「おい、ヒメコ」
春川フキが、目に留まったヒメコを呼び止める。彼女は、DA関東本部のロビーでスミレを待っていた。しかし、フキに気付いた彼女は、仕事終わりの草臥れた表情を一変させて笑顔で応える。
「久しぶりだな。どうした、フキ」
「スミレの奴、リコリスを辞めちまったな」
「ああ、訓練教官の見習い中だ」
「養成所でガキ共相手に苦戦してたぞ」
「幼い孤児達が相手だ。普通に接するだけでも至難だろうに、リコリスの訓練だからな。スミレからも良く愚痴られてる。子供との接し方が難しいらしい」
フキは、楽しげに語るヒメコを見て鼻を鳴らした。
「幸せそうで何よりだな。羨ましい限りだ」
「ああ、スミレが自分で選択した道だからな。それに、上手く行かなくても何度でも潰しは効く。私も、リコリスとして駄目になって──情報部員としても駄目になったら──今度は何をしようか?」
茶目っ気を感じさせる笑みを浮かべたヒメコを見て、フキは一抹の寂しさを感じる。赤い制服に袖を通して、急所を撃ち抜くのが仕事だった殺し屋はもういない。代わりに、笑顔で将来を語る少女がいた。フキは、それが少し気に食わなかった。
「模擬戦に付き合え」
「スミレを待ってるんだ。免停中だから、彼女に運転して貰えないと帰れない」
「そうか、スミレが来るまでは時間があるんだな?」
フキはスミレに連絡を入れて、ヒメコを屋内戦闘訓練場に連行した。嫉妬だった。リコリスとしての実力では敵わないまま勝ち逃げされたのが、腑に落ちなかったのだ。
「ブランク塗れのお前になら勝てる」
「フキは変わらないな。相変わらず負けず嫌いだ」
「五月蝿え」
「あれは、何やってんすか?」
「ああ、楽しそうだろう?」
困惑するスミレの問いかけに、楠木は困ったように微笑んだ。彼女達の視線の先には、至る所がペイント弾で色鮮やかに塗装された屋内戦闘訓練場があった。ヒメコは笑顔で息を切らしながら、弾倉を交換して訓練場を駆けている。
「初めはフキとの一対一だった。ヒメコのブランクもあって勝負は伯仲してたが──結果はヒメコの勝ちだ」
「そりゃあ、先輩は強いっすから」
「だが、フキは何度も再戦した。するうち観戦してたリコリス達も混じり始めてな。それで、この有様だ」
訓練場を見下ろせる監視室から、スミレはリコリス達をカウントした。16対1だ。ファーストからサードまで入り混じったリコリス達が、フォーマンセルでアルファ・ブラボー・チャーリー・デルタチームに別れてヒメコに対処していた。
「あ、こりゃ悪手っすね」
通路を巡回していたチャーリーチームが、ドアを蹴破って突入してきたヒメコに瞬く間に殲滅される。リコリス達は咄嗟に狙いを定めようとするものの、引き金を引く前に全員が頭を撃ち抜かれていた。
「リコリス達をチーム分けして運用するのは堅実っすけど、先輩を相手するなら頭数が最優先っすよ」
「ほう?」
「単純な話で、いくら先輩でも大勢の敵と出会せば照準が間に合わないっす。私の経験上、先輩は六人以上の敵と会敵するのは避けてました。不意打ちできる立場なら、弾倉の弾数と同じ頭数までは対処してましたけど」
恐らくは、8〜10人以上で一斉にヒメコを狙えれば、一人ぐらいは引き金を引ける可能性がある。スミレはそう楠木に説明した。
「私なら全員で一室に篭ってドアを狙わせますね。先輩が入ってきた瞬間、1対16で早撃ち対決っす。でも、この程度の事はフキさんも分かってる筈です。何故わざわざ先輩の土俵で勝負するような戦い方をしてるんですか?」
「籠城は、救援を望める状況でしか取り得ない戦術だ。その上に、狭い屋内では多人数で立て篭もっても手榴弾で吹き飛ばされるのがオチだ」
「模擬戦じゃ手榴弾なんて使わないっすよ」
「実戦ならヒメコはそうする。フキはそう考えているのだろう」
楠木とスミレが会話している間に、ヒメコと出会したアルファチームが全滅した。チームは室内のクリアリング中にヒメコと遭遇し、僅か数秒で全員が頭部に銃撃を受けた。リコリス達は、もはやヒメコに銃口を向ける事さえ出来ていない。
「加速している。いや、戻っているのか」
「ブランクで鈍る前の先輩っすね」
更に、ヒメコは脱落したリコリス達から拳銃を鹵獲していた。2挺をレッグホルスターとチェストホルスターに収め、もう1挺を追加してアキンボの構えだ。
「えげつないっすね。リロードする時間さえ惜しいから、撃ち切った拳銃を捨てて交換する気ですよアレ。しかも二丁拳銃だから、二倍狙えて二倍撃てる」
「長物と違って取り回しも良い。射程や精度は犠牲になるが、ヒメコの才能があれば利点の方が上回る」
アルファとチャーリーの脱落を受けて、残りのチームが合流に動いた。索敵ではなく迎撃に主眼を置く戦術をフキが提示したのだ。彼女は、排除されたチームの位置からヒメコの動きを予想して合流地点を指定する。
「あっ……」
しかし、合流中のデルタチームがヒメコと接触した。通路を疾走してきた彼女と、曲がり角でバッタリと顔を合わせたのだ。手を伸ばせば触れられるような至近距離で、彼女は動じる事なく両手の銃口をリコリス達に向ける。
だが、既に合流間際だったフキ率いるブラボーチームが、デルタと接敵したヒメコの背後を取っている。千載一遇のチャンスだ。
「やれるぞ、フキ」
楠木は目を見開く。
ヒメコはデルタチームを淡々と処理した。彼女と対面の撃ち合いでは、それこそ銃弾を躱しでもしない限り勝ちの目は無い。しかし、彼女の表情には焦りが浮かんでいた。背後にフキ達がいる事に、リコリス達の視線から気付いたのだ。
「やれ」
デルタチームを殲滅し、ヒメコは弾倉が空になった拳銃を手放す。フキは、チェストホルスターから拳銃を引き抜きながら振り向きつつあるヒメコに向けて照準を合わせた。
重なり合った、一発の銃声が響く。
フキは、額から垂れる塗料がゴーグルを横断していくのを見て銃口を下す。ヒメコは、腹部に命中したペイント弾を見て硬直した。被弾箇所からして即死判定ではない。何れにせよ脱落だが、まだやれる。だが、思考を必要とする判断は彼女の一手を遅らせた。
「やれ!」
フキが叫ぶ。喝を入れられたリコリス達が跳ね上がるように拳銃を構えた。ヒメコもまた、我に返って引き金を引く。一人、二人──だが、間に合わない。
腹部から胴体、胸部から首筋、顔面から頭部に至るまで撫でるように、殆ど恐慌状態のサードリコリスがヒメコを射撃する。弾倉が空になっても引き金を引き続けるリコリスの前で、ヒメコは塗料塗れになって両手を上げた。
スミレは、ロッカールームでヒメコに着替えを手渡す。
「スーツ、クリーニングに出さないとダメっすね」
「そうだな」
DAの備品だったホルスターを外し、ヒメコはスーツを脱いだ。ワイシャツとスラックスの下から、スポーツブラジャーとボーイレッグのスポーツショーツが露わになる。スミレは目を細めて呆れた様子だ。
「情報部員ってのは、外回りも忙しいんすか?」
「いや。だが、こっちの方が動き易い。それに快適だ」
「お洒落とか」
「誰に見せるものでもない」
「相変わらずっすねえ」
スミレが手渡した着替えに袖を通して、ヒメコは嬉しそうに微笑んでいた。敗北を喫したというのに、彼女の表情は寧ろ晴れやかである。心にも無さそうな愚痴を吐きながら、彼女はスポーツドリンクに口を付けた。
「私も鈍ったな」
「一日中デスクワークでしょ。寧ろ、現役のリコリスとやり合えるなんて流石っすよ」
「昔取った杵柄だ。もう持ち上げるのも辛くなってきた」
「嫌味かテメェ」
フキが、不機嫌な表情でロッカールームにやって来る。彼女は雑談していたヒメコとスミレを余所にして、制服を着替え始めた。スミレが、他意無く模擬戦の勝利について誉めそやすと、彼女は更に不機嫌げに眉間の皺を深める。
「次も勝つ。一対一でだ。あんなんで勝った内に入るか」
「ストイックっすね……」
「フキ、勘弁してくれ」
ヒメコは堪らず弱音を吐くが、フキは取り合いもしない。
「馬鹿言うな。これからも付き合ってもらう。私が勝つまで逃さねえぞ」
「他にしたい事はないのか? リコリスとしての仕事以外で」
「今は無えな。部下の面倒を見るのと日々の任務で大忙しだ。強いて言うなら、任務の負傷者を如何に減らすか司令と相談してる」
「マジっすか」
「驚くような事か? 大体、スミレの所為だぞ。優秀なリコリスも負傷一つで引退だ。こんなんじゃ現場が持たねえ。どうするべきかって話で持ちきりだ」
それに、と。フキはヒメコを指差した。
「テメェの所為でもあるぞ。我関せずみてえなツラするんじゃねえ。任務における心的外傷への対処についても議題に上がってる。他所じゃ結構予算割かれてるらしいじゃねえか」
任務で負傷しないように、兵士は装備を整える。同じように、任務で心に傷を負わないように、或いは負っても治療可能なようにと。今や、戦場でも心は身体と同等の立場を獲得しつつある。
心と身体に傷を負ったリコリス──フキはそう、ヒメコとスミレに僅かながら憐れみの感情を抱いた。
「兎も角、私は今の事で手一杯だ。だから、ヒメコとの模擬戦は良い息抜きだ。目に見える分かり易い目標ってのは、追いやすくて気分が良いんだ。付き合え」
「あ、毎日はダメっすよ。できれば週一で。それに、あんまり遅くなるのもダメっす。休日に合わせてくれると尚嬉しいんすけど」
スマホを取り出してスケジュールを擦り合わせ始めたフキとスミレを見て、ヒメコは困惑した。私の意見は?
「どうするつもりですか、楠木司令」
楠木の助手が、模擬戦の結果が纏められたレポートを目にして言う。模擬戦闘でヒメコは敗れた。だが、その結果は尋常ではない。
「ファースト4名、セカンド7名、サード5名が模擬戦に参加して、生存者はサードリコリスが一名だけか」
「もしこれが実戦だったらと思うと……」
ヒメコを仮想敵として想定すると、あまりにも危険な才能だ。上は手放す事を良しとはしないだろう。飼い殺せなければ、最悪リリベルでも使って排除に動くかもしれない。ヒメコは、DAを生涯離れられない。だが、それは千束が居なかった場合の話だ。
「心配ない。千束が居る」
千束は、ヒメコが居たからこそスムーズにリコリコの独立を認めさせられた。そして、ヒメコもまた千束が居るからこそリコリスから足を洗う事ができたのだ。
「例えヒメコがどんな選択をしても、千束をぶつければ良い。あの二人は、互いが互いのストッパーであり、スペアだ」
楠木は助手が手にしていたレポートを受け取り、握り潰してゴミ箱へ放り投げた。
「最近、ヒメコちゃん来ないね」
「共暮らしが始まったらしいですし、きっと多忙ですよ」
千束は、開店の準備をしながらたきなと駄弁っていた。時間的余裕と、通勤前に口にしたコーヒーで冴えた頭が彼女を饒舌にさせる。
「変わったよねえ。ヒメコちゃんもスミレちゃんもリコリスじゃなくなったし」
「そうですね」
「私たちもずっとこのままじゃないんだよね。たきなはどうするの? ほら、将来の話」
僅かに考え込んでから、たきなはテーブルを拭き始める。彼女は手を動かしつつ、遠い将来を見つめるように目を細めた。
「それなら、千束と一緒です」
「え?」
「私たちの将来なら、二人で考えるべきです。千束はどう思います?」
「わ、私かあ……私は……」
まさかそのまま話を切り返されるとは思わなかった千束は、うんうんと悩ましげに考え込む。
「やりたい事最優先で、今を大事に生きてきたからねえ。あんまり将来の事は考えて無かったね。時間も無かったし」
「今はどうですか?」
「急に未来が開けてぼうっとしてる感じ。暫くはリコリコを続けて……そっから先は……先生と相談かなあ」
自分一人で考える必要はない。千束はそう笑顔を見せた。
「やりたい事も、やってみたい事も山積みだよ。観たい映画もいっぱいある。将来私がどうなってるかは分からないけど、でも、自分が好きな事してると思うよ。それだけは絶対。だから、心配はしてない」
千束さんは、悩みが無いのが悩みだからね。そう茶化す彼女を見て、たきなは呆れて言う。
「ついさっき、悩んでたじゃないですか」
「てへへ……」
fin. 2023/09/24
番外編も含めて、完結しました。
本編でヒメコがリコリスから足を洗ったので、番外編では主にリコリコでの他愛無い日々とスミレについて覗いていました。スミレまでリコリスから離れてしまったので、少し驚いています。
もう秋でして、彼岸花が畦道に見つかる時期になってきました。道を行きながら、或いは電車の車窓などから田畑沿いの彼岸花を目にすると、ふと思い出す。「リコリス・リコイル」という作品は、私にとってそのようなものです。
アニメ二期については、胸の内にしまって、何時迄も密やかな楽しみとしたいと思います。
また、何処かでお会いしましょう。