推しの兄   作:全智一皆

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推しの兄

 

■  ■

 俺は星野シン。人気絶頂のアイドル「星野アイ」を妹に持つ、平凡普通な大学生である。

 身長176cm。体重54kg。年齢22歳。現在は一人暮らしで、日々アルバイトに勤しんで家賃を払っている。

 だが、アルバイトなんてのは別に苦ではなかった。母さんが居なくなって施設に入った時から、自分にも出来る仕事は努力していた。妹の為に、努力していた。

 だから、別にアルバイトは苦しくない。生活もそれなりのものを維持し続ける事が出来ている筈だ。

 妹の苦労に比べれば、この程度の苦労は安いものだ。何せ妹は、人気絶頂のアイドルなのだ。センターを務めるアイドルなのだ。彼女に比べれば、小さなものだ。

 …だが、その所為というべきか…施設に預けられた時から、俺は彼女の兄らしい事が出来なかった。

 彼女を想って出来る仕事を探していた所為で、彼女と接する時間を取れていなかった。彼女と遊んでやれる事が少なかった。

 それが、とても心残りだ。今で尚、後悔している。

 もっと遊んであげれば良かった、もっと話してあげれば良かった、と。

 支えるだけではなく、接してあげるべきだった。もっと近くに寄り添って、共に話すべきだった。

 けれど、俺はそれが出来なかった。前ばかりを見ていたから、彼女を置いて行ってしまっている事に気付いていなかった。

 何と、罪深い事だろう。何と、愚かしい事だろう。こんな人間が、彼女の兄で良かったのだろうかと日々考える。

 けれど、こんな人間であるにも関わらず、しかし彼女は俺を兄と呼んでくれる。

 だが、罪悪感から、兄と呼んでくれるそれを誇らしく思う事が出来ない。

 やはり、思う。俺は、彼女の兄として相応しい人間などではないのだ、と。

 でも…だからこそ、良かったのではないかとも、思う。彼女の兄として相応しい人間ではなかったからこそ、良かった事もあったと、失礼ながら思う。

 それが――――――今だ。

「はっ…はは。残念、だったな………推しじゃなくて、その兄貴で。」

 じんわりと、赤く染まっていくパーカー。自分の腹部に突き立てられたナイフを伝って、溢れていく流血。

 相手は驚愕している。それはそうだ。推しの家に男が居るとは思うまい。それも、夫ではなく、兄貴だ。

 ざまぁみろ、と嘲笑ってやる。そうすると、口元から血が溢れる。鉄の味が、口の中全体に広がると共に、体がとても熱くなっていく。

 だが、ただでは返さない。この男を無傷では、返さない。

「こっちは、ナイフで、刺されたんだ……弱々しい一発くらいは、貰って…くれよ……」

 弱々しい、なんて言いはしたが。そんなもので済ませようなんて程、俺の意思は弱くない。

 腹に力を込める。相手のナイフが抜けない様に。俺を倒して、彼女の方に向かわない様に。

 これまで、誰かに暴力を振るった事なんてなかった。妹と喧嘩をした事もなかった。

 今日始めて、人を殴る。そして、その相手が妹を狙った犯罪者――――――良い相手じゃないか。

 右手で拳を形作り、相手の顔面に拳を叩き込む事だけを考えて腕を振り上げ、振り下ろす。

 バキィ! と、拳が男の顔面を捉える。

 ただの一般人だったからなのだろう。男は呆気なく後ろに倒れ、その場から逃げ出した。

「はっ…根性、無しが……………」

「お―――お兄ちゃん!」

 ばたりと、力無く地面に倒れ伏す。

 体が熱い。サウナの中に居る様な感覚だ。

 意識が朦朧としていく。視界に映る自分の妹の顔も、僅かに霞む。

「大丈夫、今、救急車呼ぶから!」

「い、い…」

「良くないよ! まだ間に合うから!」

「ダメだ…どうやっても、間に合わない……」

「そんなの、まだ分からないでしょ!」

「…やさしいなぁ、本当………」

 震える指で、スマホの電話帳に数字を入力している妹。けれど、そんな事はしなくていい。

「え……」

 少ない力を振り絞って、右手を上げる。スマホを持っている方の手に添えて、言葉ではなく行動で、止める様に伝える。

 もう助からない。絶対に、助からない。

 だから、良いのだ。もう何も、しなくて良い。

「ごめん、なぁ……いままで、おにいちゃんらしい、こと……いちども、できなくて…」

 掠れた声で、血に呑まれながら言葉を吐き出す。

 これは懺悔だ。一人の人間の、哀れで見苦しい言い訳だ。

「あそんで、やれなかったし……たのしいことも、できなかった……よなぁ……」

「そんな事ない! お兄ちゃんは、ずっと頑張ってくれたよ!」

「でも……たのしく、なかったろ……ちゃんと、せっせられなかった……」

「違う、違うよ…私、ちゃんと見てたんだよ…? お兄ちゃんが、必死に仕事を探してたのも…私の為に、頑張ってくれたのも…全部、知ってるよ…」

「そっかぁ………みられてた、か……うれしい、なぁ…」

 視界が霞む。意識が落ちていく。目から光がなくなっていく。

 あぁ…でも、最期に。今までずっと言えなかった言葉を…………言いたい。

「なぁ……あい……」

「……何、お兄ちゃん?」

「いままで、いってこなかった……けど……………だいすきだ。おにいちゃん…あいが、いもうで……よか…った……」

 意識が落ちる。何も見えなくなる。

 でも、最後に。

「私も…大好きだよ、お兄ちゃん」

 妹から、そう言われた。

 妹が、そう言ってくれた。

 本当に……ありがとう。

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