あと、番外いつまで続くかは
私自身にも分かりません。
「説明は以上だ」
楠木は、ディスプレイ越しに作戦を伝えた。人員輸送車に満載されたリコリス達は淡々と情報を飲み込む。任務は、重要人物の輸送だった。
「首都の地下鉄を貸切りですか。大掛かりですね」
全てが始まったのは二日前の事だ。ラジアータがダウンし、DAは解決策を模索するが難航。原因究明の為、AIの開発に関わった技術者の一人をDA関東本部まで護送する運びとなった。地下鉄網の一部が停止されて輸送に利用されるのも、ラジアータの支援を受けられない今、確実を期しての事だ。
「失敗は許されん。質問がなければ地下鉄駅に向かえ。別働の護衛チームがあと30分で合流ポイントに到着する」
「例の
「依然動きが掴めない。ラジアータがダウンした現状では、情報部も奴らの足取りを追えずにいる。警戒しておけ」
ラジアータのダウンと同時に、正体不明の武装勢力による散発的な襲撃が発生していた。リコリス達をターゲットとした極小数の人員による襲撃だ。その意図や目的は不明であるが、DAはその対処にリソースを割かざるを得ない状況であった。
「千束はどうしたんです。彼女なら」
「あいつは新設された支部に異動する。直ぐには動かせん」
「はぁ? 仲間が殺されてるんですよ。四の五の言ってる場合では無い筈です」
「ヒメコがいるだろう。彼女では不足か?」
チームを指揮するファーストリコリスは、言葉を詰まらせた。しかしヒメコは、その隣で淡々と装備を点検している。周囲のリコリス達は好奇の目を彼女に向けた。
アレがウワサの──
「ヒメコ、お前はどう思う?」
「任務に従うだけです」
「問題無さそうだな」
楠木は通信を終える。一方ファーストは、ヒメコの素っ気ない返答に溜息を吐いた。彼女はヒメコと何度か任務を共にした事があったが、ヒメコは毎回この調子なのだ。
「確か、以前の任務ではサードだったよな?」
「昇進しました。今日は専属の部下と顔合わせの予定です」
「マジか〜。それ、相棒って奴だろ。早く任務終わらせないとな」
「何言ってるんですか。任務が最優先です」
昇進したならば、いつかはチームを率いる事になる。だが、それはヒメコが不得意な分野だとファーストは考えていた。楠木司令もそれを分かった上で、ヒメコには長所を伸ばす方向で経験を積ませるつもりなのだと彼女は察する。専属の部下だけを付けて、現場に身を置かせる算段だろう。
「ともあれ、セカンド昇進おめでとう」
「はい。期待に添えるよう努力します」
任務終わりに昇進祝いでもしよう。いや、新しい相棒との顔合わせを邪魔しちゃ駄目だな。ファーストはそんな風にヒメコの事を考えていた。するうち、目的地に到着して輸送車が停止する。
「行こうヒメコ。任務の時間だ」
複雑に入り組んだ迷宮のような地下鉄駅。そのプラットフォームに、無人の車両が停車していた。今回の任務では、護衛対象は自動運転の地下鉄車両に護衛チームと共に詰め込まれ、目標地点まで無停車で輸送される予定だ。
「アレが技術者か。さっさとラジアータを直してもらいたいもんだ」
別働の護衛チームに連れられた女性を見てファーストは独りごちた。ラジアータがダウンした現状は、まるで目隠しをされたようなものだ。DAの通常業務の為にも、その復旧は最優先事項である。
「後は頼みます」
護衛対象の引き渡しがつつがなく完了する。ここからがヒメコ達の任務だ。DA関東本部まで対象を送り届ける詰めの仕事である。
「ごめんなさい、今何時かしら? もう時差ボケで何が何やら……」
「15時20分です。車両内でなら仮眠を取ってもらって構いませんよ」
「そうさせてもらうわ」
地球の裏側から連行されてきた技術者は、倒れ込むようにして座席に横になった。ファーストは彼女に同情する。目の下の深い隈がその疲労を色濃く示していた。DAに急かされ、強引に連行されて来たのだろう。ハッキリ言って拉致誘拐である。
「構内の監視カメラの映像が途絶えた。来るぞ」
楠木からの通信を耳にし、ファーストは更に同情を深めた。もう仮眠すら取れないだろう。構内の照明がチラつき停止する。電力供給が遮断されたのだ。
「車両は?」
「動かせん。対処を急がせる」
「停電区間は?」
「当駅のみ、狙い撃ちだ」
忙しなく動き始めた作戦司令室の喧騒を耳にし、ファーストは即決する。
「架空線だな。彼女を連れて徒歩で行くぞ」
「え? え?」
「隣駅まで歩きます。降りてください」
無情なヒメコの言葉を数拍置いて理解した技術者は、げっそりした表情で頷いた。だが──何か来る。駅のフォームに停止している車両に向けて、乗車しに来たかのように堂々とソレが近づいて来た。ゴーストだ。
「っ!!」
NIJ規格でクラスⅣ相当はあろうかという、超重防弾装備を全身に纏った熊のような巨体だ。手には多連装グレネードランチャーであるダネルMGLが握られている。その回転式弾倉には40x46mmグレネード弾が満載されており、リコリス達が潜む車両に銃口が向けられていた。
ヒメコは逡巡した。あの防弾装備に手持ちの火器は通じない。ならば、手榴弾で吹き飛ばす。しかし、戦術武装鞄から手榴弾を取り出し、狙いを定めて投げるのはあまりに悠長だ。その間に、奴はグレネード弾の雨を降らせるだろう。
「ヒメコ!?」
結論、撃つ。ヒメコはホルスターからベレッタM9を抜き、ゴーストが構えるダネルMGLを撃った。それも、一点集中で四発もだ。薄暗い駅構内に火花が散り、堪らずゴーストは姿勢を崩した。時間稼ぎだと察したファーストは、金属カップが仕込まれたローファーを用いた強烈な蹴りで窓ガラスを砕くと、困惑する技術者の手を引きフォームの底に飛び降りる。その後ろにヒメコが続き、直後、爆発音が連続してこだました。
プラットフォーム下のレール上で、電車を盾に難を凌いだヒメコとファーストは行動を開始した。ひしゃげて焦げた車両からは、リコリス達の呻き声が響いている。まだ生存者がいるならば、見捨てる事はできない。ファーストはそう決断した。
スモークグレネードを投げ込み、完全に視界を遮った隙にフォームに這い上がったファーストは、銃撃でゴーストの注意を引きつけた。彼女は死力を尽くしてフォームの柱の陰へと疾走する。
「こっちだ、ゴースト!」
ファーストがゴーストの気を引いた隙に、ヒメコは車両内に這い上がった。彼女は多数の負傷者の中に、戦術武装鞄の防弾エアバッグを展開して爆風を凌いでいたサードリコリスを発見する。
「電車の下に護衛対象が退避しています。隣駅まで護送を」
仲間に技術者を任せ、ヒメコは車両内からファーストの援護に当たる。柱の陰に隠れたファーストに向けて、ゴーストは数発のグレネード弾を発射していた。柱は深く抉れて鉄筋を晒している。長くは保たない。
ヒメコはM67破片手榴弾を取り出し、それと分かるように叫びながらファーストに危害が及ばない位置に投擲する。
「グレネード!」
手榴弾がゴーストの付近に転がった。彼はその重装備故に鈍重で、素早い回避行動を取る事ができない。次の瞬間に爆発が発生し、広範囲に殺傷力のある破片が飛散した。
だが──倒れない。全身に纏われた防弾装備が、手榴弾の爆発や破片に対しても一定の防護能力を発揮したのだ。ファーストは弾倉が空になるまで9mm弾をゴーストに撃ち込むが、まるで効果が無い。
「クソッタレ!」
クラスⅣの防弾装備は、
「逃げろ!」
ファーストは絶叫する。その瞬間、駅構内の照明が点灯した。DAが地下鉄線駅への電力供給を復旧させたのだ。ヒメコは自らに向けられた銃口に狙いを定めて発砲。数瞬遅れて、ゴーストも引き金を引いた。結果として、ダネルMGLの銃身内でグレネード弾が炸裂し、彼は大きく体勢を崩す。
その強運と人間離れした神業に、ファーストは驚愕して目を疑った。ゴーストは、ダネルMGLの残骸を投げ捨て、ホルスターからM45A1 CQBPを抜く。だが、それもまた即座にヒメコに撃ち抜かれて宙を舞った。
「はは……」
ゴーストの乾いた笑い声が虚しく響く。彼は手を銃の形にしてヒメコを狙った。そんな彼の横合いから、複数発の銃弾が放たれる。爆発で脱落した防弾装備の合間を狙って、ファーストが発砲したのだ。
ゴーストの巨大が大きく揺らぎ、遂には倒れる。二度に渡る至近距離での爆発と、致命傷となった銃創により夥しい出血が見てとれた。赤い染みが各所に滲み出し血溜まりを作り始める。破損したバリスティックマスクから覗く瞳に狙いを定め、ファーストは引き金に指を掛けた。
「化けて出るなよ」
二発の銃声が駅構内に響く。ファーストとヒメコは、血溜まりに沈むゴーストを一瞥してからリコリス達の応急手当を始めた。とは言え、グレネード弾の爆風に晒された彼女達が助かる望みは薄い。この場に医療救護チームが居れば話は別だが、此処には応急手当について学んだ少女が二人居るだけだ。
車両内は酷い有様で、多くのリコリス達が満身創痍で転がっているような惨状である。腕が千切れて落ちた少女が、蒼白な顔をしてファーストを見つめていた。呼吸が出来ておらず、冷や汗を流しながら必死に口を動かそうとしている。声は出ていない。しかし、ファーストは唇の動きから言葉を読み取った。
──任務は?
「分からん」
生存者0、ファーストはそう冷静に判断した。しかし、戦術武装鞄から取り出した簡易治療キットで、焼け石に水をかけるような処置を彼女は続ける。
ヒメコもファーストに従って手当を続けた。下ろし立ての紺色の制服が無惨に汚れていく。するうち、手当を受けていたリコリスが血塗れの手でヒメコの腕を掴んだ。
「私は……もういい」
「いえ、貴女が一番望みがあります」
「みんなは……?」
「……」
「そう……か」
それきり、ぐったりと項垂れたリコリスは動かなくなり、呻き声一つない静寂が訪れた。ヒメコはゆっくりと手を止め、周囲を見回してから銃を手に取り、グリップを握り直す。
「行きましょう。護衛対象に合流するべきです」
「どうだった、シンジ。ヒメコも大したものだろう」
「そうだな。実に素晴らしい。だが、彼女に機関の支援は必要ないだろう。これからも、これまで通り、その才能を発揮出来ることを願っているよ」
ミカと吉松シンジは、DAの作戦司令室を出て語り合う。
「もし彼女の才能が危機に晒され、その未来が閉ざされそうになった時、その時には
吉松はさも当然のように、迷いなく語る。
「君たちが護送したのは機関が支援した才能だ。ラジアータの問題は解決したも同然だ」
「大した自信だな。それに、随分嬉しそうじゃないか」
「才能とは、どんなものであれ世に届けられるべきものなんだ。今、一つの才能が日の目を浴びようとしている。これが嬉しくない者など機関には居ないよ」
満足げに微笑んだ吉松は、ミカに釘を刺した。
「千束の事は頼んだよ。私は彼女を生かした。これからはミカが、彼女の才能を活かすんだ」
「……ああ」
「関東本部を離れて新しい支部に異動するんだろう? 千束の才能を発揮する為の部隊だ。ミカは彼女の為に最高の環境を整えてくれた」
「それは」
「謙遜するな。私もミカも、千束の最大の理解者だ。後は彼女がその才能を世に届けるだけだ。私は機関の規則に則って、自らが支援した千束には接触できないが……ミカがいる。何の心配も無い」
「……シンジ」
ミカは耐えられず、口を開こうとした。千束はその才能を活かし、人を殺そうとはして居ない。自分を救ってくれたシンジに憧れて、人を助ける為に生きようとしているんだ、と。しかし、その言葉はミカの喉元から先に出る事はなかった。
「千束は、私たちの娘同然だ。後は頼んだよ、ミカ」
「ああ……分かってる」
罪悪感や、葛藤や、苦悩。そうした感情をない混ぜにしてミカは重く返事をした。しかし、吉松はそれに気付かない。きっとミカは、千束の才能の後見たる重責を背負ってくれているのだろう。吉松はそう捉えたのだ。
「さよならだ」
廊下の曲がり角で、吉松はミカと別れた。ロビーで待っていた筈の千束が、ミカを見つけて微笑みながら駆け寄って来ていた。
「先生、何処行ってたの? 遅いから探したんだよ〜」
「すまない。少し野暮用があってな」
「ヒメコちゃん、任務が終わったら帰って来るんだって。先生も一緒に行こ! 今度こそ笑わせるんだから。はい、これ先生の分!」
何処で調達したのやら、宴会用の鼻メガネを手渡してきた千束に苦笑いするミカ。
「千束、今日はダメだ」
「え〜なんで?」
いじける千束を宥めながら、ミカは言い聞かせる。
「今日は、ヒメコは相棒との顔合わせだ。邪魔してはいけない」
「良いな〜。私も相棒欲しい!」
フキやヒメコを除けば、今のDAに千束に追随できるリコリスは居ない。例え誰とコンビを組んでも、千束にとっては足手纏いにしかならないのだ。楠木はそれを分かっているからこそ、千束を誰とも組ませなかった。
「すまないな。楠木次第だ」
「じゃあダメだよ〜。楠木さん、いっつも私を除け者にするからねえ」
それは、千束の事をしっかり見ているからだよ。そう口に出しかけて、ミカは言葉を飲み込んだ。只今は、彼女に寄り添ってあげるのが大事だと考えたのだ。
「いつか、千束にも相棒ができると良いな」
「うん! 楽しみだな〜。先生から楠木さん説得できたりしない?」
「その前に、先ずはしなきゃならない事が山積みだぞ千束」
「え〜」
DAの新たな支部、喫茶リコリコは上層部に良く思われていない。その存在を認めさせるには、それこそ楠木を巻き込んでの交渉が必要だろう。ミカは千束の笑顔を見て、決意を固くした。もしシンジも協力してくれれば、もっと楽だったのだが──
「無い物ねだりはダメだな」
「ご、ごめんなさい……」
いつになく真剣な表情をしたミカの言葉に、千束はしゅんとする。慌てて誤解を解こうと、ミカはリコリコのこれからについて、千束と話始めた。
「ご足労感謝します」
「前置きは良い。本題に入ろう楠木」
司令室では、楠木と虎杖が顔を合わせていた。
「既に現状は把握している。ラジアータのダウンとそれに次ぐリコリスに対する襲撃は計画的なものだ。ゴーストの身元は判明したのか?」
「いいえ。まるで掴めません」
「だろうな。だが心配は要らん。後は上が引き継ぐ」
虎杖は、スーツケースから取り出した資料を卓上に並べて言う。
「詳しくは言えんが、ゴーストは米国の
「それでは何故奴らは日本に? そもそも何故DAやリコリス達に襲撃を?」
「彼らのモットーの一環だ。『我等の自由を保ち、アメリカを守る』。故に、米国外においても自国の脅威になり得る対象を事前に排除している訳だ」
「……スパイ映画か何かの脚本ですか?」
「大っぴらにはしなくとも、大なり小なり何処の国でもしている事だ」
「それは──そうですが。彼らの業務は我々のように専ら自国内に向けてのものでしょうに」
国際的な活動だと虎杖は言う。テロリズムの防止や自国内の治安維持は、その行き着く先として自国外へ向くのだと。
「私たちとて、可能ならば日本に流入してくるテロリストの元を絶ちたいだろう? 彼らはそうする」
楠木が口を開こうとした瞬間、司令室に彼女の助手が立ち入る。
「失礼します。ラジアータが復旧しました。しかし、見て頂きたいものが……」
それは、ラジアータへの侵入経路とその損害についての報告だった。案の定だと虎杖は仏頂面を崩さず、得心がいった楠木は口元に手を当てて状況を理解した。
「奴ら、ラジアータが保有する情報を狙っていたのか。全てのインフラに優先権を持つラジアータなら、人間を含む凡ゆる物品に対して追跡可能性がある」
「テロリスト狩りの為のリストアップだな。DAは政府から独立して存在する機密組織で、ラジアータはその中枢だ。如何に彼らと言えど政治的な圧力ではどうにもならん」
「だから
「ラジアータがダウンしていた丸数日間、彼らにとっては十分な時間だ。暫くは暗殺部隊の首が回らんだろうな」
護送したアランチルドレンにラジアータの穴を塞がせろ。虎杖はそう釘を刺した。二度と同じ手が通じないようにするのだと。
「リコリス達が何人も死にました」
「人的被害は補填できる範囲だろう」
「彼女達は機密のエージェント故に、その損失は公的な損害とはなりません。しかし、だからこそ」
「分かっている」
虎杖は、頷いて楠木の言葉を引き継ぐ。
「だからこそ、舐められる訳にはいかん。彼らには相応の代価を払ってもらう。本作戦立案に関わった責任者の罷免、及び国土安全保障省長官の引退が決定した」
「それで納得しろと?」
「DAの存在を暴露されては困る。彼らも、同盟国内での特殊作戦など明るみにはしたくない。手打ちにできる落とし所だ。まさか、連邦議会の公聴会に責任者を召喚する訳にもいかんだろう」
目を瞑り、楠木は大きく息を吐く。
「そう言えば──岩鏡ヒメコは、使えそうだな」
錦木千束の代替としては、ギリギリ及第点と言った所か。虎杖はそう勘案しながら楠木に問い掛ける。
「彼女には
「……今の所は」
「早くファーストに上げろ」
「ヒメコには順当に経験を積ませます」
「そうか。だが、錦木千束を使わないならば、スペアは用意しておけ。上を納得させる為にも、替わりがいるという口実は重要だ」
資料を卓上に残し、虎杖は席を立った。
「し、失礼します」
スミレはヒメコの寮を訪ねて、上擦った声音で挨拶する。その胸中には当惑があった。養成所で優秀な成績を残した新人が、ベテランのリコリスと組まされて経験を積む事はままある話だ。自分もそうなるかもしれないとスミレは思っていたのだが──
「光栄です。まさか岩鏡さんと組めるなんて」
「世辞はやめてくれ。慣れてないんだ」
千束やファーストの先輩を真似て、らしくない口調でヒメコはスミレに微笑んだ。相棒ができると千束に伝えた際に、彼女から指摘を受けていたのだ。ヒメコちゃんは、敬語やめて笑顔の方が良いよ。そっちの方が怖くないからね!
「本心っす。錦木千束さんが支部に異動した今、関東本部で最も優秀なリコリスだと聞いています。噂では、敵の銃弾を撃ち落としたとか、拳銃で狙撃任務を成功させたとか」
「それは……随分尾びれが付いたな……」
ヒメコについての噂は、かなり一人歩きしていた。なまじ本当に銃弾を躱してしまう千束が居る分、荒唐無稽な噂も真実味を帯びてしまっていたのだ。
「これ粗品ですけど、どうぞ」
スミレは、コーヒー粉とショートブレッドクッキーを卓上に置く。訓練外の自由時間で彼女が購入したものだ。誰にでも贈れる手軽な手土産として彼女が用意したものである。
「ありがとう。クッキーは……二人で食べようか。ほら、そっちの席にどうぞ。もう随分遅いから、あまり夜食はよろしくないんだが」
「そうっすね。予定より任務が長引いたんですか?」
「ああ。任務中の交戦でかなりの被害が出たんだ」
暗い顔をするスミレ。DAの任務中に発生する被害と言えば、大抵は碌でもないものだと彼女は学んでいた。誰かが負傷したのか、或いは死んだのか。
「私もお荷物にならないよう努力します」
「いや、誰が悪い訳でも、ミスをした訳でもないんだ。強いて言うなら相手が悪かった」
あくまで、リコリスは暗殺者であって兵士ではない。ゴーストのような完全武装したプロの不意打ちに対処しろと言うのは、元来無茶な話なのだ。
「それに、野路さんも肩肘を張る必要はない。いざという時は、私が貴女を──」
守れるだろうか? ヒメコは言葉に詰まった。もしスミレが今日の任務に参加していたら、きっと彼女の死を看取る事しか──
「守るから」
もっと強くなればいい。今日の任務も、初手でゴーストの武装を無力化できれば此処までの被害は出なかった。私の所為だ。ヒメコはそう自分に言い聞かせる。
「頼みます。私、死にたくないんで」
緊張が解れたスミレは、コーヒーを淹れようとお湯を沸かしに行く。だが、ヒメコはコーヒー粉のパッケージを見て待ったを掛けた。
「コーヒーメーカーは無いぞ」
「え? インスタントコーヒーじゃなかったんすか?」
「そうだな……千束の寮にまだ残って」
「な〜に? 呼んだかな〜?」
扉を開け放ち、何故か鼻メガネを掛けた千束が乱入する。
「いや〜、先生には邪魔するなって言われたんだけど気になってねー。ほら、ヒメコちゃんってお堅いからねえ。良い子だよ〜、優しいし格好良いし映画の主人公みたいでしょ?」
「……」
「無言! 渋いねえ。こう言う時は相槌を打ってよヒメコちゃん。えぇと、コーヒーメーカーだよね? 取ってくる! 後はフィルターもセットで。ちょっと待ってて!」
スミレの肩を叩きながら、千束は駆け足でコーヒーメーカーを取りに出て行った。その元気一杯の慌ただしさに、スミレはポカンとする。
「げ、元気良いっすね……。何故鼻メガネを?」
「知らん。千束は昔から騒がしい奴だからな。でも良い奴だよ、底なしに」
「そう言えば、実はコーヒーメーカーとか使った事なくて……」
「私もだ。どうやって作れば良いんだろうか?」
二人はパッケージを見ながらクッキーを齧る。しかし、詳細な作り方までは記載されておらず、二人揃って困り顔をして沈黙した。
「まあ──千束に頼もう」
「ですね。分かってる人を頼るのが一番っす」
千束は廊下をるんるん気分でスキップしていた。彼女はしっかり聞き耳を立てていたのだ。あのヒメコが
「どうした千束、随分上機嫌だな」
千束の寮の片付けを手伝っていたミカは、コーヒーメーカーとフィルターを手にして駆け出そうとする彼女を見て事情を察する。きっと、ヒメコの事だろう。案の定、千束はニヤニヤしながら言う。
「マシーンがリコリスになった」
「それは、ハッピーバースデーだな」
「これから誕生日会をしてくるよ」
「ケーキは要らないのか?」
「コーヒーで良いよ。クッキーがあるからね」
寮の片付けは……仕方ないか。苦笑したミカは、荷物の整理を続けながらほくそ笑んだ。千束、お前もコーヒーを淹れるのは苦手だろう? でも、それで良いかもしれない。お湯のように薄くても、こんなおめでたい日には、きっと苦くないものの方が相応しいだろう。
「苦くないコーヒーか……まるでお前のようだな千束。人を殺さないリコリス──」