第1話 ⑤
魔物は、先ほどようやく追いついた格好の獲物を探しながら彷徨い歩いていた。
『壊スゥ…ぜヱンブ』
ゆっくり、ゆっくり、頭をゆらゆらと揺らしながら魔物の脅威は詞に迫ろうとしていた。
魔物に宿る、全てを破壊しようとする憤怒の欲望は、目の前に存在するただ1人の少女ですら破壊しなければ満足できない。
『……ソこニゐノレの???』
僅かに嗅ぎつけた、先ほど覚えた詞の気配。魔物の視線の高さでは見逃しそうになる、小さな横穴からだ。ゆっくりと大きな頭を下ろし、見開かれた眼球で横穴を覗き込む。
より一層濃くなる気配。暗闇に慣れた瞳は、横穴の中にいた人影を一瞬で捉える。
『イヒひㇶヒ!』
ようやく見つけた。欲望が順調に果たされようとしている魔物は、不気味に口元を歪めて歓喜の声を挙げた。
「うっるっさいっ!!」
次の瞬間、眼球に強い衝撃を受けた魔物の頭は大きく仰け反り、身体ごと盛大に転倒した。
『アぎャ阿アあぁ!!』
目が片方見えなくなった魔物は痛みとパニックで悲鳴をあげる。
「うっわぁ……すごいことになっちゃった」
魔物を転倒させたのは、白銀の槍を構えた詞だった。魔法によって生成された槍は、どれだけ木を薙ぎ倒し暴れ回っても無傷のままだった魔物に初めて明確なダメージを与えていた。
リブロムから受け継いだ記憶や経験があるとはいえ、実際の目で魔物が吹き飛ばされる光景を目の当たりにした詞は思わず驚愕の声を漏らしてしまった。
先ほどまで怯えて逃げることしかできなかった相手に、一矢報いることができた。かつて、人智を超えた強大な存在である魔物に対抗するために使われていた、太古の魔法。その強大な力を、今まさにこの身で振るっている。
「すごい……これが魔法なんだ」
ロムルス血統の詞にはあまりにも新鮮な体験だ。本来魔法が使えないロムルス血統の人間は、せいぜい魔法が込められた道具を使うことでしか魔法を利用できない。ましてや現代の魔法ですらその程度の関わりしかない詞にとっては、もはや感動すら覚えた。
(使える魔法は6時間に6種類まで。供物を使える回数にも限度がある。消耗しても復元できるけど、完全に使い切るともう使えない……)
リブロムの記憶から得た魔法の制約を思い返し、次に使う魔法を考える。
制約の範囲内で魔物を倒すために最善の選択を模索する。
卒倒していた魔物が、不気味な動きで体制を立て直す。到底、人間が変化した存在だとは思えないくらいに本来の規格を逸脱している動きだ。ゆっくりと持ち上げられた頭が、怒りに満ちた表情で詞を見つめる。
先程の不意打ちとは違う、正面からの戦闘。
詞の身体に緊張感が走る。
『ギぃィイいゐィ!!』
奇声をあげ、頭を振り回しながら迫ってくる魔物。とてつもない気迫に、詞の脚が一瞬すくんだ。
『逃げ腰になるな!!今のお前なら倒せる!!』
どこかから響いた声を聞き、ハッと我に帰る詞。
「『回避変化・隼』!」
自身に向けて放たれた長い首による横方向の薙ぎ払いを、咄嗟に発動させた魔法"回避変化"の力で一瞬だけ光のような速度を得て上に避ける。瞬間移動に近い速度を与えるこの魔法の恩恵は、何者の追従をも許さない。
空中で槍を身構えた時、手に持つ白銀の槍と、先程発動させた回避変化の魔法が共鳴するのを感じた。リブロムを取り込み過去の記憶を受け継ぐ詞には、ここからすべきことが全て分かった。
魔法同士の共鳴に従い、同時に2つの魔法の力を解き放つ。複数の魔法の組み合わせによって発動される強力な魔法、"連携魔法"。遥か昔、古の時代に付けられたその魔法の名前を、詞は本能的に叫んでいた。
「"神速槍"!!」
回避変化魔法によって与えられる、本来は回避のために使われる神速。神速によって加速され、まるで複数の槍が存在するかのように打ち出される刺突。
連携魔法による強烈な一撃は魔物の巨大な頭部を地面に叩きつけ、小規模なクレーターを作り出す。
『ぎァあァア‼︎‼︎イたあィいぃいイィ‼︎‼︎』
悲鳴のような声を上げる魔物の頭からは、夥しい量の血が吹き出していた。詞の攻撃と地面に挟まれた頭骨はパックリと割れ、波打つ組織が覗いている。
くるりと身を返し、距離を取る詞。途端に周囲に立ち込めた血生臭さに思わず顔を覆った。
「うわっ……」
重傷を負いながらも、反撃しようと頭を持ち上げる魔物。
地面に降り立った詞は、魔物に向き合いその目をじっと見つめた。魔物は怒り狂いながらも、どこか苦しげだ。先ほどよりも姿勢が安定してない上に、呼吸も早い。
『コわス壊ス⊇ゎす]ワスこワ廾了ぁ亜アァ丫!!!!
』
耳を突く絶叫をあげながら、魔物は詞めがけて思い切り頭部を振りかぶった。それに合わせて、詞は槍を持つ手にグッと力を込める。
明確に自分を狙った一撃。威力こそ脅威だが回避は容易だ。振りかぶられた魔物の頭部は、それまで詞が立っていた何もない地点に叩きつけられる。
詞はその隙を狙って再度槍魔法を展開し、飛びかかる。
『ぎヰゐぃいイ!!!』
「あっ!」
魔物は地面に顔面を擦り付けながらも首を振り抜き、宙を舞う詞を打ち落とす。振りかぶりもなく、無理な体制で振り抜かれた打撃は威力こそ大きくないが、不意打ちで詞を吹き飛ばすのには十分だった。
衝撃で手放した槍が地面を転がり、やがて供物に戻り詞の右手に戻った。
「げほっ……」
咳き込みながらも衝撃で大気を失った肺胞に息を吸い込み、詞は身を起こした。
辺り一帯、魔物から噴き出した大量の血液で強烈な生臭さに満ちていた。人間であればとっくに命を落としている血液を失いながらも、鬼の形相を変えることはなかった。
「……私は逃げない」
これ以上、苦しませたくない。この魔物も、元はただの1人の人間だったのだから。
詞はその想いを胸に抱き、決意と新たに展開した槍を握り締め、魔物の前に立ちはだかる。
「これで終わりにしようよ」
詞の声は、魔物には届いていないだろう。だが、注意を引ければ十分。
詞めがけて、魔物は思い切り頭部を振りかぶった。
それに合わせて、詞は槍を持つ手にグッと力を込める。許容量の限界まで魔力を込められた槍は、細かな振動と共に切先を高速回転させる。
勢いよく振り下ろされた頭めがけて、槍を打ち込む。魔力を多く込められた槍はその切先を展開し、三叉となった槍先が食らいつくように魔物の額に食い込んだ。
2つの強大な力の衝突に、詞と魔物を中心として周囲の地面が一斉に揺らぐ。
「ううっ!!」
手負の上に槍を打ち込まれているにもかかわらず、こちらを叩き潰そうとしてくる魔物に押され、詞の脚が地面にめり込む。
負けじと更に槍を押し込むが、魔物も対抗して更に力を増す。
詞は予め槍と共に右手に握り込んでいた供物に魔力を込め、次の魔法を発動させる。
「"爆弾変成"!!」
槍魔法は保持したまま、更に自身の足元に魔法を発動した。
足元に不気味な植物が発生したのを確認し、気味の悪さを蹴り飛ばすかのように詞は槍を手放してその場を飛び出した。詞からの魔力が供給されなくなった槍は消滅し、供物だけが詞の手元に戻る。
そして、自身の力と拮抗していた力がなくなった魔物の頭部は、それまで詞が立っていた地点に叩きつけられる。
その瞬間、先ほど生成した植物がその衝撃を受け、凄まじい衝撃と熱波を放ち爆裂した。