「いやあ、目出度いねえ!」
千束は満面の笑みだ。彼女は、アメリカンコーヒーとショートブレッドクッキーをヒメコに届けてから、スミレに目配せした。
「ちょーっと待って。スペシャルパフェだったねスミレ
「いや、まだ成れると決まったわけじゃないっすけど」
「ほらほら、先生。アドバイスとかないの?」
千束はニヤケ面をしてミカに目を向ける。しかし、彼は溜息を吐いて目を背けた。
「頑張りなさい。それだけだ」
「冷たいねえ」
「プロを目指す相手に、生半な助言はできないだろう。ミカだって苦労しただろうしな」
クルミが常連客とのボードゲームの合間に口を出した。一方、漫画家の伊藤はボードゲームに混じれずに、やつれた顔をして座敷席の片隅でペンを走らせている。締切間近だ。
「先生かぁ。大変だよ。先生って呼ばれる仕事は全部激務さ。間違いないね」
「お、伊藤さんが言うと説得力が違うねー」
「あはは……そうっすね」
伊藤の言葉は、切羽詰まった声音だった。彼女はリコリコの常連で、時折このように締切に追われてデスマーチを行く事がある。彼女はペンを動かし続けながら、顔を上げる余裕さえ無かった。
「これはね、夏休み最終日に夏休みの宿題を渡されるみたいな。そんななんだよ。で、翌日にどうしてちゃんと計画的に済ませなかったのって先生に怒られるみたいな……理不尽!」
若干、テンションが可笑しくなっている伊藤。それを見てスミレは興味を惹かれた。果たして、人がこうまで追い詰められて描くものとは何なのか。スミレは席を立って伊藤の作業を覗き見る。其処には、漫画のキャラクターの立ち絵が描かれていた。
「うわあ、可愛いイラストっすね」
似つかわしく無いなと、スミレは心中で思った。やつれ果て、追い詰められ、切羽詰まった人間が、苦味たっぷりのエスプレッソを胃の中に流し込みながら描いたものがこれなのかと。伊藤は、げんなりした顔を上げて言う。
「美しいものは、何故苦難の中からしか産まれないのかな?」
「プ、プロっすね……」
あ、この人は多分本物だわ。そう確信したスミレは、仕事の邪魔をしては悪いと、応援の言葉を残して席に戻った。
「でも、大変だったねスミレちゃん。
「こう見えて、スプーンを握るぐらいはできるんすよ」
スミレはスプーンを左手で鷲掴みにした。だが、運ばれて来たパフェにそれを突き立てるのには随分と苦戦している。それでも、奇跡的な快復だと医師からは驚かれていた。しかし、奇跡が起こっても解決しない事はある。ヒメコは、悪戦苦闘するスミレを見て表情を暗くした。
「折角スミレちゃんが退院できたのに、そんな暗い顔しな〜い。ほら、千束さんが写真を撮ってあげよう。明るい笑顔のスミレちゃん!」
スマホをスミレに向けて、千束は何枚か写真を撮った。笑顔でピースをするスミレを見てヒメコの表情も僅かに和らぐ。
「ヒメコちゃんと、
「あ〜、彼女っすか。まあ、良いっすけど……」
病室にメロンを手にして来たジャッカルを思い出して、スミレは曖昧な顔をする。彼女にとっては殺されかけた相手であるのだが、やけに親身で面食らった思い出があった。
「悪い人じゃないんだよ。ヒメコちゃんとも仲良くしてた先輩だし。仕事となるとシビアになっちゃうみたいだけどねえ」
「其処の伊藤みたいにな。何時になったら終わるんだ? ボードゲームは無理そうか?」
「だ、大丈夫。このイラストさえ描き終えれば……」
「ふむ、無理そうだな。残念だ」
にべもなく断じたクルミは、賽子を振ってゲームを進め始める。伊藤は、楽しげな賑わいを耳にしながらエスプレッソをお代わりしたのだった。
「作戦終了。少し疲れました。歳ですかね?」
とある地下駐車場で、ジャッカルが煙草を咥えていた。彼女は、無骨なコンクリート壁に寄りかかって紫煙をくゆらす。大人の女性の魅力が感じられる佇まいだが、その周囲には物々しい装備をした男達が死体となって転がっていた。
「喫煙の所為だろう。やめておけ、似合わんぞ」
「血生臭さとか、キナ臭さとか、キツイ仕事ですから。コイツは良い香りがして気が落ち着きます」
「それはニコチンの──いや、どうでも良い話だ。本題に入ろう」
通信機越しの楠木は、現場の状況を精査して考え込む。最近はめっきり鳴りを潜めていたテロリストの排除任務である。武器商人とテロリストの取引現場を、ラジアータが検出したのだ。
「SUVの中を見ましたか? 新品の銃器が山程ありますよ。戦争でもおっ始めるつもりだったんですかね?」
手榴弾、軽機関銃、無反動砲にC4爆薬。軍事ドローンに個人携行可能なミニガンまで選り取り見取りであった。流石の楠木も眉を顰める有様だ。
「一体何処に届けるつもりだったのか」
「一人、生け捕りにしてますが」
「恐らく銃器から辿った方が早い。何処から流れて来たか調べさせよう」
「で、私との契約は?」
「継続だ。これからも頼む」
真島がばら撒いた千挺を超える銃器は、未だ回収しきれていない。その上に、このお代わりである。現状で優秀な駒を手放す理由は、楠木には無かった。
「毎度」
ジャッカルは、微笑んで携帯灰皿に煙草の灰を落とす。独立傭兵として雇用主を選ばなかった彼女は、しかし今は楠木と契約していた。元リコリスという経歴、千束からのそれとない口利き、そして、今まさに任務を完了してみせた手腕。その全てが、楠木の抱える問題を解決するものであった。
「自由に動かせて、信用のある確かな戦力。お前は最高のソリューションだ」
「煽ても何も出ませんよ」
「本心だ。黄輪」
「私の名前、まだ覚えてたんですか」
「お前との契約は機密だ。本来は、外部の傭兵にDAの業務を委託する事はない」
「良いんですか? 私との個人的な契約は明らかな越権ですよ。上にも下にもバレればタダでは済まない筈」
「分かっている」
ゴードン総監になる気あります? 千束はそう楠木にジャッカルの事を紹介した。彼女を使えば、リコリス達では対処の難しい案件にも対応する事ができる。上に逆らう羽目になるのは、仕方の無い事だと楠木は諦めた。
「そんなに人手が無いので?」
「今は繁忙期だ。いや、常にか……」
「甘くなりましたね、楠木司令」
黄輪の揶揄うような物言いに、楠木は口を真一文字に結ぶ。しかし、黄輪は不敵な笑みを浮かべて煙を吐いた。ウィンストンのキャスター、それもホワイトの5だ。仄かな甘みと軽やかなバニラの風味が漂う。雑多に多様な煙草の香りが絡まったカオスな喫煙所では味わえない、優しく上品な香りである。
「貴方が動かせるリコリスに、適当にチームを組ませて突っ込ませれば良いだけでしょう。司令の立場を危うくするリスクを抱えてまで私を起用する理由は無いですよね?」
「リコリスは鉄砲玉ではない。任務にはその難度に合わせて相応の人材を用意する」
「甘っちょろいですね。昔とは大違いだ」
「リソース管理の徹底だ。犯罪者共やテロリストは無限に湧いてくるが、リコリス達はそうはいかん」
一人のリコリスを育てる為に必要なコストは莫大だと楠木は強調した。リコリスとは非常に高価なユニットであり、その喪失は損失であると彼女は言う。
「養成所での訓練から含めて最短で数年は掛かる。任務での経験も必要だ。訓練だけでもどれだけの銃器と実弾が必要か分かるか? 教官やインストラクターも一流を用意する必要がある」
その上で、楠木は近年の異様なキナ臭さについても指摘する。
「そもそも、リコリスは暗殺者だ。戦争屋と真正面からやり合う案件はお門違いだが……最近はそんな話ばかりだ」
暗殺対象はラジアータと情報部の分析を元に選定する。最少のターゲットで最大の効果を得られるようにだ。武装集団の指導者、武器商人の頭目、カルト宗教の教祖──危険因子だからといって片っ端から暗殺できるリソースはない。楠木はそう断言した。
「戦争屋は止めたらどうだ。丁度、新しい支部の指揮官が要る」
「スカウトですか」
「平和を守る仕事がしたくなったら帰って来い」
「お金を稼ぐ仕事がしたいです。私がDAを離れた理由をご存知ないので?」
「給与を理由にDAを離れたリコリスはお前が初めてだった。お陰で今も名前を覚えている」
「そいつは光栄ですね。因みに、支部の指揮官というのは稼げる仕事ですか?」
「リコリスよりはな」
ダース単位で転がる完全武装した警備の傭兵達を見回して、黄輪は考えた。傭兵というのは、報酬はまあまあだが、このように命が安い。多少給与が下がっても、DAで重用されるならば総合的にはプラスだろうか。
「考えます。資料をください」
「契約書を送付する。目を通して返事を寄越せ」
するうち、黄輪の私用の携帯に通知が入る。彼女が確認すると、其処には送付された笑顔のスミレの画像があった。思わず吹き出しかけた黄輪は、訝しむ楠木に問いかける。
「あの……契約書は?」
黄輪はスミレの画像を楠木に見せた。彼女は暫し沈黙して答える。
「それは千束からだ」
「あ──」
「スミレの退院祝いか。おめでとうと伝えてくれ」
「ええ……」
甘い、甘過ぎる。黄輪は胸焼けした。楠木は、黄輪がDAを離れてからもずっとリコリス達の指揮に当たっていた。それ故、何処かで絆されでもしたのか、或いは情でも移ったのか。そう彼女は邪推した。
「なら、帰りにリコリコに寄りましょう」
「そこまでする必要はない」
「コーヒーが飲みたい気分なんですよ」
黄輪は、煙草を吸うのを止めて思い切り息を吸った。血と肉と火薬の匂いがして、胸焼けが少し治まり、代わりに軽い吐き気がする。やはり、煙草は手放せない。彼女はそうぼんやりと思った。
「色良い返事を期待する」
身内ともなれば、それはもう体良く使い潰されるだろう。重用はされても楽にはならない。だが、今の貴方のもとでならそれも悪くはないかもしれない。黄輪はそう、スミレの画像を見ながら思った。
通信を切り、地下駐車場の車道の出口から堂々と徒歩で黄輪は外に出た。緩やかなコンクリートの坂道を登り切り、都会のビル群のお膝元に立ち尽くした彼女は、行き交う人々の雑踏の中で一人、薄暗く夜の帳が下り始めた浮雲の漂う夜空を見上げる。
真白い三日月が、白雲を照らし出していた。
そう言えば、もう秋か。
月日が過ぎるのは速いもんだ。
黄輪はまた、煙草をもう一本手に取った。