超能力を手に入れた主人公が少し大人になる話

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初投稿、推敲なし、勢いで書きました楽しんでいただけると幸いです。


超能力に目覚めたけど現代では使えない件

僕がはじめて超能力に目覚めたのは家で勉強してる最中だった。消しゴムを落として、それを拾おうと思って椅子に座ったまま屈んで床に手を伸ばすと、拾う前に消しゴムが手に揚がってきたのだ。そのときは別に消しゴムを見ていなかったし勉強に集中していたこともあって、特に違和感も無かった。

けれど勉強が一段落して、晩御飯を食べて、お風呂に入っている辺りで気づいたのだ。

なんか変だなと。

幸いその日の僕の集中は凄まじく、その日学んだ学問的な事柄とその日起こった出来事が頭の中で独立して並列に存在したのだった。

お風呂に入るまでは学問的な事柄のほうがずーっと頭にあったのだが、お風呂に入って頭を切り替えたときにふと気づいたのだ。

どうやら非現実的な事が起こっていたらしいことに。

そしてお風呂からあがって自分の部屋に戻って何度か消しゴムを浮かせて、この現象に再現性があることを確かめた。

そのあとはもう凄かった。

なんせ当時の僕は中学一年生。入学した中学校にもなれてきて、ちょっとした非日常を望むような、早めの中二病を患っていたのだ。

当時の僕は持てる限りの知識と発想でもって夢中でこの能力を調べた。

しかし、その結果は悲惨なものだった。

少なくとも当時の僕にとっては。

 

まず、疲れる。

この時点で僕は超能力を手に入れた興奮とか非日常に向けた熱意とかそういったものの五割を失った。

人が超能力や魔法に憧れを抱くのは、その過程が見えないからだ。

例えば、多くの作品に登場する魔法、浄化とかいてクリーンと読むようなものを考えてみる。僕たちがあれに憧れるのは、僕たちが洗濯を面倒くさいものとして考えているからなのだ。

 

現実の場合を考えてみよう。

現代社会において洗濯は、

洗濯物を洗濯機に入れる

洗剤を洗濯機に入れる

スイッチを押す

待つ

洗濯物を干す

待つ

洗濯物を取り込む

以上7つの行程からなる、基本的には。少なくとも我が家ではそう。

 

これが、呪文を唱えるという一工程で時間と労力を消費せずに出来るように見えるからこそ人はこの魔法に惹かれるのだ。

翻って僕が手に入れた能力は疲れる。

ふしぎな力が働いていることは間違いないが、その結果、使っている間のみならず、使うのをやめても、酷いときには数日に渡って脳に筋肉痛のようなものを引き起こすのである。最終的には苦痛を味わうことになるなら消しゴムなんか最初から手で拾えば良いわけであって、敢えて得体の知れない力を使う意味は薄い。めんどくささと痛さがトレードオフになっているにすぎないのである。

 

次に、この力にはなんかリアリティーがあるのだ。

残念な現実味がある。

特に及ぼせる力の大きさなんかにおいて顕著で、対象物と自分の距離が近いほど及ぼすことの出来る力は増える。

あるいは対象物と自分の間に布とかガラスとかがあっても力は弱まる。

これは当時僕がイメージしていた念動力系の超能力とはちょっと乖離があった。

僕が能力の存在を確認したときにイメージしたのは体の周囲に武器を漂わせて戦う感じのやつだ。不可視の手によって物体を自在に操る、言ってみれば身体の拡張、手が増える、みたいな感じだった。

 

対して実際の能力はせいぜい身体能力の強化といった具合だ。

能力としては弱くないと思う。

突然能力を植え付けられて始まるバトロワとかならめっちゃ強いタイプの能力だろう。

遠距離から石を能力で加速させて投げて、近づいてきたら能力を腕力に上乗せした素手格闘、攻撃は能力で弾く。

完成された純パワー系のバトルスタイルといえる。

ただ、僕の想像とはズレがあった。

当時、距離による減衰は非常に強くて、1mも離れれば消しゴムが一つギリギリ持ち上がるぐらいだった。

これでは僕のイメージしたような戦い方はできない。

華麗に戦いたかった中二病気味の僕にはこの能力はちょっと泥臭かった。

ゴンよりはヒソカに憧れるという感じだろうか。

 

こうして能力には落胆した僕だったが、それでも力を振るう理由があるなら振るわねばなるまい、と多少の使命感をもって世界を観察した。

中学生ながらニュースを見て、新聞を読み、噂話に耳を傾けて三年間を過ごした。

そして結論として、この世界はなんの変哲もない、ありきたりな世界だということがわかった。

そして、そんな世界に多少特別そうな力を持った人間ができることなどなにもないのだ。いかに僕が力を尽くそうとも戦争がなくなることはないし、今この瞬間にも世界では理不尽に人が死んでいる。

 

 

さて、こうして僕は超能力を公にせず一般人として生きていくことを決めた訳だが、だからといって二度と能力を使わないかというと、当然そんなことはない。

なんだかんだ言ったって、やっぱり超能力には憧れがあって、もし自分がその力を手に入れたとなったらそれに触れずにいることなんてできなかったのだ。

あるいは世界情勢により深く触れて、普段は考えないような複雑で高尚なことを考え、そしてそれに打ちのめされたことがかえってよかったのかもしれない。

僕は地道な能力のトレーニングを始めた。

もちろん最初はこの能力が成長していくかどうかさえ定かではなかったが、遠大な理想に触れた僕はむしろできることからコツコツやり始めることにしたのだった。

あるいは単に現実逃避がしたかっただけなのかも知れない。

 

 

そして、このトレーニングをし始めて最も最初に大きく変わったのは実は僕の食生活だった。

トレーニングを始めてからというもの、超能力の使用にエネルギーを使うのか、ぼくのおなかはよく減るようになり、それに伴って食べる量も急増したのである。

当時の僕は同年代に比べて比較的体が小さく食も細かったため、母なんかは井戸端会議で仕入れてきた近所の子たちの情報と比較して、とても心配していたのである。そんな息子がよく食べるようになったものだから、当時は母とても喜んでいた。

ところが母の喜びはそう長くは続かなかった。僕の変化があまりにも急だったからだと思う。一度どこかで冷静になったっ際に、違和感を覚えたのであろう。今度はそれまでの心配が倍になったくらいの勢いで、ストレス性の過食やら自律神経の故障、果ては満腹中枢がどうの、といろいろと可能性を挙げては騒いでいた。

ただ、ここで母のありがたいのはヒステリックに病院に連れて行ったりせずに、とりあえずエネルギーの収支を合わせようとして僕に運動を勧めるにとどめたところである。

僕も自分の変化の幅が大きすぎたことに気が付いて母の言う通り運動を始めた。ここでもし即座に病院に行って僕個人には何の問題もないと診断されていたら、僕は心配する母を心配して超能力の存在を明らかにしていたかもしれない。

別に家族に超能力の存在を明らかにしたところで特に何が起こるわけでもないと思うけど、秘密の力はやっぱりロマンなのだ。

 

実はこれには副次的なメリットもあって、僕はこのことを境に体を動かすことの楽しさを知ったのだ。

それまでの僕は運動神経が悪いという自己評価もあって運動はそれほど好きではなかった。しかし、超能力を手に入れたことを境に物体に(目視できないとはいえ)力を加えるという経験を積んだからなのか、あるいはもっと直接的に超能力にそういった認識力の強化が含まれていたのか、どう力をかければどう動くのか、ということが割と直感的にわかるようになったのである。力学的な感覚が芽生えたと言ってもいい。

体を動かすというのも当然力学的な部分を相当に含むので、僕の運動神経は未曽有の発達を遂げたのだ。自分の思った通りに体が動くというのはこれまでとの差もあってかとても愉快で、今となってはランニングやトレーニングが趣味になるほどに運動がすきになった。

 

そういえば他の超能力を手に入れたことで良かったこととしては学校の勉強に興味を持てるようになったことだろうか。

それまでは歴史とかしょうもないと思っていたものだが、超能力を手に入れたことをきっかけにして世界の様々な問題に触れたおかげで、歴史学のことを今まさに起こっている様々な問題がどうして起こっているのかを考え、どうすれば解決できるのか探る学問であるという風にとらえることができるようになった。

学校でもそれまでは意味も分からずただ言われるがまま反復していただけだったが、一つの学問に意義があると気付くと、じゃあ別の学問にはどういう意味があるんだ、と考えて芋づる式に学校で学ぶものの意義というものが自分なりに分かってきたのである。

意義がわかると学ぶ知識の一つ一つも不思議と輝いて見えるもので、僕は学校の勉強が好きになってきた。

 

 

超能力に目覚めたことは別に僕にスリルを与えてくれたりはしなかったが、母への感謝や勉強の意味、運動の楽しさなどの大切なことを僕に教えてくれた。

今僕が充実した日々を送っているのは超能力のおかげなのである。




続きは未定

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