ビルド NEW WORLD プリティーダービー 作:極み吠えるジンオウガ
「けどまさか生徒会長が見に来るとは思わなかったよな。もし負けたらどうなってたんだろうな」
「そりゃあ、生徒会権限でクビになってたんじゃない?」
「マジで!?」
「冗談に決まってるでしょうが! さあさあ、どうなる第七話!」
シービーのメイクデビュー戦を終えて二週間が経った金曜日の週末。戦兎達は電車に揺られて品川へと向かっていた。
「やっぱり大阪と言えばたこ焼きだろ」
「お好み焼きも捨て難いよね」
車内で隣同士に立つ万丈とシービーが、楽しげに声を上げて呟く。
「お前ら、観光に行くわけじゃねえんだぞ」
戦兎は小さく溜め息を吐きながら、目の前で盛り上がる二人の会話に口を挟む。こうして大阪に赴くことになった理由は、タキオンのメイクデビューが明日に控えているからであって、決して遊びに行くわけではないのだが、肝心の本人が余りにも緊張感のない様子なので二人も釣られて気が緩んでいるようであった。
「いいだろ飯の話題ぐらい。どうせあっちで晩飯食うんだしよ」
そう語る万丈の隣では、シービーが無邪気な笑顔でうんうんと同意している。明日のレースは昼頃から行われるので、それに備えて今日の内に東京を離れて、大阪入りをするという手筈になっていた。
「トレーナー君、私は甘味が食べたいね」
「体重管理もあるからダメ。レース終わった後の楽しみにしときなさいよ」
タキオンの注文を呆れ気味に突っ撥ねると、戦兎は窓の外を流れる景色を眺める。ビルや住宅が建ち並ぶ都会の風景は、梅雨の入りを迎えたばかりだというのに既に薄暑と言える様な熱量を帯びていて、もうすぐ本格的に夏を迎えようとしていることを感じさせる。そんなことを思いつつ視線を車窓から車内へ戻すと、タキオンと目が合った。
「どうかしたのかい、トレーナー君」
「いや、シービーもそうだったけど、レース前だってのに全く緊張してねえなって思っただけ」
咄嗟に誤魔化してそう答えると、タキオンは何を言うかと思えば、という表情を見せる。
「当然さ。私にとってレースは研究の延長線上にあるものでしかないからね。そこに特別な感情を抱くことはないよ」
淡々と答えるタキオンだったが、その口調からは普段の彼女からはあまり感じられない自信のようなものが伺えた。そうこう話をしているうちに、電車は品川駅に停車し、乗客の多くが降車する。戦兎達も荷物を手に降りると、改札口を抜けて新幹線に乗り継いでいった。
「やっと着いたー!」
夕方頃になって大阪駅に着くと、万丈が早々に伸びをしながら大声で叫ぶ。
「うるさいよバカ。周りの迷惑考えなさい」
冷ややかな目で万丈を見ながら注意すると、地図を表示しながら予約していたホテルへと向かう。
駅から十分ほど歩いて、目的地のビジネスホテルに着くとそそくさとチェックインを済ませ、戦兎と万丈、シービーとタキオンの二人に分かれて部屋に入った。
「っあー!」
万丈が床に青いボストンバッグを落とすように置くと、万丈と戦兎の二人で、それぞれのベッドの上に飛び乗るようにして、仰向けに大の字で倒れ込む。
「久々に長距離の移動だったし、流石に疲れたな……」
「アラサーにはキツかったってか?」
「はあ? まだ二十代なんですけど」
「同じようなモンだろ」
万丈の茶化すような物言いに、戦兎は半身を起こして力こぶを作るポーズを取りながら反論する。そうして他愛もない話をしていると、部屋の扉がノックされる音が聞こえてきた。二人がベッドから降りてドアを開けると、シービーとタキオンの姿があった。
「おう。どうした?」
「これからご飯を食べに行こうと思ってさ。一緒に行かない?」
シービーの提案に、万丈は腕時計に目をやる。時刻は午後六時を回ったところだった。普段から気ままに行動する彼女が誘うとは珍しいと思いながらも、大阪に来たばかりで土地勘もなく、特に行きたい店があるわけでもなかったのでその誘いに乗ることにした。
大阪の繁華街は人の往来が激しく、外は既に陽が落ちているが、明かりも絶えることが無い。行き交う人々の喧騒を聞き流し、戦兎達はシービーの先導に従って歩く。
「それで、何処に行くかは決まっているのかい?」
先を行くシービーに、タキオンが問いかける。
「そうだな……。今はお好み焼きが食べたい気分かな」
「どっか当てがあんのか?」
「まさか。良さげな雰囲気がする方に行けばあるかなーって」
万丈の質問に対してシービーはあっけらかんと答えると、再び前を向いて歩き出す。自由を信条に掲げるシービーにとって、場所が変わろうと彼女の為すことに変わりはないらしい。とはいえ、この調子ではいつまで経っても目的の場所に辿り着けそうにないので、結局は戦兎が調べた店で食事を済ませることにした。
宵の時が過ぎ去る前に、四人は食事を終えてホテルへの帰路に就く。大阪の夜は短く、賑やかな街は灯を点し続けているが、裏通りに入ると途端に人影は疎らになっていく。
「さて、明日は本番だ。早めに寝ておけよ」
部屋に戻るエレベーターの中で、戦兎はタキオンに向けて言葉をかける。
「分かっているとも。私の研究者人生を左右する最初の一戦だ。無様な姿を晒すつもりは無いよ」
「ならいいんだけど」
タキオンの言葉に、戦兎はどこか引っかかるものを感じつつも返事をする。だが、その違和感の正体は分からないまま、エレベーターの扉が開かれた。
廊下を進んで自分達の部屋の前まで来ると、カードキーを取り出して解錠する。
「じゃあ、また明日」
「ああ、おやすみ」
タキオンとシービーが部屋に入るのを見届けてから、戦兎と万丈もそれぞれの自室へと入っていった。
翌日、メイクデビュー戦当日。天候は曇天で、今にも雨が降ってもおかしくない空模様。しかし、レース場である阪神競馬場には大勢の観客が詰めかけており、スタンドからは熱気が伝わってくる。
戦兎達はタキオンの控室で待機し、レース開始の時間を待っていた。
「そろそろか……」
戦兎は椅子に腰掛けながら、腕時計を見て呟く。二度目の経験と言えど、やはり他人の人生、その一端を担うという重責は、決して慣れるようなものではない。
だが、それを感じているのは自分だけで、タキオンはいつものように涼しい顔をしているだろう。そう思ってはみたが、珍しくタキオンも黙り込んだまま硬い表情を浮かべていた。
「なんだ、タキオンまで緊張してんのか?」
「緊張? 私が? まさか」
万丈の言葉に、彼女は肩をすくめて返す。
「研究室の紅茶が切れたことを憂いていたのさ。私としたことが買い足し忘れていてね」
「そんなことかよ!」
「何だい、そんなこととは。モルモット君だってプロテインとラーメンが無くなったら困るだろう?」
「それは、そうだな……」
言いくるめられて押し黙った万丈を無視して、タキオンは続ける。
「そうだ、レース中でいいから買ってきてくれ。サバラガムワかキーマンがいい」
「だってさ。万丈行ってこいよ」
「何でだよ! お前が行く流れだったろ!」
突然の振りに万丈が抗議の声を上げると、タキオンがわざとらしく溜め息を吐いてみせた。
「どっちでもいいが、とにかく頼んだよ。さて、私はそろそろ時間だから行くとするよ」
そう言って、彼女は戦兎達の横を通り抜けて控え室を出ていってしまった。残された三人の間には沈黙が流れるが、それも一瞬のことだった。
「俺達も行くか」
「紅茶はいいの?」
「帰り際にでも寄れば大丈夫だろ」
シービーの問いに答えながら、戦兎達も控え室を後にしてパドックへ向かう。
既にメインスタンドとパドックを繋ぐコンコースからは既に多くの観客が押し寄せてきている。人波に揉まれるのは避けたかったので三階の西テラスから遠巻きにその様子を眺めることにした。
暫くして身体検査を終えたウマ娘達が地下バ道から姿を現すと、空気が色めき立つのを感じる。皆、これから行われるレースで勝つために努力を重ねてきた者達であり、その熱量が見る者にまで伝播しているようだった。
『第6レース、ジュニア級メイクデビュー芝2000m。出走ウマ娘の紹介です』
アナウンスがスピーカーを通して会場内に響くと、ランウェイの上を順繰りに立つウマ娘の紹介が行われる。
『4枠4番アグネスタキオン、3番人気です』
タキオンはゆっくりとした歩調でランウェイの上でポーズを決め、観客席に向かってアピールをする。
「3番人気か。思ったより低いんじゃねえか?」
「昨日の公開タイムだと目立つ数字では無かったしな。あいつの事だから、どうせ流して走ってたんだろうけど」
レース開催の数日前に行われるトレーニングで記録されたタイムは、URAを経由して各メディアに公開されることになっている。当然のことではあるが、公開されたデータによって人気や実力はある程度判断されるものとなるが、タキオンの出したレコードは他の有力ウマ娘よりは一段階劣るものだったためか、3番人気に留まっていた。
「まあでも、タキオンらしいよね」
シービーはそう言うと、手すりに肘を置いて頬杖をついた。そうしている内にもパドックでのお披露目が終わり、本バ場入場へと移行する。
戦兎達もコンコースを通り抜けてスタンドに移動し、ゲート入りを待つ。然程待たずしてファンファーレが鳴り響くと、地下バ道から姿を現したウマ娘達がスタンドの前を通り抜けてスタート地点へと向かっていく。
『阪神レース、6レース芝2000m10人です。全ウマ娘のデビュー戦、ゲート入りはスタンド前の右手より』
実況アナウンサーの声と共に、スタンド正面に設けられたターフビジョンを見遣る。今回のレースはタキオン以外にも有力とされているウマ娘が四人いる。
既にクラシックでの活躍が期待されているウマレナガラノ。母に南関東三冠ウマ娘を持つマルチアドレス。神の寵愛を授かったとまで言われたセキショウファラオ。そして、名家出身のウマ娘として活躍は絶対とされるアプラウドチョイス。メイクデビュー戦とはいえ、いずれも将来を期待された実力者揃いである。
『ダイボンリキが向かいます。マルチアドレス、アグネスタキオンと収まってセイシュウディム入りました。最後に、ウィキャントダンス、10番ゲート収まります。ゲートイン完了』
最後のウマ娘がゲートに入り終えると、場内は一瞬の静寂に包まれ、直後にゲートが一斉に開かれた。
『スタートしました! 十人まずは先行争いに入りますが、マルチアドレスいいスタートいいダッシュ。まずマルチアドレスが先頭に立ちました、二番手にはリンノキングです。三番手にはダイボンリキ、後四番目セキショウファラオ、その後ろファーストヘッド中団です。更に、アグネスタキオン、それからウィキャントダンス、後方から三人目セイシュウディム。その後にウマレナガラノ後ろから二番目、アプラウドチョイスは最後方の追想体系で各ウマ娘、一コーナーから二コーナーへ向かいます』
ゲートを飛び出したウマ娘達が歓声を受けてスタンド前を駆けていく。最初の直線コースは淀みなく流れていき、戦兎達はターフビジョンに映し出されるレース展開に目を向けた。
『先ず、マルチアドレス先頭で一二コーナーの中間、マルチアドレスが先頭、リード3バ身になりましたやや縦長です。後二番手にはリンノキングが付けています。三番手にはダイボンリキで二コーナーから向こう正面。四番手にはセキショウファラオ、縦長なバラバラの展開。後は5、6バ身切りましたファーストヘッド追走、その後ろにウィキャントダンス。後方固まってアグネスタキオン後ろから四人目、その後ろにセイシュウディム、アプラウドチョイス。僅かに今度はアプラウドチョイスが最後方からの追走。向正面の中間です、先頭はマルチアドレス1000mの標識を迎えます』
レースは早くも中盤手前。集団は二つに別れ、タキオンはその後方に位置したまま前半の1000mを迎えようとしている。
『間もなく800を切りますが、先頭はマルチアドレス3バ身のリード、二番手にリンノキング、三番手にダイボンリキ、ここでアグネスタキオンが二番手に一気に上がって第四コーナー残り600!』
このタイミングで、タキオンが遂に動き出す。800m付近からタキオンは徐々にペースを上げながら、先頭を走るウマ娘に追いすがっていく。
『ゴールまで残り400! 先頭はマルチアドレス、外からアグネスタキオン、真ん中を割ってセキショウファラオ! そして後方からウマレナガラノが来たが伸びそうにない!』
各ウマ娘がコースを一周して、再びスタンド前の直線に舞い戻る。だが、既に勝負は決していた。光ですら追い付けない
『ゴールまであと200、アグネスタキオン先頭! アグネスタキオン先頭! 内からマルチアドレス、そして三番手にセキショウファラオ! 先頭は完全にアグネスタキオン、一着でゴールイン!』
芝を蹴立てて疾駆するタキオンがゴールするのと同時に、アナウンスが高らかにレースの決着を、勝利を告げる。
「マジかよ……」
そう万丈が呟く視線の先には、確定板に映された3F33.8の数字。タキオンが余裕綽々で出したそのタイムは、ジュニア級のウマ娘としては破格の数字だった。
「凄いね、タキオン。一緒に走るのが待ちきれないや」
「確かに、生徒会長が気に掛ける訳だ」
シービーの言葉に戦兎も同意を示す。名は体を表すと良く言うが、彼女の走りはまさしく超光速であり、天才という言葉では到底言い表せない程のポテンシャルを秘めている。それこそ、クラシック三冠ですら通過点に過ぎない――そう思わせるほどに圧倒的であった。
レース後。地下バ道に戻ってきたタキオンを全員で出迎える。
「お帰り。お疲れさん」
「おやおや、皆揃っているじゃないか。それで、紅茶は無事買えたかい?」
戦兎達に気付くと、タキオンは開口一番そう尋ねる。
「え? まだだけど」
「何だって!? 君、態々念を押してやったというのに!」
レース直後であるというにも関わらず、それを思わせないような様子のタキオンは露骨に不満げな表情を顕わにする。
「しょうがねえだろ。俺も戦兎も、お前のレースを見ないわけにはいかねえんだからよ」
万丈がそう宥めると、タキオンは不服そうな面持ちを浮かべて、不承不承といった様子を見せたが取り敢えずは納得した様子を見せて戦兎の方へと向き直る。
「それよりもだ。君に伝えたいことがあるんだった。デビュー戦は無事に終えた。一息つくより、大事な報告がある。分かるだろう?」
そう言って赤い双眸を戦兎に向けて見遣るが、生憎と心当たりがない。強いて言うなれば次に出走するレースの相談ぐらいだが、わざわざデビュー戦後に話を持ちかけるような内容でもない筈だ。
「研究が煮詰まっていてね、早々に帰らねばならないのだ」
「いや、ウイニングライブがあるんだから駄目でしょ」
返された答えは実にタキオンらしいもの。とは言え、そんな理由で許可を出すわけにもいかない。せめて夜に行われるウイニングライブまではレース場に残るようにと釘を刺すと、観念したのか、渋々とではあるが了承してくれた。
それから、タキオンと共に地下バ道を抜け、控室へと戻ったところでようやく一心地つくと、戦兎は改めてタキオンに尋ねる。
「そういえば、研究って何やってるんだ?」
それは素朴な疑問。今までも、別の研究で詰まった際に彼女から助言を求められることはあったが、戦兎からどのような実験を行っているのか、といった中身について尋ねるようなことはしなかった。
思春期の学生にとって、自身のプライベートに踏み込まれることを嫌がるケースは往々にして存在する。近しい間柄の人間同士であれば尚の事だ。だから、何かしらの問題行動をしてるのであれば別だが、そうでないのなら敢えて聞く必要もないと考えていた。
しかし、今回はタキオン自らがその話題に触れた。ならば、そこには相応の理由が存在するに違いないと思ったのだが、言うべきか言わざるべきか悩んでいるかのような素振りを見せたタキオンは、結局言葉を濁すに留まった。
「今は言えないね。いずれ話すかもしれないが、少なくとも今はまだ時期尚早だ」
「尚早?」
その言い回しに引っ掛かりを覚え、聞き返す。
「君は気にしなくていいよ。こちらの問題だからね」
タキオンは戦兎に対してそう言うが、やはり釈然としない。だが、彼女はそれ以上語るつもりはないらしく、黙ったままだ。
「それよりほら、夜になるまで暇なんだろう? 今のうちに紅茶を買ってきてくれたまえよ」
有無を言わせぬ物言いに、これ以上追及するのは躊躇われる。無理に聞き出そうとしたところで口を割ることはないだろうし、その言葉にも嘘はないようだった。
「ったくしょうがねえな。行ってくるよ」
「よろしく頼むよ」
そう言う他になかった戦兎は、万丈とシービーを連れてレース場を後にした。どうにも腑に落ちないという思いが胸中に渦巻くが、それを解消する術は今の戦兎にはない。
夕方前になってようやく控室に戻ると、既にウイニングライブ用の、シックな雰囲気のドレス衣装に身を包んだタキオンが待ち構えていた。
「随分と遅かったじゃないか」
タキオンは戦兎達が戻るなり、開口一番にそう言って不満を顕わにすると咎めるような目付きを注いでくる。
そんな彼女に戦兎は悪いなと軽く謝罪すると、手にしていた紙袋を差し出す。
「頼まれた紅茶、ちゃんと買ってきたぞ」
「ふむ、ご苦労様。それで、どうしてこんなに時間が掛かったんだい?」
紙袋を受け取ると、早速中を検めながらタキオンが尋ねてくる。
「いや、ほら」
そういってシービーを指差せば納得がいったようで、ああと声を漏らした。
「あはは、ごめんね。面白そうなものが一杯あったからさ」
「全く、君達はシービー君に振り回され過ぎじゃないかい?」
「いや、お前が言うかよ」
呆れたように嘆息するタキオンに万丈が突っ込みを入れる。
「まあいい。ライブの時間も近い。そろそろ行くとしよう」
そう言うなり、タキオンは控室の扉を開けると、先に外に出る。その後に続く形で戦兎達も慌てて出ると、地下バ道へと向かった。
地下バ道の途中でタキオンと別れ、スタンドへと向かう。レース時の喧騒は鳴りを潜め、落日を迎えて橙色に彩られた空がライブ会場であるメインステージを照らし出している。客席は既に多くの観客で埋まっており、皆がライブの開始を今か今かと待ちわびているようだった。
「にしても、相変わらずすっげえ人だかりだな」
「だな。シービー、大丈夫か?」
「うん、平気だよ」
三人並んでステージ前まで向かうと、戦兎は横目にシービーの様子を窺う。
彼女の性格からしてこういった人込みは苦手だろうと思っていたが、取り越し苦労であったようだった。
そうしている間にも、陽は遠くに浮かぶ六甲山、その山裾の向こうに落ちていき、辺りは深い群青に染め上げられていく。その中で浮かぶのは、煌々と輝きを放つペンライトの数々と、スポットライトによって照らされた、華やかな舞台。
程なくして、ライブが始まった。センターに立つタキオンの歌声に合わせ、観客が手にしたペンライトを振って歓声を上げる。
レースの時とはまた違う熱量と、それが生み出す妙な一体感。それを肌身に感じながら、戦兎達はただ無言で、目の前に広がる光景を見つめていた。
ライブを終えた後、再び控室に戻った戦兎達が見たものは、制服姿に着替え、机に突っ伏してぐったりとしているタキオンの姿だった。
「おーい、タキオン? 大丈夫か?」
「……ああ、戻ったのか、トレーナー君」
戦兎の声に反応するや否や、億劫そうに顔を上げた彼女は椅子から立ち上がって、大きく伸びをしてみせた。
「元気そう……」
そのあまりにも平然とした態度に、思わずそんな感想が漏れ出る。
「これでも疲れているんだがね」
戦兎の呟きが聞こえたのか、心外だと言わんばかりに肩をすくめてみせると、タキオンは何かを思いついたのか口元に笑みを浮かべて戦兎を見遣る。
「そうだ、どうせならおぶって帰ってもらおうかなー」
「何バカな事言ってんだ、自分で歩きなさいよ」
冗談とも本気ともつかない口調で発せられた言葉を一蹴すると、戦兎は万丈とシービーへと向き直る。
「さて、遅くなる前に帰るとしますか」
「だな。腹も減ったしよ」
そう言って帰り支度を始めた二人に倣い、戦兎もまた手荷物を纏める。そして踵を返して出口に向かうと、そこで背中を向けて屈んだ。
「ほら。早く乗れよ」
振り返りつつぶっきらぼうにそう促す戦兎に、タキオンは一瞬だけ目を丸くして驚きの表情を見せたが、すぐにその相好を崩してみせた。
「……やれやれ。半分くらい冗談だったんだがね」
溜め息混じりにそんなことを言いながらも、どこか嬉しそうな様子のタキオンは戦兎の背に乗ると、そのまま首に腕を回す。その重みを感じながら立ち上がると、戦兎は万丈とシービーを伴って控室を出た。
それから人の気配のない静謐な廊下を歩いていると、ふとシービーがタキオンに視線を注いでいることに万丈が気が付いて声を掛ける。
「なんだよ、お前も疲れたのか? 背負ってやるから、休んでもいいぞ。」
そう言って今度は万丈がシービーに背を向けてその場に屈む。彼女は数瞬の間思案すると、そういうつもりじゃなかったんだけどなと呟きつつも、遠慮がちに彼の背に乗った。誰かに身を預けさせることはあれど、その逆というのはシービーにとってあまり経験がない。他人の世界に縛られるような感覚がどうしても好きになれなかったからなのだが、今は不思議と嫌な気分ではなかった。
レース場を出て、四人は最寄りの仁川駅へと向かって歩く。夜の帳に包まれた街並みは、昼間とは打って変わって静けさに満ちていて、通り過ぎる車のエンジン音がやけに大きく響いている。
「二人ともすっかり寝ちまったな」
万丈がそう言うなり、戦兎は肩越しに規則正しい呼吸を繰り返しながら、静かに眠りこけるシービーとタキオンを眺める。
「今日は色々あったからな」
「だな」
万丈の言葉に、戦兎は小さく笑って同意を示す。一日を通して慌ただしく駆け抜けた今日の出来事を思い返しながら、二人を起こさないようにゆっくりと歩を進める。
「……そういえばよ、親父さんとは連絡取ってるのか?」
「何だよ急に」
不意に投げかけられた万丈からの問いに、戦兎は一瞬虚を突かれて言葉に詰まる。
「いや、前にシービーの親御さんに会っただろ? それでお前の方はどうなのかと思ってよ」
合点がいった。確かに、新世界で被験者の記憶が戻ってからも、父である葛城忍とは意図的に関わりを避けていた。白いパンドラパネルを先端物質学研究所に貸した際も態々幻徳を介して話をつけた程で、今も互いの近況は知らないままでいる。
「そういう事か。……連絡は取ってねえよ。大体、俺はもう葛城家の人間じゃねえんだ。今更父さんに合わせる顔なんてねえっての」
ややあって、戦兎は素っ気ない口調でそう答えた。旧世界の日々は確かに存在したが、今となってはその殆どが幻に過ぎない。そこに旧世界の遺物である自分が入り込む余地など無い上に、何より父と合わせる顔は無い。幻は幻のままにしておいた方が、誰も傷つかない――それが戦兎の考えだった。
両親を若くして亡くした万丈にとっては思うところがあるのか、戦兎の返答を聞くと少しだけ寂しげに眉根を寄せて、そうかとだけ短く呟くとそれ以上何も言わずに黙り込んだ。
いつかはもう一人の息子として父と向き合わなければいけないことかもしれないが、少なくともそれは今ではない。そんな思いを抱いたまま戦兎達は暗い夜道を歩き続けた。
先パピ・・・
何とか9月に投稿できました・・・
今更ですけどNascitaの住所って旧世界だと東都エリアC8で長野か静岡辺りでした(頭万丈)
スカイウォールの惨劇が無かったから都内に店を開けたって事にしてください