「ヒメコ、装備に不備はないか?」
ミカからの通信を聞き、袖を通した制服と装備をヒメコは確認した。防刃防弾の制服と金属カップが仕込まれたローファーは、瓦礫やガラスが散乱する廃墟から銃弾飛び交う戦場まで対応可能で、一般的な女学生の格好に擬態する隠密性も兼ね備えている。
「ヒメコちゃんの戦闘服だ〜。なっつかしい!」
一般市民への偽装が必要ない任務でヒメコが纏う制服は、スカートではなくズボンだった。理由は、ホルスターから銃を抜きやすいのと、脚部の保護の観点からである。ヒップホルスターとショルダーホルスターにはそれぞれ、ワイヤーガンとグロッグ17が収められていた。
更に、ヒメコの背にあるサッチェルバッグには、即座に取り出せるようにナイフと予備の拳銃が仕込まれている。その上、銃弾・弾倉・グレネードに簡易治療キットと工具まで詰め込まれたそれに、一切の不備はない。
「問題ありません」
クルミとミズキの事前調査で洗い出されたターゲットの潜伏先は、とある廃ビルの9階だった。1階から8階までの各階では銃器で武装した兵隊が巡回しており、9階は狙撃を警戒してか窓辺が塞がれている。
「さて、千束さんは一つ質問があるんだよね〜」
バンの中の面々に千束は問いかけた。ミカとクルミは喫茶リコリコから指揮とサポートに当たっている為、バンでは運転手のミズキと四人のリコリスが顔を突き合わせている。
「アレどうする〜? 事前調査の時は無かったよね?」
「屋上のヘリですね。潜入がバレれば空路で逃げられます」
「厄介っすね。無敵のハッカーさんに頼めません?」
スミレはクルミを当てにしたものの、彼女は首を横に振る。
「無理だな。あのヘリはスタンドアロンだ。取り付く島がない。直接細工できれば可能だが」
「なら、ヘリのメインローターを破損させれば離陸できない筈。ターゲットが逃走を図ったタイミングで狙撃しよう」
ヒメコの提案をミカが受け入れると、スミレが名乗りを上げた。
「なら、私がやるっす。狙撃ポイントあります?」
「ああ、あるぞ。ボクが調べた所によると、近場のマンションの屋上が使えそうだ。ルートを送る」
「了解っす。先に狙撃ポイントへ向かいます」
「一人で大丈夫か?」
「う〜ん、ミズキさんも付いてくれませんか?」
「分かったわ。アタシとスミレで狙撃ね」
クルミから送られて来た情報を確認し、スミレはライフルケースを担いでバンを出た。ミズキは運転席をヒメコに譲り、その後を追う。
「さて、私たちも行きますか。たきなとヒメコは西階段から、私は東階段から9階を目指そう。エレベーターは止まってるから、ターゲットが逃げようとしても私たちと鉢合うかヘリに乗るしかないよ。袋の鼠だ」
「千束が一人ですか」
「戦力的にはそうなるでしょ。ほら、私最強だし? それとも、愛しの千束さんと離れたくないのかなぁ〜?」
「……」
「ちょ、返事してよ。気不味いじゃん」
「行きましょう」
ヒメコはバンを運転し、廃ビルへと向かった。
「マジかぁ……」
バラシ屋は深く溜息を吐いた。臓器売買の仲買人として築いてきた人脈をフルに使ってこの国で商売を始めて半年は経つ。そして、彼は追い詰められていた。
「ボス、どうします?」
「知るかぁ。こんな国からはとっととオサラバしたかったが、俺がこの世からさいならする方が早そうじゃねぇか」
クソッタレのDAめが。バラシ屋は胸中でそう吐き捨てた。とある伝手でDAの情報部員と内通できたお陰で、彼はこれまで三度に渡る暗殺を凌ぐ事ができた。しかし、それもこれまでのようだ。今回の襲撃の情報は得られていなかった。寝耳に水である。
「下の階の奴らから定期連絡がありません。銃声も派手に響いてます。さっさとヘリで逃げてください」
「お前はどうする?」
「時間を稼ぎます」
「悪りぃな」
「仕事ですから」
バラシ屋はもう、日本から離れるつもりだった。DAの存在を深く知った事で、この国で商売をするのは割に合わないと判断したからだ。海外なら大手を振って臓器を売り捌けるような市場が何処にでもある。勿論、ライバルや抗争も多いが……社会の全てに監視の目を向けるAIや陰謀論も真っ青な秘密組織に命を狙われたりはせずに済む。
「全部一からやり直しかぁ。しゃーねぇなぁ」
この国で市場を開拓する為の凡ゆる投資が水泡に帰した。その上、命まで危ういときやがった。それでも、心折れはしない。
「やり直そう。何度でも」
失敗、そんなものには慣れている。全てを失って路頭に迷った事も一度や二度ではない。泥水を啜り、手を汚し、血に塗れて此処まできたのだ。
「生きてりゃあ、なんとかなるさ」
誰に言うでもなくバラシ屋は嘯いて、上階への階段を登り始めた。
ヒメコは手中にあるクリス・ヴェクターを握る。毎分1200発の弾丸を吐き出すその短機関銃は、独自の反動制御システムを導入して銃弾のリコイルを効果的に吸収する仕組みを持つ。それでも、フルオートで使用すればかなりの暴れ馬だが、彼女はそれを乗りこなす事ができた。
「たきな、先行する。援護を」
東階段から銃声が響き始めたのを耳にして、二人は警戒を強めて上階へと進んでいく。階段の見張りに各階のフロアの兵隊が合流して二人を阻んだが、ヒメコは難なく敵を無力化していった。その手際に、たきなは閉口してしまう。
姿を見せた相手は即座に撃ち抜き、発砲すら許さない。物陰に身を隠した相手には制圧射撃を加えながら接近し、懐に飛び込んで対象の銃器を銃撃した。ナイフで応戦してきた相手からは一気に距離を離し、ホルスターから抜いたワイヤーガンで拘束する。ヴェクターとワイヤーガンのアキンボなど、滅茶苦茶である。
「化け物が!」
怒声を上げて上階からヒメコを狙う男。向けられたAKを、彼女はたきなが反応するよりも速くノールックで撃ち抜き、一気に上階へ駆け上がる。男は破損したAKを捨てて拳銃を構えるが、それもまた銃撃で弾き飛ばされた。
丸腰で立ち尽くすしかない男と、至近距離からヴェクターの銃口を向けているヒメコの間で不気味な沈黙が流れる。やがて、ヒメコはゆっくりと銃を下ろしワイヤーガンを向けた。
「次からは、撃ってから叫べ」
ワイヤーで拘束されて地面に転がる男に、たきなは心底共感した。紛うことなき化け物である。撃たれる前に撃つ、その極北がヒメコだった。しかし彼女は、周囲の安全を確認してからたきなに視線を向けて言う。
「たきな、援護」
「出来ません。速すぎます」
たきなは優秀なセカンドだ。それは間違いない。しかし、単純に、たきなが敵を撃つよりもヒメコが撃つ方が速いのである。千束とはまた違った、遠い存在であるとたきなは彼女を再認識した。
「すまない。私が援護するべき立場だったな。スミレにも良くどやされた。私が先行すると後輩が育たないらしい」
純粋な力不足。だが今は作戦中だ。そんな事を考えている余裕はない。たきなは素早く思考を切り替えた。
「おい、ターゲットが屋上に向かってる。ヘリで逃げるつもりだ。8階にバリケードがあるぞ。足止めだな」
クルミからの通信が状況を伝える。
「なら、逃走はスミレが阻止する。ヒメコ達はビル内の掃討に移りなさい。千束、ターゲットの確保は任せるぞ」
「まっかせなさい」
ミカからの指示に、余裕綽々とした声音で千束は答えた。
「夜風が冷たいわね。こんな時は熱燗の酒が一番なんだけど、作戦中だからねぇ」
「なら、任務が終わったら晩酌っすか?」
「アンタは未成年でしょ。飲酒なんてダメよ」
ミズキの言葉にスミレは笑う。殺人を許可されたDAのエージェントが、飲酒を許されないという奇妙な規範。それがおかしくて堪らなかったのだ。殺人は良いのに、酒はダメっすか。そっすか。
「にしても、随分アンタはリラックスしてるわね」
「そりゃそうっす。先輩と、それにあの伝説の千束さんっすよ」
スミレは余裕だ。それと言うのも、DAの任務は常に非対称なものだからだ。相手は銃器を持っただけのならず者や一般の犯罪者が殆どで、対するのは幼少から訓練を積んだリコリスである。
更に、敵の数・装備・練度はラジアータで筒抜けであり、専門家が立案した作戦と相手を上回る戦力が用いられる。その上、ターゲットは自分たちが狙われていることに気付いてすらいないのが殆どだ。
「準備が全てで、始まる前から結果は決まってるんすよ」
相手より強い武器と、相手より強い兵士と、相手より沢山の戦力と、相手より優れた作戦で、不意打ちをするのだ。不公平、弱いものイジメ、バランスが悪いよなぁ! そんな風に真島なら憤ることだろう。実際、作戦にはゲームのような公平さはなく、バランスも存在しない。
「スミレ。ターゲットがヘリに向かっている。頼んだ」
「了解っす」
ライフルケースから取り出されて組み立てられたそれは、バレットM82だった。大口径のセミオート狙撃銃で、今回のような目標物の破壊に最適な代表的な対物ライフルである。使用される12.7mm弾は、重量もあり射程も長い。千束が使っている軽量かつ短射程の非殺傷弾とは真逆で、ごく重く、安定した弾道を描いて直進する。
「ヘリのメインローターを……」
スミレは伏射の姿勢でスコープを覗き込む。空きマンションの屋上から廃ビルの屋上までは凡そ2.0kmであり、ターゲットは不動のヘリだ。彼女の技量ならば全く問題のない狙撃であり、外すことはあり得ない。
「ふ〜ん、ナイスショットね」
ミズキは、防音用の耳当てを外しながら無愛想な称賛を送った。
「クソッタレ……スナイパーか」
バラシ屋は、廃ビルの屋上で芋虫のように地を這っていた。彼は狙撃手の位置を割り出せはしなかったが、遠距離からの狙撃があった事に気付いた。目の前でヘリのメインローターが派手に破損したのだ。気付かない方が無理のある話である。
バラシ屋は身を低くし、匍匐して東階段へ向かおうとする。屋上には遮蔽物が少ない。狙撃手がいるならば屋内に戻るしかないだろう。時間稼ぎに当たっていた護衛からの通信は既に途絶えており、望み薄ではあるが。
「運が無いぜ。マジでよ」
散々だった。同業者が手を出していない新天地を開拓するのだと、喜び勇んで準備をして来た。舐めていた訳ではない。だがコレは想定外過ぎる。とんだ暗黒群島である。
「なんつー国だよ。二度と来ねえぜ」
メインローターの破損具合からして、大口径の狙撃銃だろうとバラシ屋は当たりを付けた。少なくともそこらのゴロツキが調達できる銃器ではない。十中八九DAの刺客だ。
「そう言わないでよ。観光名所とか結構あるよ?」
意地の悪い笑みを浮かべている少女がいた。千束である。手には拳銃が握られており、バラシ屋が逃れようとしていた階段から姿を現していた。
バラシ屋は即座に、屋上から逃れる為にもう一つの西階段に目を向ける。しかし、其処からも二人の少女が姿を見せていた。ヒメコとたきなである。二人は屋上に護衛がいない事を確認し、千束と彼を発見した。
「見逃してくれ。俺はもうこの国を出るんだ。二度と帰って来ねぇ」
「そっか〜、残念。東京の雷門は見た? オススメだよ」
「ははは……」
匍匐したままのバラシ屋を見下ろしながら、千束は彼に銃口を向ける。
「待て、待ってくれ。何でも言う。お前、DAの刺客だろ。リコリスとかいう暗殺者集団の」
「へぇ、お兄さんって物知りなんだねぇ」
「内通者がいる。教える。だから」
「うんうん、分かった。命だけは助けてあげる」
「へ?」
素っ頓狂な声を出したバラシ屋に二発、千束は迷う事なく銃弾を叩き込んだ。赤い花が咲き、彼は沈黙する。
「作戦終了。全員良くやったな。バラシ屋は拘束してリコリコまで連れて来てくれ。尋問して情報を吐かせてからクリーナーに引き渡す」
「千束、早かったな」
「いや〜ヒメコとたきなも早かったじゃん。もうちょっとで先越されるところだったなぁ」
いや、なんでファーストとセカンドの二人よりも単独の千束が早いんですか。しかも、上層階の護衛を全て無力化してるなんて。掃討は私たちの役目でしたよね? そう頭を抱えるたきなを、ヒメコは気遣って声をかけた。
「たきな、仕方ないさ。千束は」
「分かってますヒメコさん」
ヒメコとたきなは、二人して顔を見合わせて諦めたように肩を竦める。
「千束は、非常識な人ですから」