ウソに塗れたその情動で、私の心を満たしてくれ。 作:渚 龍騎
────あの日、私は
あるもの。いや、
私の人生はウソに塗れている。なにもかも、この心と体はウソだらけで、それ以外にはなにもない。本音、正直、真実、光ですらも、全てはウソで包み込まれていた。
だけど、これだけは言える。
この話に
もしかしたら、そう思っているだけで、とうとう私自身にも虚実と真実の区別が付かなくなっているのかもしれない。私がただ幻覚を見て、幻聴すら聞こえている可能性もある。そんなに頭がおかしくないって信じたいけれど。
でも、目の前の光景は、明らかに非現実的だった。
顔を上げて、見上げる程の巨躯を持った存在。光にも塗れない漆黒のマントに身を包み、見下されたその瞳はまるで真紅のサングラスを掛けているようでもあった。
これだけを見るとただの巨大なコスプレかとも思えなくはない。だが、その頭部に当たる部分からは、蒼い焔が雄々しく燃え盛っていた。轟々と降り注ぐ雨の中で、その存在は私に向けてこう言った。
たった一言────、
『──君の心は、ウソで塗れているようだねえ』
「…………え?」
一瞬で、ただの刹那で、この逡巡を押し切って、私の内側を見透かされていた。
誰にもバレたことのない遍くウソ。
誰にも言わなかった跋扈するウソ。
誰かに言い続けて、斬増するウソ。
どんな色にも塗り替えられるこのウソが、ただ見つめただけで看破されてしまった。
『とても面白そうだ。君には興味がある。
「なにを、言っているの?」
『おっと、申し訳ない。私の話だから、気にしないでくれたまえ』
人のことは言えないが、初めてにしてかなりフレンドリーな話し方。吹き抜けた雨風が彼?のマントを仰ぎ、それに合わせて頭部の焔も揺らめいた。
真紅のサングラスの奥で、私の顔が映り込んで、微かな光が反射している。ウソに塗れた嘘の
彼?は腰を曲げて、私をじっくりと見下ろした。
『君ほどの情動があれば、私のこの虚無も埋めてくれるかもしれない』
なにを言っているのかまるで分からない。しかし彼?は『フフ』と不敵な笑い声を漏らしてから、納得したようにその顔を上げる。話す時にだけ不規則に点滅する口元の光が、笑い声に呼応して揺らめいた。
『申し遅れたね。私は──アレクシス・ケリヴ』
アレクシスと名乗った彼が、私を見下ろしながら『君の名前は?』と尋ねた。
普通の人ならば、アレクシスの姿を見ただけで幽霊や怪物のような異形な生命体と認識して、真っ先に逃げ去るだろう。真っ直ぐに見つめても逃げなかったのは、それだけ私の感覚がおかしくなっている兆候なのかもしれない。だから、私はなにかを疑うよりも先に答えていた。
「──星野、アイ」
自分の名前を告げた直後──アレクシスが自身のマントを大きく広げ、私を包み込んだ。マントの内側にあるはずのアレクシスの身体はどこにも見えず、一瞬で見えたのは、燃え盛るような真っ赤な景色だった。
私の身体をマントが包み込み、その意識が漆黒に呑まれる瞬間────アレクシスの声が響き渡った。
『──〝
◆◆◆◆
それから何年が経ったのだろうか。
アレクシスは私に様々なことを教えてくれた。
アイドルとしての活動でも、このお腹に抱えた新たな生命のことも、いつどんな時でも私の話し相手になってくれた。基本的には私の自室にあるパソコンの中にいるけれど、いつでも外に出て来れる。その場合、どういう原理なのかアレクシスの姿は他人には見えない。
いや、見えてはいるが、誰もアレクシスを不思議がらずに普通に受け入れているのだ。
例えば、アレクシスと一緒に飲食店へ行っても、店員はアレクシスを
『──やあ、お帰り。アイ君』
「ただいま、アレクシス」
病室に戻ると、ベッドの横にある椅子に腰を下ろしていたアレクシスが顔を向けた。
お腹に触れながら、アレクシスの横にあるベッドまでゆっくりと歩みを進める。彼が椅子に座って、ようやく視線の高さが同じ位置に合う。
『調子はどうだい?』
「うーん、なんともないよ?」
ベッドに腰を下ろして、枕に頭を落とす。そして、横で私を見下ろすアレクシスを一瞥してから自身のお腹に目を向けた。絵に描いたように大きく膨れ上がったお腹。二つの命を宿したその腹部を擦って、ゆっくりと息を吐いた。
「ただ、ちょっと動きづらいかなってぐらい」
『無理はあまりよくないよ。君だけでなく、その双子にも障るかもしれないからねえ』
「私の子供だもん、きっと元気な子だよ」
『そうだといいねえ』
アレクシスはその真紅に染まった瞳で私を見つめる。じっくりと眺めてから、病室に備え付けられたテレビへと視線を移した。そして感慨深く『もう何年になるんだろうねえ』と、声を漏らした。
『君には楽しませてもらってるよ』
「それホント?」
ああ本当だとも──アレクシスはそう言った。
実際アレクシスがなにを考えているのか、まるで分からない。表情も変わらず、声色も決して変わらない彼からウソを見抜くことはできなかった。
「でもさ、本当に私の側にいるだけでいいの? ほら、社長とかにも良くしてもらってるのに、家の事は全部アレクシスがやってくれてるでしょ?」
『ハッハッ、遠慮しなくていいさ。私は君の近くにいられるだけで様々な情動を貰っているんだからね』
「情動、か……」
相変わらずアレクシスの考えていることは分からない。私の家の事は全部をアレクシスがやる代わりに、アレクシスは常に私の側にいる。それが私とアレクシスの
金銭的トラブルもない。ただ側にいさせるだけで、家政婦のようになにもかもをやってくれる。これ以上に都合の良いことは早々ない。ましてやアイドル活動が活発の時も、いまの妊娠している間でも、アレクシスの存在でかなり助かっていた。だが、その理由があまりにも理に適っておらず、私と彼とでまったく条件が釣り合っていない。
「私はいつも通りに過ごせばいい。ただそれだけで、アレクシスはいいんだよね」
『ああそうだとも。アイドルとしての君も、普通に過ごしている君からも、沢山の情動を感じるからね。私はそれだけで感謝をしているんだよ』
「ふーん、やっぱ変だよね、アレクシスって」
まあ、元から見た目の時点でも大分おかしいけど。背は大きいし、ずっと火は燃えてるし、明らかにコスプレなんかの領域を越えている。人間にあんなものが作れるとは思えない。
アレクシスは私の言葉に対して『おや』と疑問を切り出した。
『君も大分おかしな人間じゃないのかな?』
アレクシスの言葉に思わず笑ってしまう。言われてみればそうだ、私ほどにおかしな人間なんて、そう多くはない。ウソだらけの、ウソだけで描き続けたこの人生は、決してまともなんかではない。
「だって私は、
『なら、私達は似ているのかもしれないねえ』
アレクシスはそう言って、微かに微笑んだ。
なにを考えているのか分からない表情。なにを語っているのか分からない声色。なにもかもが、漆黒で塗り潰されている。それがアレクシス・ケリヴという男だった。
だけど。それは私も同じ。元よりこの心と体は、ウソという名の暗黒で塗り固められている。真実がいずれ訪れると信じて、今もまだウソを吐き続ける。それを理解できるのは、アレクシスだけだ。
『ところでアイ君』
なにやら改まった様子のアレクシスが、ゆっくりと私の膨らんだ腹部に視線を向けた。
『その子の父親はいったい誰なんだい?』
「気になる?」
『私としてもデリカシーのない質問であることは重々承知だが、それでも気になってしまってね』
アレクシスにもそういった感情があるのに驚きだった。今までなにを考えているのかも分からず、なにかを求めるようなこともなかった彼が気になっている。それはそれで面白かった。けど私は、社長に言ったように微笑んで────、
「ふふっ、内緒だよ」
『意地悪だなあ。ま、君がそうしたいならそれでいいさ。詮索はしないよ』
「流石だね、アレクシス」
そう言うと、ふとアレクシスが外の景色をぼんやりと眺める。私もその視線を辿って、漆黒に包まれ鋼青に染まる空を見上げた。そこで『ふーん』とアレクシスが声を漏らした。
「どうしたの?」
『いや。それにしても、今日は
「うん、そうだね。ありがとう」
星野アイは、知らなかった。
この時、悲劇の連鎖が歯車を廻し始めていたことに。担当の先生である雨宮吾郎が崖から落とされたことに。その事実を知らずに、運命は影を纏った。