いかがお過ごしでしょうか?
あまりにも暑過ぎるので、思い付いたお話を投稿します。
「暑い! 暑過ぎるぅ……」
叫び声を上げ、千束はカウンターにくたくたと倒れ込んだ。季節は夏真っ最中であり、蝉の鳴き声が聞こえてきていた。気温は37℃であり、アスファルトで目玉焼きができそうな具合だ。
「仕方ありません、夏ですから。店内の冷房は効いていますし、お客さんには問題ない筈です」
「たきなはクールだね。私なんか店先の掃き掃除しただけでグロッキーだよ。汗が……制服着替えた方が良いかなあ」
千束は、冷房が効いた店内で扇風機に当たりながら尚ダウンしていた。ミズキも熱燗はサッパリで、此処のところ冷酒ばかりである。クルミはと言えば、唸るようなファンの音に囲まれながら愚痴を漏らしていた。
「これだから夏は嫌なんだ。いっそ水冷式にしようか」
「アンタ、押し入れの中をアクアリウムにでもする気?」
「良いアイデアだなミズキ。実に涼しげだ。だが、水冷式はチューブを張り巡らせて冷却液でラジエーターまで熱を運ぶ方式であって、PCを水に沈める訳じゃない」
「涼しけりゃどうでも良いのよ。店内の冷房を見なさい。設定温度は20℃よ。おまけに私は冷酒を飲んでる。これ以上はないわ。それでも暑いんだけど?」
ミズキとクルミが元気なく駄弁るのを他所に、ヒメコはアイスコーヒーに口を付ける。氷が浮かべられたそれは、爽やかな味わいで彼女を刮目させた。上質な水が使われているお陰で飲みやすく、香り高いコーヒー豆の風味が楽しめる。更に、体も冷やしてくれるそれは、正に夏にピッタリの飲み物だ。
或いは、シロップやホイップを加えても──
だが、ミカはヒメコに微笑んでいた。それを見て彼女は察する。このアイスコーヒーは、普段からアメリカンコーヒーを好んでいる自らに合わせたものなのだと。初めはアイスコーヒーだ。しかし、氷が溶け出すに連れて普段の味わいが帰ってくる。馴染み深い味だ。
「美味しいです。このアイスコーヒー、親しみ深い感じがして」
「それは良かった」
「店長、見てください。電気代が先月より増しています」
「予想はしていたが、やはり嵩むな」
ミカは頭を掻いた。喫茶リコリコの経営状況はあまり宜しくない。たきなが経理を担当して赤字から持ち直したものの、大きな余裕はなかった。
「ヒメコさん、デザートは要りませんか? 冷えたスイーツやアイスも取り揃えていますよ」
「なら、このソフトクリームを頼む」
ヒメコは鉄板のメニューを頼んだ。千束は相変わらずだと彼女に絡む。
「ホント、ヒメコちゃんって無難だよね。アイスを頼むならバニラのソフト。コーヒーはアメリカン。目玉焼きには?」
「醤油だな」
「無難〜。もっと冒険しようよ。一生で口にできる物には限りがあるんだから、同じ物ばかり食べるなんて人生が勿体無い!」
「確かに。だが、それなら私は好きな物を沢山食べたいな」
「そっか〜。なら、アイスコーヒーおかわりする?」
「頼む」
「頼まれた。先生、アイスコーヒー追加。私は──着替えてくるね」
追加の注文を取った千束は、ヒメコに手を振って店の奥へ姿を消した。ミカはソフトクリームを彼女に届けて、新しくアイスコーヒーを作り始めている。彼は、手を動かしながらヒメコに近況を聞いた。
「最近顔を見ないが、スミレの調子はどうだい?」
「変わりなく、問題も無いようで。近頃は任務で忙しくしているようです」
するうち、リコリコに新たな来客が訪れる。常連客の土井だ。彼はカウンター席のヒメコを見ると、会釈してからその隣の席に座った。ミカは慣れた様子で彼にブレンドコーヒーを用意する。
「ありがとう店長。それに、久しぶりだねヒメコちゃん。以前のボードゲーム会以来かな?」
「ですね。忙しくしてたもので」
「今日はお休みかい?」
「有休です」
「ははは、すっかり社会人だね」
もう50代半ばの土井は、若いヒメコを見て思う所があるのか遠い目をする。だが、彼はもう色々と吹っ切れていた。たきなとの一騒動で、ある意味では元気というか、ヤケになったと言うか。或いは、その人生の劇的さに心打たれたのかもしれない。主に千束の所為だが。
「お節介かもしれないけど、悩みがあるなら相談に乗るよ。人生の先輩面するのを許してくれるならだけど」
土井は、ヒメコが最も苦しんでいた時期を知っていた。彼女が、天地万象を諦観する暗い顔をして、ブラックコーヒーに口を付けていた時期だ。彼は経験から、きっと就活に難儀しているのだろうと当たりを付けていた。当たらずと雖も遠からずである。
「いえ、今は大丈夫です」
「だろうね。元気そうだ。就活は上手くいったみたいだね」
「は……はい。希望通りの働き方が出来まして」
土井の観察眼にヒメコは驚いた。そこで、彼女は勤め先については暈しつつ、それらしい悩みや近況を語る。着替えを終えた千束も途中から顔を出して耳を傾けていた。
「へえ〜、ヒメコちゃんも大変だねえ。でも、まるで普通の人間みたい。昔とはえらい違いだ」
「千束ちゃんは、昔のヒメコちゃんを知ってるの?」
「もちのろんですよ。何せ、私とヒメコちゃんは長ーいお友達ですから!」
「幼馴染って事かな?」
千束は土井の問いかけに悩み込む。成る程確かに、世間一般では幼少からの友人を幼馴染という。ならば、ヒメコちゃんやフキは私の幼馴染なのでは?
「そう……かも? そんな風に考えた事無かったなあ」
私たち、幼馴染じゃん。そうヒメコとフキに詰め寄ってみればどうなるか。千束の想像では、ヒメコは話を汲み取って肯定してくれそうだ。フキは……フキもか。普段は辛辣でツンツンしたフキが、言葉を濁しながらも、まあそうだなと、ぶっきらぼうに同意するのが目に見えた。可愛いなオイ。
「よし、フキにもそれで行こう」
フキへの新しいアプローチを胸に、千束は悪戯っぽい笑顔を浮かべた。それを見てたきなは溜息を吐く。
「今度は何を思い付いたんですか?」
「新しいフキの揶揄い方!」
「殴られますよ」
呆れ顔のたきなを他所に、ヒメコの両肩に手を置いて千束はニコニコ顔だ。店内の全員に聞こえるように彼女は声を弾ませた。私たち、幼馴染なんですよ〜!
ヒメコは舌打ちをする。彼女のチームは確保地点に向かう道中で、狙撃を受けて足止めされていた。ビルの高層階に狙撃手が潜んでおり、ヒメコ達は放棄された乗用車やバスの影に身を隠す他無い。だが、急いで確保地点へ向かわねば、敵チームがこのエリアを制圧してしまう。此処に留まることは即ち、ヒメコ達の敗北を意味していた。
「厄介だな」
するうち、膠着状態に痺れを切らしたチームの一人が無謀な賭けに出た。遮蔽物から飛び出して、脇目も振らずに全力疾走を始めたのだ。しかし、狙撃手の放った銃弾がその胸を穿ち、道路の真ん中に死体が転がる。
ヒメコはそれを見て確信した。恐ろしい腕前の狙撃手だ。もし叶うならば味方に欲しいぐらいだ。
「支援を頼む。あのビルをバラせるか?」
ヒメコは、レーザーポインターで狙撃手が潜むビルを指す。暫くして、無機質な音声が返答した。
「了解。身を隠しておけ」
次の瞬間、轟音と共にビルが崩壊した。スマート爆弾による近接航空支援だ。ヒメコは倒壊したビルを一瞥し、遮蔽物から身を離して突き進んだ。通りを越えた先の確保地点は、噴水が目印の公園だ。
「っ!」
当然、敵チームの兵士が防御を固めている。ヒメコは敵兵の目前に飛び出して──
「うおい! ヒメコちゃん何やってるの!?」
その頭を撃ち抜かれた。ヒメコは息を吐き、VRゴーグルを外して千束に言う。
「故障か? 撃てた筈なんだが……」
「ゲームじゃ現実みたいにはいかないよ」
「そのようだ。このゲームは難しいな」
「普通は逆だぞ。お前達やっぱり可笑しいだろ」
クルミは、ドン引きしながら千束とヒメコの会話にツッコミを入れた。真夏の昼に外出して遊ぶのは非現実的という千束の意見で、喫茶リコリコではVRゲーム会が開かれていたのだ。土井も誘われたが、身体を動かせるような服装も若さも無いと苦笑しながら断っていた。
「だってさー、ゲームじゃ予備動作もなく唐突に撃ってくるし〜」
「ゲームの身体と同期を取れる範囲で動かないと。中々厄介だな」
閉口したクルミは、ヒメコからVRゴーグルを受け取ってゲームを始めた。千束とヒメコは舌を巻く。それと言うのも、クルミが瞬く間に敵を殲滅していたからだ。
「すっご〜! クルミってゲーム上手いんだねえ」
「ゲームは現実じゃないからな。また違った技術が必要だ」
「ま、そりゃそうか。カラオケの採点も、歌手本人が歌っても100点にならないんでしょ?」
現実から乖離している事が売りなんだ。非現実を楽しむと良い。クルミは二人にそう説いた。銃弾を躱わせず、早撃ちもできない非現実を楽しむように……あれ?
「非現実・非日常的な人間にとって、ゲームはある意味陳腐なのかもな。やめだ。違うゲームをしよう。そうだな、これはどうだ?」
クルミが選んだのは、VRホラーゲームである。とは言え、真昼間からホラーとは風情が無い。どうせなら真夜中に暗い部屋で布団に包まりながらしない? 千束の提案に、クルミは首を横に振る。
「VRゲームだぞ。部屋が暗かろうが夜だろうが関係ないだろ」
「こういうのは雰囲気が大事なのだよクルミ君!」
「ミズキはどうだ? やってみないか?」
「はん! ガキの遊びに混じる趣味は無いわ。勝手にやってなさい」
「ご機嫌斜めだな。何かあったのか?」
「クルミ、そっとしておいてあげて。ほら、ミズキはまた婚活に失敗したというか……」
「はあぁ!? 失敗してないし! 私がフッたんだし!」
たきなは沈黙してミズキを見つめた。その無機質な視線が彼女の目と重なる。
「う……何よ?」
「……」
「何とか言いなさいよ!」
「応援します。対策を考えましょう」
思わぬ言葉にミズキはたじろいだ。しかし、彼女はカウンター席に肘を付き、目を伏せて目頭を抑える。やがて、顔を上げた彼女は、背伸びした子供を見守るような、柔らかな微笑みを浮かべていた。
「ありがと。アンタ、良い子ねえ。でも、大人ってのは子供に頼っちゃお終いなのよ。自分で何とかするわ」
「……そうですか」
酔いからか、或いは落涙からか、紅潮した頬をミズキは押さえた。彼女は困り顔をしながら呟く。
「歳を食うと涙脆くなってダメね。多分、心が脆くなってるんだわ。若々しく居たいわね。身体も、心も──」
「そうなの? 私は老成した心って素敵だと思うけど」
「ふふ、老いに憧れるのは若さの内よ。千束も歳を食えば分かるわ。若さと言うものの素晴らしさが」
「そっか〜……」
黙り込むたきなを見て、千束はVRゴーグルを押し付けた。
「ほら、たきなも遊ぼう。若さが逃げないうちにさ!」
「行きなさい。ガキの遊びに混じる特権があるうちに」
たきなは、頷いてVRゴーグルを受け取る。結果として、千束とたきなとヒメコは、墓場から蘇ったゾンビをスコップで制圧してホラーゲームをぶち壊した。ゲームの開発者は、熟練の暗殺者やアランチルドレンが本気でゾンビに抵抗する想定はしていなかったようだ。
クルミは諦観の表情を浮かべる。
「大人気ないな……」