みーたんに泊めて貰えばいいしな」

 

 冗談交じりに語る一海に、美空が恥ずかしいから止めて欲しいんだけどと小突きながら苦言を呈する。いつものような気持ちの悪いドルオタムーブは本人と結ばれても健在のようで、戦兎と万丈はげんなりとした表情と共に、相変わらずだなと思わずにはいられなかった。

 

「まあ、赤羽達だけに仕事を任せるのも忍びねえし、そろそろ帰ろうかとは思ってたところだけどよ」

「カズミンお前、ちゃんと一人で東京駅まで戻れんのかよ」

 

 万丈の指摘を受けた一海は、大丈夫だろと自信ありげな様子を見せる。

 

「大体お前な、幾ら俺が方向音痴つっても一度通った道を間違える訳ねえだろ」

「本当かよ……」

 

 尚も疑念の眼差しを向ける万丈に、美空を付き添わせればいいだろと戦兎が提案すると、それもそうだなと納得した様子を見せた。

 それから暫しの間、他愛のない会話を続けてから戦兎達は別れを告げ、タキオンとシービーをそれぞれの寮と自宅に送り届けるために会場出口に向かうと、そこで思わぬ人物と鉢合わせた。

 

「あ、お父さん、お母さん! 来てたんだ」

 

 シービーが嬉々として駆け寄った先にいたのは、彼女の父と母であった。

 

「と、そうそう。こちらアタシのトレーナーとチームメイト」

 

 シービーがそう紹介すると、本人によく似た柔和な笑みを湛えた壮年の女性――彼女の母が恭しく頭を下げた。

 

「初めまして。いつもウチの子がお世話になってます」

 

 丁寧な所作で挨拶をするシービーの母に、戦兎と万丈も釣られて会釈を返しながら応対する。

 

「いえ。こちらこそ、新人トレーナーとして娘さんから色々と学ぶことばかりで、ご迷惑をお掛けしていなければ良いのですが」

「そんな、とんでもない。娘がですね、時折貴方達の話をしてくれるんですよ。自由を尊重させてくれる優しいトレーナーだと」

 

 謙遜を込めて言葉を返す戦兎だったが、シービーの父からの思わぬ返答に、ふっと相好を崩す。

 

「親としても、娘には自由でいて欲しいんです。でも、やはり心配は尽きないものですから。トレーナーの方やチームメンバーの子がそれを大事にしてくれているようで安心しました」

 

 安堵の笑みを浮かべて語る彼。その言葉の端には、幼い頃から何度と他人と衝突してきた娘に対する憂慮と愛情が滲んでいるような気がした。

 

「ふふ、心配性なんだよね」

 

 隣に立つシービーが口元に手を当てて小さく笑うと、父の隣に並ぶ彼女の母は困ったものねと言いつつも、微笑ましそうな面持ちをしていた。

 

「そういう訳ですから、どうか、これからも娘を宜しくお願いしますね」

 

 シービーの両親は揃って戦兎達に向き直ると、再度深々と頭を下げる。その真摯な態度と想いを前にして、戦兎と万丈は改めて自分達の決意を胸に刻み込み、深く首肯することでそれに答えた。

 

「と、そうだ! ねえ、この後皆ご飯食べていかない? うちの料理はどれも絶品なんだよ」

 

 挨拶も程々にそろそろ、と考えていると、不意にシービーがそう提案する。

 

「それはいいわね。中々お会いできる機会も無かったですし」

 

 食事をすること自体は吝かではないが、用意する手間をかけることになってしまっては申し訳ないと戦兎が考える傍らで、彼女の母が賛同の声を上がる。

 

「けど、迷惑じゃないですか? 急に押しかけても」

 

 それでも如何なものかと、万丈が遠慮がちにそう尋ねると、シービーの父は構いませんよと笑いかけながら応じる。

 

「娘の学園での様子も訊かせていただければと思いますので。皆さんさえ良ければ是非」

 

 両親の言葉を受けて、戦兎がタキオンへと視線を送ると、その意図を理解したらしく特に断る理由も無いと承諾の意を示す。であればと、戦兎達も有難く厚意に甘えることにして、シービーの家で共に食事を取ることとした。

 

「へえ、親父さんは元トレーナーだったのか」

 

 シービー宅のリビング。戦兎達が食卓を囲む中で、彼女が語った父の経歴に、日本酒が注がれた陶器を手にしながら万丈が呟いた。

 

「うん。現役時代は凄かったんだって。重賞ウマ娘を育てた名トレーナーだって」

 

 グラスに注がれた麦茶を口にしながら、シービーが楽しげな口調で語る。彼女の父はウマ娘史上に名を残す名トレーナーであり、皐月賞に有馬記念の他、多くの重賞を制したのだという。

 

「そうは言っても、もう十五年以上前の話ですがね」

「でも、どうしてトレーナーを辞めることになったんですか?」

 

 戦兎が素朴な疑問を投げかけると、彼に代わってシービーが答える。

 

「それがね、お父さんとお母さん、二人は昔、元担当トレーナーとウマ娘って関係だったんだ」

「ああ、それで……」

「駆け落ちとは、また情熱的だねえ」

 

 二人の馴れ初めに納得すると同時、向かいに座るタキオンが愉快そうに感想を述べる一方で、戦兎はそれ以上言及するのは野暮だろうと察して口を閉じると黙々と箸を進めることにした。

 

「そういえばトレーナーさん、最近の娘の様子はどうですか?」

 

 話題を変えるように、シービーの母親が戦兎達に問い掛ける。

 

「ああ……よく散歩に出かけてますよ。今日もレース後すぐに出ていきましたし」

 

 万丈が口を開くと、シービーの母はやっぱり、と言わんばかりに表情を綻ばせた。

 

「大変でしょう、私たちもたまに一緒に行くのですが。本当に破天荒というか」

「まあ、確かに……」

 

 母の言葉に、万丈がシービーの奔放な振る舞いを思い浮かべて頷いていると、何か勘違いをしたのか両親が慌てた様子で言葉を続ける。

 

「でも……でもですね、トレーナーさん! いいところもあるんですよ!」

「そうそう、舗装された道路は歩かない。だからこそ知らない世界が開けていくんです」

 

 熱弁を振るう両親に戦兎達は気圧されながらも、どうにか二人を窘めながら言葉を返す。

 

「いえ、あの、大丈夫ですよ。俺もこいつらも慣れてるんで」

「お、おう。……それにシービーの自由さは、長所っていうか。なんていうか、素晴らしいものだと俺は思ってます」

 

 戦兎と万丈が言い淀みながら告げた言葉に、両親は目を丸くして驚きを露わにした。

 

「そうですか……! そう信じてくださるのですね。よかった……」

「シービーが貴方達を選んだ理由がわかりました。チームメイトさん共々、これからもよろしくお願いしますね」

 

 戦兎達の返答に感極まった様子の両親は、そう言って再度深々と頭を下げた。

 それから暫くの間、戦兎達とシービーの両親で会話を交わしていたが、気付けば時刻は夜の九時を回った。タキオンの門限もあるのでそろそろ失礼しようかということになり、立ち上がると、そこで戦兎はあることを思い出した。

 

「ってか万丈お前酒飲んでたじゃねえか」

「あ」

 

 すっかり忘れていたと言わんばかりの顔をする万丈に、戦兎は呆れて溜息を漏らす。

 

「すいません。このバカ、もうしばらく預かって貰えませんか」

「あら、構いませんよ。こちらこそごめんなさいね、気付かなくて」

 

 戦兎が頭を下げると、シービーの母親は申し訳なさそうな顔を浮かべる。そんなやり取りを経て、戦兎とタキオンはシービー宅を出ると、マシンビルダーに跨って学園へ戻る道を進む。

 夜も更けているので辺りは既に暗く、街灯や家々から漏れ出る光が道標のように点在していた。

 

 二人が学園へ戻っている最中、万丈とシービーは酔い覚ましついでにと、多摩川の土手沿いの遊歩道を歩いていた。

 

「ありがとね。お父さんの晩酌の相手をしてもらって」

 

 隣を歩く万丈に、シービーが穏やかな声音で語りかける。

 

「別に大したことねえよ。ま、戦兎には悪いことしちまったけど」

 

 万丈が苦笑しながら応じると、シービーも釣られて笑う。河川敷へと続く斜面に並んで腰掛けながら、二人は暫し無言のまま目下に広がる多摩川の景色を眺める。

 塔から頼りなく細いケーブルを無数に張り巡らせて、対岸の街明かりへと伸びる是政橋。その道路に等間隔で設置された橙色の街灯が、暗闇の中を静かに流れる水面の上に灯篭流しの様な淡い光を落とし、誰を弔うわけでもなくただ無機質な川の流れに沿ってゆっくりと揺れている。

 その光景はどこか寂しげで、そして美しかった。

 

「ねえ」

 

 川の流れと、時折聞こえてくる車の音だけが響く静謐な空気の中で、不意にシービーが口を開いた。

 

「さっきさ、キミが両親の前でアタシの自由さは長所だって言ってくれたよね」

「ああ。けど、それがどうかしたか?」

「あれ、凄く嬉しかったんだ」

 

 暗がりの中で態々表情を伺う真似などしないが、声色から察するにきっと彼女は微笑んでいるのだろう。万丈はそう思いながら、シービーへ視線を向けることなく、また言葉を投げかけることもなく、彼女の話に耳を傾けた。

 

「アタシが自由奔放なことはさ、周りにいい影響を与えてこなかったから。レース関係では特にね。指導してくれる人を、がっかりさせたり怒らせたりしてばっかりだった。だから、君がああ言ってくれたことで凄く勇気づけられた」

「そういうの、気にするタイプだったんだな」

「それは、アタシだって生きてるから。君と出会ったときにも言ったけどさ、アタシはルドルフやマルゼンスキーみたいに、誰かの為に走ることに感心はするけど、自分でやろうとは思えない。けど、それを客観的に見るとさ」

 

 そこまで言うと、シービーは一度言葉を切り、僅かに躊躇った様子を見せた後に続けた。

 

「なにか大事なものが欠けてるんじゃないかって思ったから」

 

 シービーの言葉を受けて、万丈は漸く彼女に視線を向けた。月明かりに照らされた横顔は普段の快活な表情とは少し違う、物憂げなものだった。

 

「気にする必要なんてねえよ。お前は何も欠けてなんかねえからな」

 

 万丈はかぶりを振ってそう言いながら、シービーの頭を優しく撫でる。

 

「今はまだ、自分の為に走る。それでいいんじゃねえかな。いつか守りたいものが見つかれば、お前も誰かの為に走ることができるようになるはずだからよ」

 

 それだけ告げて、シービーの頭に乗せた手を離すと、法面の上で寝そべって空を見上げる。東京の空では星は見えない。しかし、それでも視界一杯に広がる濃紺のキャンバスの中で、朱色の光を帯びて浮かぶ満月が煌々と輝いていた。シービーもまた、万丈に倣って隣で仰向けになる。

 

「おっ、満月か。綺麗だな」

 

 万丈が思わず呟きを漏らすと、シービーも彼の言葉をなぞるように、夜天に浮かぶ望月に目を遣る。

 

「ほんとだ。今日はストロベリームーンなんだね」

「ストロベリー? 苺がどう関係あるんだよ」

 

 シービーの口から飛び出した聞き慣れない単語に、万丈は首を傾げる。

 

「アメリカの先住民が、毎月の満月に付けていた名前のこと。この時期に苺の収穫をすることからそう呼ばれるようになったんだって」

「へえ、よく知ってんな」

「ストロベリームーンは縁結びの象徴だから。両親が昔教えてくれたんだ」

「ふーん」

 

 万丈は感嘆の声を上げながら、もう一度夜空に目を向ける。

 

「そういえばさ、キミって恋人がいるんでしょ? どんな人なの?」

「あ? なんだよ急に」

「アタシとキミの仲じゃない。教えてよ」

 

 シービーは上半身を起こすと、興味津々といった様子で万丈の顔を覗き込む。万丈は少し困ったような顔をするが、観念したのかシービーの目を見て答え始める。

 

「いい奴だったよ。俺には似合わないくらい、真っ直ぐで眩しくてな」

「その言い方だと、別れちゃったの?」

「いや、別れたっていうか……死んでるけど生きてるっつうか……」

「どういうこと?」

 

 要領を得ない説明にシービーが困惑の色を濃くすると、万丈は苦笑を浮かべながら言葉を続ける。

 

「悪い。うまく言えねえや」

「そういうこともあるよね。でも、キミが凄く大切に思ってる人なのは伝わったよ」

 

 万丈は笑みを返すと、ゆっくりと上体を起こして立ち上がる。

 

「さて、戦兎を待たせる前に帰るとすっか」

「そうだね」

 

 二人は並んで歩き出すと、土手の斜面を登っていく。茫洋と広がる暗い海の中で、儚げに揺らめく朧月が二人を見守るように、静かに照らしていた。




やっべ~~~投稿遅れすぎて 
南半球になっちゃった・・・

泣きました、僕は強化人間C4-621でG13で戦友でビジターです(AC6面白いね)

プロット自体は大まかに出来てるんで頑張ります
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